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例えば、手錠を掛けるとか、牢屋に入れるとか、強制労働させる、といった行為は、それ自体としては「してはいけない」行為です。
しかし、法律で例えば窃盗を「してはいけない」と定める事は、窃盗をした人に対しては手錠を掛けるとか、牢屋に入れるとか、強制労働させる、といった行為を「してもよい」と定める事と同じです。

敵は、してはいけない事をしてもよいと定めさせる目的で、「してはいけない」事の基準をどんどん厳しくしようと工作します。
今よりもっともっと些細な事まで「してはいけない」と法律で定めさせようとして来る、という事です。
他人と仲良くしなさいとか、礼儀正しくしなさいとか、言葉使いには気をつけなさい、というのは、それなんですよ。
「馬鹿にしてはいけない」「なめてはいけない」が代表例です。
最近では侮辱罪の罰則強化が露骨にコレなんですが、気付いていたでしょうか。
事件を起こす事によって法律を変える種類の集団ストーカー工作によって、またまんまと法律が変えられてしまいました。
「馬鹿にされた」という敵が発する定型句は、馬鹿にされたんだからそうでなければしてはいけない事もしてもよくなりました、という意味の死刑判決です。

ハードウェア(身体)に強制介入する事によってこちらの活動を妨害したり停止させたりするという、それ自体としては最もしてはいけない(=法核では最も優先的に禁止されている)事が、自分達はしてもよいのでないと我慢が出来ない、してはいけないなんて、そんな馬鹿な、何かの間違いではないのか、お前、冗談で言ってるのか、してはいけないとされる事は自分達が馬鹿にされたという事である、自分達が当然受けるべき尊敬を受けないという事である、どうして言う事を聞かなければいけないのか、なめとるんか、馬鹿にされた、という、ほとんど意味不明に近いトンデモない願望、これが敵の思想である。

「じゃあ、どういう場合ならしてもいいんですか?」こういう風に質問して来るのが敵です。
最初から、してはいけない事をするのが目的で、条件を揃えようとしている。
順番が逆なんですよ。
不幸にも条件が成立してしまったので「してはいけない」とは言っていられない、これが正しい順序です。
してはいけない事を出来る様にするのが目的で条件を揃えるという方法は、「被害者が害を被る様に狙って選択する」の特別な場合に過ぎませんから、そういう方法を幾ら工夫しても「それなら、してもいい」には成らないのに、それを認める事が出来ない、これも敵の識別点のひとつです。

「してはいけない」を促進する事によって「してもよい」を促進する敵のこの手口に歯止めをかけるのが人権である。
人権という概念は本来そういう物である。
理由の如何にかかわらず、人に対してはこれ以上の加害は駄目です、というのが人権です。
ただし、人権の尊重は必要条件であって、十分条件ではありませんけどね。
つまり、人権さえ尊重すればよい、というものではなく、他にも守らなければいけないルールが有るのは当然の事です。
人権尊重は最も優先的に守らなければいけないルールであって、優先度がそれ以下のルールだって守らなければいけない。
くどくなってゴメン。
さて、敵は人権と真っ向から対立する人々です。
どんな事があっても人権を侵害してはいけない、というルールが敵はどうしても許せない。
何故か?
それは、敵の言葉で言うと、人権侵害が全く出来なければ1つの例外も無くいつも強い者が勝つからです。
敵はこれまで人権侵害未満の不正で結果を変えようと色々試みて来たが無理だと分かった = 優れた人々は敵の想像を絶するほど素晴らしい人々だった。
もうこうなったら人権侵害しかない、強い者が勝つのではいけない事の方が人権より大切である、と敵は考えたに違いない。
そこで、「してはいけない」を促進する事によって「してもよい」を促進する敵のこの手口の「してはいけない」の部分に敵は「人権を侵害してはいけない」を不正に代入する事によって、人権を侵害してもよい状況を作ろうと狙っている。
どんな事があってもと言っても、人権侵害に対向するために必要とあらば、人権侵害だからいけないとは言っていられないですよね、私もそう思います。
敵は、人権を尊重せよと最初に言われた時、もうほとんど瞬間的に人権尊重ルールのこの弱点に目を付け、そこを狙い始めたはずだと私は確信します。
何せ敵は反転詐欺の犯人なんだから。
しかし、「してはいけない」を促進する事によって「してもよい」を促進する敵のこの手口は、もともと、「してはいけない」の部分に、守るのが難しいような過度に厳しいルールを置かないと有効に機能しません。
過度に厳しいというのは、言いかえれば、違反しても微罪にしか成らなかったり、違反しても罪にすらならない、という事です。
過度に厳しいルールというのは、マナー程度のことです。
「馬鹿にしてはいけない」というルールが、その代表例です。
したがって、この部分に「人権の尊重」を不正に代入した敵にとって、些細な加害でも人権侵害だ、と主張する必要が出て来る。
本当は、人権侵害というのは、犯罪の中でも最も重い犯罪なのに、法律違反に満たない様な事を指し示す言葉として人権侵害という言葉が使われる間違った風潮は、こうして蔓延する様になっているわけです。
そして、ここに敵は尻尾を出しているのです。
敵は、人権ではない事を人権だと言って、人権を尊重しろと叫ぶ事によって人権侵害を達成しようとしているのである。
「人権」「人権」と言っている人には、「人権何ですか?」「人権が憎いという事ですか?」と質問してみると良いぐらいだ。

昔は使われなかった「トラブル」という言葉も、「してはいけない」のハードルを下げる=些細な事までしてはいけないとするための道具として使われ始めた。
つまり、敵が負ける事=トラブルとしてしまえば、敵が負ければトラブルだからこちらが悪いから敵の勝ちだ、という屁理屈を何十年か前から敵が使い始めて定着しているのである。


最終更新2023年06月12日