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このページの内容は下書きです。 自由は法の目的である。 私は自由をもって幸福の基準となす。 法は幸福追求の高等な手段であって、社会の最低限度を保障するためだけの底面ではない。 自由を考えるに当たっては形式的自由の概念と実質的自由の概念をまず説明しておく必要がある。 形式的自由とは法による禁止条項の少なさのことである。 それに対して実質的自由は少し難しい。 実質的自由を説明するためには形式的自由を引き合いに出して説明するのが良かろう。 形式的自由が最大の状態は法によって如何なる行為も禁止されていない状態だ。 この状態では暴力団や高利貸しなどが野放しにされて世の中は弱肉強食の動物的なものになる。 このような世の中では弱いものは支配されて奴隷状態に陥り「自由」を奪われる。 この時に奪われた自由が実質的自由である。 形式的自由を最大にすると実質的自由が最大にならない。 実質的自由を最大にするためには形式的自由を抑圧する必要がある。 ここに法の必要性が生じるのである。 法の目的は実質的自由を最大にする事にある。 近年盛んに叫ばれる規制緩和、自由化、これらは形式的自由を増加させることであり、自由の理念には誰も逆らえない事を盾にとって声高に叫ばれている。 しかしこれは国民が実質的自由と形式的自由の分別を持っていない所を突いた騙しであり、規制緩和、自由化、によって国民の実質的自由は明らかに侵害されて行くであろう。 これらは真の自由化ではない。 2003年01月現在、北朝鮮は悲惨な状態らしい事がテレビで放送されている。 キム総書記を「将軍様」と呼んで神のようにあがめ(る事が強いられ)、大集会では大衆が声を揃えて「将軍様の軍事優先の方針に従って頑張るぞ、エイエイオー!」と気勢をあげている。 一方、密告制度によりキムに批判的な言葉を少しでも口にしたら政治犯収容所に入れられ、なぶられたあげくに死んで行く羽目になる。 さて、これは形式的自由が著しく抑圧されている状態であり、日本の報道機関は視聴者が北朝鮮の現状に義憤や異常さを感じる事を期待しつつ報道を行なっている。 「エイエイオー」は異常・奇異であり政治犯収容所で為されている事は正義に反する悪行であり義憤の対象となる。 このように形式的自由を著しく抑圧すると悪しき社会が現出する。 さてそれでは北朝鮮の悪さを見せつけた後で、だから自由が大切なんだ、と主張して、形式的自由と実質的自由の分別を持たぬ愚衆に、形式的自由を増大させよう、規制緩和だ自由化だ、と説き実際に形式的自由化を推進したならばどうなるか? 答えは「企業が北朝鮮になる」だ。 社長がキムであり、上司の命令には絶対服従、会社の上層部に批判的な意見を少しでも述べたら、待遇を著しく悪化させ自主退職に追い込む、営業マンは営業所で声を揃えて「営業成績を上げるぞ、エイエイオー」と気勢をあげる。 実状は北朝鮮なのにマスコミはこの営業マンたちの姿を美化して放送する。 自由競争社会の厳しさとそれに正面から立ち向かう企業戦士の勇姿を視聴者がそこに見出すように仕向ける。 その手に乗るな。 企業戦士が実質的自由を奪われている事に目を向けよ。 「エイエイオー」は日本社会においてもやはり異常であり、不満分子への社会的制裁は日本社会においてもやはり悪なのである。 僕の友達は食品製造工場で労働中に操作ミスをしたら後ろから足で蹴りとばされてたそうだ。 僕にも半導体関連の工場での労働経験がある。 そこで僕は「上司の命令は絶対であること」および「事実の真偽判定は部下によるものよりも上司によるものが優先されること」などを警告されたあげく、上層部に対する僕の批判的発言を聞いた年長のある社員は「これでお前はもうおしまいだな」と言った。 その社員は若手に作業をやらせて自分は作業時間中にスポーツ新聞を広げて居眠りをしていた。 それなのにその社員にはお咎め無しだ。 上司の部下に対する優越性は何によって正当化されるか? 会社の競争力の強化の必要性によって正当化される。 自由競争社会で会社が存続するためには会社内での上下関係の強化によって会社の競争力の強化を図る必要がある、一応これが雇用者側の言い分だ。 その通りだとすると規制緩和や自由化といった形式的自由の増加は「職場が北朝鮮になる」という実質的自由への抑圧をもたらすと結論される。 ここで「一応」という言葉を使ったのは雇用者側の人間が「私的な自尊心の保護」を目的として「会社の競争力の強化の必要性」を口実にしているきらいがあるからだ。それが現実であるにしても単なる口実に過ぎないにしても形式的自由への抑圧が必要だ。 良識のある人は「ルールのある競争」といった意味の言葉を使う。 社内における人間平等の原理に反する制度・行為によって強い競争力を得ることは、不正な手段を用いて競争力を強化することであって、自由競争の前提となるルールに違反すると考えなければならない、というか、その様なルールを設けて形式的自由を抑圧する必要があるのだ。 |
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