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2021年12月25日(土曜日)
派遣労働体験談4

さて、今日はどのポイントから説明しようか迷うのですが・・・
おっと、そうだ、悪い事をしそうなのは誰かを、まず説明しましょう。

一体、他人を馬鹿にする人と、馬鹿にされた人と、どちらが罪を犯すでしょうか。
普通に考えて、馬鹿にされた人が馬鹿にされた事に腹を立てて馬鹿にした人に加害する罪を犯す、ですよね。
ところが、テレビドラマでは決まって、馬鹿にする人が罪を犯す、他人を馬鹿にする性質から犯罪が出る、という風に成ってるんですよ。
(精神病から犯罪が出る、という主張と同じでしょう。そういう説を流布する犯人が同じだからですよ)
しかし、これは、馬鹿にされた人の願望に過ぎない。
馬鹿にされたから馬鹿にした人をやっつけたいけど自分でやっつけるには犯罪以外に方法が無い。
でも自分が罪人に成るのは嫌だ。
だから、馬鹿にされた悔しさが解消されるには、馬鹿にした人が自分で転ぶしかない。
この願望をフィクションの世界で叶えてくれるのがテレビドラマだ。
私は子供の頃ずっとそう思っていたんですよ。
現実は違うよなと。
現実では、いつまで待っても馬鹿にする人が自分で転ぶ事は無い。
だから、現実の世界で馬鹿にする人が罪を犯して罪人に堕ちたという話を聞いたならば、それは、馬鹿にされた人がフィクションの世界で願望を叶えてもらっただけでは満足できず、馬鹿にする人を罪人に仕立て上げるという犯罪をしたのではないかと疑うのが極めて自然なのである。
犯罪は馬鹿にされた人が馬鹿にした人に向かって行なうものであり、その逆ではない、という基本に立ち返れば、大局を見誤る事は無いのである。

そして、どんなに馬鹿にする思想を持っている人をも人間として扱わなくてはいけない、これが人権の尊重義務である。
馬鹿にした人を人間扱いしない事を目指す馬鹿にされた人にとって、このルールは邪魔だ。
最後の砦である人権を何としても撤廃しなければ、誰も自分達に底無しの脅威を感じなくて済む、みんな安心して暮らせる。
そこで、馬鹿にされる人は、みんなの盲目につけ込んで「馬鹿にする思想を持つ事が人権の尊重義務への違反だ」という逆さまのフレーズを言いふらすキャンペーンを張り、人権の尊重を名目にして人権を否定して来たのである。
(馬鹿にする思想を持つ事も、それを口に出して言う事もかなりの程度までは、まだまだ人間扱いのうちである)
「差別はいけない」「人権」「人権」と言ってる勢力には、こういうのが多い。
それらの人々は、心の中で「人権がにくい」「人権がにくい」と言いながら、口では「人権」「人権」と言っているのである。(安全安心も同様)
「車の傷は治るけど心の傷は治らない」と言い始めた人々も、この逆転を狙っている。
始めはそう言っているが、やがてそれが「体の傷より心の傷の方が重い」にすり替えられるに違いない。
そういう連中は自分達も、心の傷より体の傷の方が重い、と思っている。
だから、自分を馬鹿にしたやつには心の傷を負わせるだけでは足りない体の傷を負わせなければ気が済まない、と考えており、そう出来る様にする為に「心の傷の方が重いんだ」という逆さまな事を言っているのである。
失言を理由に失職させる行為の本質も、これだ。
失言を理由に失職させる事は、心の傷を理由に体の傷を負わせる人権侵害なのに、それが人権尊重の名において行なわれているのは詭弁なのである。
コンピューターを考えてごらんなさい、心の傷はソフトウェアの破損です、体の傷はハードウェアの破損です。
心の傷の方が軽いんですよ。

「下の下」は「げのげ」と読みます。
従がって「目上(めうえ)の人」「目下(めした)の人」の「上(うえ)」「下(した)」とは表面的には別概念です。

派遣労働で入った半導体部品の製造工場で見たどの人にも積極的に関わりたいという魅力を感じなかった、という意味の事を言ってしまったので、以下の経験を是非述べておく事が必要に成りました。
その工場に併設されていた派遣会社事務所に私が初めて行った時、その時にはまだ工場敷地に入った事が無かったのですが、私を雇用した派遣会社の事務所を含む複数の派遣会社事務所が入った棟の受付の女性がものすごく美人でした。
その時に1回見ただけで、その後は二度と見ませんでした。
それまでに見た事が有る女性の中で一番美人だったと書くとそれまでに見た人は全てそれ未満だったのかという事に成り、そんな事は無いので、どう書けば良いだろうか。
英語の「one of best ・・・」の意味で最も美人だった。
あまりに美人なので私は思わず後ずさりしたほどだ。
顔を思い出せないが、綾瀬はるかに匹敵していたと記憶している。
こんなに美人な人と懇意に成れるわけがないと思ったので私は、必要な事だけ訊いてそっけなく立ち去った。
懇意に成れるわけがない事は無い、と言うなら、それもまた犯罪の証拠だ。
なぜなら私はずっと、自分はそんなにモテる方ではない、と思って来たからだ。
それが実際には違うなら、モテないと思わせる工作が存在していたからだろう。
ちなみに今では私の女性に対する好みはその頃とは微妙に違う物に変化している。
もう少しロリッとした感じというか・・・いいじゃないか、そんな事は。

さて、それでは、そろそろ、今日のメインテーマについて書こうかな。
先に(早く)書いておいた方が良い事もまだ色々と書き残していると思うけど、今日のメインテーマについてそろそろ書かないと、もう16時が来たので。
今日のメインテーマは以下の問題です。
悪いのは相手の方だとしても、私の方が人物本体が格違いに優れていたのなら、並みの相手はそれに耐え切れず罪を犯してしまっても無理からぬ事じゃないか、相手がかわいそうじゃないか、という問題。
(ものすごく美人なら相手がレイプするのも無理からぬとは言えないので、それじゃ優し過ぎるかな)
例えば、こんな事が有りました。
金線という材料を機器に補給する作業が有ったのですが、これを私が出来る様に成った事を、誕生会の様に何人もで拍手で「おめでとう」という意味の表現をされた事が有ります。
休憩時間に休憩室のテーブルの椅子に座ってだったのではないかなあ。
それに対して私は、全く無表情・無反応でした。
「ありがとう」も言わず終始無言だったんじゃあないかなあ。
このエピソードは分かり易い例だと思う。
表情を変える義務も、反応する義務も、質問されたわけではないから発言する義務も、私には無いとしても、だからこれに腹を立てて私に何かしたら全部相手が悪いけれど、それでは相手がかわいそうじゃないか、という問題です。
このエピソードの背景を説明します。
金線を機器に補給する作業というのを私は、出来る様に成ったというより、最初から出来ました。
その初回ではなかったかもしれませんが、私が金線を機器に補給し始めたばかりの頃に、サヌキという名前の正社員が、私の作業結果を見て自尊心を傷付けられながら驚いているのを見ました。
多分それでなのでしょう、サヌキは私に「今まで一体何の仕事をしていたのですか?」と質問しました。
その質問に私が答えたかどうか思い出せませんが、多分答えたと思います。
その工場で働き始める直前まで私は大学受験指導通信添削の自宅添削者をやっていました。
しかし、それは、金線を機器に補給する能力にはあまり関係ないと思います。
サヌキの質問は、金線の補給に限らない私の作業全般に触発されての物だったかもしれない。
この金線補給作業というのは、勤務開始前に派遣会社の所長山本の口から、この職場の特徴を説明するために何度も聞きました。
金線の太さは30ミクロン、それをどうこうする精密仕事であって、体力仕事ではありません、という風に。
ルチ将軍は知能指数が千3百、みたいな感じですかね。
つまり、この金線を機器に補給する作業は、この職場の華だったのではないか。
山本が「私はまだ(DWB室に)入室を許された事が無い」と言うのを私は聞いた。
サヌキの反応も拍手で祝ってくれた事も、金線補給作業がこの職場の華であった事を示唆する。
ちなみに、サヌキの職種は日勤のみの正社員技術職、私の職種は2交代のオペレーターという技能職で、後にサヌキは「オペレーターは労働力ではなくコストだ」という侮辱発言をほとんど私に向かってしました。
山本の口ぶりなんかからすると、太さ30ミクロンの金線、自分も入る事を許されなかった格の高い勤務場所、きっと気に入ると思うよ、といったニュアンスが有ったのかも知れない。
ここまでが背景の説明です。
ここからは、私の態度の説明です。
まず、分かり易いスケッチを示します。
イスカンダルに放射能除去装置を取りに行く途中で燃料補給の為にその工場に立ち寄ったみたいなのが私の立場です。
全てにおいて余裕が無く、燃料補給以外の事は全く出来ない、燃料補給が終わって再発進した直後に工場にガミラスのミサイルが命中しても後ろを振り返って見る余裕も無い、みたいな感じですかねえ。
正社員とは住んでる世界が違う。
正社員は私を助ける事が出来ないし、私も正社員を助ける事は出来ない。
ここまでがスケッチです。
私は時間にも体力にもおカネにも心理的にも余裕が無かった。
心理については、初出勤前から怒り心頭だった。
これは、派遣会社や派遣先の工場が悪いのではなく、それらへの怒りではない。
私がその様な所で働かなければいけない事への怒りである。
それならどうであれば私は満足なのか。
それは、今わたしがやっている様に全時間を自分の好きな様に使ってそこから産出される益への報酬(障害者への社会保障ではなく)で生活も活動も出来る、という状況であれば満足です。
自分はそれに値する能力も意志も持っているので、そんな自分が生活費や活動費を稼ぐ為という意味以外には意味を全く見出せない仕事で稼がなければいけないのは、個々の事業者はともかくとして、社会全体の正しさが足りないせいである。
この様に考え怒っていた。
(大学卒業時に塾に非常勤講師として採用された時に下宿の階段を降りる私の姿に大家が見た相は、これです。それを大家は誤解し私を呵責する共産性のか何のか分からない考えを持った風に見えた。その事に私はずっと腹を立てている、てめ何誤解してんだという風に。白い巨塔の財前教授の廊下を歩く姿の唐沢寿明による演技はその誤解に由来すると私は思っている。くどい様ですが私が何を考えているかは私から言葉で説明されないと分からないものです)
この様に考える人は、だから自分はそんな所では働かない、と言って失業したままに成るものです。
本来は絶対にそうである所を私は良心的にも百歩譲って、社会全体の正しさが足りない分を私が持ってやる、ただし、雇用された場合の最低限の義務ギリギリしかしないぞ、それ以上は微塵も働かないぞ、という態度を選択しました。
そして、その態度の周囲に厳しいところを社会への抗議だと位置付けたのです。
つまり私の気持ちは、働くだけでやっと、それ以上は何も微塵も許せない、というギリギリの状態だったわけです。