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敵の犯罪の動機として、次の様な事が考えられる。

野球でもテニスでもサッカーでも馬券賭博でも、勝負への参加は任意であり、強制されてはいけない。
では、どの勝負へも参加しなければ勝ちも負けもしないのかというと、漠然と勝ったり負けたりするというのが本当のところだ。
成功者という言葉も有るし、近年では勝ち組・負け組という言葉も使われる様に成った。
これらは金儲けの競争についてだと言えるかもしれないが、それでは、通貨経済に参加するかしないかを自由に選べる世界を仮想的に考えたら、そこで通貨経済に参加しない選択をした人は負け組に成らないのだろうか。
理論的可能性としては、その人が負けていると感じなければ負け組には入らない。
しかし、もしその人が他の人と同じ感じ方をしたなら、負け組みに入る。
このように、どう成れば勝ちでどう成れば負け、というルールを持つ競技に全く参加しない場合には、何が勝ちで何が負けかの感じ方が万人に共通でなければ勝ちも負けも存在しないが、実際には感じ方は結構万人に共通しているものである。
世界一幸福な国だと言われたブータンの人々の幸福感が最近では減少している、というニュースを2024年春に聞いたが、この事は、それを裏付けている。

野球の試合にもテニスの試合にもサッカーの試合にも出場せず、馬券賭博にも参加しなくても、それら全てに参加して全種目で優勝した人が居れば、その人の方が自分よりも勝っている、自分の方がその人よりも負けている、という感じ方をするのが普通だろう。

この様な事が背景と成って敵は、自分達の目を覆うばかりの見るも無惨な敗北を埋め合わせるために、絶対に自分達が勝てる様にデザインしたみっともない自家製の競技に被害者を強制的(不当)に参加させて、自分達が勝った、という事実をでっち上げる。

また敵は、自分が参加しても自分は勝てそうにない種目をやめさせに掛かって来る。
自分に出来ない事は誰もするな、という風にです。
これは、自分が参加しなくても、参加した人の間で勝負の結果が出れば、無勝負の勝負の道理に従がって、その優勝者などに自分が負けてしまうからです。
軽犯罪法に決闘罪を定める「決闘罪ニ関スル件」という部分が有るのは、そういう不正な動機によるのではないかと私は疑っている。
「決闘罪ニ関スル件」の第5条は

[いどみに応じない者をひ毀した者]
決闘の挑ニ応セサルノ故ヲ以テ人ヲ誹毀シタル者ハ刑法ニ照シ誹毀ノ罪ヲ以テ論ス

という内容に成っている。
この事は色々な事の証拠に成るだろう。
参加しなくても負けたのと同じ感じに成ってしまう、それを防ぎたいという欲求が法律にまで反映されている事など。
第5条は行き過ぎだ、というのが私の意見です。
決闘罪として法律で禁止されているから応じないのだ、と説明すれば、誹毀する者がそうではない事を証明するのは不可能です。
それでも「お前は臆病だから応じないのだ」と発言するのは単に「お前はバカだ」と悪口を言う程度の事に過ぎません。









最終更新2023年06月04日