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2022年04月13日(水曜日)
ウクライナ紛争への私の意見の続き

つづき。

「強く1発殴れば犯罪だが千回に分けて強い1発分の害を与えれば無罪だ」とか、
被害者のコップにしつこく水滴を垂らし続けコップから水を溢れさせ、被害者が怒ると、水滴を1滴垂らしただけに対してそんなに怒るのは異常だ、という難癖を付ける。
例えば、こういうのがサラミスライスの屁理屈だと言えます。
どうですか、この様に言われてしまうと降参ですか?
そんな事は無いですよね。
それなのに「降参だ」「お手上げだ」とみんなが言うから私は「何だ、負けたフリでもしてるのか?」「変態か?」って言うわけです。
まるでチャンバラごっこで大人が子供に「まいったああああ」「うわあ、やられたあああ」と言ってる様な物だ。
犯罪相当の加害を何分割で払っても犯罪だし、最後の1滴に対して怒ったのではなくそれまでの合計に対して怒ったわけです。

サラミスライスの屁理屈の背景には、強い者が勝つのではいけない、というキャッチフレーズで劣人主主義者が表現する劣人主主義思想が有る、と私は見ています。
一切の屁理屈を排除して完全なフェアプレイにするといつも強い者が勝ってしまうんだ、それではいけないんだ、という考えです。
「おお、よしよし、お前にも勝たせてやるからなあ」という、みっともないエコヒイキです。
バイデン政権やそれが属する民主党の「多様性を増大させよう」というポリシーは、これに他ならないと思うんだよね。
いつもいつも向いてる人が向いてる仕事、どの仕事はどんなタイプの人という風に決まり切っているのは嫌だというのが、多様性を増大させようという態度の動機でしょ。
私は、そういうのが大嫌いなんだよ、仕事を舐めとるんか。
昨日のページに書いた早川貞一は私に「世の中を完全なフェアプレイにすると1番に成った人だけが幸せで、残りの全ての人は意気消沈する世の中に成ってしまう」と言いました。
はい、そうです、その通りです、それが正義なんです。
水戸黄門というテレビドラマの仇討ちのシーンで、水戸黄門の一行が勝負に不正な介入をしているらしいのが有りました。
江戸時代のルールでそれが不正とされたのか否かは知りませんが、相手の悪に報いるにも勝負をもってしなければいけない、武が強い相手も悪いとされれば無抵抗のうちに殺されるのが義務だとしたのでは武が弱くてズルい者ばかりが冤罪してのさばり、それでは武士の武力が全体として弱く成ってしまう、それは武士の価値観に反する、と言うなら、それはそれで現代の司法制度より気が利いている面が有る、一理有る、と私は思うのだが。
そりゃ、フェアプレイというものは、誰がどれだけ強いかを測定する測定器だと言えますから、フェアプレイにすると当然いつも強い者が勝ちますが、フェアプレイにするか否かルールを左右する事が出来る人が居れば、そっちの方が強いのであって、フェアプレイで勝てる人に「強い」という言葉が果たしてふさわしいでしょうか。
フェアプレイで勝てる人は「優れている」のであって「強い」のとは違う、という方が言葉使いが正しいでしょう。
つまり、「我々は弱者である」「フェアプレイでは強い者が勝つ、それではいけないから弱い者が勝つ様に狙って世の中のルールを決めるぞ」という主張の正体は「我々は劣った人である」「フェアプレイでは優れた者が勝つ、それでは不快だから劣った者が勝つ様に狙って世の中のルールを決めるぞ」「自分達は劣っているのに強いから自分達が勝つ様に狙って決めたルールで勝っているだけだという事実を認めるのも知られるのも不快だから」「自分達を劣っているではなく弱いと言う等の屁理屈で自分も他人も誤魔化す」という事なんです。
誰が勝つからルールをどうする、という言い分が、そもそも屁理屈であり、それは単純に犯罪の動機でしかない。
私が子供の頃「強い者が勝つんじゃなくて、勝った者が強いんだ」と発言したら、それを聞いた人が私の発言をまるで一休さんのトンチでも聞いたかの様に面白がっているフリをしたのは、当時の私にとっては不可解だったが、この様な基本中の基本からテンでトンチンカン化された屁理屈で防衛機制を図っている劣人主主義者の反応だったと考えれば良く理解できるのである。
ついでの話だが、面白がるフリをするというのも、
07日@2022年01月@日記の「Dについて」の所に書かれている「無茶苦茶じゃないか」と同種の下賎の手口です。
山本幹夫という私の友人が途中から、この「面白がるフリ」をする様に成った。

優生保護法に基づく強制不妊はとてもいけない事だった、という反省が今なされ始めている。
優生保護法に基づく強制不妊はとてもいけない事だ、と私も思う。
そんな事を本当にして来たなんて信じられないに近いぐらいの悪事だと思う。
また、改められるのが遅過ぎる。
けれど、今までなら生まれる事が出来なかったであろう様な人は、これからはこの世に生まれて来る事に成るが、劣人主主義の犯罪に手を染めない様に気をつけて欲しい。
普通に劣った人ですら劣人主主義の犯罪に走ってしまうのだから、今までなら優生保護法のせいで生まれる事が出来なかったであろう様な人が生まれて来てそう成らない事は、大変難しい事なのではないか。
もちろん生まれて来る権利は有るが、劣った人が優れた人の様に生きる権利までは無い。
(生まれて来る権利すら無いと言って来た人々がこの私の意見を過度に冷たいと言って非難する、そういう偽善が私の論敵の大半です)
それは劣った人にとって、とても辛い事だ。
それに耐えられるのだろうか。
優れた人に優生保護法で難癖をつけて生まれる事が出来ない様にして来たケースも有るだろうから、その害を免れて生まれて来た人は、これぞホントの優れた人だ、という風に生きて欲しい。

ヒラリー・クリントンが、シリアだったか、現在のウクライナみたいな立場に立たされた場所に行って、現地の人に、まるで動物にエサでもやるかの様な態度で振舞っていたのをテレビで見た事が有る。
テレビはそれを見せたい様だ、と思った。

犯罪手口の話に戻ります。
角田美代子という犯人による犯罪(尼崎事件)がマスコミで報じられた事が有りました。
被害家族のうちの娘に父親を攻撃させる、という手口を含む犯罪でした。
シリアにしてもウクライナにしても、これに似てると思うんだよね。
シリアは国内問題で、ウクライナは対外問題だから、少し違うけど、つまり、弱いとされる者に強いとされる者を攻撃させ、それへの強いとされる者の反撃に、弱い物イジメだという難癖を付け、強いとされる者を打倒するわけです。
また、弱いとされる大量の人が強いとされる独裁者のような少数の人を攻撃するのも、集団ストーカーに似ている。
多くの民主化運動の正体は、何らかのルートでアメリカが大衆をそそのかした結果起こる集団ストーカーなんじゃないのか。
ウクライナのオレンジ革命はそうだろう。
香港は違うか知らないけど、ミャンマーも分かり難い様に偽装された形でそれなんじゃないのか。
ミャンマーの件は、ウクライナの軍が民を弾圧してるみたいなものです。
ウクライナの軍も今は応援されてるけど、将来用済みに成り邪魔に成ったら、ミャンマーの事件みたいなのを起こされて抹殺されるんじゃないのか。
誰がするか?
アメリカに決まってるじゃん。
日本のマスコミは「権力を厳しく批判するのが我々の仕事だ」と言うが、なぜケーサツだけは無条件に全肯定なんだろうか。
ケーサツだって権力じゃないか。
それは、アメリカが日本に内政干渉する手段がマスコミとケーサツだ、からだろう。
今回のウクライナ紛争についてもマスコミから聞こえる発言がオウムの様に何かの復唱だったのは、その証拠です。
それだけでなく、内容が私の判定とは正反対だった事も、非常に怪しい。

テレビの「視点論点」という番組だったか、ロシアの言い分を「子供だましの陰謀論」だと言っていた人が居たが、一体その人は、昨日のページで説明されている私がされている様な犯罪をされた事が有るのだろうか。
された事が無い人には分からない。
ロシアの言い分を「子供だましの陰謀論」だと言う意見の方が、世間知らずの観念論なんだよ。

ロシアに支配されれば良い、という事は無いけれど、ロシアの支配を脱して西側諸国に組み入れられれば本当に自由なのでしょうか。
例えば、ウクライナが西側諸国に組み入れられて、戦争の傷跡も癒え、さあて自由に暮らすぞと成った段階で、自分は世界一の天才だから世界一の著作物を作って世界一の先生に成るぞ、という進路選択をしたら、そんなあなたにアメリカが集団ストーカーを差し向けるでしょう。
その時に、ははあ今自分がされている事をロシアがされたんだ、という事を知るわけです。
世界一の国はアメリカであって世界一の先生というのはアメリカに住んでなきゃいけない、世界一の先生というのはアメリカ人の仕事である、他人の縄張りを侵すんじゃない、これがアメリカの考えなんですよ。

それを言わずして、そんな事言ってません思ってませんと言いながら、他人の成果を黙殺したまま権利者が権利を放棄するまで集団ストーカーを仕掛け続け、タダで幾らでも刷れるドル札で買収する、これが地上げ資本主義です。

アメリカに限った話じゃないんだけど、国民には優れた人も居れば劣った人も居て千差万別なわけです。
それなのに、劣った人でもアメリカ人なら発展途上国に生まれた優れた人よりも良い暮らしが出来る。
その足りない分を国外から略奪して来る、これが戦争の元凶なのではないかと私は疑っている。
多様性の促進という名目で劣った人に高度な仕事をやらせる、とうのもそんぼ一例ではないのか。
抽象的な意味では、ウクライナ紛争も、そのせいで生じたのではないか。
上記のヒラリー・クリントンの様子から私は、そういう事も連想する。