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< 自尊心の不満を他尊心の満足で埋め合わせようとする > | ||||||||||||||
このページは執筆中・未完成です。 自尊心は自尊心であって他尊心ではない。 つまり、自分が優れている事を好ましいと感じる心が自尊心であって、自分以外の人が優れている事を好ましいと感じる心は自尊心ではない。 自分以外の人が優れている事を好ましいと感じる心は、自尊心ではなく他尊心とでも呼ばれるべきである。 しかし、おおよそ人の心の傾向として、生きている限り自尊心は無くせないものだが、他尊心というものは存在しない。 ところが、近年というか、数十年前ぐらいからと言うか、私は○×を誇りに思う、という表現を耳にしたり目にしたりする事が多く成った。 ○×の部分には「私」とは別の人や事が入る。 例を挙げると、Susan Magdalane Boyle という歌手の持ち歌の中で私は Proud というタイトルの曲を最も好むが、この曲の歌詞の中には「I'll make you proud.」という文が含まれている。 「あなたが私の事を誇りに思うようにしてみせる」という意味だと思う。 歌の歌詞だから、論理的におかしな事を言っていても批判の対象には成らないが、この様な歌詞が耳に入る様に成った事も、自分以外の物事を誇りに思うという認識の仕方が普及したからだろう。 一方わたしはと言うと、幼い頃から、親や兄弟を自慢する友人の態度を「それはお前じゃないだろうが」という意味の言葉で批判して来た。 年齢の増加に伴ってその舌鋒は徐々に軟らかく成って行ったが、私の考えは同じままである。 舌鋒が軟らかく成って行ったのは、遠慮したからばかりではなく、もうこの歳に成れば言われなくても分かってるよな、と思ったからだろう。 自尊心(誇る)という言葉の意味に忠実に考えれば、論理的には、親や兄弟や恋人の事を誇りに思う、というのは、自分がそれらの人の子であったり兄弟であったり恋人である事を誇りに思う、という事だと思う。 しかし、そういう繋げ方は無理なコジツケだと思う。 その理由を説明しろと言われれば困るけど、そうだろう。 直ぐ思い付く例を挙げるなら、テレビ・ドラマの登場人物が自分の兄よりも入学試験受験競争力がずっと低い事を思い悩む、という例を見る事が多かった。 自尊心はあくまで自分がどうだという事に反応する心であって、素晴らしい人や物と自分が関係付けられている事について反応する心ではない。 そして、自分はどうだという部分を自分の努力では変える事が出来なかったり、変えるのは大変だから変える努力をするのは嫌だ、という人が、それでも自尊心だけは満足させたいと考える時、自分以外の人や物を誇りに思う、という歪んだ心理が発生するのである。 いまインターネットで調べたら「代償」という種類の適応機制が有る事が分かったが、これではないですか? そんな傷に塩をすり込む様な事を言うなよ、と言われるかもしれないが、自分以外の物を誇りに思おうとする事が不正な差別の動機だろう、と私は見ている。 不正な差別という物は何としても無くされねばならないので、遠慮せずに続けるぞ。 誇りに思う自分以外の物事として、自分が所属している集団つまり国とか人種とか身分(社会的な地位)が使われたとき、それが原因で差別が起きて行くのだろう。 そして、自分自身を自慢に思う事が出来ない人は実際、自分は日本人だとかアメリカ人だとか正社員だとか、そういう事を自慢に思おうとするものなのだと思うよ。 例えば、テレビ・ドラマの表現に、視聴者のそういう心理に訴えて視聴者の御機嫌を取る様にデザインされている物が多い事は、その証拠だろう。 不正な差別の問題が深刻である原因は、自分が所属している集団を幾ら自慢に思おうとしても心からそう思う事は出来ない事だと私は見ている。 その欲求不満が不正行為の動機に成ると私は見ている。 自尊心の不満を他尊心の充足で代償しようとしても、他尊心というものは元来存在しないのだから、本当の満足は得られない。 その欲求不満が原因と成って犯罪が生じる。 酒が無いので水を飲んで酒を飲んだつもりに成ろうとしても成れるものではないのと同様である。 いくら自己欺瞞しようと努めても自分は騙されてくれない。 他の人には無い長所が有れば自尊心は満足するのだから、自尊心の不満というものは、そういう長所が無い人に生じる。 それを自分が所属している集団への他尊心の充足で代償しようとする時、人間として必要な誰にでも有る長所を、その集団に属する人は持っているが、その集団に属さない人は持っていない、とする誤った差別思想を生み出す事に成る。 この様な差別思想は、人間であれば誰でも持っている長所を取り上げているので、そんな事は何の自慢にも成らない当たり前の事だと思って劣等感を持っている同胞を喜ばせる。 この喜ばせる作用が政治的な力を生む。 奴隷貿易の時代に「黒人は人間ではない」という考えが白人の間で広く受け入れられていた、それはキリスト教の教えに違反していないと言い訳する為だった、と聞いた事が有るが、キリスト教という背景が無くても、そういう差別思想が出て来がちなものなのだ。 ヒトラーの時代にヒトラーの演説を非難していたドイツ人の言葉にも、ヒトラーはそういう力に訴えてしまっているのでいかがわしい、という内容が含まれていたものと私は解釈している。 そういう力というのは、そうだったらいいのになと考えている同胞を喜ばせて味方に付ける力です。 最近(2024年06月)YouTubeを見ていて「日本人だけが持つ特殊能力」という言葉を見掛ける事が多く成っている。 今調べてみたら、1つのチャンネルだけが言ってるわけでは無いようだと分かった。 こういう傾向は要注意なのだと思う。 |
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最終更新2024年06月10日 | ||||||||||||||
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