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2025年05月初旬の新聞に以下の記事が掲載されていた。

「SNSと人権 憲法論議を」というタイトルで、公明党の斉藤鉄夫代表が街頭演説で「個人に不利な情報が永久に消えなくなっている」「意図的な拡散による人権侵害を考えなければならない時代になった」と発言した事が書かれている。
「拡散」とは、おそらく「流布」の事を言っているのであろう。
早合点はいけないが、第1印象としては、「ほい、もう来た、即応が」、集団ストーカーの被害者から防御の手段を取り上げる動きがまた一段と進められようとしている事が明白に感じられるので、非常に警戒を要する動向です。
それなのに、新聞の目立たない位置に小さく出ていただけな事は、本当に、油断も隙もありゃしない。
「敵の手口を暴露@空手以外@理論@武道@宇田英才教室」の有効性が敵にとって限度を超えたレベルに達した事への反応だと思うよ。
「車両情報@証拠・資料@敵の手口を暴露@空手以外@理論@武道@宇田英才教室」とか
「2025年03月08日分@ケーサツの襲来@証拠・資料@敵の手口を暴露@空手以外@理論@武道@宇田英才教室」が思い当たる。
誰かにとって不利というのは、その人と敵対する別の誰かにとっては有利です。
集団ストーカーの被害者にとって命綱になる、犯人にとって不利な情報=自分にとって有利(必要)な情報には有効期限が必要だ、という意見を「個人に不利な情報が永久に消えないのではいけない」という言葉で言うのは、「物は言いよう」の悪用の極みである。
私がインターネットで発信している情報は、その情報が目立つ位置に表示されている間はそこで言われている犯罪が停止するが、インターネット上に残っていてすら他のコンテンツが追加されて表示位置が繰り下がるだけでその犯罪がまた身に降りかかって来る様に成る。
例えば「ウーン異音@脳鬱積音、脳疲労音@ノイズキャンペーン@敵の手口を暴露@空手以外@理論@武道@宇田英才教室」で報告されている農業コンバインの騒音は、そうでした。
この法則性は、数十年間停止していた犯罪についても成り立ちます。
公明党の斉藤鉄夫代表は、そういう事を全然知らない人なんだろうか。
一般論で言うと、事件を風化させてはいけない、という言葉で言われる考え方です。
原爆などについても言われますよね。
事件を風化させない事は、再発防止の為に必要なのです。
情報が永久に消えないのでないと、同じ犯罪をいつまででも行ない続ける事が出来るんだよ。
集団ストーカーというのは、文字通り多数の犯人や手口によって行なわれるので、摘発された犯人や手口が摘発された事によって使えなくなったら、それが使えない間は他の犯人や手口を働かせる、その間使えなくなった犯人や手口はほとぼりを冷ます、ほとぼりが冷めたら復活する、そうやって間断なく被害者を責め苛む様に計画されています。
これは、弾が何発でも有る状態に喩えられるでしょう。
このサイクルを断つには、一度使えなくなった犯人や手口はもう二度と使えない、という風にする必要があるんです。 戦争で捕虜を殺してはいけないというルールが有りますが、このルールを置きたいなら同時に一度捕虜に成った人は二度と戦争に参加してはいけないというルールも置く必要があると考えます。
自分が一度捕虜にした敵兵が後でまた戦争に出て来て今度はその人に自分が殺されたなんていうのは不条理だからです。
公明党の斉藤鉄夫代表の発言は、集団ストーカーに狙われた時に助かる方法は1つでも残っていてはいけないんだ、という思想を別の言葉で言ってる様なものだ。
なるほど、創価学会の仏敵という概念は、そう成ってるわなあ。
また、安直に「人権侵害」という言葉が使われているが、人権以外の権利を侵害するにとどまるのか、権利侵害が人権侵害にまで及ぶ深刻な物なのか、慎重に言葉を選んで欲しいものだ。
いかなる権利侵害も、ここは人権侵害と言っておけばいいんだよ、その方が相手を悪く言えるんだから、という無責任な態度が横行しているので、それに迎合・便乗しないでほしい。
私の敵は徹底したニセ旗工作を使うので、気を付けて欲しい。
深く考えなければ、公明党の斉藤鉄夫代表の発言は、私の敵丸出しに見えますよ。 |
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