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2015年03月14日(土曜日)
位相経済学(宇田経済学の話の続き)

昨日の記事に私が書いた問題は、
金流・益流の輪が途中で切れている、という形に表現できるのではないか。
金流・益流の輪が円環状に繋がっていれば、どこが上位でどこが下位、という差は無い。

イノベーション適応の所で述べた様な負担の序列で考えれば、どこが上位でどこが下位、という認識も出来るが、負担の軽い発明家が負担の重い手作業者を支配している、という関係は無いのに対して、今ここで考えているのは、発注・受注の関係を支配・被支配の関係として理解しようとする試みだ。

金流・益流の輪が円環状に繋がっていれば、発注・受注の関係においては、どの参加者も、他の参加者の上位の発注者であると同時に下位の受注者であり、支配・被支配の関係は見られない。

それに対して、益流の輪が途中で切れていれば、益流に上端と下端が存在し、支配・被支配の関係において、益流の下端(金流の上端)に近い方が上位、益流の上端(金流の下端)に近い方が下位と成る。

 

この場合、最下位の者は与益するのみで全く受益せず、最上位の者は受益するのみで全く与益しない、という構造に成る。
金流を永続させるためには、次のいずれかの方法か、これらに似た方法が、どうしても必要に成るだろう。

(1) 最上位の者が通貨を追加発行し続ける。
(2) 最上位の者が最下位の者から税として所持金を徴収する。
(3) 最上位の者が最下位の者にカネを貸して利子を付けて返済させる。

これら(3)つは、どれも実行されている、と思うが、この中でも特に(3)が、
エッシャーの滝という作品を、連想させる点で、論理的に興味深い。
(2)は最も目に付きやすいが、ここを詮索しても大して目からウロコが落ちる様な発見は無さそうだ。
ポンプによる水の汲み上げ、に例えられそうだ。
(1)の詭弁性については、
第1種のペテンとして、既に2012年01月に色々と書いた。

金銭の貸借の原理を私はまだ明らかにしていないので、(3)については、現時点では、ハッキリとした事が言えない。
カネを貸す、という与益に対して、カネを借りる、という受益をした者が支払う報酬が利子だ、という解釈や、貸したカネが手元に無くて使えない、という損害に対して、カネを借りた者が支払う賠償が利子だ、という解釈の是非がポイントだろう。
与受益解釈が正しければ、金銭の貸借によってでは益流の輪は切れない事に成る。

必要な物を取り上げておいて、それを働いて稼いだカネで買え、という斥力の与え方の増長版として、必要な物を取り上げておいて、カネを借りてそれを買い、その後で、働いて稼いでカネを返せ、という斥力の与え方が普及して来たのではないか。
通貨経済が無限連鎖講である事から、良いのは最初だけで、時間が経つと段々と不調に成って行き、不調に成る都度追加的に新しい詭弁を導入しないと経済が止まってしまう、という原理的な無理が存在しているからではないだろうか。