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2024年01月31日(水曜日)
私の鍋が集団ストーカーの攻撃目標に成っている

時間が無いので、メモ程度に書きます。

問題の鍋は、以下の写真の何の変哲も無い鍋です。
 
 撮影:2023年11月11日午前10時08分頃。

この鍋にウダマチコが執拗に攻撃を仕掛けて来続けています。

(1) 最初期は、使用後に私が内部に液態を入れたままにして去ると、その液態が水道水だけであっても、私が次回台所に来た時には、この鍋が流し台のシンクの洗い桶内の汚水中に投入されている、というパターンが始まった。
汚れがひどくない場合は、次に来た時に直ぐに使える様に、と思って私が鍋を片付けずに置きっ放しにして去ったのに、直ぐには使えないようにさる、という事です。

(2) また最初期には、この鍋はアルミニウム製だから調理で鍋から有毒物質が食品中に染み出し健康に悪いので使用を中止するようにと、ウダマチコから長期間に渡ってしつこく何度も言われた。
それによって、この鍋は集団ストーカー工作のやりようが無い、集団ストーカーへの防御性能が高い鍋だ、だからウダマチコはそんな事を言うのだ、という事がハッキリ分かった。
ブログにも、そう書いておいた。

(1)と(2)のどっちが先でどっちが後かは忘れました。

(3) ウダマチコの勧めに応じて、新品の鍋をウダマチコから買い与えてもらってみましたが、底面よりもクチが狭いなどの特徴があって使いにくかったので、その鍋を使うのは直ぐにやめて、再び冒頭の写真の鍋を使う様に成りました。
  撮影:2024年02月01日午前09時59分。

(4) 内部に液態を残して去ると洗い桶に投入されるので、私は、毎回使用後には内部の液態を捨てた後で去るように成りました。

(4)の開始は、(3)より前だったかもしれない。

(5) 使用後に私が置いた鍋に、蓋が被せられたり、周囲からウダマチコのらしい調理器具が寄せられたりするようになった。
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私の鍋置きスペースをガスッと減じる形で蓋が置かれているケース。
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私の鍋の柄の向きが変えられ、鍋の柄が小瓶2つでガードされている。
邪魔に成ると言うよりは、表現されている意味に腹が立つ。
被害者が腹を立てるような意味を表現する、という手口も集団ストーカーには多い。
例を挙げるならば、玄関に置かれている被害者の履物を隅に寄せる、といった手口が有る。
これらは、言葉で言った場合と罪が同じであるのに、そういう扱いを受けてない事が大きな間違いである。
不当な要求をした後で、嫌がらせを繰り返せば、嫌がらせの回数だけ、不当な要求を言葉で繰り返したのと同じである。
不当な要求を言葉で繰り返せば違法だが、黙って嫌がらせを繰り返すのは合法だ、なんて事は無いのである。
2024 0123 0943
 
私の鍋に障害物が被せられている。
ティッシュの空き箱を私の鍋の上に置く必要は全く無いので、集団ストーカー工作である事が分かり易い。

(6) 私が決まって鍋を置く位置に、ウダマチコのらしい他の鍋などが置かれる様になった。
つまり、私の鍋置き場を乗っ取る集団ストーカー工作が始まった。
こうなるまで、非常に長期間、そんな事は無かった。

(7) ウダマチコが、私の鍋からガスレンジや流し台の上に液態がこぼれている、と苦情を言う様に成った。
長い間そんなはずは無いんだけどなあと思いながら気付かなかったけど、最近に成って良く調べてみると、鍋の柄と本体の結合部分のリベット?の穴から鍋内の液態が外に漏れている事が分かった。
集団ストーカー工作で、ここをやられたようだ。
最も低い位置にあるリベットは、鍋の中腹なので、設計上はその穴からの水漏れは起こらない様に作られているはずだ。
なぜなら、水位を全てのリベット穴よりも低く保て、というのでは、鍋の容積が全然有効利用できないからだ。
結合部分が緩むような使用の仕方をした事は私には無い。
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最近ウダマチコがガスレンジや流し台に水たまりが出来ていると私に苦情を言い始めた。
私の鍋から水が漏れている事に今気付いた。
以前は火にかけた時に水位が高すぎると漏れるようだと思ったが、今確認すると低い位置にもリベットがある。
という事は設計上は結合部から水はもれないように作ってあるはずだ。
ウダマチコらによって、この部分から水が漏れるように壊されたようだ。
 



以上の事から察しが付く様な事は、鍋以外の色々な物毎についてしつこくおびただしい頻度で繰り返されています。

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上記の鍋について何が起こったかを見れば分かる様に、この様な事が有ると、被害者は、自分の備品を共用スペースに置けなく成り、自分の部屋の中に置いて自分の部屋に鍵を掛ける様に成る。
これが資本主義(財の私有制度)の起源だと私は随分前に喝破した。
どんなに防犯性能の高い備品でも、共用スペースに置く限り、それに手を加えようとする犯人は、幾らでも時間を掛けて観察し考え、毎日必ず存在する「被害者がその備品から短くない時間だけ離れる時間」に手を加える事を何度でも試す事が出来る。
試した結果を見て、手の加え方を修正し、また試す、という事を際限なく繰り返す事が出来てしまう。
これは実験科学のやり方と同じである。
長い年月を掛ければ実験科学が想像を絶する進歩を遂げた事を見れば、狙われた物品の出来の良さだけでは、この犯罪に対向できない事が容易に想像されるだろう。
共用部分に置いたまま犯行を指摘すると、「してない」とウソをつかれ、逆にその指摘を被害妄想だ、精神病院に強制入院させるぞ、と言われる。
本件の鍋の場合には、私は、それを自室内で使うのではなく、共用室である台所で使うので、私が台所から去る時には鍋を自室に持ち帰り、台所に行って鍋を使う時に毎回鍋を自室から台所に持ち込む、という方法を真面目に検討しなければいけない状況に成っている、という事です。
鍋については、まだ、この方法を実践していませんが、これまでに長年に渡って、鍋以外の色々な私の備品について、鍋と同じ理由でこの方法を実践して来た蓄積が、以下の写真の備品バケツです。
  
 2023年10月22日に見下ろし撮影。             2023年07月18日に側面を撮影。

共用部分に元から掛けられていた同じタオルを私が毎日決まって使うと、そのタオルが湿らされたり汚されたり、顔に引っ掻き傷を付ける乾いた米粒が付けられたりする様に成ったので、タオルをバケツで持ち運ぶ様に成った。
共用部分に置きっ放しにしていた私の歯ブラシで歯磨きをすると、この歯ブラシで便器をこすったんじゃないのかと思う様な味がする様に成ったので、歯磨き道具一式もバケツで持ち運ぶ様に成った。
2023年11月04日の体調悪化(
27日@2023年11月@日記)に見られる様に、食品に何をされるか分からない状況である事に気付いたから、食べる直前に開封する食品だけを出来るだけ食べる様にし、ソースや醤油のような開封後も繰り返し使う物はバケツで持ち運ぶように成った、という具合です。
また、これが狙われるならこれも狙われるはずだ、という風に先回りして考えて、ますます、バケツの内容が増えて行きました。
こういう風にして、徐々にバケツの内容が増えて行き、2024年初頃には、入れなくてはいけない物が入り切らなくて困る事が多く成って来ました。
それでも、共用部分にはもう狙える備品が残ってない、と成ると今度は、私がバケツを持って通行する通路の脇に障害物を置き、通行する時にその障害物にバケツが当たって邪魔に成る様にする、という犯罪が代わりに新規に始まりました。
すべてが、こんな具合です。
この事から、もっと大きなスケールで、大規模な公共インフラをどういうデザインにするか、どこに作るか、という選択や、法制度をどうするかの選択にも同じ犯罪が入り込んでいる、という視点を得なければいけない。

資本主義(財の私有制度)の本質はこの様な防犯目的であるに違いない。
それが始まった原初の時代には、その事は常識であったろう。
それなのに長い年月が経過した後の現在では、その事が忘れらている。
共産主義というのは、そこに付け込んで来た詐欺である。
例えば、大津波が来て居住禁止区域が出来る。
それから千年経って、みんながその事を忘れてしまう。
そこへ持って来て「居住禁止なんておかしいですよね」と言って騙す。
これと同じです。
被害者が忘れて答える事が出来なく成るのを待ってから同じ事を繰り返す、というのは集団ストーカーの手口の原理のひとつです。
資本主義と共産主義の違いの本質は、防備なのか無防備なのかであって、どちらの方が豊かに成れるかとか、平等なのか不平等なのか、といった事ではない。
資本主義の本質は防備の権利の保障であり、共産主義は無防備の強要である。
問題はルール違反の中に有るのだから、ルール遵守の結果を比較したのではテンで的外れな評論に成るんですよ。



最終編集2024年02月21日