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2021年12月13日(月曜日)
代議士は代議師なのか

一昨日の記事も推敲する余裕が有りませんでした。
そこで、一昨日の記事への訂正や補足を以下に書いておきます。
正:昨日の記事も推敲できなかったので、補足したい事をここに書きます。
誤:昨日の記事も推敲できなかったので、細くしたい事をここに書きます。
「私は、近年の男女平等推進の考え方には間違ってる物も有ると思うけど。」について補足。
男性よりも女性の方が育児に向いているという考えは間違っていると言われるが、女性は母乳が出るけど男性は母乳が出ないですから。
また、スポーツ競技が男子種目と女子種目に分けられている事は合理的ですよね。
この事は、統計値では男女間には決定的な能力差が有り、それを等しいとする事は残酷である、という意味です。
逆に、スポーツ競技でも空手型などは男子と女子に分けない方が建設的なのではないか。
訂正前「私は天才です。そして、その自覚は私がまだ20才ぐらいだった頃に既に有りました。」
訂正後「私は天才です。そして、その自分の目での確認は私がまだ20才ぐらいだった頃までに終わっていました。」
正:若い頃の私にとって、これが悩みの種のひとつでした。
誤:若い頃の私のとって、これが悩みの種のひとつでした。
「裁判は、通常考えられる事しか前提にしない」について、私はこれを社会制度の軽率として批判していますが、この様な種類の事を逆に私に向かって教え諭すという誹謗中傷もパターンとして存在して来ました。
こういうのが「私は、この論理で何十年間にも渡って卑しめられ貶められ続けて来ました」の一例なわけです。
お前は非常識だ、といった誹謗中傷なんか、それですね。
非常識じゃなくて超常識なんだよ。
最初の1回ぐらいはそう言い返したけれど、その後は言うのが面倒くさく成った。
通常では考えられないぐらい優れた才能を持った人が通常では考えられないぐらい大きな事を目標にし達成する事を断固として阻止するという社会全体の意思が法律に遠回しに書かれてしまっている。
法律のこういう形の隠された違憲性も問題にする必要が有る。
憲法で保障されている幸福追求の権利を正面から否定するのではなくて、法律のアチコチに少しづつ間違った所の有る暗器が隠し置かれており、それらの個々は見ただけでは悪意が分かり難く間違いを指摘されても「ここまでが限界です」と言ってやり過ごせる、それらを組み合わせて使うのは一瞬だけしかも局所なので見過ごされ易い、こういう計算なのだ。
井出安優香さんの裁判を見れば分かる様に、その一瞬に激痛が生じ、それによって問題の深刻さが広く認識されるかされないかのギリギリの瀬戸際に成るのだけど、多くの人にとってそれは他人事だし、忘れた頃にしかそういう事は無いので、犯人はまんまとこの修羅場を何度も潜り抜けてしまって来た。
「殺人でなけりゃあ歩道を歩行中の子供にショベルカーが突っ込むわけないじゃないか」について。
近年、歩行子供の列や母子に自動車が突っ込む事が異常に多くありませんか。
事故ではないからですよ。
私がまだ小学生の頃には、テレビでだったか自宅の近所でだったか歩行中の母子のうちの母が子に「見ちゃいけません」と言ってたしなめるのを、私は見た事が有ります。
何を見てはいけないのかというと、付近で作業(仕事)をしていた成人男性をです。
侮辱してはいけません、というなら分かるんだけど、見るだけが何故いけないんだろうか。
それは、こちらが見ると、見ただけなのに、相手が見られた事に腹を立て、襲って来るからとしか考えられません。
見るだけならいけない事はないから、悪いのは相手です。
それなのに何故その悪い相手の悪い行ないを誰も止める事が出来ないのでしょうか。
見ないようにするしかないのでしょうか。
それは、その悪い相手の悪い行ないを社会制度がサポートしているからに違いない。
どうしてその事を誰も言わないのか。
それは、言っちゃあいけない事に成ってるからでしょう。
誹謗中傷はいけません、ヘイトスピーチはいけません、というのは、それだけを聞くともっともらしいんだけど、この様に他との関連を考えると、もっといけない事を放免する事なんですよ。
暴力で止めるのもいけない、言葉で止めるのもいけないなら、一体どうやって止めるのでしょうか。
正:「ヘイトスピーチはいけません」
誤:「ヘイとスピーチはいけません」

さて、ここから今日の本論ですが、今日は小話程度です。
国会で野党の質問に答えた際に「私は炭鉱屋の息子であって武士ではありませんから」と言った人が居た。
麻生太郎さんだったと思う。
野党の質問に「武士に二言は無い」とか何とかいう文言が入っていたのに対してだったと思う。
それを聞いた時には私は「私ゃ武士じゃありませんから」というのが正論なのかもしれないと思ったが、最近次の事に気付いた。
代議士は士業である。
武士じゃありませんからと言うなら、代議士じゃなくて代議師を名乗ってはどうか。
士業という概念は、弁護士に成った友人から教わった。
麻生太郎さんのべらんめえ調は全然問題ないと思う。
形式的に礼儀正しくて内容が間違ってる方がよっぽど問題だ。
悪意を持って「他に何が有るんですか?何か有れば言って下さい。無い様でしたらこれだけでよろしいですね」と言う態度の方がずっと礼儀に反するわけです。
いつ頃かからの私の態度を見て、それをそういう血の通っていない態度だと思った人が居るかもしれませんが、私の相対正義論や宇田経済学の論調を見れば、それが誤解だと分かるでしょう。
私は、悪を潰す事は机の上の塵を払うごとくでなければいけない、と考えています。
蚊を叩くほどのほんの少しの興奮すらもったいない。
その私の無表情は誤解を受けやすいけれど、激高よりもっと怒った態度だと言われれば誰でもピンと来るのではないでしょうか。