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2021年12月23日(木曜日)
派遣労働体験談、話しかけについて2

さて、それでは、私の場合、使用者がするつもりの命令の概略はどんな内容だったか。
口頭で聞いただけなのですが、次の様に言われた。
DWB(ダイワイボン)という工程の作業員が足りないので、その人手不足を補う要員としてその工程に入ってもらう。
この仕事は体力仕事ではなく精密仕事です。
この様に告げられた。
告げられたのは契約締結より後です。

それを聞いて私が受けた印象は、以下です。
人手不足はキッカリ整数人であるかもしれないが、そんな確率は低いので、多分整数人ではないだろう。
2.3人とか3.7人とかだろう。
であれば、2.3人不足なら3人補充するし、3.7人不足なら4人補充するので、補充後の1人あたりの作業量は、補充前の1人あたりの標準作業量よりも小さく成る。
0.1人不足とか0.3人不足で1人補充するなら、補充要員として入った派遣社員に課される作業量はお手伝い程度だと見込める。
私の場合、多分それだろう。
また、体力仕事ではなく精密仕事なのだから、スピードの仕事ではなくユックリ丁寧にする仕事だろう。
この様に私は頭の中で考えた。

しかし実際に勤務してみると、そうではなかった。
途中に15分間だったか休憩時間が有ったとは言え1回の出勤につき合計11時間立ったまま作業する。
作業内容は、機器への材料の補給と、不具合が発生して停止した機器を復旧させる事だった。
不具合が発生した機器は停止すると同時にアラーム音を発し始めるのだが、この頻度が高いせいでスピード仕事に成ってしまっていた。
この頻度が高いのは設備(機器)のグレードが低いせいだった様だ。
半導体を使った電子部品の製造工場なら、機器が1日中1回も不具合で停止する事は無い日が多い工場も有るのではないだろうか。
また、機器からアウトプットされる製品を次工程への窓まで運ぶ作業が体力仕事に成ってしまっていた。
その原因は次である。
製品を束ねる鉄製のホルダーが製品の重さに比してずっと重かった。
機器の不具合停止への対処で時間を取られるせいで、機器からアウトプットされる製品を次工程への窓まで運ぶ作業がスピード仕事に成ってしまっていた。
生産計画が上方修正されてからは、次工程(確かSMTPという名前だったような)にも人手不足が生じ、その補充にも私が駆り出された。
DWB工程室内はエアコンで冷房され、SMTP工程は固有のエアコンが無く機器の発する熱で室内が生暖かかった。
この事と、作業で体を動かし続ける事と、私が汗かき体質である事とで、SMTP工程での作業では汗びっしょりに成った。
最初は前半DWB後半SMTPだったかもしれないが、結局はDWBとSMTPを何回も行き来させられる事に成った。
SMTPでかいた汗をそのままにしてDWBに入ると汗が冷房で冷やされて健康を損なうので、私はSMTPからDWBに移動する際にはシャツを仕替えた。
それでも、暖かい部屋で汗仕事をする事と冷房の部屋で仕事をする事を繰り返すのは、耐久試験の様に体力を消耗させる事であった。
まず、DWBでの作業内容が当初告げられた内容から一方的に増量され、そのせいでSMTPに人手不足が新規に生じ、その補充にも駆り出された。
それだけでは終わらなかった。
さらに、SMTPでの作業量も何回にも渡って増量された。
DWBの機器の台数も増やされた。
それでも私が音を上げなければ、とうとう、11時間という制限も守らなく成った。
ただし、私が11時間を超えて働く事は実際には無かった。
上司(正社員、森井)が私にアミダ式だったかクジを渡して私がクジを引いた結果を物陰で確認してカンシャクを起こしている様だった。
つまり、11時間を超えて誰かが働かなければいけない状況は私を狙って設定されたものであり、それを隠す必要から私を指名するのではなくクジ引きという方法が取られた、という事だ。
これは、ここまでの事すべてが私へのリンチだったという事なんだよ。
11時間超過勤務というのは明らかに暴行だったのだが、その事は次の事実からも分かる。
「この職場には常識は通用しない。しかし、限度という物は有る。それは勤務時間が11時間を超えない事だ。これは絶対である」と古参の職員が私に言った。
上記のクジ引きは、この発言を私が聞いた事への反応だと思われる。
まず、2交代制だから1回の出勤につき11時間勤務という時点で既に8時間労働よりも3時間残業しているので、11時間を超過して勤務するのは残業ではなく残業の延長である。
2交代制であっただけでなく3勤2休だった事もクセモノだった。
昼昼昼休休夜夜夜休休昼昼昼・・・
(24時間)×9につき在社時間が(12時間)×6だから、1週間に換算すると在社時間が56時間/週であり、(8時間)×7/週と同じです。
つまり、1日8時間労働で休日が無い場合と時間の長さが同じなのに、休日が多いかの様に錯覚する勤務体制に成っているわけです。
この事は種野に教えてあげました。
夜勤は日勤より体力消耗が大きいし、3日勤と3夜勤が交互に来ると、心身のリズムの適応度が長期的に向上して行く事も阻害されます。
テレビで格闘技の試合を見ている時などに「無尽蔵のスタミナ」という言葉を聞いた事が何度も有りますが、それはここまでに書いた私の働きぶりに由来しているだろう。
そして、テレビで「無尽蔵のスタミナ」という言葉を聞くたびに私は腹が立ちます。
なぜなら、ここまでに書いた私の働きぶりは、既に契約履行が完了しているのにまだ完了していないと雇用者が私にウソをついて際限なく私から労働を引き出した事による(私に無断で勝手に持ち去った)物であり、私にとっては不本意な損害だったからである。
そして、私の働きぶりが見た人に「無尽蔵のスタミナ」を感じさせるなら、それは使用者が私を不当に多く働かせた証拠です。
事実、私がSMTPで作業している時に他工程の作業員がニンニク云々と言っているのが聞こえた事が有る。
当時私は栄養ドリンクを飲む事が有り、それにニンニク・エキスが入っていたのだったかもしれない。
韓国人はニンニクだからどうの、と言っていたのだったかもしれない。
私って韓国人なんですか?
当時、国産のパソコンが約20万円だったのに対して、ソーテックのパソコンが約10万円で発売されたのをテレビ・コマーシャルで見て、私はソーテックのパソコンを買ってしまった。
ソーテックが韓国のメーカーだと知ったのは、それより後の事です。
いずれにせよ、私の働きぶりは、ニンニクとか韓国人とか何か理由を付けなければ理解できない働きぶりだった事の証拠です。

ここから、さらに、もっと本質的な事を説明します。
日本国憲法第14条に「法の下の平等」という規定が有る。
見ると「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない」と書かれている。
根拠はこれだ、としてよいのか否か分からないが、日本国憲法や他の法律のどこかには以下の私の考えを正しいとする根拠が書かれているはずだ。
売買は対等な人間関係であり雇用被雇用の関係も例外ではない。
雇用被雇用の関係は、単なる役務の売買であり、人身売買でないのはもちろんの事、信条だけでなく好き嫌いや尊敬や軽蔑や価値観など何をどう思うかを変えさせる権利の売買でもないし、それら何をどう思うかについて実際には思っていない事を思っていると偽証させる権利の売買でもない。
なぜなら、役務の売買を超えた売買は、対等な人間関係とは言えないからである。
したがって、雇用者が被雇用者に「自分をあなたより偉いと思い、そう言いなさい」と要求する事は、被雇用者の権利を侵害する行ないである。
雇用契約による使用権は、被雇用者をいやしめたりはずかしめたりカッコ悪くなる様に狙って選択する権利を一切含まない。
塾に非常勤講師として採用された時には研修で恥をかいてもらうと直接言われたが、その様な契約は無いのである。
偽証という言葉を私が使ったのは、演劇で台詞として思ってない事を思っていると言うのは構わないからです。
私としては、役務の売買だって雇用被雇用におけるものは対等な人間関係ではない、と思っている。
法の下の平等に基づいた厳密な意味では上司は上ではないし部下は下ではないとしても、それらの言葉が示す通り、役務を買う者が上等な人に見え優越感を感じ、役務を売る人が下等な人に見え劣等感を感じるのは事実であるからだ。
したがって、雇用被雇用という人間関係は、良くて違憲スレスレの合憲な人間関係だと言える。
1票の格差の問題に倣って面白く言うと、違憲状態とか。
したがって、雇用被雇用の関係は出来るだけ浅くなければいけないのであって、もっと浅く出来るのに不必要に深くてはいけない。
ここまでをまとめると、雇用契約というものは、その結果が雇用者が被雇用者よりカッコよく見える事を保障するものであってはいけないし、保障しない。
したがって、雇用者と被雇用者のどちらの方が上等な人間に見えるか下等な人間に見えるか優越感を感じるか劣等感を感じるかは、全くの自由競争の問題であって、被雇用者にもその競争に勝とうと努力する権利が雇用者に有るのと同じだけ有る。
その競争には、雇用契約の違憲性の分だけ被雇用者が不利に成るハンディキャップが伴っている。
被雇用者の立ち居振る舞いや言葉使いがまるで雇用者のようであっても、それをいけないとする事は、法の下の平等に反するので、こういう事では差が付かない。
雇用者本体が被雇用者本体よりも劣っており、その差がハンディキャップを超えている場合には、この競争に雇用者が勝つためには、被雇用者が違約しその事で被雇用者を呵責する以外に正当な方法が無い。
不当な方法なら有るかと言えば、違約を呵責すれば勝てる事を見れば分かる様に、不当な方法を取ればそれを呵責(今ここで私がやっている)されて負ける危険が大きいし、上手く誤魔化せても自分を誤魔化す事は出来ないので劣等感を感じる事に成る。
これが、使用者が私に何が何でも違約させようとした動機である。
その証拠は、派遣会社の所長山本が社宅の私の部屋を訪れて私に「雇用者の方が自分より偉い事が分かっているのか」と質問した際に私が「どちらが偉いかという事については自分の方が偉いと思っている」と答えると山本が「それじゃあ話に成らないよ」と言った事である。
話に成らないのはそっちだ。
この山本という男は、私が解雇される際の面接で私に向かって「宇田さん、雇用者に感謝はしていますか」と質問し、私が「していない」と答えると、「感謝しない人はウチでは要りません」と私に言った。
これも、私の内面が雇用者の思い通りに成らない事が解雇理由であった証拠です。
優れた人が劣った人に教え諭す様な調子で法外な不当な要求をする、これが人間の本当の姿なんですよ。

使用者には被使用者の能力の限界を知る権利は無い。
了解された「するつもりの命令の概略」に属するどんな命令にも従がう為に被使用者の能力が足りているか否かを知る権利が有るだけだ。
つまり、被使用者が足りていると申告し、使用者がそれを信用して雇用契約が成立した後では、「するつもりの命令の概略」の範囲内で命令を出していてその命令に被使用者が危なげ無く従がっている様であれば、どれだけの余力が残っているかなど他にどんな能力を被使用者が持っているかを知る権利は使用者には無い。
従がって、使用者がそういう質問をする事は論外だし、そういう質問をされても答える義務は被使用者には無い。
しかし、SMTPで作業中の私に、森井はそういう質問をし、もっとスピードを上げろと言い、私がもう義務を果たしたレベルには達していると抗弁すると、「よっぽどおかしいわあ」と森井は言った。
私による作業が義務を果たしたレベルに達しているか否かは本来は使用者が判断して私に告げるべき事だが、私から言わないとどこまででも吹っかけて来るので私から言うしかなかった。
「おかしい」という言葉は私を精神病患者に仕立て上げる意志が森井に有った証拠だ。
森井は、SMTPでの作業を新規に私に追課した初日には、「もう終わったんか」と言って驚いていた。
つまり、私の作業速度は森井の予想より速かったのだ。
何が何でも私に違約させようとする行為としては、休んで良いという正式なお墨付きを与えないようにしつつそそのかして休ませ「さぼった」という違約をこじつける他に、私が従がえなく成るまで命令での要求レベルを際限なく上げて行き従えないのを見て「はい違約です」というパターンも有る。
種野から「どうぞ好きにやって下さい」と言われた事が有るが、これも違約させる為のミスリードだったろう。
種野にはそんなお墨付きを与える権限は無いので、好きにやっていたら管理職から呵責されただろう。
好きにやって良いんだったらずっと休憩していようかと思ったんだけど。
就労開始したばかりの頃に、種野が1年かかって覚えた事を私が3日で覚えたとか、間違えないと何も言えなく成ってしまうじゃないかと、種野から言われた。(ドクターXは、これに由来するだろう)
間違えろと言われて間違えるわけには行かないので、それまで通り間違えない様にさぼらず作業していると「どうぞ好きにやって下さい」と言われたのだった。
この種のミスリードとしては他に、私が幼児か児童だった時に「あなたは法律に従がわなくてもよい」という意味の事を言われた事が有る。
ついでの話が長く成り過ぎて本論が分かり難く成ったんだけど、しなければいけない事を全て私が出来てしまうと、私が応えれなく成るまでレベルを吊り上げながら追加の問題を出される、という被害は、私がまだ児童だった頃から執拗に続いている。
中学入試もそのひとつだったと私は思っている。
とにかく、私が能力的に出来ない何かに当たって止まる所を見なければ済ませない、という態度につきまとわれ続けている。
自分に解けない問題や宇田でも解けないと高をくくっていた問題を私が解いて見せると、それが始まり、私が解けなく成るまで終わらない。
私は既に出された問題を解いただけで、何でも解けるとは言ってないし思ってもいないのに、また既に出された問題すら私に解けるわけがないと心外にも言われても黙ってそう言った人が間違っている事を自腹で証明して見せたばかりなのに、それに謝罪すらせず、私に向かって「お前は何でも出来ると言うのか」と言ってののしったり、出来なければ・・・という論理には全然ならないのに「・・・だと言うならお前これ出来るんか」という意味で「ほんならお前これ出来るんか」と言いながら追加の問題を出すという事をされる、という種類の被害がパターンとして有る。
応じる義務が私に無い事を私が出来ない所を見るまで際限なく持ちかける、これをゾウリムシの繊毛運動と言う、ってのは冗談ですが。

職場の場合、しなければいけない事を私が最初から出来てしまったり、契約履行の目処が途中で選挙の当選確実みたいに立ってしまうと、私がやらされている職種や雇用者の面目が丸潰れに成ってしまう、という強烈な反応を受ける、と私は感得している。
これが、上で説明した雇用者と被雇用者の競争に私が圧勝した事を意味する。
しかし、そこに書いた様に、それは私が責めを負う事では全くないばかりか、相手が私をなめていた事を恥じるべきである様な事である。
なめる発言もしていた場合には、私に謝罪すべき事なのである。
それなのに逆に私が馬鹿にしたとして相手が怒り出すのである。
他人の仕事を馬鹿にしやがって、という風に。
しかし私は働いただけであり、しなければいけない事が出来ただけなのである。
確かに思想としては馬鹿にしているが、そう言ったわけではないので、お前らに関係ないだろうって話だ。
契約って履行して欲しくて契約したんじゃないのか。
契約を履行した事に怒るなら、悪いのはそう怒るやつに決まってるだろうが。

疲れたので、続きは明日書きます。