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正義に対する諦めの心というのは、これは正しい事なんです、そうしないのは間違っているんです、と言われて、その通りだと思えば何とか違った風にしようとするのを諦める、という事です。
正しいか間違いかの判断に納得できないから諦めないのは、正義に対する諦めの心が無い事には成りません。
納得したけど正しいか間違いかの判断をもっとチェックすれば判断に間違いが見付かるかもしれないのでまだチェックをやめない、という態度も、正義に対する諦めの心が無い事には成りません。
しかし、正しいか間違いかについては完全に納得して、正しいか間違いかについてはもうこれはどうしようもないと諦めているのに、自分が望んでいる事が間違っているけれど何とか達成されるように努力をやめないなら、それは、正義に対する諦めの心が無い態度です。

正義に対する諦めの心が無い事が死刑の本当の十分条件だとされるのが正しいだろう、というのが私の予想です。

正義に対する諦めの心が無い事、これが敵の特徴です。
敵の定義かもしれない。

その意味で「なんとかする」という言葉は非常に怪しい。
1970年代にテレビで放送された「俺たちの旅」というドラマで主人公たちが設立した会社の名前が「なんとかする会社」なのは、この問題との関係が疑われる。

小多仁伯・小川頼宣共著「PART II 池田大作の品格」日新報道95ページに「麻原彰晃と池田大作の共通点は、コンプレックスにあると思います。もちろん創価学会の中では、池田はその反動として組織のトップを勝ち取りましたが、それ以前では、抜き差しならない社会に対する引け目と自身のコンプレックス感情が異常なほど強かったのだと思います」と書かれています。
池田大作さんのこの心理状態が正義に対する諦めの心を持っている状態です。
正義に絶望している状態と言う事も出来るでしょう。
キリスト教等の「神を恐れろ」という教えは、ワタシ流に言うと「正義に絶望しろ」という事です。
同書96ページに「その池田大作が創価学会で頭角を表すのは、恩師戸田会長のそばで、自然科学、社会学、組織論、政治力学等を歴史小説の「三国志」「水滸伝」等から学んでいく内に、宗教をバックにすれば「俺でも天下を狙える」との野望に火がついたといえます」と書かれています。
これは、正義に対する諦めの心を失った瞬間の事が書かれている、と言えます。

「相対性理論は間違っている」という内容の言説が多数の発信者から発せられる、という時期が有りました。
それが今でもまだ続いているのかを私は確認していません。
「相対性理論は間違っている」という内容の言説の発信者の中には「思考停止するな」と発言する人が居ました。
「お前らはアインシュタインという言葉を聞くと思考停止するから、相対性理論は間違っているという私の話を聞いてもそれに反対するのだ」という意味の発言です。
このタイプの発言で「思考停止」という言葉を聞いた瞬間に私は、「思考停止」という言葉はその発言者が考え出した言葉ではなく、その発言者は「思考停止するな」という言葉で戒められながら育って来た、それはその人に限った事ではなく、かなりまとまった人数の人がそうだろう、という印象を受けた。
正しいんだから仕方が無い、間違ってるんだから仕方が無い、と考える態度は、正義だと分かれば思考停止する態度であり、これが正義に対する諦めの心を持っている事に当たります。
「相対性理論は間違っている」という内容の言説の発信者は、正しいんだから仕方が無い、間違ってるんだから仕方が無い、とは考えるなという意味の指導を「思考停止するな」という言葉で受けながら育った人々ではないか、と私は疑っている。
この事は、「相対性理論は間違っている」という内容の言説の発生源はどこかを探り当てる手掛かりに、成る。
戦時中の旧日本軍とか、戦後の共産主義者の集団とか、組織内で「思考停止するな」という言葉を使った訓示が行なわれていた集団は無いですか?
因みに、相対性理論は間違ってません。


最終更新2024年06月09日