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2022年02月14日(月曜日)
先月までの記事への補足4

22日@2022年01月@日記23日@2022年01月@日記に集団ストーカーのノイズ・キャンペーンの話が書かれています。
これについて補足します。

私が小学校の5年生か6年生だった時に、教室内で担任の先生が指導する形で、騒音をテーマとする会話が行われた事が有ります。
この時代にクチサケ女の噂が流行したのも根本原因は同じでしょう。
意訳すると、その内容は大体以下です。

・ 騒音という種類の害は概して大した事ないので、それを制限する事の害の方が心配である。
・ その一般論の例外に当たる騒音も有る。
 ・ 黒板を爪でひっかく音は、そういう例外のひとつだ。
 ・ ビール瓶の口をフルートの要領で吹いた時に出るボーという共鳴音も、そういう例外のひとつだ。

ビール瓶の口を吹いた時に出るボーという共鳴音については、生徒の一人が実演する事によって発表された。
私も含めてほとんどの生徒が「うわっ、これは効くわあ」と感じているらしい反応を示した。
言葉で言われただけでは、そこまでハッキリとは分からなかった事だろう。
私は、随分と準備が良いなあ、と思った。
偶然ビール瓶を持ち合わせていたのではなく、そういうテーマでの会話が予定されている事を知って持って来たのではないか、と思う。
しかし、私は、そういうテーマでの会話がある事を、事前には知らされていなかった。
休憩時間にだったかもしれないが、そういうテーマを扱う授業が行なわれた事は、当時既に集団ストーカーによるノイズ・キャンペーンが横行しており、広く知れ渡っていた事の証拠だ。
その担任の先生は、私たちに同和教育も熱心に行なっていたので、騒音についてのそういう授業も有った方がバランスが良いと思う。
ビール瓶の口を吹いた時に出るボーという共鳴音は、現在わたしに浴びせられ続けている交通騒音の中で主砲と目される種類の音です。
何年も前にマツダがミラーサイクルという新技術を実用化するというニュースを聞いた事が有りました。
排気柱を共鳴させて燃費効率を高めるのだったと思う。
これも集団ストーカーのノイズ・キャンペーンの共鳴音の都合から出て来たのではないか、と私は疑っている。

騒音についてのその会話は、新しく完成したばかりの鉄筋コンクリート造3階建の3階の教室での事だった。
その校舎が建つまでは、その小学校の校舎は全て木造だった。
新校舎の建築中は私たち生徒は仮設プレハブで授業を受けた。
そのプレハブで掃除の時間に私が掃除をしていると、こぶし大ぐらいの金色の金属の塊がかなり急な下降角で南窓から飛び込み合板の床をガンッと打ってその後どこに行ったか分からなく成った様に見えた事が私には有る。
それについて私は他生徒にも先生にも何も言わなかったが、他生徒からもその話は全く出なかった。
私にとっては前方で起こった事だったが、私以外の生徒にとっては背後で起こった事だったので、私以外の生徒は気付かなかったのだろう、ぐらいに私は思っている。
私がその話をしなかった理由には、言っても信じてもらえなければ自分が不利な立場に置かれる、という計算も含まれていた。
そういう風にして発言にブレーキが掛かった経験は、私には、この他にも幾つも有る。
この様に、ガスライティングというものは被害者が真っ先に思い当たる様な犯罪に過ぎないので、それを「あるわけない」なんて言う態度は最初から極めて怪しいのである。
色や材質については見間違いという事も考えられるが、硬さや重さについては見えた通りだと思う。
だから、それがもし教室内の人に当たれば大怪我が発生したところだったので、結果的に当たらなかったからいいじゃないかという評価で済ませるわけには行かない。
今にして思えば、私にその事を言い出させて私を知覚障害者に仕立て上げる集団ストーカー工作であった疑いが強い。

新しく完成した鉄筋コンクリート造の校舎では、3階の廊下にいても教室内に居ても、ヒューヒューという隙間風の音がほぼ常時聞こえていた。
旧校舎は2階建だったので、新校舎の3階には風がよく当たる状況に成っていた。
その3階に私のクラスの教室が有った。
当時の私にとって、そのヒューヒューという音は、心理的には負の効果が有ったが、生理的には平気だった。
現在の私の知見で判断すると、このヒューヒューという音は、集団ストーカーのノイズ・キャンペーンの神経傷害音だ。
これは主に生理的な効果を狙った音です。
神経痛、リウマチ、痛風を発生させる効果が大きいと私は認識しています。

その小学校では私は、低学年だった頃に、図画工作の授業で七宝焼きという物を作らされ、その窯(かま)の稼働音が集団ストーカーのノイズ・キャンペーンの神経傷害音でした。
この窯の煙突を私はうっかり覗き込もうとして、頭髪がチリチリッと焼けた事で危険に気付いて身を退いたので、それ以上被害しなかった、という経験が有ります。
もし覗き込んでしまっていたら顔面大火傷および失明していた事でしょう。
それが狙われていたのだと思います。
2003年から2014年までロード自転車でサイクリングしていた時にも私は、釣り針で顔を狙われているらしい事が何度も有りました。
合わせて失明も狙われていたかもな。

近年登下校中の小学生の列に自動車が突っ込む事件が異常に多発していますが、この犯罪の発生源も、ここまでに書かれている犯罪の発生源と同じでしょう。
その線で考え対策を講じないと、道路の危険箇所を直そうとか言ってる様では、根本的な解決には成りません。
設備を直すのではなく、設備を曲げる人を駆除するしかないのです。

そう言えば、私が現在通院している精神病院の建物も2013年頃に旧屋よりずっと立派な建物に建て替えられた。
この精神病院に私は2000年頃からずっと通院している。
小学校の校舎が立て替えられたのと同じ現象ではないだろうか。
集団ストーカーの噂では、例えば同じ飲食店に連続して行くと、3回目ぐらいから集団ストーカー工作が始まる、といった噂が有り、私もそう実感している。
この考え方の改築版だろう。
同じ施設に長期関わると、その施設の建物が集団ストーカー仕様の建物に建て替えられる。

小学生の頃に我が家はマツダ社製のシャンテという軽自動車を購入しました。
緑色でした。
それ以前は我が家には自家用車が有りませんでした。
だから、その軽自動車に乗せてもらう事は私にとって毎回毎回大変うれしい事でした。
その軽自動車に乗せてもらっている間は、車内に充満する新車特有の化学臭で気分が悪く成ってしまいそうだったけれど、乗車できるうれしさに比べれば化学臭は問題では無いと感じました。
しかし、化学臭だけを取ってみれば、それは、あと一歩で嘔吐してしまうぐらいに強かった。

その後私が中学2年生に成る時に、父が現住所に自宅を新築し、そこに引っ越しました。
すると、この新築自宅内には、新築特有の化学臭が充満しており、結果的には私はそれで何かが発症したりはしませんでしたが、余裕でそうだったわけでは有りませんでした。
この自宅が、引っ越して直後の思い出としては、やはり、ヒューヒューという隙間風の音が聞こえていたんです。
今でも同じ家屋を使っているのですが、何故か近年ではそういうヒューヒューという音を聞きません。
この音が出るのは最初から不可避ではなかった証拠です。

化学臭については、私にその臭いをかがせる事が出来るのは、自動車では乗車中だけだから、それで私を潰す事が出来なかったので、住所の家屋で毎日終日かがせよう、という事をされたのだと思う。
それから何十年も後に成ってシックハウス症候群という言葉が出来たのを聞いた時に、そう確信した。

みなさん、こんなにしてもらっていいんですか、と思うような厚遇には、この様な集団ストーカー工作が仕込まれている、と思った方が良い。
現在の私の自室も、階下が父の仕事場、屋外至近に井戸ポンプが有り、それらからものすごい騒音を私に浴びせられる様に成っている。
思えば、この部屋に私が入る時と、シャンテが我が家に来た時と、母の言い方が同じだったなあ。
シャンテは正式に我が家の物に成ったわけではない、あなたの部屋ではない、と母が言った。

私が高校生の時だったか、授業中に私が入っている教室内から出る音がほぼ皆無に成った瞬間があった。
その時に、同じフロアの別の教室の授業の声が小さく聞こえて来た。
私が入っている教室の先生が、それを指して「別の教室の声が聞こえる事によって静けさが際立ちますね」という風に私を含む教室内の生徒全員に言った事が有る。
どう関係するか分からないけれど、集団ストーカーのノイズ・キャンペーンの事が念頭に有っての発言だったのではないかと思う。
騒音の本当の正常なレベルというのはこれだ、このぐらい静かでなければ正常とは言えない。
この状態と少しでも違えば異常だと感じるのが当然である。
この事に照らせば、騒音に文句を言った人が聴覚過敏だと認定された多くの実例が如何に無理であるか良く分かる。
そういう事を思いながら言ったのかもしれない。