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以下で紹介されているウェブサイトhttp://groups.msn.com/GrammaticalPhysics/およびhttp://groups.msn.com/grammar/は2009年2月に廃止されました。
その代りに
http://www.grammaticalphysics.ac/を用意しましたので、こぞってご参加ください。
また、
2006年11月@日記@宇田英才教室に、学会発表旅行記を、書いておきました。
何年も後に成って思うのですが、入管時に必要書類への記入を職員らしき人が代行しようとしたのは、私の自筆証拠を発生させない様にする目的でだったのではないか。
空港からハワイ島内に出る最終ゲートの職員の様子も、非常に不穏だった。
叱り付ける様な口調で「Green Line」と言われ、私は自分の存在位置を緑色の線の上に移動させた。
代筆してあげましょうか、という職員の申し出に私が反応しなかった事から、言葉が通じないのではないか、との疑いを持たれ、それを確かめるために「Green Line」という言葉で試したのではないか、とその時の私は思ったが、別の理由ではないかと今では思う。
出国時そのゲートを通る直前も、その付近に居た小太りの女性職員(入国時とは別の人)の私に向ける眼差しが険悪だった。
入国時には、代筆拒否後、手荷物受取前、屋台の様な物に入っている女性職員に学会のCertificationを提示した際のその職員の表情の変化(曇った)も不審だった。
その時には、私が愛想良くし過ぎたので色目を使ったとでも思われたかな、と思ったが、後で他の出来事と比較すると、他の出来事と共通の理由があったのかもしれない、と思う様に成った。

http://www.phys.hawaii.edu/~dpf06/post/outreach/outreach.pdf
にもデータが在ります。

発表会場の Koko Crater に着くと、座長のグレゴリー・スノウ博士が握手で迎えてくれた。
そのしばらく後で、日本からのモリタ・ヨウヘイ博士が到着して、グレゴリー・スノウ博士に挨拶していた。
その挨拶の様子を見て、それがあまりに模範的なので僕は感心した。
彼の挨拶の仕方は決して英語圏文化出身者のする挨拶そっくりそのままではなかったが、英語圏文化における挨拶というものの急所を彼は全て心得た上で、その点に留意しながら挨拶している、という風に僕には見えた。
真似すると僕らしくなくなるので、僕はそれを真似しようとは思わないが。
モリタ・ヨウヘイ博士が来てくれていたおかげで僕は、英語に由来するコミュニケイション上の困難に対して心配する必要がなくなった。
日本から来た他の発表者達が、英語表現で困ったときに、発表中にモリタ・ヨウヘイ博士に助けられているのを、僕は何度も見た。
僕に与えられた発表時間は20分。
発表開始時刻が来る前に僕は、グレゴリー・スノウ博士に「紹介の言葉(冒頭でグレゴリー・スノウ博士が僕の発表を紹介する短い言葉を述べる事が予想された)を含めて20分なのか僕のシャベリだけで20分なのか」尋ねたが英語が上手く伝わらなかったので、モリタ・ヨウヘイ博士に訊くと「僕のシャベリだけで20分もらえる」との事だった。
僕はそれを聞いて安心し、英語が伝わらなかった事について、グレゴリー・スノウ博士が気にしているといけないので念のため「原因は僕の英語力不足にあります」と言ってフォローした。
僕は自分の発表をストップウォッチで計測し、その長さが17分である事を確認した。
発表は成功だ。
これは僕の発表がその場で即刻十分に評価された、という意味ではなく、評価の対象となる事実を作る事に成功した、という意味だ。
僕の発表は20分という時間に比して言わなくてはいけない事が多過ぎたので、20分の時間枠内では僕がしゃべるのみとし質疑応答は休憩時間に受ける、という事で僕は、グレゴリー・スノウ博士から、あらかじめ了解を得ていた。
僕の発表内容は、下記の文章を読み上げる、というものだった。
文字色が赤の部分は、OHPスライドの対応箇所を指示しながら読んだ。
発表が読み上げ形式だったのは、一つには、発表言語が英語だったからであり、もう一つには、20分という短時間に多量の内容を詰め込まなければいけなかったからだ。
このため、僕にとってこの発表は、既に作曲が済んでいる曲の演奏のごときものだった。
もっと言うなら、僕にとってこの発表は、一種の超絶技巧早口言葉の問題だった。
もし、発表言語が日本語で、時間的にも十分な余裕があったなら、僕の発表は、読み上げ形式ではなくOHPスライドを見ながら即時作文発語する、というものに成ったろう。
作業言語が英語ならば、たとえ時間的に十分な余裕があったとしても、僕には迅速な即門即答形式での質疑応答に耐える語学力は無い。
しかし、休憩時間にのんびりとお互いに言葉を重ねて質疑応答するのならば出来そうだ、と思っていた。「アウトリーチ(outreach)」という言葉の意味を英和辞典で調べると「出し抜く」と書かれていたので、これは僕の発表に打って付けだ、と考えて発表会場として「国際アウトリーチ会議」を僕は選択したが、僕以外の発表者の発表内容に基づいて考えると、「物理学会の国際アウトリーチ会議」と言うときには「アウトリーチ」は「出し抜く」ではなく、むしろ「広報」といった感じらしかった。
出し抜くアプローチに対する専用の受け入れ窓口を用意しているとは日本国内の物理学会よりも度量が大きい、と感心したのは、僕の買いかぶりだったのか?
「アウトリーチ」の意味をモリタ・ヨウヘイ博士に尋ねようかとも思ったが、結局尋ねなかった。
日本の自宅を出発する前に、プログラムを見た時点で既に、僕が影響を与えようとしている分野とは違う分野の研究者しか来てくれそうにない、とは分かっていたが、その時にはまだ「広報」といったニュアンスには気付いていなかった。
学会参加登録時に初めて「アウトリーチ」という語を目にし英和辞典でその語の意味が「出し抜く」である事を知った時には、今回の学会の度量の大きさを喜ぶ気持ちだけでなく、出し抜くアプローチが僕だけのものではなく僕の参加するのが「国際出し抜き大会」であるとしたら、これは手ごわいぞ、と思う気持ちすら生じたけれど、国際出し抜き大会と呼ばれるべき類のものではなかったらしい事に拍子抜けし、出し抜くアプローチはやはり僕だけであるらしい事に安心もした。
僕の発表については、質問や感想があれば、セッションとセッションの間の休憩時間に、僕がそれに応じる事に成っていたので、僕は休憩時間にも発表会場から出ず発表会場内に待機していた。
結局、僕の発表については、最初の休憩時間にグレゴリー・スノウ博士が「上手に読めていた」と褒めてくれただけで、それ以外は反応無しだった。
今のところ今回のハワイでの学会で紹介した僕の英語版の文法主義コミュニティ(English@
Vintage(2005-2008)@www.GrammaticalPhysics.ac)にもまだ誰も参加していない。
ヒョッとすると海外では反応が違うかもしれない、と思い少し無理してハワイまで行ってみたが、結局国内でと同じか?
国内でと違い発表終了直後に拍手はあったが、この拍手は他の全ての発表者の発表の直後にもあったので、単なる形式的なものだろう。
それに、僕の求めている評価は、その場限りの拍手や口頭での称賛などではなく、今世紀の基礎物理学の研究の中心が僕の文法主義に支配されるようになる事と、そこにおけるおびただしい分量の論文や解説書等ほとんど全てのコンテンツにおいて、僕の発表が、特殊な方法でではなく、顕著な発表が今までそうされて来たのと違わない一般的な方法で、ルーツとして引用される事だ。
数学基礎論に関するヒルベルトの学会発表は百科辞典に記載されているし、それ以外の場でも事あるごとに言及される。
今回の僕の発表は少なくともこれに匹敵する。
つまり、論文ではなく口頭発表だから業績には成らない、という言い逃れは通用しないのだ。
僕の文法主義のサイト(Japanese@
Vintage(2005-2008)@www.GrammaticalPhysics.ac)を見て、「この人、物理学が自分の都合で動くと思ってるよ」と呆れた風を装ったコメントをした人が居たが、そうではなく僕は、「物理学が、文法主義を採用すると宇田の都合に叶うから、という理由で、文法主義を採用しない、と判断する事は許されない」と思ってるだけだ。
呆れた風を装ったのではなく本当に呆れたなんてほどにその人が愚かだとは思いたくないが。
僕の文法主義については、反応を求めるに急ぎ過ぎるべきではないのは、僕も良く知っている。
文法主義を本格的に実践するのは、現在現役で活躍している研究者の次の世代の研究者だろうからだ。
現在現役で活躍している研究者に、やりかけている研究を放棄してまで文法主義をやれ、とは言えないし、既存文法の範囲内でやっておくべき事もまだたくさん残っていると思う。
文法主義が主流と成った後も、既存文法の範囲内での研究は、中心でなくなるだけであって、それが断絶してしまうべきだと僕が思っているわけでもない。
それにしても、皆で申し合わせて無反応で通せばそれで済む、という甘えた考えが学界に蔓延している気配は十分に感じる。
おっと、報告記事でなくなりそうだ。
僕が読み上げ文の最後の部分(「黙殺はするなよ」と釘を刺す部分)の朗読に差し掛かった時に、モリタ・ヨウヘイ博士がグレゴリー・スノウ博士の方に歩いて行った様に僕は記憶しているが、僕の勘違いか?
僕の発表のこの部分は、捉え方次第では失礼とも捉えられる可能性のある(主旨を損なわない範囲内で失礼だと批判出来ないように文章を工夫しておいたが)少しキツイ部分なので、モリタ・ヨウヘイ博士はその部分について寛大に振舞うよう要請してくれていたのかもしれない。
しかし、その必要は無かった。
グレゴリー・スノウ博士は事前に僕の読み上げ原稿の全文に目を通していたはずだからだ。
僕は、発表の何日も前に、自分の読み上げ原稿の全文を、インターネットでグレゴリー・スノウ博士が閲覧できる場所に、アップロードしていた。
僕は、自分の発表が終わった後、最初の休憩の間に座る席を変えて、最後部右側の出入口に一番近い席の左隣に座り続けた。
他の発表者に僕が質問したとき、その僕の質問への答えがスクリーンに表示されるようにパソコンを操作してくださるなど、グレゴリー・スノウ博士は奉仕的だった。
グレゴリー・スノウ博士以外の先生方も、僕がウェブ・アドレスを間違ってメモしているのを見付けてそれを直してくださるなど、親切だった。
その人は、確か、会議開始前に、僕に「どこに所属していますか?」「どの大学を卒業しましたか?」と質問した人だったと思う。
その質問に対して僕は「どこにも所属していません。
個人での参加です」「東京理科大学を卒業しました」と答えた。
クォークネットの発表者の仲間が僕の右隣に座って、クォークネットの名刺風の郵便はがきを余分に(その結果発表者から給付されたもと合わせて3枚僕は持っている)僕にくれた。
「あなたは先生ですか?」と英語で尋ねられたのはその時だった。
僕が「はい」と答えると、その人は、「では、余計なカードは同僚にあげてください」と僕に言った。
僕には同僚は居ないので、次回の国内での学会で、誰かにそれをプレゼントしようと、僕は思っている。
僕は、トイレに行くために、最後のセッションが終わる前に、席を立って発表会場から退出したが、その時に僕の左隣にはノーベル賞学者の小柴博士の部下の人が座っていたのを、僕は今も印象深く覚えている。

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会場で私は、以下の文章を、読み上げました。

 Hello. How do you do? I am Yuuichi Uda.
 My presentation is the proposal of a new research methodology
                                                which I named grammatical physics.
 It can also be thought of as a proposal of a new research area.
 I think that the grammatical physics
                 should become the paradigm of the fundamental physics
                                                             in the 21st century.
 The grammatical physics is theoretical physics in a broad sense
 but if we think of theoretical physics in a narrow sense,
       the grammatical physics
       is the new physics
          which comes after experimental physics and theoretical physics.
 I prepared this community site ‘www.GrammaticalPhysics.ac' beforehand.
 I hope that every person interested in grammatical physics
                 will participate in this community.

 My presentation consists of four parts.
 The 1st part is the general explanation.
 In each part from the second part to the 4th part, I propose a concrete example.
 At the 4th part,
 I propose a new frame in place of existing frame of the quantum field theory.

 Now I start the first part.

 First, what is the grammar?
 For example, for the yesterday's diary,
 it is ordinary language such as Japanese or English used to write it.
 Ordinarily,
 it is thought that the fact described by the yesterday's diary
                          is represented by which sentence permitted by the grammar
                                                   should be chosen
 and it never is thought that the fact is represented by the grammar,
 but in fact,
 the fact described by the yesterday's diary
 also has the feature that it is describable in Japanese or English.
 This means that it may be describable neither in Japanese nor in English
                        if the fact was not so,
 and here is a room for occurring of necessity to invent new grammars.
 The grammatical physics
 is such a methodology to develop physics
     as we use invention of a new grammar
                                    which fits the real situation better
              as a driving force
         after supposing actively that existing grammar doesn't fit real situations
                                                                                   completely.

 Well, what is the grammar in the physics?
 It is a coordinate system.
 But, I use the word ‘coordinate system' in a little broader meaning
                                                                     than the ordinary meaning.
 The coordinate system which I say
 is a general mapping
    which maps a mathematical notion to a physical notion.
 Specifically, as the coordinate system of a physical theory,
 I think of a mapping which maps a mathematical notion
                                     to a history of the physical system.

 For example, a physical unit is a coordinate system in my broad meaning.
 It is because the unit of length cm
                    can be thought of
                          as the mapping
                               which maps each real number  x to a length x centimeters
                    and the unit of time s
                          can be thought of
                                as the mapping
                                     which maps each real number  t
                                               to the time  t seconds.


 By using the units cm and s,
 I define the Cartesian coordinate system D and the time coordinate system ‘clock'
       as shown in these figures.
 D is the mapping
       which maps each real row vector (x,y,z)
                  to a spatial point whose Cartesian coordinate is (x,y,z),
 and ‘clock
         is the mapping
            which maps each real number t
                        to the time later by t seconds than the arbitrarily given original time.
 Therefore, Both D and clock are coordinate systems in my broad meaning.

 As the coordinate systems of the physical theories,
 I can mention the coordinate system of the classical mechanics for a particle
                     and the coordinate system of the quantum mechanics for it.

 The coordinate system Mc of the classical mechanics for a particle
    is defined as the mapping which maps each function χ from R to R^3
                         to a history Mc(χ) of the position of the particle
  where Mc(χ) is the following proposition.
 “For any real number t, the position of the particle is D(χ(t)) at the time clock(t).”

 The coordinate system Mq of the quantum mechanics for a particle
    is the mapping which maps each function Ψ from R^4 to C
                    to a history Mq(Ψ) of the quantum state of the particle
  where Mq(Ψ) is the following proposition.
 “For any real number t,
   the quantum state of the particle is state(Ψ(□,t)) at the time clock(t).”
 Please notice that in this statement
                          Ψ(□,t) is a mapping of R^3 to C
                                     and is defined by this equation [Ψ(□,t)](x,y,z)=Ψ(x,y,z,t)
                           and ‘state’ is a mapping which maps each function from R^3 to C
                                                                        to a quantum state
                                            and is a coordinate system in my broad meaning.

 The core of the development of physics
                   to quantum mechanics from classical mechanics
 is that the coordinate system was changed into Mq from Mc.
 That is to say, it is the development of the grammar.
 Therefore,
 the grammatical physics at present
 is specifically the work
                    that after inventing more powerful coordinate system,
                           one builds up further development of physics on it .

 However, that is not all of the grammatical physics.
 The grammatical physics contains all interests about the features of the nature
                                                                          at grammar level.
 The more difficult and higher-grade problem of the grammatical physics
 is to invent more powerful new set of notions
                 that should take the place of the set of the notions:
                                                         history, coordinate system and equation.
 To expose the essential weak point
                of the set of notions (history, coordinate system and equation)
     without depending on those specific choices
 is also a problem of the grammatical physics.
 In comparison with these problems,
 invention of new coordinate systems is no more than an inferior problem,
                                                                         mere model  choice.

 So much for the 1st part.


 Now I start the second part.

 In this second part, as an example of practicing the grammatical physics,
 I propose a new coordinate system
               in place of the coordinate system of the quantum mechanics for a particle
 This is equivalent to changing a quantization prescription fundamentally.
 The main purpose of the proposal of this coordinate system
    is to explain the methodology of grammatical physics
 and I am not the person
                    who claims that this new coordinate system
                                           definitely fits real situations better,
 but I believe that this new coordinate system is physically interesting
                   and that some theory constructed on it may succeed.
 Well, the coordinate system is Mnew which is described below.

 Mnew is the mapping
             which maps each functional Φ from {χ:R→R^3} to C
                         to a quantum history Mnew(Φ)
 and so it is a coordinate system in my broad meaning,
 where Mnew must have the following relationship with Mq.
 “If Ψ(x,y,z,t)=expψ(x,y,z,t) and Φ[χ]=exp[α∫dtψ(χ(t),t)], then Mnew(Φ)=Mq(Ψ).
   Therefore the range of Mnew includes the range of Mq as a subset.”

 The physical implication of Mnew is the entanglement of a quantum history.
 The entanglement is a well-known concept for a quantum state.
 For example, as for a physical system with n degrees of freedom,
 a quantum state is generally represented by a mapping (the wave function)
                                                              from R^n to C.
 Especially when this wave function Ψ can be factorized to this form,
 the quantum state is called a disentangled quantum state.
                              n
 Ψ( x1 , ・・・ , xn ) Π ψi(xi)
                              i=1
 Because a wave function can not be factorized to this form generally,
 a general quantum state is entangled.
 When we replace the name i of a degree of freedom with the name t of a time
                    in the above discussion,
 R^n is replaced with {χ:R→R},
 Ψ is replaced with Φ,
 ( x1 , ・・・ , xn ) is replaced with χ,
 ψi is replaced with φ(□,t)
 and xi is replaced with χ(t).
 Therefore, as for the system with one degree of freedom,
 the quantum history in the meaning of the existing quantum mechanics
 is the special disentangled quantum history
      in the meaning of the new grammar,
 and the new grammar implies that a general quantum history is entangled one.
 But, I replaced this infinite product with ‘exp[α∫dt
       because I felt that this infinite product didn't seem real,
 and α is a very large new physical constant.

 So much for the second part.


 Now I start the third part.

 As the new grammar version of the equation
                                            which represents the physical law,
 the equation for Φ which reduces to the ordinary Schrodinger equation for Ψ
                                           in this special case, Mnew(Φ)=Mq(Ψ),
 is the most hopeful.
 Here I propose an equation corresponding to Mnew
                 as a trial production,
 but it is not verified yet that this equation satisfies the above condition.
 Please notice that the number of degrees of freedom is not three but one here.
 χ(□-ε) is a function

 χ(□-ε) is a function from R to R
            and is defined by [χ(□-ε)](t)=χ(t-ε).
 Please notice that a function is not the value of the function
                                            but a mapping.

 δ/δχ(t) is the functional derivative.


 This is the scenario of constructing a new theory in the grammatical way.
 That is to say,
 first we propose a new coordinate system Mnew
                        whose range includes the range of the old coordinate system Mold
                                                 as a subset,
 and then we seek the equation for Φ
                          which reduces to the old theory's equation for Ψ
                                          in this special case, Mnew(Φ)=Mold(Ψ),
 and we adopt it as the equation of the new theory.

 However, even when such an equation doesn't exist,
 it does not mean immediately that the new grammar has failed,
 and we can hope that we find an appropriate equation
                                         which is as near to that as possible
 Actually, in case of the transition from classical mechanics
                                                to existing quantum  mechanics,
 the Schrodinger equation doesn't have more desirable features
                                                      than the Ehrenfest  theorem.
 This is not a fault of the Schrodinger equation
           but a fault of the condition proposed above by me.

 So much for the third part.


 Now I start the fourth part.

 In this fourth part, I explain that the idea of the new grammar
                                                             shown in the second part
                                              is not restricted to quantum mechanics
                                                  but applicable to general quantum theories.
 For that purpose,
 I explain how the new quantum grammar for a real scalar field
                    is
                    when we apply the idea shown in the second part.

 The trial production of the new grammar and the new equation for a real scalar field
 can be accomplished in quite the same way
                                         as one for the system
                                                        with one degree of freedom.
 From the relativistic standpoint,
 It is plausible that the domain of definition of a coordinate of a history is {φ:R^4 → R }.
 It is also plausible that ∫d^4 x and δ/δφ(x) are four-dimensions-like.
 φ(□,□,□,□-ε) is a mapping

 φ(□,□,□,□-ε) is a mapping from R^4 to R
                       and is defined by [φ(□,□,□,□-ε) ](x,y,z,t)=φ(x,y,z,t-ε).

 By expanding Φ into a power series,
 it follows that a coordinate Φ of a history by the new grammar
                    is equivalent to a mapping
                                         from {0}∪R^4∪R^4×R^4∪R^4×R^4×R^4∪・・・
                                         to C.
 Therefore we can think that a quantum history in terms of the new grammar
                                        is a classical field on the spacetime
                                                                     the set of whose coordinates is
                    {0} ∪ R^4 ∪ R^4×R^4 ∪ R^4×R^4×R^4 ∪ ・・・.
 I named the spacetime in this meaning the power series spacetime.
 We can expect that it is possible
                            to make the quantum theory of the gravitational field
                                   by imitating the way of construction
                                                                   of the classical general relativity
                                   by introducing some structure such as phase
                                                  in the power series spacetime.
 To take the existence of Fermi field into account,
 we have only to use the Grassmann variable technique.

 So much for the fourth part.

 Please let me add a few more comments.
 I know that all scholars who have much influence
                                        on the tide of the physics in the world
                 always must make influence of what they heard
                                    on the tide of the physics in the world
                 when they have heard some important thing.
 I also know that all persons who can contact such scholars
                       must let such scholars know what they heard
                       when they should do so.
 What the persons who have heard my presentation should do
 depend only on how important they feel my presentation,
 and there is no room for their free will.
 There are people who say that my new grammar is not worth regarding
                                           because it is not necessary.
 However,
 neither the Dirac's monopole hypothesis nor the Einstein's unification conception
 is necessary
 and these were esteemed since before they yielded significant results.
 In the science, any proposal must not be evaluated by who stated it
                                               but be evaluated by its content.
 Please feel honestly how the content of my presentation is.

 Thank you for listening to me.
 Please don't hesitate to contact me during the breaks between the sessions.

最終編集2016年01月08日