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2021年11月12日(金曜日) | ||||||||||
勝負事で勝利を譲る義務は有るのか(相対正義論の話) | ||||||||||
例えば将棋で、Aさんにとって将棋で勝つ事の優先度は80、Bさんにとって将棋で勝つ事の優先度は30だとする。 この場合、AさんとBさんが将棋で対決した場合、Aさんに勝ちを譲る義務がBさんには有るだろうか。 無いはずである。 それでは、昨日私が仮説として置いたルールは、間違っているのだろうか。 そうでもない。 Aさんにとって、将棋で勝つ事が大切だというのは、将棋に強く成る事が大切だ、真剣勝負で勝つ事が大切だ、という意味であって、その目的は、Bさんが幾ら協力しても、八百長で協力する限りは、全く達成されないからだ。 八百長ではなく、将棋の先生に就く権利を譲るとか、将棋の道具や設備の使用権を譲る、という形でなら、将棋に強く成るというAさんの目的を達成する助けに成る。 そうする義務がBさんに有る、と定める事は、間違っていない、と私は思う。 それは、ひとつには、譲る義務というのは、Aさんの行為とBさんの行為が両立しない場合にしか問題に成らない事だ。 Bさんが譲らなくてもAさんは望みの先生に就けるし必要なだけ将棋の道具や設備を使用出来るなら、Bさんが譲る必要は実際には生じない。 もうひとつは、Aさんが将棋の優先順位を高いと決めている事は、その代わりに別の何かの優先順位を低いと決めている、という事であり、Aさんが優先順位を低いと決めている事でAさんはBさんに権利を譲る事に成るからだ。 簡単の為に、狙いの候補は将棋に強く成る事と囲碁に強く成る事の2つだけである、という架空の状況を考える。 すると、Aさんが将棋に強く成る事の優先順位を第1位だとする事は囲碁に強く成る事の優先順位を第2位だとする事に等しいし、Bさんが将棋に強く成る事の優先順位を第2位だとする事は囲碁に強く成る事の優先順位を第1位だとする事に等しい。 したがって、自分にとって優先順位が低い事では譲りなさい、というルールは、Aさんが将棋で譲ってもらう代わりに囲碁で譲る、Bさんが将棋で譲る代わりに囲碁で譲ってもらう、という結果をもたらし、至って公平なのである。 この道理の一般論を数学的に書く事にも後で挑戦したい。 参考:日本物理学会2015年春季大会@学会発表@活動報告@学問 > 24pCK-10 ついでの話だが、ここにおカネという要素が入って来ると、結果が変わってしまう事が分かるだろう。 これが、おカネは不公平のツールである、という事です。 所持金が他者に何かを譲った結果ならば、トータルでは公平に成りますが、実際には通貨の総量が正(プラス)である分だけ、そこからズレた不公平に成っているわけです。 金持ちに罰金を課しても効果が無い、という問題の根本的な解決は、こういう問題を丁寧に考えていく事によってしか得られないでしょう。 同じ将棋でも、真剣勝負ではなくお芝居ならば、勝つ役を演じる事の優先度を小さいとしている人には、勝つ役を演じる事の優先度を大きいとしている人に勝つ役を譲る義務、が有る。 ただし、それを真剣勝負だと偽ってはいけない。 また、ついでの話ですが、ウソって何故いけないんでしょうね。 ウソはいけないって直感的には分かるんですけど、Aさんは自分が将棋で1番だと思われる事が大切だと考えており、Bさんは自分が将棋で1番だと思われる事はそんなに大切ではないと考えているならば、例え本当はBさんが1番でも、Aさんが1番なんだというウソをついてもよいのではないか、という疑問が湧きます。 後で考えようと思います。 観客が居る場合のお芝居はどうだろうか。 AさんBさんだけでなく観客も、Aさんには勝つ役をやって欲しいとか、Bさんには勝つ役をやってほしいとか、そういう要望を持っている場合。 これは、有償で芝居を見る見せるの関係でなければ、例えば、有名人に対してこうであって欲しいと一般大衆が持つ望みについては、そういう要望に応える義務は一切ないはずである。 いやいやいや、ちょっと考えてみたんだけども、そういう義務が生じ得るかも。 自分がどう成る様に狙うかの優先度は高く、他人がどう成る様に狙うかの優先度は低いのが普通だから、その場合には、要望に応える義務は発生しないが、 もし、他人がどう成る様に狙うかの優先度を大きいとしている人が居たら、そう成るのではないか。 観客がCさんだけだとして考えてみる。 Cさんは、A対Bの将棋の芝居で勝つ役をAが演じる事を、A対Cの囲碁の芝居で勝つ役をCが演じる事や、B対Cのオセロゲームの芝居で勝つ役をCが演じる事よりも、優先順位が高いとしている。 こういう組合せを考えれば、A対Bの将棋の芝居で勝つ役を誰が演じるかCの言う通りにしても、その代わりに、A対Cの囲碁の芝居やB対Cのオセロゲームの芝居で勝つ役を誰が演じるかでCは譲らなければいけなくなる。 こういう事ではないか。 しかし、実際にはA対Cの囲碁の芝居やB対Cのオセロゲームの芝居というものが行なわれなかったら、不公平に成るので、優先順位をどう決めているかだけでなく、実際に行なわれた譲りが釣り合ってなければいけないのかも。 今日、携帯電話で送信したかったのは、以下です。
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