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このページの内容は下書きです。

ステレオタイプな認識の一つに、文系か理系か、というものがある。
高校生などは大学進学をひかえて文系の学部に進むべきか理系の学部に進むべきか真剣に悩む。
おそらく、ほとんどの高校生は既存の2分法「文系か理系か?」に疑問を持つことなく、自分がどちらに向いているのか、あるいは自分がどちらを好むのか、を見定めて、志望学部・学科を決定する。
僕がまだ学生だった頃、年上のある友人なんかは、大学を卒業した後なのに、事ある毎に僕に対して「君は理系だから」という言葉を口にし、文系の自分とは違う、という考えにこだわっていた。
しかし、良く考えてみると学的であるためには必然的に科学的でなくてはならず、学問は全て科学であり、したがって理系である、と考えねばならぬのではないか、という事に気付く。
ここに至って、文系・理系2分法が伝統の轍である事を認識するに至るのだ。
事実、僕の親族には国語教師が居て、彼は生徒に、国語で得点するための科学的方法、なるものを指導しているらしい。
では、理系でないものはあるのか?
ある。
それは学問ではないものはあるのか?という問いに等しいからだ。
芸術は学問ではない。
体育も非学問と言える。
そこで僕は、従来型の文系・理系2分法を捨てて、学問・芸術・体育3分法を提案する。
もちろん、3つのうちの1つが優れている者はみな他の2つが劣っている、とは限らない。
一事が万事、という言葉すら有る位だ。
人間社会では3つの間に評価の高下差がある。
学問・芸術は体育よりも高く評価され、学問は芸術よりも高く評価される。
学問の中でも分野ごとに細かく栄誉の度合いが決まっているのが現実だし、当然そうあって然るべきだと僕は思う。
学校というものは、往々にして、この厳然たる栄誉の差を生徒の目から隠す。
したがって生徒は、勉強がいくら出来ても、分野ごとの栄誉の序列を見透かす力が無ければ、将来世の中の道具に成り果てて終わる。
答えを言うと、哲学が最高だ。
しかし注意しなくてはいけないのは、一般に哲学と呼ばれている学習コースは、哲学の中心問題の研究への足場としては甚だ欠ける所が大きい、という事だ。
総合学である哲学に長ける為には、個別科学である物理学から、基礎概念に対する常識への修正の成功例と完全な理論体系への志向性の模範を学び取っておく事の方が、哲学の普通の学習コースを通る事よりも先であろう。
かくして、僕が、まず先に物理学を、という態度で今まで勉強して来た事が、決して僕の近視眼的な偏屈な人間性を表わすものではない事がお分かり頂けると思うのである。