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2021年11月20日(土曜日)
自他の区別(相対正義論の話)

評価としての順位を譲る義務は無いはずだ、その根拠は何か、という問題を考えていて、自他の区別というものが原理の記述のレベルで必要なのではないか、という事が思い当たった。
つまり、自分をどうするかの自由の方が他人をどうするかの自由よりも優先されねばならない、という原理です。
その延長上に、資本主義の定義である財の私有という物が有ると考えられます。

Bさんが息抜きに将棋を指す事が、Aさんが将棋の実力で1位に成る邪魔でも、だからと言って将棋を指さない様にする義務はBさんには無いはずだ。
その理由は、普通の理屈では、Bさんが自分をどうするか決める権利の方がAさんがBさんをどうするか決める権利より強い事だ、と説明されるのではないだろうか。
この理屈が本質である気がする。

本日メール投稿したブログ記事の写真が送信時にリサイズされてウェブ上で分かり難いので、以下に再掲します。

同一の異物を複数回撮影しました。第3写真ではカメラの照明を消しました。
   
クリックすると拡大表示されます。

件名 2021 1120 1227
本文 昨日だったか報告した左足裏に刺さった異物が何かは確認できなかったが見当はついている。
本件の添付写真は右手人差し指腹に刺さった異物です。
撮影は2021年11月12日。
ここを左手人差し指腹で軽くさすると写真の箇所に刺さった異物に力がかかった感触が右手人差し指腹の感覚神経によって感知された。
写真の様に異物は非常に微細なので抜くことができないだけでなく写真でとらえることすらギリギリだ。
異物が存在しないのに私が異常を訴えた、知覚機能の故障だと言いがかりをつけるための集団ストーカー工作だ。
何年も前に母屋居間の私が寝そべったり裸足で歩く床にガラスの破片がばらまかれていたことがある。
それは目で見えたが、アレをもっと細かく砕いて見えなくしたものが使われたのではないか。
洗面台わきの私のフェイスタオルで手を拭く時にも刺さった痛みを感じた。
昨日ウダオサムが母屋居間の床に掃除機をかけたとおもわれる。
(添付写真省略)