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2021年12月28日(火曜日)
派遣労働体験談7

昨日は時間が足りなくて推敲が不十分に成ったので、今日は、昨日の記事の訂正や補足を中心に書きます。

Aを狙って選択してもよいがBを狙って選択してはけない場合、AとBの両方を狙っての行為の外形がAだけを狙っての行為の外形と全く同じならば、AとBの両方を狙っての行為は、Bを狙って選択してはけないという規則への違反ではないと見なされねばならない
昨日の記事のこの部分が間違っているかまたは誤解されやすいので、これを以下の記述に変更します。
「Aを狙って選択してもよいがBを狙って選択してはいけない場合、Aだけを狙った場合の選択と行為の外形が
全く同じAとBの両方を狙っての選択について、もしBが達成される確率が上がったりBが部分的に達成されたりする様にする作用がAを狙って選択する事に無かったとしてもAを狙って選択するつもりだったならば、AとBの両方を狙って選択した事は、Bを狙って選択してはいけないという規則への違反ではないと見なされねばならない」
これでもまだ上手く言えてない所が有るかもしれませんが、以下でポイントを解説する事によって補いたいと思います。
「行為の外形が全く同じ」というのは、細かな点まで全く同じでなければいけません。
タイミングや位置や位置関係も行為の外形に含まれます。
「もし・・・つもりだったならば」というのは、「あなた、Bを達成するために予定を変更しませんでしたか?」という文脈において「全く変更しなかったならば」「少しも変更しなかったならば」という意味です。
何を狙ったかだけでなく、どういう条件が成り立てばその選択は発動される事に成っていたのかも取り締まりの対象である、と既に私はどこかに書きました。
多分2021年11月@日記のどこかに書いたと思います。
その事も思い出して下さい。
「もし・・・つもりだったならば」よいがそうでなかったらいけないというのは、この取り締まりです。

私は主種目以外の種目の自分の実力にはあまりこだわっていない(ありのままの事実を言われてもそうですね残念ですねと応じるつもり)、そんな種目でもそれが実際の私の実力より小さい事を証明しようとされた時には、面倒だからそれでいいや、とは出来ない性分なんですよ私は
この部分を補足説明します。
これは、私の好き嫌い属性の箇条書きに、以下の項目が欠けているのでこれを付け足せ、という事です。
どの種目であれ、私の実力が実際よりも小さいと証明される様に狙っての他者の選択に対しては、その選択の結果が狙い通りに成らない様に狙って選択する、これを私は譲らない。
私の実力が実際よりも小さいと証明される様に狙って他者が選択するとは、実際には他者が私をテストする事である。
例えば、私のダンベル・アーム・カール1回の能力が片手につき最大20kgだとする。
私の実力がこれよりも小さいと証明される様に狙って選択するとは例えば、5kgのダンベルを持ち上げる様に私に勧めたり命令したりする事です。
その勧めや命令に私が応じて5kgを持ち上げようとしたが持ち上げる事が出来なかったら、私の実力が実際よりも小さいと証明された事に成ります。
これに対して私は抵抗(結果が相手の狙い通りに成らない様に狙って選択)するのですが、それは次の様にです。
誘いなら出来るだけ誘いを断る。
権力や契約で裏付けられた命令なら黙って従がう。
5kgを持ち上げる事が出来ないふりをしない。
すると、どう成るか。
相手は、5kgを持ち上げる事が出来ない姿を私から引き出して恥をかかせようと、したのだから、その相手の行為は人として恥ずかしい行為です。
それでも私が5kgを持ち上げる事が出来なかったら私のその恥の方が大きいから相手の勝ちに成る、と相手は考えるわけです。
しかし、もし私が5kgを持ち上げる事が出来たら、私は恥をかかず相手のみ恥をかき、相手の負けと成ります。
だから、これは、相手が5kgという馬券に恥という掛け金を賭けた様な物です。
私が5kgを持ち上げてしまったら、私をテストした人はその賭けに負けた事に成るわけです。
馬券だけでなく色々な賭博で賭けに負けた人が負けた分を取り戻そうと追加の賭けを際限なく繰り返すのと同じ原理で、私をテストした人は、ウェイトを際限なく吊り上げながらそれを持ち上げてみろと私に要求する事に成ります。
この態度を私は、ゾウリムシの繊毛運動か、と揶揄するわけです。
ミミズの走光性と言った方が適当か。
心理学も、精神病冤病のサポートをやめて、こういう本当の心理学を研究したらどうだ。
そして、せめてもの罪滅ぼしに、精神病冤病をする人間心理を是非解明してくれよ。
この態度の結果わたしは、例えば21kgとかで試されて「出来ません」と言う羽目に陥ります。
これが「
それだと、限界まで付き合わされる計算に成るじゃないですか論理的に」の意味です。
ここまでを全体として見ると、私が自分のダンベル・アーム・カール1回の能力が片手につき最大20kgだと相手に申告したのと同じです。
まず、くどいようだが、それを直接質問されても、その質問に答える義務は私には無い、という事を言っておきたい。。
答える義務が有るのは、あなたの能力は仕事で必要な能力を超えていますか、という質問だけだ。
また、私の能力を知りたければ直接質問すればよいだけなのに、なぜ試すなんて回りくどい事を相手はするのだろうか。
それは、質問する権利が自分には無い事を分かっているからかもしれないが、質問して仕事上のすり合わせをすると、ハッキリ答えが出てしまうからだ。
お前は本当は足りてないんだけど大目に見てやってるんだ、と言い続けるには、答えを出さずに曖昧にしたままにしておく必要が有る。
機械を購入して使用する場合には性能のチェックでは性能が足りてる事が分かったらチェック終了、また出来るだけ壊さない様に注意して使う。
それなのに人を使用する場合には、性能が足りてる事に腹を立て、足りてないという結果が出るまでチェックを延長し、壊さない様に使う義務よりそれを優先させる。
これは人間を人間扱いしてない事であり、人権の尊重義務に違反する。
私は、お前の仕事に必要な能力は私の能力より小さい、と言ってるだけで、お前は本当はそれでは許されなんだけど大目に見てやるよ、なんて言ってないのです。
「良かったですね、雇用者さん」と言ってるのです。
それに対して相手は「それは丁度よかった」と言うべきなのに何故か「お前の能力は我々の仕事に必要な能力より小さい」とウソをつき、それを根拠に「本当はそれでは許されないんだけど大目に見てやるよ、認める事が出来ないなら許すのはやめてクビにするぞ」と私を貶めて来るわけです。
しかし、それでは、私の能力が足りてないのでないと気に入らない、足りてないだろうと高をくくったから契約したというのであれば、契約におけるすり合わせで雇用者の側に不誠実が有った、という事に成るし、何の契約か、恥の売買の契約なのか、いやしめる権利の売買なのか、という事に成ります。
そう言うんならという事で、能力が高過ぎる人とは契約しない、とすればそれは今度は差別です。
能力の優れた人も、この様に説明する能力は、私の様に優れているわけではないのです。
だから、ここで私が説明した様な犯罪の犯人はずっと何十年も何百年も世界中どこでも、優れた人を見てもチョロイもんよう、と侮り、優れた人はその言いなりに成り、逆らえば少なくとも社会的に抹殺されて来たわけです。
言うじゃないですか犯人は自分から、学校の成績が何番だったかなんて社会に出たら関係ないから勘違いするなよ、みたいな事を。
語るに落ちてるわけです。
だから言うんですよ私は、テレビで有名人の失言が話題にされている時に、どの口が言ってるんだと。
「は?」って思うんですよ。
失言辞任の失言の内容なんて、どれも人権侵害よりは小さい問題だ。
人権侵害の問題が残っていれば、人権侵害の問題を先に解決しなければいけないはずだ。
そして、上に書いた様に、人権侵害の問題は残っているのである。
それなのに、そういう人権侵害の問題を放っておいてもっと小さい問題の失言ばかりをあげつらっている。
むしろ、私がここで説明した様な人権侵害の問題は温存しておいて、もっと小さい問題だけを直したバージョンに人権侵害を更新しようとしている。
それどころか、人権侵害を生きのびさせる目的でそうしているきらいすらある。
25日@2021年12月@日記の前半に書いた構図である。

「目指してる」「到達してる」の違いを省略して分かり易く言うと私の自意識は以下です。
私は1番の種目で1番だ。
お前の種目は1番ではない。
したがって、お前の種目でお前が何番だろうが、お前の種目で私が何番だろうが、お前より私の方が偉い。
これが分かってなかったから相手は、自分の種目で自分の方が私より上位だという事を私に示そうとするなんて的外れな事をしたんだ。
それは、お前の種目で自分が何番かなんて、私がこだわってない事なんですよ。
それでも、自分を自分以下だと言われる事は許さない。
それで専守防衛すると結果的に、私の種目の方がお前の種目よりもレベルが高い、という事が浮き彫りに成ってしまっただけなんだよ。
私は専守防衛しただけだから、それは全部攻めたお前のせいなんだよ。
私は「自分が選んだ種目は1番で、お前の種目はそれ以下だ」とは職場で言わなかったぞ。
「お前」というのは読者一般の事じゃないけどね。