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横浜地検の独自調査により犯人隠蔽教唆の疑いで逮捕起訴された弁護士江口大和被告が、担当検事から「ガキ」「お子ちゃま」などと侮辱されるなど違法な取調べがあったとして国に1100万円の損害賠償を求めて2023年春訴訟を起こした。
私は、2000年頃精神病院の初診のときに高田という医師が父(ウダオサム)に向かって私の事を「お子さま」と呼ぶのを聞いた。
自宅最寄のブックオフの玄関を出て直ぐの所で小柄な年配男性が携帯電話に向かって「この店は子供店長だから言う事を聞かない」と怒鳴っているのを聞いた事も有る。
この符合は偶然ではないだろう。
集団ストーカーには、自分達は大人で被害者は子供だ、と勝手に決める手口が有ると考えられる。

既婚成人男性が勝負事でつい本気に成り始めた瞬間に、その人の妻らしい人が「やめときなさいよ、大人気(おとなげ)ない」と言って制止するのを見た事が私には何度も有る。

将棋やテニスなどの勝負で、本気を出さないのが大人で、本気を出すのは子供だ、という評価、これは敵の屁理屈です。
なぜなら、「勝ってはいけない」というルールを置く事は、「負けても文句を言ってはいけない」というルールを免除する事と同じだからである。
勝ちたいという気持ちと、負けたくないという気持ちの、どちらを優先的に尊重するかの問題であって、相手の気持ちを尊重するから大人だ、というのは屁理屈である。
「負けたくない」という気持ちを優先的に尊重する事は、相手の「勝ちたい」という気持ちを尊重しない事と同じである。
「勝ちたい」という気持ちを我慢する事が大人なら、「負けたくない」という気持ちを我慢する事も大人であるはずだ。
「負けても文句を言ってはいけない」というルールに従がうのが本当の大人だと私は思うがね。
そうは言っても、負けた人に不満が蓄積するじゃないか、と言うかもしれない。
それは、本気で勝負したいのにさせてもらえなかった人にも不満は蓄積するんだよ。
本気を出さなかったから負けたのに「やつは本気を出したのに負けた」と後で言われるかもしれないし。
「負けた事ぐらいで逆恨みしない」これが大人である。
また、勝負事では本気を出すのが相手へのマナーである。
本気を出さないのは、相手を子ども扱いしている、という事である。
どんな行為でも、するのを我慢するのが大人だと認定する事は、されるのを我慢できないのが大人だと認定する事と表裏一体です。
するのを我慢するか、されるのを我慢するかの選択は、「大人なら我慢しなさい」という一般規則からでは決まらないのである。

優人主主義と劣人主主義の定義、としてよいかどうかは分からないが、「大人なら我慢しなさい」という形の規則の具体例として、「優劣をハッキリさせたい気持ちを我慢しなさい」という選択をするのが劣人主主義、「自分からも優劣をハッキリさせようとしたならその結果自分の方が劣っている事がハッキリ分かった(知られた)としてもその事を嫌だと思う気持ちを我慢しなさい」という選択をするのが優人主主義だと言える。
では、優人主主義も劣人主主義も、どちらが正しくてどちらが間違っているとは言えないのか?
そんな事はない、と私は思います。
優人主主義が正しくて劣人主主義は間違っている、その事を論証して行くのが、私の相対正義論の主な目標の1つです。

言いたくもない御世辞を我慢して言うのが劣人主主義で、御世辞を言ってもらえなくても我慢するのが優人主主義です。
プロレスラーの高田信彦さんのところに、劣人主主義者が来て勝負をするなと要求したらしい痕跡を新聞記事か何かで見たことが有る。
また、小学校の徒競走が全員同着に成っていておかしい、という話を何度も聞いたが、これもそうだろう。

優人主主義: ホントの事をズケズケ言われても心が傷付かないのが大人。
劣人主主義: 言葉を慎むのが大人。
サンタクロースは居るのか居ないのか、ホントの事をズケズケ言ってはいけないのは子供に対してである事を考えれば、劣人主主義が間違っていて優人主主義が正しいことが分かる。
劣人主主義が子供向きで優人主主義が大人向きである理由として、ホントの事をズケズケ言ってそれを我慢する方が社会全体の機能が高まる事も挙げられるだろう。
みんなで少しづつ負担して社会全体の機能を高めよう、しかし子供にまでそれを要求するのは酷である、といった考え方が出来るだろう。

テニスや将棋なら、本領を発揮するのを控える事は、「ここではやるな」という事だから、他所でやればいいという意味において、権利制限の程度が小さいが、社会のルールという事に成ると、「他所でもやるな」という事だから、これは権利制限の程度が度を越していて、劣人主主義の不当性が分かりやすいだろう。


食品のテレビコマーシャルに、「おこちゃまにはわかるまい」という歌詞を歌うのがあった。
Google検索で「おこさま」を調べると「お子ちゃま戦争」というのが多くヒットした。
「お子ちゃま」という言葉で人を揶揄する敵のコードが普及しているようだ。
子供を「お子ちゃま」という言葉で馬鹿にするのは大人の態度ではない。
子供を「お子ちゃま」という言葉で馬鹿にするのは、子供が自尊心への脅威に成っている証拠だからだ。
精神病患者に向かって、精神病患者の妄言に一々強く反論するのは、病人扱いしていない事であるのと同様です。

最終更新2023年06月01日