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横溝正史シリーズII八墓村第三回内容開始から12分が経過した頃のシーン
被害者は妨害者を直ぐに押しのける事はせず、まず自分が道を譲る形で迂回している。
押しのけるに当たっても、ドンという衝撃力を加えず、ソフトな力で押しのけている。
予め暴漢が潜伏待機している。
妨害者は、自分が加害者であるのに、被害者を加害者だと主張している。
被害者を怒らせる、という要素も入っている。
この様な犯罪に対して法律が無防備なまま放っておかれ、さらに、その事が話題に上らないように手配されている。
妨害者をオス具、法律をメス具とする形で、オス具かメス具かどちらか一方だけを見ても分からない様に仕組まれている。

私は、2010年頃、ロード自転車サイクリングの途中、岡山県笠岡市の干拓地の駐車場に自転車をとめて自動販売機で飲料を買って飲み、再度自転車に乗って発進しようとした時、吹けば跳ぶようなしょぼい小柄な年配男性が私の自転車の前にしつこく立ちふさがり、私に話しかけてきた。
私が、適度に話を聞いてあげたあと、ころあいを見計らって、自転車の向きを変えて出発しようとすると、その男は私の自転車の前に移動して立ちふさがりなおし、それを何度も繰り返した。
その男は、私の自転車の前に立ちふさがった状態で、足で地面を何度もパチン、パチンと踏み鳴らした。
その男が私に対して怒っているという風に私が認識し、私が何らかの間違いを犯すように狙ってのことだったろう。
その1週間後ぐらい、その場所を通りかかったときに、その駐車場の2つの出入り口のうちの片方にガラス砕片が大量にまかれていた。

やはり、2010年頃、私が自宅で、自室から母屋へ移動する途中、母(ウダマチコ)の姉(オカイ)が我が家の通路に立ちふさがり、私に通せんぼをした状態で私に向かって、ものすごい剣幕で、「お前は自分の部屋で一体何をしているんだ!」と食って掛かった。
剣幕という言葉が思い浮かばなかったので「こわい顔で」と私がウダマチコかウダオサムに言うと、後日大正亭というトンカツ屋に連れて行かれ、食事の席で「こわい顔と言われてオカイがショックを受けている」とウダマチコかウダオサムから言われた。
すぐ近くの席にルックスが非常に悪い若い女性が座っていて、私に言葉を遠慮させるように状況設定がなされていた。

やはり2010年台の事だったと思うが、変死イトウ宅の南隣に住んでいるシゲマツ(男)が、ロード自転車で走行中の私の前に立ちふさがった事が何度も有った。
私がロード自転車に乗り始めたのは多分2003年です。
それから何年もの間ずっとそんな事はなかった。
それなのに2010年台に成って突然、それが始まった。
それまでシゲマツ(男)の姿を多分わたしは一度も見たことがなかった。
おそらく私の走行成績に反応しての事だと思う。
走行成績が理由では、全く理由としての正当性が無いので、今でもものすごく腹が立ち続けている。
多分2009年に私はブリジストンのe*metersというサイクルコンピューターを自分の自転車に搭載し、毎回サイクリングから帰宅後、e*metersをパソコンに接続して走行成績をe*metersのSNSにアップするようになった。
それから何年もその状態でサイクリングを続けた事によって、e*metersのSNS内での私の走行成績の表示順位が徐々に上がって行った。
2014年にロード自転車をやめる直前頃には、何かの種類のランキングで1位に表示される事を目指していたような気がする。
その頃には、サイクルコンピュータの電池残量が足りなくなってそれまでの累積記録をリセットせざるを得なくなった事もあった。
笠岡の干拓地にあるベイファームという名前の道の駅で自転車から離れて食事をしている間に何かされたようだ、と思っている。
金銭的被害とはみなされないかもしれないが10年間も積み上げて来た結果のうちの重要な部分を無に帰された事は甚大な被害である。
法律は、このような被害を的確に評価できる性能を備えているだろうか。
それより何年も後に成って、シゲマツと対面で挨拶程度のみの言葉を交わす機会が何度も有ったが、その時に私が無愛想だった事を私の落ち度だと誤解したりさせようとしたりしている者が居ると私は思っている。
これからも、ずっと、私はシゲマツには愛想よくしないつもりだ。
どこも間違ってないよな。



ほかにも、通路に立ちふさがる集団ストーカー犯人の写真が何枚か有ります。



最終更新2023年06月02日