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ボクシングや空手の試合を見ていて前から「何か変だ」と思っていた事が有る。
その感覚はなかなか言葉に成らなかったが、言葉で言うと次の様な事だ。
試合開始時には距離が大きいので気態なのに、そのポテンシャル・エネルギーを全く活用せずに、ユックリと歩み寄ってから液態で戦い始めている、それではポテンシャル・エネルギーがもったいないではないか、それでは持てる力を全て出し切ってないじゃないか。
こんなところだろうか。
そう思い始めたのは、高岡英夫の本を読んだより後だったと思う。

ものすごく退いた所から俯瞰(ふかん)してみるならば、肉弾という言葉が示す様に、煎じ詰めれば格闘技というものは肉の塊(かたまり)に肉の塊を投げ付ける事だ、という風に認識するのが本質的だと私は思う。
戦争の様に、個々の兵員を点のごとく認識する場合には、その事が鮮明に理解されるだろう。
この観点から言うと、気態での攻防を完全にパスして液態での攻防から始める、という戦い方は極めて不自然であり、本当は格闘技の主砲は大きな重心相対速度で身体をぶつけ合うタックルであるだろう事が、容易に推測されるのである。

これは、プロレスで行なわれているタックルだ。
しかし、プロレスは真剣勝負ではないので、この種のタックルの真の姿は、プロレスを見ても分からない。
相撲は真剣勝負だが、相撲では開始距離が小さい。
もし開始距離をボクシングのリングの対角線の長さぐらいしにして相撲の開始直後のぶつかり合いをすると首の骨が折れるなど大変な事に成るだろう。
格闘技の主砲だと私が言うタックルは、その様な壮絶なタックル、相撲の真剣さでプロレスのタックルをやる様な事です。
AFSだとインパクトゾーンが短いので野球の捕球で衝撃を小さくするテクニックの要領で被害を軽減できますが、BFSタックルはインパクトゾーンが長いので、そういうテクニックでは対処できない、という事も有ります。

そういうタックルとしては、ハーフステップBFSはもちろんの事、フルステップBFSすら、過度に抑制的で不自由だ(手かせ足かせが有る感じがする)とハッキリ感じられる。
では、全力で走りながら衝突するのが正しいだろうか。
それも有力な候補だが、全力で走りながら衝突する攻撃は、足を合わせるのが難しい。
足を合わせる難しさは、走り幅跳びを見れば分かる。
また、サッカーボールを蹴る直前は、足を合わせるために小走りにする事が有る。
足が揃った瞬間に静止した敵のカウンター攻撃を受けたら大敗を喫するはずだ。
足が揃った瞬間にコンタクトするBFSを開発する事は出来るかもしれない。
しかし、全力疾走でなくても、小走り程度でもBFSはビックリするぐらい大きな威力を出せる事を私は、サンドバッグで試してみて実感した。
小走りなら、歩幅が小さいので、ほとんど任意の瞬間に、コンタクトできる。

小走りBFSでは、コンタクトの瞬間の身体の形として小走りBFS専用のロッキング・フォームを決めて行く必要が有る。
正拳突きとかも、そのまま使えるけどね。
全力疾走だと正拳突きでは肘とか脱臼するんじゃないの。

最終編集2022年04月04日