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< ケーサツの襲来(2015年10月21日) > | ||||||||||||||
21日@2015年10月@日記 双眼鏡を使って車両ナンバーを読んだだけで、ケーサツが私に来て職務質問を行なった。 2025年03月08日のケースでは私が車両を写真撮影した事がいけないとしてケーサツが私に来たが、この様に写真撮影をしなくても、車両ナンバーを読んだだけでも双眼鏡を理由にしてケーサツが来る。 これらの事から、写真撮影も双眼鏡使用もしなくても、その代わりにもっと控えめな手段を用いても、それが有効だと分かった途端にそれを「いけない」と言って来る事が、あなたにも分かるのではないだろうか。 これが、空手の有段者が空手の技を行使すれば凶器の行使とみなす、という法定の正体なのである。 いずれ改めさせる必要がある。
自分から詭弁の理屈で難癖を付けてきたくせに、理屈で負けると、今度は理屈を否定して「幾ら理屈を並べても駄目なんだよ」という風に言い出すのである。 その時には「ごちゃごちゃ、うるせえんだよ、とにかく・・・」「あなたのは理屈に過ぎない」などの言葉が使われる。 私には、そう言われた経験が何度も有る。 キチンと論駁するには理屈っぽい発言が必要に成る犯罪を仕掛けられ、その分だけ論駁するのがくたびれる、その負担をこちらが持ってあげたのに、その事を「理屈っぽいから無効である」と言って来るのである。 私が子供の頃から敵として認識している勢力は、暴力を使えば相手が困るから暴力を使わないのではなくて、暴力を使えば負けてしまうから使わない、という思考回路なのである。 したがって、昔は暴力を使っていたし、今でも暴力以外の手段で駄目なら最後は暴力が出て来たり、暴力以外の手段は暴力行使の正当性をでっち上げる為に有るだけで最後はあくまで暴力だに決まってるじゃんという頭なんです。 あなたの様に身体が大きい人が屋外で空手の練習をすると見た人が怖がるから他人に見える所で空手の練習をするな、と私は精神科医から言われた(もちろん承服はしていないけど)んだけど、敵は腕力が非常に強そうな外見で威嚇して来るのは常套手段として持っています。 プレイヤーの反則技によりもむしろ審判のエコヒイキに、集団ストーカーの本質的な問題が有ります。 ケーサツの襲来は、それを示している点で重要なのです。 双眼鏡を使ったからいけないというのであれば、眼鏡もいけない事に成ってしまう。 2025年03月08日のケースについては私は、01日@2025年03月@日記で、画家を引き合いに出して写真撮影の自由を説いているが、双眼鏡や眼鏡の使用には全く他害性が無い事も、視力2.0の人を引き合いに出して全く同様に言える事である。 2015年10月21日のケースで私に来た警察官は「平盛」と名乗ったが、2012年のNHK大河ドラマは「平清盛」だった。 2015年は、私が近所の公園で空手の練習を数ヶ月間継続した年です。 2015年までの約10年間と2016年からの約5年間は私は空手の練習をほとんどしていません。 |
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最終更新2025年06月04日 | ||||||||||||||
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