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< 敵の手口を暴露 > | ||||||||||||||
< 正誤以外に難易も有るでしょうが > | ||||||||||||||
敵は、被害者が間違った事を言ったから頭がおかしい、と主張する。 これは、(言ってる事が)正しいなら(言った人は)正常だが(言ってる事が)誤りなら(言った人は)異常だ、という考え方です。 しかし、この考えは間違っています。 それは、正答するのが難しい問題つまり難問については、誤答するのが普通であり、誤答したら異常だとは言えないからです。 この認識が、敵に付き合わない様にする為の鍵を握っているだろう。 難易という概念は教育や試験では当然の前提にされている概念です。 難しいとか易しいとか、そんな曖昧な事を言われてもよく分かりませんとか、その様な非科学的な概念を裁判で使用する事は出来ません、という言い逃れは誰も出来ないはずです。 例えば、国家試験の制度でも難度の概念は使われているはずです。 国家公務員何級て言うじゃないですか。 数学や論理学やその他の科学では、難易はメタな概念であって、学理には含まれません。 その辺りが理由なのかなとは思うんだけど、論理的にキチンとやれ、と言われると難易の事を考え落としてしまうんじゃないだろうか。 その事が敵の詭弁では当てにされて来たのだと思う。 敵も、難しさがよく見える問題に被害者が誤答した事をとらえて、頭がおかしいとは言わない。 「この人頭がおかしいですよね?」と質問される第三者の目には、その問題の難しさがよく見えない様にしておく。 例えば、本物の泥棒が百回来た後で非泥棒が来れば、その非泥棒を誤って泥棒だと誤認してしまう可能性がそれだけ増大します。 第三者には、本物の泥棒が百回来た事は知られないようにしておき、その後に来た非泥棒を泥棒だと誤認する部分だけを見せる。 正誤で言うと、誤認はあくまで誤認であり、誤です。 しかし同時に、そこには、誤認しない事は難しい、という状況もあるわけです。 例えばそういう風にして、問題が難しい事を敵は隠すので、第三者は問題が難しい事を判断の前提として使うことが出来ないけれど、それでも、問題が難しい可能性を知っておく分かっておく事まで敵は第三者から奪う事は出来ません。 当たり前の事だけど、どの様な誤答についても、「問題が難し過ぎたからじゃないですか?」という反論は使えます。 |
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最終更新2025年09月24日 | ||||||||||||||
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