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2015年11月13日(金曜日)
トメなかったオマエらも悪い、というのは本当か

今日は、精神病院で診察を受けた帰りに、福山駅で福塩線の車両に乗って発車を待っていると、高校生ぐらいの下校中と思われる男子生徒に女子生徒が「とめなかったお前らも悪い、と先生に言われたが、そういう先生の意見は間違ってるよね」という意味の事を言っているのが聞こえた。

私に直接意見を求めると、気に入らない答えが返って来るので、私に向かって言わず、聞かせる事によって、反論を言わせない、というやり方が、随分前から多用される様に成っている、と感じる。
聞こえた意見に対して何も言わない事は、その意見に賛成である事を全然意味しないが、私が黙認した、という曲解をこじつけられている恐れがあり、だからこうなっているんではないか、と感じる事も多い。
黙認したと誤解・曲解されるのを防ぐ為に出来るだけ一々コメントする、という態度も私には見られるが、その事が、黙っていれば黙認が成立すると私が考えている事、を意味するわけではない。
黙っていれば黙認した事にされる恐れがある、と考えているだけだ。

さて本論だが、犯罪をした人だけでなく犯罪をとめなかった人も悪いのか、という問題は、私にとって完全には解決していない。
その事は、
自然害課曝の説明の所で、述べたと思う。

とめなかった、というのは、しなかっただけであり、犯罪をしたのとは違う。
そして、
法核としては義務は、犯罪をしない事だけであり、それ以上の義務は無い。
犯罪をとめる義務という物は、法核には含まれていない。
そして、犯罪をしない、という義務を全員が守っている限りにおいては、犯罪をとめる必要という物が生じず、必要の無い所に義務は無いから、犯罪をとめる義務も生じない。

従って、まず言える事は、率先して犯罪を犯した人、犯人が全部悪いのであって、とめなかった人が何かを負わされるのは間違っている、という道理が根幹だ、という事だ。

しかし私は、犯罪をとめなくても良い、とは考えない。
犯罪をとめる必要は有り、犯罪をとめる義務の様な物が有る、と考える。
従って、犯罪をとめない事は、その義務の様な物への違反である。
その義務は、全員が全体として負っている物であり、個々人が負っている物ではない。
この様に考えられるのではないか。

丁度これは、
経済全体は個人に対して益の返済義務を負っているが、どの個人にも益の販売を自由に断る権利がある、という構図と相似形だ。

こうして、悪いのは全部犯人なのに、犯人以外の人が義務の様な物を負わされてしまう事に成り、この分どうしても、根幹の道理を諦めざるを得ない。
(率先して犯罪する事の罪としては、犯罪それ自体の罪だけでなく、根幹の道理を一方的に諦めさせた事の罪が大きい)
しかし、根幹の道理を諦めるのは、それだけにしたい。
それだけにするとは、実際には、根幹の道理の活用形として「全体は犯罪をとめる義務を負い、とめるのに掛かったコストは後で全部犯人から返してもらう、のが本当は正しい」という道理を置き、これに従う事だろう。

さて、奪ったのでなくても、与えなかっただけなのに、それが悪いとされる場合が有る事は、次の様に考えれば、分かる。

誰も食品を売ってくれない、という場合。
無料でくれと言ってるわけではないのに、ちゃんと他の人と同じだけ代金を払うつもりなのに、誰も食品を売ってくれない。
それなら自分で作ろう、という事で、土地を買おうとしても、誰も土地を売ってくれない。
こういう場合、売らない人は、何も奪っていない。
ただ、与えないで居るだけだ。
しかし、そうであるけれど、明らかに、これは、売らない全体が悪い。

宇田経済学の話と重複するが、自給自足の手段を持っている人になら、誰も何も売らない事には、そういう悪さは無い。
自給自足の手段を持っている人に、「入会すれば買う権利が権利として保障されます、入会するには自給自足の手段を全て当会に売却する必要があります」という条件を提示して、自給自足の手段を持っている人が任意の意思で入会した場合には、売らない事の悪さは、その契約への違反として位置付けられるだろう。
現実の私達には、そういう選択の余地が与えられなかった。
生まれた瞬間に自動的に入会だし、売却の部分が無償贈与だ。
したがって、現実の私達の買う権利は、任意の意思で入会した場合よりもさらに強く、全体が個人に不売を掛ける事は、契約違反よりもずっと悪い事だ、と言える。
所持金ゼロから出発する場合には、不買についても同様であり、現実の私達は、これに近い。

犯罪の話の場合は、入会すれば犯罪の害を受けない権利が権利として保障されます、という話に置き換えれば、同様だと思う。
ああ、先生の話を否定せずに済んで、良かった。

この考え方に、今日まで私は気付かなかった。

もちろん、犯罪の話の場合は、入会しなければ犯罪(会員が会外に加害する事や非会員が加害する事)の被害を受けるぞ、という意味ではなく、会内犯罪に限っての話だ。
誰かが入会しようがすまいが、会員が会外に加害する事が無い事は、会が会外に対して保障すべき事である。
非会員が加害する可能性は、会が全体集合に一致する場合には、存在しない。
現実の歴史で、多数の小集団が戦国時代という過程を通して大きく一つにまとまって行ったのは、この様な安全保障上の都合による、と解されるのが正しいのだろう。


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