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まず、以下の事件を例に取って説明します。
2022年01月23日(日曜日)の昼頃、JT宇都宮線の列車内で、高校2年の男子高校生が、同じ車両の優先席で加熱式タバコを吸っていた宮本一馬(ホストクラブ従業員、当時28才)にタバコを吸うのをやめるように頼んだら、高校生が押し返す様に狙って宮本一馬が高校生に顔を近づけ、高校生が「離れて下さい」と言いながら押し返すと、宮本一馬は「高校生の押し返した行為が先に手を出す行為に該当する」という意味の事を言って、それを理由として高校生に10分間を超える長さに渡って暴行を加え、その結果高校生が被った害には頬骨骨折が含まれていた。
宮本一馬は、高校生が先に手を出したのだから自分がした暴行は正当防衛だ、と主張した。
暴行された高校生にはゼンソクの持病が有ったという。
暴行には、高校生を土下座させ足で頭を踏みつけた、という内容が含まれていた。
顔を近付ける行為は、東京理科大学卒業の1年ぐらい前に東京理科大学神楽坂キャンパス1号館多分6~9階のうちのどこかにあった物理学実験の教室で多分タカギ(織田裕二似)という名前だったと思う学生が私にした、2010年頃広島県福山北警察署内で警官2人組が私に似た様な事をした、福山こころの病院(旧仁風荘病院)でウエノという名前だったと思うが男性職員(お笑いタレントの東野似)がテレビを見ていた私に露骨に仕掛けた、NHK Eテレで放送された「ルポ 死亡退院」にも同じ事をされたという証言が有った。
物理学実験の教室では、私が「近すぎる」と言ってたしなめると犯人は「やるんか」と言ったので、私の勘違いではない。
その後木村拓也さんだったかがテレビドラマで近付きすぎた仲間に「近すぎる」という意味の台詞を言う事が多分複数回有ったのは、その真相を揉み消そうとする言い訳ストーカーだろう。
犯人は「やるんか」と言っても私が全く動じないのを見て、勝負を取り下げたが、いわゆる「吐いたつばは飲み込めない」である。
「やるって、何を?」と疑問に思ったが、その様に思い当たる事が無かったので逆に、悪者に仕立て上げる競争の事を言ってるようだ、と私は察した。
その時期、私は、こっそり背後から腰の辺りに放射線を当てられたのではないか、と疑う事もあった。
その時期を境に、私の集中力からは靭性が失われた。
高岡英夫さんがユルというものを編み出したのは、そういう自分の心身を私が騙し騙し使ってる様子を見ての事ではないか。
東京理科大学の卒業アルバムで調べてみたが、名前が一致する人も人相が一致する人も掲載されていなかった。
ついでの話だが、卒業アルバムに掲載されていないと言えば、この他に、鈴木公が担当していた量子力学演習の教室で見たニシオという名前の女子学生も卒業アルバムに掲載されていないのを不審に思っている。
タカギもニシオも特定されると困る人だったのではないか。
タカギは、どことなくオカマ・ニュアンスを持った男子学生で、私の記憶では松浪健四郎さんみたいな髪型が思い浮かぶんだけど、髪型は違ったかもしれない。
腕力が強そうなルックスではなかった。
オカマ・ニュアンスというのは、顔を過度に近付けられた人が気持ち悪くて思わず突き放してしまうように狙っての事ではないかと思う。

上記枠内の事件は、正当防衛の説明など、他の理屈を説明する資料としても後で使いたいと思います。
顔を近づける行為が先に手を出す行為に当たります。
タバコが先に手を出す行為だった可能性も高い。
正当防衛の評判を低下させる目的での集団ストーカー工作かもしれないなど、色々な事が言えますが、ここでは「土下座させ足で頭を踏みつけた」という部分に着目します。

犯人が発した言葉の作用が、ここによく出ているからです。
犯人が被害者を言葉で呵責して土下座させ、無抵抗な土下座姿勢の被害者を犯人が蹴った、という事ですよね。

これが、敵の手口において、言葉が果たす役割を、よく象徴している。
別のページで私は、敵が使う色々な定型区や屁理屈を詳しく解説しているが、その様な具体論を読んだだけでは、木を見て森を見ずに成ってしまい、敵の言語工作の本質が分からないのではないか。

ここでは、最も抽象的なレベルでの言葉の作用を考えてみたい。

子供の頃から私が直感している事なんだけど、例えば、互いに全力で暴力をぶつけあうのが当然である戦場において、対戦相手に向かって「何をするんだ」と叫ぶような行為、これが本質ではないか、と私は思っている。
「何すんじゃい」「何すんねんなあ」「何しやがるんでい」「何をするんですか、やめてください」という意味の「何をするんだ」です。
「何をするんだ」というのは、平時に刑事犯の犯人に向かって叫ぶような言葉だ。
あるいは、戦場なら、味方の兵士の利敵行為に対して叫ぶ言葉だ。
つまり、戦場で敵兵に向かって叫ぶ言葉としては全く場違いなのである。
しかし、対戦相手がオヒトヨシならば、これを言われる事によって、つい攻撃の手が緩んでしまうかもしれない。
それを狙って「何をするんだ?」と叫ぶ、これが本質ではないか、という事だ。
私にも、喧嘩中に相手から「ふざけんな」と言われ、これにつられないように気を付けた経験が有る。

二二六事件だったか、「話せば分かる」と言われた事に構わず「問答無用」と言いながらトドメを刺した刺客も、同じ事に気を付けていた、と思われる。
おそらく出発前に、心得として教え込まれていたのだろう。

もちろん、ほとんどの具体例では、第三者が誤解して被害者を不当に扱うように狙って敵は言葉を発するのであって、被害者が間違って無防備に成るように狙って敵が言葉を発するのではありません。
しかし、そういうケースでも、被害者と第三者をひとまとめにして、犯人 vs (被害者+第三者)という構図で考えると、犯人が発した言葉によって(被害者+第三者)が錯誤して自分から無防備に成る、という風に理解する事も出来ます。
私が「最も抽象的なレベルで」と言ったのは、そういう意味でです。

「お前は間違った事をしている」と言われた時の活動低下率は敵と味方の間で非対称だ、とまとめる事が出来るかもしれない。
根掘り葉掘りすると、敵は自分が間違っている事を最初から自覚しているから言われても驚かないのに対して、こちらはよかれと思ってやっているし善い人なので言われたら驚くし、他人の言葉に耳を貸す謙虚さも敵と味方の間で非対称だからだろう。


最終更新2023年05月31日