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2021年06月11日(金曜日) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
朝まで生テレビ2021年05月01日放送分の要点 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
以下の対話部分が最も重要だと思った。
岡本充功の意見と大木隆生の意見とどちらの方が正しいかは確定的には分からないけれど、この対話に限れば、大木隆生の発言の方が岡本充功の発言よりも勝っていると私は判定する。 大木隆生の「もう1年半やってるじゃないですか」という指摘への岡本充功による反論が無い事が、その主たる理由だ。 それ以外にも、以下の点を指摘できる。 岡本充功は「減らせるので減らすべきだ」と言わずに「減らせるなら減らすべきだ」と繰り返し発言している。 これは、「減らせる」という判断にはアタリ・ハズレが有るので、「減らせる」とは明言したくなかったからだと考えられる。 ハズレたら後で責任を問われるから。 しかし、だからと言って、「減らせるなら減らすべきだ」では、当たり前の事を言ってるだけで政策決定に全く寄与しない。 「減らせるなら減らすべきだ」という点では岡本充功と大木隆生の間に意見の食い違いは元々無い。 その事が大木隆生の「もちろん岡本先生その通りですよ」という発言で指摘されている。 ハッキリとは確認できないのだが、大木隆生は皮肉を込めて「そりゃあそうでしょう」とも言ってるみたいだ。 それから、岡本充功の発言には「減らせるなら減らすべきだ」よりももっと変なのが有る。 「減らせるんだったら減らして行ける」というのがそれだ。 これは、「減らせるなら減らすべきだ」よりももっと当たり前で、間違った事を言ったという批判を恐れるあまり、意見としての価値が全く無い事を言ってしまっている。 また、それを論敵への有効な反論だと誤認する視聴者が出る事を期待してそれを言っているのは、誤魔化しである。 討論で当たり前の正しい事を繰り返し言って、論敵がまるでそれに反対してでもいるかの様に印象付けるという不正な手口は他所でも見られる。 減らせるか減らせないかについては、どうだろうか。 強権的な事をやる、島国、初動の早さという3つのポイントが指摘されている。 島国という条件は日本については成り立っているが、もし仮に強権的な事をやったとしても、初動の早さという条件を成り立たせるには今からでは間に合わない、その事が既に国内の感染者数が数十万人に達しているという大木隆生の発言で指摘されている。 ザッツライフという発言は以下の部分に有ります。
さて、このザッツライフ発言は不謹慎なのか、という問題ですが、それは、もっと詳しい話を聞いてみないと分からない。 臓器移植で臓器提供者が現れるのを待ってる間に死んでしまう人が居るのは誰のせいでもない事を考えれば、不謹慎だとは限らない。 順番待ちの間に死んでしまうリスクと順番待ちの短い他の医者に手術してもらって結果に満足できないリスクを天秤にかけて患者がした最善の選択ならば、それはザッツライフという表現で間違っていない。 コロナウィルスへの対応のせいで順番待ちが長く成ってしまう事についても、医者がコロナウィルスへの対応をどの程度優先させるのかが適正であれば、そして、コロナウィルスが陰謀ではなく本当に全くの自然災害であるならば、ザッツライフという言い方は間違っていない。 そもそも、何が言いたいかと言うと私が言いたいのは「ゼロリスクは無い」という事です、と言い直して誤解を防ごうとしているのに、良い物を見付けたぞとばかりにザッツライフという表現をやり玉に上げる態度は間違っている。 大木隆生の手術を数ヶ月待っている間に死んでしまった具体的な誰かの死んでしまった事がザッツライフであり誰のせいでもないかどうかは分からないが、しかし、ゼロリスクは無いという事には誰も異論は無いんでしょ。 最善を尽くしてもリスクはゼロに成らない、そのリスクに当たって死んでしまってもそれはザッツライフだ、医者がコロナウィルスへの対応を後回しにし過ぎるのは最善ではない、どこも間違っていない。 しかし、私は次の様な疑問を持つ。 大木隆生の意見は、医療が緊急体制を取れ、コロナウィルス感染者を減らすのは諦めろ、という意見です。 て事は、医療の緊急体制ってのは永続って事なんですかねえ。 緊急体制と言われるぐらい他の病気を後回しにした状態を永続するのでは、他の病気の患者にとって酷だと思う。 それとも、大木隆生も、コロナウィルス感染者を短期で減らし、その後は医療も通常の体制に戻せ、と考えているのでしょうか。 数ヶ月ぐらいなら待てるものなんです、という発言からは、そうとも取れる。 舌打ちの様な「ツッ」という音が入ってるのですが、これは何でしょうか。 撮影機材や録音機材のスイッチ操作か何かに由来するノイズかも知れません。 しかし、出演者のうちの誰かが悔しがって舌を鳴らした可能性も有ります。 物事が上手く行かない様に、失敗する様に願い、陽には妨害せずむしろ協力している振りをして妨害したり陰で妨害している者が、物事が上手く行ってしまった、失敗しなかった、つまり自分の思い通りに成らなかった時に、悔しさのあまり舌を鳴らしたり、敵の死角で負け犬の遠吠え風に舌を鳴らす所に私は多数回居合わせた事が有る。 多くは私に対しての物だった。 ひょっとすると全てだったかもしれない。 このぐらい一瞬しか尻尾を出さない種類の悪意という物が有ります。 そういう物ほど凶悪です。 悪意も、殺意ぐらい強い悪意は、むしろ、そういう風に一瞬しか尻尾を出しません。 それ以外の点では自分に対して好意的な態度の人が、そういう風に尻尾を出す事が有ります。 これは、殺意ぐらいに強い悪意の証拠だから、行為の外形は些細だけれど、鈍くない人なら誰でも重視します。 だから逆に、出演者の中のアイツがツッと舌打ちしたと視聴者が誤解する様に狙って別の人が挿入した音かもしれません。 殺意ぐらい強い悪意を持ってない人が持っていると誤解される様に狙うわけだから、これも同じぐらい凶悪です。 以前朝まで生テレビでの竹中平蔵さんの様子について書いた時に不審な笑い声が入っている事を指摘しましたが、これも、竹中平蔵さんがそういう人である事を示す可能性が有るだけでなく、竹中平蔵さんをそういう人だと誤解させ様とする物である可能性も有ります。 この番組での「ツッ」という音がどちらなのか分かりませんが、渡邉宣つぐの顔表情は判断材料に成ります。 「ツッ」の直後はコマーシャルです。 まず、これには答えられないだろうと見込んで小林慶一郎の質問を当てたが大木隆生が答え終わりそうに成ってしまった、そこでコマーシャルへの切り替えで大木隆生の発言の文末を妨害しに掛かった、そのコマーシャルに切り替わる直前に「ツッ」です。 ひょっとすると渡邉宣つぐの顔表情は、ザッツライフに対する物ではないのかも知れない。 最後に、コロナウィルスが陰謀ならどういう事かについて私の感想を書きます。
うーん、やっぱりムンテラだ。 それはともかく、私はやっぱり特定業種狙い撃ちだと感じてます。 オリンピックは幾ら国際でも特定業種です。 で私が思うのは、上部構造とか下部構造とか言う時の上部構造をなぎ払う様な事が、コロナの名の下に行なわれているなあ、という目で見てます。 コロナウィルスは、その口実を与えるために作り出され撒き散らされたのではないか。 上部構造をなぎ払うというのは、共産主義革命のイメージに合致します。 毛沢東でもポルポトでも、文化人や知識人を目の敵にして大量に殺した。 オリンピックは、四川の地震の時に既に狙われていると思った。 |
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