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2021年12月03日(金曜日)
好き嫌いに罪は無い(相対正義論の話)

一昨日の記事の最終更新も日付が変わった後に成ってしまったかもしれない。

既存の法律には結果責任が問われる規定が多いが、私の相対正義論は狙って選択する事の責任を問うだけで狙って選択した結果の責任を問わない。
私の相対正義論では、結果が同じでも狙いが違えば罪の重さは違うとされます。

まだ狙って選択していなくても、どういう条件が成り立(たなか)った時にはどういう選択をするつもりで居るか、という事は私の相対正義論でも取締りの対象だと考えられる。

私の相対正義論のこの様な特徴は、内面の自由が相対正義論ではどう考えられるか、という疑問をあなたに抱かせるかもしれない。

しかし、私の相対正義論でも、内面の自由は正当だろうとの予想のもと、正当である根拠を前向きに考えて行くつもりです。

狙って選択する動機と成る好き嫌いの責任は、既存の法律でも私の相対正義論でも問われない。
好き嫌いは内面の自由に属すると言うよりも、意志で変更できない各人に固有の性質だから、好き嫌いが干渉を受けてはいけない事は、内面の自由が尊重されねばならない事よりも、それ以前の問題であり、当然の事です。

差別という物を考える時、黒人が白人を嫌いだとか、白人が黒人を嫌いだとか、そういう好き嫌いは、事実誤認が原因でなければ、是正の対象とされるのは間違っている、と私は考えます。
その様な好き嫌いまで差別だと言うなら、差別は何でもいけないとは言えないし、差別は何でもいけないというのが確実ならば、その様な好き嫌いは差別ではないのである。
好き嫌いを呵責するという事は、呵責された人の存在そのものを否定する事に等しい。
「お前、お前をやめろ」という風に。
したがって、白人が嫌いな黒人や黒人が嫌いな白人に、その感じ方を変えなさいと言う事は、白人が黒人という存在を否定したり黒人が白人という存在を否定したりする事と同程度に間違っているのである。
YouTube動画でケント・ギルバートさんが「私は人種差別感情を全く持っていません」と言うのを聞きました。
そういう特別な人も居るかもしれませんが、好き嫌いのレベルでは人種差別感情なんて有るのが当たり前だと私は思います。
有っちゃいけない、という考えの方が無理なんです。
人種差別どころか、誰でも自分は他の人よりチッたあマシな人間だと思いたがるものだし、たがるだけでなくそう思っているものです。
それが動機と成って不公平な扱いをした段に成って初めて差別なのであって、嫌いだ自分の方がマシな人間だ、と思っているだけでは差別ではない。
これは、一見、許される不徳の上限を引き上げる思想に見えるかもしれませんが、それは違います。

本当は有るのに無い事にし、有ってはいけない事にする、これが良い結果を生むはずが無い。
良い結果を生まないだけでなく、悪い結果を生む予感がしませんか。
その通りなんですよ。
本当は有るのに無い事にし、有ってはいけない事にすれば、有りません有りませんとウソをつく競争に成る。
オレには無い、お前には有る、と言って、自分のを隠し、相手のを見付ける競争に成る。
そんなくだらない事で誰が出世するか決まるのは、実に劣悪な社会です。
失言辞任が横行している我々の社会がそう成ってるでしょう。

誰でも思ってる事を差別だからいけないと言ったのでは、それでは、いけないからどうすると言うのでしょうか。
あなたの好き嫌い(遺伝子)は差別でいけないからこうするぞ、といって不公平な扱いをするなら、それこそが差別ではないですか。
人権にしてもそうです。
人権が侵害されたというのは、人間扱いされなかった、動物や無生物の様に扱われたという事であって、よほどひどい扱いを受けた、という事です。
好き嫌いを表現する差別発言をされたという程度では人権が侵害された事には全然なりません。
お前は差別発言したからこうするぞといって人間扱いしない事の方が人権侵害なのです。

この様に、誰にでも有るし罪には満たない欠点を義務への違反だと定める事は、同じ欠点を持った人が同じ欠点を持った別の人にもっと重い罪を犯す事を不当に正当化する手段に成るだけなのである。

何を素晴らしいと思うか、誰を偉いと思うか、なども好き嫌いと同様です。
思うものは思うんだ、仕方ないだろう。
間違っていたらいけない、というものでもない。
悪人はこれへの仕返しとして、するものはするんだ、と言うけれど、それは成り立たない理屈です。
何を何より素晴らしいと思いなさいとか、誰を誰より偉いと思いなさい、というのは、単に間違っているだけでなく、間違いの中でも最も根本的な間違いです。
私は、働いて解雇された時に、私が上司を自分より偉いと思っていなかった事が本当の(名目ではない)解雇理由のひとつだった様だ。
一体お前は自分より上司の方が偉い事が分かっているのか、という意味の質問をされた。
私は自分の方が偉いと思っている、と答えた。
すると、それでは話に成らない、と言われた。
失礼な発言だって?きくからじゃないか。
それに、上司の方が偉い、って言ったのは相手の方が先だぞ。
精神病の治療という物が有ると初めて知った時に私は、それは内面の自由への干渉ではないかと問題視した。
しかし調べてみると、例えば精神病院への強制入院の基準は、誰を偉いと思うかといった価値観の様な事についてではなく、有ったか無かったかが裁判で審査される犯罪事実の様な事の有無を判断する能力が病気に成っているかどうかだと分かった。
でも、やっぱり、価値観の様な事が本当の理由で、事実認識機能の故障を名目にそれを取り締まっている、というのが実態だと私は見ている。
これは失言辞任の失言の比じゃないトンデモない犯罪です。
医者から、宇田さんは社会的入院だから、と言われたし、初診の時に「地位不相応に自分を偉いと思う事は社会的不適応の原因に成る」と言われた。
どの雇用者だろうが、一体誰がこの私より偉い事が有り得るだろうか、有り得ないんだよ。
今のあなたにはそれが明らかに分かるだろうけれど、分からないと言われればそれまでだった当時も何も変わらなかったんだよ。

好き嫌いに罪は無い。
しかし、それでは「わたし悪い事が好きなんです」というのはどうだろうか。
次回は、この点を考えてみたい。