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21日@2015年10月@日記

双眼鏡を使って車両ナンバーを読んだだけで、ケーサツが私に来て職務質問を行なった。
2025年03月08日のケースでは私が車両を写真撮影した事がいけないとしてケーサツが私に来たが、この様に写真撮影をしなくても、車両ナンバーを読んだだけでも双眼鏡を理由にしてケーサツが来る。
これらの事から、写真撮影も双眼鏡使用もしなくても、その代わりにもっと控えめな手段を用いても、それが有効だと分かった途端にそれを「いけない」と言って来る事が、あなたにも分かるのではないだろうか。
これが、空手の有段者が空手の技を行使すれば凶器の行使とみなす、という法定の正体なのである。
いずれ改めさせる必要がある。
その証拠に、案の定、次の様な事が有った。
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2025 0530 1109
福山市む7162、会社内番号27、郵便バイクが宇田雄一の自宅に配達した。
運転者は黒マスクで覆面だった。
手渡しで私の手をふさぎ、私が腰を折って眼鏡+肉眼で後部ナンバーを読むと「何もしてないのにナンバーを読むのは失礼じゃないですか」と言って来た。
完全に行っちゃってる。
私は「いや、ナンバーは読むものでしょう、何もしてなくても念のために読むものでしょう」と言い返した。
写真撮影のそぶりを全く見せなくても、今度はナンバーを読んだだけ文句を言って来た。
やはり私は、いま屋外で短い空手練習中。
ウダマチコも屋外で近辺をうろついている。
付言すると、車両ナンバーというものは、「私には身にやましい事は何も無いので、ここに大きく貼り出しておきますから、怪しいと思った人はどうぞ幾らでも私の車両のナンバーを読んで下さい」という意味で公示するものであり、それを読むなという事は、私は犯罪してそれを隠している状態です、と自白しているに等しい。
ナンバーを読まれたせいで「あなた、いつどこに居たでしょう」と言われても、「はい、そうですけど、それがどうかしましたか?」と答えれば済むのであり、そう言われて困ると言うのは、やはり怪しいわけです。
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2025 0531
宇田雄一の自宅の東隣に位置する農地で発動機付き機械を用いた田植えが行なわれ、そこから脳傷害音が発せられた。
その時に、田植え作業をしていた人の中に、以下の人物が含まれていた。
 
腕力が大変強そうである。
私(宇田雄一)より強いんじゃないかなあ。
2025 0530 1109の件で私がひるまなかったので、それじゃあという事でこの様な腕力が非常に強そうな人物の姿を見せて私を威嚇したのだと思う。
カッコよくて惚れ惚れするが、そういう事でもある。
こういう事はこれが初めてではなく、これまでの私の人生に、こういう事はパターンとして何回も有りました。
例えば、学会発表旅行中に東京駅で小柄な犯人が私の上腕に故意に肩をぶつけて来た、相手が小柄である事を利用してそれを私が巧みに処理すると、そこから新幹線の車両に入るまでの間、私よりずっと身体が大きくて丈夫な何人もの外国人男性が集団ストーカー・コリジョン・キャンペーンを仕掛けて来た。
そして、この種類の人々は、これで終わりではない。
自分から詭弁の理屈で難癖を付けてきたくせに、理屈で負けると、今度は理屈を否定して「幾ら理屈を並べても駄目なんだよ」という風に言い出すのである。
その時には「ごちゃごちゃ、うるせえんだよ、とにかく・・・」「あなたのは理屈に過ぎない」などの言葉が使われる。
私には、そう言われた経験が何度も有る。
キチンと論駁するには理屈っぽい発言が必要に成る犯罪を仕掛けられ、その分だけ論駁するのがくたびれる、その負担をこちらが持ってあげたのに、その事を「理屈っぽいから無効である」と言って来るのである。
私が子供の頃から敵として認識している勢力は、暴力を使えば相手が困るから暴力を使わないのではなくて、暴力を使えば負けてしまうから使わない、という思考回路なのである。
したがって、昔は暴力を使っていたし、今でも暴力以外の手段で駄目なら最後は暴力が出て来たり、暴力以外の手段は暴力行使の正当性をでっち上げる為に有るだけで最後はあくまで暴力だに決まってるじゃんという頭なんです。
あなたの様に身体が大きい人が屋外で空手の練習をすると見た人が怖がるから他人に見える所で空手の練習をするな、と私は精神科医から言われた(もちろん承服はしていないけど)んだけど、敵は腕力が非常に強そうな外見で威嚇して来るのは常套手段として持っています。
プレイヤーの反則技によりもむしろ審判のエコヒイキに、集団ストーカーの本質的な問題が有ります。
ケーサツの襲来は、それを示している点で重要なのです。

双眼鏡を使ったからいけないというのであれば、眼鏡もいけない事に成ってしまう。
2025年03月08日のケースについては私は、01日@2025年03月@日記で、画家を引き合いに出して写真撮影の自由を説いているが、双眼鏡や眼鏡の使用には全く他害性が無い事も、視力2.0の人を引き合いに出して全く同様に言える事である。
2015年10月21日のケースで私に来た警察官は「平盛」と名乗ったが、2012年のNHK大河ドラマは「平清盛」だった。

2015年は、私が近所の公園で空手の練習を数ヶ月間継続した年です。
2015年までの約10年間と2016年からの約5年間は私は空手の練習をほとんどしていません。

最終更新2025年06月04日