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2024年11月29日(金曜日) | ||||||||||
死刑には、どういう人をするのか | ||||||||||
とりあえずページ設置のみ。 5人以上殺したら死刑、とか聞いた事が有る。 どんぶり勘定だと思う。 死刑というのは、どうしても死刑にする必要が有る場合だけ実行するのでなければいけない、という意見には誰でも同意するだろう。 では、5人以上殺したら何故、どうしても死刑にしなければいけないのか? キチンとした説明は存在しないと思う。 世の中にはどんな種類の人間が居るのかを知らない、そういう無知が「5人以上殺したら死刑」という明解でない基準を生んでいるだろう。 本来は、カラー・チャートの様に全体を見渡した上で、どういう人を死刑にするかの基準を決めなくてはいけないはずだ。 おそらく、「5人以上殺したら死刑」という基準を置いた人々は、本当に死刑にするしかない人というものを見た事が無いのだと思う。 見た事が無いから、世の中にそんな人が実際に居るなんて、想像すら出来なかったのだろう。 例えば、「弱きを助け強きを挫く」という言葉が有るが、この言葉はおかしくありませんか。 おかしいんですよ。 誰であれ、強いからという理由だけで挫かれたらたまったものではありません。 強いという理由だけで挫いてもよいというのなら、挫いた事の罪を裁判で問われた時に弁護側は「被害者が強いからです」と主張すれば、「なら話は別です」「無罪」という判決が出るはずですが、そんな馬鹿な事は有りません。 また、挫いたなら挫いた人の方がホントは強かった、という事だから、「強きを挫く」は語義矛盾です。 正しきを助け間違った行ないをくじくのが正しいのであって、弱くても悪を助けちゃいけないし、強くても正しい人を挫いちゃいけないのは明白です。 さて、そんな間違った「弱きを助け強きを挫く」をモットーにして絶対無反省な人が居ます。 死刑にされなければいけないのは、そういう人です。 そういう人は、犯行に失敗しても、「いけなあ、またこんな風に成ってしまったよ、また最初からやり直しだ」という風にしか考えません。 つまり、振り出しに戻るのです。 死刑にしなければ、また最初からやり直す、今度は失敗しない様にと。 これが絶対無反省なのです。 こういう人のモットーを色々と思い出しては列挙しておくのが良いと思う。 とりあえずひとつ思い出した。 「殺されさえしなければ殺す事が出来る」こういう風に考えてるんだと思う。 ・ 殺されさえしなければ殺す事が出来る ・ 言葉は、本当の事を言ってるかどうかではなく、言われた人が受け入れるかどうかが問題である。 ・ 正しい意見が賛成されても意味が無い、間違った意見に賛成させてこそ意味が有る、ガキの使いじゃねえんだから。。 ・ 馬鹿にさせない事は馬鹿にする事である。(馬鹿にさせないなんて馬鹿にしている) ・ 何でも逆さまに言えば、矛盾も出ないし、言い返されない。 ・ 膠原病は1日にして成らず、「今日はこのぐらいにしといてやらあ」の精神が肝心である。 記入 |
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最終編集2024年12月12日 | ||||||||||
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