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2013年06月28日(金曜日)
2013年06月18日の記事の(10)の実例
2013年06月18日の記事の(10)に類する事例として、1990年代後半に私は、自室の階下で父が出す嫌がらせ音、によって強いストレスを感じ、自室の木製の戸に銅製の文鎮を何度も投げ付けた事がある。

これは、ある時ふと我を失って一回限り投げ付けた、というのではなく、ある程度の期間継続的に、理性の管理下でストレス処理方法として投げ付けたものだ。

ストレスは、単純に父の出していた嫌がらせ音だけによるものではなく、その他の嫌がらせと合わせての複合的なストレスだった。
その時期に私は、通信添削の仕事(受験生が書いた事に成っていた答案を添削する仕事)をしていて、その仕事を通して発注元や答案を書いた人から嫌がらせをされていた、と認識している。
この仕事は頭脳労働なので、この仕事をしている時には、騒音に対して感じるストレスは、そうでない場合よりも格段に大きい。
今でも公道通行中に中高生が嫌がらせをして来る事があるので、受験生は誰も嫌がらせ答案を書かない、とも思っていない。

私は父に、作業音がうるさいから音を出すな、とは、一度も言わなかったが、それは、父が仕事をする以上は必ず出る音(音量や頻度や継続時間については必要以上に出していた)だった事、私が父の家に住んでいるのであって父が私の家に住んでいるのではない事、それを通して、私をうるさがらせている音の原因と成っている父の仕事による収入は私の住居費にも充てられている事に成る事、などによる。
しかし、その様な前提条件を成立させる事は全て、嫌がらせ主体による、私に嫌がらせをして逃げ場を与えないための下準備、外堀埋め、であったと考えられる。

 
2013年06月28日撮影。
文鎮を投げ付けられて穴が開いたのは1990年代後半だが、その後修理しなかったので、今でも穴が開いたままに成っている。
この事は、当時としては、私の精神の異常の証拠をでっち上げるために利用される危険性があった、という意味を持っていたが、今と成っては、嫌がらせの程度の甚だしさの証拠として認められるはずだ。

 
2013年06月28日撮影。
この文鎮は、中学校の卒業記念としてもらった文鎮だ。
私は、この文鎮を戸に投げ付けた。

私が戸に文鎮を投げ付けて戸に穴を開けた期間の後、父は抜け抜けと私に「戸を壊しやがって、もと通りにしろ、お前の戸じゃない、俺の戸だぞ」という意味の事を言った。
この態度こそが、私を取り巻く人的環境を象徴している。
あくまで象徴であって、私が子供だった頃から父が私の周りで騒音嫌がらせをしていたわけではない。
私が子供だった頃の父も、本質的には今の父と同じ魂胆を持っていたはずだが、その頃にはそれを上手に隠していた。

私が、ニートで未婚で、そうまでして貫徹して来た学問も業績が未公認だ、という状況は、本質的には全てこれだ、と思ってもらいたいたい。
大変な損害だ、と思いませんか?
一般論としては、おそらく、こういう手口で殺された人がたくさん居るだろう、と思う。
それが「見下す」とか「馬鹿にする」という言葉を使って人に言い掛かりを付けたり、強い者が勝つのではいけない、と言ったりしてる連中のやって来た事なんだよ。

私の場合、子供の頃から一貫して社会に対する根深い問題と考えて来たのは、貧富の格差や明示的な差別ではない。
貧富の格差や明示的な差別も重要なテーマだと思うが、それらは表立って取り上げられる。
私がこだわって来た問題は、それらではなく、ルール上はこれに成功すればこれが認められるはずだよな、という事について、でも実際にそれが認められるなんて有り得ないだろう、と感じられる状況だ。
そして、貧富の格差や明示的な差別を問題視する言説からは、むしろ逆に、そういう状況を正当化する口実を見付けようとしつこく付け狙う態度の匂いがプンプンする。
それは、法の網の目をくぐって他者に危害を加える様な事についてではなく、自分が幸福に成る、とか、自分が自由に成る、とか、そういう事についてだ。
そういう状況に対する義憤という物が、私の態度の根底には流れている。
つまり、1人の人はこれ以上には認められてはいけない、という限度を置く考えに対する強烈な反発、煮えたぎる怒りだ。
それを、人を人とも思わない傍若無人な態度、という風に感じるパターンがあるみたいだが、私は、逆に、自分に対して要求させない事によって、誰に対しても要求してはいけない、という思想を表現しているつもりだ。

誰であれ人には、為し得る限りの事を為し、成り得る限りの者に成る権利、がある、というのが私の持論だ。
もちろん、してはいけない事でも能力的に可能ならば、それをする権利がある、という意味ではない。
到達点が高過ぎるからいけない、という理由で、してはいけない事を設定する考え、に対する反対である。
非干渉的に凌駕する事によって他者の面目を潰す事は全く何ら侵略ではない、という認識である。
それに対して、その行為を妨害する目的で何らかの作為を少しでもすれば、それは侵略だ、という認識である。
妨害を止めさせる手段の中に「殺す」という選択肢は有り得ない、という意見への否定である。
結果に対して直接制限を置く事は間違いであり、その例外は不幸過ぎる結果についてだけだ。
幸福過ぎる結果に対して制限を置く事は、単なる侵略である。
私は、身近な所で、人のこの侵略する性質を嫌と言うほど見ているので、どうして歴史の問題に成ると急に、我々は侵略なんて絶対にしてない、なんて言い出すのか、理解に苦しむ。
周りの人を毎日侵略して、それが正しいんだ、と言ってる人が。
そして、認める、という事について言えば、結果として何を為し得たか、何に成り得たかの事実を、ありのままに認めるのが正しいのであって、事実に、認めるか認めないかの判断の余地は無いのである。
事実は認める以外に無いのだよ。

私は、ここ数年までにこの状況をほぼ打ち破った、と感じている。
これは、まず不可能な事だが、私には出来た。
私に対する嫌がらせの露骨化は、その印だと思っている。
嫌がらせの発信源の人の面目が庭に吊り下げられたフンドシの様に成る日が近付いている様だ。
ざまあみろ、だ。
そんな奴、命綱をブチッと切って、ドンッと蹴っ放してやりたい、というのが私の気持ちだ。
何だ、こんな物、何だ、この薄汚い肉の塊は、糞みたいなもんだ、というのが私の真実の気持ちだ。
私は、そのぐらいに怒っている。

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以下に、
2013年06月26日の記事に対する補足説明を書きます。

本日(2013年06月28日)、まずF地点からB地点が見える事を目視確認した後で、B地点からF地点が見える事を目視確認しました。
その後で、B地点からF地点の方を向いて見える景色を、写真撮影しました。
以下の写真が、それです。
 
写真をクリックすると、拡大画像を見る事が出来ます。
写真のほぼ中央に小さく見える、白色の自動車、標識裏面、道路の欄干の位置が、大体F地点です。
2013年06月26日の記事の内容と考え合わせると、これで、B地点からはF地点, E地点, A地点, C地点の全てを見渡せる事に成り、B地点に居た不審者が私の動向を監視してそれに基づく合図を実行犯に送っていた疑い、が濃厚に成った。

さて、みなさん、ついでの話ですが、この事から察して欲しいのは、例えば受験競争とか、公正に行われてるわけがないだろう、陰でこそこそ何かやってるに決まってるじゃないか、という様な事です。
受験競争に限らず、選挙もそうだし、世の中の全てに渡って、そういう疑いの目で見て欲しい、と思う。