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2024年01月29日(月曜日)
松本人志のスキャンダルについて

時間が無いので、論点だけ列挙します。

・ 松本人志さんがやったと言われている様な事が本当に有ったとしたら、 田代まさしさんや植草一秀さんの事件を始めとする数々の覗きや盗撮事件がトップニュースに成っていた間も、それは人知れず続行中だった、という事です。
現在は現在で、未発覚の別の犯罪が水面下で続行中なのに、その犯人は松本人志を追求する側の陣営の一員として、マトモぶった顔をして過ごしているのに、それが発覚したら発覚した時にまた同じ様な騒ぎを繰り返すだけで終わり根本解決をしようとしない態度、まるで将来さわぐためのネタを漁業資源の様に温存しているかの様な態度への反省を、松本人志さんのスキャンダルを見て喚起する必要が有る。
田代まさしさんや植草一秀さんの事件がトップニュースに成っていた間は、松本人志さんはマトモぶった顔で「ほんと、いけませんよねえ」とでも言っていた事でしょう。
その時点で、真面目な意味で「何を言ってるんだ、お前もどうせ」なんて言えないのがおかしい、と私は言ってるんです。
2019年08月10日に茨城県守谷市の常磐自動車道で発生した常磐道煽り運転事件についても、あおり運転が発覚したらあおり運転だけ、という態度が見られる。
他にも言われてる事がたくさん有るはずなのに。
また、それまでにも煽り運転を問題だと言う人が居たはずなのに、それを揉み消しておいて、発覚したら取り上げれば、取り上げるだけで許されるのか?
この様な、出たら出た分だけ体質が社会の病気なんだよ。
この様に、発覚した犯罪だけが問題にされ、まだ発覚してない犯罪は、どうせそんな事だろうと思っていたよ、とみんなが思う様な非常に有りそうな事で、かつ最優先で防がれなければいけない重大な犯罪であっても、問題として公共の場で取り上げられない、取り上げられないどころか取り上げてはいけないとする風潮が支配的である事は、正されねばならない不条理です。
「名誉毀損」や「風説の流布」を禁止する法理を見直す必要が有る。

・ 松本人志さんがやったと言われている様な事が本当は無かったとしても、仮にそういう事が有っても有った事を立証できない様にする方法が利用可能な状態で存在する事が、松本人志さんのスキャンダルを見れば分かる。
そういう方法が利用可能な状態で存在するのを放置してはいけない。
犯罪を立証できなくても、その犯罪の立証は不可能だ、とか、著しく困難だ、という事を立証できれば、その事は、立証できない事は何の証拠にも成らない、という事の立証と見なせる。
有罪判決は罪刑法定主義に従がわなければいけないという考え方の是非は別途検討するとして、誰が怪しいとか、どこが怪しい、という意見を公表する事については、そんな事をされたら立証できないなあ、といった様な具体的な犯罪が有るんだ、という意見は、公が常時公募しているのが社会の本来あるべき姿だし、ましてや、私はその被害に遭ったんです、と証言する人が居るなら、なおさらの事である。
もっとも、この原理を悪用して故意にウソを通用させるのは、この原理が大切である分だけ罪深いが、だからこの原理は間違いなんだ、という事には全然ならない。

・ 近年、性犯罪という物が犯罪の中でも特異な物として特別視されつつあるが、これは間違いである。
松本人志さんのスキャンダルを見れば、性犯罪というものは、性犯罪質とでも言うべき特異な質を持っている希な人が、そのせいで行なう特殊な犯罪であって、一般の健康な普通の人がそんな事をする心配は無い、という意見は間違っている事が分かるだろう。
ピンク・レディーという女性歌手ペアの「SOS」という曲の歌詞に「男は狼なのよ、気をつけなさい」「この人だけは大丈夫だなんて・・・信じたら・・・駄目駄目よ」という部分が含まれている。
犯罪一般を思い止まる人なのか否か、および逃げ果せる事が出来る状況であるか否かで、性犯罪を思い止まるか否かが決まるのであって、変態だから性犯罪するなんてギャグみたいな考えを流布する事は集団ストーカー工作に違いない。
それなのに、そんなギャグみたいな事をまことしやかに公権力筋が言い出しているのは、直せば許される間違いでは無いぞ。
性犯罪だけが他の犯罪と違うように見えるのは、逃げ果せる事が出来る状況であるか否かが、性犯罪だけ違うからだろう。
この事は、集団ストーカーが性犯罪で罠を張り巡らしているからかもしれないよ。

・ 松本人志さんのスキャンダルを見れば、個別の疑惑の真相がどうであっても、社会全体としては、こういう犯罪が蔓延しているようだ、という事が、かなりハッキリと分かる。
米国の映画業界のスキャンダルも噴出しましたよね。
こういう事が有る度に私は、それを、従軍慰安婦問題の真相を推定する為の判断根拠に追加する。

・ 女性の性被害を考える時には、性交と妊娠を要だと考えねばならない。
つまり、盗撮を防ぐ為に強姦されたのでは本末転倒だ、という事だ。
松本人志さんが言われてる通りの事を本当にやったという事が立証された場合に、果たして、田代まさしさんや植草一秀さんよりも重い報いを受けるだろうか?
この点を注意してニュースを見ていて下さい。
片や盗撮や覗き、片や強姦です。
強姦の方が報いが軽いのはおかしいんですよ、少し余計に重いぐらいでも足りないんだから。
ところが、日本だけではないと思うけど、法律では、合法的な色々なやり方で実質上の強姦が出来る様に成っている。
そして、それを強姦だとは言わせない様に成ってる。
最近の話題で言うと、AV出演強要の問題が有りましたよね。
こういう所を私の相対正義論で詮索する必要が有る。
私の相対正義論では、何を狙ったかだけで罪が決まる。
どんな個別具体的な女人についてでも、その人がしたくない妊娠をするように狙ったり、その人がしたくない性交をするように狙って、別の人が何かを選択したら、その選択が、何を何円買う、といった様な全く非刑法分野の予定変更であっても、それは強姦だと判定されます、私の相対正義論では。

・ 盗撮や覗きというのは、昔は集団ストーカーの手口のひとつだったかもしれないが、近年では多分集団ストーカー被害の一形態だろうと私は疑っている。
盗撮や覗きの被害が集団ストーカー被害だと言ってるのではなく、盗撮や覗きをする事が集団ストーカー被害だ、という意味です。
前項の意味で組織的な強姦をしている、女を共同資産として集団で管理しているのが集団ストーカーで、その集団ストーカーが特定の男人から女を干す、そうすると、その男人は女に困って性犯罪をする、そういう形で男人に制裁を加える事によって集団ストーカーは自分達のパワーを維持・増大させ、その力を使って女をいつまでも強姦し続ける、この様な構図で私は見ています。
これだと、覗きや盗撮を防ぐ事は強姦の支援に成りますよね。
松本人志さんのスキャンダルも、この様な構図の中で起こった事であり、松本人志さんがやったと言われている事は集団ストーカーによる強姦の方に属するだろうけれど、松本人志さんも発信源ではなく使い捨ての駒だったのではないか。

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時間が出来たので補足します。
私の意見は以下です。
性犯罪というものは、特異な性犯罪気質の異常者がするのではなく、犯罪一般をしやすい気質の者がする。
性犯罪の犯罪傾向は普遍的に存在しているのであって、それは病気ではない。
性犯罪と他の犯罪の違いは、犯人が逃げ切れると思うか否かの違いによって生じるのであって、犯人の欲求のうちで性的欲求だけが異常である事によって生じるのではない。
性犯罪では被害者が泣き寝入りする事が多い、と言われている。
この事が、犯人に逃げ切れると思わせて来たのである。
代替手段が存在するか否かの違いも有るな。
男が欲しがる事を表す言葉に「カネと女」というのが有る。
これは、カネで女を買う事は出来ない証拠だ。
もし出来るなら、「カネと女」とは言わず「カネ」とだけ言うはずである。
つまり、大抵の事は出世して高所得者に成れば自分の思い通りに成るが、女だけはそうは行かない、という事です。
出世もカネで買う事は出来ないけれど、出世さえ達成してしまえば、残るは女だけ、という状態に成る。
まとめなおすと、性犯罪と他の犯罪の違いは、犯人が逃げ切れると思うか否かの違い、および代替手段の有無の違いによって生じる。
最近YouTube動画で小多仁伯という人による池田大作批判を視聴する事が多い。
やはり優越的地位には性犯罪が伴うようだ、と改めて感じた。
したがって、本当の問題は、次の点に有る。
性犯罪を無くすには、女にモテない男を出世させないようにするしかない。
女にモテない男を出世させると、必ずその地位を悪用して性犯罪をするものである。
しかし、出世するのは仕事の出来る出来ないで決められるべきである。
仕事の出来る出来ないと女にモテるモテないは一致しない。
1970年代にテレビで放送された「俺たちの旅」という古いテレビ・ドラマの第14話で河原崎健三さんが演じる清水和也という人物が、女にモテるのも大した男でないのも一目で分かるキャラクターだった。
手持ちの資料には河原崎健三と書かれているけれど、インターネットで調べると河原崎建三だった。
ミーツー(Me too)という流行語と共に、映画監督が映画女優に性犯罪をした、という話がよく耳に入っていた時期が有りました。
これは、この問題の様相をよく表していると思う。
映画監督というのは出世の程度としては映画俳優よりも上です。
しかし、女にモテるのは映画俳優のタイプの男であって、映画監督のタイプの男は違います。
女にモテない男を出世させてはいけない、というのを社会のルールにすると、女が持っている性的嗜好に仕事の世界が支配されてしまう。
これもいけない。
しかし、そうしないと、性犯罪は無くならない。
これが本当の問題なんですよ。
恋人の事を「彼」という言葉で表す習慣が有る事は周知の通りです。
これらは、男女関係を論じる時に誰もがズケズケと本当の事をあからさまに言葉で表現できない心理を持っている証拠だ。
「彼」は人称代名詞です。
「彼は今どこですか?」なら分かるが、「あなたには彼は居ますか?」では文法的に間違っている。
性犯罪の問題を論じる時には、そういう人間心理が邪魔をして、みんなが本当の問題とは違う的外れな事を言って終わってしまう。
それを犯罪者は当てにしてるんですよ。
悔しいとは思わないのか。
本当の問題は何かの点で間違っていれば、どう工夫しても正しい対策なんて出て来ようが無いんですよ。
逆に、本当の問題は何かを正しく言い当てていれば、有効な対策は多分あると思うよ。
以上の文脈で言うと、松本仁志の問題については、私は、松本仁志の問題というよりは吉本興業の問題だと思う。
吉本興業が女にモテない男を大量に出世させている。
そこに私は悪意を感じるんですよね。
つまり、吉本興業が働き手を獲得する時に、「ウチの仕事で出世すれば女にモテるように成るぞ、お前を女にモテるようにしてやるぞ」という風に匂わせて、女にモテない男の層をターゲットにしてるのではないか、という事です。
女にモテないタイプの男は幾ら仕事を頑張って出世しても女にモテる様には成らないんだ、という発言を非常に冷たいから不心得だという意見が有ると思う。
しかし、天は二物を与えず式に、長所と短所が特定の人に局在していない方が優しいのは当然である。
現実には、長所ばかりの人と短所ばかりの人が居るけれど、そうでなければ冷たい、という意見は、どこをどう間違えば出て来るのか、悪意以外の何者でもない。
出世すれば女にモテるのでないと嫌だ、という男には、考えてみて欲しい。
この女とセックスをするのは嫌だ、と感じる女が仕事などの何かの業務で優勝したら、その女とセックスをしたい、という感じ方に変わりますか?
変わるわけないんですよ。
それを男の方もわきまえないといけない。
女だけの集団内で最高の女だと評価されている人が居たとしたら、その女は男にモテるだろうか、という事を考えてみてほしい。
もし、あなたが男なら、あなたは、そういう女が自分の性的嗜好に叶っているとは期待しないはずだ。
まず違うだろう、と思うのが普通ではないだろうか。
男はどう感じるかが女には分からない事や、最近発覚した宝塚での女同士の人間関係が示唆している様な不正が女だけの集団内にも有るからだ。
同じ事が、男女を入れ替えても言えるはずである。
男だけの集団内で最高の男だと評価されている人は、大抵は、女が持っている性的嗜好には叶わないものである。
だから、女だけとか男だけの集団の自浄作用が及ばない間違いを、女が男を選ぶ、男が女を選ぶ、という外部介入によって正そう、という考え方が、男女関係においては当事者の意思を尊重しなければいけないというルールの背景には有ると思う。
女にモテない男が出世すると自分の地位を悪用して性犯罪するものだ、と私は書いたが、実際にはそうでない人も居る。
それは、その人が、どうせオレはそういう目で見られているだろうから気を付けよう、という風に先回りして考えているとか、性犯罪に限らず他の犯罪まで含めて犯罪一般を思いとどまる傾向が強い人だからだろう。
そこに何も知らない松本仁志がノコノコ入って行った、という構図ではないだろうか。


最終編集2024年04月16日