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< 日記 > | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
< 2022年08月 > | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
< 17日 > | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2022年08月17日(水曜日) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2022年07月30日放送分の朝まで生テレビの感想 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
例えば以下の部分について。
前提として、護憲体制を作ったのは吉田茂なのか否かという史実の問題と、護憲体制を作った事は正しい選択だったのかという業績評価の問題の2つが有ります。 このうちの、護憲体制を作ったのは吉田茂なのか否かという史実の問題について、田原総一朗は、護憲体制を作ったのは吉田ではなく池田だ、という意見を言おうとしているようです。 岩田温が、この意見を最後まで聞かずに「インチキだから言うな」と批判している。 その批判に対して田原総一朗が「違う!」と言っています。 この様な「違う!」の意味は何でしょうか。 この様な「違う!」の意味は、「私が何を言おうとしているかをあなたは誤解しています」という意味です。 あなたが言った事は間違っています、というのではなくて、あなたが思っている事は間違っています、という意味です。 私が言いたい事はあなたが思ってるのとは違う、という意味です。 つまり「私の発言を最後まで聞いて下さい」というのと同じ意味です。 護憲体制を作ったのは吉田茂だという岩田温の意見を田原総一朗が「違う」と言ってるわけではありません。 岩田温は三浦瑠麗から次の様にも言われている 2:13:02頃と2:13:16頃に「そじゃなくて」 2:13:18頃「違うんです」、 2:13:50頃「いや、違うんです」 2:13:58頃「違う」 これらも田原総一朗が岩田温に言った「違う」と同じ「違う」です。 つまり、これは、岩田温さんの欠点を意味しています。 その事は岩田温の2:14:06「それはある。それはその通り」という発言で裏付けられています。 0:21:31「何が違う?」や0:21:33「何が違うか言ってくれよ」や0:21:36「卑怯じゃないか!」は、「違う」の意味を岩田温が分かってない事、自分がした発言の内容を「違う」と言われたと岩田温が思ってるらしい事を表しています。 勘ぐると、岩田温が刺客として人聞きが悪い工作をしに来た様にも見える。 田原総一朗の発言のうちの、米国批判部分が当たっているのではないか。 この回の朝まで生テレビの内容には、誤解を受けやすい部分が多く、それが田原総一朗にとって非常に不利に働く危険が大きい、と思ったので、このページを書く事にしました。 0:20:22「今のは全くインチキなんだよね」と0:20:27「インチキじゃないよ」についても、0:19:07や0:19:11で岩田温が自ら認めているインチキの事を田原総一朗は言っているだろう。 つまり、田原総一朗は、史実の認定としてではなく業績評価として「インチキ」と言ったのだろう。 それなのに岩田温は、護憲体制を作ったのは吉田茂だ、という自分の意見をインチキだと言われたと思ってしまったようだ。 田原総一朗は、護憲体制を作ったのは吉田茂だ、という説をインチキだという意味で言ったかもしれないが、それでも、岩田温が発言でインチキを弄したと言ったわけではなく、岩田温が聞かされて信じている説をインチキだと言ったに過ぎないのだから、それに対する0:20:27「インチキじゃないよ」や0:20:30「インチキを言っちゃあいけない」や0:20:37「そうやってね、インチキを言っても、全然通じないよ」という岩田温の反応は、やはり議論の文脈を読み誤っている。 自分が聞かされて信じている説を「インチキだ」と言われたら、相手がどこをインチキだと言ってるのか確認するまでは、インチキだという意見の方がインチキだとは分からないはずだ。 資料が新しく発見されて史実が書き変えられる事だって有るのだから、そこは相手の話をまず聞いてみるのが普通だ。 相対性理論をインチキだと言われた場合に返す言葉でも微妙に違う。 その微妙な違いの分だけ、岩田温の発言がおかしい。 岩田温は、史実認定の問題と業績評価の問題を混同しており、田原総一朗も、史実認定の問題の話に振ったり業績評価の問題の話に振ったりして、そういう混同を防ぐ工夫が足りない。 岩田温の0:21:25「それは、おかしいだろう!」や0:21:27「おかしいだろう!」と田原総一朗の0:21:26「おかしいも何も、それは」や0:21:28『いや、「おかしい」はどうでもいいんだ』」の食い違いは、田原総一朗が史実認識の話をしているのに岩田温は業績評価の話を始めた、という食い違いを表しています。 このページを書く事にしたのは、田原総一朗を心配しての事です。 降板の原因に成ったりするんじゃないかとか。 しかし、今回の朝まで生テレビでは、田原総一朗が長年やって来た悪い方法への正面からの反抗も見られ、その点は岩田温も良い事をしている。 今回は、田原総一朗は、自分が発言を遮られた事によって、今まで自分が他の出演者の発言を遮って来た事の罪の重さを思い知ったはずだ。 発言を遮るというのはやめて欲しいけれど、遮る人が遮らないでいてくれる事を頼みにするのでは心細い。 そこで、発言の冒頭でいきなり発言の要旨を短い言葉で述べる、という対策が有効だと思う。 その話をもっと詳しく聞かせてくれないかなあ、と思われる様な内容なら、全文を発言できる様に成る。 今回の件で言うと、田原総一朗は発言の冒頭でいきなり「吉田じゃなくて池田だ」と言えば良かったんだ。 1:50:53頃岩田温が、外交力が無ければ攻められても仕方ないという考えはけしからん、という意味の発言を始めている。 岩田温が「外交力の弱さが攻められる原因の1つだという事を過度に強調すると、外交力が弱ければ武力侵攻してもいいのかって話に成って来るでしょ?」と発言して田原総一朗から「そんな事言ってない」と言い返されている。 これなんかも、「・・・でしょ?」という風に対話形式にするのを断念して「外交力の弱さが攻められる原因の1つだという事を過度に強調すると、外交力が弱ければ武力侵攻してもいいのかって話に成って来るので・・・」という構文で一方的に言い切った後で反論を待つ、という風にすれば、対話がもつれない。 また、岩田温は「過度に」という言葉を使う代わりに「外交力の弱さが攻められる原因の1つだという事は控えめに言わないと・・・」と言えば良かったんだ。 そうすれば言い返せない。 今回岩田温が田原総一朗の恫喝に対して恫喝返しをした事も、田原総一朗にとって良い薬だと思う。 先例としては、産経新聞の人が同様の恫喝返しをしたのを覚えている。 やはり、語気で相手をひるませるのは、議論のやり方としては邪道だ。 1:05:39頃、三浦瑠麗の長期の話に対する森本敏の顔表情が初見時は傑作だと思った。 1:52:32頃、田原総一朗「なに言ってんだよう」は誤魔化しだと判定します。 2:04:59頃、田原総一朗「理屈はどうでもいい」も誤魔化しだと判定します。 私の事を意思疎通不能、コミュニケション能力が足りない、という人が居るんだけど、そうではない事がこれで良く分かったでしょう。 ホントは、コミュニケーション能力も差が有り過ぎる、と言うのが正しいんだよ。 暑さのせいで十分な作文が出来ません。 頭ボー。 以下は後日追記されました。 田原総一朗に恫喝返しをした産経新聞の人は多分、乾正人さんです。 田原総一朗が語気鋭く「ない!」と言ったのに対して、全く同じ語気鋭い口調で「ある!」と言い返した、見たいな事だった。 つまりねえ、根拠を示さず自分の意見を強くハッキリと言う事は、いけないことではないんだけど、反対意見を同じ口調で言われれば、結論への影響は打ち消されてしまう。 |
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