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2022年02月28日(月曜日) | ||||||||||
先月までの記事への補足11 | ||||||||||
やはり私の学生生活の5年目(1990年)か6年目(1991年)に、次の様な事も有った。 私が通っていた大学の校舎と校舎の間の道路で、その大学の学生らしい男性と私が対話していた時の事です。 「校舎と校舎の間の道路」と書いたのは、その道路が大学の私有地ではなく公道だったかもしれないからです。 対話相手の男性は、私と同じぐらいの年齢でした。 で、その対話中になんですが、高年男性が、急来して私達のすぐ傍の地面にしゃがみ込んで、地面に板か何かを置き、それを手に持った棒で連打し始めた。 地面に置かれた被打材も手に持った棒も、どちらも木製らしかった。 打音を聞いて、そう思った。 その連打が始まると直ぐ、私の話し相手が発音者に向かって「おい、何をやってるんだ」といった感じの言葉で語気強く叱責した。 それに反応して私は「ええ、ええ、そのぐらい、かまわん」みたいな事を言ってしまった。 これについても、昨日の記事の女性がバッグを壊された件と同様です。 私が「かまわん」と言った事は、私が思っている一般的な道徳法則を示すものではなく、個別具体的には大目に見てやる、という意味です。 私は許すけど、他の人に同じ事をやって、された人が許さなければ、そこでアウト。 私も、今は許すけど、1回だけなら許すけど、ここでは許すけど、別の機会にも許すとは限らない、しつこく何回もやれば許さない、自宅付近まで押し掛けて来てやったら許さない。 ここで許されても、そんな事をするクセを直さなければ、他の色々な誰かにやってる間にどこかで引っ掛かるぞ。 それが、当時も私の考えでした。 その連打の様な犯罪が、社会的に「やってもよい」というお墨付きを得ているなんて、露ほども思いませんでした。 この時の私の様に「かまわん」と言ってしまうと、せっかく叱責してくれた人の善意を無にしてしまうし、滅多に取れない確実な証拠を捨ててしまう事に成る。 だから、「かまわん」とは言うな、というのが現在の私の見解です。 集団ストーカーは、殺るか殺られるかの勝負を被害者に無断で一方的に始め、その具体的な部分が許されれば、その時点で犯人の勝利が確定する犯罪です。 それが「殺るか殺られるかの勝負」である事を忘れてはいけない。 こっちがそのつもりでなくても、いや、こっちがそのつもりでない事に付け込んで、犯人は殺るか殺られるかの勝負をして来るのです。 「かまわん」と言ってしまった事は、私が「やられている」という事なんです。 地面にしゃがみ込んで地面に被打材を置きそれを手に持った棒で連打する、という行為も、集団ストーカー犯罪の典型例のひとつです。 (典型例って言うか、マニュアル化された集団ストーカー工作のひとつだと私は見ている。これまで私が典型例だと言って来た物の多くは、そういう風に言い換えられるべきです) 探してもなかなか出会う事は難しいと思います。 現在までの私による目撃回数は、私が思い出せる限りでは4回です。 上記の件、中学生頃に高年女性が物陰で、2010年頃に青年男性が現住所付近で、小学生時代下校中に水田の高年男性が、以上の4件です。 これは私に、江戸の町火消しの職務上の挙動を、連想させます。 連打の速度も、同じぐらいです。 「おおい、ここに居るぞお」という風に仲間に場所と時間を知らせる、といった意味上の共通点も有るのではないか。 由来なんかも、江戸の町火消しに由来するのかもしれないし。 広い意味では、被害者の住所付近や外出中の被害者の通過点付近の建築現場から発せられる類似の音も、これです。 集団ストーカーの被害者の中には、職人系の人は集団ストーカーをしない、と誤解している人が居ますが、この様に、職人系の人も集団ストーカーをします。 時期は曖昧だが、次の様な事も有った。 多分やはり私の学生生活の5年目か6年目だったろう。 私が屋外で、私と同じぐらいの年齢の男性と対話していた時の事です。 対話の相手も、私が通っていた大学の学生だったかもしれない。 直ぐ傍にあった建物か物置の中から、「世の中にそんな人々が居るとは思わなかった」と私に感じさせる様な生物学的属性の人が数人、出て来て私に立ち向かおうとした。 私の話し相手が、それを見るやいなや、「お前らは出て来んでええ」と言って、それらの人々を引っ込ませた。 いわゆる「てめえら、すっこんでろい」の体だった。 それは、親分(ボス)が子分(ミニオン)を引っ込ませる態度だった。 親分が私にやっつけられていると子分が判断したので、子分が出て来た、という風に私の目には見えた。 それは私にも心当たりが有って、その時に私が話し相手にしていた話の内容は、そういう風に誤解される可能性が有る内容だった。 しかし、私の話し相手はそれを喜んで(興味深く)聞いていたのだ。 私は「だろ?」と思いながら話していた。 つまり、私の話し相手は目が肥えたというか耳が肥えた人だったが、その子分はそこまでの人ではなかったので、私の発言の奉仕的な様子を子分は侮辱的だと誤解してしまった、といった様な事です。 私の話し相手は、私の話の続きが聞きたいので子分を引っ込めた、いいところなんだから邪魔するなよ、という態度だった。 「世の中にそんな人々が居るとは思わなかった」と私に感じさせる様な生物学的属性の人というのは、言葉で言うと「コビト」という言葉が近い。 因みに、昨日の記事に書いた5人組みは、全員が私より大柄で、一見すると好青年に見えた。 上記の件の子分と同様の人を私は、現住所付近の書店でも見た事が有る。 それは1990年代後半の事だった。 私が、それまであまり見なかった種類の雑な感じのエロ本を手にとって品定めをし始めると直ぐに店の裏口から何人もなだれ込んで来た。 その時にも、コビトとか奇形とか、こんなルックスの人が現代社会にある程度の人数がまとまって住んでいるとは知らなかったと、思った。 存在が秘密にされてるんじゃないのか。 その書店は1990年代後半中に無くなったのだったと思う、今は無い。 また、次の様な事も有った。 多分わたしの学生生活の5年目に、親しい友人複数人(多分2人)が私の所に来て私に用事を依頼した。 用事の内容は多分勉強関係だったと思う。 その時に、その友人が「いけなあ、もう来たわあ」と言った。 それを聞いて私が周囲を見回すと、不審な四輪自動車数台がクロールしているのが見えた。 その頃は集団ストーカーという概念を知らなかったが、それでもハッキリとそれらについての発言だと分かった。 その友人は「それじゃ、宇田君これ頼んだよ」と言って急いで去った。 私の学生生活の晩期に、ここまでに書いて来た様な不審事が相次いだのだが、ひょっとすると次の1件がそれら一連の不審事の中で最後だったかもしれない。 中年または高年の男性が私の所にやって来て私に質問した。 私より小柄だったと思う。 少しヤクザ掛かったニュアンスがあったろう。 質問の内容は、よく覚えていないが、私の進路選択予定やその理由みたいな事だったと思う。 昨日の記事に書いた5人組のうちの1人が私にした質問の内容も、本質的には同じだったかもしれない。 私にとっては、私の事を気に入らない人が私に向かって行いがちな質問だったと思う。 私は忌憚なく平然と返答した。 それは5人組に対しての様に、つっぱねる意味でだったかもしればいが、よき理解者に説明する様に話したかもしれない。 それまでの私の経験では、昨日の記事の5人組に見られる様に、質問者は私の返答に反発するのが常だったが、その時には、私に質問した中年か高年の男は「確かに承りました」といった感じの態度で黙って去った。 後で何か有った時に、私の返答への反発がその動機だと私に言わせない為にそういう態度だった可能性を私は考えている。 それは私が通っていた大学の近くでの事だったと思うが、それ以前に、私が通っていた大学とは関係なさそうな場所で、不審な男性2人組が私に来る事が何度も有った。 それらはどれも、自分達が私にした質問への私の返答の内容が自分達の賊法に明白に違反している、と考えた様だった。 2人組の片方がもう片方に向かって「なあ、もうするぞお、何がいけないと言うのか」と発言するのが、お決まりのパターンだった。 私が暴発(ぼうはつ)する様に狙ってそう発言したのかもしれないが、言ってる事を鵜呑みにすれば、発言者は私の返答が私を集団ストーカーで攻撃する十分な理由に間違いなく成ると確信しているが、2人組のもう片方はその自信を持てない、といった風だった。 私を集団ストーカーで攻撃する賊正当事由が存在している事を改めて上級犯が私に正式に質問して返答を得て、その上級犯の証言を証拠として、私への集団ストーカー攻撃を開始しようとしたのではないか、と私は見ている。 学生時代晩期には次の様な事も有った。 私の知り合いは先に卒業してしまってもうすぐ私の知り合いが大学に誰も居なくなる、といった頃の事です。 親しい友人から「宇田君、単独行動で襲われたらどうするの?」と質問された。 私は、その質問を大学での事とは思わなかった。 むしろ、卒業した後の事かと思った。 実際そうだったのかもしればい。 私は「正当防衛する」と答えた。 すると、質問した人は私に「宇田君それ駄目なんだよ」と言った。 いや、正当防衛は正当だから正当防衛って言うんだよ。 正当って事は駄目ではないって事なんだよ。 また私は前々から、単独行動への罰といった納得できない文脈も意識していたので、それが来たかと思った。 そうなんだけど、その少し前に、私が何か不当な加害をされた時に、傍に居た友人が私に「宇田君すぐやりかえさなきゃ駄目だ」と言った事が何度か有った。 その時に「そうしないと大変な事に成るんだ」とも言われたような。 私は、武力の行使は控えれば控えるほど善い、と思っていたので、どこまで控えれるかを追求していた。 これが裏目に出たのではないか。 チョッと前まで「しなきゃだめ」と「言われていたのに、今度は一転して「しちゃだめ」とはどういう事だろうか。 「そうしないと大変な事に成るんだ」というのが当たったんじゃないのか。 私は2年留年したので、大学に6年間通いました。 そのうちの5年目までと6年目で、大学で同じ教室に入っている学生の人物類型が大きく違うんじゃないかな、と思った事が有ります。 ひょっとして、私の目に触れる人と私の目に触れない人は全然違う種類の人である様に何者かが手配しているのではないか、とも疑うんですよ。 |
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