since 2003
イレコナビ サイトマップ
< 日記 >
< 2022年02月 >
< 27日 >
2022年02月27日(日曜日)
先月までの記事への補足10

24日@2022年02月@日記に書いた様な話の続きを今日は書きます。

なあ、こいつ、どうする」と言われた事がある。
やはり、私の学生生活の5年目か6年目、私が学部3年生か4年生だった時だと思います。
この時期に集中的に、それまで見た事も無い様な事を目撃したり、聞いた事も無い様な不審な内容の発言を聞いたりする事が、たくさん有った。
「なあ、こいつ、どうする」という発言は、私が通っていた大学の校舎の屋内の廊下でのものです。
松の廊下じゃないけど。
私と同じぐらいの年齢に見える男性数人組が私に到来し、そのうちの1人が私に質問をした。
それに私が、未然に反論を封じる形で答えたか、答えて反論され反論した。
私を怒らせる様な質問だったので怒らずに返答の内容でコテンパンにやっつけた、といった種類の事だったと思います。
質問に怒るのはおかしいと思う人は「あなたは馬鹿ですか?」とか「何故あなたは低能者向きの進路選択をしないのですか?」という質問を思い浮かべて下さい。
その私の態度への反応として、私に質問した人がその仲間達に向かって「なあ、こいつ、どうする」と言った。
男性数人組の人数を私は数えなかったが、多分5人だったろう。
5人というのは、口裏を合わせれば、どんな根も葉も無い言い掛かりでも自分達の証言を証拠として十分だと認めてもらえる事に成っている人数だ、と私は聞いた事が有る。
少年隊なんていう名前の男性アイドル・グループが有りましたが、あれも、この事情を背景としているだろう。
少年でも5人がかりなら善悪に関係なく孤立した年長者を抹殺できる、という変な実態が有るみたいなんだよ。
これも事実認定の理屈が間違っている実例である。(
11日@2022年01月@日記理屈を正せ」)
「なあ、こいつ、どうする」と言っても仲間の反応が思わしくなかったらしく、私に質問した人は私の所に戻って来て、手の平を返した様な態度で愛想よく私に謝罪みたいな事を言って直ぐに仲間もろとも去った。
仲間の反応が思わしくなかったどころか、ハッキリと作戦中止・撤退を仲間から指示されたのかもしれない。
この様な、私と1対1で対話中の人がどこかに連絡に行ったらしく去って後ほどなく私の所に戻って来て、連絡先で言われた事をそこから先の私への対話に反映させる、といった不審な現象が、私の人生においては、それ以前にも何度も有った。
古くは、私の母ウダマチコが何度もそいう事をしたし、私が最も問題視している実例としては、私の学生生活の1年目に新聞配達の仕事をした時に先輩職員(私を指導する係の人ではなかった)がそういう事をした例がある。
その先輩職員は新聞に折り込み広告を挿入する作業かそれに類する配達準備作業で私にガスライティングを仕掛けた。
ガスライティングが通用する様に事実判定の理屈を曲げる共謀が成立していたとは知らなかった私は目の前で行なわれたその行為を見るやいなや現行犯で言い咎めた。
すると、その先輩職員は「
よおし、それなら、きいてみるか?」と私に言って、専売所の奥の方へ入って行った。
私は意味が分からないままに「はい(きいてみてください)」と答えたかもしれない。
ほどなく、その先輩職員は「
おかしいなあ」と言いながら私の所に戻って来た。
「おかしい」と言いたいのは、こっちだ。
ガスライティングが行なわれた場所には私とその先輩職員の2人しか居なかった。
そこで何があったかを、どうしてその場に居なかった人にたずねるんだ。
それに、ガスライティングが有った事は、それをしたお前自身が一番よく知っている事だろうが。
私と比べてすら、お前の方がよく知っているはずじゃないか。
そのお前が、どうして他の人にきくんだ。
その場に居なかった人に何が分かると言うんだ。
これらの事から、ガスライティングを仕掛けて被害者に文句を言わせ、ガスライティングは無かったから文句を言うのが悪い、という風に持って行く犯罪である事が、分かる。
ガスライティングなんて仕掛けてないのに文句を言われた、当事者だけで言い合っても水掛け論に成るので、その場に居なかった第3者に裁判してもらう、という事なら正しい。
しかし、それなら、第3者の意見が尊重される程度には厳しい限界が付けられねばならなし、どうして私に向かって「やってない」と言い返す事すらせず、いきなり「よおし、それならきいてみるか?」なんだ。
明らかに、第3者からよく信用されている人が、第3者からまだあまり信用されてない人の権利を不当に侵害しても、その事について後者が前者に抗議する事は不敬であり、前者が後者の権利を侵害しないでおいてやる事は恩恵である、という間違った正義観が、その先輩職員から表出された、というのが本質だと当時の私は即座に見抜いたよ。
これが、集団ストーカーのなかなか露見する事の無いエッセンスのひとつであり、劣人主主義に由来するらしい事も分かる。
つまり、スポーツの試合の様に完全なフェアプレイにしたのでは優れた人ほど栄えてしまうので、それを非とする劣人主主義者はアンフェアな審判を通用させるのだが、そのやり方は具体的に言うとこうである、という事です。
その少し前か後に、専売所の上司からある業務を引き受けるか否かたずねられて私が断ると上司は私の意志を了承した、という事が有ったが、それを傍聴していた1人の先輩職員が
悲鳴声で「自分はさせられたのにいいい」と言うのが私に聞こえた。
断る権利が有るはずだと思う様な事だった。
勘ぐると、その先輩職員は、私が仕掛けられたガスライティングと同じ方法でその業務を強制されたのではないだろうか。
そして、自分がされたのと同じ事を私にしたのではないか。
「おかしいなあ」というのは、自分がされた時には、第3者の意見は違ったのになあ、という意味ではなかったのだろうか。
また、これも時間順序を思い出せないけれど、先輩職員が1人退職して去った。
「自分はさせられたのにいいい」と言った先輩職員と「よおし、それならきいてみるか?」と言った先輩職員と退職して去った先輩職員は同一人物だったのではないか。
さらに、24日@2022年02月@日記の後半に書かれている私への質問(「
判断を求められた事が有る」)が、その場に居なかった第3者に裁判させる行為の正体ではないか。

私の父ウダオサムも言う事が多いんだよ、それなら(その場に居なかった)みんなにきいてみるか、と。
そんな事をしても、聞かれた人が当事者のうちのどちらの仲間かが分かるだけであって、何が事実だったかは分からないんだよ。
「なあ、こいつ、どうする」と言われた事は、上記の件以外にも複数回あったと思う。
そんな事を言うやつらにとっては、人権なんて人権を否定する為の道具でしかない、事であろう。
また、「なあ、こいつ、どうする」という発言は、被害者が暴発する様に狙って発せられる可能性も大きい。
その手に私が引っ掛からなかったので5人組みは退散した、という可能性も有る。

さて次の様な事も有った。
学生時代に、私がされた具体的な1個のガスライティングの被害認識を友人に話すと、しばらくして、その友人が私に「
宇田君の言い分が認められたよ」と言った。
「しばらくして」というのは、翌日だったかもしれないし、数日後だったかもしれない。
そういう形式での裁判を私は正しくないと思ったので、「宇田君の言い分が認められたよ」と言われても私は、それを受け入れる反応を全くしなかった。
これも、やはり私の学生生活の5年目か6年目だった。
その私の態度が誤解されるなどして悪い影響を及ぼしているのではないかと私は心配している。

私の学生生活の5年目か6年目には、次の様な事も有った。
私が通っていた大学の直ぐ近くだが大学の敷地外での事だったと思う。
裕福そうな若い女性歩行者が集団ストーカーのコリジョン・キャンペーンの徒歩での衝突を受けたらしく、立ち止まっていて、その女性のショルダーバッグが金具が外れるか何か破損している様だった。
傍らに犯人らしい青年男性が立っていた。
これについて被害女性でも加害男性でもない人から意見を求められた。
被害・加害の事実については、ほぼ異論の余地なく見ての通りだった。
ただし私が目撃したのは衝突直後の様子であって、衝突の瞬間を私は見ていない。
被害女性は私が通っていた大学の学生だったのかもしれない。
加害男性は、大学に進学しなかったタイプの人で、仕事着を着ていたか、それに類するカッコウだった。
私に意見を求めた人は、私と同じぐらいの年齢の男性で、多分私が通っていた大学の学生だったろう。
私に意見を求めた人は厳しい断罪を私に期待していた、と私は感じた。
しかし私は、被害女性と加害男性の間に大きな貧富の格差が見られる事を理由に「許してやれ」と言ってしまった。
もちろん、私には何の権限も無いので、被害女性が許さないと言えば、その意見が通るのが正しい。
もし私に権限が有っても、許す義務は無い、と私は考えている。
この時の私の意見が悪用されていたらいけないので、補足説明をします。
「許してやれ」という私の意見は、個別具体的な今回の件に限って大目に見てやれ、という意味であって、一般的な道徳法則を示したものではありません。
同じ犯人がこれからも何回でも同じ様な事を繰り返してもよい、という意味ではないし、同じ犯人が同じ被害者に対して同じ様な事をする事についてはもう1回やっただけでも許されない、大勢の犯人が共謀・手分けして同じ様な事をする事については、各犯人がひとりで全員分をやったのと罪が同じ(より罪が重い)、というのが私の意見です。
また、被害女性にとって、ショルダーバッグを修理したり買い換えたりする余裕は無かったかもしれないし、他の大切な物を売って得たおカネで買ったショルダーバッグかもしれないし、入手が困難なレア物で幾らカネを積んでも買えない貴重品だったかもしれないし、恋人からの贈り物だったかもしれないし、加害男性は同情されるために変装していたかもしれないし、被害女性もちょっと見ほどにはカネモチではなかったかもしれない。
こういった点を確認せずに意見を言った事は私の軽率です。
この様な軽率が私に生じた事は、私も集団ストーカーの術中にはまった、やられている、という事かも知れない。

時間が無くなったので、今日はここまでにします。