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このページの内容は下書きです。

いきなりですが「上司」と「部下」という言葉、あれは一体何ですか?
差別の直接的表現じゃあありませんか。
上司は部下よりも「上」なのですか?
部下は上司よりも「下」なのですか?
そんなことがあってはいけません。
もちろん、如何なる価値観を持つかは個人の自由ですから、上司が部下よりも自分の方が上だと思って自己満足し、そう思う旨を同僚や部下や自分よりもさらに上の上司や自分の妻に言葉や音楽や絵画で表現しても、一向に構いません。
表現の自由というものも日本国憲法で認められていますから。
しかし上司は、部下にも同じ権利がある事を否定してはいけません。
部下も如何なる価値観を持つかにおいて自由であり、その価値観に照らして自分の上司よりも自分の方が上だと思うこと、のみならず世界で自分が一番偉いと思うことすら、部下には許されているのです。
それを言葉や音楽や絵画で表現するのもその人の自由です。
可能性としては、部下が自分の職業を蔑視しており学問や芸術こそ最高だという価値観を持っており、上司よりも学問や芸術において秀でていれば、自分よりも上司の方が自分の職業に関する識見やスキルが上だと判断していても、部下は上司を見下すでしょう。
その部下の気持ちを言葉で表現するなら「上司の自分より優れている点については、そんなもので勝っても何の自慢にも成らぬわ」ぐらいになるでしょう。
では、会社内における上下関係とは一体何でしょうか?
私は2通りの解釈が可能だと思っています。
1つは売買関係であり、もう一つは役割分担関係です。
売買関係については、被雇用者が労働力や自分の時間を売って雇用者がそれを買い取るという関係です。
上司が部下を使用する事は、上司が雇用者の代理人として部下を使用することであり、雇用者が間接的に被雇用者の労働力や時間的余裕を買い取っている事に当たります。
一方、役割分担関係の方はと言えば、上司は指揮命令の役割を分担しているのに対して部下は命令に従う役割を分担している、とこう考えるわけです。
会社内の上下関係については以上の2つを両立させて解釈するのが正しい見方と言えるでしょう。
このような見解をある友人に話したら、宇田君の考え方は学校のテストの答案としては満点だが、実社会においてはそれを認めたくない連中がたくさん居て、そういう連中が幅をきかせているのが現状だ、と言われた。
全くその通りなのだがここでは、本来はどうあるべきか?何が正義か?という問題を考えることにしよう。

まず、売買関係の観点から「上司は部下の恩人か?」という問題を考えてみることにします。
理解力の不十分な人によって形成されている一般常識では、答えは「YES」だとされる様だ。
その根拠は、右も左も分からない新入社員だった部下に仕事のノウハウを上司が教えてやり、そのおかげで部下は一人前のプロに成る事が出来ること、に置かれる。
すなわち上司は部下に対して「教えてやった」という恩を施したと考えるわけである。
これに対して僕は機械装置のレンタル・サーヴィスの喩えをもって反論します。
コンピューター制御の機械装置があるとします。
ただし、顧客のニーズの多様性に答えるために、記憶装置には如何なるプログラムもデータも予め入力されてはいないものとします。
この機械装置をある会社にレンタルするとします。
その見返りとしていくらかの金銭的報酬をレンタル料金という名目で受け取るものとします。
この行為には何らいかがわしい点はありませんね。
1つ注意して頂きたいのは、レンタルすることで「レンタル期間中は持ち主がその機械を使えなくなる」という不利益への補償がレンタル料金には含まれている、ということです。
さて、その機械を借りた会社はまず何をするでしょうか?
まず、自分達の用途に合わせた動きをその機械装置がするようにプログラムやデータの入力を行なうはずです。
ここで注意すべき点は今度は、「プログラムやデータの入力」という行為もその機械の「使用」であるという点です。
ここが一番肝心な点です。
機械を借りた会社はプログラムやデータの入力が終了したらそれを生産ラインなどに投入して所定の期間使用し、持ち主に返却します。
機械は使用されたことによっていくらか「摩滅」していることでしょう。
これに対する補償もレンタル料金に含まれています。
以上が喩え話なのですが、何に対する喩え話なのかを説明するために、雇用・被雇用の関係に話を戻します。
雇用されて働くという事は、自分の一部を雇用者にレンタルすることです。
上司が部下に仕事のノウハウを「教える事」は、借りた機械に「プログラムやデータを入力する行為」に喩えられます。
したがって、上で注意したように上司が部下に仕事のノウハウを「教えること」は雇用者による被雇用者の「使用」です。
被雇用者は仕事のノウハウを「教えられる事」によって「恩」を受けたのではなく「使用」されたのです。
ここが一番肝心な点です。
「社員を教育する」などという傲慢な言い方はもっての外だ。
被雇用者の価値観如何によっては、自分が蔑視している、知りたくもない出来る様に成りたくもない仕事、についてのノウハウを、金銭を得るために仕方なく、自分の脳に入力することを許しているわけです。
被雇用者としては、俺の脳はそんな低級な事に使うためにあるんじゃあない、と感じるかもしれません。
これでまず「上司は部下に仕事を教えてやったから上司は部下の恩人だ」という意見に反論できました。
最も肝心な点はこれですが、もっと自明な点を言うと、雇用者が被雇用者に出勤させる場合、雇用者が被雇用者に如何なる作業をも命じなくても、被雇用者は「出勤中は自分のやりたいことが出来ない」という不利益を被る事が指摘できます。
これは「レンタル中には機械を持ち主が使用できない」という不利益に相当します。
また、「仕事の疲れが残ってて」休日を有意義に過ごせないという不利益も被雇用者には生じます。
これは機械のレンタル使用による「摩滅」に相当します。
こちらの方は見過ごされがちかもしれません。
結局このように、売買関係の観点から見ると、その人の価値観如何によっては被雇用者はあらゆる点において損害を被り、その代償として給料を受け取ると考えるのが正しいのです。

次は、役割分担関係から捉えた会社内の人間関係について論じてみましょうか。
まずチョッとしたことですが、日本人は会社の最高責任者をしばしば「トップ」と呼びます。
しかし英語では「トップ」ではなく「ヘッド」です。
このことから、日本人が会社内の人間関係について役割分担的理解をしていない事が分かります。
「トップ」という認識は「一番上」という認識です。
一方「ヘッド」という認識は「頭脳の役割を担っている」という認識です。
さて、もっと重要な問題を論じましょう。
常識では「上司は部下よりも重い責任を担っているから部下よりも偉いんだ」とされます。
私はこれにケチを付けます。
不正事件が発覚したときに会社の人々はどういう態度を取るか?
テレビなどを見てみると「現場労働者の独断によるものだ。上からの指示ではない」まずはこういう態度を取ります。
それから時間と共に真相が明らかとなり最後は「会社ぐるみだった」と成るわけです。
重い責任を担わされている人は責任を回避しようとします。
部下に不正行為を命じる際には、発覚しても部下を切り捨てれば自分だけは安全に脱出できるように、自分が命令したのだという痕跡を残さぬように気を付けます。
また会社が厳しい競争にさらされると、要求される仕事の厳しさは上から下へと繰り下げられて行きます。
で結局、苦しむのは最下層の現場労働者になってしまうのです。
これでも「上司は部下よりも重い責任を担っている」と言えるのでしょうか?
甚だ疑問です。

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