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2019年12月22日(日曜日)
2007年の資料(渡邉郁夫の件)

2006年までの分は昨日までのページに掲載されています。

送信日時

送信内容
2007/01/07/10:17  明けましておめでとう御座います。
 昨年は大変お世話になりました。
 宇田さんみたいなカードでなく、簡略な挨拶ですが
 今年も宜しくお願いします。
2007/01/08/11:31  今回は、文法主義がテーマだったんですね。
 宇田さんの文法主義が広く認められる会議になれば良いですね。
 文法主義の内容を全く理解出来ないのですが、
 文法主義って
 例えば、三つの数で、三次元の位置を記述するのにたいして、
 一つの文字列で三次元の位置を記述するように書き方の変更をする事が
 文法を変えるという意味で文法主義と考える
 という風に、僕は文法主義と言われると想像してしまうんですが、
 検討はずれですかね?
 あと、ブログでは前に質問した事をまた書いてしまっていますが、
 忘れてしまって再度聞きたかったってことで納得して下さい。
 レベルが幼稚過ぎて迷惑をかけなければ幸いです。
2007/01/09/11:01 www.文法レベルでの自然学会.jpの「定義の更新」を読むと分かるかも。
あとは、学会発表報告記事の英文を翻訳してみるとか。
2007/01/10/20:03  学会発表の英文を自分なりに読めるところまで読もうとしましたが、
 単語力が足りないので、拾い読みも出来なくなってしまいました。
 辞書を片手に今度訳してみようかなって思っています。
 宇田さん文法主義が分かる様になったら良いのですが…
 
 それと、ブログの更新楽しみにしています。
 場とは何か?量子論とは何か?量子論は実在論を衰退させたか?でしたか?
 の三本立て楽しみにしています。
 知りたかった内容なんで、読みながら質問させてもらいますね。
 有り難うです。
2007/01/10/20:11 > www.文法レベルでの自然学会.jpの「定義の更新」を読むと分かるかも。

 アドレス入力で入ろうとしたら、技術的な問題が発生しているか、なんたらかんらで
 読むことが出来ませんでした><
 どこのホームページから入るんでしたっけ?
2007/01/10/21:30  宇田英才教室に行けば良いことを思い出し、そこから文法主義に入りました。
 久しぶりに言ってみたら、更新されていて、驚きました。
 下から4番目まで、今日は読みました。
 前に読んだ時よりも、
 内容が深く分かった様な気がします。
 これからも、良く読んで勉強をしようと思っています。
 自分は自分の意見というものが築けなかったので、無批判に人の意見を聞き入れて来ましたが、
 それでは、行けないと言うことに気付き始めた様です。
 有り難い事です。
 では、またです。 
2007/01/18/07:06 メールありがとう。
Wooder!掲示板見てください。
また感想を聞かせてね。
2007/01/19/13:51  場の説明、量子力学の説明、実在論の説明のどれを取っても、
 整っている様に感じました。
 しかし、僕としては、
 用語が難しかったり、言い回しが難しかったりしました。
 これは、僕の勉強不足から来るもので、
 宇田さんが悪いわけではないですね。

 ただ、読んで見たところ、
 場とは、
 三次元の空間の物質を三つの数で表し、
 さらに、
 各点に自由度?に対応する個数を増やせること。
 そして、
 その空間の点を表す数以外の数のことを、
 場と呼んでいると感じました。

 また、
 i←→(X,Y,Z,J) X←→F の対応関係が、
 iとFが何を示すという点で、
 分かりませんでした。

 さらに、複素数に対応させる事で
 量子力学になるってという事だと読みましたが、
 宇田さんは、
 前に量子力学と古典の文法の違いは、
 行列で書かれているか、どうかであると言っていたように、
 記憶しているんですが、
 複素数に対応されると言うことと、
 行列に置き換えることは同義なんですか?

 最後に、実在論のところで感じた事は、
 実在論の立場を取っていても良いんだという点につきます。
 というか、
 そこしか、読みとれませんでした。
 また、わかり次第こうではないか?って事を書きたいと思います。

 ブログでイカロスとしてコメントするには少し、
 敷居が高い様な気がしたので、
 未だコメントを書けないでいます。

 ああ!あと、正典のところに質問を書き込んでいます。
 初歩的な数学の説明を求めているんですが、
 時間があれば書き込みお願いします。
2007/01/19/18:34 >さらに、複素数に対応させる事で
>量子力学になるってという事だと読みましたが、
>宇田さんは、
>前に量子力学と古典の文法の違いは、
>行列で書かれているか、どうかであると言っていたように、
>記憶しているんですが、

ああ、そうでしたね。
Wooder!掲示板を書く時にはテッキリ忘れていました。
「状態」という概念に基礎を置くのがシュレディンガー流の理論展開で、
「行列」に基礎を置くのがハイゼンベルグ流の理論展開です。
ハイゼンベルグの理論は「行列力学」と呼ばれます。

>複素数に対応されると言うことと、
>行列に置き換えることは同義なんですか?

この点に関しては、渡邉さんに言われるまで、僕は今まできちんと考えてませんでした。
普通は同義だと言われるかもしれませんが、
今考えてみて思った事は、
僕の取っている立場は、
複素波動関数が状態を表す、というのが量子論の基礎で、
力学変数が行列になる、というのはそれよりも根本的ではない付加的な+αだ、
と考える立場らしい、ということです。
量子論の本質は力学変数を行列にすることだ、と考えるのも、文法主義的な考え方なのですが、
これはどちらかと言うと、遷移確率が全てだ、という実証主義的な考え方の流派に属するでしょう。

いや、渡邉さんからものすごく良いヒントを与えてもらった。
そうかあ。行列方向から文法主義を展開してみる可能性があるね。
2007/01/20/09:53  先に、まず前件のメールは宇田さんに、
 ヒントを与えることを意図していたものではありません。
 宇田さんが、自分から進んで問題提起したものと思って下さい。
 本当は、宇田さんが僕の書いたものから、
 ヒントをもらったって書いて下さって嬉しいんですが。
 行列方向から文法主義を展開は
 まだ、何を指すか分かりませんが、
 新しい問題提起が起きたこと、大変に喜ばし事ですね。
 文法主義が分かるほどに成長したら、
 是非、教えて下さいね。
 
 可能無限と実無限が、
 「無限論のの系譜をだどるときに、
 たえず現れる対立しあう二つの立場なのです」無限論の教室、矢野茂樹著
 の言っている意味が分かったので、
 宇田さんが、
 宜しければ、少し無限について話をしませんか?  
2007/01/25/02:26 >先に、まず前件のメールは宇田さんに、
>ヒントを与えることを意図していたものではありません。
>宇田さんが、自分から進んで問題提起したものと思って下さい。

はい。
後で考えたら、量子論の文法を行列方向から改変する試みは、
既にやっていて、それに失敗した後で、今の新文法を考えたのでした。
でも、前やった時よりももっと頭を柔軟に使って、
行列方向から新文法を考える可能性を期待するように成りました。
意図しなくてもヒントに成る事はありますけどね。

>本当は、宇田さんが僕の書いたものから、
>ヒントをもらったって書いて下さって嬉しいんですが。
>行列方向から文法主義を展開は
>まだ、何を指すか分かりませんが、
>新しい問題提起が起きたこと、大変に喜ばし事ですね。
>文法主義が分かるほどに成長したら、
>是非、教えて下さいね。

はい。
僕のトークが「クチから文法主義まかせ」で聴けますよ。
 
>可能無限と実無限が、
>「無限論のの系譜をだどるときに、
>たえず現れる対立しあう二つの立場なのです」無限論の教室、矢野茂樹著
>の言っている意味が分かったので、
>宇田さんが、
>宜しければ、少し無限について話をしませんか?  


どうぞしてください。
僕は聞き役ということで。
何か思ったら言います。
2007/01/26/20:26  可能無限と実無限について、
 自分なりに書いてみます。
 
 可能無限とは、自然数全体の集合の個数とかではなくって
 限りなく何かがある可能性を指します。
 可能無限は、これは本に書いてあったんですが、
 大小の尺度からは切り離されたものだと思って下さい。
 つまり、可能無限同士に、
 大きい、小さいの概念がないと言うことです。
 その無限は、
 いくらでも、ある可能性しか指していないんです。
 
 実無限とは、自然数の個数などを扱う無限です。
 これは、可能性が、
 いくらでもあるという事を表している訳ではなく、
 無限の対象がそこにあると言った感じの無限観です。
 そして、この無限は対角線論法により、
 いくらでも大きな無限を指し示す事が出来るとされています。
 
 以上は、「無限論の教室」に書いてある事を
 自分なりの言葉で短く表現したものです。
 
 自分の立場を宇田さんに示した事がありましたよね。
 
 1、無限は唯一一つであり、有限は否定する。
 2、無限には無限の差異がある。
 3、無限はある段階を持って

 確か、こんな感じだったと思います。

 この、1の立場が
 今になって分かったんですが、
 可能無限の立場に近いんです。
 可能無限は、
 唯一一つの無限があるって言えると思うんです。
 と言うのは、可能無限の場合、
 対角線論法を用いる事が許されないからです。
 それは、仮定法による証明では、
 自然数の個数と実数の個数が対応が付くとされましたが、
 そもそも、自然数の個数という定まった無限を
 可能無限は否定するからです。
 無限に大小の概念を持ち込まない事、
 これは、可能無限の立場です。
 だから、無限は無限であり、
 一つの無限があるだけと思うんです。
 それでは、僕の何が可能無限と違うのか?
 と言う点を話したいと思います。
 この、可能無限観と実無限観は相容れないものなんですが、
 唯一一つの無限と僕が主張する時は、
 この可能無限を実無限的に捉える事をする点にあります。
 そんな事を認めたら、
 対角線論法を許してしまうじゃないか?
 と思うかも知れませんが、
 仮定法の証明のところでの
 全ての自然数を並べて捉える事は出来ないとします。
 その理由は、
 可能無限を実無限的に捉えた場合でも、
 全ての自然数は完結しない無限だとするからです。 
 可能無限を実無限的に捉えるとするが、
 対象が自然数の全体の個数など、
 不明確な集合の場合は
 対象が全てあるが如くの態度は取れないとする主張です。
 有限は否定するとは、これはそうする事で
 最後の自然数を退けるために付け加えたものでしたが、
 これは、今は否定的で有限もきちんと考えられると言うのが
 今の僕の考えです。
 
 2、についてこれは、実無限的な立場を
 徹底すると得られると思うんです。
 ある無限があると、
 それよりもさらに小さい無限があり、
 それよりもさらに大きい無限がある
 という風に、無限に無限の差異をもうける事が出来る
 と主張しています。
 これは、無限論の著者の人など、一般の数学者は
 取っていない立場だと思います。
 例えば、1=0.00…1×∞の様に
 1を無限の集まりと捉える事が出来るのではと言う意味です。
 1や1.1や1.2それに21など
 それぞれ無限の集合を表しているかのように捉えられる。
 これは、少しの差でも違う無限を表されると言うことで、
 実は、実数を大きい方に傾けた、
 実数0.00…1を1に傾けた、という風な意味なるのではと思います。
 この、実数と対比するのはどうかと思うかも知れませんが、
 δで対応を付ける事を僕はしています。
 δはほんのわずかな違いでも記述しうる言語だと言うことを、
 言うために実数を引き合いに出してみました。

 3、の立場はいわゆる数学者の立場です。
 
 1を主張したり、1,2を主張したり出来ると話しました。
  
 実無限と可能無限は矛盾の矛と盾にあたるもので、
 両者を同時に正しいと評価すると必ず矛盾が生まれてくる
 と言うものです。
 しかし、矛最強と言ったら、
 矛が最強を通せば、矛盾は出てきません。
 また、盾最強と言ったら、
 盾が最強を通せば、矛盾は出てきません。
 このように、矛と盾を状況により
 使い分ける様にすれば、矛盾を認識しながらも、
 正しい答えが見通せるんじゃないか?
 と思うんです。
 だから1、2の両方を主張に取り入れる事が
 必ずしも悪いとは言えないと思うんです。
 
 1、2、3を主張する事は
 まだ考えられていませんが、
 これは、範囲を広げすぎた様に感じます。
 
 以上が宇田さんに以前示した事の意味です。   


 これを書き始めてから、
 2、3日過ぎてしまって返信が遅れてしまいました。
 それと、ここまで、読んで下さって有り難うです。
 まだ、ぼろが出てきそうな所もありますが、
 今の自分の考えを一応伝えることが出来たのではないか
 と思っています。
 出来たら、感想を下さい。
2007/01/28/10:08 >  3、無限はある段階を持っている

>  それでは、僕の何が可能無限と違うのか?
>  と言う点を話したいと思います。
>  この、可能無限観と実無限観は相容れないものなんですが、
>  唯一一つの無限と僕が主張する時は、
>  この可能無限を実無限的に捉える事をする点にあります。

 この可能無限観と実無限観が
 相容れないと言う説明をしておきながら
 可能無限を実無限的に捉えるとは、
 どういう事なのか?
 について、ニュアンスの補足をしたいと思います。
 可能無限的な可能性のみを追求した描像ではなく、
 対象が定まった範囲にある
 と言う認識が出来ると言うニュアンスを説明したくって、
 可能無限を実無限的に捉えるという表現をしました。
 つまり、可能性の全体像が見えているが、
 全体像を人間が把握出来ないでので、可能性だけを、
 見ているような状況になる。
 しかし、実無限的に無限を捉える様に、
 全体像を実無限観で捉えられるとすると、
 単に可能性であった可能無限観に定まった全体像が、
 加わると思うんです。
 これが、僕が可能無限という立場と違う点として、 
 主張する所です。
 しかし、自然数の個数の様に最後の自然数の様な、
 パラッドックスがあるので、
 自然数全体を実無限的に捉える事は
 出来ないとするのが、僕の立場の弱点です。
 最小と思われる自然数の個数の無限が、
 否定されるとしたら、
 無限なんてそもそも持ち出して来れないんじゃないか?
 って思いますよね。
 しかし、これは、有限の数でものを捉えるところを、
 唯一一つの無限で捉えるように変更すると言うことで、
 その変更の意義は、
 性質を確定出来ないようなものに対して、
 無限の内包力を利用して捉え切れている様にする。 
 これが、僕のしたいことなんです。
  
 2、について
 これは、自然数全体の個数と言うことは、
 念頭に入っていません。
 ですが、これは実無限観です。 
 ある対象が無限であり、
 無限を通してものを捉えると言うことです。
 実数で対比したように、
 2、については実数そのものを
 無限で置き換えただけのものです。
  
 1、2は1が矛で2が盾の様に捉えられると思います。
 前のメールで書いたように両方同時に正しいとすると、
 必ず矛盾が出てきますが、
 ルールを守れば、矛盾を認識しながら、
 正しい意見が述べられるものと思っています。
2007/02/01/08:08 >  実は、実数を大きい方に傾けた、
>  実数0.00…1を1に傾けた、という風な意味なるのではと思います。
 
 これ、逆ですね。実数1を0.0…1に傾けたです。
2007/02/08/23:03 段落分けが良く為されているし、
こう考えるとここがまずい、とか、
自分と自分で対話して思索を深める事が出来ている、
と思いました。
説明力も以前より強く成っていると思います。
しかし、こう考えると矛盾になる、
と言った時の論理が少し不明確で、
どこがどう矛盾になるのか、
と疑問に思う部分もありました。
2007/02/09/20:34  自分が感じていた矛盾は、
 可能無限的な立場に近い自分の無限観の一つと、
 いくらでも、差異が生まれてくると言う
 実無限的な無限観が互いに矛盾するという事です。
 それは、唯一一つと言っておきながら、
 無限に差異があるって言ったら、
 矛盾以外の何者でもないでしょう。
 だから僕の二つの立場は、
 一応区分しないと矛盾に陥ってしまうんです。
 
 そして、この矛盾に似たような、
 現代数学の無限観にも矛盾があると思います。
 それは、現代数学は自然数全体の個数と有理数全体の個数は、
 一対一対応でき、同じ無限とします。
 さらに、実数の無限はそれらよりも大きいとする。
 これは、無限は無限に等しいと
 無限は無限と違うと言う事を、
 実数の表記法から導き出しているんですが、(つまり、対角線論法で)
 そもそも、対角線論法は怪しいという立場を取れば
 実数の無限さと自然数の無限さは、
 前に宇田さんに話した様に、
 同じではないかという結論にも達しうるはずです。
 だから、無限は無限に等しいと、
 無限は無限と違うを論理的に区別する基準が
 そもそも、怪しいので、
 現代数学の実無限観には、
 矛盾が潜むと僕は推測するんです。
 
 しかし、現代数学が無限を捉える時に利用する
 対角線論法を正しいとする立場を取れば、
 現代数学で、使われている無限は
 普通に矛盾なく使えると思います。
 でも、カントールのパラドックスや
 ラッセルのパラッドックスや
 ゲーデルの不完全定理など、
 集合論の根本にある問題の話になってくると
 まだ、本当のところはよく分かりません。
2007/02/18/22:19 渡邉さんからのメールを、さっき、ちゃんと読みました。
最近、インターネット活動の範囲を広げすぎて、
メールチェックがおろそかになってます。
ごめんなさい。
無視したりは絶対にしないので、
その点は安心してください。 
2007/02/19/13:24 > 無視したりは絶対にしないので、
> その点は安心してください。

 宇田さんがその様なことをしない人だと思っていますから、
 音沙汰がこれで無くなると言うことを僕もしないことを、
 約束します。

 最近、無限に固執する必要はないのでは、
 と思ったりしています。
 と言うのは、僕が提案している範囲の無限は、
 数の桁外れに大きい有限に
 取って変わられる考えではと思っています。

 と言うのも、無限で捉える対象って本当に「実在」するのか?
 っていう問題提起です。
 いくら、捉えようとしても自分の頭の中では捉えられない
 と言うのは、無限のようでいても、
 実際は有限にとどまる場合があるのではないかと思います。
 
 だけど、無限級数の収束という問題や、数学的帰納法など、
 無限と言える対象を扱っている様な問題もありますよね。
 そこでの、僕の意見は、
 例えば、1+1/2+1/4+…= は
 限りなく2に近づく、
 項数を増やせば増やすほど、
 その和は2にいくらでも近づく、
 (記号で言うと→を使って収束を表す場合と同じ)
 を表している。
 これは、以前宇田さんが僕に示してくれた極限の話と同じだと思います。
 実際足される項数は、
 いくらでも、大きく出来るが、 
 それは、決して無限になるんではないんじゃないか
 と思うんです。
 数学的帰納法の場合は、
 全ての自然数にわたると言うのは、 
 少し違っていて、
 いくらでも、大きな数でも
 成り立つと言う意見に取って変わられると思うんです。

 んー、少し、分からなく成りましたが、
 無限を考えないで、
 有限の立場でも、
 十分な可能性のある数学的な体系が創れるのではと思います。
 有限の立場はヒルベルトが提案して
 ゲーデルによって否定された立場のつもりです。
 有限主義に関しては、
 もう一度、本を読む必要がありますが、
 今、思う事はこんな感じです。
2007/02/19/20:22 >  んー、少し、分からなく成りましたが、
>  無限を考えないで、
>  有限の立場でも、
>  十分な可能性のある数学的な体系が創れるのではと思います。

 有限の立場では、
 完全で無矛盾な自然数の公理系を与えることが出来ない
 と言う事みたいですね。
 だから十分な可能性のある数学的な体系が創れると言うのは、
 行き過ぎた発言の様な気がしてきましたが。
 しかし、
 数学的帰納法など若干取る立場が変わるだけで、
 有限の立場では、
 最後の自然数がらみの問題からは解放されそうです。
  
 んー、でも前に上げた
 実無限と可能無限を併せ持った僕の解釈も十分魅力的な気もします。
 今は、どちらが良いか
 判断しかねている段階です。
2007/02/25/07:59  有限とか、無限とか、
 最初は区別する必要がないのではと。
 それは、まず最初に判断するのは 
 その、大きさ、形、などの五感からくる
 情報であり、有限とか、無限とかは、
 二の次になっているのが、普通の様な気がします。

 つまり、感覚に訴えてくる情報が大事だと思うんです。
 有限とか、無限とかは人間が、
 都合の良いように
 頭で、場合分けした時に
 判断される情報の様な気がします。
 
 ただ、人間が脳で判断する情報の全てが、
 感覚に劣ると言うのではありません。
 僕の場合は、ウラン原子の模型を見ると、
 描かれている電子軌道以上の何かを、
 イメージしています。
 これは、脳でイメージしている事だと思うんですが、
 五感と同じくらいに必要な情報だと認識しています。

 言いたいのは、
 人それぞれだと思うんですが、
 まずは、
 自分の素直な感覚に従うべきであり、
 論理的に導かれるものは、
 それを強化するものでなければいけないのでは、
 と思いました。
 
 このような立場の事を、
 宇田さんに以前、僕は
 直感主義の立場を取るなど
 と話していたんだと思います。
 
 集合論のところで出てくる、
 直感主義論理というのは、
 僕の話している直感主義とは、
 まったく別である事に、
 無限論の教室という本を、
 繰り返し読んだ時点で気付きました。

 この直感主義でものを捉える時に、
 対象と対応を付ける言葉として、
 δの文字で表記された言葉のイメージ群が
 僕の場合、役に立っているんです。
 
 つまり、δは認識に対する
 言葉の表現方法って事に成りますかね。
 
 δは人に説明できないでいて、
 自分の感覚的なイメージでしか
 表現できないと思っていましたが、
 ここにきて、要約、
 人に説明する言葉を持ってきた様に感じて、
 とても嬉しいです。
 
 P・S 無限と有限の考察を
 止めたわけではありません。
 無限と有限が感覚的に分かる様になるために
 努力をして行こうと思っています。 
2007/03/12/17:05 学会発表で東京行くんですけど、
そのときに会いませんか?
会うとしたら、3月29日午前中に成ると思います。
その時間帯に電話をくれれば、会えると思います。
僕の携帯電話は番号が、
0*0-****-****
です。
石神井公園か善福寺公園でも歩きませんか?

無限について。
物理だと、宇宙が論理的には無限でも構わないんだよね。
だから、無限は禁止、ということでは、具合が悪い。
2007/03/15/16:31 > 石神井公園か善福寺公園でも歩きませんか?

 石神井公園だと、時間をぴったし
 宇田さんに合わせられます。
 宜しければ、石神井公園で会いましょう。

 宇田さんと会うのは、
 久しぶりですね。
 どんな話になるのか、楽しみにしています。  
 
 三月二十九日の午前中に待ち合わせで良いんですよね。
   
> 無限について。
> 物理だと、宇宙が論理的には無限でも構わないんだよね。
> だから、無限は禁止、ということでは、具合が悪い。
>
 宇田さんは、宇宙を時間的な無限として
 捉えているんですか? 
 それとも、今の瞬間の宇宙の姿が
 無限と捉えているんですか?
 いや、こう聞いても、
 一つの返事では返せない様な気がしますし
 まだ、聞きたい事が有ります。
 宇田さんの言う通り、
 宇宙は無限と言っても良いような気もしますね。
 しかし、まだ僕の方が、
 十分考えが練られていないので何か、
 コメントをする事が難しいです。

 それと、改めて、
 宇田さんに送った内容を読んでみると、
 何とも、一体どういう事が、
 核にあるのか、分からない様な内容ですね><
2007/03/15/16:39 > 石神井公園か善福寺公園でも歩きませんか?
 
 石神井公園だと宇田さんにぴったし、
 時間を合わせられます。
 宜しければ、石神井公園で会いましょう。
 
 宇田さんに会うのは久しぶりなので、
 どんな、話になるか、楽しみです。
 
 三月二十九日の午前中で良いんですよね。
 
 これと、ほぼ同じ内容のメールを送ったつもりなんですが、 
 メールの記録に残らなかったので、再度送ります。
2007/03/16/18:43 >  言いたいのは、
>  人それぞれだと思うんですが、
>  まずは、
>  自分の素直な感覚に従うべきであり、
>  論理的に導かれるものは、
>  それを強化するものでなければいけないのでは、
>  と思いました。
 
 自分の感覚を強化するために、
 論理を使うと言うのは間違いの様な気がしてきました。
 論理は感覚とは違う
 人間の精神がおこなう情報を整理するための
 言葉であり、
 感覚を第一優先にすれば、
 何でもかんでも、
 大丈夫と言う様な僕の主張は、
 甘いと思いました。
 今は、論理も感覚も大切にしないといけないと思っています。
 僕の直感主義という用語は不要に思われます。
 
>  この直感主義でものを捉える時に、
>  対象と対応を付ける言葉として、
>  δの文字で表記された言葉のイメージ群が
>  僕の場合、役に立っているんです。
>
 この直感主義と言うところは不要で、
 僕の感性に訴えてくる対象に、
 対応を付ける言葉として
 δの文字で表記された言葉のイメージ群が
 僕には、曖昧さが有りますが、あると言うことです。
 
>  つまり、δは認識に対する
>  言葉の表現方法って事に成りますかね。
>
 これで、δが説明出来た訳では無いですね。
 δの内容を抜きにしたものを、
 形式的な意味を説明出来たに過ぎませんでした。
 喜んでいましたが、
 読み返してみると何とも
 お粗末でした。
 
>  P・S 無限と有限の考察を
>  止めたわけではありません。
>  無限と有限が感覚的に分かる様になるために
>  努力をして行こうと思っています。  

 これ、今読んで見ると意味不明な所が有ります。
 感覚的に無限が分かるようになるってどういう事なのかって??
2007/03/17/21:04 石神井公園ということで、よろしく。
2007/03/20/07:01  了解しました。
 時間など、都合の良い時間を教えて下さい。
 携帯:0■0ー■■■■ー■■■■ です。
 では、お待ちしています。
2007/03/31/23:20  こないだは、僕が調子が悪い中
 話に付き合って頂いて、どうも有り難う御座いまいした。
 長旅、お疲れ様でした。
 二、三日過ぎて、家で少し
 物理学会の報告をまとめていると思いますが、
 宇田さんの意見が、
 良い物において、
 とおる事が出来ますように祈っています。
 
 さて、宇田さんと、δについて
 話をしましたが、
 宇田さんが、理解して
 δはこうではないか?って
 色々解釈を与えて下さいましたが、
 宇田さんが、得た解釈の中で
 僕としては、少し違和感があったものがありました。
 例えば、宇田さんが、僕のδは
 絵を書くことに似ているんじゃないかって
 言って、桜の花びら一枚、一枚に、
 δで名前を付ければ、面白いんじゃないかって
 言ってましたよね?
 絵を描くってイメージはピントが近い気がしますが。
 だけど、一枚、一枚書くというイメージはなんだか、
 不必要なイメージが付きまとっていて、
 なんだか判然としない気がします。
 と言うのも、桜の花びら一つ一つに名前を付ける
 必要はないんです。
 桜という名前があれば、
 十分なんです。
 つまり、桜が、一枚一枚の花びらを
 詳細に表した、言語であって、
 それ以上に分類する必要は特には無いのです。
 桜を表す、δの名前があれば、
 個々一枚、一枚の花びらを表せるだけでなく、
 桜の木全体も正確に、
 客観的にも主観的にも表現出来るはずです。
 ただ、桜の花びらを詳細に鮮明にしたいがために、
 花びら、一枚一枚にδの名前を付けたくなるし、
 その方が、便利な時もあると思うんですよ。
 だから、宇田さんが、
 花びら一枚、一枚に名前が付いているって発想した時に
 すごい、違和感を感じてしまって。
 
 でも、僕の言いたいことが、多くて、
 宇田さんが、捉えている見方も、
 或る意味、δの一面をえぐり出していて、
 自分の言葉にするのに参考になった面もあのかなと思っています。

 δについてまだ色々と話をしまいしたが、
 残っているのは、上に上げたものが、 
 印象に残っていて、後は、何を話したんだっけかって
 思い出せずにいています。 

 あ、そうだ、δはベキ集合なのかって話がありましたが、
 δは、ベキ集合による矛盾に煩わされないだろうと、
 僕は、思っています。
 つまり、δはゲーデルの不完全性定理や
 カントールのパラッドックスの範疇では
 ない気がします。
  
 無限、がらみの話も出ましたよね。
 δは、前のメールで説明した様な
 僕の主観的な無限観を表す事は可能だと思うんですが、
 数学で、使われている、
 自然数全体の無限や実数全体の無限は
 最後の自然数の問題があるために、 
 δの範疇では無い気がします。
 
 宇宙が論理的に無限であっても良いと言う時の
 無限は、僕の立場では、
 僕の無限観に立った無限、つまり、唯一一つの無限が
 対応するように思います。
 僕は、しきりに有限的なイメージで宇宙が構成される
 と言っていましたが、
 宇宙が無限的でも良いと思えます。
 宇田さんが、宇宙の無限さは、
 空間的に、時間的に無限であるとの話でしたので。
 物質的な無限さが宇宙であると言うのは、
 僕は行き過ぎだと思っていましたが、 
 空間、時間的に無限と言うのは構わないというか、
 現時点では有限にとどまっていたとしても、
 時間的な無限さであれば、いくらでも
 広がって行くイメージが容易く可能です。
 時間の経過とともに空間も広がるイメージもありますから、
 宇宙が、時間的にも空間的にも無限であると言うのは
 主張として、誤ったところを見いだせないですね。
 これは、宇田さんが言っていた事なんでしょうね。 

 この、時間的に、空間的にと言うのは、
 可能無限ではないでしょうか?
 可能無限は可能性だけを示していると
 書きましたが、
 本を読んで見るとここの所は
 どうやら、ぼかされている感じではっきりしないんですが、
 対角線論法で無限の上の無限を出されないための論法として、
 可能性のみという表現にとどまっている感があるんです。
 つまり、僕の無限観で言う、
 唯一一つの無限が実は可能無限と同義なんではと思うんですよ。
 ここで、無限が終わっている、捉えられている
 とする弱点を消せれば、
 対角線論法は意味を持たないものに
 変わるはずです。
  
 自然数の個数の無限で、
 宇宙の無限さを表す事が可能だと思いますが、
 捉えられるとすると矛盾が生まれる、
 つまり、対角線論法が出てくると思います。
 宇宙の無限さよりももっと大きい無限さ
 さらに、それよりももっと大きい無限さ
 という風に切りが無くなってしまいます。

 つまり、自然数の個数で宇宙の無限さを表すと
 宇宙よりももっと大きい宇宙、
 それよりももっと大きい宇宙という風に
 何か、宇宙が捕らえどころのない
 広がりを持つと思いました。
 
 少し、分からなくなりました。
 宇宙って僕が捉える最高範囲のものと
 思いましたが、
 宇宙をも取り込む大宇宙
 大宇宙をも取り込む
 さらに先の宇宙というものがあっても
 良いのではと言う気にもなって来ました。
 
 宇田さんが、前に、最後の自然数の話のところで、
 最後の自然数は考えないで良いという立場はと
 言っていた事を思い出しました。
 最後の自然数は考えないで良いと言うよりは、
 無限において最後の自然数というのは、
 用語としておかしい気がしてきました。
 最後の無限って何でしょうか?
 そんなの意味が無い気がします。
 と同様に、最後の自然数というのもナンセンスな
 気がします。
 対角線論法は自然数と実数の一部が対応が付くと仮定して
 証明されるのであって、自然数を全部書き下せるという所に
 無理がある気がします。
 それは決して書き下せるものでは無いが、
 自然数全体は捉えられるものであるとしても良いとする
 ことこそが、僕の主張である事に気が付きました。
 つまり、書き下せないがために、
 実数の一部と対応付けは出来ないが、
 本質的に自然数の無限さは捉えれるとする点に
 僕の主張の核があると考えるように、
 今、成りました。
 
 しかし、この書き下せないと言うのを
 強引に書き下せるとしてしまうと、
 宇宙よりも大きい宇宙という論法が通るという事も
 分かりました。
 
 短めにコメントを入れようと思いましたが、
 途中から力が入り、ここまで、
 止められませんでした。
 ここまで、読んで下さって有り難う御座います。

 できたら、この話のコメントを手厳しく、ください。
2007/04/01/21:24 (件名=口から文法主義を聞きました)

 宇田さんも、説明する内容が重いようで
 説明するんだけど、聞き手の分析力を要求する話し方に
 なっていると感じました。
 僕のδは説明する言葉さえ決まっていないし、
 話す内容は刻々と
 変わっているようにさえ感じると思いますが
 宇田さんと同じで伝えたいことを、
 より良く要約できる言葉があると思います。
 
 宇田さんの表現の方法がダメと言っている訳ではありません。
 自分の言葉で編集せずに述べている内容は
 宇田さんが、本当に考えている事がストレートに
 反映されていると思います。
 ですが、僕もですが、
 人にものを言うときは、
 国語力がものを言うんだなって言うのも
 聞いていて正直に感じた事です。

 宇田さんに、国語の勉強をしなさいという気は
 ありませんが、
 僕の国語力を想像すると、
 僕は国語力をきちんと身に付けなければ、
 人に説明する時に
 きちんと理解してもらえないんだと思いました。

 この文章を書いていても思います。
 この内容だと宇田さんに、
 僕の真意が伝わらずに宇田さんを批判している
 だけに終始しているように
 思うんじゃないかって書いていて思います。
 
 自分は文章力や構成能力が足らずに、
 宇田さんに不快な思いをさせている事を感じていますが、
 一度、書いた文章をあえて消しません。
 これは、宇田さんが編集をせずに
 主張を述べているのに似ていると思います。
 宇田さんを傷つけている事へのお詫びはします。
 大変に申し訳のないものの言いようになって
 失礼を重ねています。
 すみません。
 
 宇田さんに伝えたい事は、
 自分の言葉で正確に相手に自分の考えを伝える事の難しさです。
 
 自分の伝えたい言葉が相手に伝わるかどうか心配で、
 言葉を継ぎ足していき、
 無駄が多く、相手に理解されにくい表現方法に成ってしまう
 事など、欠点が多くて、
 どこを、どういう風に変えれば
 相手に、短い文章で伝えられるかなど、
 僕の国語力の無さが浮き彫りになっていると思います。 
 
 僕のこの体裁をみて、
 宇田さんが、
 人にものを伝えようとするには
 難しさが付きまとうものだと思ってくれれば、
 僕がこのメールを書いた意味が伝わったと思います。
 
 もう一度、書きますが
 宇田さんを批判して書いているわけではありません。
 宇田さんの言葉がもっと力を持つようになるために
 ああではないか、こうではないかと述べているんです。
 
 不快に思ったら、本当に申し訳ないです。 
 ごめんなさい。
2007/04/01/23:31 手厳しく、って言われてもねえ、
良く分からないんです、渡邉さんの言いたい事が。
前に、ああでも無いこうでもない、とコメントしたように、
渡邉さんの説明そのままでは僕にとっては混濁していて、
それを僕の言葉に直して「こうですか?」と言うと、
「そうではない」と言われるので、
僕としては、打つ手がありません。
ま、こういうコメントが一番手厳しい、かもしれませんが。

2通目は、
しきりに「僕を批判しているのではない」と書かれていますが、
どの部分が、僕を批判していると誤解される恐れがあるのか、
全く分かりませんでした。
どこにもそんな箇所は無い気がしました。

「クチから文法主義まかせ」はフリートークなので、
僕の書いた文章ほどには整然と必要十分には、
成っていません。
その分、書き言葉の方が優れていますが、
書き言葉よりもあれの方が良い、と言ってくれる人も居て、
ま、書き言葉も話し言葉も、どちらも一長一短ですね。  
2007/04/02/19:24 > 手厳しく、って言われてもねえ、
> 良く分からないんです、渡邉さんの言いたい事が。
> 前に、ああでも無いこうでもない、とコメントしたように、
> 渡邉さんの説明そのままでは僕にとっては混濁していて、
> それを僕の言葉に直して「こうですか?」と言うと、
> 「そうではない」と言われるので、
> 僕としては、打つ手がありません。
> ま、こういうコメントが一番手厳しい、かもしれませんが。
>
 んー、自分の自信の無さが
 宇田さんがこうでないかって言われた時に
 少しでも、違う面があると
 そうではないって言っていた面があります。
 δを暴かれるのを拒んでだだをこねている子供
 みたいでした。
 そうではなくって、
 宇田さんがδはこうでないかって言った時に
 ここの部分は、当たっているが、
 こういう面もδにはありますとか
 という風な態度を取らなかった僕が悪いんですね。
 反省してます。 
 
 僕にもう一度説明するチャンスを下さい。
 今ならば、δについて説明出来ると思うし、
 または、話しながら、整理が付いて
 具体的に話が出来る気がするんです。
 宜しければ、もう一度、
 δはこういうものなんじゃないかって
 問うてくれませんか?
 
 問うてくれと言われても糸口が無いと
 思うかも知れないので、
 δの事を少し話ます。
 δは感触としては数と言うよりは
 数量に最初はイメージが近いと思います。
 そして、古代の人は数量を文字で表さず、
 言葉を用いて表していたと聞いています。
 僕のδは要するに、
 この古代的な数量の言葉と似たようなものだと
 自分では思っているんです。
 それで、桜の話になるんですが、
 桜と言う言葉自体が数量を表していて、 
 さらに、進めて桜の状態をも表している言葉
 という風にどんどん、
 話を進めていった先にあるのが
 δなんです。
 と、取りあえず、
 こんな感じでδを説明してみました。
 
 今さら、δはいいよと言うなら、返事は
 今は興味がないと伝えて下さい。
  
> 2通目は、
> しきりに「僕を批判しているのではない」と書かれていますが、
> どの部分が、僕を批判していると誤解される恐れがあるのか、
> 全く分かりませんでした。
> どこにもそんな箇所は無い気がしました。
>
 これは、宇田さんに国語力をつけろって
 書いていてゆってしまうんじゃないかって言う懸念から
 書いたことだと思います。
 自分が国語力がないと言うことで、
 間接的に宇田さんに国語力を付けた方が
 良いと批判している気がしたんです。

> 「クチから文法主義まかせ」はフリートークなので、
> 僕の書いた文章ほどには整然と必要十分には、
> 成っていません。
> その分、書き言葉の方が優れていますが、
> 書き言葉よりもあれの方が良い、と言ってくれる人も居て、
> ま、書き言葉も話し言葉も、どちらも一長一短ですね。
>
 そうですね、一長一短ですね。
2007/04/02/22:06 御要望にお答えして、次の質問をします。

・δとは何ですか?
・渡邉さんが前件で「数量」と言ってる部分は「量」ではいけないんですか?
・自然数→整数→有理数→実数→と進んだ先にある終点のようなものがδですか?


ところで、他者を全く手本にしない道について、僕は公園で話しましたね。
これについて少し付け加えます。
数学には大きく分けて「代数学」「解析学」「幾何学」の三分野がありますね。
人を手本にする道とは、
代数学を学んで、学んだ事を活かして、代数学を発展させたり、
代数学の先にある超代数学とでも呼ばれるべき様なものを考え出す事です。
しかし、こういう方法ではいくら頑張っても「幾何学」を発明する事は無いでしょう。
逆に、代数学も解析学も全く学ばなくても、ものすごく才能があれば、
「幾何学」を発明してしまう事は出来ます。
他者を全く手本にしない道とは、こういう行き方です。
こういうのは数学がものすごく高度に発展してしまった現在では不可能か、と言うと、
現代でも、そういう例があります。
たとえば、数学のフラクタル理論なんかは、
数学の勉強を一生懸命しなければ考え出す事が出来ないものではなく、
逆に、数学の勉強を一生懸命すれば考え出す事が出来る、というものでもありません。
この様に、勉強もせずにいきなり業績を残そうとする事は絶対不可能、なわけではないのですが、
才能の程度の話は別としても、上に僕が書いたような手本無き道の特性を良く知ってそれを活用しないと、
難しいと思います。
つまり、既存の学問とはテンで方向が違うもの、という方向へ頭を向けないといけません。
そうでないならば、ものすごく勉強して、既に言われている事のその先を考えるしかない、という具合です。
2007/04/03/20:52  ・δとは何ですか?

 δとは、もとはと言えば
 宇宙開闢の瞬間を、
 イメージではなくって
 感覚で捉えたって思えた瞬間に
 自分が何度も何度も、
 或る文字を書いていて、
 綺麗に書けた時に完成した象形文字
 と言えるかも知れません。
 それが、いつしか、
 そのとき以外の不要なイメージが
 δに付け加えられては
 消されていき、洗練されて
 意味のあるものだけが、
 その象形文字の感覚を消さないように、
 残って一つの概念になって言ったと思います。
 だから、δとは何かと言われたなら、
 宇宙開闢に関わる概念総体と言うのが、
 本来の意味なのかも知れません。
 ですが、自分が不快に思わない範囲で、
 機能というか、意味が加わって行きました。
 それは、例えば
 本来は宇宙開闢を表すだけだったのに、
 宇宙の細部を詳細に表す言葉にもなって来ました。
 宇宙に比べれば、
 最小とも言えるくらいな、
 原子や電子などに
 δができた時に
 感じた感覚の様なものを崩さない
 感覚を織り込んで行きました。
 
 前に宇田さんに
 δは宇宙ですか?
 集合ですか?って聞かれた事が有りましたが
 δ≒宇宙であり、δは集合ではないと言いました。
 だけど、今考えると、δはほとんど宇宙であり、
 δnpdpvdl、δmpgdkgp、…などは
 或る意味集合を表してると思います。
 自分が集合というものを定義できずにいて
 集合を分かっていなかったから、
 δpogesplが集合だという事が分からなかったんでしょう。
 しかし、全くの集合論だと言われると
 拒否したくなるんです。
 それは、僕の集合論的なものには
 対角線論法は使えないとする点が 
 上げられます。
 
 ・渡邉さんが前件で「数量」と言ってる部分は「量」ではいけないんですか?

 量というと数という抽象化されたものが外されたものになってしまいます。
 量というと具体的な意味が
 数というと抽象的な意味があると思いまして
 δは量と言う具体的な面だけでなく、
 抽象化された概念でもあると言いたかったからです。  

 ・自然数→整数→有理数→実数→と進んだ先にある終点のようなものがδですか?

 そうですね。今のところ実数のところで止まっています。
 概念的には拡張していければ面白いと思います。
 目指す方向性としては合っているのかも知れません。

> 才能の程度の話は別としても、上に僕が書いたような手本無き道の特性を良く知ってそれを活用しな
いと、
> 難しいと思います。
> つまり、既存の学問とはテンで方向が違うもの、という方向へ頭を向けないといけません。
> そうでないならば、ものすごく勉強して、既に言われている事のその先を考えるしかない、という具
合です。

 そうだと思いますね。
 そこのところは
 自分は勉強を必死でやらなければ行けないのか、 
 そうではなくって、
 テンで違う方向に目を向けていられるので大丈夫か
 良く判断しないと痛い目を見ますね。
  
 自分では判断が付かない面もありますんで、 
 宇田さんがその考えは慨存であると分かったら
 教えて下さい。
2007/04/04/16:05 <自然数→整数→有理数→実数→と進んだ先にある終点のようなものがδですか?

>そうですね。今のところ実数のところで止まっています。
>概念的には拡張していければ面白いと思います。
>目指す方向性としては合っているのかも知れません。

だとすると、渡邉さんの道は手本無き道ではないと思います。
なぜなら、

>人を手本にする道とは、
>代数学を学んで、学んだ事を活かして、代数学を発展させたり、
>代数学の先にある超代数学とでも呼ばれるべき様なものを考え出す事です。

だからです。
前にも書いたように、

>そうでないならば(手本無き道を行くのでないならば)、
>ものすごく勉強して、既に言われている事のその先を考えるしかない、
>という具合です。

これを具体的に言うと、渡邉さんは、既存の研究が、
自然数→整数→有理数→実数→と進んでどこまで到達しているかを確認しなくてはいけません。
すると、その先を自分で考えることが出来ます。
体としては、自然数→整数→有理数→実数→複素数、までで止まります。
複素数体より大きな体は存在しない事が知られています。
体に限らないならば、
自然数→整数→有理数→実数→複素数→関数→汎関数、
という風に進むと僕は考えます。
そして現実世界と対応付けられる数学概念としては、
古典物理学では実数値関数が、
量子力学では複素数値関数が、
場の量子論では汎関数が考えられていると思います。
ある意味、僕の新文法は、この路線の上の次の一手だと思っています。
しかし、僕の新文法で考えるのも、汎関数の次に来るものではなく、汎関数です。
汎関数の次に来るものとしては、定義域の元が汎関数であるような写像を考える事が出来ます。
2007/04/08/09:52 >
> だとすると、渡邉さんの道は手本無き道ではないと思います。
> なぜなら、
>
> >人を手本にする道とは、>代数学を学んで、学んだ事を活かして、代数学を発展させたり、>代数
学の先にある超代数学とでも呼ばれるべき様なものを考え出す事です。
> だからです。
> 前にも書いたように、
>
> >そうでないならば(手本無き道を行くのでないならば)、
> >ものすごく勉強して、既に言われている事のその先を考えるしかない、>という具合です。
>
 まず、返信が遅れてスミマセン。
 一つに宇田さんが、
 僕の道が手本無き道でないと言った事に対して
 全くの手本のある道では無いのではないかって
 思ってしまって、
 説明しようと思いましたが、
 結局、全く新しい局面において、 
 僕が独自の路線を出しているとまでは
 言えないのではと思いました。
 言いたいのですが…
 
 では、数学を大学に行って勉強して
 さらに、大学院に行って研究を続けて
 からでないと正しい道ではないのか?
 と思うと気が滅入りました。

 δをみんなに説明できるように
 なるためには、つまり、
 δを正確に数学的に記述するためには
 数学を宇田さんの言うと通りに勉強して
 行くしかないと思うんですが、
 それは、伝える手段に
 キチンとした数学的な手法が
 必要と言うことであり
 自己でδを考える場合においては、
 キチンとした数学的な基礎に立たなくても、
 δを捉えられると思うんです。
 (ものすごく、大雑把に捉える事が出来る)
 それをキチンとした言葉にして
 説明しようとすると、数学の洗練された
 言葉が必要になってくるんだなって
 思いました。
 
 言いたかったのは、 
 僕がδを人に寸分違わず正確に
 説明しようとする場合において
 数学を徹底して、 
 やっていかないと
 行けないと言うことで、
 人に説明する事を求めなければ、
 徹底して数学を勉強する必要はないのではないか
 という事です。
 
 そうすると、僕の性格上、人に説明もしたいが、
 僕が、数学を体系的に学ぶことが出来るかどうかを
 考慮に入れると、
 δを人にキチンと説明することが
 できるようになるには、
 現時点で相当難の困難があると言う事になります。

 δを人に説明したい、宇田さんに分かって頂きたい
 と言うのは
 勉強をしないと無理ですよ
 と宇田さんに言われているのに気付いた次第です。
 
 一人よがりで良いなら、構わないんですが。
 それだと、自分の事を説明できない歯がゆさが有ります。
2007/04/13/19:42 (件名=中堤さんが質問してきました)

 二つあります。 
 
 一つは 1=0、999… であると言う問いで
     A=0、999… とおく
   10A=9、999…
 ∴  9A=9
     A=1 と言う解答でした。

 もう一つは X=1-1+1-1+…
       X=1-(1-1+1-1+…) 
     ∴ X=1-X
       X=1/2 という式の提示でした

  
 これに対して、僕は
 
 一つ目は 1=0、999…99 と9が可算無限個あるとする
      A=0、999…99 
    10A=9、999…9
     9A=8、999…91
    ∴ A=0、999…99 という解答をしました。

 二つ目は X=1-1+1-1…1-1 (1)「1-1…が可算無限個あるとする」
  または X=1-1+1-1…-1+1(2)とおく
   (1)X=1-(1-1+1-1…+1)
      X=1-(X+1)
     2X=0
      X=0 であり、また
   (2)X=1-(1+1-1+1…-1)
      X=1-(X-1)
     2X=2
      X=1
    ∴ Xは0、1を振動すると言う解答をしました。

 宇田さん、中堤さんが意図するところって何なんでしょうか??
 僕の解答に間違いはあるんでしょうか??  
2007/04/14/02:39 厳しい事を言うと、
手本無き道、というのは、少しでも手本があってはいけないんです。
少しは先人を手本にしているけど、
手本に無い何かを自分で考え出している面もある、
というのは、手本無き道ではありません。

と言うのは、
渡邉さんの話をある程度聞くと、だんだん分かって来たんですが、
渡邉さんのδという考えは、
渡邉さんが生まれつき持っている悶々としたものではなく、
数学書を読んだりウラン原子の模型を見たときに、
それらがヒントと成って発生したものらしいからです。
それも、
それらヒントに対して批判的に、
自分本来の悶々とした想念の方が優秀である、
と直感したのではなく、
それらヒントに屈服した後で、それを超える事を目論む様になった、
らしいからです。

こういうのは、手本無き道ではありません。
僕の歩んでるのと同じ、手本のある道です。

それに、自分の頭に生じた考えδが、
他人の頭には生じていない、という確信を、どうして持てるのでしょうか?
どんな人でも、たとえば、ウラン原子を見たときに受けた印象の全てを、
言葉で完全に表現する事は出来ないのではないでしょうか?
アインシュタインにもカントにも僕にも、出来ないと思います。
とすれば、差が出るのは、
言葉で説明する前の、想念自体ではなく、
それを原動力として生じた言説だけではないですか?
ウラン原子を見たときに渡邉さんの受けた印象とそれによって生じた想念は、
確かに渡邉さんだけの独自のもので、他の誰にも無いものかもしれません。
しかし、それは、
渡邉さん以外のどの個人についても言える事なのではないですか?

カントもアインシュタインも、彼らの著作物限りの人間ではなかったはずです。
当然、それ以上の内容を持っていたことでしょう。
僕もそうです。誰でもそうだと思うんです。
しかし、そういう、顕在化しない部分は、業績とは成りません。
だから、僕は、出来るだけ、
自分の全てを著作物に反映させようと努めていますが、
100パーセントは無理です。

自分に生じたδという想念が、
そういう意味での生物学的なノイズに過ぎない、と考えれば、
それを表現できない事が、さしたる苦痛でもなくなる、
と思います。
2007/04/14/03:20 答えを言うと、
中堤さんの A=1 は導出法まで含めて正しくて、X=1/2 は間違いです。
渡邉さんの A=1 の導出法は間違いで、 Xは振動という答えは正しいんだけど、
理由付けが、振動と言うための理由付けとしてはマズイ。
あの理由付けだと、背理法で収束しない事の証明としては使えるけど。
だから、答えを、収束しない、とか、不定としていれば、
理由付けまで含めて正しかったんだけど。

中堤さんの意図?
渡邉さんと仲良く成りたかったんじゃあないの?
2007/04/14/03:42 物理学は実験で理論を検証します。
理論家は言葉で理論を検証します。
つまり、自分の持っている非言語的なアイデアを、
言語化しようと努め、
それが上手く言語化できなかったり、
言語化できても、文章が美しくな(本当っぽくな)かったり、
論理的につじつまが合わなかったら、
もともとの非言語的なアイデアが棄却されるわけです。

僕も、頭でボーっと考えていて、
とても良い考えをが思い付いた、と感じ、
それを、紙に書いてみて、
書いている途中に、書かれたものを見て幻滅し、
元々のアイデアがいかにくだらない的外れなものであったかに、
気付く事が、多数回ありました。

この経験は大切ですよ。

そうする事によって、
今度はもっと上手く行くものを考え出そう、という風に、
進歩レベルアップ巧妙化するからです。

これが無いと、
ものすごくレベルの低い所でまどろんだまま一生を終わる危険性が
大きいです。

また、書く事は、
書き始めに持っていたアイデアが大した事なくても、
自分で書いた内容から教えられたり啓発されたりして、
それに導かれて、思いがけない、
ある意味、自分の能力を超えた所に到着する事もあります。
これは、例外的な事ではなく、
良くある事です。
これについても、書かなければ始まらない、といった所です。
2007/04/16/19:12 > 自分本来の悶々とした想念の方が優秀である、
> と直感したのではなく、
> それらヒントに屈服した後で、それを超える事を目論む様になった、
> らしいからです。

 屈服という言葉は余り、好意的な言葉に感じないので
 屈服と言うよりはヒントから起想されたと言われた方が良いかも知れない。
 まぁ、同じ事ですが…
 でも、ヒントを批判したりしていないと言うことですよね。
 大筋において、ヒントを批判していないと思います。
 だから、宇田さんの見通しは合っていると思います。
 手本無き道なのではと思っていましたが、
 そうでは、なくって
 多くの人々の考えの上にちょこんと立っているに過ぎない
 と言う視点は、自分で物事を少しは考えないと行けないと
 自覚させられる次第です。

 自分のアイデアを紙に書いて進めてみることの大切さを
 説いていましたが、まさに、そこから
 自分の考えが進んでいくような気になっています。
 但し、全く自分独自のアイデアと言う訳では無いようですが。

> それに、自分の頭に生じた考えδが、
> 他人の頭には生じていない、という確信を、どうして持てるのでしょうか?

 自分が特別という考えを持たなければ、確信にはならないですね。
 つまり、自分は特別だって思うことで他人と差別をしていたと言うことになりますね><
 
> どんな人でも、たとえば、ウラン原子を見たときに受けた印象の全てを、
> 言葉で完全に表現する事は出来ないのではないでしょうか?

 だから、δはイメージみたいなもので、
 いつも留まっているのかも知れませんね。
 ですが、自分だけに許されるならば、
 自分の感覚を再度同じように認識することも不可能ではないのでは?
 とも思えます。
 自分の中だけならば、完全に表現仕切っていると思えると思いました。

 しかし、それさえも、完全にではないのかも知れません。
 
> アインシュタインにもカントにも僕にも、出来ないと思います。
> とすれば、差が出るのは、
> 言葉で説明する前の、想念自体ではなく、
> それを原動力として生じた言説だけではないですか?

 意味を持ってくるのは、その通りではないかと思います。
 
> ウラン原子を見たときに渡邉さんの受けた印象とそれによって生じた想念は、
> 確かに渡邉さんだけの独自のもので、他の誰にも無いものかもしれません。
> しかし、それは、
> 渡邉さん以外のどの個人についても言える事なのではないですか?
>
 そうですね。

> カントもアインシュタインも、彼らの著作物限りの人間ではなかったはずです。
> 当然、それ以上の内容を持っていたことでしょう。
> 僕もそうです。誰でもそうだと思うんです。
> しかし、そういう、顕在化しない部分は、業績とは成りません。
> だから、僕は、出来るだけ、
> 自分の全てを著作物に反映させようと努めていますが、
> 100パーセントは無理です。
>
 とっても説得力があります。

> 自分に生じたδという想念が、
> そういう意味での生物学的なノイズに過ぎない、と考えれば、
> それを表現できない事が、さしたる苦痛でもなくなる、
> と思います。

 それでも、生物学的なノイズに過ぎないと言われると
 ああ、そういう風に理解するのかって思いますが。
 言説で勝負しなさいと言われているなら、
 宇田さんが、提示してくれたヒントを頼りに
 自分の言説をつくって行こうと思います。
2007/04/17/15:07 < 自分本来の悶々とした想念の方が優秀である、
< と直感したのではなく、
< それらヒントに屈服した後で、それを超える事を目論む様になった、
< らしいからです。

>  屈服という言葉は余り、好意的な言葉に感じないので
>  屈服と言うよりはヒントから起想されたと言われた方が良いかも知れない。
>  まぁ、同じ事ですが…
>  でも、ヒントを批判したりしていないと言うことですよね。
>  大筋において、ヒントを批判していないと思います。
>  だから、宇田さんの見通しは合っていると思います。
>  手本無き道なのではと思っていましたが、
>  そうでは、なくって
>  多くの人々の考えの上にちょこんと立っているに過ぎない
>  と言う視点は、自分で物事を少しは考えないと行けないと
>  自覚させられる次第です。


う~ん、そういう言い方になるのかなあ?
「多くの人々の考えの上にちょこんと立っているに過ぎない」
(ニュートンがこれに似た事を言ったという話が有名なので、それ以後の人が言うと)
という言い方は月並みで、僕の言いたい事とは少し違うような気がします。
要するに、渡邉さが生まれつき持っているものが主で、
渡邉さんが生後触れて啓発された文物が従なのか、
その逆なのか、という事です。
渡邉さんが、生まれつき持っている持ち味に、
生後触れた文物の持ち味を従わせたならば、屈服ではありませんが、
生後触れた文物の持ち味に、自分の生まれつきの持ち味を従わせたなら、
それには「屈服」という語がふさわしい、と思うのです。
僕の言葉使いについて、少し知っておいて欲しいのですが、
僕は、言いたい事の論理を誤解無く伝えるために、
大げさな書き方を使います。
つまり、0と1のデジタル文書だと思ってください。
伝達ミスを防ぐためには、1を思いっきり大きな信号にしておいた方が安全ですよね。
だから、僕の書き言葉は、読む人にかなりキツイ印象を与えるようですが、
話すときにはイントネーションやアクセントや休符や顔の表情や身振り手振りの
助けを借りる事が出来るのですが、書き言葉では、それが出来ないので、
その分を、表現をキツめる事によって、補う必要が僕にとっては、あります。
だから、僕による好意的でない表現とかは、
その語意を変えずに語気だけを弱めて読んでみると良いと思います。


僕は、大学の物理学を学び始めたばかりの頃に、
物理学については、既存の教科書に屈服しました。
僕は、それを「舵取りを預ける」という言葉で表現しました。
今でこそ、教科書を読むときに、
自分の枠組みに教科書の知識をはめ込んで行くような
読み方が出来ますが、
学び始めたばかりの頃には、
そういう風に、自分の勉強に教科書の知識を従わせようとしたときに、
教科書の話の持って行きかたの方が、
僕自身の生来の知的才能よりも優れている、
という事を認めざるを得ず、それなら、ということで、
教科書の言いなりになって勉強を進める事にしたのです。


つまり、大学の物理学を学び始めたばかりの頃には、僕は、
いきなり学習のあらゆる段階で学問の生産者として活躍しようと
意気込んでいたのですが、
自分対教科書の優劣比較の結果、
消費に徹する事にしたわけです。
その時には、一生生産者には成れないかもしれない、と思いましたよ。
渡邉さんは、
「ものすごく長くて厳しい努力を経なければδを業績に出来ないならば
 それでは気分が滅入ってしまうから今すぐ認められたい」
と言いますが、
その頃の僕は自分を天才だと思っていたけれど、
「業績を上げるためには努力は惜しまない」という態度でしたよ。
自分が天才で努力すれば天才なりの成功を手にする事が出来る、
という事ですら、それが事実なら、虫の良い話でしょう。
ならば、気の滅入るような努力はせずに直ぐに認められる、
というのは、言語を絶するほどに虫の良い話だ、という事になります。
虫の良い話は、他人に期待してはいけない事でしょう。


僕は、渡邉さんの口から、その優秀性が明白な確固とした言説を、
聴かなくても、渡邉さんの言葉の端々だけからでも、
天才が感じられれば、それを正直に言います。
しかし、今までの所、最初の僕のコメント、
「これはかなりヒドイですぞよ」とはそんなに違った印象は受けないのが、
正直な所です。
僕にとって、渡邉さんは、読書の感想を見ても、
理解力があり著者の意図が渡邉さんには伝わっている、
と感じさせる人ですが、
数学の基礎的な事について、読んだ本に書かれている以上の、
何か新しい事を言おうとした途端に、
僕がとても低い評価しか与える事が出来ない言説に陥ります。
これが僕の正直な感想です。


>  自分のアイデアを紙に書いて進めてみることの大切さを
>  説いていましたが、まさに、そこから
>  自分の考えが進んでいくような気になっています。
>  但し、全く自分独自のアイデアと言う訳では無いようですが。


それは良い事ですが、
前に言ったと思いますが、何か、数学でも物理学でも、
教科書的な事を学びながら、
最後まで勉強してからでなくても良いです、学習の各途中段階で、
δの考えを、その段階での学習事項に具体的に適用してみる、
という事の繰り返し、積み重ねが、お薦めです。
ですが、それも出来ないと思いますよ。
僕の心配は、そこで渡邉さんが学習をやめてしまう事です。
は~あ、なんとかならないものかなあ。


>  それでも、生物学的なノイズに過ぎないと言われると
>  ああ、そういう風に理解するのかって思いますが。
>  言説で勝負しなさいと言われているなら、
>  宇田さんが、提示してくれたヒントを頼りに
>  自分の言説をつくって行こうと思います。


ノイズというのは、たとえば、
音楽の演奏で、同じ曲の同じ部分を、演奏している瞬間、
演奏するたびに、微妙に違う音が出てるはずです。
それが、演奏の上達によるものではなく、
単に、毎回正確に同じ音に成るはずがないだろうが、
という意味で、違う音が出ている事について、
たとえば、全回の平均からの各回の音のズレ、
これが、ここで僕の言うノイズです。
生物学的なノイズ、というのは、
全ての個体で正確に同じに成るはずがないだろうが、
という意味でのものです。
2007/04/17/18:11 > 僕の心配は、そこで渡邉さんが学習をやめてしまう事です。
> は~あ、なんとかならないものかなあ。

 業績とかうんぬんとして
 僕は、生まれてこれまでに生きてきた中で
 一生懸命やりきったと人に自慢して言えることが無い人間です。
 だから、今年はそう言った自分を変えたいと努力を惜しまないように
 しようと心がけてこの一年を過ごそうと思っています。
 だから、少しだけ、根気が付いてきた。ほんの少しですが。
 と、思って下さい。
 僕が行う勉強が物理ないし数学でないにしても、
 この時期は死にものぐるいでやったと言える人間になりたいんです。
 
 だから、これからも、色々とアドバイスをもらいながら、
 出来る限りの努力をしようと思っています。
 僕ももう今年で29になります。何時までも半人前以下に収まりたくはありません。

 中堤さんは大学院に受かったようですから、負けたくありません。
2007/04/17/22:25 >  業績とかうんぬんとして
>  僕は、生まれてこれまでに生きてきた中で
>  一生懸命やりきったと人に自慢して言えることが無い人間です。
>  だから、今年はそう言った自分を変えたいと努力を惜しまないように
>  しようと心がけてこの一年を過ごそうと思っています。
>  だから、少しだけ、根気が付いてきた。ほんの少しですが。
>  と、思って下さい。
>  僕が行う勉強が物理ないし数学でないにしても、
>  この時期は死にものぐるいでやったと言える人間になりたいんです。
>  
>  だから、これからも、色々とアドバイスをもらいながら、
>  出来る限りの努力をしようと思っています。
>  僕ももう今年で29になります。何時までも半人前以下に収まりたくはありません。
>
>  中堤さんは大学院に受かったようですから、負けたくありません。


渡邉さんの本気が伝わって来ました。
期待しています。
良かったら、取り組む分野が決まったら教えてください。
分野次第では、僕でもアドヴァイス出来るかもしれません。  
ブッキラボウかもしれませんが、
これ以上言うと何かを渡邉さんに無理強いしそうなので、
今はこれだけにしときます。
2007/04/24/08:20  今は、■■とか、国立■■センターとか
 ■■に就くという方向で、動いています。
 
 勉強は高校数学を一から復習しています。
 自分の出来る範囲が高校数学まで、
 少し進んで、本で読んだ知識までしかという
 宇田さんの評価は正しいものであり、受け入れても
 自分が過小評価をされている気はしません。

 ですが、細々でも、勉強を中断させずに
 継続していきたいと思っています。
 成果が出るには時間の掛かるやり方だと思いますが、
 自分が■■に就いて、家族を持つのにも、 
 大切な時期ですので、根気よく続けて行き
 今までの様に、途中で投げ出さないようにしようと思っています。
  
 宇田さんが、実数の先にあるのが、複素数で
 その次が関数、そのまた次が汎関数というふうな
 方向に発展の方向を見出していますと言う意味も
 分かる様な気になっています。
 自分でも実数値関数とかは考えていたのだが、 
 仕組みとしてそれが、実数値関数という事を
 捉え切れていなかったと思います。
 客観的に自分が何をしているかに気づけた次第です。
 
 複素数値関数も何となくイメージがわいています。

 ニュートリノ振動の事を最近少し本で読んだんですが、
 振動が起こるのは、全くの量子効果と言う事だって。
 これを、読んで宇田さんが、波動関数には実数値と虚部があって
 電子の模型は、その実数の部分と、虚数の部分のもやもやとした
 電子雲のイメージが現実的なんじゃないかって言っていたことも
 分かる気がするんです。
 
 など、理解が進んだところもあり、
 自分が表現に使う数学の部分が実は
 複素多様体ではないかと推測している次第です。
 まだ、多様体という事さえ理解していないんですけどね。
 複素多様体の関数みたいなものが
 僕のイメージしている事なんじゃないかって思っています。
 
 宇田さんが、出来れば多様体とは複素多様体とはどんなものなのか
 説明出来るならば、説明を下さいませんか?
 宜しくお願いします。
 
 自分も岩波数学事典で、妄想を広げておきます。
2007/04/24/16:24 >  自分が表現に使う数学の部分が実は
>  複素多様体ではないかと推測している次第です。
>  まだ、多様体という事さえ理解していないんですけどね。
>  複素多様体の関数みたいなものが
>  僕のイメージしている事なんじゃないかって思っています。

 今の段階では、これは無限次元複素多様体を指しているつもりはありません。
 三次元「程度」の複雑な形の時間の関数ほどの意味です。
 「程度」としたのは、
 複素数に範囲を広げたのは、
 宇田さんが、コメントしてくれた
 量子力学の記述の仕方は複素数値関数である。
 と言う、具体的な明示と
 自分の中にある、
 重力を強くしていった先に何があるか?
 についてを記述する時に
 複素数が必要になって来るんじゃないかって言う憶測です。
 
 複素数の虚数部分を
 次元にカウントするなら
 六次元の形と言うことになりますね。
 
 複素数でも捉えられないと楽しいんですが。
2007/04/25/02:19 >自分でも実数値関数とかは考えていたのだが、仕組みとしてそれが、実数値関数という事を捉え切れていなかったと思います。


「仕組みとして」の意味が分かりません。


>多様体とは複素多様体とはどんなものか、できれば、説明をくださいませんか?


まず、多様体は数学上の集合です。複素多様体も多様体です。だから、複素多様体も数学上の集合です。
渡邉さんが書いているように、
たとえば、3次元の複素多様体は、
集合{(x,y,z)|x も y も z も複素数 }の部分集合と同型(一対一上への写像で結ばれる)であるような集合、
の和集合と成っているような集合です。
大雑把には、それだけです。
詳しい事は知りません。
渡邉さんの言うように複素3次元は実6次元と同じです。これ、自分で気付いたなら良く気付いたと思うよ。
だから、複素多様体と実多様体の間には本質的な違いはありません。大雑把には。
連続性についてのキチンとした定義で差が出て来るかもね。多分、そこで差が出て来るんでしょう。

>その多様体が時間の関数

てことは、それが、何かの、その時刻での量子状態を表す、という考えですか?

>複素多様体の関数みたいなもの

これはどういう意味ですか?
各複素多様体に対して数を割り当てる写像の事を言いたいんだったら、随分と高度な概念を考えてる事になるけど、
それだと、上の「多様体が時間の関数」というのと食い違う気がする。
多様体が時間の関数になっていて、さらに、その多様体の関数を考える、という事ですか?

多様体を持ち出すと、トポロジーの話が出て来るので、正確じゃあないけど、
大雑把に言うと、
数→関数→汎関数、という先述した階梯に当てはめると、
有限次元多様体は関数のレベル、多様体の関数は汎関数のレベルです。
2007/04/25/18:06 > 「仕組みとして」の意味が分かりません。
>
 誤解があります。
 まず、自分でも実数値関数とかは
 考えていたというところが書き方がまずかった。
 自分で実数値関数と認識せずに
 同じような仕組みを漠然と考えていたです。
 仕組みとしてとは、
 f:X→Yで
 Xは自分の意識、Yは対象と考えた時の仕組みが
 自分では実数値関数を
 扱っている事だと言うことに
 気づけなかったと言うことです。
 つまりY、Y、Yって
 数値みたいに捉えていたところに
 宇田さんとこないだ会った時に
 δは数値みたいなもんなんですか?と言い
 僕は関数を考えるって事を言われて
 それで、家に帰って見たら確かに
 数値では無くって、関数だったと自覚したんです。
 そのことを自分は実数値関数を知っていたと書いて
 間違いがあったんだと思います。
   
> 渡邉さんの言うように複素3次元は実6次元と同じです。これ、自分で気付いたなら良く気付いたと思
うよ。

 これ、自分で気付いたと言うより、
 学者の慣習上そうなっているんだなと言うところと
 宇田さんが、多様体の場合に
 具体的に話してくれたわけではないんですが、
 そう言う風に扱う事を話してくれて様な気します。

> だから、複素多様体と実多様体の間には本質的な違いはありません。大雑把には。

 大雑把にはと言うけど、
 実数で扱うのと、複素数で扱うのと違いがあるが
 本質的な違いはないと言うことですかね??
 
> 連続性についてのキチンとした定義で差が出て来るかもね。多分、そこで差が出て来るんでしょう。

 
 連続性についてのキチンとした定義とは具体的に何でしょうか?

> >その多様体が時間の関数
>
> てことは、それが、何かの、その時刻での量子状態を表す、という考えですか?
>

 「その多様体が時間の関数」という文脈を探せません。
 宇田さんが文をまとめたんですか?
 送信履歴を誤って消してしまったのかも知れません。   

> >複素多様体の関数みたいなもの
>
> これはどういう意味ですか?
> 各複素多様体に対して数を割り当てる写像の事を言いたいんだったら、随分と高度な概念を考えてる
事になるけど、

 各複素多様体に対して数を割り当てる写像の事を言いたかったです。
 
> それだと、上の「多様体が時間の関数」というのと食い違う気がする。
> 多様体が時間の関数になっていて、さらに、その多様体の関数を考える、という事ですか?
>
 ああ、分かった。割り当てる数自身が時間を表していると言う意味だと思います。
 各複素多様体に対して時間という数を対応されると言うことです。
 しかし、時間と制限しなくても良いような気がしてきました。
 
> 多様体を持ち出すと、トポロジーの話が出て来るので、正確じゃあないけど、
> 大雑把に言うと、
> 数→関数→汎関数、という先述した階梯に当てはめると、
> 有限次元多様体は関数のレベル、多様体の関数は汎関数のレベルです。
>
 今はまだ、関数のレベル、汎関数のレベルという階梯だと言うことが分かりません。
 が、構造がそうなっていることを示して下さって有り難う御座います。

 宇田さんに、多様体の説明をもらったんですが、
 多様体って複雑な図形って意味が感じ取れるんですが、 
 それは、勘違いなんですか?
 どうも、分からないもんで。
2007/04/27/17:36 > > 「仕組みとして」の意味が分かりません。
> >
>  誤解があります。
>  まず、自分でも実数値関数とかは
>  考えていたというところが書き方がまずかった。
>  自分で実数値関数と認識せずに
>  同じような仕組みを漠然と考えていたです。
>  仕組みとしてとは、
>  f:X→Yで
>  Xは自分の意識、Yは対象と考えた時の仕組みが
>  自分では実数値関数を
>  扱っている事だと言うことに
>  気づけなかったと言うことです。
>  つまりY、Y、Yって
>  数値みたいに捉えていたところに
>  宇田さんとこないだ会った時に
>  δは数値みたいなもんなんですか?と言い
>  僕は関数を考えるって事を言われて
>  それで、家に帰って見たら確かに
>  数値では無くって、関数だったと自覚したんです。
>  そのことを自分は実数値関数を知っていたと書いて
>  間違いがあったんだと思います。


念のために、実数値関数の意味を説明しておきますね。
というのは、上の文章を読むと渡邉さんは実数値関数ではなくて
関数一般の事を考えているような気がするからです。
渡邉さんが関数を仕組みとして捉えることが出来るようになった事は、喜ばしい事です。
だったら、
>仕組みとしてそれが、実数値関数という事を捉え切れていなかった
ではなく、
「実数値関数を仕組みとして捉える理解の仕方、および、
 それ(自分の考えていたもの)がそういう意味での実数値関数である事に、
 気付いていなかった」
と書くべきです。
僕は、渡邉さんの文章の書き方に毎回とても苦痛を感じます。
自分で読み返してみて、他人からそう言われたときに、
その言い方で相手の言いたい事が自分には分かるのか、確認してください。
では、実数値関数とは何かを、説明します。
渡邉さんが f : X → Y という記号を既に知っている、という事実を利用します。
f : X → Y という記号の意味する内容は、
「 f という関数(仕組み)は集合 X の各々の元に集合 Y のいずれかの元を対応させる」
という意味です。 X も Y も集合である点に気をつけてください。
f が実数値関数である、とは、
「 f : X → Y であり、かつ、
 Y の元が全て実数である、つまり、Y ⊂ 実数全体の集合、である」
という意味です。


> > 渡邉さんの言うように複素3次元は実6次元と同じです。これ、自分で気付いたなら良く気付いたと思
> うよ。
>
>  これ、自分で気付いたと言うより、
>  学者の慣習上そうなっているんだなと言うところと
>  宇田さんが、多様体の場合に
>  具体的に話してくれたわけではないんですが、
>  そう言う風に扱う事を話してくれて様な気します。


慣習上という言葉は正確ではありませんが、
複素と言うと、最初は、2乗すると1になる虚数単位というものが入って来て、
何か実数とは違う神秘的なものと考えてしまうんです。
これを、 x + i y を ( x , y ) の別の書き方に過ぎない、
と割り切って見る見方に到達する事は、なかなかにセンスの良い人でないと出来ないのです。
僕は、たぶん、自分では到達できなくて、あるいは、自分で到達する前に、人から聞きました。


> > だから、複素多様体と実多様体の間には本質的な違いはありません。大雑把には。
>
>  大雑把にはと言うけど、
>  実数で扱うのと、複素数で扱うのと違いがあるが
>  本質的な違いはないと言うことですかね??


正確には、「本質的な違いはない」ではなく、
「本質的な違いは小雑把なものである」という事ですね、
僕の文章を正確に読むと。
「実数で扱う」とか「複素数で扱う」という表現も分かりにくいよ。


> > 連続性についてのキチンとした定義で差が出て来るかもね。多分、そこで差が出て来るんでしょう。
>
>  
>  連続性についてのキチンとした定義とは具体的に何でしょうか?


いわゆる「ε-近傍」の定義だと推測しています。
でも僕は勉強してないし、知りたければ、将来自分で勉強してください。
そのころまでに、運良く、僕がそれを勉強し終わっていれば、
僕が教える事も出来ますが。


> > >その多様体が時間の関数
> >
> > てことは、それが、何かの、その時刻での量子状態を表す、という考えですか?
> >
>
>  「その多様体が時間の関数」という文脈を探せません。
>  宇田さんが文をまとめたんですか?
>  送信履歴を誤って消してしまったのかも知れません。   


僕の使ってるマイクロソフトのホットメールのシステムが
コピーペーストの出来ないものに今ではなっているので、
正確な引用が出来ませんでした。
ここより後は、次回に書きます。
マイクロソフトのクソ野郎が、と怒ってます。
2007/04/27/18:37 > > >その多様体が時間の関数
> >
> > てことは、それが、何かの、その時刻での量子状態を表す、という考えですか?
> >
>
>  「その多様体が時間の関数」という文脈を探せません。
>  宇田さんが文をまとめたんですか?
>  送信履歴を誤って消してしまったのかも知れません。   


「■■」というタイトルのメールの
>三次元「程度」の複雑な形の時間の関数ほどの意味です。
という部分です。


> > >複素多様体の関数みたいなもの
> >
> > これはどういう意味ですか?
> > 各複素多様体に対して数を割り当てる写像の事を言いたいんだったら、随分と高度な概念を考えてる
> 事になるけど、
>
>  各複素多様体に対して数を割り当てる写像の事を言いたかったです。
>  
> > それだと、上の「多様体が時間の関数」というのと食い違う気がする。
> > 多様体が時間の関数になっていて、さらに、その多様体の関数を考える、という事ですか?
> >
>  ああ、分かった。割り当てる数自身が時間を表していると言う意味だと思います。
>  各複素多様体に対して時間という数を対応されると言うことです。
>  しかし、時間と制限しなくても良いような気がしてきました。


各時刻に対して多様体を割り当てるのを、逆に見て、
多様体に対して時刻を割り当てるんだったら、大した事ない。
「時間と制限しなくても良い」のか否かでは天地の開きがあります。
どうしてかと言うと、
各時刻に対して多様体を割り当てたり、その逆を考えたりは、
本質的には、 f : X → Y において、
X として、時刻全体の集合を考え、
Y として、多様対全体の集合を考えている事になり、大した事ありません。
これに対して、「時間と制限しない」場合には、
f : X → Y において、
X として、多様体全体の集合を考える事になり、
これは大した事あります。
「時間と制限しない」の意味が「時間以外の時間の関数を考えても良い」
という意味ならば、前者(大した事ない方)に該当しますが。


> > 多様体を持ち出すと、トポロジーの話が出て来るので、正確じゃあないけど、
> > 大雑把に言うと、
> > 数→関数→汎関数、という先述した階梯に当てはめると、
> > 有限次元多様体は関数のレベル、多様体の関数は汎関数のレベルです。
> >
>  今はまだ、関数のレベル、汎関数のレベルという階梯だと言うことが分かりません。
>  が、構造がそうなっていることを示して下さって有り難う御座います。


先述した大した事ない方が関数のレベルで、
大した事ある方が汎関数のレベルです。


>  宇田さんに、多様体の説明をもらったんですが、
>  多様体って複雑な図形って意味が感じ取れるんですが、 
>  それは、勘違いなんですか?
>  どうも、分からないもんで。


多様体は、複雑な図形で良いよ、大体は。
けど、多次元空間内の立体図形の表面、といったイメージがもっと良い。
多様体の種類にもよるんだろうけど、
僕の知ってる多様体はね。


結局、
電子の存在様態が複素値波動関数で表され、
図に描くと電子雲の図を複素版に改良したようなものに成る、
という事から、
渡邉さんは、その図を複素多様体ではないかと思ったんでしょ?
その図は、複素多様体ではなくて、複素値波動関数を表す図です。
複素値波動関数というのは、
f : X → Y なる f のうちで、
X = { ( x , y , z ) | x も y も z も実数である }
Y = 複素数全体の集合、
であるようなものの事です。

渡邉さんの、
未習の高等な概念の名称を持ち出して、
自分の持っているイメージがそれではないないかと思う、
という傾向は、
決して好ましいものではありません。
前は、ヒルベルト空間だった。
今度は複素多様体ですか?
そういう態度が直らない事は、
とても残念です。
2007/04/27/18:44 自分の「送信済みトレイ」を見て、
さっき渡邉さんに送ったメールがたくさんズラッと並んでいたので、
もしかしたら、渡邉さんのところへ、同じメールが重複してたくさん行ってるかもしれない。
そうだったらゴメンね。
僕は操作ミスしてないんだけど。
2007/04/27/18:55  まず、このメールのやり取りが宇田さんに取って
 相当の疲労と苦痛を与えていることに対して、
 大変申し訳なく思っています。
 それと同時に、文章を書く時の注意や
 文章の手本を示して下さって
 大変、有り難く思っています。
 
 どうも、有り難う御座います。
  
 勉強をして、良く、
 相手に正確に伝わる文章を書ける様になってから
 改めて、質問をしたいと思います。
 
 文章のこれは酷い読めないという文章を書いた時は
 基本的に、流して下さい。
 言いたいことが良く分からなかったと書いて下さい。
  
 宇田さんに、僕の質問に答える義務は全く無いのであって
 いたずらに、時間を使うようでしたら、
 ゆっくりですが、成長するまで放置して下さい。
2007/04/27/18:57 (2007/04/27/18:44への返信)

 了解です。
 同じメールは一つにしておきます。
2007/04/27/20:32 > 「時間と制限しない」の意味が「時間以外の時間の関数を考えても良い」
> という意味ならば、前者(大した事ない方)に該当しますが。
>
 時間と制限しないの意味は、
 そこに、多様体を持って来るという意味ではなく
 一つの数が対応する、(もしくは、δの文字列が対応する)
 ほどの意味だと思います。

> 先述した大した事ない方が関数のレベルで、
> 大した事ある方が汎関数のレベルです。
>
 これは、大したことのない、関数レベルの話をしていたと思います。

> 多様体は、複雑な図形で良いよ、大体は。
> けど、多次元空間内の立体図形の表面、といったイメージがもっと良い。
> 多様体の種類にもよるんだろうけど、
> 僕の知ってる多様体はね。
>
 岩波の本で、いろいろな幾何学という本があり、
 それを読んで、
 漠然と思っていた事を、
 それが分かるキチンとした人が書く文章を見て
 分かるって言う段階の深さに、
 宇田さんは、元々出来るのに、
 僕に非の打ち所が無いほどの努力を積んでいる事が分かりました。

> 結局、
> 電子の存在様態が複素値波動関数で表され、
> 図に描くと電子雲の図を複素版に改良したようなものに成る、
> という事から、
> 渡邉さんは、その図を複素多様体ではないかと思ったんでしょ?

 これは、近いんですが違います。
 宇田さんの電子雲の話で、
 自分のイメージ像に修正を加えましたが
 電子雲そのものが、多様体であると思い
 宇田さんに多様体の話を持ち出したんではないんです。
 僕が分かっていたのは多様体という
 いろいろな幾何学にのっていた本のイメージからくる
 ものだけでしたが、
 複素多様体が複雑な図形ではと推測していたのは、
 当然ですが、
 多次元空間内の立体図形の表面と推測していた訳でなく
 話に出ているウラン原子模型に僕のイメージをのせた
 複雑な現実感のある図形をでした。
 だから、ウラン原子模型に僕のイメージをのせた
 複雑な現実感のある図形が複素多様体ではないか?
 と思ったんです。

 しかし、複素多様体と言ったのは
 宇田さんと話をしていた時に
 電子雲が波動関数の実数部分と虚数部分
 の二つあって描けないんですよ
 と言われたことと
 ニュートリノ振動の事を最近本で読んで、
 振動が起こるのは、複素数が絡んでいるからだ
 と思えたからです。

> その図は、複素多様体ではなくて、複素値波動関数を表す図です。
> 複素値波動関数というのは、
> f : X → Y なる f のうちで、
> X = { ( x , y , z ) | x も y も z も実数である }
> Y = 複素数全体の集合、
> であるようなものの事です。
>
 分かりました。

> 渡邉さんの、
> 未習の高等な概念の名称を持ち出して、
> 自分の持っているイメージがそれではないないかと思う、
> という傾向は、
> 決して好ましいものではありません。
> 前は、ヒルベルト空間だった。
> 今度は複素多様体ですか?
> そういう態度が直らない事は、
> とても残念です。
>
 ただ、ウラン原子模型に僕のイメージをのせた
 複雑な現実感のある図形に
 数(δ)が対応するという事を伝えたかったんです。
 また同じ傾向に陥ってしまって申し訳ないです。
2007/04/28/17:04 >
>  まず、このメールのやり取りが宇田さんに取って
>  相当の疲労と苦痛を与えていることに対して、
>  大変申し訳なく思っています。
>  それと同時に、文章を書く時の注意や
>  文章の手本を示して下さって
>  大変、有り難く思っています。
>  
>  どうも、有り難う御座います。
>   
>  勉強をして、良く、
>  相手に正確に伝わる文章を書ける様になってから
>  改めて、質問をしたいと思います。
>  
>  文章のこれは酷い読めないという文章を書いた時は
>  基本的に、流して下さい。
>  言いたいことが良く分からなかったと書いて下さい。
>   
>  宇田さんに、僕の質問に答える義務は全く無いのであって
>  いたずらに、時間を使うようでしたら、
>  ゆっくりですが、成長するまで放置して下さい。


渡邉さんのこの文章を読んで思ったんですが、
僕は、チョッと酷な言い方をし過ぎたかな、と。
それ対して渡邉さんが良く耐えているので、渡邉さんは偉い、と思いました。
渡邉さんは道理の通じる人です。
これは当たり前の事でなくてはいけませんが、
実際の人間には、なかなか、そうは振舞えない人が多いですよね。
その後のメールも読みました。
2007/04/29/08:13  宇田さん、次のように求めるのが
 普通だって分かったんですが、
 どうして、前に書いたものがダメなのか分からなくて

 0、999=9/10+9/100+9/1000+… について

   まず、Sn=9/10+9/100+9/1000+…9/10^n ※1
  1/10Sn=9/100+9/1000+…+9/10^n+9/10^n+1 ※2
 ※1-※2  
  9/10Sn=9/10-9*10^n+1
      Sn=1-1/10^n ここで、極限を取って
limn→∞Sn=1 となるのが、分かります。
 しかしn=10の時
     S10=1-1/10000000000 
        =0、999999999    ですよね
    
   S可算無限=0、999… と0を含めず可算無限-1個の9が続いていくと
                考えるのは、何処がいけないのでしょうか

 宇田さんには、簡単な質問と思いますが、
 時間があれば、教えて下さい。

 P・S こないだの、尾崎豊の詩の朗読のやつ
 どうでしたか? 
 歌よりも、尾崎の負の面が全面に出ている気がするんですが
 そことか、どういう風に感じましたか?
    
2007/04/29/11:07  なんか、宇田さんに
 道理が通じる人と言われて
 照れてしまって。 
 でも、嬉しい言葉でした。
 
 前のメールで触れなかったので 
2007/04/29/19:16  誤り
>  しかしn=10の時
>      S10=1-1/10000000000 
>         =0、999999999    ですよね
>     
>    S可算無限=0、999… と0を含めず可算無限-1個の9が続いていくと
>                 考えるのは、何処がいけないのでしょうか
>

 正しくは、
     n=10の時 
      S10=1-1/10000000000
         =0、9999999999    で、
    S可算無限=0、999… から可算無限個の9が続いていくと
                 考えるのは、何処がいけないんでしょうか
2007/05/06/17:54 >  0、999=9/10+9/100+9/1000+… について
>
>    まず、Sn=9/10+9/100+9/1000+…9/10^n ※1
>   1/10Sn=9/100+9/1000+…+9/10^n+9/10^n+1 ※2
>  ※1-※2  
>   9/10Sn=9/10-9*10^n+1
>       Sn=1-1/10^n ここで、極限を取って
> limn→∞Sn=1 となるのが、分かります。
    

ここまでは正しいです。


>  P・S こないだの、尾崎豊の詩の朗読のやつ
>  どうでしたか? 
>  歌よりも、尾崎の負の面が全面に出ている気がするんですが
>  そことか、どういう風に感じましたか?


聴きました。
感想を言葉で言い表すのが難しいです。
曲じゃなくて詩だ、とは思ったんですが、
先に言われちゃったので、言う事がありません。
負の面?確かに。それは言えますね。
なんか、気の無い返事でゴメンなさい。
2007/05/06/18:16 >  誤り
> >  しかしn=10の時
> >      S10=1-1/10000000000 
> >         =0、999999999    ですよね
> >     
> >    S可算無限=0、999… と0を含めず可算無限-1個の9が続いていくと
> >                 考えるのは、何処がいけないのでしょうか
> >
>
>  正しくは、
>      n=10の時 
>       S10=1-1/10000000000
>          =0、9999999999    で、
>     S可算無限=0、999… から可算無限個の9が続いていくと
>                  考えるのは、何処がいけないんでしょうか


全然いけなくはないんだけど、
「だからそれは 1 ではない」と考えたなら、
いけない。


渡邉さんは、無限を直接扱うから変なことになる。いっつも。
無限を直接扱う方法も可能なのかもしれないけど、
それをやるんだったら、無限を直接扱わない普通の数学をマスターした後でやらなくては、
分かるようにも出来るようにもならないよ。


普通の数学では、
可算無限とか無限とかいう数は存在しませんん。
S∞ という記号があるからといって、 ∞ という数が存在するわけではなく、
S∞ とは、 lim n→∞ Sn のことです。
lim n→∞ Sn とは、
∀ ε > 0 ; ∃ N ; n > N ⇒ | Sn - x | < ε・・・・・・・※
なる数 x のことです。


※の読み方は、
任意の正の数 ε に対して、
「 N より大きい全ての n に対して、 | Sn - x | < ε が成り立つ」
という条件が成り立つような数 N が、必ず少なくとも 1 つは存在する。


こういうのを「ε-δ論法」って言うんだけど、
無限の勉強をしたいなら、ε-δ論法を必ず習得する必要がある。
ε-δ論法を超えた世界もあるのかもしれないけれど、
そうだとしても、そういう世界へ足を踏み入れる前に、
ε-δ論法をマスターしておかなければ、
そういう世界の話を正確には理解できない。


こういう話は、渡邉さんに、以前にもした気がする。
堂々巡りにならないようにしないとね。
2007/05/06/18:30 結論も途中式も合ってるかもしれないけれど、

>       A=0、999…99 
>     10A=9、999…9

上記から下記を出すという論法の部分がいけないと思いました。

>      9A=8、999…91

・・・・の部分が無限個の 9 を表すからです。
2007/05/06/19:58 > 渡邉さんは、無限を直接扱うから変なことになる。いっつも。
> 無限を直接扱う方法も可能なのかもしれないけど、
> それをやるんだったら、無限を直接扱わない普通の数学をマスターした後でやらなくては、
> 分かるようにも出来るようにもならないよ。
>
> こういうのを「ε-δ論法」って言うんだけど、
> 無限の勉強をしたいなら、ε-δ論法を必ず習得する必要がある。
> ε-δ論法を超えた世界もあるのかもしれないけれど、
> そうだとしても、そういう世界へ足を踏み入れる前に、
> ε-δ論法をマスターしておかなければ、
> そういう世界の話を正確には理解できない。
>
> こういう話は、渡邉さんに、以前にもした気がする。
> 堂々巡りにならないようにしないとね。
>  
 そうですね、堂々巡りにならないようにしないといけませんね。
 しかし、まえの時の段階では、 
 宇田さんと話をする時は大抵ですが、
 宇田さんの言った言葉が後から分かってくるというのが
 事実でして、前にこの話をした時は気づけなかった、立場に
 自分は立っている、そんな感じなんです。
 堂々巡りしては大変申し訳ないですが、
 自分の実力が無いんですね。
 だからと言って、
 そのために、何もしてないに等しい段階ですが、
 高校数学をまじめに、コツコツやって
 いこうと進めているところです。
 前に言われたように、
 時間のをかけすぎずにさっさと終わらせないといけません。 
 
 尾崎豊は何って言うか、感想はって聞かれたら、
 自分の中に湧いてきたものは有るが、 
 どういったらいいか、分からないような感情だったりしますよね。
 そう、感想はって聞いたのは、
 宇田さんが気に入ったか、気にいんなかったかを
 知りたかったからです。
 まあまあ、受け入れてもらえたようで良かったです。

 また、今何をやっているか、話ができるほどまとまったら
 メールを書きますね。 
 メールが来ているかどうかの確認は今は出来る状態なので
 何か、宇田さんから話題が有れば、振って下さい^^
 
 では、またです。ゆっくり、ほんとにゆっくりですが、
 宇田さんの考えが分かる様になって来ていますんで
 これからも、どうぞ、宜しくお願いします。
2007/05/11/09:05  最近、数学IAを
 さぼり気味になってしまいました。
 集中力が付かないと言うか、無いんです。
 これは、困った事です。
 予定通りに数学IAを
 終わらせる事が出来なさそうです。

 数学の初歩って、
 関数が分かるだけでは行けないんでしょうか?
 
 具体的な細部の技術にまでキチンと目を通して
 どんな、問題でも解ける様になる
 少なくとも、
 答えにたどり着く糸口を見つけられる
 ぐらいにならないと行けないのか?
 
 これは、高校数学に限らず
 「高等数学」においても、
 学び終えたと言える様になるには
 上に書いたように
 どんな、問題でも解ける様になること
 =学び終えたと言う事なんでしょうか?

 宇田さんは、以前
 高校数学にしろ「高等数学」にしろ
 一度、やってたところはノートを
 参照すれば、
 頭の中に入ってくる状態が
 良いとおっしゃっていましたよね
 
 だから、ノートをキチンとまとめておくことが
 重要であると。
 
 自分は数学の細部まで
 キチンと目を通して、
 どんな問題でも解ける様になりたい
 と言うよりは
 最初の目標は、
 僕は、自分の表現した事を示すには
 どういう数学が必要なのかって事を
 中心に学習を進めて行く方が良いのでは?
 と思ってしまいます。
  
 だから、宇田さんに
 複素多様体の話を持ち出して、 
 ひょっとしたら、
 僕が表現したい事と直接的に
 複素多様体に結びついている
 のかなと思い。
 こないだの質問をしたんです。
  
 つまり、僕が表現した事はすでに
 数学の或る分野で行われていると
 分かった場合には
 心身を削ってでも、
 学び通したいという意欲は 
 あるんです。
 
 だから、ぼくが、表現したい部分の数学が
 どういう分野なのかを知ることが
 僕に取って重要な事なんです。
 だから、宇田さんの知っている範囲で
 僕が表現するのに使うであろう数学が 
 分かれば、明示して欲しいんです。
 
 そんな事は自分の力でコツコツやって
 見極めて行かなきゃ行けないだよって
 言われてしまうかも知れませんが…
2007/05/15/20:45 >  数学の初歩って、
>  関数が分かるだけでは行けないんでしょうか?


難しい質問ですねえ。
「数学の初歩」というのは「数ⅠA」のことですか?
それとも高校数学全体の事ですか?
関数が分かる、というのは、
関数の概念が分かる、ということですか?

数学には、大きく分けて、
代数学と解析学と幾何学があります。
解析学については、関数が分かれば良いです。だいたいは。たぶん。
微分や積分も解析学です。
でも、それ以外に、代数学と幾何学も必要ですね。
それに、具体的な関数を全くいじらずに関数の概念が分かるか疑問です。

 
>  具体的な細部の技術にまでキチンと目を通して


これはやった方が良いですが、


>  どんな、問題でも解ける様になる


そこまでする必要はないし、


>  少なくとも、
>  答えにたどり着く糸口を見つけられる
>  ぐらいにならないと行けないのか?


いけない、とまでは言えないと思います。


>  これは、高校数学に限らず
>  「高等数学」においても、
>  学び終えたと言える様になるには
>  上に書いたように
>  どんな、問題でも解ける様になること
>  =学び終えたと言う事なんでしょうか?


そんなことはないです。
だって、そんなこと言ってたら、
どの分野も、一生学び終える事が出来ず、
次の分野の勉強に進めないじゃあないですか。


>  宇田さんは、以前
>  高校数学にしろ「高等数学」にしろ
>  一度、やってたところはノートを
>  参照すれば、
>  頭の中に入ってくる状態が
>  良いとおっしゃっていましたよね
>  
>  だから、ノートをキチンとまとめておくことが
>  重要であると。


僕はそう考えているので、
そう言ったことがあるかもしれません。


>  自分は数学の細部まで
>  キチンと目を通して、
>  どんな問題でも解ける様になりたい
>  と言うよりは
>  最初の目標は、
>  僕は、自分の表現した事を示すには
>  どういう数学が必要なのかって事を
>  中心に学習を進めて行く方が良いのでは?
>  と思ってしまいます。


その気持ちは分かりますが、
急がば回れ、という事情が該当する場合もあります。

  
>  だから、ぼくが、表現したい部分の数学が
>  どういう分野なのかを知ることが
>  僕に取って重要な事なんです。
>  だから、宇田さんの知っている範囲で
>  僕が表現するのに使うであろう数学が 
>  分かれば、明示して欲しいんです。


残念だけど、現時点では、僕には分かりません。
でも、数→関数→汎関数、という階梯を説明する事だったら出来るよ。
実リーマン多様体も、説明できます。

 
>  そんな事は自分の力でコツコツやって
>  見極めて行かなきゃ行けない


その可能性もあると思います。
2007/05/16/20:47 >  >  具体的な細部の技術にまでキチンと目を通して
>
> これはやった方が良いですが、
>
 細かくやれば、やるほど良いという訳ではないが
 宇田さんが、
 前に提示した高校数学事典?でしたか
 のように、全体をまとめる感じで
 こなしていくのが良いんですね
 
 ここ、十日くらい勉強から離れていましたが、
 気合いを入れ直してまたコツコツやるように
 努力します。

 高校数学は何となく感触があるので
 やった気になりますが、
 まだまだ、知らない事も多いと思うし、
 問題も正確に解く技術も不足しているので、
 短期集中して一気にやってしまおうと思っています。
2007/05/27/20:57 >>  具体的な細部の技術にまでキチンと目を通して

< これはやった方が良いですが、

>  細かくやれば、やるほど良いという訳ではないが
>  宇田さんが、
>  前に提示した高校数学事典?でしたか
>  のように、全体をまとめる感じで
>  こなしていくのが良いんですね
>  
>  ここ、十日くらい勉強から離れていましたが、
>  気合いを入れ直してまたコツコツやるように
>  努力します。
>
>  高校数学は何となく感触があるので
>  やった気になりますが、
>  まだまだ、知らない事も多いと思うし、
>  問題も正確に解く技術も不足しているので、
>  短期集中して一気にやってしまおうと思っています。


1つアドヴァイスです。
一度やったところをやり直さないように気を付ければ、
いつかはやり終わると思います。
2007/06/07/07:32  目標を軌道修正して、
 僕は一般相対性理論までを
 しっかり分かる様にする事に
 主眼を置くことにします。
 
 そうすることで、
 無理のない勉強計画に変わると思うからです。
 
 最先端の物理学にも、
 もちろん大変興味がありますが、
 僕のゴールを一般相対性理論に
 する様にします。
 
 数学、一気にやると良いながら、
 まだ数学IAの教科書を復習した程度に
 留まっていると言うのも事実ですから。
 
 宇田さんには長々と
 付き合って頂く事に
 なると思いますが、
 宜しくお願いします。
2007/06/16/17:03 返信、遅くなってゴメン。
主に物理学正典サイトの構築ばかりやっていました。
報告記事は、Wooder!掲示板で読めます。

一般相対性理論は、当面の目標として良いですね。
一般相対性理論は古典物理学の総まとめだからです。

決して楽ではないですが、頑張ってください。
助けが欲しい時には言ってください。
手を貸します。

長々と付き合う事、大歓迎です。
2007/06/17/22:06  時間の遅れなどを相対的に
 扱うように、解説書では書かれていますよね。
 例えば、自分の時間が遅れている見方も、
 相手の時間が遅れている見方も
 互いに相対的で、
 同時に二人の時間が遅れている
 というわけではないし、
 相手から見れば、
 こちらの時間が遅れていて
 こちらからみれば相手の時間が遅れていると。
 しかし、 
 この相対性って本当にそうなんでしょうか?
 
 僕は、時間が遅れる、寿命が延びる
 と言うのは
 粒子にエネルギーが加わって、
 質量が増す。
 結果、その慣性力が増し、
 運動の速度が遅くなる事により
 崩壊のスピードが遅くなる
 と思うんです。
 そして、
 エネルギーが加わった粒子の系から
 外の系を眺めた場合、
 その粒子から見れば、
 他の系の時間の流れは進んで見えるのでは
 ないでしょうか?
 また、
 他の系から見れば、
 その粒子の時間は遅れて見えるのでは
 ないでしょうか?
 
 相対的に扱うように解説書では
 書いてあるが、
 上の考えのように、
 むしろ、
 絶対的に捉える
 見方の方が、正しいのではないか
 と思うんです。
 
 宇田さんは、
 時間の相対性や「長さの相対性」について
 解説書と同じ意見を持っていますか? 
  
 僕の考えに誤りがあるなら、 
 何処に、誤りの欠点があるんでしょうか?
 出来れば、教えて下さい。 
 
 時間のある時に、
 返信を書いて下さい。   
2007/06/21/15:14  宇田さんに、物理のコラムの希望をします。
 コラムというのは、
 物理現象を分かり易く、
 数式などを余り頼りにせず、
 解説するコラムをです。
 
 例えば、
 光の二重性についてとか。
 具体的に光が粒子性と波動性の
 両方を持つと言うのは
 実際問題、 
 どういう事なのかを、
 現在の物理学者がどういう風に
 考えているのか?とか
 宇田さんが、二重性について
 どういう考えを持っているか?
 とかをです。
 
 僕が、光の二重性のコラムを
 書くとしたら、
 二重スリットをスッリトを通り抜ける
 という現象を実在論的に見れるとしたら
 どうなるか?です。
 光は、どっちかのスッリトを通り抜けたのか?
 それとも、同時にスリットを通り抜けたのか?
 を説明して見るのも、
 「現象をそのまま捉える物理」に興味を持って下さる方が増えるのではないか?
 と言う安易な考えで、
 宇田さんに、
 コラムを書いて欲しいと希望しているんです。
 
 専門的な物理学者でしか、
 書けない切り口で、
 説明することにより、
 僕は、宇田さんのコラムを読んだとしたら、 
 現象に対する明確な、 
 具体的な、
 イメージがわいてくると思います。
 
 但し、あくまでも、希望です。
 と言うのも、
 書いて下さいと頼む本人の希望が
 コラムに求められてしまう気がするからです。 
2007/06/21/15:17  宇田英才教室の秘密授業でしたか?
 の内容はどうなっているんですか?
 パスワードを忘れてしまい閲覧出来ません。
 
 宜しければ、パスワードを教えて下さい。
2007/06/21/16:34  宇田さんの量子論について
 三本だてをして下ったブログを
 読み直しました。
  
 以前より、量子論が分かった
 気がして嬉しいです。
 
 そして、では、
 量子論で変わった事は何かって
 書き込みをしようと思って
 考え直してしまったんですが、
 僕は、
 相対性理論までを勉強の範囲として
 他は諦めるないし、
 自分の想像に任せるほどの事を
 宇田さんに、言明したんだと。
 
 前件のメールに書いてあった
 例えば、
 光の二重性のコラムについての
 希望ですが、これも
 相対性理論よりも上の事だと思いました。

 結局、宇田さんに、
 相対性理論までを
 キッチンとやる事が
 出来れば良いと書いたのに
 それ以上の情報を
 望んでいる自分がいると言うことが
 なんだか、筋の通っていない
 だらしのないものに思えて来ました。
  
 今後、質問は宇田さんが
 古典と言われる範囲に限るように
 したいと思っていますんで、
 それ以上の内容を含んだ内容のメールは
 それは、古典では無いよ
 と、返信して下さい。
 
 しかし、僕が古典以外を質問するのも
 大変な興味があっての事なので
 どうか、お許し下さい。
2007/06/22/22:20 (2007/06/17/22:06への返信)

こんにちは。

Wooder!掲示板の質問コーナーに説明を書いておきました。
2007/06/22/22:24 (2007/06/21/15:17への返信)

はい。

今は、秘密授業は、僕の部屋を写したライブカメラになってます。

渡邉さんには、もう、既に教えたんじゃあないかなあ?
2007/06/22/22:35 (2007/06/21/16:34への返信)

あはは、わかりました。
 
光の粒子と波動の二重性は、量子論の肝心な所で、
量子論の肝心なところは、古典論とは違う文法を使うところです。
だから、僕は、文法に焦点を当てるのですが、
現象ということになると、回折とか干渉とか光電効果とか、
僕が言わなくても、そういう説明はあふれかえってます。
そういう説明については、僕には、既に言われている事以上の事は言えません。
2007/06/25/19:15  そうすると、
 宇宙線の粒子の説明は、
 静止系からみる時間の遅れと
 運動する系から見る時間の遅れと言うのは、
 運動する系の方が
 緩やかと言う事なんですか?

 数式で書かれても内容がまだ伝わらないんで
 すみません。

 宇宙線の系からの時間の遅れと
 地球からの系から時間の遅れが等しいなら、
 説明として、
 空間が縮むと言う事が
 この場合、表面に出てこないで
 すむのではないか?
 と言う質問なんですが、
 
 宇田さんの説明は 
 宇宙線が崩壊する距離をLとL’とおいていますが、
 そもそも、L=L’なんではないんでしょうか?
 宇宙線から見ても、地球から見ても、
 粒子の崩壊時間が遅れると言う事で、
 地球に遠くまで到達するという事実を
 説明出来るのではないかという
 僕の疑問なんですが、
 そこの所を数式を使わずに
 説明してくれませんか?
2007/06/25/22:27 渡邉さんの「相対性について」というメールでの質問を、
物理学正典の「寄与貢献ログ」に記載しても良いですか?
実名やペンネームが嫌なら、完全に匿名扱いでも良いです。
完全に匿名扱いも嫌なら、言ってください。

Wooder!掲示板に書いたように、下記の件については、大した問題ではないので、
メールで説明します。
Wooder!掲示板にも少し補足説明を書いときます。

>  そうすると、
>  宇宙線の粒子の説明は、
>  静止系からみる時間の遅れと
>  運動する系から見る時間の遅れと言うのは、
>  運動する系の方が
>  緩やかと言う事なんですか?
>
>  数式で書かれても内容がまだ伝わらないんで
>  すみません。
>
>  宇宙線の系からの時間の遅れと
>  地球からの系から時間の遅れが等しいなら、
>  説明として、
>  空間が縮むと言う事が
>  この場合、表面に出てこないで
>  すむのではないか?
>  と言う質問なんですが、
>  
>  宇田さんの説明は 
>  宇宙線が崩壊する距離をLとL’とおいていますが、
>  そもそも、L=L’なんではないんでしょうか?
>  宇宙線から見ても、地球から見ても、
>  粒子の崩壊時間が遅れると言う事で、
>  地球に遠くまで到達するという事実を
>  説明出来るのではないかという
>  僕の疑問なんですが、
>  そこの所を数式を使わずに
>  説明してくれませんか?
2007/06/25/23:17 > 渡邉さんの「相対性について」というメールでの質問を、
> 物理学正典の「寄与貢献ログ」に記載しても良いですか?
> 実名やペンネームが嫌なら、完全に匿名扱いでも良いです。
> 完全に匿名扱いも嫌なら、言ってください。
 
 実名は少し困ります。
 しかし、ペンネームで宜しければ、
 宇田さんが面白いと思っているならペガサスという
 ペンネームで、
 余り大したことじゃない場合はイカロスという
 ペンネームでお願いします。
 記載について僕は、実名でないならば、上の条件で良ければ
 のせて貰ってもかまいませんよ^^
2007/06/26/16:16 > > 渡邉さんの「相対性について」というメールでの質問を、
> > 物理学正典の「寄与貢献ログ」に記載しても良いですか?
> > 実名やペンネームが嫌なら、完全に匿名扱いでも良いです。
> > 完全に匿名扱いも嫌なら、言ってください。
>  
>  実名は少し困ります。
>  しかし、ペンネームで宜しければ、
>  宇田さんが面白いと思っているならペガサスという
>  ペンネームで、
>  余り大したことじゃない場合はイカロスという
>  ペンネームでお願いします。
>  記載について僕は、実名でないならば、上の条件で良ければ
>  のせて貰ってもかまいませんよ^^
>

ありがとう。
渡邉さんの疑問自体は誤解も混ざっているのですが、
それをキッカケに僕が思い出して正典に補筆する事にした内容は、大した事です。
「ペガサス」「イカロス」どちらにしましょうか?
  
2007/06/26/16:23 数式を使わない説明が、僕の「古典物理学」に書かれているのを思い出しました。

たしか、渡邉さんは、僕の「古典物理学」を持っていましたよね。

宇田雄一著「古典物理学」363,364ページの図です。

図の説明も読んでください。

要するに、

何かが縮んだり伸びたりするのではなく、角度を変えて測るから違った値が得られる、

という事です。

空間内で考えず、時空内で考える点もポイント。
2007/06/26/20:27  イカロスでお願いしますー^^
2007/06/27/10:41 >
>  イカロスでお願いしますー^^
 
 
了解です。ありがとう。   
2007/06/28/07:43  古典物理を読んだんですが、
 理解できませんでした。
 書き方が独特というか、
 状況設定が分かりませんでした。

>  そうすると、
>  宇宙線の粒子の説明は、
>  静止系からみる時間の遅れと
>  運動する系から見る時間の遅れと言うのは、
>  運動する系の方が
>  緩やかと言う事なんですか?
>
 僕が言っている
 粒子の系からの時間の遅れ
 と言うのは、
 粒子の系からと言うのではなく
 地球の系からであって
 運動している系からの
 意見ではないと言うことなんでしょうか?  

>  数式で書かれても内容がまだ伝わらないんで
>  すみません。
>
 本当に、数式めいたものが
 出てくると、理解が進まないんです>< 

>  宇宙線の系からの時間の遅れと
>  地球からの系から時間の遅れが等しいなら、
>  説明として、
>  空間が縮むと言う事が
>  この場合、表面に出てこないで
>  すむのではないか?
>  と言う質問なんですが、
>  
 これは、僕の前提が間違っているんでしょうか?
 上の質問にお答え下さい。

>  宇田さんの説明は 
>  宇宙線が崩壊する距離をLとL’とおいていますが、
>  そもそも、L=L’なんではないんでしょうか?
>  宇宙線から見ても、地球から見ても、
>  粒子の崩壊時間が遅れると言う事で、
>  地球に遠くまで到達するという事実を
>  説明出来るのではないかという
>  僕の疑問なんですが、
>  そこの所を数式を使わずに
>  説明してくれませんか?
>
 これも、上の質問にお答え下さい。

 僕は、特殊相対性を理解していない様なので、
 出来るだけ、基本的で
 質問にそうようにお答え下さる事を望んでします。

 お手数ですが、返事待ってます。
2007/06/29/18:30 まず、僕の本「古典物理学」の記述を理解するのが良いです。

そうすると、その他の問題については、そもそも問う気持ちがなくなるのではないか、
と思うからです。

僕の本「古典物理学」の指摘した箇所には、数式以外に図が掲載されていますね。

まず、その図の意味を理解しましょう。

分からなかったのなら、手伝います。

状況設定についてですが、縦軸が時間で横軸が空間、みたいな時空を考えています。

この時空が、僕の本のページの紙面として表されています。

そして、空間を表す横軸を左右方向に、時間を表す縦軸を上下方向にとった座標系と、

空間を表す軸も時間を表す軸も斜めの直線であるような座標系とで、

比較を行なっています。

この図で理解すれば、数式を使わずに済みます。

まだ分からなければ、もっと手伝います。
2007/06/30/20:37  ブログに、宇田さんの
 物理学正典を、テフって数学の文書体で書いて
 下さいませんか?って内容の苦情がありましたが、
 宇田さんの文章は僕にとって、
 とても癖のある文章で
 それがかえって、
 伝統の轍をなくすという宇田さんの
 いい目標を、
 半減させている気がして
 もう少し、普通の人が使う数式表現や文章表現を
 心がけてくれれば、
 万人が宇田さんを評価し易く成るのではないか?
 と思い、書きます。
 宇田さんは、
 唯物理事象論って言葉を前に僕に説明してくれましたよね
 でも、それは、宇田さんが創った
 造語なんですよね
 実際、僕は宇田さんから、宇田さん独特の表現を
 聞いているような気になってしまい
 時には、嫌な気持ちになる事も確かです。

 宇田さんが文章をこう書かなきゃ行けない
 と言うことは無いのかも知れませんが、
 人が心地良いと思う文章を書くことに寄って
 宇田さんの言う伝統の轍がより良くなるのではないかと思います。
 伝統の轍が取れたが、 
 宇田さんが作ってしまった、轍が
 特に文章形態において、
 人の理解を助けるどころか、難解にさせてしまっている
 気がしてしょうがないんです。

 宇田さんが十分に世間に認められていれば、 
 宇田さんの創った言葉も宇田用語として認められると
 思うのですが、
 宇田さんが、必要十分な評価をもらっていない
 現在では宇田さんの造語を不快に思う人も居ることは
 確かだと思います。
 
 僕も、人の造語に素直に従うほど、 
 素直に育っていません。
 自分も造語をこしらえていますが、
 宇田さんのはそう言う言葉があるんだって
 予備知識がない人には
 造語を造語と思わずに受け入れてしまう危険性があると
 思います。
 
 ここでは、
 造語について書きましたが、 
 独特な数式についても同様です。
 数学的におかしくないからと言って
 理詰めで、独特な数学の文章を書くのは
 理解を困難にするだけだと思いますよ。
 宇田さんの古典物理学が帯びている色彩は
 とっても癖があって非常に読みにくい
 ものだと思います。

 出来ることなら、柔らかい文章で
 書き物を書いて下さると良いのですが、
 あくまでも、希望です。
 
 宇田さんは多分これを読んだら、
 不快に思うでしょうだけど、 
 自分も我慢せずに、なんでも話し合って
 よりよい、自分でいられれば良いなって思っています。

 ここまで、読んで下さって有り難う御座います。
2007/06/30/22:31 以下の件については、ローレンツ収縮や、ローレンツ変換で言うところの運動する時計の遅れについて、

話が終わった後で、意見交換に応じます。

>  ブログに、宇田さんの
>  物理学正典を、テフって数学の文書体で書いて
>  下さいませんか?って内容の苦情がありましたが、
>  宇田さんの文章は僕にとって、
>  とても癖のある文章で
>  それがかえって、
>  伝統の轍をなくすという宇田さんの
>  いい目標を、
>  半減させている気がして
>  もう少し、普通の人が使う数式表現や文章表現を
>  心がけてくれれば、
>  万人が宇田さんを評価し易く成るのではないか?
>  と思い、書きます。
>  宇田さんは、
>  唯物理事象論って言葉を前に僕に説明してくれましたよね
>  でも、それは、宇田さんが創った
>  造語なんですよね
>  実際、僕は宇田さんから、宇田さん独特の表現を
>  聞いているような気になってしまい
>  時には、嫌な気持ちになる事も確かです。
>
>  宇田さんが文章をこう書かなきゃ行けない
>  と言うことは無いのかも知れませんが、
>  人が心地良いと思う文章を書くことに寄って
>  宇田さんの言う伝統の轍がより良くなるのではないかと思います。
>  伝統の轍が取れたが、 
>  宇田さんが作ってしまった、轍が
>  特に文章形態において、
>  人の理解を助けるどころか、難解にさせてしまっている
>  気がしてしょうがないんです。
>
>  宇田さんが十分に世間に認められていれば、 
>  宇田さんの創った言葉も宇田用語として認められると
>  思うのですが、
>  宇田さんが、必要十分な評価をもらっていない
>  現在では宇田さんの造語を不快に思う人も居ることは
>  確かだと思います。
>  
>  僕も、人の造語に素直に従うほど、 
>  素直に育っていません。
>  自分も造語をこしらえていますが、
>  宇田さんのはそう言う言葉があるんだって
>  予備知識がない人には
>  造語を造語と思わずに受け入れてしまう危険性があると
>  思います。
>  
>  ここでは、
>  造語について書きましたが、 
>  独特な数式についても同様です。
>  数学的におかしくないからと言って
>  理詰めで、独特な数学の文章を書くのは
>  理解を困難にするだけだと思いますよ。
>  宇田さんの古典物理学が帯びている色彩は
>  とっても癖があって非常に読みにくい
>  ものだと思います。
>
>  出来ることなら、柔らかい文章で
>  書き物を書いて下さると良いのですが、
>  あくまでも、希望です。
>  
>  宇田さんは多分これを読んだら、
>  不快に思うでしょうだけど、 
>  自分も我慢せずに、なんでも話し合って
>  よりよい、自分でいられれば良いなって思っています。
>
>  ここまで、読んで下さって有り難う御座います。  
2007/06/30/22:34 ところで、以下の件については、どうなりましたか?

(以下の件=2007/06/29/18:30, 2007/06/28/07:43)
2007/06/30/23:38 > ところで、以下の件については、どうなりましたか?
  
 物理学正典を読んで、
 時間の遅れは
 時計の遅れ以外の何物でもない
 というのは、
 自分もそうなのかなって
 思っていましたが、
 空間が縮むと言うのは、
 見た光の影響でそう見える
 という言うのではない
 と言うのは、
 分かりませんでした。
 
 だから、粒子の系からも
 地球の系からも
 時間の遅れが生じると説明しましたが、
 それは、違った立場の系の様に感じましたが
 同じ系について述べているに過ぎないのでは
 と思いました。
 
 だから、
 本当に粒子の系(運動している系)から見れば、
 時間の遅れと空間の縮みも同時に起こって
 いるのではないかと思っています。
2007/07/01/17:38 物理学正典ではなくて、僕の本「古典物理学」の363ページと364ページの図についてです。

一度にたくさんの話をすると、混乱しますので、順を追って、少しづつ詰めましょう。

まずは、僕の本「古典物理学」の363ページと364ページからです。
2007/07/01/19:14  S。lar(A)やS。luni(a)などの言葉がまず分かりません。
 時計分子と言う用語の説明もしていないので
 およそ言っていることは分かるんですが、はっきりとは分かりません。
 単位硬直性の意味もまだ分かりません。
 T5も分からないし、T5(P1、…、Pn;S、U、I、J)の条件も分かりません。

 感想は、運動している人から見た光速度と
 運動していない人から見た光速度が等しいと言うことが
 説明されているんだなってくらいにしか
 読めませんでした。
 あとの部分は、
 上の述語が分からないために、
 何を言っているのか、
 全く分からない状態です。   
2007/07/03/21:54 >  S。lar(A)やS。luni(a)などの言葉がまず分かりません。
>  時計分子と言う用語の説明もしていないので
>  およそ言っていることは分かるんですが、はっきりとは分かりません。
>  単位硬直性の意味もまだ分かりません。
>  T5も分からないし、T5(P1、…、Pn;S、U、I、J)の条件も分かりません。


はい、それで良いです。そこは分からなくても良いところです。


>
>  感想は、運動している人から見た光速度と
>  運動していない人から見た光速度が等しいと言うことが
>  説明されているんだなってくらいにしか
>  読めませんでした。
>  あとの部分は、
>  上の述語が分からないために、
>  何を言っているのか、
>  全く分からない状態です。


古典物理学の見て欲しいのは主に図です。
何度も書いたように363ページと364ページの図です。


渡邉さんから、数式では分からない、と言われてからは、
数式を読め、とは一回も言ってません。


その図の説明を読めば分かるかなと最初は思ったのですが、
渡邉さんから、状況設定が分からない、と言われたので、


状況設定等の図の説明はメールで、する事にしました。、
既に、送信したメールに、いくらか説明が書かれています。


で、その説明と、本の図とを合わせて、分かったか否かを、
渡邉さんに尋ねている所です。


文で説明を補うだけでなく、必要があれば、図も補う用意があります。
2007/07/04/21:07  図に置いて、
 t2-t1の間隔より
 t’2-t’1の間隔の方が小さい事が、
 図から読みとれます。

 そして、それが、
 動いている物体が斜めに描かれている
 と言うのも分かりました。
 だから、動いている物体の時間が縮む
 と言う説明を宇田さんはしたいんですか?

 しかし、図を正確に読むと、
 t’2-t’1のところの間隔を示す
 矢印におかしな点があると思います。

 A切断から
 t’2-t’1の平行線の下の線まで距離と
 平行線の上の線までの距離の長さが違う点が
 おかしいと思います。
 それは、t’2とt’1は同じ速度で運動した
 時間を計っているんですよね。
 
 なのに、A切断からの距離が違うところで
 矢印が描かれていて、
 それでt2-t1より距離が小さいから
 時間が縮んでいるって説明するのには
 違和感があります。

 t’において同じ距離を進んだものとするならば、
 矢印は斜めではなく、
 A切断に対して平行な向きに
 矢印をもってくるべきで、
 この場合、
 t2-t1とt’2t’1の時間の遅れの違いを図から説明するのは
 無理ではないかと思うんですが、
 僕の考えに間違えがありますか?
 
 それとも、
 図は空間の縮みも
 時間の遅れも説明する図に
 なっているんでしょうか?
 
 分からないので教えて下さい。
2007/07/06/20:41 >  ブログに、宇田さんの
>  物理学正典を、テフって数学の文書体で書いて
>  下さいませんか?って内容の苦情がありましたが、
>  宇田さんの文章は僕にとって、
>  とても癖のある文章で
>  それがかえって、
>  伝統の轍をなくすという宇田さんの
>  いい目標を、
>  半減させている気がして
>  もう少し、普通の人が使う数式表現や文章表現を
>  心がけてくれれば、
>  万人が宇田さんを評価し易く成るのではないか?
>  と思い、書きます。
>  宇田さんは、
>  唯物理事象論って言葉を前に僕に説明してくれましたよね
>  でも、それは、宇田さんが創った
>  造語なんですよね
>  実際、僕は宇田さんから、宇田さん独特の表現を
>  聞いているような気になってしまい
>  時には、嫌な気持ちになる事も確かです。
>
>  宇田さんが文章をこう書かなきゃ行けない
>  と言うことは無いのかも知れませんが、
>  人が心地良いと思う文章を書くことに寄って
>  宇田さんの言う伝統の轍がより良くなるのではないかと思います。
>  伝統の轍が取れたが、 
>  宇田さんが作ってしまった、轍が
>  特に文章形態において、
>  人の理解を助けるどころか、難解にさせてしまっている
>  気がしてしょうがないんです。
>
>  宇田さんが十分に世間に認められていれば、 
>  宇田さんの創った言葉も宇田用語として認められると
>  思うのですが、
>  宇田さんが、必要十分な評価をもらっていない
>  現在では宇田さんの造語を不快に思う人も居ることは
>  確かだと思います。
>  
>  僕も、人の造語に素直に従うほど、 
>  素直に育っていません。
>  自分も造語をこしらえていますが、
>  宇田さんのはそう言う言葉があるんだって
>  予備知識がない人には
>  造語を造語と思わずに受け入れてしまう危険性があると
>  思います。
>  
>  ここでは、
>  造語について書きましたが、 
>  独特な数式についても同様です。
>  数学的におかしくないからと言って
>  理詰めで、独特な数学の文章を書くのは
>  理解を困難にするだけだと思いますよ。
>  宇田さんの古典物理学が帯びている色彩は
>  とっても癖があって非常に読みにくい
>  ものだと思います。
>
>  出来ることなら、柔らかい文章で
>  書き物を書いて下さると良いのですが、
>  あくまでも、希望です。
>  
>  宇田さんは多分これを読んだら、
>  不快に思うでしょうだけど、 
>  自分も我慢せずに、なんでも話し合って
>  よりよい、自分でいられれば良いなって思っています。
>
>  ここまで、読んで下さって有り難う御座います。

 これは、古典物理学という
 宇田さんの本に付いての意見と
 宇田さんの造語についての意見
 だったみたいです。
  
 正典サイトは良くできていて、
 キチンとした文章になっていることを
 今日読んで、
 実感しました。
 だから、僕が不快に思っている事は
 古典物理学についてと
 造語についてです。
2007/07/06/21:37 >  図に置いて、
>  t2-t1の間隔より
>  t’2-t’1の間隔の方が小さい事が、
>  図から読みとれます。
>
>  そして、それが、
>  動いている物体が斜めに描かれている
>  と言うのも分かりました。
>  だから、動いている物体の時間が縮む
>  と言う説明を宇田さんはしたいんですか?


だいたい、そういうことです。
もう少し正確に言うと、
「動いている物体の時間が変わる」という事、を図示しています。
本物のローレンツ変換では動いている物体の時間は「延びる」ですよね。
それなのに、僕の図では、動いている物体の時間は「縮む」、に成っています。
どういう事かと言うと、
僕は、本物のローレンツ変換の正確なイメージを提示しているのではなくて、
運動している物体の長さが縮んだり運動している時計が遅れたりする事は論理的に不可能だ、
という意見に対して、
空間と時間を切り離して考えるからそういう事に成るのであって、
空間と時間を同一平面内に描けば、不可能ではない様子が良く分かるよ、と言っているのです。
あるいは、ローレンツ収縮のイメージが描かれているが、細かな事は捨象している、と考えても良い。



>  A切断から
>  t’2-t’1の平行線の下の線まで距離


↑これの意味が分かりません。


>  平行線の上の線までの距離の長さ


↑これの意味も分かりません。
「距離の長さ」って何ですか?


>  それは、t’2とt’1は同じ速度で運動した
>  時間を計っているんですよね。


はい。
正確には「同じ速度で運動した時間」の意味が分かりません。


>  なのに、A切断からの距離が違うところで
>  矢印が描かれていて、


ひょっとして、 t’2-t’1 の矢印が直線 A と平行でない、ということが言いたいんですか?


>  t’において同じ距離を進んだ


↑これの意味も分かりません。何が進んだのですか?


>  矢印は斜めではなく、
>  A切断に対して平行な向きに
>  矢印をもってくるべきで、


やはり、矢印が平行、と言いたいわけですね。
ふむふむ。


>  この場合、
>  t2-t1とt’2t’1の時間の遅れの違いを図から説明するのは
>  無理ではないかと思うんですが、


平行に書くと、そうなっちゃいますよ。


>  僕の考えに間違えがありますか?


もちろん、大変間違っています。


>  それとも、
>  図は空間の縮みも
>  時間の遅れも説明する図に
>  なっているんでしょうか?


いいえ、363ページの図は、運動する時計の遅れについてのみで、
364ページの図は、ローレンツ収縮についてのみです。


では、まず一点。
どうも、渡邉さんは、運動する時計が破線で表されている、と思っているようですが、
それは間違いです。
運動する時計は、363ページの図の実線 A で表されています。
A は、切断を表す線ではなく、時計の存在領域を表す線です。
破線が切断を表します。
2007/07/08/19:29 > だいたい、そういうことです。
> もう少し正確に言うと、
> 「動いている物体の時間が変わる」という事、を図示しています。
> 本物のローレンツ変換では動いている物体の時間は「延びる」ですよね。
> それなのに、僕の図では、動いている物体の時間は「縮む」、に成っています。
> どういう事かと言うと、
> 僕は、本物のローレンツ変換の正確なイメージを提示しているのではなくて、
> 運動している物体の長さが縮んだり運動している時計が遅れたりする事は論理的に不可能だ、
> という意見に対して、
> 空間と時間を切り離して考えるからそういう事に成るのであって、
> 空間と時間を同一平面内に描けば、不可能ではない様子が良く分かるよ、と言っているのです。
> あるいは、ローレンツ収縮のイメージが描かれているが、細かな事は捨象している、と考えても良い

>
> いいえ、363ページの図は、運動する時計の遅れについてのみで、
> 364ページの図は、ローレンツ収縮についてのみです。
>
> では、まず一点。
> どうも、渡邉さんは、運動する時計が破線で表されている、と思っているようですが、
> それは間違いです。
> 運動する時計は、363ページの図の実線 A で表されています。
> A は、切断を表す線ではなく、時計の存在領域を表す線です。
> 破線が切断を表します。
>
 斜めに破線が描かれていると言うことは、
 空間の座標で、位置の変化が示されている
 と言うことではないんですか?
 つまり、空間軸が横軸に取られていると言うことは
 縦に平行な線ならば、静止を示し、
 斜めならば等速度運動をしていると思うんですが、
 運動する時計が実線で表されているとの事ですが
 縦に垂直に伸びる実践は、
 空間的には静止していて
 時間が流れている事を示していると思うんですが、
 どうなんですか?

 誤解があるかも知れません。
 僕は縦軸が時間、
 横軸が空間と捉えていますが、
 逆の場合は説明が間違いますね。

 宇田さんの第一図はなんとなく分かるんですが、
 空間と時間が分けられないからと言う事は
 実はよく分からないんです。
 時間と空間が分けれてないから、
 時間が縮んだり、空間が縮んだりする
 と言う、本質的な理由が把握できていないんです。

 だから、ローレンツ収縮や遅延が起こるのは、
 遅延の場合は分かるんですが、
 収縮の場合は、
 まだ、自分で突き詰めいて考えられていないんですが、
 収縮するのは理論的な説明で、
 現実には縮む必要はないのではないか
 いや、空間が縮むと言うアイデアは大変気に入っています。
 しかし、運動方向だけに縮むとか、
 運動している系から見れば、
 自分が静止して、他の系が運動している様に見える
 と言う相対性は、
 実感として不思議な感覚にとらわれるんですよ。
2007/07/08/22:11 空間軸が水平に伸びており、時間軸が垂直に伸びている座標系を第1の座標系、
空間軸が斜めの破線に平行で時間軸がそれに垂直な座標系を第2の座標系、
と呼ぶ事にします。


>  斜めに破線が描かれていると言うことは、
>  空間の座標で、位置の変化が示されている
>  と言うことではないんですか?


斜めの破線の表す運動、というものを考える事は出来ます。
しかし、斜めの破線は、何かの運動を表すためのものではありません。
斜めの破線は、第2の座標系で測った、時刻一定のラインです。
つまり、第2の座標系の空間軸に平行なラインです。
(ちなみに、斜めの破線の表す運動は、第1の座標系で測って光速を超える運動であり、
 こういう運動は、相対性理論では禁止されています。
 というのは、光速を超える運動は、異なる座標系では逆向きの運動として観測され、
 時間順序が逆転するから、それはないでしょう、ということです。)←このカッコ内は分からなくて構いません。

>  つまり、空間軸が横軸に取られていると言うことは
>  縦に平行な線ならば、静止を示し、
>  斜めならば等速度運動をしていると思うんですが、
>  運動する時計が実線で表されているとの事ですが
>  縦に垂直に伸びる実践は、
>  空間的には静止していて
>  時間が流れている事を示していると思うんですが、
>  どうなんですか?


はい、第1の座標系で測ると、そうです。
しかし、第2の座標系で測ると、実線 A は、運動を表すでしょう?
つまり、第1の座標系は時計と一緒に運動する座標系で、
第2の座標系は、時計を運動していると感じる、静止した座標系、という事なんです。


>  誤解があるかも知れません。
>  僕は縦軸が時間、
>  横軸が空間と捉えていますが、
>  逆の場合は説明が間違いますね。


縦軸が時間、横軸が空間で合ってます。
その逆ではありません。
ただし、大体はそうなんですが、
時間軸の正確な方向と空間軸の正確な方向はとなると、
それらは座標系ごとに違います。この点が肝心です。


>  宇田さんの第一図はなんとなく分かるんですが、
>  空間と時間が分けられないからと言う事は
>  実はよく分からないんです。
>  時間と空間が分けれてないから、
>  時間が縮んだり、空間が縮んだりする
>  と言う、本質的な理由が把握できていないんです。


時間と空間を分離できない、というのは、
時間と空間への分離の仕方が座標系ごとに異なる、
という事です。
それらが共通なら、
その共通の分離の仕方を、時間と空間の分離方法として採用すれば良いのですが、
座標系ごとに分離の仕方が違って、どれも対等だ、という事に成ると、
時空を時間と空間に分離するのは個々の座標系の便宜に過ぎない、という事に成ります。
僕の図は、そうならざるを得ない、という理由を示すものではなく、
そう成り得る、という可能性を示すものです。
前件に書いたように、
時計の遅れは論理的に不可能だ、との意見に対する反証に過ぎないのであって、
時計の遅れが生じない事は不可能だ、という主張の証明ではありません。
そういう証明は、理論のみに頼ってではなく、実験観測によって為される事です。
(ちなみに光速不変という観測事実を使えば証明できます)←このカッコ内は本件では分からなくても良い。


>  だから、ローレンツ収縮や遅延が起こるのは、
>  遅延の場合は分かるんですが、


運動する時計の遅れは分かった、という事ですか?


>  収縮の場合は、
>  まだ、自分で突き詰めいて考えられていないんですが、


もし、もう時計の遅れが分かってしまったなら、
ローレンツ収縮については、
次のメールから書けば良いです。
ちなみに、それは363ページの図ではなく、364ページの図です。


>  収縮するのは理論的な説明で、
>  現実には縮む必要はないのではないか


論理と現実が食い違うんですか?


>  いや、空間が縮むと言うアイデアは大変気に入っています。


図から分かるように、空間が縮む、と言うよりは、
座標系ごとに時空内での空間方向が違うんです。
だから、測る向きが違うから、同じものを測っても違う結果が出る、
これがローレンツ収縮です。

運動する時計の遅れも同様ですよ。
座標系ごとに時空内での時間方向が違うから、
測る向きが違うので、同じものを測っても違う結果が出る、
という事なんです。


このイメージを浮き立たせるために僕は、
時間軸とか空間軸とかを書かなかったんだ。
363ページと364ページの図の独自性はそれだけ。
時間軸や空間軸を書き込んだものは僕以前からたくさんあるはず。


渡邉さんは、「ノギス」って知ってるかなあ?
平行な破線の組はノギスのエッジだと思えば分かりやすいよ。


>  しかし、運動方向だけに縮むとか、


これは364ページの図で見ましょう。


>  運動している系から見れば、
>  自分が静止して、他の系が運動している様に見える
>  と言う相対性は、
>  実感として不思議な感覚にとらわれるんですよ。


363ページの図の第1の座標系と第2の座標系の比較でも分かるし、
電車に乗っているときに、自分の乗っている電車が静止していて、
プラットフォームとか固定物が運動しているように見える事って、ありませんか?
2007/07/09/17:32 > 空間軸が水平に伸びており、時間軸が垂直に伸びている座標系を第1の座標系、
> 空間軸が斜めの破線に平行で時間軸がそれに垂直な座標系を第2の座標系、
> と呼ぶ事にします。
>
 座標系が二つあると言う事なんですね。

>
>>  斜めに破線が描かれていると言うことは、>  空間の座標で、位置の変化が示されている>  と
言うことではないんですか?
>
> 斜めの破線の表す運動、というものを考える事は出来ます。
> しかし、斜めの破線は、何かの運動を表すためのものではありません。
> 斜めの破線は、第2の座標系で測った、時刻一定のラインです。
> つまり、第2の座標系の空間軸に平行なラインです。

 つまり、第2の座標系の空間軸に平行なラインですと言う
 意味が分かりません。
 空間軸には第1の座標系のに平行と書かねばならないんでは
 ないんでしょうか?
 それとも、
 第2座標系では、空間軸も傾いていると言うことなんでしょうか?
 
> (ちなみに、斜めの破線の表す運動は、第1の座標系で測って光速を超える運動であり、
>  こういう運動は、相対性理論では禁止されています。
>  というのは、光速を超える運動は、異なる座標系では逆向きの運動として観測され、
>  時間順序が逆転するから、それはないでしょう、ということです。)←このカッコ内は分からなく
て構いません。
>
 ぼんやり、伝わってくる程度です。

>>  つまり、空間軸が横軸に取られていると言うことは>  縦に平行な線ならば、静止を示し、>  
斜めならば等速度運動をしていると思うんですが、>  運動する時計が実線で表されているとの事です
が>  縦に垂直に伸びる実践は、>  空間的には静止していて>  時間が流れている事を示していると
思うんですが、>  どうなんですか?
>
> はい、第1の座標系で測ると、そうです。
> しかし、第2の座標系で測ると、実線 A は、運動を表すでしょう?
> つまり、第1の座標系は時計と一緒に運動する座標系で、
> 第2の座標系は、時計を運動していると感じる、静止した座標系、という事なんです。
>
 時計を運動していると感じる、静止した座標系というのは
 どういう意味なんですか?
 静止系に見えると言うのは分かります。

> >  誤解があるかも知れません。>  僕は縦軸が時間、>  横軸が空間と捉えていますが、>  逆の
場合は説明が間違いますね。
>
> 縦軸が時間、横軸が空間で合ってます。
> その逆ではありません。
> ただし、大体はそうなんですが、
> 時間軸の正確な方向と空間軸の正確な方向はとなると、
> それらは座標系ごとに違います。この点が肝心です。
>
 分かりました。

> >  宇田さんの第一図はなんとなく分かるんですが、>  空間と時間が分けられないからと言う事は
>  実はよく分からないんです。>  時間と空間が分けれてないから、>  時間が縮んだり、空間が縮
んだりする>  と言う、本質的な理由が把握できていないんです。
>
> 時間と空間を分離できない、というのは、
> 時間と空間への分離の仕方が座標系ごとに異なる、
> という事です。
> それらが共通なら、
> その共通の分離の仕方を、時間と空間の分離方法として採用すれば良いのですが、
> 座標系ごとに分離の仕方が違って、どれも対等だ、という事に成ると、
> 時空を時間と空間に分離するのは個々の座標系の便宜に過ぎない、という事に成ります。
> 僕の図は、そうならざるを得ない、という理由を示すものではなく、
> そう成り得る、という可能性を示すものです。

 ようやっと、空間と時間が分離出来ないと言う意味が分かった気がします。
 
> 前件に書いたように、
> 時計の遅れは論理的に不可能だ、との意見に対する反証に過ぎないのであって、
> 時計の遅れが生じない事は不可能だ、という主張の証明ではありません。
> そういう証明は、理論のみに頼ってではなく、実験観測によって為される事です。

 分かりました。

> (ちなみに光速不変という観測事実を使えば証明できます)←このカッコ内は本件では分からなくて
も良い。

 ここは分かりません。
>
> >  だから、ローレンツ収縮や遅延が起こるのは、>  遅延の場合は分かるんですが、
>
> 運動する時計の遅れは分かった、という事ですか?
>
 運動する時計の遅れは僕が送った前件のメール、相対性についてで
 分かっていたつもりです。
 つまり、時計が遅れると言う原因は
 質量が増す事により、
 運動自体がゆっくりになると言う事で納得しています。
 但し、この場合は、時間の遅れを、
 運動していない系で説明した場合の説明であると言うことは分かっています。
 
>
>>  収縮の場合は、>  まだ、自分で突き詰めいて考えられていないんですが、
>
> もし、もう時計の遅れが分かってしまったなら、

 時間の遅れの、運動している系からみた説明は質量が増すじゃダメなんですか?

> ローレンツ収縮については、
> 次のメールから書けば良いです。
> ちなみに、それは363ページの図ではなく、364ページの図です。
>
 364ページの図は全く持ってよく分かりません。
 何を説明したいのかが分かりません。

>>  収縮するのは理論的な説明で、>  現実には縮む必要はないのではないか
>
> 論理と現実が食い違うんですか?

 理論と現実が食い違う事はあると思います。
 現実的に縮む言うのはイメージしにくいと言う事です。

>
>>  いや、空間が縮むと言うアイデアは大変気に入っています。
>
> 図から分かるように、空間が縮む、と言うよりは、
> 座標系ごとに時空内での空間方向が違うんです。
> だから、測る向きが違うから、同じものを測っても違う結果が出る、
> これがローレンツ収縮です。

 うん。この説明は上手く頭の中に入って来ました。
 空間が縮むと言う見方が初歩的で甘いと言うのが分かりました。

> 運動する時計の遅れも同様ですよ。
> 座標系ごとに時空内での時間方向が違うから、
> 測る向きが違うので、同じものを測っても違う結果が出る、
> という事なんです。
>
 これもご明察と言わざるを得ません。
>
> このイメージを浮き立たせるために僕は、
> 時間軸とか空間軸とかを書かなかったんだ。
> 363ページと364ページの図の独自性はそれだけ。
> 時間軸や空間軸を書き込んだものは僕以前からたくさんあるはず。
>
 そそ、だから、時間軸や空間軸がはっきりした図になれていたってことですよね。
 だから、宇田さんの図が分からなかったんですよ。
>
> 渡邉さんは、「ノギス」って知ってるかなあ?
> 平行な破線の組はノギスのエッジだと思えば分かりやすいよ。

 「ノギス」残念ながら初めて聞く言葉です。
 分からないので、是非説明を!
>
>>  しかし、運動方向だけに縮むとか、
>
> これは364ページの図で見ましょう。
>
 残念ですが第二図の読み方が全く分からないので、理解できません。
 
>
>>  運動している系から見れば、>  自分が静止して、他の系が運動している様に見える>  と言う
相対性は、>  実感として不思議な感覚にとらわれるんですよ。
>
> 363ページの図の第1の座標系と第2の座標系の比較でも分かるし、
> 電車に乗っているときに、自分の乗っている電車が静止していて、
> プラットフォームとか固定物が運動しているように見える事って、ありませんか?

 昔は、この相対性は分かっていたんです。
 だけど、
 相対性についてのメールで書いたように、 
 時間の遅れに対して、
 運動しる系であろうが、 
 慣性系であろうが、
 時間の遅れる原因が
 絶対的であると思えてしまってから、
 運動の相対性も怪しく思えてきたんです。
2007/07/11/22:00 < 空間軸が水平に伸びており、時間軸が垂直に伸びている座標系を第1の座標系、
< 空間軸が斜めの破線に平行で時間軸がそれに垂直な座標系を第2の座標系、
< と呼ぶ事にします。

> 座標系が二つあると言う事なんですね。


はい、そういうことです。


>> 斜めに破線が描かれていると言うことは、空間の座標で、位置の変化が示されている
>> と言うことではないんですか?

< 斜めの破線の表す運動、というものを考える事は出来ます。
< しかし、斜めの破線は、何かの運動を表すためのものではありません。
< 斜めの破線は、第2の座標系で測った、時刻一定のラインです。
< つまり、第2の座標系の空間軸に平行なラインです。

>  つまり、第2の座標系の空間軸に平行なラインですと言う
>  意味が分かりません。
>  空間軸には第1の座標系のに平行と書かねばならないんでは
>  ないんでしょうか?


「平行」の意味が、「時空図の中で平行」という意味です。
時空図の中では第1の座標系の空間軸と第2の座標系の空間軸は平行ではありません。
空間内で考えると、第1の座標系の空間軸と第2の座標系の空間軸が平行ではない、
とは限りません。平行でない場合もありますが。


>  それとも、
>  第2座標系では、空間軸も傾いていると言うことなんでしょうか?


はい、時空内ではそうです。冒頭に書いてある通りです。

 
>> つまり、空間軸が横軸に取られていると言うことは
>>  縦に平行な線ならば、静止を示し、
>> 斜めならば等速度運動をしていると思うんですが、
>> 運動する時計が実線で表されているとの事ですが
>> 縦に垂直に伸びる実践は、空間的には静止していて
>> 時間が流れている事を示していると思うんですが、
>> どうなんですか?

< はい、第1の座標系で測ると、そうです。
< しかし、第2の座標系で測ると、実線 A は、運動を表すでしょう?
< つまり、第1の座標系は時計と一緒に運動する座標系で、
< 第2の座標系は、時計を運動していると感じる、静止した座標系、という事なんです。

>  時計を運動していると感じる、静止した座標系というのは
>  どういう意味なんですか?


本全体を回転させて、斜めの破線が水平になるようにして、図を眺めてください。
すると、時計の存在領域を表す実線が斜めになりますね?
これが、時計を運動していると感じる、という意味です。
もっと正確な言い方をすると、
時計の運動をその座標系で測定すると時計の運動速度が非ゼロになる、
ということです。


>> だから、ローレンツ収縮や遅延が起こるのは、遅延の場合は分かるんですが、

< 運動する時計の遅れは分かった、という事ですか?

>  運動する時計の遅れは僕が送った前件のメール、相対性についてで
>  分かっていたつもりです。
>  つまり、時計が遅れると言う原因は
>  質量が増す事により、
>  運動自体がゆっくりになると言う事で納得しています。
>  但し、この場合は、時間の遅れを、
>  運動していない系で説明した場合の説明であると言うことは分かっています。


それは一概に間違いとは言えないのですが、
それとは別に、僕の本「古典物理学」の363ページの図を使った説明で分かりましたか?
と訊いたのですが。


>>収縮の場合は、 まだ、自分で突き詰めいて考えられていないんですが、

< もし、もう時計の遅れが分かってしまったなら、

>  時間の遅れの、運動している系からみた説明は質量が増すじゃダメなんですか?


運動していない系の物理法則を使って時計の遅れを説明できる事は正しいです。
しかし、僕は、その事によってローレンツ変換が否定された、と渡邉さんが思っているのではないか、
と心配しています。


>  これもご明察と言わざるを得ません。


ありがとう。


< このイメージを浮き立たせるために僕は、
< 時間軸とか空間軸とかを書かなかったんだ。
< 363ページと364ページの図の独自性はそれだけ。
< 時間軸や空間軸を書き込んだものは僕以前からたくさんあるはず。

>  そそ、だから、時間軸や空間軸がはっきりした図になれていたってことですよね。
>  だから、宇田さんの図が分からなかったんですよ。


そのかわりに、測る向きが違うから測定結果が違う、というアイデアが伝わり易いでしょ?


< 渡邉さんは、「ノギス」って知ってるかなあ?
< 平行な破線の組はノギスのエッジだと思えば分かりやすいよ。

>  「ノギス」残念ながら初めて聞く言葉です。
>  分からないので、是非説明を!


ノギスの説明←クリックしてください。


>>  しかし、運動方向だけに縮むとか、

< これは364ページの図で見ましょう。

>  残念ですが第二図の読み方が全く分からないので、理解できません。
 

第1図の話が終わってから見ましょう、という意味です。


>> 運動している系から見れば、  自分が静止して、他の系が運動している様に見える  と言う
>> 相対性は、  実感として不思議な感覚にとらわれるんですよ。

< 363ページの図の第1の座標系と第2の座標系の比較でも分かるし、
< 電車に乗っているときに、自分の乗っている電車が静止していて、
< プラットフォームとか固定物が運動しているように見える事って、ありませんか?

>  昔は、この相対性は分かっていたんです。
>  だけど、
>  相対性についてのメールで書いたように、 
>  時間の遅れに対して、
>  運動しる系であろうが、 
>  慣性系であろうが、
>  時間の遅れる原因が
>  絶対的であると思えてしまってから、
>  運動の相対性も怪しく思えてきたんです。


一度分かったはずの事に対しても、後から疑ってみる、という批判精神は素晴らしいと思う。
ただ、結果として、今はまだ間違った方に考えが進んでいるようです。
上に書いた「・・・と渡邉さんが思っているのではないか」という心配は的中しているようです。
2007/07/14/20:59 > >> だから、ローレンツ収縮や遅延が起こるのは、遅延の場合は分かるんですが、

> < 運動する時計の遅れは分かった、という事ですか?

>  運動する時計の遅れは僕が送った前件のメール、相対性についてで
>  分かっていたつもりです。
>  つまり、時計が遅れると言う原因は
>  質量が増す事により、
>  運動自体がゆっくりになると言う事で納得しています。
>  但し、この場合は、時間の遅れを、
>  運動していない系で説明した場合の説明であると言うことは分かっています。

> それは一概に間違いとは言えないのですが、
> それとは別に、僕の本「古典物理学」の363ページの図を使った説明で分かりましたか?
> と訊いたのですが。
>

 古典物理学の363ページの図は
 大まかに言って分かったつもりなんですが、
 それは、あくまでも、
 図的に分かったと言うことで、
 実例を出して理解した段階ではないです。
 だから、例えば、
 ロケットに乗って運動している系と
 地球から(但し地球は静止系と見る)の系と
 いう風に実例を出して
 説明して下さると理解が
 ぐっと深まるんですが、
 第一の座標系と第二の座標系を具体化して
 欲しいんです。
 すると、実際に運動している人が感じる事と
 静止している人が感じる事の違いが
 僕には、鮮明に分かるんです。
 だから、 
 補足説明という形で、
 状況を設定して説明して下さい。


> そのかわりに、測る向きが違うから測定結果が違う、というアイデアが伝わり易いでしょ?
>
 はい。これは、系によって
 測定結果が違ってくることを
 明瞭に説明していると思います。

> < 渡邉さんは、「ノギス」って知ってるかなあ?
> < 平行な破線の組はノギスのエッジだと思えば分かりやすいよ。

>  「ノギス」残念ながら初めて聞く言葉です。
>  分からないので、是非説明を!
>
> ノギスの説明←クリックしてください。
>
 
 残念ながら、
 ノギスのエッジの比喩が分かりませんでした。
 スケートの靴のエッジにインとアウトがあるんですが、
 平行な破線の組は、
 スケート上を走ると二重のラインが出来る
 と言うこと同じですか?

>  昔は、この相対性は分かっていたんです。
>  だけど、
>  相対性についてのメールで書いたように、
>  時間の遅れに対して、
>  運動している系であろうが、 
>  慣性系であろうが、
>  時間の遅れる原因が
>  絶対的であると思えてしまってから、
>  運動の相対性も怪しく思えてきたんです。

> 一度分かったはずの事に対しても、後から疑ってみる、という批判精神は素晴らしいと思う。
> ただ、結果として、今はまだ間違った方に考えが進んでいるようです。
> 上に書いた「・・・と渡邉さんが思っているのではないか」という心配は的中しているようです。
>
 僕が相対性についてで、
 書いたところは
 相対性の違った視点と言うことみたいに
 今は思っています。
 だから、
 相対性理論は相対的な理論だと今は認識しています。
2007/07/15/22:00 >  古典物理学の363ページの図は
>  大まかに言って分かったつもりなんですが、
>  それは、あくまでも、
>  図的に分かったと言うことで、


渡邉さんが「式では分からない」と言うから、図的に説明しました。
図的に説明したのだから、
図的に分かった、という結果以上のものを僕は望んでいません。
大まかに言って、というのも、その通りです。
古典物理学363ページ364ページの図は、
ローレンツ変換を正確に表すものではありません。
あくまで、感じとしてこうです、という図に過ぎません。
そのため、古典物理学363ページ364ページの図では、
本来遅れるはずの運動する時計が、逆に進む、
本来収縮するはずの運動する棒が、逆に延びる、
という風に成ってしまっています。
正確な図は、これ→教材2


>  実例を出して理解した段階ではないです。


それで良い、と思います。
止むを得ない事だと思います。


>  だから、例えば、
>  ロケットに乗って運動している系と
>  地球から(但し地球は静止系と見る)の系と
>  いう風に実例を出して
>  説明して下さると理解が
>  ぐっと深まるんですが、
>  第一の座標系と第二の座標系を具体化して
>  欲しいんです。
>  すると、実際に運動している人が感じる事と
>  静止している人が感じる事の違いが
>  僕には、鮮明に分かるんです。
>  だから、 
>  補足説明という形で、
>  状況を設定して説明して下さい。


僕の親切は無尽蔵ではありません。
本来なら数式で理解すべきものを、
渡邉さんが「数式を使うな」と言うから、
その要求を呑んで、図で説明したんです。
これだけでも、必要以上に親切です。
この上に、さらに、具体例を用いた説明も、と言われても、
それでは、ヤマンバと話をしているようです。
具体例を用いた説明も出来ますが、
何か、僕の説明に欠けているところがある、と言われているようで、
良い気持ちはしません。
だから、これ以上は別の切り口からの追加説明はしない、と言いたいところですが、
この件に関しては、既に作っている教材があるので、
それを使って説明します。
この切り口が最後ですよ。
教材1←このページの動くモノサシのアニメーションを見てください。
モノサシの数字の単位を光年ぐらいだと考えてください。
これが具体的な現象レベルでのイメージです。
ただし、これは主に、時計の遅れについてではなく、ローレンツ収縮についてですね。
このアニメーションが、いかにして時計の遅れにつながるか、自分で考えてみてください。
教材1内の文章による説明が参考に成る可能性は大きいでしょう。


< そのかわりに、測る向きが違うから測定結果が違う、というアイデアが伝わり易いでしょ?

>  はい。これは、系によって
>  測定結果が違ってくることを
>  明瞭に説明していると思います。


ありがとう。


<< 渡邉さんは、「ノギス」って知ってるかなあ?
<< 平行な破線の組はノギスのエッジだと思えば分かりやすいよ。

>>  「ノギス」残念ながら初めて聞く言葉です。
>>  分からないので、是非説明を!

< ノギスの説明←クリックしてください。
 
>  残念ながら、
>  ノギスのエッジの比喩が分かりませんでした。
>  スケートの靴のエッジにインとアウトがあるんですが、
>  平行な破線の組は、
>  スケート上を走ると二重のラインが出来る
>  と言うこと同じですか?


ちがいます。
ノギスの説明ページ内のノギスの写真に見られる、
外側測定用ジョウの、測定される物体に接する2つの辺の事を、僕はエッジと言いました。
この2つの辺の各々を、アイススケートのエッジのように、さらに2つに分けて考える事は、
僕のこれまでの説明には含まれていません。
ノギスの説明ページをスクロールさせて、測定方法の写真を見てください。
外側測定の写真を、です。
これを見ると、測定される物体に接する2つの辺がどれなのか、分かります。
つまり、僕が言いたいのは、古典物理学の363ページの図の、
実線Aの、破線で挟まれた区間を、破線は、まるで、ノギスによる外側測定をしているかのようだ、
という事です。
同じ区間を測定しても、ノギスの当て方(ノギスを当てる角度)によって、測定結果が違う、
という事との類似性を指摘したかったわけです。


>  僕が相対性についてで、
>  書いたところは
>  相対性の違った視点と言うことみたいに
>  今は思っています。


そうだと良いです。たぶん、正しく認識しているのでしょう。


>  だから、
>  相対性理論は相対的な理論だと今は認識しています。


いや、それはそうなんですが、
その、相対的な理論であるところの、相対性理論が、
現実を正しく表していない、とか、渡邉さんが思っていないか、
運動する時計の遅れの件を根拠に、そう思っていないか、
心配していました。
 

それから、渡邉さんは、つい先日、
相対性理論をマスターする事を目標にする、
という風に言ってませんでしたか?

まず、それを目標にするんだったら、
数式は勉強しない、という態度では目標を達成できませんよ。

さらに、渡邉さんが運動する時計の遅れの話を持ち出して来た事を見て、
その具体的内容まで見て、
相対性理論をマスターした後でやるべき事を、
あるいは、相対性理論の勉強がかなり進んだ後でやるべき事を、
今やろうとしている感じがします。

これには、いささか、うんざりしています。
また始まったか、という感じです。
というのは、
また、相対性理論のマスターに向けた地道な努力は開始されなかったのか、と感じたからです。
僕としては、早く、
相対性理論マスターに向けた地道な努力の途中で出て来る地味な報告を、
聞きたい。
それが質問でも良いですが、
渡邉さんの質問は、そういう地味なものではない点が、とても残念です。
2007/07/16/06:09  高校数学と高校物理をやることが
 ます、最初に取り組むことですよね。
 その後で、
 宇田さんの教材にそって
 やっていくと言う方法が良いんでしょうか?
2007/07/16/07:29  お礼を言うのを忘れてました。
 つたない理解で、
 長々と説明をさせてしまって
 大変申し訳なかったです。
 
 しかし、大変、理解が深まり
 有り難かったです。
 どうも、有り難う御座いました。
 
 また、初歩的な事に従事しないで、
 度々の質問失礼しました。
2007/07/16/14:14 >  高校数学と高校物理をやることが
>  ます、最初に取り組むことですよね。


高校数学については、
既習ならば、未消化であっても、
やり直す必要は無い、というか、やり直すべきではありません。
未習部分が残っていれば、その部分だけ勉強するのが良いです。
それも、以前言ったように、
大学入試問題が解けるレベルに達する必要はありません。
そこまではやらない方が、時間の使い方的に、良いです。
高校物理については、一通り読んだ、という程度で良いと思います。
高校物理も、既習ならば、未消化でも、やり直すべきではありません。


>  その後で、
>  宇田さんの教材にそって
>  やっていくと言う方法が良いんでしょうか?


それは、僕の教材を使ってくれれば、嬉しいです。
2007/07/16/14:16 >  お礼を言うのを忘れてました。
>  つたない理解で、
>  長々と説明をさせてしまって
>  大変申し訳なかったです。
>  
>  しかし、大変、理解が深まり
>  有り難かったです。
>  どうも、有り難う御座いました。
>  
>  また、初歩的な事に従事しないで、
>  度々の質問失礼しました。


どういたしまして。
渡邉さんの理解が深まって何よりです。
2007/07/20/20:54 運動する時計の遅れについて、話が一段落したようなので、
僕の本の書き方の話に移ろうと思いますが、
どうですか?
ローレンツ収縮も説明した方が良いですか?

運動する時計の遅れについては、
渡邉さんの言う路線に沿って、質量の増加などを使って説明も可能だが、
それは、僕の本「古典物理学」の363ページのような時空の幾何学的な理解をした上で、
する議論だ、という事でした。
この事を理解してもらえた、と感じています。
2007/07/21/16:16 > 運動する時計の遅れについて、話が一段落したようなので、
> 僕の本の書き方の話に移ろうと思いますが、
> どうですか?
> ローレンツ収縮も説明した方が良いですか?

 ローレンツ収縮については一言、
 時間の遅れとローレンツ収縮は同時に
 起きるのか?
 って点が、今一、分からないです。
 
 宇田さんの本の書き方についての話を進めて下さい。
 いかなる、言葉でも 
 僕を避難しても構いませんから。
2007/07/21/17:44 >  ローレンツ収縮については一言、
>  時間の遅れとローレンツ収縮は同時に
>  起きるのか?
>  って点が、今一、分からないです。


じゃあ、結果だけ。
同時に起きます。
ぜひ、勉強してそれを自分の目で見極めてください。

それと、ついでに。
僕の本「古典物理学」364ページの図では、
2つの実線が、棒の2つの端点の時空内での存在領域を表します。
破線は、
棒を静止していると感じる座標系と、
棒を運動していると感じる座標系の、
それぞれの空間軸です。

 
>  宇田さんの本の書き方についての話を進めて下さい。
>  いかなる、言葉でも 
>  僕を避難しても構いませんから。


では、次のメールから書きます。
たぶん、一件ではおさまらないと思います。
よろしく。
2007/07/21/18:56 >  ブログに、宇田さんの
>  物理学正典を、テフって数学の文書体で書いて
>  下さいませんか?って内容の苦情がありましたが、
>  宇田さんの文章は僕にとって、
>  とても癖のある文章で
>  それがかえって、
>  伝統の轍をなくすという宇田さんの
>  いい目標を、
>  半減させている気がして
>  もう少し、普通の人が使う数式表現や文章表現を
>  心がけてくれれば、
>  万人が宇田さんを評価し易く成るのではないか?
>  と思い、書きます。
>  宇田さんは、
>  唯物理事象論って言葉を前に僕に説明してくれましたよね
>  でも、それは、宇田さんが創った
>  造語なんですよね
>  実際、僕は宇田さんから、宇田さん独特の表現を
>  聞いているような気になってしまい
>  時には、嫌な気持ちになる事も確かです。


嫌な気持ちに成るから何ですか?
嫌な気持ちに成るから、
そういう、渡邉さんを嫌な気持ちにさせる僕の行ない、は正しくない、
と言いたいのですか?
僕のせいにしないで下さい。
僕は、自分が倫理的に間違っていない事について、心に一点の曇りもありません。
渡邉さんは、どうですか?そこまで言えますか?
嫌な気持ちに成る渡邉さん自身に原因があるのではないですか?
僕の造語の使用が不適切ならば、
そして、その事が原因で渡邉さんが嫌な気持ちに成るのならば、
渡邉さんのせいではなく、僕のせいですが、
僕の造語の使用は不適切ではない、という事を、これから説明します。


>  宇田さんが文章をこう書かなきゃ行けない
>  と言うことは無いのかも知れませんが、
>  人が心地良いと思う文章を書くことに寄って
>  宇田さんの言う伝統の轍がより良くなるのではないかと思います。


心地良さ、というものについては、人によって、何に心地良さを感じるかが違います。
僕の言説が優れている事自体を不快に思う人に、合わせるべきではありません。
そういう人にとって心地良い文章を書け、と言っているのではありませんよね。
ならば、僕の文章を心地良くないと感じるのは、渡邉さんが分かってないだけです。
僕の解説は伝統よりも心地良い、という事を示す事例としては、
基礎方程式のパラメータの説明をある場所でした時に、
正直な人から、
「世間に良くある物理の本には無い、目の前がパーっと開けたような理解を与えられた」
という風に評された事があります。


>  伝統の轍が取れたが、 
>  宇田さんが作ってしまった、轍が
>  特に文章形態において、
>  人の理解を助けるどころか、難解にさせてしまっている
>  気がしてしょうがないんです。


まず「轍」という言葉の意味を、良く知ってください。
まず、普通に言う轍とは、車両の車輪によって出来た路面のくぼみです。
これにはまり込むと、ハンドルを取られて、轍に沿った走行しか出来なくなります。
これにならって、僕は、
教育と学習の伝統によって作り出され、
後進はそれに自然にはまり込んでしまって抜け出せない悪い習慣、
の事を、伝統の轍と言っています。
僕の記述様式は、それが仮に悪い共通点を持っているとしても、
意識して作り上げられたものであって、自然とそうなってしまったものではないから、
その特徴は、轍という語にはなじみません。


>  宇田さんが十分に世間に認められていれば、 
>  宇田さんの創った言葉も宇田用語として認められると
>  思うのですが、
>  宇田さんが、必要十分な評価をもらっていない
>  現在では宇田さんの造語を不快に思う人も居ることは
>  確かだと思います。


渡邉さんにとっては、どうなれば、評価された事に成るんですか?
それから、
思想表現が優れているならば、それによって評価されるのであって、
評価されたならば、優れた思想表現をしても良い、のではありません。
渡邉さんの「評価されている」という基準が何を指すのか良くわかりませんが、
それが何を指すにせよ、著者が評価されていようがいまいが、
著作物の著者は、自分が世界で一番賢いのだ、と言った風な書き方をする自由があるし、
そうする事によって評価された存在に成る事だけが、正しい道です。
それを不快に思う人は、学問・思想・表現・言論・著作などの活動に向かう者として、
未熟です。
未熟な者が発達するべきなのであって、未熟な者に合わせない事が悪いのではありません。

 
>  僕も、人の造語に素直に従うほど、 
>  素直に育っていません。


それは、渡邉さんの欠点ですね。
素直さが欠けていれば、伸びませんよ。
その点、僕の方が進んでいます。
僕は、他者の創造について、それが良ければ進んで取り入れます。


>  自分も造語をこしらえていますが、
>  宇田さんのはそう言う言葉があるんだって
>  予備知識がない人には
>  造語を造語と思わずに受け入れてしまう危険性があると
>  思います。


これは、僕は気を付けなくてはいけない、と思っています。
「・・・と呼ぶ」ではなく「・・・と呼ぶ事にする」などと書いて配慮しているつもりです。
これについては、僕は、気の緩みは禁物、ですね。


>  ここでは、
>  造語について書きましたが、 
>  独特な数式についても同様です。
>  数学的におかしくないからと言って
>  理詰めで、独特な数学の文章を書くのは
>  理解を困難にするだけだと思いますよ。
>  宇田さんの古典物理学が帯びている色彩は
>  とっても癖があって非常に読みにくい
>  ものだと思います。


僕の古典物理学は、伝えたい事が違うんです。
渡邉さんが「分からない」と言ってる事は、
僕が「古典物理学」で読者に伝えたい事じゃあないんです。
だから、そういう部分は伝わらなくて良いのです。
その代わりに、普通の書き方をすると伝わらない事を、伝えようとしていますから、
そういう部分は、伝わるようになっています。
これは、渡邉さんの、僕の本「古典物理学」に対する期待の仕方が、間違っている、
という事です。
ローレンツ収縮と運動する時計の遅れのところは例外的に、
渡邉さんの知りたい事が、僕の伝えようとしている事に一致していますが、
あそこは例外的なオマケであって、本全体としては、
ああいう「よくわかる特殊相対性理論」みたいな本ではないのです。


>  出来ることなら、柔らかい文章で
>  書き物を書いて下さると良いのですが、
>  あくまでも、希望です。


いいえ。
僕は、読者の脳にクサビを打ち込むような文章を、良しとしています。
学問というものは、読者をねじ伏せて屈服させて認めさせるのが正しいのです。
そうして、そういう文章を好んで読むようにならないと、学問は上達しません。
柔らかい文章の方が、伝えたい事を良く伝えられるならば、柔らかい文章を使いますが、
おそらく、伝えたい事を能率的に鋭く表現する文章は、
読者とって、柔らかくない、と感じられるのではないでしょうか。
であるならば、学問について僕は柔らかい文章は書かないでしょう。


>  宇田さんは多分これを読んだら、
>  不快に思うでしょうだけど、 
>  自分も我慢せずに、なんでも話し合って
>  よりよい、自分でいられれば良いなって思っています。
>
>  ここまで、読んで下さって有り難う御座います。


これについては、後で書きます。
2007/07/21/22:07 > >  ブログに、宇田さんの
> >  物理学正典を、テフって数学の文書体で書いて
> >  下さいませんか?って内容の苦情がありましたが、
> >  宇田さんの文章は僕にとって、
> >  とても癖のある文章で
> >  それがかえって、
> >  伝統の轍をなくすという宇田さんの
> >  いい目標を、
> >  半減させている気がして
> >  もう少し、普通の人が使う数式表現や文章表現を
> >  心がけてくれれば、
> >  万人が宇田さんを評価し易く成るのではないか?
> >  と思い、書きます。
> >  宇田さんは、
> >  唯物理事象論って言葉を前に僕に説明してくれましたよね
> >  でも、それは、宇田さんが創った
> >  造語なんですよね
> >  実際、僕は宇田さんから、宇田さん独特の表現を
> >  聞いているような気になってしまい
> >  時には、嫌な気持ちになる事も確かです。
> >
> >  宇田さんが文章をこう書かなきゃ行けない
> >  と言うことは無いのかも知れませんが、
> >  人が心地良いと思う文章を書くことに寄って
> >  宇田さんの言う伝統の轍がより良くなるのではないかと思います。
> >  伝統の轍が取れたが、 
> >  宇田さんが作ってしまった、轍が
> >  特に文章形態において、
> >  人の理解を助けるどころか、難解にさせてしまっている
> >  気がしてしょうがないんです。
> >
> >  宇田さんが十分に世間に認められていれば、 
> >  宇田さんの創った言葉も宇田用語として認められると
> >  思うのですが、
> >  宇田さんが、必要十分な評価をもらっていない
> >  現在では宇田さんの造語を不快に思う人も居ることは
> >  確かだと思います。
> >  
> >  僕も、人の造語に素直に従うほど、 
> >  素直に育っていません。
> >  自分も造語をこしらえていますが、
> >  宇田さんのはそう言う言葉があるんだって
> >  予備知識がない人には
> >  造語を造語と思わずに受け入れてしまう危険性があると
> >  思います。
> >  
> >  ここでは、
> >  造語について書きましたが、 
> >  独特な数式についても同様です。
> >  数学的におかしくないからと言って
> >  理詰めで、独特な数学の文章を書くのは
> >  理解を困難にするだけだと思いますよ。
> >  宇田さんの古典物理学が帯びている色彩は
> >  とっても癖があって非常に読みにくい
> >  ものだと思います。
> >
> >  出来ることなら、柔らかい文章で
> >  書き物を書いて下さると良いのですが、
> >  あくまでも、希望です。
> >  
> >  宇田さんは多分これを読んだら、
> >  不快に思うでしょうだけど、 
> >  自分も我慢せずに、なんでも話し合って
> >  よりよい、自分でいられれば良いなって思っています。
> >
> >  ここまで、読んで下さって有り難う御座います。
>
>  これは、古典物理学という
>  宇田さんの本に付いての意見と
>  宇田さんの造語についての意見
>  だったみたいです。
>   
>  正典サイトは良くできていて、
>  キチンとした文章になっていることを
>  今日読んで、
>  実感しました。
>  だから、僕が不快に思っている事は
>  古典物理学についてと
>  造語についてです。
 

本件では一点だけ。
ブログに書かれていた批判は、
宇田はなぜ数式ワープロを用いないのか?
というものです。
それが、「古典物理学」についてではなく「物理学正典」についてだ、
という点だけでなく、
「古典物理学」や「物理学正典」での僕の記号法を否定するものではない点にも、
気を付けてください。
僕の記号法は、数式ワープロを使えば、ほとんど全て組版できるからです。
2007/07/21/22:46 >>  伝統の轍が取れたが、 
>>  宇田さんが作ってしまった、轍が
>>  特に文章形態において、
>>  人の理解を助けるどころか、難解にさせてしまっている
>>  気がしてしょうがないんです。


< まず「轍」という言葉の意味を、良く知ってください。
< まず、普通に言う轍とは、車両の車輪によって出来た路面のくぼみです。
< これにはまり込むと、ハンドルを取られて、轍に沿った走行しか出来なくなります。
< これにならって、僕は、
< 教育と学習の伝統によって作り出され、
< 後進はそれに自然にはまり込んでしまって抜け出せない悪い習慣、
< の事を、伝統の轍と言っています。
< 僕の記述様式は、それが仮に悪い共通点を持っているとしても、
< 意識して作り上げられたものであって、自然とそうなってしまったものではないから、
< その特徴は、轍という語にはなじみません。


少し補足説明します。

後から来た車両が轍にはまり込んで轍に沿った走行をすることによって、
轍はますます深く刻まれる事に成り、
その後から来た車両が轍にはまり込んだときの、そこからの脱出は、ますます困難になります。
轍というものは、このような負の連鎖を生みます。

もっとも、クラシカルスタイルのクロスカントリー・スキー競技では、轍状の溝が役立ってますけど。

それと、僕による、伝統の轍への矯正は、意識的にやってるので、クセではありません。

伝統の轍がクセなのに、それに対する僕の矯正の方がクセだと誤解することは、
臭い部屋から無臭の外部空間に出たときに、無臭の部屋から臭い外部空間に出たと錯覚するのに、
似ているでしょう。

轍というものの上に述べた性格上、伝統の轍を克服する事は、不可能に近いぐらいに困難です。
それは、ある意味、高々数十年の人生の個人が、数千年の人類の歴史を超える事だからです。
だから、奇をてらったりではなく、一点の曇りも無く全く正当に、これが出来れば、少なくとも天才です。
渡邉さんが、世に認められている人だと思っている人でも、ほとんど全ての人は、これが出来ません。
無理してやろうとすれば、これはかなりひどいですぞよ、と言われるべきものが出て来るだけです。
その意味、それらの人は、それ自体としては優秀ではあるけれど、僕との比較においては凡人です。
渡邉さんも、僕に直接ものを言う限りには、僕に対する評価を、世評に基づいてではなく、
僕の発言内容から直接作り上げて行く必要があります。
いつまでたっても、「認められてないくせに」という風に言われるのは、心外です。
僕の本「古典物理学」を買ってくれた直後に、これに類する発言があったのを覚えています。
もう、そろそろ分かっている頃だ、と思っていましたが、まだ同じ事を言ってるとは。
くどいようですが、渡邉さんが認められている人だと思っている人は、全て、僕より格下です。
その事を、僕の発言内容と、それらの人の発言内容を比較する事によって、
直接的に知ってください。
他者による評価(世評)を鵜呑みにするのではなく。
2007/07/22/00:04 >  ブログに、宇田さんの
>  物理学正典を、テフって数学の文書体で書いて
>  下さいませんか?って内容の苦情がありましたが、
>  宇田さんの文章は僕にとって、
>  とても癖のある文章で
>  それがかえって、
>  伝統の轍をなくすという宇田さんの
>  いい目標を、
>  半減させている気がして
>  もう少し、普通の人が使う数式表現や文章表現を
>  心がけてくれれば、
>  万人が宇田さんを評価し易く成るのではないか?
>  と思い、書きます。
>  宇田さんは、
>  唯物理事象論って言葉を前に僕に説明してくれましたよね
>  でも、それは、宇田さんが創った
>  造語なんですよね
>  実際、僕は宇田さんから、宇田さん独特の表現を
>  聞いているような気になってしまい
>  時には、嫌な気持ちになる事も確かです。


< 嫌な気持ちに成るから何ですか?
< 嫌な気持ちに成るから、
< そういう、渡邉さんを嫌な気持ちにさせる僕の行ない、は正しくない、
< と言いたいのですか?
< 僕のせいにしないで下さい。
< 僕は、自分が倫理的に間違っていない事について、心に一点の曇りもありません。
< 渡邉さんは、どうですか?そこまで言えますか?
< 嫌な気持ちに成る渡邉さん自身に原因があるのではないですか?


本件では、主に、渡邉さんに原因がある、という可能性を推測してみます。


その前に、少し訂正を。
誤:「僕は、自分が倫理的に間違っていない事について、心に一点の曇りもありません。」
正:「僕は、古典物理学をいかに執筆するかの決定および実行について、この上なく優秀であったと、
   心に一点の曇りも無く、自信を持って言えます。
   僕の書いた古典物理学は、
   チョッと見で、こういう風にした方が良い、という改善案が見つかるような代物ではありません。」


さて、渡邉さんが嫌な気持ちに成った原因、というものを推測してみます。
それらが、僕の非ではなく、渡邉さんの恥ずべき点である、という事を示します。


・もし渡邉さんが自分のδの考えを十分に発展させて著作に著したら出来上がるであろう物に、
 僕の本「古典物理学」が、規模や独自性の程度において、匹敵または凌駕するものであった。
 (自分の目指していることを宇田に先にやられてしまって嫌な気持ちがする)


・宇田が「古典物理学」という著作を通して自己の独創性を証明しようとしている分だけ、
 渡邉さんは、自分の独創性が否定されてしまうような、脅威を感じた。
 (独自性というのは、そういうものです。昔渡邉さんが言っていたように誰にでもある、
  ならば、独自でも天才でもありません。)


・渡邉さんにとって、学術書の著者になる、という事は、文化的成功の象徴であって、
 宇田が学術書の著者だなんて気に入らない、という気持ちが生じた。
 (渡邉さんは、僕の本「古典物理学」購入直後、人間性がどうのこうの言って猛反発して、連絡を絶った。)


このぐらいしか思い付きません。
もっと色々出て来るかと思いましたが、結局は、僕の本「古典物理学」の優秀性に対する妬み、
という事ですね、考えられるのは。


渡邉さんは、僕の成功に対するねたみを、僕の著作の不当性にすり替えている、と思います。
2007/07/22/22:02 <本件では一点だけ。
<ブログに書かれていた批判は、
<宇田はなぜ数式ワープロを用いないのか?
<というものです。
<それが、「古典物理学」についてではなく「物理学正典」についてだ、
<という点だけでなく、
<「古典物理学」や「物理学正典」での僕の記号法を否定するものではない点にも、
<気を付けてください。
<僕の記号法は、数式ワープロを使えば、ほとんど全て組版できるからです。


もう分かったかもしれないけど、チョッと補足すると、
つまり、
ブログに書かれていた批判は、
宇田は何故独自の記号法を用いるのか?という批判ではなくて、
宇田はその記号法をどうして数式ワープロで表現しないのか?というものです。
ちなみに、物理学正典では、僕は、古典物理学ほどには独自の記号法を用いていません。


本件も、ちょっとだけ書きます。
伝統の轍という語は、僕の造語ですが、これは僕が教育について用いる語です。
基本的に、研究については用いていないはずです。
そして、物理学正典は教育書で、
古典物理学は研究書(研究論文と言っても良いかもしれない)です。


つまり、僕は、古典物理学で伝統の轍を矯正した、とは言ってないはずなんですが。
だから、古典物理学の書き方は、クセでも轍でもないけれど、とても偏っています。
これは、自然とそう成ったのではなく、
実証主義という偏った哲学的な見地の正しさを見極めるために、
僕が、わざと、実証主義を突き詰めるとどうなるか、が分かり易い書き方をしたためです。


古典物理学が研究論文だとしても、渡邉さんは、書き方を改めるべきだ、と思いますか?
著者が世界で最も良く認められている人だとしても、書き方を改めるべきだと思いますか?
そう思わないならば、宇田に対しては、書き方を改めるべきだ、と思う、のは、
文化的創造行為に対する極初歩的な段階での理解不足です。


そういう研究テーマについての本なんだから、そのように書かれるのが一番良いんです。
そういう書き方が、一番分かり易い書き方なんです。
せめて、前書きだけでも最後まで読んでみてくださいよ。
それすらしてないならば、そんな人に、その本の何が語れるんですか?
2007/07/22/22:44 >  宇田さんが十分に世間に認められていれば、 
>  宇田さんの創った言葉も宇田用語として認められると
>  思うのですが、
>  宇田さんが、必要十分な評価をもらっていない
>  現在では宇田さんの造語を不快に思う人も居ることは
>  確かだと思います。


< 渡邉さんにとっては、どうなれば、評価された事に成るんですか?
< それから、
< 思想表現が優れているならば、それによって評価されるのであって、
< 評価されたならば、優れた思想表現をしても良い、のではありません。
< 渡邉さんの「評価されている」という基準が何を指すのか良くわかりませんが、
< それが何を指すにせよ、著者が評価されていようがいまいが、
< 著作物の著者は、自分が世界で一番賢いのだ、と言った風な書き方をする自由があるし、
< そうする事によって評価された存在に成る事だけが、正しい道です。
< それを不快に思う人は、学問・思想・表現・言論・著作などの活動に向かう者として、
< 未熟です。
< 未熟な者が発達するべきなのであって、未熟な者に合わせない事が悪いのではありません。

 
分かり易く説明するのが難しいんだけど、
もし、渡邉さんにとって、学術書の著者に成る事が、文化的社会的成功の象徴であるならば、
次のように考えてください。

・本を書いたから偉い、のであって、偉いから本を書いても良い、のではない。


漫画的に言うならば、
独創的な学術書や思想表現においては、
まず、著者は、精一杯偉そぶって表現する。
次に、その内容が、その著者の偉そうな態度にふさわしいものか否かが、評価される。
ふさわしくないと判断されれば、その著者は笑いものに成る。
ふさわしければ、悔しくても文句の付けようが無い。
既に良く認められた人が書いたものでも、内容が伴わなければ、その行為は笑われる。
認められていない人が書いたものでも、内容が良ければ、その事によって、その人は、認められる。


チョッと時間が来たから、今日はこのくらいにします。
2007/07/23/20:55  僕は宇田さんの文章が分からないから、
 分かり易く書いて下さい。
 と言っているんだと思いました。

 つまり、宇田さんの、
 独自、独創的な筋の通った
 文章が全く読めないと言う事を
 宇田さん文章が分かりにくいと
 避難しているんだと思います。

>
> さて、渡邉さんが嫌な気持ちに成った原因、というものを推測してみます。
> それらが、僕の非ではなく、渡邉さんの恥ずべき点である、という事を示します。
>
>
> ・もし渡邉さんが自分のδの考えを十分に発展させて著作に著したら出来上がるであろう物に、
>  僕の本「古典物理学」が、規模や独自性の程度において、匹敵または凌駕するものであった。
>  (自分の目指していることを宇田に先にやられてしまって嫌な気持ちがする)
>
 これは、古典物理学を十分、読み込めないと何とも言えないんですが、
 δは人間が自然と行う行為そのものを表しているので、
 重なる可能性も十分有りますが、
 だからと言って、
 先に書いたから、
 自分が独創性を持っていると主張するのは違うのではないか?
 と思います。
 先に宇田さんが述べたと言うのは良いと思いますが、
 だからと言って、自分だけが到達しえたものとするのは違うと思います。
 宇田さんもそうは思っていないと思いますが。
 それは、独立に再認識する事もあるからです。
 宇田さんの古典物理学はほんの少ししか読めていませんが、
 僕の独自性と重なる部分を読みとるほどには
 読んでいない事は、多分、確かな事だと思います。
 これは、宇田さんの考えが全く入ってきていないと言うことを
 表すと言うよりは、
 単にこれは僕の無知によるものだと思います。
 
 δを凌駕するとか、匹敵するとかはまだ無関係な事に思います。
 
 宇田さんはしっかりとした自分の意見が述べられる段階で
 僕はまだ自分の言葉ではっきりと自分の意見を述べられない段階と言うだけで、
 内蔵しているアイデアにこれは、私が、
 何年何月に述べている、
 だから
 僕のは独創性ではない
 と言える権利は無いものと思います。

> ・宇田が「古典物理学」という著作を通して自己の独創性を証明しようとしている分だけ、
>  渡邉さんは、自分の独創性が否定されてしまうような、脅威を感じた。
>  (独自性というのは、そういうものです。昔渡邉さんが言っていたように誰にでもある、
>   ならば、独自でも天才でもありません。)
>
 これは、良く読んでいないんで、何とも言えないんですが、 
 僕は人の読み物を読む時に
 自分のアイデアに近いと感じた場合避ける傾向がある事を上げておきます。
 だから、脅威を感じたと言うのは合っているとは思うんですが、
 宇田さんの古典物理学自体は僕にとっては難解な書き方をされているように
 感じてしまう分、
 アイデアに近いと感じたから先を読めなかったと言うよりは
 難しくて、独特な文章形態を避けたと言う方が正しいと思います。

>
> ・渡邉さんにとって、学術書の著者になる、という事は、文化的成功の象徴であって、
>  宇田が学術書の著者だなんて気に入らない、という気持ちが生じた。
>  (渡邉さんは、僕の本「古典物理学」購入直後、人間性がどうのこうの言って猛反発して、連絡を
絶った。)
>
 これは、学術書を書くことが
 いわいる文化的な成功の象徴であるという認識は
 僕にはまったく意識はしていなかったと思います。
 だから、僕は学術書が書けることが
 大切だと思っていた事は確かにありそうです。
 
 ここは、それほど、宇田さんをむげにしていないと思います。
 宇田さんが学術書の著者だから
 気に入らないと言う気持ちが生じたわけではないと思います。
 古典物理学が、どういう位置づけなのかさえ分かっていなかったと思います。
 
>
> このぐらいしか思い付きません。
> もっと色々出て来るかと思いましたが、結局は、僕の本「古典物理学」の優秀性に対する妬み、
> という事ですね、考えられるのは。
>
 優秀かどうか、分からないと言う段階です。
 だから妬みではないと思います。

>
> 渡邉さんは、僕の成功に対するねたみを、僕の著作の不当性にすり替えている、と思います。
>
 これは、宇田さんの本が分からないと言う事につきると思います。 
 
 宇田さんが古典物理学で
 どれくらいの成功を収めているかさえ、
 どれくらいな物か、把握出来ていません。

 なので、もう一度、
 最初から古典物理学を学術書として読んでみる事にします。
 そうすれば、
 宇田さんが上に上げた事が、的を得ているかどうか
 が分かると思いますし、もう少し僕サイドで話が理解できる段階に成ると思います。
 
 宇田さんが、そろそろ、
 僕も成長して、古典物理学を購入した時にした批判を再度している
 状況は無いだろうと思ってた事を有り難いと思いますが、 
 僕は、それほど成長が早いものでも有りません。
 
 知識のある人との話は、 
 殆ど、宇田さんとだけに限られています。
 だから、僕は何度も宇田さんをとても不快にさせる
 発言を何度も繰り返ししながら、 
 自分の話せる幅が広がっていくと思っています。
 言い方が悪いかも知れませんが、
 合っていると思うので書きますが、
 宇田さんを、
 踏み台にしてのし上がろうとしているんではないかと思います。
 
 こんな、役
 私に回さないでくれと言うなら、 
 メールのやり取りをしないように
 した方が良いのかも知れません。
 
 これは、僕の悪いところだから、 
 宇田さんが、こいつとは付き合いないと
 思った時点で、破棄して良い関係だと思っていますんで、 
 そう思った時点でメールでお伝え下さい。 
2007/07/23/21:05 < つまり、僕は、古典物理学で伝統の轍を矯正した、とは言ってないはずなんですが。
< だから、古典物理学の書き方は、クセでも轍でもないけれど、とても偏っています。
< これは、自然とそう成ったのではなく、
< 実証主義という偏った哲学的な見地の正しさを見極めるために、
< 僕が、わざと、実証主義を突き詰めるとどうなるか、が分かり易い書き方をしたためです。


< そういう研究テーマについての本なんだから、そのように書かれるのが一番良いんです。
< そういう書き方が、一番分かり易い書き方なんです。
< せめて、前書きだけでも最後まで読んでみてくださいよ。
< それすらしてないならば、そんな人に、その本の何が語れるんですか?


少し僕が誤解していました。
「古典物理学」を書き終えてから随分と時間(約十年)が経っているので、
「古典物理学」で自分が何を目指していたのかを、忘れてしまっている面があります。


今日、「古典物理学」の「まえがき」を読み直してみました。
すると、11ページに「伝統の轍」という語が使われていました。
どうも、「古典物理学」においても、僕は、伝統の轍の矯正、ということを目指していたようです。


それによって、宇田の轍ではないか、という批判についても、考え直す必要が生じました。


僕の「古典物理学」は、古典物理学に対する唯一の正当な著述、ではなく、
ある特定の方向に極端に徹底的に突き進んだ結果こうなる、というものです。


それは僕が意識的にやった結果であって、クセによって自然とそうなったのではない、
したがって、
僕が何かの轍にはまり込んでいて、それを宇田の轍とでも呼ぶ事が出来よう、
という考えは、間違いですが、


しかし、僕の本「古典物理学」が、学問の手本と成り、
後の時代の人が、それにはまり込んでしまったら、
それは、唯一の正しいあり方ではないので、宇田の轍と呼ばれても仕方ない面があります。


これについては、僕自身が、後の時代の人に向かって、
僕の著作を絶対視して、
アリストテレスの著作が後の時代に悪い影響を及ぼした事の二の舞を踏まないように、
気を付けてください、
という風に、警告したいと思います。


もちろん、
アリストテレスの著作が、
絶対視されて、その事によって後の時代に悪い影響を及ぼしたという事は、
それだけ、アリストテレスの著作が、良い面をあまりにもたくさん持っていたからであり、


それと同じように、
僕の「古典物理学」が、良い面をあまりにもたくさん持っている事が正当に評価され、
それゆえに、宇田の轍を生じさせるほどまでに普及する事は、望ましい事です。
2007/07/23/21:17 << つまり、僕は、古典物理学で伝統の轍を矯正した、とは言ってないはずなんですが。
<< だから、古典物理学の書き方は、クセでも轍でもないけれど、とても偏っています。
<< これは、自然とそう成ったのではなく、
<< 実証主義という偏った哲学的な見地の正しさを見極めるために、
<< 僕が、わざと、実証主義を突き詰めるとどうなるか、が分かり易い書き方をしたためです。


<< そういう研究テーマについての本なんだから、そのように書かれるのが一番良いんです。
<< そういう書き方が、一番分かり易い書き方なんです。
<< せめて、前書きだけでも最後まで読んでみてくださいよ。
<< それすらしてないならば、そんな人に、その本の何が語れるんですか?


<少し僕が誤解していました。
<「古典物理学」を書き終えてから随分と時間(約十年)が経っているので、
<「古典物理学」で自分が何を目指していたのかを、忘れてしまっている面があります。


<今日、「古典物理学」の「まえがき」を読み直してみました。
<すると、11ページに「伝統の轍」という語が使われていました。
<どうも、「古典物理学」においても、僕は、伝統の轍の矯正、ということを目指していたようです。


10ページに「解説の伝統の盲点」という言葉も使われています。
どうも、研究書だ、とは言い切れないようです。
伝統の轍を超えた解説書というものをも僕は目指していたようです。
2007/07/23/22:03 <本件も、ちょっとだけ書きます。
<伝統の轍という語は、僕の造語ですが、これは僕が教育について用いる語です。
<基本的に、研究については用いていないはずです。
<そして、物理学正典は教育書で、
<古典物理学は研究書(研究論文と言っても良いかもしれない)です。


<つまり、僕は、古典物理学で伝統の轍を矯正した、とは言ってないはずなんですが。
<だから、古典物理学の書き方は、クセでも轍でもないけれど、とても偏っています。
<これは、自然とそう成ったのではなく、
<実証主義という偏った哲学的な見地の正しさを見極めるために、
<僕が、わざと、実証主義を突き詰めるとどうなるか、が分かり易い書き方をしたためです。


<そういう研究テーマについての本なんだから、そのように書かれるのが一番良いんです。
<そういう書き方が、一番分かり易い書き方なんです。


僕の本「古典物理学」が、特殊な興味関心を追求する本であって、
古典物理学という領域についての普通の興味関心に答える事を意図したものではない事、
渡邉さんが分かりにくいと感じた点について読者を分からせようとするものではない事、
僕が伝えようとしている事は伝わり易いように書かれている事、
これらの事は、「古典物理学」の「まえがき」の、以下の部分から、分かります。


・「本書は物理学の教科書ではありません」 3ページ

・「具体的に書くと記述が繁雑に成りますが、その分概念的な難しさが減ります」 15ページ

・「それは、本書が言語の限界を調べる本であって図解書ではない事です・・・
  ・・・これも本書が現象を動画的にイメージするとどうなるか、
  などを伝達するための本ではないからです」 18ページ

・「・・・それを表す文がどの程度の複雑さを持つかという事、これらを読み取れれば、十分です。
  そこを読んで、現象を動画的にイメージ出来ないからといって、
  この本は分からない、と早合点しないで下さい」 18ページ


かと言って、読者が分かりたいと思わない事を、著者が伝えたいから、という理由だけで、
「古典物理学」の記述様式がそのようにされているのではありません。
答えだけでなく興味を持つべき問いまで教えようとしている、という事なのです。
これに関係して、19ページに
「答え探しから問い探しへと登って行く者こそが、真の哲学者なのだと私は思います」
という記述があります。


難しい問題に上手に答える事よりも、根本的に新しい問いを考え出す事の方が、偉い、
という価値観です。
2007/07/23/22:25 <本件も、ちょっとだけ書きます。
<伝統の轍という語は、僕の造語ですが、これは僕が教育について用いる語です。
<基本的に、研究については用いていないはずです。
<そして、物理学正典は教育書で、
<古典物理学は研究書(研究論文と言っても良いかもしれない)です。


<<つまり、僕は、古典物理学で伝統の轍を矯正した、とは言ってないはずなんですが。
<<だから、古典物理学の書き方は、クセでも轍でもないけれど、とても偏っています。
<<これは、自然とそう成ったのではなく、
<<実証主義という偏った哲学的な見地の正しさを見極めるために、
<<僕が、わざと、実証主義を突き詰めるとどうなるか、が分かり易い書き方をしたためです。


<<そういう研究テーマについての本なんだから、そのように書かれるのが一番良いんです。
<<そういう書き方が、一番分かり易い書き方なんです。


<僕の本「古典物理学」が、特殊な興味関心を追求する本であって、
<古典物理学という領域についての普通の興味関心に答える事を意図したものではない事、
<渡邉さんが分かりにくいと感じた点について読者を分からせようとするものではない事、
<僕が伝えようとしている事は伝わり易いように書かれている事、
<これらの事は、「古典物理学」の「まえがき」の、以下の部分から、分かります。


<・「本書は物理学の教科書ではありません」 3ページ

<・「具体的に書くと記述が繁雑に成りますが、その分概念的な難しさが減ります」 15ページ

<・「それは、本書が言語の限界を調べる本であって図解書ではない事です・・・
   ・・・これも本書が現象を動画的にイメージするとどうなるか、
   などを伝達するための本ではないからです」 18ページ

<・「・・・それを表す文がどの程度の複雑さを持つかという事、これらを読み取れれば、十分です。
   そこを読んで、現象を動画的にイメージ出来ないからといって、
   この本は分からない、と早合点しないで下さい」 18ページ


<かと言って、読者が分かりたいと思わない事を、著者が伝えたいから、という理由だけで、
<「古典物理学」の記述様式がそのようにされているのではありません。
<答えだけでなく興味を持つべき問いまで教えようとしている、という事なのです。
<これに関係して、19ページに
<「答え探しから問い探しへと登って行く者こそが、真の哲学者なのだと私は思います」
<という記述があります。


<難しい問題に上手に答える事よりも、根本的に新しい問いを考え出す事の方が、偉い、
<という価値観です。


以下に挙げるようなものもありました。


「・・・定義域は何か、それで定義されたことになるのか、
 といった程度のことが読み取れれば良いと思います」 17ページ

「理論物理学の文献を読むときには、・・・本書は読者にそういう読み方を要求しません」 17ページ


つまり、渡邉さんが「分からない」と感じた部分を分からせようとは、していない、という事です。
この部分を「分からない」とは渡邉さんは言っていないのかもしれないけど。
2007/07/23/22:53 <その前に、少し訂正を。
<誤:「僕は、自分が倫理的に間違っていない事について、心に一点の曇りもありません。」
<正:「僕は、古典物理学をいかに執筆するかの決定および実行について、この上なく優秀であったと、
    心に一点の曇りも無く、自信を持って言えます。
    僕の書いた古典物理学は、
    チョッと見で、こういう風にした方が良い、という改善案が見つかるような代物ではありません。」


全体構成については、11ページ末から16ページにかけて、書かれています。
たとえば、13ページ後半を読んでみるだけでも、
非常にたくさんの条件を同時に満たすように書かれている事が分かるでしょう。

細かな記号法は、この全体構成を支えています。
少しでも緩めようものなら、全体が崩壊してしまうのです。

やわらかい文章を用いた方が書きこなせるならばそうするし、
硬い文章を用いた方が書きこなせるならばそうする、
何でもするから、とにかく、書きこなしたい。
そういう姿勢でも、やっとこさ、書きこなしたわけです。

硬い文章になっているのは、その結果に過ぎません。

たぶん、硬い文章の方が難しい要求に応え易い、という法則でも成り立つのでしょう。

メールでもそうですけど、僕の文章が硬いのは、
そう書かないと、言いたい事を正確に伝える文章を、書けないからです。

好みで選んでるわけじゃあ、ないんです。

まあ、無駄の無い文章を書きたい、という好みには従ってますが。
2007/07/24/23:34 >  僕は宇田さんの文章が分からないから、
>  分かり易く書いて下さい。
>  と言っているんだと思いました。


はい、多分そうだと思いました。
ブログの記事のことですよね。
↑クリックしてください。


>  つまり、宇田さんの、
>  独自、独創的な筋の通った
>  文章が全く読めないと言う事を
>  宇田さん文章が分かりにくいと
>  避難しているんだと思います。


今でも、そう思っているんですか?
TEX の説明(http://ja.wikipedia.org/wiki/TeX)を読んでもそう思いますか?
↑クリックしてください。


>  だからと言って、
>  先に書いたから、
>  自分が独創性を持っていると主張するのは違うのではないか?
>  と思います。
>  先に宇田さんが述べたと言うのは良いと思いますが、
>  だからと言って、自分だけが到達しえたものとするのは違うと思います。
>  宇田さんもそうは思っていないと思いますが。
>  それは、独立に再認識する事もあるからです。


はい、その通りですね。


>  宇田さんの古典物理学はほんの少ししか読めていませんが、
>  僕の独自性と重なる部分を読みとるほどには
>  読んでいない事は、多分、確かな事だと思います。


信じます。

 
>  δを凌駕するとか、匹敵するとかはまだ無関係な事に思います。


信じます。


>  宇田さんはしっかりとした自分の意見が述べられる段階で
>  僕はまだ自分の言葉ではっきりと自分の意見を述べられない段階と言うだけで、
>  内蔵しているアイデアにこれは、私が、
>  何年何月に述べている、
>  だから
>  僕のは独創性ではない
>  と言える権利は無いものと思います。


いや、厳密には、
もし、渡邉さんと僕が両方とも同じアイデアを独立に考え出したならば、
そのアイデアに関しては、二人とも、独創性は無い、という事に成ります。
あるいは、一人しか考え出さなかった場合に比べて、主張できる独創性が半減します。

独創性は学力偏差値のようなものです。
独創性は相対評価なんです。
面白く言うならば、
どんな素晴らしいアイデアでも、皆がそれを考え出したならば、それは素晴らしくない。

だから、自分より先に発表されているアイデアについて、自分も独立にそれを考え出した、
と言おうとする場合には、とても慎重でなくてはいけません。
なぜなら、それは、先に発表した人の偏差値を低下させる行いだからです。

本当に「独立に」ならば、
先に発表した人の偏差値を低下させるその行ないは正当な行ないですが、
先に発表した人のアイデアを少なくとも部分的に伝聞して、
それをヒントに同じアイデアを考え出した場合や、考え出した気に成っただけの場合には、
伝聞を自覚していなくても、
先に発表した人の偏差値を低下させるその行ないは、不当です。

なお、ここに僕の書いたことが法的義務に当たるのか否かを、僕は知りません。


>  宇田さんの古典物理学自体は僕にとっては難解な書き方をされているように
>  感じてしまう分、
>  アイデアに近いと感じたから先を読めなかったと言うよりは
>  難しくて、独特な文章形態を避けたと言う方が正しいと思います。


信じます。


>  これは、学術書を書くことが
>  いわいる文化的な成功の象徴であるという認識は
>  僕にはまったく意識はしていなかったと思います。


では、無意識レベルでそれが働いた可能性には、心当たりがありますか?


>  ここは、それほど、宇田さんをむげにしていないと思います。
>  宇田さんが学術書の著者だから
>  気に入らないと言う気持ちが生じたわけではないと思います。


いや、僕は、
学術書の著者であるから宇田を気に入らないと感じたのではないか、
と言ってるのではなくて、
宇田が学術書の著者であるという事実を気に入らないと感じたのではないか、
と言っています。


>  古典物理学が、どういう位置づけなのかさえ分かっていなかったと思います。


信じます。

 
>  優秀かどうか、分からないと言う段階です。
>  だから妬みではないと思います。


信じます。


> > 渡邉さんは、僕の成功に対するねたみを、僕の著作の不当性にすり替えている、と思います。
> >
>  これは、宇田さんの本が分からないと言う事につきると思います。 


信じます。

 
>  宇田さんが古典物理学で
>  どれくらいの成功を収めているかさえ、
>  どれくらいな物か、把握出来ていません。


はい、それは、そんな事だろうと思っていました。
読まなければ分かりませんから。
読んでないだろう、とは思っていました。


>  なので、もう一度、
>  最初から古典物理学を学術書として読んでみる事にします。


古典物理学を評するためには、読む必要がありますが、
評しないなら、無理に読まなくても良いですよ。


>  そうすれば、
>  宇田さんが上に上げた事が、的を得ているかどうか
>  が分かると思いますし、


いいえ、僕が「信じます」と書いた部分で、
僕の言った事は的を射ていないと、判明しました。
的を射ていない批判をした分だけ、すみませんでした。


>  宇田さんが、そろそろ、
>  僕も成長して、古典物理学を購入した時にした批判を再度している
>  状況は無いだろうと思ってた事を有り難いと思いますが、 
>  僕は、それほど成長が早いものでも有りません。


成長とは違います。
広い意味では成長とも言えますが、
僕との付き合いが長いので、そろそろ、僕の事を良く知るように成って来ただろう、
という意味でした。
これは、そうはならない、と言ってはばからないようでは、いけません。
僕との付き合いでこれまでに得られた僕についての情報を、
今やこれからの僕との付き合いに反映させなければ、いけません。
僕も、渡邉さんに対して、そうしています。
それは、うっかり忘れてしまう事もあるでしょう。
そういうのは良いですが、
いつもいつも、今日初めて会った未知の人物に話しかけるごとくであっては、
僕としては、
今まで一生懸命に渡邉さんの中に築き上げて来たはずの僕に対する信用は、
どこにあるんだろうか?
と思ってしまいます。
たとえば、古典物理学363ページ364ページの図を指示したときに、
返って来た最初の反応が、「・・・が間違ってるんじゃあないかと思う」というものでした。
僕としては、「どうせ今度もまた宇田の方が正しいんでしょ」と思ってもらえる、
そう思ってもらえて当然な事をして来たつもりなんです。


>  知識のある人との話は、 
>  殆ど、宇田さんとだけに限られています。
>  だから、僕は何度も宇田さんをとても不快にさせる
>  発言を何度も繰り返ししながら、 
>  自分の話せる幅が広がっていくと思っています。


そうだと良いです。


>  言い方が悪いかも知れませんが、
>  合っていると思うので書きますが、
>  宇田さんを、
>  踏み台にしてのし上がろうとしているんではないかと思います。


事と次第によりますが、おおよそにおいて、それは構いません。
学問の場合には、評価されるべき提案や業績を評価する事は、
落し物を拾ったら警察に届け出なくてはいけない事や、
SOS信号を傍受したら、それも警察等に報告しなくてはいけない事と、
全く同様です。
僕が、
ありがたくも認めていただくもの、ではなく、突きつけて認めさせるもの、
と表現したのは、こういう事ですから。
渡邉さんが、重大な提案があれば、僕の出来る範囲で、対処するのは、
僕の当然の義務です。
それを、僕を使ってのし上がる、と表現しているのなら、
僕を使ってのし上がる事は、大いに結構です。
ただ、僕の影響力は限られていますし、
渡邉さんからの提案を僕が重大だとは評価しない場合には、
それなりの対処しかしませんが。
世の中、だれも、独力で生きてなど居ません。
だから、だれしも、人の踏み台に成ると同時に人を踏み台にしています。
多くの場合、それをもって避難するか否かは恣意的な判断によります。
この場合、そのような恣意的な判断に基づく非難は不当です。


>  こんな、役
>  私に回さないでくれと言うなら、 
>  メールのやり取りをしないように
>  した方が良いのかも知れません。
>  
>  これは、僕の悪いところだから、 
>  宇田さんが、こいつとは付き合いないと
>  思った時点で、破棄して良い関係だと思っていますんで、 
>  そう思った時点でメールでお伝え下さい。 


そうは思いません。
2007/07/25/10:51 >  つまり、宇田さんの、
>  独自、独創的な筋の通った
>  文章が全く読めないと言う事を
>  宇田さん文章が分かりにくいと
>  避難しているんだと思います。
>
> 今でも、そう思っているんですか?
> TEX の説明を読んでもそう思いますか?
> ↑クリックしてください。
>
 これは、今でもというよりは
 今、やっとそう思えるようになったからです。
 
>
> いや、僕は、
> 学術書の著者であるから宇田を気に入らないと感じたのではないか、
> と言ってるのではなくて、
> 宇田が学術書の著者であるという事実を気に入らないと感じたのではないか、
> と言っています。
>
 これは、宇田さんが学術書の著書である
 事実が気に入らないと感じたからではないです。

> 成長とは違います。
> 広い意味では成長とも言えますが、
> 僕との付き合いが長いので、そろそろ、僕の事を良く知るように成って来ただろう、
> という意味でした。
> これは、そうはならない、と言ってはばからないようでは、いけません。
> 僕との付き合いでこれまでに得られた僕についての情報を、
> 今やこれからの僕との付き合いに反映させなければ、いけません。
> 僕も、渡邉さんに対して、そうしています。
> それは、うっかり忘れてしまう事もあるでしょう。
> そういうのは良いですが、
> いつもいつも、今日初めて会った未知の人物に話しかけるごとくであっては、
> 僕としては、
> 今まで一生懸命に渡邉さんの中に築き上げて来たはずの僕に対する信用は、
> どこにあるんだろうか?
> と思ってしまいます。
> たとえば、古典物理学363ページ364ページの図を指示したときに、
> 返って来た最初の反応が、「・・・が間違ってるんじゃあないかと思う」というものでした。
> 僕としては、「どうせ今度もまた宇田の方が正しいんでしょ」と思ってもらえる、
> そう思ってもらえて当然な事をして来たつもりなんです。
>
 この、「どうせ今度もまた宇田の方が正しいんでしょ」と思っていても
 自分の方が正しいと思いこんで話し合いをする事は、
 行けない事なんでしょうか?
 自分が少しでも正しいのではと思っている事を、宇田さんが
 たぶんに正しいからと言って、ぶつけていってはいけないんでしょうか?

 最後に付け加えた、
 メールのやり取りを破棄して下さいという文言は
 多分、 宇田さんを心から傷つけた事と思います。
 大変申し訳ない事を書いたと思っています。
 文章上の繋がりで書き加えてしまったんですが、 
 酷い事を書いてしまいました。

 前のメールの中頃に、
 「信頼」について書かれていましたが、
 そうですよね。
 もうそろそろ、信頼の厚みというものを意識して
 メールが出来たら良いなと思います。
 少し、信頼というか
 宇田さんに対して砕けた付き合い方が出来てきたと
 思ったんですが、
 批判すると言うことは、
 その人を十分認めていない事に成りますね。
 
 だから、よく話し合っている人に対して
 する話でなかった事を、反省しています。
 大変申し訳なかったです。
 すみませんでした。

 宇田さんが許してくれる事に感謝して
 反省して、
 今後は、よく分からない事の批判は
 誰に対しても、当然そうですが
 避けれるようになれば、
 今回の教訓の生かせるもと思っています。

 また、物理の話、
 それに、人間としてかくあるべし
 と言う話などしてくれれば 
 有り難いです。
2007/07/25/21:51 > >  つまり、宇田さんの、
> >  独自、独創的な筋の通った
> >  文章が全く読めないと言う事を
> >  宇田さん文章が分かりにくいと
> >  避難しているんだと思います。
> >
> > 今でも、そう思っているんですか?
> > TEX の説明を読んでもそう思いますか?
> > ↑クリックしてください。
> >
>  これは、今でもというよりは
>  今、やっとそう思えるようになったからです。


これは、明らかに、渡邉さんが間違っています。
問題と成っている文章は以下ですよね。

『初めて「Wooder!掲示板」に書き込みます.
 各正典をちょっと見ましたが,手書きのノートの
 様に見受けましたので,疑問がわきました.
 何故,TEX(テフ)を利用して文章を書かないのかな?と.
 数式が沢山あれば,もう,これは,TEXの仕事です.
 TEXをご存じないとは思えませんが,
 TEXは世界中で利用されているフリーソフト(無料)です.
 私もTEXで微分方程式の本を 1 冊書いて,自費出版しました.
 手書きの文章では,読者は読みずらくて,
 読む気をそがれます.
 どうか,今後はTEXで数式入りの文章を書いてください.
 (70才の数学者)』

何度も言うように、TEXというのは、ソフトウェアなんです。
簡単に言うと、ワープロソフトです。
だから、『』内の文章は、

どうしてワープロ使わずに手書きなんだ?
ワープロぐらい使えよ、

という主張です。
それ以外のものではありません。
前にも言ったように、僕の記号法は、独自の部分もTEXで表現可能だからです。
そりゃあ、
心の中でその人が僕の記号法をどう思ってるかまで分かりませんが、
それについては、一切書かれていないんです。

おかしいなあ。
僕の渡邉さんに対する今までの説明で渡邉さんには分かったはずなのに。
分かったら、僕に証明させずに、自己申告してくださいよ。

 
> > いや、僕は、
> > 学術書の著者であるから宇田を気に入らないと感じたのではないか、
> > と言ってるのではなくて、
> > 宇田が学術書の著者であるという事実を気に入らないと感じたのではないか、
> > と言っています。
> >
>  これは、宇田さんが学術書の著書である
>  事実が気に入らないと感じたからではないです。


今は一応信じます。後でまた別の意見を言います。
上に書いたように、
違ってたら、僕に論証させずに自己申告してくださいね。


> > 成長とは違います。
> > 広い意味では成長とも言えますが、
> > 僕との付き合いが長いので、そろそろ、僕の事を良く知るように成って来ただろう、
> > という意味でした。
> > これは、そうはならない、と言ってはばからないようでは、いけません。
> > 僕との付き合いでこれまでに得られた僕についての情報を、
> > 今やこれからの僕との付き合いに反映させなければ、いけません。
> > 僕も、渡邉さんに対して、そうしています。
> > それは、うっかり忘れてしまう事もあるでしょう。
> > そういうのは良いですが、
> > いつもいつも、今日初めて会った未知の人物に話しかけるごとくであっては、
> > 僕としては、
> > 今まで一生懸命に渡邉さんの中に築き上げて来たはずの僕に対する信用は、
> > どこにあるんだろうか?
> > と思ってしまいます。
> > たとえば、古典物理学363ページ364ページの図を指示したときに、
> > 返って来た最初の反応が、「・・・が間違ってるんじゃあないかと思う」というものでした。
> > 僕としては、「どうせ今度もまた宇田の方が正しいんでしょ」と思ってもらえる、
> > そう思ってもらえて当然な事をして来たつもりなんです。
> >
>  この、「どうせ今度もまた宇田の方が正しいんでしょ」と思っていても
>  自分の方が正しいと思いこんで話し合いをする事は、
>  行けない事なんでしょうか?
>  自分が少しでも正しいのではと思っている事を、宇田さんが
>  たぶんに正しいからと言って、ぶつけていってはいけないんでしょうか?


話しかけるところまでなら、それで、良いです。
しかし、話しかけたら、それを受けての宇田の反応が、
「ああ、それはたぶん渡邉さんは誤解してるから説明するよ」
というものだった場合、
それを聞いた時点で、頭を切り替えて欲しいです。
「たぶん誤解してる」という宇田の判断の方が誤解ではないか、
といった態度で接しないで欲しい、という事です。
そう言えるだけの実績(渡邉さんとの対話の実績)を僕は既に積んでいるつもりです。
やっぱり宇田の方がおかしい、という意見は、僕の説明を理解し終えてからにしてほしい、
という事です。


>  最後に付け加えた、
>  メールのやり取りを破棄して下さいという文言は
>  多分、 宇田さんを心から傷つけた事と思います。


大丈夫です。心配しないで下さい。
渡邉さんに僕を傷つけるだけの力はありません。
その意味、渡邉さんから何を言われても、僕が傷つく事はありません。
上でお願いしているのも、傷つける発言をしないで、という事ではありません。


>  大変申し訳ない事を書いたと思っています。
>  文章上の繋がりで書き加えてしまったんですが、 
>  酷い事を書いてしまいました。


いやいや、全然そんな事はありません。


>  前のメールの中頃に、
>  「信頼」について書かれていましたが、
>  そうですよね。
>  もうそろそろ、信頼の厚みというものを意識して
>  メールが出来たら良いなと思います。


そうですね。


>  少し、信頼というか
>  宇田さんに対して砕けた付き合い方が出来てきたと
>  思ったんですが、
>  批判すると言うことは、
>  その人を十分認めていない事に成りますね。


砕けた付き合いは、もう、十分出来ますよ。
ただ、僕には、そこに触れると猛烈に反発する事項、というのがあるんです。
知らず知らずのうちに気難しい人間に成ってしまったのかな、僕も。
それ以外の事については、僕は、他人の何倍も寛容です。


>  だから、よく話し合っている人に対して
>  する話でなかった事を、反省しています。
>  大変申し訳なかったです。
>  すみませんでした。
>
>  宇田さんが許してくれる事に感謝して
>  反省して、
>  今後は、よく分からない事の批判は
>  誰に対しても、当然そうですが
>  避けれるようになれば、
>  今回の教訓の生かせるもと思っています。
>
>  また、物理の話、
>  それに、人間としてかくあるべし
>  と言う話などしてくれれば 
>  有り難いです。


僕にも、渡邉さんと対話するそれなりの利点がありますので、
感謝はいりません。
お互い様、の関係が維持できる事を祈ります。

また、まだまだ書きますので、よろしく。
2007/07/28/19:03 >
>  僕は宇田さんの文章が分からないから、
>  分かり易く書いて下さい。
>  と言っているんだと思いました。
>
> はい、多分そうだと思いました。
> ブログの記事のことですよね。
> ↑クリックしてください。
>
>
>  つまり、宇田さんの、
>  独自、独創的な筋の通った
>  文章が全く読めないと言う事を
>  宇田さん文章が分かりにくいと
>  避難しているんだと思います。
>
> 今でも、そう思っているんですか?
> TEX の説明を読んでもそう思いますか?
> ↑クリックしてください。
>
>
 この部分は古典物理学について避難していた事を
 誤りだったと弁解しているところで、
 物理学正典サイトの宇田さんの手書きの数式についてではないんです。
 誤解を先にだだせば良かったです。
 ごめんなさい。
 
 ただ、以前宇田さんに、物理学正典の数式はキチンとした書き方でない
 から読みにくいと言う発言があったことを思い出しました。
 だからこの部分も素直に
 宇田さんの言う通り、
 TEXの説明を読んで正さなければ成らなかったです。
 これも、すみませんでした。
2007/07/28/19:38 >  
>> いや、僕は、
>> 学術書の著者であるから宇田を気に入らないと感じたのではないか、
>> と言ってるのではなくて、
>> 宇田が学術書の著者であるという事実を気に入らないと感じたのではないか、
>> と言っています。
>>>  これは、宇田さんが学術書の著書である
>  事実が気に入らないと感じたからではないです。
>
> 今は一応信じます。後でまた別の意見を言います。
> 上に書いたように、
> 違ってたら、僕に論証させずに自己申告してくださいね。

 宇田さんが学術書の著書であるから気に入らないという批判は
 僕には当たらないと思います。
 それは、
 僕は宇田さんがどれだけ、古典物理学で評価を得て
 名声を得ているか分からないからです。

 僕が宇田さんを批判しているとしたら、
 練りに練り上げた本だからこそ、
 手が僕には付けられないくらい読みにく箇所が
 多数出てくる
 これをどうか読みやすくしてくれ
 と言ういちゃもんです。
 
 ですが、これは僕が知的に成熟していなからこそ
 起こってくる問題なので、なおすのは
 僕の方であって、宇田さんでない
 事を明言しておきます。
2007/07/29/12:13 >>  宇田さんが文章をこう書かなきゃ行けない
>>  と言うことは無いのかも知れませんが、
>>  人が心地良いと思う文章を書くことに寄って
>>  宇田さんの言う伝統の轍がより良くなるのではないかと思います。


< 心地良さ、というものについては、人によって、何に心地良さを感じるかが違います。
< 僕の言説が優れている事自体を不快に思う人に、合わせるべきではありません。
< そういう人にとって心地良い文章を書け、と言っているのではありませんよね。
< ならば、僕の文章を心地良くないと感じるのは、渡邉さんが分かってないだけです。
< 僕の解説は伝統よりも心地良い、という事を示す事例としては、
< 基礎方程式のパラメータの説明をある場所でした時に、
< 正直な人から、
< 「世間に良くある物理の本には無い、目の前がパーっと開けたような理解を与えられた」
< という風に評された事があります。


これについて、該当箇所を、今日、偶然、見つけました。こんなところにあったとは。

・僕の解説に対する正直な評価
(http://groups.msn.com/grammar/
 general.msnw?action=get_message&mview=1&ID_Message=305)

・その評価に対する僕のお礼
(http://groups.msn.com/grammar/
 general.msnw?action=get_message&mview=1&ID_Message=305&CType=0&CDir=1)

どちらもリンクに成っています。クリックしてください。
TEXについてのときのように、読まずにトンチンカンな事を言うのは、やめてくださいね。
2007/07/30/21:50 1> >  僕は宇田さんの文章が分からないから、
1> >  分かり易く書いて下さい。
1> >  と言っているんだと思いました。
> >
2> > はい、多分そうだと思いました。
2> > ブログの記事のことですよね。
2> > ↑クリックしてください。
> >
> >
3> >  つまり、宇田さんの、
3> >  独自、独創的な筋の通った
3> >  文章が全く読めないと言う事を
3> >  宇田さん文章が分かりにくいと
3> >  避難しているんだと思います。
> >
4> > 今でも、そう思っているんですか?
4> > TEX の説明を読んでもそう思いますか?
4> > ↑クリックしてください。
> >
> >
5>  この部分は古典物理学について避難していた事を
5>  誤りだったと弁解しているところで、
5>  物理学正典サイトの宇田さんの手書きの数式についてではないんです。
5>  誤解を先にだだせば良かったです。
5>  ごめんなさい。
>  
6>  ただ、以前宇田さんに、物理学正典の数式はキチンとした書き方でない
6>  から読みにくいと言う発言があったことを思い出しました。
6>  だからこの部分も素直に
6>  宇田さんの言う通り、
6>  TEXの説明を読んで正さなければ成らなかったです。
6>  これも、すみませんでした。


ちょっと、意味が分かりにくいので、
渡邉さんの文章の5と6の部分を書き直してみます。

-------------------------------------------
1と3は、
古典物理学について渡邉さんが非難していた事を
誤りだったと渡邉さんが弁解しているところであって、
物理学正典サイトの宇田さんの手書きの数式についてではないんです。
古典物理学に対する渡邉さんの誤解を正す事を、
ブログへの70才の数学者さんの投稿文に対する渡邉さんの誤解を正す事よりも、
先に、渡邉さんは、行なうべきでした。

ただ、以前宇田さんに対して、
物理学正典の数式はキチンとした書き方ではないから読みにくい、
という発言が、誰かから、どこかで、あったことを、渡邉さんは思い出しました。
だから、てっきり、
70才の数学者さんの批判も、そういう類のものだったと渡邉さんは思い込んでしまい、
宇田さんの張ったリンクをクリックして、
70才の数学者さんの投稿文を読み直してみる事を、
渡邉さんは、しませんでした。
本来は、素直に、宇田さんの言う通り、
70才の数学者さんの投稿文と、TEXの説明文を、両方とも良く読んで、
70才の数学者さんの投稿文に対する誤解を正す事を、
渡邉さんは、しなければいけなかったです。
---------------------------------------------------

こういう意味ですか?
2007/07/30/22:27 > > > いや、僕は、
> > > 学術書の著者であるから宇田を気に入らないと感じたのではないか、
> > > と言ってるのではなくて、
> > > 宇田が学術書の著者であるという事実を気に入らないと感じたのではないか、
> > > と言っています。
> > > >  これは、宇田さんが学術書の著書である
> >  事実が気に入らないと感じたからではないです。
> >
> > 今は一応信じます。後でまた別の意見を言います。
> > 上に書いたように、
> > 違ってたら、僕に論証させずに自己申告してくださいね。
>




>  宇田さんが学術書の著書であるから気に入らないという批判は
>  僕には当たらないと思います。


はい。
だから、僕はその点について疑義を差し挟んでいるのではない、と上に書いてあるではありませんか。
もう一度書くと、
僕が疑義を差し挟んでいるのは、
渡邉さんが僕を気に入らないのではないか、という事ではなく、
渡邉さんが、僕に関する事実を気に入らないのではないか、という事です。


>  それは、
>  僕は宇田さんがどれだけ、古典物理学で評価を得て
>  名声を得ているか分からないからです。


評価や名声というものは、皆無に等しいです。表立ったものに限ればね。
(僕は、決して、それで良い、とは思っていないけれど)
それから、渡邉さんが気に入らない事実、というのは、
僕が学術書の著者である、という事実だ、と僕は主張しているのであって、
僕の書いた学術書が評価を得て名声を得ている事だ、とは、
僕は、言っていないよ。


>  僕が宇田さんを批判しているとしたら、
>  練りに練り上げた本だからこそ、
>  手が僕には付けられないくらい読みにく箇所が
>  多数出てくる
>  これをどうか読みやすくしてくれ
>  と言ういちゃもんです。


渡邉さんが誰か他者の利益を代弁していたなら、いちゃもん、という事も有り得るけれど、
渡邉さん一人で言ってる事ならば、それを、いちゃもん、だとは僕は思わない。
渡邉さんの、現在の、書籍を評価する能力では、間違った評価が出て来得るのでしょう。
能力が足りないからであって、悪意が無ければ、いちゃもん、ではありません。

 
>  ですが、これは僕が知的に成熟していなからこそ
>  起こってくる問題なので、なおすのは
>  僕の方であって、宇田さんでない
>  事を明言しておきます。


ある意味、そういう言い方が正しいけれど、
もっと具体的に言うと、
渡邉さんは、
僕以外の人が書いた本格的な学術書を読んだ経験が足りないので、それらがいかに読みにくいかを、知らない。
それを知っていれば、僕の本だけが他の本よりも特別に読みにくいわけではない、と分かるはずなのに。
それと、渡邉さんは、
僕の古典物理学の趣旨(まえがき)を良く読んでいないため、
僕が、その点については分からなくても良い、としている事を分かろうとして、
それが分からないから、読みにくい、と早合点してしまっている、のではないか、
という事です。
2007/07/31/12:10 >>>  宇田さんが文章をこう書かなきゃ行けない
>>>  と言うことは無いのかも知れませんが、
>>>  人が心地良いと思う文章を書くことに寄って
>>>  宇田さんの言う伝統の轍がより良くなるのではないかと思います。


<< 心地良さ、というものについては、人によって、何に心地良さを感じるかが違います。
<< 僕の言説が優れている事自体を不快に思う人に、合わせるべきではありません。
<< そういう人にとって心地良い文章を書け、と言っているのではありませんよね。
<< ならば、僕の文章を心地良くないと感じるのは、渡邉さんが分かってないだけです。
<< 僕の解説は伝統よりも心地良い、という事を示す事例としては、
<< 基礎方程式のパラメータの説明をある場所でした時に、
<< 正直な人から、
<< 「世間に良くある物理の本には無い、目の前がパーっと開けたような理解を与えられた」
<< という風に評された事があります。


< これについて、該当箇所を、今日、偶然、見つけました。こんなところにあったとは。

< ・僕の解説に対する正直な評価

< ・その評価に対する僕のお礼

< どちらもリンクに成っています。クリックしてください。
< TEXについてのときのように、読まずにトンチンカンな事を言うのは、やめてくださいね。


<渡邉さんが、世に認められている人だと思っている人でも、・・・
<その意味、それらの人は、それ自体としては優秀ではあるけれど、僕との比較においては凡人です。

>知識のある人との話は、
>殆ど、宇田さんとだけに限られています。


渡邉さんが僕の言葉を誤解しているといけないから、念のために言っておきますが、
僕が、自分の方が才能がある、と言っているときの、その比較の対象となる人は、
渡邉さんが直接対話や文通する人だけではありません。
そういう人も含めて、渡邉さんが読んだ本の著者だとか、テレビで見かける有名人だとか、
そういう人まで含めての事です。

上の「僕の解説に対する正直な人の評価」には、その事が現れています。
つまり、渡邉さんによって、世に認められている、と言われる人々は、
ダイエットパンダさんによって「世間の物理の本」と言われるような、
僕の書いたものよりも凡庸なものしか書けない人々なのです。

そういう凡庸な人々は、渡邉さんが一流の知識人だと思っている人もほとんど全て、
物理を勉強すれば普通はこういう人になる、
という法則性の例外者ではありません。

それに対して、僕は、
物理を一生懸命に勉強したからと言って、宇田のように成れるとは限らない。
ほとんど全ての人は、どんなに勉強しても宇田のようには成れない、
と言われるような人間なのです。
ただ、僕には、普通の一流の学者よりも、勉強が遅れている面があります。

そう言えば、
渡邉さんも、場の量子論についての僕の解説を、褒めてくれましたね。
これを忘れていました。
ただ、
まだ「世に認められている学者の解説よりも宇田の方が・・・」というところまで分かるわけではない、
というのが、渡邉さんの、今の評価能力なのでしょう。
2007/07/31/12:51 >>  それは、
>>  僕は宇田さんがどれだけ、古典物理学で評価を得て
>>  名声を得ているか分からないからです。


< 評価や名声というものは、皆無に等しいです。表立ったものに限ればね。
< (僕は、決して、それで良い、とは思っていないけれど)
< それから、渡邉さんが気に入らない事実、というのは、
< 僕が学術書の著者である、という事実だ、と僕は主張しているのであって、
< 僕の書いた学術書が評価を得て名声を得ている事だ、とは、
< 僕は、言っていないよ。


チョッと、僕が間違ったかもしれない。

  宇田が学術書の著者で、かつ、その著書が世に認められ、
  その事によって、宇田が大きな名声を得ている、という事でもあれば、
  その事を気に入らないと思う気持ちが生じるかもしれないが、
  単に、宇田が学術書の著者である、というだけあれば、
  評価や名声にまで至っていないのであれば、
  宇田が学術書の著者である、という事実は、
  気に入らないという気持ちを生じさせるほどまでには、ねたましくはない。

上の渡邉さんの文が、もし、こういう意味ならば、
上の渡邉さんの文は、それ自体としては、筋が通っているので、
上の僕の文は、的外れです。


>>  僕が宇田さんを批判しているとしたら、
>>  練りに練り上げた本だからこそ、
>>  手が僕には付けられないくらい読みにく箇所が
>>  多数出てくる
>>  これをどうか読みやすくしてくれ
>>  と言ういちゃもんです。


< 渡邉さんが誰か他者の利益を代弁していたなら、いちゃもん、という事も有り得るけれど、
< 渡邉さん一人で言ってる事ならば、それを、いちゃもん、だとは僕は思わない。
< 渡邉さんの、現在の、書籍を評価する能力では、間違った評価が出て来得るのでしょう。
< 能力が足りないからであって、悪意が無ければ、いちゃもん、ではありません。

 
チョッと間違いました。
そういえば、前に、僕は
「渡邉さんは僕への妬みを僕の本の記述の不当性にすり替えている」
と言いましたよね。
これは、「渡邉さんはいちゃもんをつけている」という風にも読めます。
ただ、
渡邉さんが悪意は無いけれど能力が足りないから誤まって僕の本を批判している、
という点は間違っていない、と思うんです。
渡邉さんの場合には、
能力が足りない、という部分が、善悪の判断能力も足りない、という場合に該当していて、
この場合には、悪意が無くても、いちゃもんに該当する場合があります。
善悪に対する渡邉さんの誤まった判断と言うのは、
「世に認められた人は独自の造語を使って本を書いても良いが、
 そうでない人は独自の造語を使って本を書くべきではない」
という判断です。
この判断が誤まっている事によって判明する渡邉さんの善悪の判断能力の欠如は、
いちゃもん、という言葉の使用を妥当性だとする根拠と成るか否か、微妙な所ですね。

渡邉さんが、
「世に認められた人は独自の造語を使って本を書いても良いが、
 そうでない人は独自の造語を使って本を書くべきではない」
とは思っていないのに、そう思っていると主張し、
その事を根拠に、僕の本の記述は不当である、と主張したならば、
そのような主張は明らかにイチャモンです。

良く考えてみると、僕の心の中には、そういう疑念もあります。
たぶん、今までに僕が書いた文の中に、その疑念の表明が含まれているでしょう。
しかし、
渡邉さんが自らの言動をイチャモンだと自白したという事は、
僕のその疑念が正しい事を渡邉さんが認める、という事なのでしょうか?

渡邉さんがそこまで理解できていたわけではない、ような気もしますが。
2007/08/01/14:06 1> >  僕は宇田さんの文章が分からないから、
1> >  分かり易く書いて下さい。
1> >  と言っているんだと思いました。

2> > はい、多分そうだと思いました。
2> > ブログの記事のことですよね。
2> > ↑クリックしてください。> >

3> >  つまり、宇田さんの、
3> >  独自、独創的な筋の通った
3> >  文章が全く読めないと言う事を
3> >  宇田さん文章が分かりにくいと
3> >  避難しているんだと思います。

4> > 今でも、そう思っているんですか?
4> > TEX の説明を読んでもそう思いますか?
4> > ↑クリックしてください。

5>  この部分は古典物理学について避難していた事を
5>  誤りだったと弁解しているところで、
5>  物理学正典サイトの宇田さんの手書きの数式についてではないんです。
5>  誤解を先にだだせば良かったです。
5>  ごめんなさい。
6>  ただ、以前宇田さんに、物理学正典の数式はキチンとした書き方でない
6>  から読みにくいと言う発言があったことを思い出しました。

 この部分、自分にそう言う発言があったことを思い出したと言うことで
 僕以外の人がそういう批判をしていたわけではないんです。  

6>  だからこの部分も素直に
6>  宇田さんの言う通り、
6>  TEXの説明を読んで正さなければ成らなかったです。
6>  これも、すみませんでした。
>
>
> ちょっと、意味が分かりにくいので、
> 渡邉さんの文章の5と6の部分を書き直してみます。
>
> -------------------------------------------
> 1と3は、
> 古典物理学について渡邉さんが非難していた事を
> 誤りだったと渡邉さんが弁解しているところであって、
> 物理学正典サイトの宇田さんの手書きの数式についてではないんです。
> 古典物理学に対する渡邉さんの誤解を正す事を、
> ブログへの70才の数学者さんの投稿文に対する渡邉さんの誤解を正す事よりも、
> 先に、渡邉さんは、行なうべきでした。
>
> 「ただ、以前宇田さんに対して、
> 物理学正典の数式はキチンとした書き方ではないから読みにくい、
> という発言が、誰かから、どこかで、あったことを、渡邉さんは思い出しました。」

 「」の所が違います。
 自分がそう言うメールを宇田さんに
 送っていたと言う事を思い出したです。
 
 以下したに結びつくと思います。 

> だから、てっきり、
> 70才の数学者さんの批判も、そういう類のものだったと渡邉さんは思い込んでしまい、
> 宇田さんの張ったリンクをクリックして、
> 70才の数学者さんの投稿文を読み直してみる事を、
> 渡邉さんは、しませんでした。
> 本来は、素直に、宇田さんの言う通り、
> 70才の数学者さんの投稿文と、TEXの説明文を、両方とも良く読んで、
> 70才の数学者さんの投稿文に対する誤解を正す事を、
> 渡邉さんは、しなければいけなかったです。
> ---------------------------------------------------
>
> こういう意味ですか?
>
>
 少し直した通りの意味です。
2007/08/01/14:28 >>  それは、
>>  僕は宇田さんがどれだけ、古典物理学で評価を得て
>>  名声を得ているか分からないからです。
< 評価や名声というものは、皆無に等しいです。表立ったものに限ればね。
< (僕は、決して、それで良い、とは思っていないけれど)
< それから、渡邉さんが気に入らない事実、というのは、
< 僕が学術書の著者である、という事実だ、と僕は主張しているのであって、
< 僕の書いた学術書が評価を得て名声を得ている事だ、とは、
< 僕は、言っていないよ。
>
> チョッと、僕が間違ったかもしれない。
>
>   宇田が学術書の著者で、かつ、その著書が世に認められ、
>   その事によって、宇田が大きな名声を得ている、という事でもあれば、
>   その事を気に入らないと思う気持ちが生じるかもしれないが、
>   単に、宇田が学術書の著者である、というだけあれば、
>   評価や名声にまで至っていないのであれば、
>   宇田が学術書の著者である、という事実は、
>   気に入らないという気持ちを生じさせるほどまでには、ねたましくはない。
>
> 上の渡邉さんの文が、もし、こういう意味ならば、
> 上の渡邉さんの文は、それ自体としては、筋が通っているので、
> 上の僕の文は、的外れです。

 はい。上の文の様に思って宇田さんを評価していませんでした。

>>  僕が宇田さんを批判しているとしたら、
>>  練りに練り上げた本だからこそ、
>>  手が僕には付けられないくらい読みにく箇所が
>>  多数出てくる
>>  これをどうか読みやすくしてくれ
>>  と言ういちゃもんです。

< 渡邉さんが誰か他者の利益を代弁していたなら、いちゃもん、という事も有り得るけれど、
< 渡邉さん一人で言ってる事ならば、それを、いちゃもん、だとは僕は思わない。
< 渡邉さんの、現在の、書籍を評価する能力では、間違った評価が出て来得るのでしょう。
< 能力が足りないからであって、悪意が無ければ、いちゃもん、ではありません。  チョッと間違
いました。
> そういえば、前に、僕は
> 「渡邉さんは僕への妬みを僕の本の記述の不当性にすり替えている」
> と言いましたよね。
> これは、「渡邉さんはいちゃもんをつけている」という風にも読めます。
> ただ、
> 渡邉さんが悪意は無いけれど能力が足りないから誤まって僕の本を批判している、
> という点は間違っていない、と思うんです。
> 渡邉さんの場合には、
> 能力が足りない、という部分が、善悪の判断能力も足りない、という場合に該当していて、
> この場合には、悪意が無くても、いちゃもんに該当する場合があります。善悪に対する渡邉さんの誤
まった判断と言うのは、
> 「世に認められた人は独自の造語を使って本を書いても良いが、
>  そうでない人は独自の造語を使って本を書くべきではない」
> という判断です。 この判断が誤まっている事によって判明する渡邉さんの善悪の判断能力の欠如は、

> いちゃもん、という言葉の使用を妥当性だとする根拠と成るか否か、微妙な所ですね。
>
> 渡邉さんが、
> 「世に認められた人は独自の造語を使って本を書いても良いが、
>  そうでない人は独自の造語を使って本を書くべきではない」
> とは思っていないのに、そう思っていると主張し、
> その事を根拠に、僕の本の記述は不当である、と主張したならば、
> そのような主張は明らかにイチャモンです。
>
 この「」の中の文は僕が持っている偏見ですね。
 ただ、造語は、皆が賛同して作られていくのが良いんじゃないか
 って思っているところもあります。
 だから、造語という物を、一人でかってに作って行くことに
 抵抗がある。
 もし、造語を自分の思うように使えるとしたら
 僕のδは造語の塊の様な面もあるから、
 自分のδも認めろよ、と言う僕の不満が
 宇田さんを批判するに至ったのかも知れません。

 ただ、δを宇田さんが分からないのでは無くって
 僕がああでもない、こうでもないって言って
 理解を受け付けさせていない問題がありますが。
 
> 良く考えてみると、僕の心の中には、そういう疑念もあります。
> たぶん、今までに僕が書いた文の中に、その疑念の表明が含まれているでしょう。
> しかし、
> 渡邉さんが自らの言動をイチャモンだと自白したという事は、
> 僕のその疑念が正しい事を渡邉さんが認める、という事なのでしょうか?

 宇田さんの疑惑が正しい事を認めると言う事ではないと思います。
 イチャモンという認識は、
 宇田さんは認められているが、
 僕はちっとも認められていないじゃないか
 って言う僕の妬みからくるものだと思いました。

>
> 渡邉さんがそこまで理解できていたわけではない、ような気もしますが。
>

 はい。そこまで宇田さんの文章を論理的に理解していないと思います。
2007/08/01/14:50  僕の考えを宇田さんが、とうの昔に知っていたと言う
 圧倒的な圧迫に耐えられ無くって、
 批判してくやしがっているんだと思いました。
 数学者ガウスの様な立場に僕としては
 立たれていると言う気持ちが、
 宇田さんを批判してみたりするのだと思います。

 いかに、ガウスでも、この事には気付いていないだろう
 と思うが、何でもお見通しというガウスを嫌に思うように…。

 だだ、主観的に分かっている段階を
 客観的に分かっている段階に押し上げてくれているのは
 宇田さんであったと思うので、感謝もしています。

 しかし、自分の全部を飲み込んでしまう存在というのは
 本人に取ってはそれは恐ろしい事なんですよ。
 だから、宇田さんを正当に認めようとしないんだと思います。

 学術的な事において、
 宇田さんが理解していない事を僕は持っているという風にして
 自尊心を保とうとしている気がします。 
2007/08/03/22:48 >
>  はい。上の文の様に思って宇田さんを評価していませんでした。
>
 これ、誤解があっては大変なんで、
 今は、宇田さんの説明を聞いて、
 僕が物理の本を本格的に読んでいなかったこと、
 それに、他者の宇田さんの古典物理学の評価から
 今は、古典物理学の本を
 自分は正当に評価出来ないんだと思っています。 

>  この「」の中の文は僕が持っている偏見ですね。
>  ただ、造語は、皆が賛同して作られていくのが良いんじゃないか
>  って思っているところもあります。
>  だから、造語という物を、一人でかってに作って行くことに
>  抵抗がある。
>  もし、造語を自分の思うように使えるとしたら
>  僕のδは造語の塊の様な面もあるから、
>  自分のδも認めろよ、と言う僕の不満が
>  宇田さんを批判するに至ったのかも知れません。
>
 これは、δを認めないから不満で批判をした様に聞こえますが、
 この前のメールで書いたように、
 圧倒的な存在であるがゆえに
 批判してしまうと言うのが、
 僕が、宇田さんに対してした古典物理学にたいする難癖の
 僕が今、妥当に思う理由だと言うことなんです。
 で、以下に続きます。

>  宇田さんの疑惑が正しい事を認めると言う事ではないと思います。
>  イチャモンという認識は、
>  宇田さんは認められているが、
>  僕はちっとも認められていないじゃないか
>  って言う僕の妬みからくるものだと思いました。
2007/08/06/12:32 じゃあ、TEXの件については、結局、全体の流れは、次のように成りますよ。


<1>------------------渡邉さんの意見----------------
ブログに、宇田さんの 物理学正典を、テフって数学の文書体で書いて 下さいませんか?って内容の苦情がありましたが、
宇田さんの文章は僕にとって、 とても癖のある文章で
それがかえって、 伝統の轍をなくすという宇田さんの いい目標を、 半減させている気がして
もう少し、普通の人が使う数式表現や文章表現を 心がけてくれれば、 万人が宇田さんを評価し易く成るのではないか?
と思い、書きます。 
宇田さんは、 唯物理事象論って言葉を前に僕に説明してくれましたよね
でも、それは、宇田さんが創った 造語なんですよね
実際、僕は宇田さんから、宇田さん独特の表現を 聞いているような気になってしまい 時には、嫌な気持ちになる事も確かです。
宇田さんが文章をこう書かなきゃ行けない と言うことは無いのかも知れませんが、
人が心地良いと思う文章を書くことに寄って 宇田さんの言う伝統の轍がより良くなるのではないかと思います。
伝統の轍が取れたが、  宇田さんが作ってしまった、轍が 特に文章形態において、 人の理解を助けるどころか、
難解にさせてしまっている 気がしてしょうがないんです。
宇田さんが十分に世間に認められていれば、  宇田さんの創った言葉も宇田用語として認められると 思うのですが、
宇田さんが、必要十分な評価をもらっていない 現在では宇田さんの造語を不快に思う人も居ることは 確かだと思います。
僕も、人の造語に素直に従うほど、  素直に育っていません。
自分も造語をこしらえていますが、 宇田さんのはそう言う言葉があるんだって 予備知識がない人には
造語を造語と思わずに受け入れてしまう危険性があると 思います。
ここでは、 造語について書きましたが、  独特な数式についても同様です。
数学的におかしくないからと言って 理詰めで、独特な数学の文章を書くのは 理解を困難にするだけだと思いますよ。
------------------------------------------------------



<2>------------------渡邉さんの意見-----------------
上記は、古典物理学という 宇田さんの本に付いての意見と 宇田さんの造語についての意見 だったみたいです。
正典サイトは良くできていて、 キチンとした文章になっていることを 今日読んで、 実感しました。
だから、僕が不快に思っている事は 古典物理学についてと 造語についてです。
------------------------------------------------------



<3>--------------宇田の意見------------------------
本件では一点だけ。
ブログに書かれていた批判は、
宇田はなぜ数式ワープロを用いないのか?
というものです。
それが、「古典物理学」についてではなく「物理学正典」についてだ、
という点だけでなく、
「古典物理学」や「物理学正典」での僕の記号法を否定するものではない点にも、
気を付けてください。
僕の記号法は、数式ワープロを使えば、ほとんど全て組版できるからです。
----------------------------------------------------



<4>-------------宇田の意見------------------------
もう分かったかもしれないけど、チョッと補足すると、
つまり、
ブログに書かれていた批判は、
宇田は何故独自の記号法を用いるのか?という批判ではなくて、
宇田はその記号法をどうして数式ワープロで表現しないのか?というものです。
ちなみに、物理学正典では、僕は、古典物理学ほどには独自の記号法を用いていません。
---------------------------------------------------



<5>---------------渡邉さんの意見-----------------
僕は宇田さんの文章が分からないから、 分かり易く書いて下さい。 と言っているんだと思いました。
つまり、宇田さんの、 独自、独創的な筋の通った 文章が全く読めないと言う事を
宇田さん文章が分かりにくいと 避難しているんだと思います。
---------------------------------------------------



<6>--------------------宇田の意見---------------
>  僕は宇田さんの文章が分からないから、
>  分かり易く書いて下さい。
>  と言っているんだと思いました。


はい、多分そうだと思いました。
ブログの記事のことですよね。
↑クリックしてください。


>  つまり、宇田さんの、
>  独自、独創的な筋の通った
>  文章が全く読めないと言う事を
>  宇田さん文章が分かりにくいと
>  避難しているんだと思います。


今でも、そう思っているんですか?
TEX の説明を読んでもそう思いますか?
↑クリックしてください。
---------------------------------------------------



<7>--------------渡邉さんの意見------------------
> 今でも、そう思っているんですか?
> TEX の説明を読んでもそう思いますか?
> ↑クリックしてください。

これは、今でもというよりは 今、やっとそう思えるようになったからです。
--------------------------------------------------



<8>-------------宇田の意見----------------------
>  これは、今でもというよりは
>  今、やっとそう思えるようになったからです。

これは、明らかに、渡邉さんが間違っています。
問題と成っている文章は以下ですよね。

『初めて「Wooder!掲示板」に書き込みます.
 各正典をちょっと見ましたが,手書きのノートの
 様に見受けましたので,疑問がわきました.
 何故,TEX(テフ)を利用して文章を書かないのかな?と.
 数式が沢山あれば,もう,これは,TEXの仕事です.
 TEXをご存じないとは思えませんが,
 TEXは世界中で利用されているフリーソフト(無料)です.
 私もTEXで微分方程式の本を 1 冊書いて,自費出版しました.
 手書きの文章では,読者は読みずらくて,
 読む気をそがれます.
 どうか,今後はTEXで数式入りの文章を書いてください.
 (70才の数学者)』

何度も言うように、TEXというのは、ソフトウェアなんです。
簡単に言うと、ワープロソフトです。
だから、『』内の文章は、

どうしてワープロ使わずに手書きなんだ?
ワープロぐらい使えよ、

という主張です。
それ以外のものではありません。
前にも言ったように、僕の記号法は、独自の部分もTEXで表現可能だからです。
そりゃあ、
心の中でその人が僕の記号法をどう思ってるかまで分かりませんが、
それについては、一切書かれていないんです。

おかしいなあ。
僕の渡邉さんに対する今までの説明で渡邉さんには分かったはずなのに。
分かったら、僕に証明させずに、自己申告してくださいよ。
----------------------------------------------------


<9>----------------渡邉さんの意見-----------------
1と3は、
古典物理学について渡邉さんが非難していた事を
誤りだったと渡邉さんが弁解しているところであって、
物理学正典サイトの宇田さんの手書きの数式についてではないんです。
古典物理学に対する渡邉さんの誤解を正す事を、
ブログへの70才の数学者さんの投稿文に対する渡邉さんの誤解を正す事よりも、
先に、渡邉さんは、行なうべきでした。

ただ、以前宇田さんに対して、
物理学正典の数式はキチンとした書き方ではないから読みにくい、
という発言を、渡邉さん自身が、メールで、したことがあるのを、渡邉さんは思い出しました。
だから、てっきり、
70才の数学者さんの批判も、そういう類のものだったと渡邉さんは思い込んでしまい、
宇田さんの張ったリンクをクリックして、
70才の数学者さんの投稿文を読み直してみる事を、
渡邉さんは、しませんでした。
本来は、素直に、宇田さんの言う通り、
70才の数学者さんの投稿文と、TEXの説明文を、両方とも良く読んで、
70才の数学者さんの投稿文に対する誤解を正す事を、
渡邉さんは、しなければいけなかったです。
ただし、1と3は、以下の文章の中の1と3の事である。

1> >  僕は宇田さんの文章が分からないから、
1> >  分かり易く書いて下さい。
1> >  と言っているんだと思いました。
> >
2> > はい、多分そうだと思いました。
2> > ブログの記事のことですよね。
2> > ↑クリックしてください。
> >
> >
3> >  つまり、宇田さんの、
3> >  独自、独創的な筋の通った
3> >  文章が全く読めないと言う事を
3> >  宇田さん文章が分かりにくいと
3> >  避難しているんだと思います。
> >
4> > 今でも、そう思っているんですか?
4> > TEX の説明を読んでもそう思いますか?
4> > ↑クリックしてください。
-------------------------------------------------

僕からの修正:
<6>の「はい、多分そうだと思いました」を
「はい、多分渡邉さんはそう思っているだろう、と思いました」

渡邉さんの文章の悪い所の一つ:
<5>の「僕は宇田さんの文章が分からないから、分かり易く書いてください。と言っているんだと思いました。」では、
全体の話の流れからして、「言っている」の主語が書かれてなければ、その主語は「70才の数学者さん」だと推定されてしまいます。
「分からない」の主語もそうです。
「分からない」「言っている」「思いました」の主語が全て渡邉さん自身である事を書かなければ、
こんな文章はとても読めません。
2007/08/06/13:21 決め付けて悪いけど、渡邉さんは、文章を分かりにくく書いて議論の収束を妨害している。
これは、前にも言った事だけど。

渡邉さんは「そうではない」と言うし、僕も確たる証拠を持っているわけでもない。

けど、下の「TEXのまとめ」の中の<1>が含まれるメールは、渡邉さんによって書かれたものですが、
<1>部分だけでなく全体的に非常に良く書けています。

これだけキチンと書ける人の文章が、<1>より後のメールの文章のようなものに成るわけがない。

僕が渡邉さんに対して書いているような事を僕が作文する事は、時間の無駄遣いだ、
とは僕は考えていません。

しかし、渡邉さん一人にかける時間としては過大な時間を費やしてしまっている、と思っています。

たくさんの人に読んでもらうならば時間の無駄遣いではないけれども、
渡邉さん一人しか読まないならば時間の無駄遣いだと思っています。

だから、渡邉さんのプライバシーを侵害しない形で、
渡邉さんの書いた文章は秘密にしたまま、僕が渡邉さんに対して書いた文章は公開するつもりです。
渡邉さんの名前も全く出さず、渡邉さんの書いた文章の著作権も全く侵害しない形で、です。

それなら、僕のやっている事は、時間の無駄遣いではない、と感じる事が出来ます。

それでも、議論の収束の妨害を渡邉さんがするならば、時間の無駄遣いと成ります。

僕に時間の無駄遣いをさせないように、気を付けて下さると幸いです。

それから、僕の渡邉さんとのメールのやり取りは、非公開の私信で、
僕も、その秘密を大切に守るつもりですが、
僕は、誰に読まれても良いように書きたいと思っています。

歴史上の有名人物の私信は遠い将来には公開されるからです。

また、今この瞬間にも、メールの内容が盗聴されているのではないか、という事も僕は常に考えています。

僕は、公開の場においても非公開の場においても常に正しくありたい、と考えています。

その場合、第3者が読んだときに、誰のどこが正しくてどこが間違いなのか、分かるようにしておきたい。

その意味でも、議論の筋道を読む人に見えにくくする書き方は、避けて欲しいのです。
僕と渡邉さんのやり取りが読む人に明瞭に分かるように、書きましょう。

そういうつもりで書くと、
僕と渡邉さん以外に読む人は居ないとしても、最も正しい書き方につながります。

たのむで。
2007/08/06/13:49 < 善悪に対する渡邉さんの誤まった判断と言うのは、
< 「世に認められた人は独自の造語を使って本を書いても良いが、
< そうでない人は独自の造語を使って本を書くべきではない」という判断です。


>  この「」の中の文は僕が持っている偏見ですね。
>  ただ、造語は、皆が賛同して作られていくのが良いんじゃないか
>  って思っているところもあります。
>  だから、造語という物を、一人でかってに作って行くことに
>  抵抗がある。


僕が、渡邉さんの造語倫理に反対しているのは、
一人で勝手に造語を作る事は良くない、という意見に反対しているという事もあるのですが、
それよりも、僕が強調しているのは、
「世に認められた人には許すが、そうでない人には許さない」という考え、つまり、
渡邉さんの意見の、世に認められた人とそうでない人を差別的に扱う点、です。


>  もし、造語を自分の思うように使えるとしたら
>  僕のδは造語の塊の様な面もあるから、
>  自分のδも認めろよ、と言う僕の不満が
>  宇田さんを批判するに至ったのかも知れません。


僕は、渡邉さんの造語δを批判するときに、
渡邉さんが世に認められた人ではないから、という理由で批判した事は、
今までに一度もありません。
既に用いられている記号との重複とか、
δδと言うばかりで、名前だけあって、それが何を意味するのか、あまりに未定すぎる事とか、
そういう事を理由に批判してきました。
だから、
僕自身の造語に対する僕の姿勢が渡邉さんのδに対する僕の姿勢と矛盾している、
とは言えません。
2007/08/06/14:21 とりあえず、2つ。


一つ。
画家が自分の描いた絵に題名をつけるとき、自分の造語を題名にしてはいけないのか?
そんなことはないだろう。自分の造語を題名にしても良いし、そうする場合の方が多い。
では、宇田が自分の著作物の特定の部分を、自分の造語で指し示すのも、
その部分が十分に独創的ならば、良かろう。


もう一つ。
数学や物理学の書物では、数式に番号をつけます。
ax+by+cz+1xy+2yz+3zx=xyz ・・・・・ (5-148)
みたいな感じです。
これをしておけば、後々で、
「ここで式(5-148)を使うと・・・」という風に説明文を簡潔に書く事が出来ます。
番号を付けておかなければ、
「ここでax+by+cz+1xy+2yz+3zx=xyzを使うと・・・」という風に説明文が冗長に成ります。
冗長に成るだけならまだ良い方で、説明が実質上不可能になる場合もあるでしょう。
僕の造語も、たとえば、「時計分子気体」という語は、
説明技術上、式の番号のような働きをします。
あるイメージを長々と説明し、その際に、それに時計分子気体という名前をつけておくと、
そのあと、「時計分子気体の・・・」という風に説明文を作って行く事が出来ます。
それをしないと、説明文が不必要に長くなっり、説明自体が不可能になったりします。
2007/08/06/15:01 原則としては、造語の妥当性は、その利便性のみによって評価されねばならない。


その観点から造語が妥当だと判断されるためには、
次の条件のうちのいずれかが成り立てば十分である。

・既存語によって表されない新概念を発明し、その概念を表す語を造語する場合。

・既存語によって表される概念に対する新しい理解を発見し、
 その同じ概念を表すのに、その新しい理解を反映させた語を造語する場合。

・既存概念を表す既存語が不適当で、かつ、その概念に対する公認の定義が明確ではない場合。


僕の「唯物理事象論」という造語は、上のいずれかに該当します。

分かりやすく言えば、
「・・・・とは良く言ったものよ」といわれるような造語は全て倫理的に善なる造語であって、
たとえ、人に不快感を与えようとも、だから倫理的に悪だ、と言われるものではありません。

「唯物理事象論とは良く言ったものよ」と言えるものかどうか、
唯物理事象論という語によって表される概念の僕による定義に照らして、
判断すべきだと思います。

この判断を、不快感によってにごらせるべきではありません。
2007/08/06/15:05 訂正します。

---------------------------
原則としては、造語の妥当性は、その利便性のみによって評価されねばならない。


その観点から造語が妥当だと判断されるためには、
次の条件のうちのいずれかが成り立てば十分である。

・既存語によって表されない新概念を発明し、その概念を表す語を造語する場合。

・既存語によって表される概念に対する新しい理解を発見し、
 その同じ概念を表すのに、その新しい理解を反映させた語を造語する場合。

・既存概念を表す既存語が不適当で、かつ、その概念に対する既存の公認の定義が明確ではなく、
 それに明確な新しい定義を与えると共に、その概念を新しい造語で表す場合。
2007/08/06/15:59 >  僕の考えを宇田さんが、とうの昔に知っていたと言う


具体的にどの考えの事かは思い当たりませんが、
今まで渡邉さんと話してみて特に目新しい考えに出会ったとは、
感じる事は出来ませんでした。

無限に関しては、渡邉さんが色々思い付いたことは、
僕に言わせれば、たとえて言うならば、
数学の問題が解けないときに色々頭の中に思い浮かべる様な事です。
それは、問題が解けた瞬間に思い浮かべる着想とは違うのです。
新しい着想を思いついた、というのは、
問題が解けたと感じた瞬間に頭の中に生じる何かであって、
解けないときに色々思いめぐらすことには、独創性などありません。
たとえ、他の人の頭には生じなかった考えであっても、です。
ひょっとすると、そういうものは、一見、自分の頭にだけ生じたように見えても、
実のところは、問題の解けないときに誰の頭にも生じる、ありふれた考えかもしれません。


>  圧倒的な圧迫に耐えられ無くって、
>  批判してくやしがっているんだと思いました。
>  数学者ガウスの様な立場に僕としては
>  立たれていると言う気持ちが、
>  宇田さんを批判してみたりするのだと思います。
>
>  いかに、ガウスでも、この事には気付いていないだろう
>  と思うが、何でもお見通しというガウスを嫌に思うように…。
>
>  だだ、主観的に分かっている段階を
>  客観的に分かっている段階に押し上げてくれているのは
>  宇田さんであったと思うので、感謝もしています。


渡邉さんはとても普通は思いつかないだろう様なことを思いついたのだが、
ガウスとか宇田にかかっては、それすらお見通しかもしれない、
というようなことではない、と僕は感じています。
渡邉さんの思想のレベルは、現段階では、まだ、
もっともうろうとした荒唐無稽なものだ、と僕は感じています。


>  しかし、自分の全部を飲み込んでしまう存在というのは
>  本人に取ってはそれは恐ろしい事なんですよ。


知っています。
渡邉さんが成功を望まないならば、
自分を飲み込んでしまう存在から目をそむけたまま一生を終える事も可能です。
しかし、渡邉さんは、成功を望んでいます。
それなら、自分より優れているのではないか、と思われる存在を積極的に見る必要があります。
そして、本当に自分よりもそれの方が優れているのか、
それとも、自分の方が優れているのか、見極めねば、次へ進めません。
もっとも、ほとんど全ての人は、才能が不足していて成功できません。
その場合には、早く見れば早く見るほど早く絶望する事に成るでしょう。
しかし、もし、万が一、渡邉さんの方が優れていたなら、
それを早く見て確かめなかったら、後悔する事に成ります。
2007/08/06/18:15 訂正します。


誤<もっとも、ほとんど全ての人は、才能が不足していて成功できません。

正:もっとも、ほとんど全ての人は、成功するに値する才能を持っていません。

訂正の理由:
成功できない理由は、才能が不足している事ばかりとは限らない。
かと言って、才能の有る人が成功者の人数に比して何百倍も居るとか、そういう事も無いから。


誤<しかし、もし、万が一、渡邉さんの方が優れていたなら、
誤<それを早く見て確かめなかったら、後悔する事に成ります。

正:しかし、もし、万が一、渡邉さんの方が優れていたなら、
  それを見て確かめるのが遅れれば遅れるほど、成功の見込みは減少します。
2007/08/06/18:54 >  ただ、造語は、皆が賛同して作られていくのが良いんじゃないか
>  って思っているところもあります。
>  だから、造語という物を、一人でかってに作って行くことに
>  抵抗がある。


これは、そんなに間違っていない、とも言えます。
ただ、
その合意形成が著作の準備段階で行なわれるべきか否か、
という点で、渡邉さんと僕で意見の食い違いがあると思います。
もちろん、僕の意見の方が正しくて、渡邉さんの意見の方が間違ってる、
という事です。


僕の考えでは、
合意形成のための意見というものが、
著作を通して述べられ、
同一案件に対して、複数の著作に複数の造語が現れ、
それらを良く読んだ人が、それらを比較検討し、
その上で、著作を行ない、
そういう人が複数現れ、その結果、
その後の著作の間に、造語の特定の使用傾向が形成される。
このようなプロセスを考えています。


学問の世界ではこれが普通のはずです。


渡邉さんのように、著作の準備段階で話し合ったら、
優れた造語行為によって文化に貢献したのは誰なのか、
という点で、名誉の行方があやふやにされ、
手柄のもみ消しが生じてしまいます。


著作者には、そういう犯罪から身を守るすべが、与えられねばなりません。


独りで決めた事が通用するのでは独裁支配ではないか、と思うかもしれませんが、
学問に関しては、肝心な事を全て誰よりも先に言うことが出来る人が現れたなら、
全てその人の思い通りになります。
これは独裁に似ていますが、違います。
なぜなら、その人が言ったから、という理由でそうなるのではないからです。
あくまで、その人が言った言葉の内容が正しいから、という理由でそうなるからです。
また、能力的に、実際には、そんなに有能な人など居ませんが、
もし居たならば、そうしなければいけないのです。

ここで、僕の格言を。

言葉の正しさが最高権威である。
言葉の正しさが最高権力である。
2007/08/06/19:15 訂正と補足です。



< 僕の考えでは、
< 合意形成のための意見というものが、
< 著作を通して述べられ、
< 同一案件に対して、複数の著作に複数の造語が現れ、
< それらを良く読んだ人が、それらを比較検討し、
< その上で、著作を行ない、
< そういう人が複数現れ、その結果、
< その後の著作の間に、造語の特定の使用傾向が形成される。
< このようなプロセスを考えています。


「同一案件について、複数の著作に複数の造語が表れ」
の部分については、競合する著作が現れない場合は、
単一の著作の単一の造語が、読者による評価を経て、
肯定的に評価されたならば、
その後の著作で通用するようになる、というパターンです。


<学問に関しては、肝心な事を全て誰よりも先に言うことが出来る人が現れたなら、
<全てその人の思い通りになります。


もっと正確には、
  学問に関しては、肝心な事を全て誰よりも先に言うことが出来る人が現れたなら、
  学界は全てその人の言うとおりにしなければなりません。
  肝心な事項に関する全ての手柄はその人一人に与えられねばなりません。


造語の発案や採否についても、これの例外ではありません。
2007/08/06/23:06 >
> 渡邉さんの文章の悪い所の一つ:
> <5>の「僕は宇田さんの文章が分からないから、分かり易く書いてください。と言っているんだと思
いました。」では、
> 全体の話の流れからして、「言っている」の主語が書かれてなければ、その主語は「70才の数学者さ
ん」だと推定されてしまいます。
> 「分からない」の主語もそうです。
> 「分からない」「言っている」「思いました」の主語が全て渡邉さん自身である事を書かなければ、

> こんな文章はとても読めません。
>
>
 こんな分かりにくい文章を書いているんだなって、
 宇田さんの抜群の論理分析能力で、
 わかり始めています。
 
 このメールの様に文章を正確に把握する事が出来ると言う能力がある
 と言うことを、広く公表すべきだと思います。

 宇田さんの労力を考えてみると、ぞっとします。
 こんなに僕の話だけに時間をさいて下さっていると思うと
 僕のことを伏せて、世に公表すると言うのは今日の全てメールを読んで、
 当たり前の事のように考える様に至りました。

 さらに、場合によっては僕の名前を公表しても良いと思っています。
 
 僕が恥をかくわけですが、
 それにもまさる労力を宇田さんが僕に支払ってくれていると言う認識からです。

 また、僕が文章のわざと難しく書いていると言う件ですが、
 これは、誠に申し訳ない事なんですが、
 僕は国語の授業を聞いた記憶がないくらい、筋の通った話をするのが
 苦手なんです。
 
 「僕の話し方を聞いて、こう例えた人がいます。
  
渡邉君の話し方は微分積分に似ているって」

 ん>< これはここで出す内容ではないですかね。

 「」は無視して下さい。

 僕の話し方は抽象的だって言われる事が、
 僕の友人からもありました。
 
 それは、宇田さんの言うとおり、
 必要な主語が抜けている場合が多いから
 されてたものだと言う記憶が有ります。

 僕の、話し方を正しい話し方に導く役目を宇田さんは
 持っている訳ではないのに、
 そうして下さっている
 
 これは、何か代価を支払わなければ行けないものと思っています。
 だから、
 場合によっては僕の名前を公表しても構わないと書いたんです。
 
 今日は、遅くにメールの確認をしたためと、 
 もう書く内容が無いと思うので、
 宇田さんに取ってみれば、 
 中途半端かも知れませんが、
 この辺で今日のメールを書き終えたこととして
 送信します。

 宇田さん、時間をおもいっきしさいて下さって
 本当に有り難う御座いました。
2007/08/06/23:54 > > 渡邉さんの文章の悪い所の一つ:
> > <5>の「僕は宇田さんの文章が分からないから、分かり易く書いてください。と言っているんだと思
> いました。」では、
> > 全体の話の流れからして、「言っている」の主語が書かれてなければ、その主語は「70才の数学者さ
> ん」だと推定されてしまいます。
> > 「分からない」の主語もそうです。
> > 「分からない」「言っている」「思いました」の主語が全て渡邉さん自身である事を書かなければ、
>
> > こんな文章はとても読めません。
> >
> >
>  こんな分かりにくい文章を書いているんだなって、
>  宇田さんの抜群の論理分析能力で、
>  わかり始めています。


確かに、僕の論理分析能力は抜群ですけど、
主語が書かれていないことを指摘するぐらいなら、僕以下の人でも、
出来る人はいくらでも居ます。
「僕以外の人」ではなく「僕以下の人」でもね。
僕は、基本的に、
僕以外の人でも出来る事を僕がしたからといって褒められるのが嫌いです。
僕は、僕にしか出来ない事だけを褒めて欲しい。
だから、僕の能力には軽々しく言及しない方が良いです。
僕の能力が世界一だという事が分かるように成ったら言及してください。


重要なのは、主語の記入漏れだけではなく、話の流れです。
まず、渡邉さんがTEXについての苦情を、僕の造語や独自記号を批判する根拠に使った。
次に、僕が、それは間違ってる、という事を説明した。
それに対して渡邉さんが納得する。
この3ステップで済むはずだったんです。
  なんで、たったこれだけの事に、あんな、たくさんのメールのやり取りが必要なのか、
  おかしいじゃないか、
というのが、僕が「TEXの件のまとめ」で言いたかった事です。


さっそく、また、ですが、今回の渡邉さんからのメールだと、
「こんな分かりにくい文章を書いてるんだなって、」の前に、
空白行を1行か2行入れるべきです。
どの部分が宇田の書いた文章で、どの部分が渡邉さんの書いた文章なのか、
ハッキリ分かるようにするだけでなく、
それらを、空白行の挿入によって、明確に分離してください。


>  また、僕が文章のわざと難しく書いていると言う件ですが、
>  これは、誠に申し訳ない事なんですが、
>  僕は国語の授業を聞いた記憶がないくらい、筋の通った話をするのが
>  苦手なんです。


それなら、なぜ、
TEXについて書いた渡邉さんの最初の文章は完璧に良く出来ているのか?
という疑問がわきます。
前に書いたように。
書けるではないか、と僕は言っているのです。
掛ける時間が違ったのでしょうか?
最初の文章は長い時間をかけてジックリ練って書いたけれど、
その後のは慌てて書いた、とか。
だったら、最初の文章のように、時間を掛けて書いてください。
そして、2回は読み返してください。
僕のように、短時間で、合理的な文章は書けなくて当たり前です。
迅速に返信しなくては、などと考える必要はありません。
それよりも、シッカリした文章を書いてください。


>  それは、宇田さんの言うとおり、
>  必要な主語が抜けている場合が多いから
>  されてたものだと言う記憶が有ります。


それより、話の流れね。


>  宇田さん、時間をおもいっきしさいて下さって
>  本当に有り難う御座いました。


いや、渡邉さんに書かなくてはいけない事が、膨れ上がってしまって、
今、収拾が付かなくなってるんです。
だから、まだ、これからも時間を取る必要があるんですよ。
ものすごく困ってます。
これは、単なる親切ではなく、
僕が、他人に自分を誤解させないための自己防衛策です。
ちょっとでも批判されると、キチンと説明するのが面倒なんです。
だからと言って、それをしないと、出来ないんだろう、と思われる。
それが嫌でね。
2007/08/07/00:32 >  だからと言って、
>  先に書いたから、
>  自分が独創性を持っていると主張するのは違うのではないか?
>  と思います。
>  先に宇田さんが述べたと言うのは良いと思いますが、
>  だからと言って、自分だけが到達しえたものとするのは違うと思います。
>  宇田さんもそうは思っていないと思いますが。
>  それは、独立に再認識する事もあるからです。

<はい、その通りですね。


ただし、
能力としてはそうですが、業績に成るのは、先に述べた人の行為だけです。


>  宇田さんはしっかりとした自分の意見が述べられる段階で
>  僕はまだ自分の言葉ではっきりと自分の意見を述べられない段階と言うだけで、
>  内蔵しているアイデアにこれは、私が、
>  何年何月に述べている、
>  だから
>  僕のは独創性ではない
>  と言える権利は無いものと思います。

< いや、厳密には、
< もし、渡邉さんと僕が両方とも同じアイデアを独立に考え出したならば、
< そのアイデアに関しては、二人とも、独創性は無い、という事に成ります。
< あるいは、一人しか考え出さなかった場合に比べて、主張できる独創性が半減します。

< 独創性は学力偏差値のようなものです。
< 独創性は相対評価なんです。
< 面白く言うならば、
< どんな素晴らしいアイデアでも、皆がそれを考え出したならば、それは素晴らしくない。


「独創性」という語には「独」の字が含まれているでしょう。
つまり、独創性の基本は、独りだけが創造性を示した事項に限られるのです。

それから、上にも書いたように、
能力としての独創性については、
渡邉さんが独立に考え出したならば、
渡邉さんよりも先に同じことを発表している人が居るからといって、
渡邉さんには独創性が全く無い、という事には成りません。

しかし、業績としての独創性は、先に発表した人にだけ付与されます。
そして、年表に載るのは、業績だけで、能力は年表に載りません。
それだけ、業績は社会的に意味があるのに対して、
能力は自己満足に過ぎず、社会的には全く無価値です。

たとえば、渡邉さんが、小学生のときに、
中学数学を全く教わらずして、ピタゴラスの定理を発見し証明したとしましょう。
これは、能力としては天才級です。
しかし、業績としてはほとんどゼロです。
年表という言葉を出すのもおこがましいくらいの、社会的には全く無価値な行為です。
社会的価値としては、将来性が挙げられるだけで、
その時点では、何の価値も確定していません。
2007/08/07/01:11 < 渡邉さんが、
< 「世に認められた人は独自の造語を使って本を書いても良いが、
< そうでない人は独自の造語を使って本を書くべきではない」
< とは思っていないのに、そう思っていると主張し、
< その事を根拠に、僕の本の記述は不当である、と主張したならば、
< そのような主張は明らかにイチャモンです。
< 良く考えてみると、僕の心の中には、そういう疑念もあります。
< たぶん、今までに僕が書いた文の中に、その疑念の表明が含まれているでしょう。
< しかし、
< 渡邉さんが自らの言動をイチャモンだと自白したという事は、
< 僕のその疑念が正しい事を渡邉さんが認める、という事なのでしょうか?

>  宇田さんの疑惑が正しい事を認めると言う事ではないと思います。


これについては、1点だけ。

渡邉さんは、
自分のδについての考えがまとまったら、
誰にも相談せずに、それを書物に書き表して独断で出版する事を、
読者を不快にさせるから、すべきではない、
と思っていますか?

渡邉さんがそう思っているならば、僕の疑念はハズレですが、
渡邉さんがそう思っていないならば、
僕の疑念を渡邉さんは認める、という事ではないでしょうか。
2007/08/07/01:32 < ・もし渡邉さんが自分のδの考えを十分に発展させて著作に著したら出来上がるであろう物に、
<  僕の本「古典物理学」が、規模や独自性の程度において、匹敵または凌駕するものであった。
<  (自分の目指していることを宇田に先にやられてしまって嫌な気持ちがする)

>  これは、古典物理学を十分、読み込めないと何とも言えないんですが、
>  δは人間が自然と行う行為そのものを表しているので、
>  重なる可能性も十分有りますが、
>  だからと言って、
>  先に書いたから、
>  自分が独創性を持っていると主張するのは違うのではないか?
>  と思います。
>  先に宇田さんが述べたと言うのは良いと思いますが、
>  だからと言って、自分だけが到達しえたものとするのは違うと思います。
>  宇田さんもそうは思っていないと思いますが。
>  それは、独立に再認識する事もあるからです。
>  宇田さんの古典物理学はほんの少ししか読めていませんが、
>  僕の独自性と重なる部分を読みとるほどには
>  読んでいない事は、多分、確かな事だと思います。
>  これは、宇田さんの考えが全く入ってきていないと言うことを
>  表すと言うよりは、
>  単にこれは僕の無知によるものだと思います。
 
>  δを凌駕するとか、匹敵するとかはまだ無関係な事に思います。
 
>  宇田さんはしっかりとした自分の意見が述べられる段階で
>  僕はまだ自分の言葉ではっきりと自分の意見を述べられない段階と言うだけで、
>  内蔵しているアイデアにこれは、私が、
>  何年何月に述べている、
>  だから
>  僕のは独創性ではない
>  と言える権利は無いものと思います。


だいたい、このあたりについて、以前、僕は、渡邉さんの意見に納得しましたが、
あとで、変な所に気づきました。

それは、僕は、内容の重複について言っているのではないのに、
渡邉さんは内容の重複について話している点です。

僕は、規模や独自性の程度が匹敵するのではないか、
と言っているのであって、内容が重複するのではないか、と言っているのではありません。

冒頭の文を書くときには、僕は、この点に注意しつつ書いたのですが、
渡邉さんの返信を読むときには、その事を、うっかり忘れていました。
2007/08/07/01:44 <   宇田が学術書の著者で、かつ、その著書が世に認められ、
<   その事によって、宇田が大きな名声を得ている、という事でもあれば、
<   その事を気に入らないと思う気持ちが生じるかもしれないが、
<   単に、宇田が学術書の著者である、というだけあれば、
<   評価や名声にまで至っていないのであれば、
<   宇田が学術書の著者である、という事実は、
<  気に入らないという気持ちを生じさせるほどまでには、ねたましくはない。

< 上の渡邉さんの文が、もし、こういう意味ならば、
< 上の渡邉さんの文は、それ自体としては、筋が通っているので、
< 上の僕の文は、的外れです。

>  はい。上の文の様に思って宇田さんを評価していませんでした。


だったら、なぜ、僕の「古典物理学」を受け取った直後に、
渡邉さんは、人間性がどうのこうの、と言って、猛反発したのですか?

その時点では渡邉さんには「古典物理学」が学術書である事しか分からなかったはずです。
それが世に認められ、それによって僕が名声を得ている、と渡邉さんが判断したはずは無いのですが。
2007/08/07/10:02 > < 渡邉さんが、
< 「世に認められた人は独自の造語を使って本を書いても良いが、
< そうでない人は独自の造語を使って本を書くべきではない」< とは思っていないのに、そう思って
いると主張し、
< その事を根拠に、僕の本の記述は不当である、と主張したならば、
< そのような主張は明らかにイチャモンです。
< 良く考えてみると、僕の心の中には、そういう疑念もあります。
< たぶん、今までに僕が書いた文の中に、その疑念の表明が含まれているでしょう。
< しかし、< 渡邉さんが自らの言動をイチャモンだと自白したという事は、
< 僕のその疑念が正しい事を渡邉さんが認める、という事なのでしょうか?
>  宇田さんの疑惑が正しい事を認めると言う事ではないと思います。
>
> これについては、1点だけ。
>
> 渡邉さんは、
> 自分のδについての考えがまとまったら、
> 誰にも相談せずに、それを書物に書き表して独断で出版する事を、
> 読者を不快にさせるから、すべきではない、
> と思っていますか?
>
> 渡邉さんがそう思っているならば、僕の疑念はハズレですが、
> 渡邉さんがそう思っていないならば、
> 僕の疑念を渡邉さんは認める、という事ではないでしょうか。
>

 僕はδについての考えがまとまったら、
 それは、とても理解し易い物になると言う期待を
 持っていましたが、
 δのは話を人にした時
 一体何が言いたいのか説明しきれない事が多々ありました。

 だから、僕の分かり易いと思っている事と、
 人が分かり易いと思っていることに
 ずれがあるのを知っています。
 
 誰にでも相談せずに、それを書物に書き表して独自で出版すつ事を
 読者を不快にさせるから、すべきでない、
 と思っているかですが、
 
 少なくとも、知人の二人を納得されたれるほど、
 明確なδの話が出来ない限り、
 δに関する出版はしない気がします。

 そして、こう説明すれば、
 もっと分かり易くなるってアドバイスを
 良く考慮して、 
 本を出版すると思います。

 但し、

 「しかし、宇田さんが言うように、
 δが完全に分かるようになったら、
 誰にも相談をせずに出版したいと思う事もある気がします。

 と言うのも、自分の世界においては
 これ以上、明確で分かり易いことはないと思っている
 ふしがあるからです。」
2007/08/07/10:18 > < ・もし渡邉さんが自分のδの考えを十分に発展させて著作に著したら出来上がるであろう物に、

<  僕の本「古典物理学」が、規模や独自性の程度において、匹敵または凌駕するものであった。<
 (自分の目指していることを宇田に先にやられてしまって嫌な気持ちがする)
>  これは、古典物理学を十分、読み込めないと何とも言えないんですが、
>  δは人間が自然と行う行為そのものを表しているので、
>  重なる可能性も十分有りますが、
>  だからと言って、
>  先に書いたから、
>  自分が独創性を持っていると主張するのは違うのではないか?
>  と思います。
>  先に宇田さんが述べたと言うのは良いと思いますが、
>  だからと言って、自分だけが到達しえたものとするのは違うと思います。
>  宇田さんもそうは思っていないと思いますが。
>  それは、独立に再認識する事もあるからです。
>  宇田さんの古典物理学はほんの少ししか読めていませんが、
>  僕の独自性と重なる部分を読みとるほどには
>  読んでいない事は、多分、確かな事だと思います。
>  これは、宇田さんの考えが全く入ってきていないと言うことを
>  表すと言うよりは、
>  単にこれは僕の無知によるものだと思います。  
>  δを凌駕するとか、匹敵するとかはまだ無関係な事に思います。  
>  宇田さんはしっかりとした自分の意見が述べられる段階で
>  僕はまだ自分の言葉ではっきりと自分の意見を述べられない段階と言うだけで、
>  内蔵しているアイデアにこれは、私が、
>  何年何月に述べている、
>  だから
>  僕のは独創性ではない
>  と言える権利は無いものと思います。

> だいたい、このあたりについて、以前、僕は、渡邉さんの意見に納得しましたが、
> あとで、変な所に気づきました。
>
> それは、僕は、内容の重複について言っているのではないのに、
> 渡邉さんは内容の重複について話している点です。
>
> 僕は、規模や独自性の程度が匹敵するのではないか、
> と言っているのであって、内容が重複するのではないか、と言っているのではありません。
>
> 冒頭の文を書くときには、僕は、この点に注意しつつ書いたのですが、
> 渡邉さんの返信を読むときには、その事を、うっかり忘れていました。
>

 重複ではないと言うことですね。
 規模や独自性の程度が匹敵すると言うことなんですね。

 規模や独自性が匹敵しようとも、
 問う内容が違えばさほど気にならないと言うのが、
 僕の考えです。
2007/08/07/10:33 > <   宇田が学術書の著者で、かつ、その著書が世に認められ、
<   その事によって、宇田が大きな名声を得ている、という事でもあれば、
<   その事を気に入らないと思う気持ちが生じるかもしれないが、
<   単に、宇田が学術書の著者である、というだけあれば、
<   評価や名声にまで至っていないのであれば、
<   宇田が学術書の著者である、という事実は、
<  気に入らないという気持ちを生じさせるほどまでには、ねたましくはない。

< 上の渡邉さんの文が、もし、こういう意味ならば、
< 上の渡邉さんの文は、それ自体としては、筋が通っているので、
< 上の僕の文は、的外れです。

>  はい。上の文の様に思って宇田さんを評価していませんでした。

> だったら、なぜ、僕の「古典物理学」を受け取った直後に、
> 渡邉さんは、人間性がどうのこうの、と言って、猛反発したのですか?
>

 それは、宇田さんが僕が購入する意志を伝えていないのに送ってきて
 
 僕には古典物理学の需要性が全く分からないから
 なんで、こんな物を送ってよこすんだって気になったからです。 
 
> その時点では渡邉さんには「古典物理学」が学術書である事しか分からなかったはずです。
> それが世に認められ、それによって僕が名声を得ている、と渡邉さんが判断したはずは無いのですが

>

 宇田さんが、名声を得ていると言うことを書きましたか?
 分からないと書いたつもりですが、
 
 分からないのですが、
 宇田さんがっそれが世に認められ、それによって僕が名声を得ている、
 と僕が判断したはずは無いのですが、
 で、僕に言いたい事ってなんでしょうか?
 失礼ですが、分からないので
 説明をお願いします。
 
 既に説明してあることを把握できないでいるだけなのかも知れないのですが… 
2007/08/07/21:52 < 宇田が学術書の著者で、かつ、その著書が世に認められ、
< その事によって、宇田が大きな名声を得ている、という事でもあれば、
< その事を気に入らないと思う気持ちが生じるかもしれないが、
< 単に、宇田が学術書の著者である、というだけあれば、
< 評価や名声にまで至っていないのであれば、
< 宇田が学術書の著者である、という事実は、
< 気に入らないという気持ちを生じさせるほどまでには、ねたましくはない。
< 上の渡邉さんの文が、もし、こういう意味ならば、
< 上の渡邉さんの文は、それ自体としては、筋が通っているので、
< 上の僕の文は、的外れです。

> はい。上の文の様に思って宇田さんを評価していませんでした。

< だったら、なぜ、僕の「古典物理学」を受け取った直後に、
< 渡邉さんは、人間性がどうのこうの、と言って、猛反発したのですか?

>それは、宇田さんが僕が購入する意志を伝えていないのに送ってきて
>僕には古典物理学の需要性が全く分からないから
>なんで、こんな物を送ってよこすんだって気になったからです。

以下に、渡邉さんが送信したメールの内容を引用します。

2004年4月11日送信分:
『また古典物理学の本について少し興味があります。
 国会図書館にて閲覧可能とのことですが、事情があって、そこまで行けません。
 市販には売っていない様な事を中堤さんが言ってと記憶していますが、どうしたら手に入りますか?
 教えて下さい!!
 今すぐ欲しい訳でわないのですが、それは私のは一人で読むには難しい様に思うからなのです。』

2004年4月14日送信分:
『> 僕の本「古典物理学」では
 > ∀とか∃とかがヤタラ出て来ます。
 > あ!「古典物理学」を渡邉さんに送りましょう。
 > 近いうちに郵送します。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「古典物理学」の件は誠に有り難う御座います。
 楽しみに待っています。』

2004年4月24日送信分:
『> (4)自己の内に知識を結晶化させる力。
 >    これは厳密には(1)に含まれる部分もあるが、
 >    「古典物理学」も(1)のタイプとは違った、
 >    1つの結晶である。
 >    つまり僕の持つ知識は、情報の羅列ではなく、
 >    高度に組織化されている。
 >    そして新しい知識が付け加わると、
 >    全体の再構成が始まり、
 >    全知識が再び一つの結晶となる。

 その能力は高く評価出来ますが、
 その新しい知識とは具体的にはどういう事ですか?』


渡邉さん、前にも言ったように、僕に証明をさせないでください。
渡邉さんが自主申告する事によって、証明にかかる時間と労力が、省略されます。
上を見ると、売買ではなく贈与のようですが、ハッキリとは分かりません。
売買だったか贈与だったかも、古いメールをもっと調べれば分かります。
2007/08/07/22:26 >
> 以下に、渡邉さんが送信したメールの内容を引用します。
>
> 2004年4月11日送信分:
> 『また古典物理学の本について少し興味があります。
>  国会図書館にて閲覧可能とのことですが、事情があって、そこまで行けません。
>  市販には売っていない様な事を中堤さんが言ってと記憶していますが、どうしたら手に入りますか

>  教えて下さい!!
>  今すぐ欲しい訳でわないのですが、それは私のは一人で読むには難しい様に思うからなのです。』

>
> 2004年4月14日送信分:
> 『> 僕の本「古典物理学」では > ∀とか∃とかがヤタラ出て来ます。 > あ!「古典物理学」を渡
邉さんに送りましょう。 > 近いうちに郵送します。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  
「古典物理学」の件は誠に有り難う御座います。 楽しみに待っています。』
>
> 2004年4月24日送信分:
> 『> (4)自己の内に知識を結晶化させる力。 >    これは厳密には(1)に含まれる部分もあ
るが、 >    「古典物理学」も(1)のタイプとは違った、 >    1つの結晶である。 >  
  つまり僕の持つ知識は、情報の羅列ではなく、 >    高度に組織化されている。 >    そ
して新しい知識が付け加わると、 >    全体の再構成が始まり、 >    全知識が再び一つの結
晶となる。
>
>  その能力は高く評価出来ますが、
>  その新しい知識とは具体的にはどういう事ですか?』
>
>
> 渡邉さん、前にも言ったように、僕に証明をさせないでください。
> 渡邉さんが自主申告する事によって、証明にかかる時間と労力が、省略されます。
> 上を見ると、売買ではなく贈与のようですが、ハッキリとは分かりません。
> 売買だったか贈与だったかも、古いメールをもっと調べれば分かります。
>
>

 忘却していたようですね。ですが
 宇田さんから、本を貰ってからがっかりしたのを覚えています。
 しかし、その様な内容を送った事は残っていないかも知れませんね。
 
 これが、5000円の価値があるのかって思いながらも、
 10000円と郵送代を支払ったはずです。
 そして本代以外の5000円は宇田さんからいろいろ教わったと思っていたので
 その感謝の気持ちと、もう付きあえないなって言う見切りの支払いだったと
 今でも、その時の気持ちを少し思い出す事が出来ます。
 
 これは、過去のメールを調べて下さいと言っているのではありません。
2007/08/08/12:18 < 以下に、渡邉さんが送信したメールの内容を引用します。

< 2004年4月11日送信分:
< 『また古典物理学の本について少し興味があります。
<  国会図書館にて閲覧可能とのことですが、事情があって、そこまで行けません。
<  市販には売っていない様な事を中堤さんが言ってと記憶していますが、どうしたら手に入りますか?
<  教えて下さい!!
<  今すぐ欲しい訳でわないのですが、それは私のは一人で読むには難しい様に思うからなのです。』

< 2004年4月14日送信分:
< 『> 僕の本「古典物理学」では
< > ∀とか∃とかがヤタラ出て来ます。
< > あ!「古典物理学」を渡邉さんに送りましょう。
< > 近いうちに郵送します。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  

<  「古典物理学」の件は誠に有り難う御座います。 楽しみに待っています。』

<  2004年4月24日送信分:
< 『> (4)自己の内に知識を結晶化させる力。
<  > これは厳密には(1)に含まれる部分もあるが、
<  >    「古典物理学」も(1)のタイプとは違った、
<  >    1つの結晶である。
<  >   つまり僕の持つ知識は、情報の羅列ではなく、
<  >    高度に組織化されている。
<  >    そして新しい知識が付け加わると、
<  >    全体の再構成が始まり、
<  >    全知識が再び一つの結晶となる。

<   その能力は高く評価出来ますが、
<   その新しい知識とは具体的にはどういう事ですか?』


< 渡邉さん、前にも言ったように、僕に証明をさせないでください。
< 渡邉さんが自主申告する事によって、証明にかかる時間と労力が、省略されます。
< 上を見ると、売買ではなく贈与のようですが、ハッキリとは分かりません。
< 売買だったか贈与だったかも、古いメールをもっと調べれば分かります。


>  忘却していたようですね。


言っておきますが、僕は優しく言っていますが、
本来は「忘却していた」で済まされる話ではありませんよ。
渡邉さんは僕を押し売り呼ばわりしたのだから。
忘却していたのだから、そのような発言もしょうがないではないか、
という考えは、誤りです。
なぜなら、
僕を押し売り呼ばわりする前に過去のメールを良く調べる義務があるのは、
渡邉さんの方だからです。
僕は、証拠も無いのに僕を批判するな、とまでは言いません。
しかし、渡邉さんの批判は、証拠は無いけれど事実だった、というのではない。
まかり間違えば、僕は、証拠となるメールを保存してなかったかもしれないし、
保存していたとしても、探し出せなかったかもしれない。
その場合、僕が押し売り行為をした事にされたら、たまったものではない。


> ですが
>  宇田さんから、本を貰ってからがっかりしたのを覚えています。
>  しかし、その様な内容を送った事は残っていないかも知れませんね。


残ってますよ。
「渡邉さんが猛反発した」と僕が言っているのは、それの事じゃあありませんか。
今の、本来の論題は、これです。
それが、渡邉さんによって、話がそらされて、押し売り呼ばわりの話に成っているのです。
もっと言うと、本来の論題は、
僕が学術書の著者である事を渡邉さんが気に入らないのではないか、という問題です。
渡邉さんが猛反発した事は、この問題の論拠として、持ち出されているに過ぎません。
どんどん話がそれていっているのです。

 
>  これが、5000円の価値があるのかって思いながらも、
>  10000円と郵送代を支払ったはずです。
>  そして本代以外の5000円は宇田さんからいろいろ教わったと思っていたので
>  その感謝の気持ちと、もう付きあえないなって言う見切りの支払いだったと
>  今でも、その時の気持ちを少し思い出す事が出来ます。


本代以外の5000円だけでなく、
本代も手切れ金のようなものだった気がします。
渡邉さんが払ったか払ってないかだけでなく、
僕が請求したか否かも、重要です。


もっと早く言った方が良かったのだけれど、
今回も、少し、書き方を言います。

僕の場合は、過去のメールを引用するときに、
僕が書いたのか渡邉さんが書いたのかを、
僕が書いた文の左には「<」をつけ、
渡邉さんが書いた文の左には「>」をつけるなどして区別しています。

この方法でなくても良いですが、
引用された文を、それが誰によって書かれたのか分かるように、表示してください。

それから、渡邉さんのメール中では、たとえば、

> こんにちは
> ごきげんいかがですか
> 明日遊びに行きます

という風に、引用されるべきものが、

> こんに
ちは > ごきげんい
かがですか > 明日遊びに行きます

といった風に、ぐちゃぐちゃに崩されている部分が多々あります。
こういう事をしないでください。
2007/08/08/22:41 >
> 言っておきますが、僕は優しく言っていますが、
> 本来は「忘却していた」で済まされる話ではありませんよ。
> 渡邉さんは僕を押し売り呼ばわりしたのだから。
> 忘却していたのだから、そのような発言もしょうがないではないか、
> という考えは、誤りです。
> なぜなら、
> 僕を押し売り呼ばわりする前に過去のメールを良く調べる義務があるのは、
> 渡邉さんの方だからです。
> 僕は、証拠も無いのに僕を批判するな、とまでは言いません。
> しかし、渡邉さんの批判は、証拠は無いけれど事実だった、というのではない。
> まかり間違えば、僕は、証拠となるメールを保存してなかったかもしれないし、
> 保存していたとしても、探し出せなかったかもしれない。
> その場合、僕が押し売り行為をした事にされたら、たまったものではない。
>
 これは、僕がもう確認するメールの保存を怠っているのが
 行けないんですね。
 確かに、忘れていたではすまされない事だと。
 しかし、確か2004年でしたよね。
 何から何まで、覚えていないと行けないと言うのはおかいしと思いませんか?
 三年前の事を一字一句間違えず覚えているほど、記憶力が良くないんで。

 だが、宇田さんを押し売りした呼ばわりした事は宇田さんが、
 証拠の文章を保存していなければ、
 宇田さんは、反論しにくい事だった事は
 素直に謝ります。
 
 申し訳ないです。
 それと、忘却で片付けようとした事、悪かったです。

 宇田さんが相手だから、 
 これだけの事になっていますが、
 他の人だったら、違いますもんね。 

>
> 残ってますよ。
> 「渡邉さんが猛反発した」と僕が言っているのは、それの事じゃあありませんか。
> 今の、本来の論題は、これです。
> それが、渡邉さんによって、話がそらされて、押し売り呼ばわりの話に成っているのです。
> もっと言うと、本来の論題は、
> 僕が学術書の著者である事を渡邉さんが気に入らないのではないか、という問題です。
> 渡邉さんが猛反発した事は、この問題の論拠として、持ち出されているに過ぎません。
> どんどん話がそれていっているのです。
>

 過去に、宇田さんを批判した時に、
 どんな、批判をしたか、残念ですが
 覚えていません。
 今回、宇田さんの古典物理学および物理学正典が読みにくい
 とした批判は、
 過去の批判と分けて考えられないんですか?
 僕は、過去の事は忘れていますし、
 過去に宇田さんが書いた学術書を批判しているなら、
 多分、その時は、宇田さんの言うとおり、
 宇田さんが、学術書の著書である事が気にいらなかったのかも知れませんが、
 今、現在は宇田さんが学術書の著書であるに対して批判的か?
 という点に関しては、 
 僕はもう批判的な立場に立っていません。
 それは、宇田さんのメールを読んで批判していたのは間違いだと
 今は認識しているからです。
 
 過去、宇田さんをそう思っていたかより
 今、宇田さんをどう評価していることの方が論点なんじゃないんですか?

 あれ?今、僕は宇田さんの疑念が分かった気になりました。
 今回、物理学正典および古典物理学を批判した時は、 
 少なくとも、宇田さんの疑念の通り
 学術書の著者である事が気にいらなかったのかも知れません。
 
 んー? でも、今回宇田さんを批判したのは、 
 僕がちっとも認められない事を上げているはずですよね。
 圧迫感から批判していると。
 
 だから、今回は微妙に違うんじゃないかって気がしますが。
 宇田さんはどう考えますか?
 
>  
>  これが、5000円の価値があるのかって思いながらも、
>  10000円と郵送代を支払ったはずです。
>  そして本代以外の5000円は宇田さんからいろいろ教わったと思っていたので
>  その感謝の気持ちと、もう付きあえないなって言う見切りの支払いだったと
>  今でも、その時の気持ちを少し思い出す事が出来ます。
>
> 本代以外の5000円だけでなく、
> 本代も手切れ金のようなものだった気がします。
> 渡邉さんが払ったか払ってないかだけでなく、
> 僕が請求したか否かも、重要です。
>

 はっきり覚えていますよ。
 宇田さんは請求していません。
 宇田さんが請求したのは本の送料だけだったと記憶しています。
 
 が、僕は本だけただで貰っておくわけには行かない
 と言う気持ちが働いた事は確かです。 
 
 それを、請求してないのに
 送って来ただけだと言うのはちょっと無いんじゃないんですか?

 何かしらの物を送ってもらって、お返しが無いのは
 余りにも常識がないんじゃないんですか?

 ああ!でも、宇田さんただで譲りますよと書いて下さっている様な気がしてきました。
 だから、宇田さんに、非は無いのかも知れませんね。

>
> もっと早く言った方が良かったのだけれど、
> 今回も、少し、書き方を言います。
>
> 僕の場合は、過去のメールを引用するときに、
> 僕が書いたのか渡邉さんが書いたのかを、
> 僕が書いた文の左には「<」をつけ、
> 渡邉さんが書いた文の左には「>」をつけるなどして区別しています。
>
 これ、<>がどっちがどっちって分からなかったから、返信の時に付くマークだけにしていました。

 それと、宇田さんが書いたという部分が正確でない場合はマークを付けませんでした。
 確か、宇田さんがこう言っていたって言う部分はなるべく分かる様に
 書くようにしますね。
 
> この方法でなくても良いですが、
> 引用された文を、それが誰によって書かれたのか分かるように、表示してください。
>

 分かりました。なるべく漏れない様にしますね。

> それから、渡邉さんのメール中では、たとえば、
>
>> こんにちは
>> ごきげんいかがですか
>> 明日遊びに行きます
>
> という風に、引用されるべきものが、
>
>> こんに
> ちは > ごきげんい
> かがですか > 明日遊びに行きます
>
> といった風に、ぐちゃぐちゃに崩されている部分が多々あります。
> こういう事をしないでください。
>

 最近は、気を付けて返信を書く時に直しているつもりですが、
 過去には全く、無頓着でしたから、
 以後はなるべく気を付けるようにします。
2007/08/15/14:34 しばらく、忙しいので、
僕は、渡邉さんに、いくらかの期間、メールを書きません。

ひょっとすると、学会発表が終わるまで書かないかもしれません。
学会発表は9月下旬です。

読むと返信してしまいそうなので、
渡邉さんの最近のメールは、まだ読んでいません。

後で読みます。
よろしく。
2007/08/16/11:05  宇田さんに批判めいたものを送った文章の大本はこのメールですよね。
 今から、今の考えと補足を書きますんで、
 それをもって、
 宇田さんに対して、
 今、僕がどう思っているかを評価して下さい。


>  ブログに、宇田さんの
>  物理学正典を、テフって数学の文書体で書いて
>  下さいませんか?って内容の苦情がありましたが、

 これは、宇田さんの説明で全てテフを使って書き直せると言うことで
 宇田さんが、独自の数式を書いていない、
 表現をきちんとすれば、
 数学で普通に通用する数式になると言うことを遅れながら、納得しています。

 だから、ここから
 宇田さんの文章は読みにくい
 癖があると
 わめいた事はあたらない。
 
 僕の、多分正確な内面の話だと思うんですが、

 相対性についてのメールで宇田さんに質問して
 ブログにも書き込みしましたよね。
 そして、相対性理論は絶対的って言えるんじゃないか
 っていう意見を、
 そんな事はないよって即座に(これは前から上がっていた議論で宇田さんは熟考していた
 んだと思います)違うよって。
 相対性理論は相対性だよって事を多分、説明してくれたんだと思います。
 
 僕は今は絶対的とも相対的にとも取れるのが本当じゃないかと思っています。
 あれほど、説明したのに、
 こいつまだ分からないのかって批判されそうですが、
 
 僕の頭の中では、絶対性と相対性の両方の視点から話を進めていくのがふさわしい
 と思っています。
 話が少し横道に長くなりましたが、
 
 僕は絶対性を即座に否定されて、ブログには僕が宇田さん送った内容を
 多分、宇田さんが簡略に書いた文章がのっていた事
 そして、僕の「相対性について」のメールの良い部分だけ利用された
 気になりました。

 僕は、相対性だけで話が完全に付くと思いますが、
 絶対的な視点を通しても、相対性理論が浮かび上がって来る気がしてならないのです。

 だから、宇田さんが、ブログで僕を一蹴した事が悔しかった事
 もっと、満足のいく話を宇田さんから聞きたかった事が
  
 今回、宇田さんに対する古典物理学および物理学正典にたいする批判と
 宇田さんの造語が気に入らない発言および宇田さんの轍発言の根っこになっていることを
 ここで、書いておきます。

 多分、上の二点が、
 いらいらってきてこの批判したメールを
 書かせた動機になっていると思います。

 
 宇田さん独自の数式についてのところを、読んでみると
 しょう点が違う風に書き込みしてしまったと思っています。
  
 僕が指していた部分は
 宇田さんの数式ではなく
 古典物理学の□1、□2、□3など
 文章を簡略化されるために宇田さんが考案した
 文書形態だったと言うこと。

 あそこの部分、宇田さんが前書きで書いている様に
 積み上げ式で書かれている文章だから、
 コツコツ読まないのが行けないと言われてしまいますが、
 僕は、□1、□2、□3などは条件が代入されているのか
 分からないんですが、そこの
 書き方を分かり易く書けないんですかって意識の元で
 宇田さんの数式は
 分かり難いって書いたんだと今は思っています。
  
 テフの数学者の発言を正確に読みとれずに、
 言いたい事も正確に伝えられずで申し訳なかったです。
 
 今は古典物理学の□1、□2、□3の部分を
 読みやすくして欲しいって事
 一点に宇田さんへの注文は変わっています。  

 しかし、どの物理学の本も本来とって読みにくく、
 宇田さんの文章は目の前がぱぁーっと開けた感じがしたと
 評価されるくらい、本の書き方が内容が誉められたものだと言うことも
 自分は宇田さんに聞いて知っています。

 だから、これは
 僕の知的なレベルが未熟である、
 余りにも未熟である事からきている事も
 分かっていますんで、
 □1、□2、□3の部分のもう少し分かり易くして欲しいと言うのは
 読者の甘えの様な気がします。

 
>  宇田さんの文章は僕にとって、
>  とても癖のある文章で

 癖のあると□1とかの文章の所の事を指しています。


>  それがかえって、
>  伝統の轍をなくすという宇田さんの
>  いい目標を、
>  半減させている気がして
>  もう少し、普通の人が使う数式表現や文章表現を
>  心がけてくれれば、
>  万人が宇田さんを評価し易く成るのではないか?
>  と思い、書きます。

 ここは、宇田さんの言葉を正確に把握しないで
 好き勝手に書いているところだと思います。


>  宇田さんは、
>  唯物理事象論って言葉を前に僕に説明してくれましたよね
>  でも、それは、宇田さんが創った
>  造語なんですよね
>  実際、僕は宇田さんから、宇田さん独特の表現を
>  聞いているような気になってしまい
>  時には、嫌な気持ちになる事も確かです。
>

 これは、自分の絶対性っていう意見が否定されるのに
 唯物理事詳論って言葉を既にそう言う用語が在るかの如くに
 話されたのが嫌な気持ちに成ったです。


>  宇田さんが文章をこう書かなきゃ行けない
>  と言うことは無いのかも知れませんが、
>  人が心地良いと思う文章を書くことに寄って
>  宇田さんの言う伝統の轍がより良くなるのではないかと思います。
>  伝統の轍が取れたが、 
>  宇田さんが作ってしまった、轍が
>  特に文章形態において、
>  人の理解を助けるどころか、難解にさせてしまっている
>  気がしてしょうがないんです。
>

 これは、今では何を言っているの分からないので、 
 撤回させて下さい。


>  宇田さんが十分に世間に認められていれば、 
>  宇田さんの創った言葉も宇田用語として認められると
>  思うのですが、
>  宇田さんが、必要十分な評価をもらっていない
>  現在では宇田さんの造語を不快に思う人も居ることは
>  確かだと思います。
>  

 これは、宇田さんの倫理感の方が正しいのであって
 僕の認めていなければ
 造語は作っては行けないと言う態度が
 良く無いという事はやり取りして分かりました。


>  僕も、人の造語に素直に従うほど、 
>  素直に育っていません。

 造語は宇田さんが説明してくれたように考える様に考えを改める必要があります。
 

>  自分も造語をこしらえていますが、
>  宇田さんのはそう言う言葉があるんだって
>  予備知識がない人には
>  造語を造語と思わずに受け入れてしまう危険性があると
>  思います。
>


 ここは、せめて僕が考えた言葉なんですが、
 と言うことわりをいれて欲しかったから、
 造語を造語と思わずと書いたんだと思います。


>  ここでは、
>  造語について書きましたが、 
>  独特な数式についても同様です。
>  数学的におかしくないからと言って
>  理詰めで、独特な数学の文章を書くのは
>  理解を困難にするだけだと思いますよ。
>  宇田さんの古典物理学が帯びている色彩は
>  とっても癖があって非常に読みにくい
>  ものだと思います。
>

 自分の未熟さから、今でも、
 読みにくいなって感じてしまうのが
 正直なところです。
 
 
>  出来ることなら、柔らかい文章で
>  書き物を書いて下さると良いのですが、
>  あくまでも、希望です。
>

 これも今となってはどうでもいい希望ですね。
 
 
>  宇田さんは多分これを読んだら、
>  不快に思うでしょうだけど、 
>  自分も我慢せずに、なんでも話し合って
>  よりよい、自分でいられれば良いなって思っています。
>

 自分の気持ちを伝えるのは良いことですが、 
 きちんと分かった言葉で書かないと行けない
 これは、必ずそうしないければ行けにと思いました。 

 うるわかり?では行けないんだと。  
 
>  ここまで、読んで下さって有り難う御座います。
2007/09/03/22:12  最近になって、初めて、
 いわゆる、出来る人の出来る度合いがかいま見えたんです。

 僕は宇田さんの事を出来る人と思っていますが、
 出来る人としてお付き合いをキチンとして来なかった。
 
 これは、失礼な態度を初めてやり取りしてから、
 ずっと取っていた事と同様な事なので、
 改めながら、
 大変失礼な態度を取って申し訳なかったです。

 それと、友人に、僕は話の最中に論点ずらしをよくやっていると指摘されました。
 宇田さんが、最初は文章が書けているのにって書いているところは
 この論点ずらしの癖の事を指しているんだと思っています。
 
 この論点ずらしは、僕は意識してそう使っていないとは思うんですが、
 どうやら、話をずらそうとしている時に良く発せられるものだと了解しています。
 もちろん、論点ずらしなんだからそうなんでしょうが、

 これも、宇田さんの指摘を長い間、
 自分で理解出来なっかった事により、
 宇田さんを煩わせたこと、
 大変、申し訳なく思っていますので、
 重ねてお詫び申し上げます。

 引き続き、宇田さんとメールのやり取りをしたいと希望していますので
 宜しくお願いします。

 それと、数学の勉強と英語の勉強を始めています。
 ゆっくりですが、今度こそ、確実にこなしていく気持ちでいますので
 長い目でなく、しっかりした目で見てやって下さい。

 では、今日はこの辺で。 
2007/09/06/17:58 >
>  それと、友人に、僕は話の最中に論点ずらしをよくやっていると指摘されました。
>  宇田さんが、最初は文章が書けているのにって書いているところは
>  この論点ずらしの癖の事を指しているんだと思っています。
>  
>  この論点ずらしは、僕は意識してそう使っていないとは思うんですが、
>  どうやら、話をずらそうとしている時に良く発せられるものだと了解しています。
>  もちろん、論点ずらしなんだからそうなんでしょうが、
>
>  これも、宇田さんの指摘を長い間、
>  自分で理解出来なっかった事により、
>  宇田さんを煩わせたこと、
>  大変、申し訳なく思っていますので、
>  重ねてお詫び申し上げます。
>

 この論点ずらし、
 故意では無くって本当に論点が見えなくなる時にも
 使われる場合があって、
 宇田さんとのやり取りの中で故意と思われる箇所もあるのではないか
 と思いますが、
 論点が見え無くなっている部分もあると思うのでそこはご容赦下さい。


 また、宇田さんの、古典物理学を飛ばし読みした結果、
 僕が世に問おうとしていることと、
 近いことを感じました。
 文章の形態などに不満がありますが、
 僕が世に問おうとしている内容を十分含むのではないかと今では認識しています。
2007/09/10/12:32 >  この論点ずらし、
>  故意では無くって本当に論点が見えなくなる時にも
>  使われる場合があって、
>  宇田さんとのやり取りの中で故意と思われる箇所もあるのではないか
>  と思いますが、
>  論点が見え無くなっている部分もあると思うのでそこはご容赦下さい。
>
 
 思うに、故意に論点をずらすと言うのは論点が見えているから出来るのであって、
 宇田さんとのメールのやり取りでは、
 僕が論点を見失うことから、
 僕の論点ずらしが起こっていると思います。

 友人と場合は論点が見えている場合があるのですが、
 宇田さんとの場合、僕の論理能力を超える言葉の使いからを
 宇田さんがなされるものなので、

 だから、宇田さんとのやり取りにおいて大部分が、
 論点が見えないから起こってくる論点ずらしと思って欲しいんです。

 自分としては宇田さんに対して故意で論点ずらしを出来るほど、
 能力が高くありませんから。
2007/10/01/09:19  日本物理学会2007年秋季大会の発表お疲れ様でした。

 発表により、物理学正典を正しく利用して下さる方が増えると良いですね。

 私も、安易に、気分的なもので
 宇田さんの物理学正典と古典物理学を批判しましたが、
 
 これは、いちゃもんであって正当に物理学正典と古典物理学を
 評価出来なかった事によるもので、

 そのせいで、宇田さんには説明しなきゃいけないと言う訳ではないのに
 長いこと、僕の思っている事や批判が当たらない事など
 を正しく言い表さないと行けなかった事、大変申し訳なく思っています。

 もう一度書きますが、その労力の分、
 何らかの形で、関わるすべての文章を公表する事には今も賛成です。
 場合によっては名前を書いて下さっても構わないという条件も付けました。

 名前まで、発表されると、
 自分の公的な立場が傷つく事は当然、瞭然されるわけですが
 それは、僕が犯した過ちみたいなものなので、
 それをぬぐえる実力を付けて、
 改めて、自分が評価される事が必要では?と思っています。

 後は、宇田さんの判断で、ネット上に公表するかを決めて下さい。
 宇田さんは、被害者であり、僕は加害者であるのですから。
2007/10/01/19:09 お気遣い、ありがとう。

そろそろ、渡邉さんのメールのうちのまだ読んでないものを全部読んで、

キチンと返信しなくては、と思っているのですが、

もう少し待って下さい。

今は、まだ、学会の報告記事↓を書いています。

http://15.pro.tok2.com/~wooder/
UdaSchool/HTML-CONTENTS/PhysSoc/PhysSoc07au.html
2007/10/01/22:06 >
> http://15.pro.tok2.com/~wooder/
UdaSchool/HTML-CONTENTS/PhysSoc/PhysSoc07au.html
>
 
 ここ、二回読みましたよ^^
 気のせいかも知れませんが(内容が変わっていないのに二回読んだことにより)
 内容というか宇田さんの他者の発言者へのコメントの意図が分かった気がします。

 IT技術?を使った教材が多数出てきていると書いてあったと思いますが、
 想像の話で悪いんですが、僕はもっと、もっとそう言う技術が進んで行くと思います。

 僕の目指す所も、そういう所に目が行っています。

 最近になって思うんですが、δが@マークの様に僕の中で使われている事に気付きました。
 知らず知らずの内に、他の人のアイデアが入って来るもんだなって思っています。

 多分、現時点で自分のアイデアと言えるものは、
 「無限は唯一一つだとも言える」程度かなと思っています。
 後は他者の応用(応用よりも低い言葉が分からなかったので)
 もどき程度のものに過ぎないかも。
 唯一一つの無限もその範疇かも知れませんが。

 発想の起源をたどると他者に行き着くという経験を何回かしている内に、
 僕が求めていた独創性とは、
 かくも、他力本願だったと思い知り恥ずかしい次第です。

 学習を進めて行き、早い時期に、本当の独創性に辿り着きたいものです。
2007/10/15/22:39  CAN1-1-1?からCAN1-1-2?へと順々にとべる様に
 連鎖的に読み進める様にワンクリックで出来ると便利だと思いました。
 
 COM?へなどへとべる機能は出来上がっていて便利だと思います。
2007/10/24/08:04  次のページという機能がありました。
 よく見ないと行けませんね。
2007/10/26/12:42 おまたせ。

これから、渡邉さんのメールを読もうと思います。
2007/10/26/16:17 まず、

渡邉さんの弱さ、というものを、僕はもっと考慮すべきだ、

と思うようになりました。

以前、渡邉さんが脚を悪くしている、という件について、

中堤さんから、自動車事故で、と聞きました。

その後で、渡邉さんから直接に、農薬を飲んで自殺を図った後遺症だ、

という真相を知りました。


それを聞いたばかりの頃には、僕は、

普通の人には耐えれないぐらいの大きな不幸が渡邉さんの身に生じたためだろう、

ぐらいにしか思っていませんでしたが、

後で、渡邉さんとメールのやりとりをするようになって、


渡邉さんは、

自分独自の考えを持てない事は、あまりに不満足な事であるから、

自分はそれに耐える事が出来ない、

という風な事を言っていました。


つまり、渡邉さんは、

もし、自分が凡庸非才であならば、その事実には自分は耐える事が出来ない、

と言っているのだ、

と僕は了解しました。


渡邉さんのこの部分は、普通の人よりも精神的に弱いです。

なぜならば、たいていの普通の人は、

自分を凡庸な存在として、自分の才能をあきらめて生きているからです。

普通の人の精神は、それが出来るぐらいに丈夫に、出来ています。


僕は、自分の才能を否定される事に耐えるつもりはありませんが、

それは、僕には才能がある、という事が事実だからです。

僕は自分に関する事実を否定される事に耐えるつもりは無い、

と考えているだけです。


これは、渡邉さんの態度とは違います。

渡邉さんが、自分の才能を確信しているならば、違いませんが、

僕の態度は、

自分の身長を計った後で、それが、178cmであると知り、

それによって、

自分の身長を 177cm だと言われる事に耐えるつもりはない、

という態度です。

渡邉さんの態度は、身長を計る前に、

もし結果が 177cm だとしたら、それには耐えられない、

という態度です。

僕の場合には、計る前の段階では、

結果として何が出て来ようとも、それを受け入れる事が出来ます。

喩えて言うならば、そういう事です。


ということで、僕の方は、あまりムキに成って、

渡邉さんの言ってる事に抗弁しない、という態度が良い様に思えて来ました。

渡邉さんが無茶を言っていても、それは渡邉さんの弱さから出た言葉だ、

という風に考えて、ほどほどに返答しておこうかな、と思うようになりました。

ここまでが、渡邉さんの精神的な弱さについてです。


精神的な弱さの他に、渡邉さんには、思考能力の弱さがあります。

渡邉さんが自分で「論点ずらしは自分の無能性によって生じる」と書いているところの、

渡邉さんの無能性です。

渡邉さんの文章の欠点で、僕が一番感じる印象は、支離滅裂、という印象です。

これを、合理的な批判に翻訳すると、論点がずれている、という事に成るので、

筋道立てて説明するときには、僕は、論点がずれている、という言い方をしたかもしれません。

しかし、感じとしては、論点がずれている、と言うよりは、支離滅裂な印象を受けます。

つまり、正しいわけではないんだけど、

普通の人では手のほどこしようが無いくらいに支離滅裂なので、

僕以外の人は、キチンとした反論を書く事が出来なかった、という風に感じます。

この点に関しては、これからは、僕も、もっと普通の人で居ようかな、と思うようになりました。


あと、渡邉さんには、悪い癖がたくさんあります。

僕にも、一々それらの全部を上げる能力はありませんが、

一例を挙げると、

まだ理解して正しく使えるようになっていない言葉を用いて意見を述べる、

という癖が挙げられます。

そのために、渡邉さんの文章は、意味が非常にあいまいなものと成って、

読む人に、何を言っているのか分からないものに成っています。

だから、読む人は、賛成は出来ないんだけれど、

ここがおかしい、とか、あそこがおかしい、といいう風に批判する事もできない、

という状態に陥ります。

これは、渡邉さんの意見が通った、という事ではありません。


表現の自由に基づき、そういう文章を作るのは自由ですが、

それでは、一生認められないでしょう。

生み出しているのに認められない、ということではなく、

生み出してもいない、と思います。

だから、僕が独創的だと考える自分の意見についてと違って、

認めない人が悪い、のでもない、です。

渡邉さんが少しでも前に進もうと思えば、

そういうところを直さなければ、そもそものスタートラインに付く事すら出来ないでしょう。

しかし、これも、言っても無駄だ、と思っています。

無駄でなかったら、感心しますけどね。


これから、個別的な返信を書きます。

渡邉さんが後で自説を撤回している場合も多々あるようですが、

基本的に撤回前の段階でコメントします。

そうしないと、処理しきれないので。


とりあえず、では。
2007/10/26/17:17  論点ずらしの真相が分かりました。

 既に前にも書いた事かもしれませんが、
 今回書くほどに分かりやすくは、まだ書いていない、と思います。

 話がずれて行くパターンは、次のごとくです。 

   まず最初に、渡邉さんに対して、僕が、渡邉さんの考えについて指摘 A を行ないます。

   すると、渡邉さんは、それを否定します。= not A

   そのため、僕には、not A を反証する必要が生じます。

   その根拠として僕は B を挙げます。

   この段階で、論点が A の吟味から B の吟味へとずれます。

   渡邉さんに僕が B を指摘すると、

   渡邉さんは、 B を否定します。= not B

   そのため、僕には、not B を反証する必要が生じます。

   その根拠として僕は C を挙げます。

   この段階で、論点が B の吟味から C の吟味へとずれます。・・・

 これが、話がずれて行く仕組みです。


 これを、僕は、誰かが論点をずらした、という風には認識していません。
 むしろ、表面的に見れば、論点をずらしているのは、渡邉さんではなく、僕の方です。

 なのに、話がずれて行く事に対して、僕が渡邉さんを批判したのは、
 話がずれて行く原因が、渡邉さんが自白を拒み僕に証明を余儀なくさせる所にある、
 と考えるからです。

 渡邉さんの not A や not B が渡邉さんの正直に従っている、と僕が考えたならば、
 僕は渡邉さんを批判しません。

 僕は、渡邉さんの not A や not B が、
 批判には抵抗する、という、無条件的な防御反射によって起こっている、
 と考えます。
 だから批判したのです。

 渡邉さんのこのような態度傾向は、
 批判への抵抗という行動の逆の、謝罪という行動を見ても感じ取れます。

 僕が渡邉さんに何かを謝罪すれば、そのお返しのように、渡邉さんも僕に何かを謝罪する、
 という傾向です。

 しかし、本来は、謝罪という行動は、相手の謝罪に対してすることではなく、
 謝罪すべき何かに対してする行動です。

 その結果、
 僕が渡邉さんにする謝罪の分量と、渡邉さんが僕にする謝罪の分量は、
 一般には釣り合いません。

 だから、結果が釣り合っている事は、むしろ、途中に、
 謝罪するには及ばない事に対して謝罪したり、謝罪すべき事に対して謝罪しなかったり、
 が含まれている、事の現れであって、僕は、それを嫌悪します。

 批判とその受容についても同じです。

 多くのスポーツ競技と違って、議論は、攻撃と防御ではいけないんです。

 もっとも、この批判は厳しすぎたかもしれません。
 防御反射のスイッチを切って正しく議論できるのは、
 僕以外には、ほんの一握りの極少数の人だけでしょう。
 一般的には社会的に成功していると思われている人々でも、
 できない人がほとんどだと思います。

 ま、参考までに。
2007/10/26/17:40 渡邉さんの友人さんが、渡邉さんの論点ずらしについて、どのような指摘をしたのか、分かりませんが、

論点ずらしについては、気を付けねばいけない点があります。

それは、相手の論法を論点ずらしだとする批判の濫用です。

もちろん、論点ずらしそれ自体は悪い事ですから、

相手の論法が論点ずらしならば、それを論点ずらしだと批判する事は正当です。

しかし、「それとこれとは別の話だ」という言い方を良く聞くでしょう。

これを濫用する人が多いのも事実です。

比喩や比較を用いて的を射た意見を述べたのに、

「それとこれとは別の話だ」の一言で片付けられてしまう、というパターンです。


これは著しく正義に反します。

同じ範疇に属するものとして「屁理屈」という言葉の濫用が挙げられます。

渡邉さんと渡邉さんの友人さんの対話では違ったのでしょうけれど、連想しました。
2007/10/26/18:34 > >  ブログに、宇田さんの
> >  物理学正典を、テフって数学の文書体で書いて
> >  下さいませんか?って内容の苦情がありましたが、
>
>  これは、宇田さんの説明で全てテフを使って書き直せると言うことで
>  宇田さんが、独自の数式を書いていない、
>  表現をきちんとすれば、
>  数学で普通に通用する数式になると言うことを遅れながら、納得しています。


渡邉さん、この部分は少しおかしいねえ。カタクナに成ってませんか?
表現を正しくすれば、って、物理学正典の場合、テフを使わない手書きの段階で既に、
大部分は、数学で普通に通用する数式に成っています。
何度も言うように、テフは数式表現用のワープロです。
だから、テフを使うか否かは、手書きなのか活字なのか、という違いです。
言い換えると、字が綺麗か字が汚いか、という違いに過ぎません。
字が著しく汚いのでなければ、
綺麗な字で書かれているのか、汚い字で書かれているのかは、同じ事が書かれていれば、
数学で普通に通用する数式と見なされるか否かの判断には影響しませんね。
はぁ~あ、もう、この件について「何度も言うように」と何度書いた事か。


>  僕は絶対性を即座に否定されて、ブログには僕が宇田さん送った内容を
>  多分、宇田さんが簡略に書いた文章がのっていた事
>  そして、僕の「相対性について」のメールの良い部分だけ利用された
>  気になりました。


たしかに、渡邉さんの原文をそのまま載せてはいません。
渡邉さんが削除を希望すれば削除します。
僕としては、自分の意見を投稿したつもりだけど。
渡邉さんの意見を変形させて投稿したのではなく、
渡邉さんの意見を聞いて思い出した自分が前々から知っている考え方を。
投稿者を「匿名」にしてあるから、その点は問題ないと思う。
渡邉さんの意見は、そのままの形では議論に乗るほど整っていなかったので。
変形させたと見れば、悪い方へは変形させてなく、改良したんだけどね。


>  相対性についてのメールで宇田さんに質問して
>  ブログにも書き込みしましたよね。
>  そして、相対性理論は絶対的って言えるんじゃないか
>  っていう意見を、
>  そんな事はないよって即座に(これは前から上がっていた議論で宇田さんは熟考していた
>  んだと思います)違うよって。
>  相対性理論は相対性だよって事を多分、説明してくれたんだと思います。


これも、何度も言う事だけど、
絶対的な観点から見る事も出来るし、相対的な観点から見る事も出来る。
しかし、絶対的な観点から見る事が出来るから相対的な観点は誤まりだ、とは言えない。
これが僕の指導です。
ただし、絶対的・相対的という言葉の意味を曖昧にさせたまま答えれば、の話だけどね。

この問題については、渡邉さんが問題意識を覚えておくなりメモするなりして、
後で相対性理論を正式に学習するときに蒸し返して考えてみる事を、薦めます。
それまでは一旦棚上げにするのが良い。


>  しかし、どの物理学の本も本来とって読みにくく、
>  宇田さんの文章は目の前がぱぁーっと開けた感じがしたと
>  評価されるくらい、本の書き方が内容が誉められたものだと言うことも
>  自分は宇田さんに聞いて知っています。


これは、古典物理学の話ではないよ。
ネット上の掲示板に僕が投稿した解説記事についてです。


>  □1、□2、□3の部分のもう少し分かり易くして欲しいと言うのは
>  読者の甘えの様な気がします。


出来るものならするけど、出来ないんだ。
分かりやすく言うと、すると本の内容が変わってしまう。


> >  時には、嫌な気持ちになる事も確かです。
> >
>
>  これは、自分の絶対性っていう意見が否定されるのに
>  唯物理事詳論って言葉を既にそう言う用語が在るかの如くに
>  話されたのが嫌な気持ちに成ったです。


分かりました。
嫌な気持ちに成り、その解決を他者に希望する所を、
渡邉さんの精神的な弱さと心得ます。


> >  宇田さんが十分に世間に認められていれば、 
> >  宇田さんの創った言葉も宇田用語として認められると
> >  思うのですが、
> >  宇田さんが、必要十分な評価をもらっていない
> >  現在では宇田さんの造語を不快に思う人も居ることは
> >  確かだと思います。
> >  
>
>  これは、宇田さんの倫理感の方が正しいのであって
>  僕の認めていなければ
>  造語は作っては行けないと言う態度が
>  良く無いという事はやり取りして分かりました。


ありがとう。
僕にとってはこの点が一番肝心です。
「それでも地球は回っている」というガリレイの態度は正しいでしょう。
あまりに当たり前すぎて、渡邉さんがこれを否定するような事を言ったときには、
これを一々説明させるのか?説明されなくても分かってるはずだがなあ、と呆れた。
実際にガリレイがそういう態度を取ったか否かは別として。

件を改めて、この部分を書き直します。
2007/10/26/21:24 渡邉さんが、

Wooder!掲示板への老数学者さんの書き込み(事実D)を引用して、

僕の著作の価値が、僕独自である分だけ、低下している、

という風に助言した事について、

その助言を見て直ぐ(時点A)に、その助言に対する強い反発心が僕には生じました。


その理由は、僕の著した古典物理学を渡邉さんが最初に見たとき(時点B)に、

渡邊さんが僕に対して取った態度が、渡邉さんにはまだ残っている、

と感じたからです。

その態度とは、世に認められていないくせに独創的な事をするな、

という態度(Cとします)です。


時点Bから時点Aまでの渡邉さんの僕に対する態度の変遷から判断して、

態度Cは時点Aにおいては消滅しているだろうと、

時点Aより前の僕は思っていました。

渡邉さんは態度Cに対する僕の反論を受け入れたと、

時点Aより前の僕は思っていたからです。


しかし、時点Aで、僕は、

  そうではなく、渡邉さんは、自分の力だけでは宇田に態度Cを取り続ける事は無理だ、

  と判断して、態度Cを引っ込めているだけであって、

  心の中ではズッと態度Cを取り続けており、

  事実Dのような支点を見付ければ、

  その支点を使ってテコのごとく、態度Cの正当性を僕に主張する、という状態だったのだ、

と感じたわけです。


そして、何を?性懲りも無くまだ言ってるのか?と思ったわけです。

他人の力を利用して、この人も言ってるよ、という風に言う手口で僕を説得しようとした点にも、

僕は腹を立てました。


問題が、僕の著作に対する読者の感じ方だったので、

他人の意見を根拠にする、というやり方は、一概に間違いとは言えませんが、

渡邉さんは、事実Dの解釈を間違っており、

その間違った解釈を根拠lに、態度Cの正当化に持って行こうとしました。

単に間違っただけなら、そんなに責められるべき事ではありませんが、

僕の目には、

渡邉さんは、事実Dの解釈を間違ったのではなく、

解釈をこじつけたのだ、という側面もある、

という風に映りました。


事実Dの解釈について、

渡邉さんの解釈は間違っていて、正しくはこうです、という風に僕が再三再四説明しても、

渡邉さんが、それを理解に十分に反映させない形で僕への返信を繰り返した事から判断しても、

僕の見誤りではなかったようです。


確かに、用語法には、勝手に作ってはいけないものもあり生ます。

たとえば、電子の事を勝手に宇田粒子と呼ぶ事にする、というのは駄目です。

言論出版の自由からしてどうなのかは知りませんが、

僕は、そういう事を絶対にしません。

勝手な用語法については、何は良くて何は禁止なのか、その基準を、

僕は、一応わきまえた上で、ものを書いています。

渡邉さんは、その基準を僕ほどには知らないのだ、と思いました。

それ(基準)は、渡邉さんが嫌な気持ちに成るとか、そういう事で決まる問題ではありません。


前にも書いたかもしれませんが、渡邉さんの言う様な嫌な気持ちに関しては、

むしろ、読者を打ちのめしてしまう著作を完成させればさせるほど、

良く仕事をして世の中の役に立った事に成る、という面があるのです。


では、今回は、この辺で。

また、当分休みます。
2007/11/05/22:10  長文のメールキチンと読んでいます。
 理解し易くて助かります。

 支離滅裂の件なんですが、
 僕の学校時代の友人は、
 
 郁夫のそれは慣れないと
 理解できないかも知れないね。
 と言っていました。

 僕の言葉は万人が聞きやすい言葉ではない
 と言う自覚を早く持つべきでした。

 僕は、宇田さんに天才であると表明する事は
 決して自分勝手な事ではない?と言うことを教えてもらい
 僕も、天才の宣言?みたいなのをしました。

 しかし、僕の宣言は物理学上の業績というか
 そう言うものではないと思うようになっています。

 というのも、僕の天才だと思える部分は
 自己の表現の部分で留まっていて、
 他者への伝達という面では著しく機能を伴っていないもの
 だと断言して良いものと思っています。

 それと、最近、僕が物理学をやることの意味を見いだせないでいます。
 
 力学、電磁気学、統計力学、相対性理論、量子論、

 この順で良いんでしたっけ?

 とやっていっても、宇田さんには
 例えば力学までしかやっていなければ、
 それ以上の知識を知らなくてよい
 みたいな態度をとられます。
  
 確かに、順にやっていかないと分からないし、
 キチンとした理解に到達する事はできない 

 のかも知れませんが、
 僕は、それは違うと思うんです。
 明らかに、正しいと言う情報が手元にあれば、
 コツコツ、
 力学、電磁気学、統計力学、相対性理論、量子論、
 の様に勉強をしなくても
 
 ある種のイメージ群が出来上がって、
 それは、労力をほとんど、なくすように
 
 物理の世界を広める事はできませんか?

 ただ、物理学についての正しい知識を分かり易く伝えられる
 人が居る事が前提になりますが、
  
 宇田さんは、この件についてどう思いますか?
2007/11/10/22:13 >  力学、電磁気学、統計力学、相対性理論、量子論、
>
>  この順で良いんでしたっけ?

いいえ。
力学、電磁気学、相対性理論、量子力学、統計力学、の順です。
物理学正典を見て下さい。http://wooder.stepserver.jp/

>  宇田さんには
>  例えば力学までしかやっていなければ、
>  それ以上の知識を知らなくてよい
>  みたいな態度をとられます。
>   
>  確かに、順にやっていかないと分からないし、
>  キチンとした理解に到達する事はできない 
>
>  のかも知れませんが、
>  僕は、それは違うと思うんです。


そりゃあ、絶対に違わない、とは言えません。
何事にも絶対という事はありませんし、
天才というのは、
絶対に有り得ないとは言えないけれど非常にありそうにない事を突く者です。
しかし、僕が今まで渡邉さんを見てきた限りにおいては、
渡邉さんの挙動は、そういう例外領域に踏み込んでいませんでした。

僕は、渡邉さんに対して、白雪姫の物語に出て来る鏡、のごとき態度を取っています。
評価すべき点を見出すように可能な限り努力はしているのですが、
今までの所、渡邉さんには顕著なものが見出せません。

順番にやらなくても結果を先取りできる人はいるでしょう。
僕にはそういう所があったかもしれません。
しかし、今まで僕が観察した限りは、渡邉さんにはそういうところがありません。

あって欲しいと願っているのですが。

僕に認めさせる何かを見せてくれると、即評価しますよ。

僕の場合、何回も繰り返しボタンを押す誤作動して高く評価する、
という事もありません。

また書きます。
2007/11/12/08:05 >>  宇田さんには>  例えば力学までしかやっていなければ、
>  それ以上の知識を知らなくてよい
>  みたいな態度をとられます。
>   
>  確かに、順にやっていかないと分からないし、
>  キチンとした理解に到達する事はできない 
>>  のかも知れませんが、
>  僕は、それは違うと思うんです。
> そりゃあ、絶対に違わない、とは言えません。
> 何事にも絶対という事はありませんし、
> 天才というのは、
> 絶対に有り得ないとは言えないけれど非常にありそうにない事を突く者です。
> しかし、僕が今まで渡邉さんを見てきた限りにおいては、
> 渡邉さんの挙動は、そういう例外領域に踏み込んでいませんでした。
>
> 僕は、渡邉さんに対して、白雪姫の物語に出て来る鏡、のごとき態度を取っています。
> 評価すべき点を見出すように可能な限り努力はしているのですが、
> 今までの所、渡邉さんには顕著なものが見出せません。
>
> 順番にやらなくても結果を先取りできる人はいるでしょう。
> 僕にはそういう所があったかもしれません。
> しかし、今まで僕が観察した限りは、渡邉さんにはそういうところがありません。
>
> あって欲しいと願っているのですが。
>
> 僕に認めさせる何かを見せてくれると、即評価しますよ。
>
> 僕の場合、何回も繰り返しボタンを押す誤作動して高く評価する、
> という事もありません。
>
> また書きます。
>
>
 返信、有り難うです。
 しばらく返信しないのかと思っていました。
 宇田さんは、期間をあけて集中的にメールを書いてくるんじゃないかと思い
 僕は、それでは、細かなやり取りが僕に取って出来にくいと思ったんです。
 だから、有り難うです。

 宇田さんの言う「何事も絶対ということはない部分」
 に僕が期待しても、それは違うと今は思っています。
 勉強もせずに、人より先の知見を述べる事は
 ほぼ不可能だと。
 
 しかし、僕の中で
 δは明らかに創造なのです。
 宇田さんが相対性理論と量子論を結びつけようと
 熟成された創造ではないのですが、
 δは僕が感じたものを文字に表現したものなんです。
 宇田さんは文字を創った事はないと思いますが、
 ですが、上に上げたような
 上級な創造をしているので、
 文字の創造がどんな意味を持っているか
 さっしが付くと思います。
 
 僕が他者に先を行っているとしたら、
 文字の創造の経験を持つという所に限られると思います。
 
 宇田さんも指摘したように、
 δは言ってみただけで具体的な内容は伴わなかったのかも知れません。
 最初の段階では。 
 しかし、今はδに込めた僕の思いが
 その文字から今は感じられるんです。
 
 そこをこそ支点に考えを発展される事が出来れば
 準独創的な事は出来るのではないかと思っています。
 出来不出来は問わず。
 
 今度、会えたら
 僕が本当に文字の創造をしたかの証拠を
 見せる事にします。
 ただδの文字を見せるだけですが。

 僕が意見を述べると宇田さんは答えないけない
 様になってしまうし、 
 ご指摘のように、
 僕の意見はいたずらに返答を長くする所が
 あるみたいなので
 僕の意見は宇田さんの様子を感じながら
 なるべく緩やかに書くことにしますね。

 では、またです。
2007/11/22/21:40 どの部分が僕(宇田)の意見で、どの部分が渡邉さんの意見なのか分かるように、
直してみました。
それと、
途中、僕の意見の文中において、ひらがなの「と」を一文字補いました。


以前述べたように、
どの部分が宇田の意見でどの部分が渡邉さんの意見なのか分かり易いように書いてくれると
助かるのですが。

--------------------直しの結果はここからです----------------
> 宇田さんには
> 例えば力学までしかやっていなければ、
> それ以上の知識を知らなくてよい
> みたいな態度をとられます。
> 確かに、順にやっていかないと分からないし、
> キチンとした理解に到達する事はできない 
> のかも知れませんが、
> 僕は、それは違うと思うんです。

< そりゃあ、絶対に違わない、とは言えません。
< 何事にも絶対という事はありませんし、
< 天才というのは、
< 絶対に有り得ないとは言えないけれど非常にありそうにない事を突く者です。
< しかし、僕が今まで渡邉さんを見てきた限りにおいては、
< 渡邉さんの挙動は、そういう例外領域に踏み込んでいませんでした。

< 僕は、渡邉さんに対して、白雪姫の物語に出て来る鏡、のごとき態度を取っています。
< 評価すべき点を見出すように可能な限り努力はしているのですが、
< 今までの所、渡邉さんには顕著なものが見出せません。

< 順番にやらなくても結果を先取りできる人はいるでしょう。
< 僕にはそういう所があったかもしれません。
< しかし、今まで僕が観察した限りは、渡邉さんにはそういうところがありません。

< あって欲しいと願っているのですが。

< 僕に認めさせる何かを見せてくれると、即評価しますよ。

< 僕の場合、何回も繰り返しボタンを押すと誤作動して高く評価する、
< という事もありません。

< また書きます。


 返信、有り難うです。
 しばらく返信しないのかと思っていました。
 宇田さんは、期間をあけて集中的にメールを書いてくるんじゃないかと思い
 僕は、それでは、細かなやり取りが僕に取って出来にくいと思ったんです。
 だから、有り難うです。

 宇田さんの言う「何事も絶対ということはない部分」
 に僕が期待しても、それは違うと今は思っています。
 勉強もせずに、人より先の知見を述べる事は
 ほぼ不可能だと。
 
 しかし、僕の中で
 δは明らかに創造なのです。
 宇田さんが相対性理論と量子論を結びつけようと
 熟成された創造ではないのですが、
 δは僕が感じたものを文字に表現したものなんです。
 宇田さんは文字を創った事はないと思いますが、
 ですが、上に上げたような
 上級な創造をしているので、
 文字の創造がどんな意味を持っているか
 さっしが付くと思います。
 
 僕が他者に先を行っているとしたら、
 文字の創造の経験を持つという所に限られると思います。
 
 宇田さんも指摘したように、
 δは言ってみただけで具体的な内容は伴わなかったのかも知れません。
 最初の段階では。 
 しかし、今はδに込めた僕の思いが
 その文字から今は感じられるんです。
 
 そこをこそ支点に考えを発展される事が出来れば
 準独創的な事は出来るのではないかと思っています。
 出来不出来は問わず。
 
 今度、会えたら
 僕が本当に文字の創造をしたかの証拠を
 見せる事にします。
 ただδの文字を見せるだけですが。

 僕が意見を述べると宇田さんは答えないけない
 様になってしまうし、 
 ご指摘のように、
 僕の意見はいたずらに返答を長くする所が
 あるみたいなので
 僕の意見は宇田さんの様子を感じながら
 なるべく緩やかに書くことにしますね。

 では、またです。
-----------------直しの結果はここまでです------------------------


もとになるメールの内容は以下のごとくです。

> > >  宇田さんには>  例えば力学までしかやっていなければ、
> >  それ以上の知識を知らなくてよい
> >  みたいな態度をとられます。
> >   
> >  確かに、順にやっていかないと分からないし、
> >  キチンとした理解に到達する事はできない 
> > >  のかも知れませんが、
> >  僕は、それは違うと思うんです。
> > そりゃあ、絶対に違わない、とは言えません。
> > 何事にも絶対という事はありませんし、
> > 天才というのは、
> > 絶対に有り得ないとは言えないけれど非常にありそうにない事を突く者です。
> > しかし、僕が今まで渡邉さんを見てきた限りにおいては、
> > 渡邉さんの挙動は、そういう例外領域に踏み込んでいませんでした。
> >
> > 僕は、渡邉さんに対して、白雪姫の物語に出て来る鏡、のごとき態度を取っています。
> > 評価すべき点を見出すように可能な限り努力はしているのですが、
> > 今までの所、渡邉さんには顕著なものが見出せません。
> >
> > 順番にやらなくても結果を先取りできる人はいるでしょう。
> > 僕にはそういう所があったかもしれません。
> > しかし、今まで僕が観察した限りは、渡邉さんにはそういうところがありません。
> >
> > あって欲しいと願っているのですが。
> >
> > 僕に認めさせる何かを見せてくれると、即評価しますよ。
> >
> > 僕の場合、何回も繰り返しボタンを押す誤作動して高く評価する、
> > という事もありません。
> >
> > また書きます。
> >
> >
>  返信、有り難うです。
>  しばらく返信しないのかと思っていました。
>  宇田さんは、期間をあけて集中的にメールを書いてくるんじゃないかと思い
>  僕は、それでは、細かなやり取りが僕に取って出来にくいと思ったんです。
>  だから、有り難うです。
>
>  宇田さんの言う「何事も絶対ということはない部分」
>  に僕が期待しても、それは違うと今は思っています。
>  勉強もせずに、人より先の知見を述べる事は
>  ほぼ不可能だと。
>  
>  しかし、僕の中で
>  δは明らかに創造なのです。
>  宇田さんが相対性理論と量子論を結びつけようと
>  熟成された創造ではないのですが、
>  δは僕が感じたものを文字に表現したものなんです。
>  宇田さんは文字を創った事はないと思いますが、
>  ですが、上に上げたような
>  上級な創造をしているので、
>  文字の創造がどんな意味を持っているか
>  さっしが付くと思います。
>  
>  僕が他者に先を行っているとしたら、
>  文字の創造の経験を持つという所に限られると思います。
>  
>  宇田さんも指摘したように、
>  δは言ってみただけで具体的な内容は伴わなかったのかも知れません。
>  最初の段階では。 
>  しかし、今はδに込めた僕の思いが
>  その文字から今は感じられるんです。
>  
>  そこをこそ支点に考えを発展される事が出来れば
>  準独創的な事は出来るのではないかと思っています。
>  出来不出来は問わず。
>  
>  今度、会えたら
>  僕が本当に文字の創造をしたかの証拠を
>  見せる事にします。
>  ただδの文字を見せるだけですが。
>
>  僕が意見を述べると宇田さんは答えないけない
>  様になってしまうし、 
>  ご指摘のように、
>  僕の意見はいたずらに返答を長くする所が
>  あるみたいなので
>  僕の意見は宇田さんの様子を感じながら
>  なるべく緩やかに書くことにしますね。
>
>  では、またです。
>  
2007/11/22/22:00 以前の渡邉さんのメールに、自分も天才宣言をしようと思う、という事が書かれていたと思うのですが、

天才として生きる、という事は、

自分の才能の開花の確率を最大にするように努める、という事だ、と思うんです。

だから、当然、勉強でも何でも出来る事は全てやる、という態度が、

天才として生きる、という生き方には含まれる、と思います。

渡邉さんには、そういう所が欠けている気がして、

かと言って、天才として生きる事を薦めるつもりも無いのですが。


渡邉さんから天才宣言という言葉が出て来たので、一応書いときますと、

渡邉さんのδは、良くて天才の種だと思うんです。

天才として生きる、というのは、

人生における他の満足の追求を犠牲にしても、その種を花や実にするまで育てる事を、まず第一にする、

という生き方です。


δの筆跡は、また会った時に、見せられれば見ます。

分野が書道ならば著しく高く評価される可能性はありますが、

分野が書道ならば、僕には評価能力がありません。

分野が数学や物理学ならば、

文字を見る事によって僕の感想が変わる事はありそうにない気がします。


メールは、僕の場合、迅速に返信、というわけには行きませんが、

精一杯、出来るだけの事はしていますので、

それ以上は求めないで下さい。
2007/11/22/22:26 僕の場合、自分を天才だとする自覚は、かなり幼い時期からあった気がします。

たとえば、小学生の頃には既にそう思っていたかもしれません。

しかし、僕の場合、だからと言って、

小学生の時点で学校の先生よりも自分の方が知識が進んでいる、

という風に思ったりはしませんでした。

その頃の僕がどういう風に考えたかと言うと、

自分が先生と同じ年齢に成った時には先生を超えているようにしよう、

という風に思いました。

そして、今でもそうです。

今でも僕は、自分に欠けている事(今後読解すべき文献)を常に気にかけています。

才能は有っても、このような意識の持ち方が欠けている人は、成功しない気がします。

学生時代に、僕は、

量子力学の練習問題に対する自分の解答の欠陥を見付けて、

「ああ、私の理論が」という風に嘆息した人を見た事があります。

その事だけで、その人は一人では学問を成就する事が出来ないはずだ、

だから、この人では僕には勝てない、

と僕には分かりました。

練習問題の解答は、とうてい理論と呼ぶほど大げさなものではないからです。

その時点での学力だけ比較すれば、その人の方が僕よりも上だったのでしょうけれど、

文化の最高水準に、まだ達していない、とか、もう達した、とか、感じる力が無いと、

せっかくの才能を無駄にしてしまうのがおちです。

そういう人がたくさん居るんだと思います。
2007/11/23/12:04  訂正有り難うです。
 僕の書き方のダメな所を指摘して
 直して下さって。
 
 文章を書く意識が段々に付いてきて
 宇田さんへの文章が支離滅裂で無くなると良いなと思っています。

 ただ、宇田さんが労力を使って返信して下さっている
 という点が気になります。
 宇田さんは、優し過ぎる気がします。

 文章がなっていないから、書き直して下さい。
 と指摘して下さるだけでも、
 十分な対応だと思いますから、今度文章がなっていなかったら
 上の様に書くだけに止めて、
 文章が直るのを待って下さって貰って
 良いのです。

 宇田さんの負担を消すためにもそうしたいと思っています。  
 

  
 宇田さんの意見というか考えは分かりました。

 僕は以前宇田さんに天才の宣言をしましたが、
 僕はそれは自己を過大評価して貰うためにしていた気がします。
 
 僕は前のメールに書いたように、
 δしかないのですが、
 要するにδしか人より誇れる部分がないのです。
 
 だから、宇田さんの言うように
 天才ならば、目指すところへ行くまで
 必死で努力するというてんが僕には足りない
 とうか無い。
 ご指摘の通りです。

 だから、意見が人から伝達されて来ること以上の意見を
 言える事が無いんだと思います。

 これでは、嫌だと思い。
 それこそ、必死になって勉強すれば実る可能性もある
 という宇田さんのアドバイスも聞き流す始末です。
 
 僕の現状は、言ってみて満足するだけの生活です。
 これでは、郁夫は、口だけだと言われても
 そうではないと、
 返答する事が出来ないですよね。
 
 今、またやる気が出てきて、
 問題を解く事を始めましたが、
 それも、昨日の事なので、
 どれだけ続くかも考慮しないと
 
 僕は宇田さんに勉強しているなど
 とは言えないんですよね。
 
 
 
 話を戻します。
 
 天才でると宣言する事は僕には不可能なことの様に思います。
 僕は凡人よりも劣る愚人なのです。
 
 これは事実でして、
 明らかに、僕の日常の動きを見ていても分かります。

 なので、僕は天才です。
 というのを、取り消して欲しいと思っています。
 
 僕は宇田さんがどれだけ、
 物理学に従事して来たか
 他の出来る人がどれだけ、
 物理学に専念して来たか
 を少しだけ考えてみるだけでも
 僕にはその様な努力をするだけの忍耐力がないと
 断言せざるを得ないと思っています。
 
 出来る人の出来る事が
 分かったと前に言いましたよね。
 その出来るという事が
 どんな努力をした結果なのか
 と言うことを、自分なりに推測するだけでも
 それを自分の場合に置き換えて考えてみるだけでも
 自分が勉強をする意識が
 諦めに変わって行くのを感じます。

 僕はその程度の人間だと言って
 自分を守ろうとしているんです。

 やってみもせずに…

 これを読んで宇田さんが
 がっかりする気がします。
 僕は努力を放棄するのかって

 自分もここまで自分のことを振り返ってみると
 負けるもんかと歯を食いしばりたくなる気もするんです。
 
 しかし、続けて勉強する事が出来ない
 という過去の事実に圧倒されるのです。
2007/11/23/22:53 >  天才でると宣言する事は僕には不可能なことの様に思います。
>  僕は凡人よりも劣る愚人なのです。
>  
>  これは事実でして、
>  明らかに、僕の日常の動きを見ていても分かります。
>
>  なので、僕は天才です。
>  というのを、取り消して欲しいと思っています。
>  
>  僕は宇田さんがどれだけ、
>  物理学に従事して来たか
>  他の出来る人がどれだけ、
>  物理学に専念して来たか
>  を少しだけ考えてみるだけでも
>  僕にはその様な努力をするだけの忍耐力がないと
>  断言せざるを得ないと思っています。
>  
>  出来る人の出来る事が
>  分かったと前に言いましたよね。
>  その出来るという事が
>  どんな努力をした結果なのか
>  と言うことを、自分なりに推測するだけでも
>  それを自分の場合に置き換えて考えてみるだけでも
>  自分が勉強をする意識が
>  諦めに変わって行くのを感じます。
>
>  僕はその程度の人間だと言って
>  自分を守ろうとしているんです。
>
>  やってみもせずに…
>
>  これを読んで宇田さんが
>  がっかりする気がします。
>  僕は努力を放棄するのかって
>
>  自分もここまで自分のことを振り返ってみると
>  負けるもんかと歯を食いしばりたくなる気もするんです。
>  
>  しかし、続けて勉強する事が出来ない
>  という過去の事実に圧倒されるのです。
>  


なるほど、そう言われてしまうと、何と言って良いのか・・・

まず言える事は、渡邉さんは潔いですね、ということだと思います。

自分のことを過小評価するのももったいない事なのですが、

渡邉さんの自己評価がそれだったとしても、僕がトヤカク言う事ではない気がします。

どうも、僕に伝えたい事の主な部分については、

話が終わった感じに成りましたが、

また、他に何かあれば、いつでも、気兼ね無く言って下さい。
2007/11/24/19:40 >
> なるほど、そう言われてしまうと、何と言って良いのか・・・
>
> まず言える事は、渡邉さんは潔いですね、ということだと思います。
>
> 自分のことを過小評価するのももったいない事なのですが、
>
> 渡邉さんの自己評価がそれだったとしても、僕がトヤカク言う事ではない気がします。
>
> どうも、僕に伝えたい事の主な部分については、
>
> 話が終わった感じに成りましたが、
>
> また、他に何かあれば、いつでも、気兼ね無く言って下さい。
>
>

 自己評価はかなり正確に自分を見ることが出来ての評価なので
 かなり妥当だと思っています。
 
 かと言って、やはり、自分の自己評価を悔しく思います。
 自分の等身大を伝えたつもりですが、
 過小評価するのはもったいない事なのですが、
 という宇田さんの表現(上手い言い方が見あたらない)を
 聞き、奮起出来れば良いです。

 当面の目標は高校レベルの数学、英語をマスターする事にしぼり、
 地道にコツコツやって行ければと思っています。

 宇田さんには最新の物理学事情を聞ければ幸いです。

 決して、自分が最初にそれに気付いたよ的な返答をしないように
 (誰にでもです)
 心がけて、出所を必ず伝えられる様に心配りが出来るように
 気を付けて行きたいと思うので、
 無理のない範囲で、宇田さんの物理観を聴きたいです。
 
 宇田さんの当面の試みとしては、
 相対性理論と量子論を統括する理論の文法なのでしょうか?

 自分は、何が困難なのか分かりませんが、
 ウラン原子模型を用いて最大限、好き勝手に、想像を膨らませると
 量子論的な部分、例えば、粒子性と波動性について
 を反映させるような、実在論的な描象は出来まいか?
 と考え、自分なりの感触として現代的な描象を用いる事により、
 粒子性と波動性を併せ持つ
 実在論的な描象を描けると期待してるんですが、
 宇田さんは現代的な実在論でそう言った描象を描けると思いますか?


 補足説明 現代的な実在論とは、
      例えば、宇田さんが伝えてくれた、
      量子状態には実数分布図と虚数分布図の二重性を
      併せ持った図が現実なんじゃないか?
      という考えに似ています。

      粒子性の図と波動性の図を併せ持つ図を想像する視点を
      古典的でないという意味において(二重に見ると言う点で)
      現代的な実在論と言う表現にさせて貰いました。
  

 宇田さんは、補足説明に書いた様な現実観を持っているんですよね?
 間違って解釈していたらごめんなさい。
 
 大体は宇田さんの量子の現実観に似たものですが、
 原子の、例えば、電子の様な点粒子と見なせるものは、
 量子論の不確定性さを無視した古典粒子的な像を
 用いて描いた図に粒子性と波動性を加味した図を
 (まだ図には要素がある気がしますが)
 僕は現実的な原子模型だと考えるんですが、
 宇田さんはどう思いますか?
 
 ここが、まずいと言う点が有ったら、
 手厳しく批判して下さい。
 また、意味が不明だと言う点が有ったら、
 これまた、手厳しく指摘して下さい。

 返信は、時間が掛かりそうだと思ったら、
 宇田さんが、時間的に余裕のある時で良いので
 返信して下されば、有り難いです。
2007/12/01/19:42  宇田さんに、最新の物理学事情を聴くのを止めにしようと思っています。
 と、言うのも、何の労もせずに聴くことは、
 宇田さんの業績に触れる事であり、好ましくない事だと思い直しました。
 
 宇田さんには、出来れば、物理学正典でお世話になるにして、
 今は、コツコツと、
 高校レベルの数学と英語を
 身に付けて行ければ良いと思っています。

 愚人であるがゆえに人より時間掛かるのでしょうし。
 そう言う、努力を地道にしようと思っています。
 時間は相当掛かるだろうけど、興味がある分野なので
 続けて行ければ幸いです。

 陰ながら、宇田さんも応援して下さい。

 また、成長したら、話付き合って下さい。
 では、宇田さんの今後のご検討を祈っています。
 
 追伸 宇田さんのコミュニティーのメール配信を希望して
 読んでいますが、気になったと言うか
 意見が言えると思う箇所があったので、自分の意見を

 宇田さんは高校の入試でボールが無限回弾んだ滞空時間の合計を
 求める問題の無限ってなんだ??
 と言う問いを前々から持っていたと、
 無限の話を宇田さんとした時に話していましたよね。

 思うに、現実では、無限回衝突すると言う事は起こらないでしょう。
 有限回のうちに、ボールは落ち着くと言うのが普通の考えですよね。

 無限回衝突すると言うことは、
 あくまでも、理想化された思考実験の範囲で起こる
 事と思います。
 数学的というか、実無限的な考えにたった解答なら、
 無限級数の和という答えが待っていますが、
 可能無限的には、
 理想化された思考実験においても、
 極限の概念を用いずに、
(極限の概念を用いないとは極限においてある値に定まるとする点です)
 限りなく、 
 滞空時間はある数に近づくと言う表現にならないとおかしい
 気がします。

 極限である値に定まると言う段階になると、
 可能無限でなくて、実無限観であると思います。
 
 最後に、そもそも、ボールの弾性衝突は有限回
 しかも衝突回数は思ったよりも少ないと言うのが
 正しい答えの様に感じます。

 つまり、無限回衝突したと言うのは、
 あくまでも、単純化され理想化された思考実験の範疇に入ると思います。

 以上です。
 追伸が長くなってしまって申し訳ありません。
2007/12/10/16:45 >  当面の目標は高校レベルの数学、英語をマスターする事にしぼり、
>  地道にコツコツやって行ければと思っています。


渡邉さんが、絶対にそうする、と決めているのなら、それで構いませんが、
もし、どうしようか迷っている部分があるならば、
高校数学は良いのですが、英語は、高校英語ではなく、中学英語で十分です。
物理学や数学を学ぶための英語としては。
中学英語をやり終えたら、その後は、いきなり英語で書かれた数学書や物理学書を読むと、
必要な英語力はつきます。
逆に、そうしないと、文系の高校英語をやっても、理系の英語の専門書は読めるようになりません。

それから、気に成るのは、いくらユックリやっても良いのですが、
同じ所で足踏みをするのは良くありません。
渡邉さんが高校の数学をやろうと思う、というのは、もう何年も前から言ってる事なので、
まだそれを言っている点が気に成ります。
一度やったところは、まだ気に成る事が残っていても、次に進むべきです。
そうした後で、昔気に成っていた事というものを考え直せば良いです。
高校数学に何年かかっても良いのですが、
何年経っても、これからやろうと思っている、という状態に留まっているのは、良くありません。


>  宇田さんの当面の試みとしては、
>  相対性理論と量子論を統括する理論の文法なのでしょうか?


相対性理論との整合性も考えつつやっていますが、
直接的には、量子論の事だけを考えて、
量子論の既存の文法を拡張した新しい文法です。


>  宇田さんは現代的な実在論でそう言った描象を描けると思いますか?


あれ?渡邉さん、この話は、前にもしませんでしたか?
場の量子論がそういう描像を提供する、と普通は考えられます。
異論の余地はあると思うけど。

波動関数の図は、実部と虚部を両方描いても、波動性のみで粒子性を表現できていません。
量子力学における粒子性というものは、位置測定においてのみ顕現し、
測定が行なわれていない瞬間については、波動性のみが顕現します。

場の量子論は、粒子性と波動性の両方を表現しきっている、と普通は言われますが、
このときの粒子性は、上に書いた意味での量子力学で言う粒子性とは違います。
その面、僕にも良くわからない部分があります。


>  宇田さんは、補足説明に書いた様な現実観を持っているんですよね?


大雑把に言って、僕の観点は、量子力f学で言うと、
たとえば電子は波動であって粒子ではない、
粒子と見なされる状態は非ゼロ領域が1点にまで縮んだ特殊な波動である、
という考えです。
量子場についても、いわゆる場の量子状態が客観的なものだと思っています。
僕は、そういう立場ですが、こういう問題は決着がついてなくて、
本当の事は誰にも分からない面があります。


> ・・・
>  僕は現実的な原子模型だと考えるんですが、
>  宇田さんはどう思いますか?


その図を数学関数などの数学概念で書いてくれれば僕にも何とか言えます。
2007/12/10/16:58 > 最後に、そもそも、ボールの弾性衝突は有限回
> しかも衝突回数は思ったよりも少ないと言うのが
> 正しい答えの様に感じます。

>  つまり、無限回衝突したと言うのは、
>  あくまでも、単純化され理想化された思考実験の範疇に入ると思います。


そうですね。
実際にボールを弾ませて実験すると、そうなるでしょう。


では、計算の前提に使った条件のどれが、非現実的だったのでしょうか?


実際のボールや床は、その条件を満たしていないために、
計算どおりには運動しない、という事に成りますが、
では、その条件を実際のボールが満たす事は、
如何なる理由によって不可能なのでしょうか?


渡邉さん、こういう話をすれば良いんです。
研究の動向の最先端の用語や概念についてでなくても、
高校物理を勉強中には、高校物理の範囲内で、
なにか自分独自のものを考え出せないか、
そういう風な思考法が大切です。
それは、不可能なぐらい難しいけれど、
最新の概念についても、新しい事を考え出すのは、
同じぐらい難しいですよ。
2007/12/10/20:06 >
>>  当面の目標は高校レベルの数学、英語をマスターする事にしぼり、
>>  地道にコツコツやって行ければと思っています。
>
> 渡邉さんが、絶対にそうする、と決めているのなら、それで構いませんが、
> もし、どうしようか迷っている部分があるならば、
> 高校数学は良いのですが、英語は、高校英語ではなく、中学英語で十分です。
> 物理学や数学を学ぶための英語としては。
> 中学英語をやり終えたら、その後は、いきなり英語で書かれた数学書や物理学書を読むと、
> 必要な英語力はつきます。
> 逆に、そうしないと、文系の高校英語をやっても、理系の英語の専門書は読めるようになりません。

>

 そうなんですか、高校の英語はやらなくて良いんですね。
 中学英語を身に付けられる教材を探してみます。


> それから、気に成るのは、いくらユックリやっても良いのですが、
> 同じ所で足踏みをするのは良くありません。
> 渡邉さんが高校の数学をやろうと思う、というのは、もう何年も前から言ってる事なので、
> まだそれを言っている点が気に成ります。
> 一度やったところは、まだ気に成る事が残っていても、次に進むべきです。
> そうした後で、昔気に成っていた事というものを考え直せば良いです。
> 高校数学に何年かかっても良いのですが、
> 何年経っても、これからやろうと思っている、という状態に留まっているのは、良くありません。
>

 高校では数学は得意分野だったので、数学IⅡABは修了済みと判断しますね。
 選択科目になっていた数学ⅢCだけはまだキチンとやった事が無いので、
 しっかり参考書で学習する事にします。

 ご指導有り難う御座います。 
 
>
>>  宇田さんの当面の試みとしては、
>>  相対性理論と量子論を統括する理論の文法なのでしょうか?相対性理論との整合性も考えつつや
っていますが、

> 直接的には、量子論の事だけを考えて、
> 量子論の既存の文法を拡張した新しい文法です。
>
>>  宇田さんは現代的な実在論でそう言った描象を描けると思いますか?
>
> あれ?渡邉さん、この話は、前にもしませんでしたか?
> 場の量子論がそういう描像を提供する、と普通は考えられます。
> 異論の余地はあると思うけど。
>
 
 これなんですが、宇田さんから前回聞けたのは、
 量子力学が前進しても、実在論的な描像は描けるのか?
 という事だったと思います。
 
 今回は、自分が好き勝手に実在論的なものを
 自分が、思い描いている事が必ずしも間違いではないと
 聞きたかったんです。
 
 ですが、これは下にあるように
 その図と、数学関数などの表現を用いないと分からない話ですよね。


> 波動関数の図は、実部と虚部を両方描いても、波動性のみで粒子性を表現できていません。
> 量子力学における粒子性というものは、位置測定においてのみ顕現し、
> 測定が行なわれていない瞬間については、波動性のみが顕現します。
>
 そうなんですか><
 波動性は描かれているが、粒子性は
 描かれていないんですね。
 
 僕は、粒子の虚部的なイメージを膨らましていました。
 でも、それは、完全な誤りだと言われると
 なんか、言いたくなるんですが…
 

> 場の量子論は、粒子性と波動性の両方を表現しきっている、と普通は言われますが、
> このときの粒子性は、上に書いた意味での量子力学で言う粒子性とは違います。
> その面、僕にも良くわからない部分があります。
>
 
 そうですか、宇田さんくらい勉学に励んでもまだ分からない事があるんですね。
 
>
>>  宇田さんは、補足説明に書いた様な現実観を持っているんですよね?
>
> 大雑把に言って、僕の観点は、量子力学で言うと、
> たとえば電子は波動であって粒子ではない、
> 粒子と見なされる状態は非ゼロ領域が1点にまで縮んだ特殊な波動である、
> という考えです。
> 量子場についても、いわゆる場の量子状態が客観的なものだと思っています。
> 僕は、そういう立場ですが、こういう問題は決着がついてなくて、
> 本当の事は誰にも分からない面があります。
>
>

 誰にも分からない面があります。という事は深い意味があるんですよね。
 現実を見れる人は居ないという事なんでしょうか。
  
 ただ、自分なりに
 この箇所だからこそ、矛盾が起きない様に
 人それぞれの現実観が許されるんじゃないか?
 と期待してしまうんです。 

>>  ・・・
>>  僕は現実的な原子模型だと考えるんですが、>  宇田さんはどう思いますか?
>
> その図を数学関数などの数学概念で書いてくれれば僕にも何とか言えます。
>
>
>
 その図の原形は、
 雑誌ニュートンのウラン原子模型が起源です。
 そこに、なにかしらを付け加えて行くと
 図が描かれると思うんですが、
 私には図を完成させるに至っていません。

 それと、数学的な概念の具体的な指定は出来ないです。
 ここで、δが出てくるんですが、
 δは人に説明出来る力が僕には今は無いので、
 宇田さんの意見を聴ける段階ではないという事だと思いました。
2007/12/10/20:19 >
> 最後に、そもそも、ボールの弾性衝突は有限回
> しかも衝突回数は思ったよりも少ないと言うのが
> 正しい答えの様に感じます。
>  つまり、無限回衝突したと言うのは、
>  あくまでも、単純化され理想化された思考実験の範疇に入ると思います。
>
> そうですね。
> 実際にボールを弾ませて実験すると、そうなるでしょう。
>
>
> では、計算の前提に使った条件のどれが、非現実的だったのでしょうか?
>

 無限回弾んで、ボールが静止するとう前提ではないでしょうか? 

>
> 実際のボールや床は、その条件を満たしていないために、
> 計算どおりには運動しない、という事に成りますが、
> では、その条件を実際のボールが満たす事は、
> 如何なる理由によって不可能なのでしょうか?

 これは、一回目と弾んだ時に、地面とボールがクッションの様な
 役割をして、ボールの運動エネルギーを消していくというのでは
 ダメなんでしょうか?
 
>
> 渡邉さん、こういう話をすれば良いんです。

 そうですね。自分の意見をキチンと述べる事が出来ますからね。

> 研究の動向の最先端の用語や概念についてでなくても、
> 高校物理を勉強中には、高校物理の範囲内で、
> なにか自分独自のものを考え出せないか、
> そういう風な思考法が大切です。
> それは、不可能なぐらい難しいけれど、
> 最新の概念についても、新しい事を考え出すのは、
> 同じぐらい難しいですよ。
>
>
 でも、宇田さんはやってのけているんですよね。
 その形が物理学正典だったり
 古典物理学だったりするんですね。

 二通のメールを読んで思うのは、
 キチンと順を追って行けば、
 能力がキチンと身に付くと言う事ですね。
 
 途中をすっ飛ばして、最先端にだけ
 興味を持ってその話だけをするのは
 順を追っていないから、
 おやめなさいと言う事なんですね。

 学習を諦めず、少しでも良いから前進すれば、
 何時かは、現代物理が分かる日もくると思って
 地道にやって行こうと思いました。

>
2007/12/14/18:21  数学Ⅱの指数関数と対数関数とあたり
 それに数学Bの複素平面はまだ未習だった事が分かりました。

 行列や極限に入って学習していたんですが、
 まだでした。
 
 それと、数学Cは数列やった後、
 いろいろな曲線をやった後は
 コンピューターの分野が大部分しめていたんですが
 入力の仕方とかはやらなくても大丈夫ですよね?

 数学はケアレスミスで解ききれない問題も多々あるんですが、
 基本問題自体は理解できるのではと言う感じです。
 
 まだ、英語は中学英語の教材を見つけていないですが
 推薦出来る教材とかって有ったら教えて欲しいです。

 それと、前回のメールで宇田さんのとらえ方が分かったんではと
 思っています。なので、自分のイメージも面白いものになってきたと思い
 雑誌ニュートンのウラン原子模型を見て想像して
 楽しむことが出来き、これも宇田さんが
 正確な情報を教えてくれているからだと思いました。


 δについて少し

 δは人間が対象を捉えようとする作用
 例えば、リンゴが一個あるとかを
 もっと深く、リンゴが一個あると捉えるには、
 数の概念がキチンと整理して理解できていない
 
 交換法則、結合法則、分配法則の三法則を持っている
 と言うことを把握していない数感覚の持ち主だった時

 数めいた事をどう捉えているのかと言う所に辿り着きました。
 
 それは、未開の人が1、2の次はたくさん、たくさんと表現する様に
 1でも、たくさんと捉えるのに似ています。

 ここで、たくさんを
 僕は無限と捉えて、
 あれも、これも、無限である。  
 リンゴも無限、みかんも無限と捉えて
 その無限に差異は無いと考えました。

 それでは、数を把握できないではないか?
 と思われるんですが、
 数の概念確立以前と言う話をしていると思って下さい。

 そこでは、唯一一つの無限です。
  
 そこに、等しいとか多いとかの概念を導き出す所から、 
 数の概念が派生すると考えるんです。

 その数の概念が派生した段階を
 僕は1を無限と捉えたのですから 
 2、3も無限と捉えるのが自然の流れです。

 そこでは、無限は無限の差異があるんです。

 あと、前に僕が主張していた中に、
 現代集合論の無限観が入った
 
 無限に段階があると言うものですが、
 これは、数概念の拡張とも言えるものなので、
 僕の考えに自然と付随されて行くものと思います。

 ここまで、書いて言いたかったのは、
 数の概念の確立以前の状態で思考する事は、
 数の概念が確立されてから、思考するのと同等な重要性が
 あると思っています。
  
 その数の概念確率以前の所から数概念を創り出す操作が、
 そこを、意識していると
 数をより高い立場から考察出来ると思うんです。

 また、長くなってしまいましたが、
 僕の言っている事って
 宇田さんにも伝わりましたか?

 宇田さんの貴重な意見をお聞かせ下されば、幸いです。
2007/12/16/18:19  宇田さんが、音の成分が正弦波が基本となっている
 フリーエ解析で全ての音を表現できるが
 (少し言い過ぎました)
 ノコギリ波でも同じ事が出来るのでは?
 と言うことですが、正弦波で音を解析するのは
 円が基調だった名残りでは無いでしょうか?

 正弦波を用いても、
 解析できない関数があると聞きます。
 だから、ノコギリ波でも
 解析できない関数が出てくる事が予想されますが、
 ノコギリ波の場合の方が、
 解析出来ない関数が増えるんじゃないか?
 とも思えるんです。

 詳細は分かりませんが…。
 
 でも、ノコギリ波でも関数解析は出来ると思います。
 宇田さんは十分推測して、ノコギリ波でも
 フーリエ解析みたいなノコギリ解析が出来ると言っているんですよね。
 
 普通は気がつかないけど、
 言われてみれば、それもそうかなと思える所に気づけるのは
 基礎的な問題でも、追求すれば、 
 新しい見解に到達できるという具体例だと思い
 宇田さんは文法主義(合っているかな><)
 を実践しているんだなと思っています。

 さらなる、発見が出来ると楽しいですよね。
 何事も、僕の場合、あれこれとアイデアが出てくる
 状態が楽しくって
 その状態がやってくるのを楽しみにしています。

 宇田さんも、そう言う創造の部分が楽しくって
 物理学を極めようとしているんですか?
2007/12/17/19:43  宇田さんへ、僕が古典物理学および物理学正典を批判した件の
 宇田さんの僕に対する批判が途中で止まってしまっていると思います。

 引き続き、必要があれば、メール下さい。
2007/12/21/17:30 下記の件について、言い残した事が有ったと思いますが、

今は具体的には思い出せません。

今後、渡邉さんのメールを読んでいるときに、それを見て思い出して必要を感じたら、

そのときに書きたいと思います。

あの件に関しては、僕の頭の中では非常に多数の事項が錯綜していて、

それらの全てを盛り込みつつ整理して意見を書くのは難事でした。

そのため、その作業を途中でやめてしまった、という事を、

ぼんやり覚えている程度で、

具体的には、今は、覚えていません。

今日は、もう一通程度書きます。

>  宇田さんへ、僕が古典物理学および物理学正典を批判した件の
>  宇田さんの僕に対する批判が途中で止まってしまっていると思います。
>
>  引き続き、必要があれば、メール下さい。
2007/12/21/17:50 < <  当面の目標は高校レベルの数学、英語をマスターする事にしぼり、
< <  地道にコツコツやって行ければと思っています。


> 渡邉さんが、絶対にそうする、と決めているのなら、それで構いませんが、
> もし、どうしようか迷っている部分があるならば、
> 高校数学は良いのですが、英語は、高校英語ではなく、中学英語で十分です。
> 物理学や数学を学ぶための英語としては。
> 中学英語をやり終えたら、その後は、いきなり英語で書かれた数学書や物理学書を読むと、
> 必要な英語力はつきます。
> 逆に、そうしないと、文系の高校英語をやっても、理系の英語の専門書は読めるようになりません。


 そうなんですか、高校の英語はやらなくて良いんですね。
中学英語を身に付けられる教材を探してみます。


> それから、気に成るのは、いくらユックリやっても良いのですが、
> 同じ所で足踏みをするのは良くありません。
> 渡邉さんが高校の数学をやろうと思う、というのは、もう何年も前から言ってる事なので、
> まだそれを言っている点が気に成ります。
> 一度やったところは、まだ気に成る事が残っていても、次に進むべきです。
> そうした後で、昔気に成っていた事というものを考え直せば良いです。
> 高校数学に何年かかっても良いのですが、
> 何年経っても、これからやろうと思っている、という状態に留まっているのは、良くありません。


 高校では数学は得意分野だったので、数学IⅡABは修了済みと判断しますね。
 選択科目になっていた数学ⅢCだけはまだキチンとやった事が無いので、
 しっかり参考書で学習する事にします。

 ご指導有り難う御座います。 
 

< <  宇田さんの当面の試みとしては、
< <  相対性理論と量子論を統括する理論の文法なのでしょうか?


> 相対性理論との整合性も考えつつやっていますが、
> 直接的には、量子論の事だけを考えて、
> 量子論の既存の文法を拡張した新しい文法です。


< <  宇田さんは現代的な実在論でそう言った描象を描けると思いますか?


> あれ?渡邉さん、この話は、前にもしませんでしたか?
> 場の量子論がそういう描像を提供する、と普通は考えられます。
> 異論の余地はあると思うけど。

 
 これなんですが、宇田さんから前回聞けたのは、
 量子力学が前進しても、実在論的な描像は描けるのか?
 という事だったと思います。

 今回は、自分が好き勝手に実在論的なものを
 自分が、思い描いている事が必ずしも間違いではないと
 聞きたかったんです。
 
 ですが、これは下にあるように
 その図と、数学関数などの表現を用いないと分からない話ですよね。


> 波動関数の図は、実部と虚部を両方描いても、波動性のみで粒子性を表現できていません。
> 量子力学における粒子性というものは、位置測定においてのみ顕現し、
> 測定が行なわれていない瞬間については、波動性のみが顕現します。


 そうなんですか><
 波動性は描かれているが、粒子性は
 描かれていないんですね。

 
 僕は、粒子の虚部的なイメージを膨らましていました。
 でも、それは、完全な誤りだと言われると
 なんか、言いたくなるんですが…
 

> 場の量子論は、粒子性と波動性の両方を表現しきっている、と普通は言われますが、
> このときの粒子性は、上に書いた意味での量子力学で言う粒子性とは違います。
> その面、僕にも良くわからない部分があります。

 
 そうですか、宇田さんくらい勉学に励んでもまだ分からない事があるんですね。
 

< <  宇田さんは、補足説明に書いた様な現実観を持っているんですよね?


> 大雑把に言って、僕の観点は、量子力学で言うと、
> たとえば電子は波動であって粒子ではない、
> 粒子と見なされる状態は非ゼロ領域が1点にまで縮んだ特殊な波動である、
> という考えです。
> 量子場についても、いわゆる場の量子状態が客観的なものだと思っています。
> 僕は、そういう立場ですが、こういう問題は決着がついてなくて、
> 本当の事は誰にも分からない面があります。


 誰にも分からない面があります。という事は深い意味があるんですよね。
 現実を見れる人は居ないという事なんでしょうか。
  
 ただ、自分なりに
 この箇所だからこそ、矛盾が起きない様に
 人それぞれの現実観が許されるんじゃないか?
 と期待してしまうんです。 


< < ・・・
< <  僕は現実的な原子模型だと考えるんですが、宇田さんはどう思いますか?


> その図を数学関数などの数学概念で書いてくれれば僕にも何とか言えます。


 その図の原形は、
 雑誌ニュートンのウラン原子模型が起源です。
 そこに、なにかしらを付け加えて行くと
 図が描かれると思うんですが、
 私には図を完成させるに至っていません。

 それと、数学的な概念の具体的な指定は出来ないです。
 ここで、δが出てくるんですが、
 δは人に説明出来る力が僕には今は無いので、
 宇田さんの意見を聴ける段階ではないという事だと思いました。
 
 


------------------------------------------------------------------

特に、太字の部分を気を付けて下さい。
もとになるメールは、以下です。

(以下=2007/12/10/20:06)
2007/12/21/18:40 > > >  当面の目標は高校レベルの数学、英語をマスターする事にしぼり、
> > >  地道にコツコツやって行ければと思っています。


< < 渡邉さんが、絶対にそうする、と決めているのなら、それで構いませんが、
< < もし、どうしようか迷っている部分があるならば、
< < 高校数学は良いのですが、英語は、高校英語ではなく、中学英語で十分です。
< < 物理学や数学を学ぶための英語としては。
< < 中学英語をやり終えたら、その後は、いきなり英語で書かれた数学書や物理学書を読むと、
< < 必要な英語力はつきます。
< < 逆に、そうしないと、文系の高校英語をやっても、理系の英語の専門書は読めるようになりません。


> そうなんですか、高校の英語はやらなくて良いんですね。
> 中学英語を身に付けられる教材を探してみます。


中学英語に自信が無いならば、それが良いでしょうけれど、
渡邉さんは、中学卒業までの間に学習が上手く行かなくなった、という事でもあるのですか?
僕は、てっきり、そんな事は無いだろう、と思っていたので、
上の文章では、英語についてはいきなり洋書の読解に入るのが良いですよ、と言ったつもりでした。


< < それから、気に成るのは、いくらユックリやっても良いのですが、
< < 同じ所で足踏みをするのは良くありません。
< < 渡邉さんが高校の数学をやろうと思う、というのは、もう何年も前から言ってる事なので、
< < まだそれを言っている点が気に成ります。
< < 一度やったところは、まだ気に成る事が残っていても、次に進むべきです。
< < そうした後で、昔気に成っていた事というものを考え直せば良いです。
< < 高校数学に何年かかっても良いのですが、
< < 何年経っても、これからやろうと思っている、という状態に留まっているのは、良くありません。


> 高校では数学は得意分野だったので、数学IⅡABは修了済みと判断しますね。
> 選択科目になっていた数学ⅢCだけはまだキチンとやった事が無いので、
> しっかり参考書で学習する事にします。

> ご指導有り難う御座います。


良かったら、単元を列挙した表を作って、
その表のコピーを僕にください。
渡邉さんの報告を聞きながら、僕がその表に印を付け、
渡邉さんが、既に終わったはずの所を、またやろうと思っている、という風に言っていないか、
確認したいと思います。
そういうのを聞くのは、とても嫌ですから。
 
 
> >  宇田さんの当面の試みとしては、
> >  相対性理論と量子論を統括する理論の文法なのでしょうか?


< 相対性理論との整合性も考えつつやっていますが、
< 直接的には、量子論の事だけを考えて、
< 量子論の既存の文法を拡張した新しい文法です。


> > >  宇田さんは現代的な実在論でそう言った描象を描けると思いますか?


< < あれ?渡邉さん、この話は、前にもしませんでしたか?
< < 場の量子論がそういう描像を提供する、と普通は考えられます。
< < 異論の余地はあると思うけど。

 
> これなんですが、宇田さんから前回聞けたのは、
> 量子力学が前進しても、実在論的な描像は描けるのか?
> という事だったと思います。


それは、Wooder!掲示板に僕が書いた事ですね、たぶん。
場の量子論が粒子・波動の二重性を表現し切っている、という話は、
メールでしたのではないでしょうか。 


> 今回は、自分が好き勝手に実在論的なものを
> 自分が、思い描いている事が必ずしも間違いではないと
> 聞きたかったんです。
 
>  ですが、これは下にあるように
>  その図と、数学関数などの表現を用いないと分からない話ですよね。


メールで伝えようとすると、そうですね。
「なにかしらを付け加えて行く」では分かりません。


< < 波動関数の図は、実部と虚部を両方描いても、波動性のみで粒子性を表現できていません。
< < 量子力学における粒子性というものは、位置測定においてのみ顕現し、
< < 測定が行なわれていない瞬間については、波動性のみが顕現します。


>  そうなんですか><
>  波動性は描かれているが、粒子性は
>  描かれていないんですね。


はい、そうです。

 
>  僕は、粒子の虚部的なイメージを膨らましていました。
>  でも、それは、完全な誤りだと言われると
>  なんか、言いたくなるんですが…


複素数の虚部なら分かりますが、「粒子の虚部」という言葉の意味は分かりません。
 

< < 場の量子論は、粒子性と波動性の両方を表現しきっている、と普通は言われますが、
< < このときの粒子性は、上に書いた意味での量子力学で言う粒子性とは違います。
< < その面、僕にも良くわからない部分があります。

 
>  そうですか、宇田さんくらい勉学に励んでもまだ分からない事があるんですね。


はい。
そういう問題は、量子力学の解釈、と呼ばれるジャンルに属する問題で、
実は、大学卒業事の僕は、そういう問題に、ものすごく興味がありました。
大学院に行ったのでは、そういう問題の勉強はやらせてもらえないだろうなあ、
という予測も、僕が大学院に行かなかった理由の一つです。
けれど、今の僕は、その正反対の考えを持っていて、
今僕が提唱している文法主義は、
意味の分からない言葉を意味の分からないままもっと使おう、という主義です。
意味の分からない言葉の意味を明らかにする事が僕の最大の関心事だった時代は、
僕の本「古典物理学」で終りました。
 

> > >  宇田さんは、補足説明に書いた様な現実観を持っているんですよね?


< < 大雑把に言って、僕の観点は、量子力学で言うと、
< < たとえば電子は波動であって粒子ではない、
< < 粒子と見なされる状態は非ゼロ領域が1点にまで縮んだ特殊な波動である、
< < という考えです。
< < 量子場についても、いわゆる場の量子状態が客観的なものだと思っています。
< < 僕は、そういう立場ですが、こういう問題は決着がついてなくて、
< < 本当の事は誰にも分からない面があります。


> 誰にも分からない面があります。という事は深い意味があるんですよね。
> 現実を見れる人は居ないという事なんでしょうか。


結果が出ていない、というだけで、研究している人はたくさんいます。
興味があれば、量子力学の解釈の専門書を将来の学習予定に組み入れれば良いでしょう。
昔は僕もそういうものを勉強する予定でいましたが、
先述したように、今では、興味関心が変化してしまい、そういうものは軽くしか勉強しないつもりです。

  
> ただ、自分なりに
> この箇所だからこそ、矛盾が起きない様に
> 人それぞれの現実観が許されるんじゃないか?
> と期待してしまうんです。 


芸術ではなく、物理学の問題ですから、
何かが答で、それ以外は誤まり、という風に成るのであって、
人それぞれの、という風には行かないでしょう。


> > > ・・・
> > >  僕は現実的な原子模型だと考えるんですが、宇田さんはどう思いますか?


< < その図を数学関数などの数学概念で書いてくれれば僕にも何とか言えます。


> その図の原形は、
> 雑誌ニュートンのウラン原子模型が起源です。
> そこに、なにかしらを付け加えて行くと
> 図が描かれると思うんですが、
> 私には図を完成させるに至っていません。


この情報だけからでは、僕には判断できません。


>  それと、数学的な概念の具体的な指定は出来ないです。
>  ここで、δが出てくるんですが、
>  δは人に説明出来る力が僕には今は無いので、
>  宇田さんの意見を聴ける段階ではないという事だと思いました。


そうですね。
2007/12/22/23:30 > > > 最後に、そもそも、ボールの弾性衝突は有限回
> > > しかも衝突回数は思ったよりも少ないと言うのが
> > > 正しい答えの様に感じます。
> > >  つまり、無限回衝突したと言うのは、
> > >  あくまでも、単純化され理想化された思考実験の範疇に入ると思います。


< < そうですね。
< < 実際にボールを弾ませて実験すると、そうなるでしょう。
< < では、計算の前提に使った条件のどれが、非現実的だったのでしょうか?


>  無限回弾んで、ボールが静止するとう前提ではないでしょうか? 


いいえ、それは前提ではなくて結論です。
前提と言うのは、その結論を導き出すのに使った根拠の事です。


< < 実際のボールや床は、その条件を満たしていないために、
< < 計算どおりには運動しない、という事に成りますが、
< < では、その条件を実際のボールが満たす事は、
< < 如何なる理由によって不可能なのでしょうか?


>  これは、一回目と弾んだ時に、地面とボールがクッションの様な
>  役割をして、ボールの運動エネルギーを消していくというのでは
>  ダメなんでしょうか?
 

その指摘だけでは、
跳ね返り係数が 1 より小さいという設定に成っているが、
それでも駄目なのか?
という反論に答えた事に成りません。


< < 渡邉さん、こういう話をすれば良いんです。


>  そうですね。自分の意見をキチンと述べる事が出来ますからね。


はい。


< < 研究の動向の最先端の用語や概念についてでなくても、
< < 高校物理を勉強中には、高校物理の範囲内で、
< < なにか自分独自のものを考え出せないか、
< < そういう風な思考法が大切です。
< < それは、不可能なぐらい難しいけれど、
< < 最新の概念についても、新しい事を考え出すのは、
< < 同じぐらい難しいですよ。


>  でも、宇田さんはやってのけているんですよね。
>  その形が物理学正典だったり
>  古典物理学だったりするんですね。


はい、そうですね。


>  二通のメールを読んで思うのは、
>  キチンと順を追って行けば、
>  能力がキチンと身に付くと言う事ですね。


読み返してみれば、そういう事も書いてあるかもしれませんが、
特に言いたかったのは、
才能というものは、最後まで勉強してから初めて顕現するものではなく、
途中段階でも、それなりに顕現するものだ、という事です。
歴史上の天才たちには、
途中までしか勉強してない段階での才能の顕現についての逸話がたくさん残されていますね。

 
>  途中をすっ飛ばして、最先端にだけ
>  興味を持ってその話だけをするのは
>  順を追っていないから、
>  おやめなさいと言う事なんですね。


そういうことです。
最先端についてなら、当てずっぽう言っても新しい事を言えるだろう、という楽観的な見込みは間違いだ、
という事も言いたかったです。
最先端でも、途中段階でと同じぐらいに、新しくて正しい事を言い当てるのは難しいです。


>  学習を諦めず、少しでも良いから前進すれば、
>  何時かは、現代物理が分かる日もくると思って
>  地道にやって行こうと思いました。


ありがとうございます。
そうしてください。
2007/12/23/15:32 >  数学Ⅱの指数関数と対数関数とあたり
>  それに数学Bの複素平面はまだ未習だった事が分かりました。
>  行列や極限に入って学習していたんですが、
>  まだでした。


はあ、そうでしたか。

 
>  それと、数学Cは数列やった後、
>  いろいろな曲線をやった後は
>  コンピューターの分野が大部分しめていたんですが
>  入力の仕方とかはやらなくても大丈夫ですよね?


今は、学校で、コンピュータが数学の一部分に成っていますが、
学校から離れて勉強する場合には、
そういう扱いでなくても良いと思います。
つまり、コンピュータは高校数学とは別に勉強する、という事で良いと思います。


>  数学はケアレスミスで解ききれない問題も多々あるんですが、
>  基本問題自体は理解できるのではと言う感じです。


それで良いと思います。
ただし、基本的な問題は、ミス直しまでやるべきです。

 
>  まだ、英語は中学英語の教材を見つけていないですが
>  推薦出来る教材とかって有ったら教えて欲しいです。


「英文法初歩 3 訂版」池田書店という本を僕は買いました。
中学英語はこれが良い、と思っています。


>  それと、前回のメールで宇田さんのとらえ方が分かったんではと
>  思っています。なので、自分のイメージも面白いものになってきたと思い
>  雑誌ニュートンのウラン原子模型を見て想像して
>  楽しむことが出来き、これも宇田さんが
>  正確な情報を教えてくれているからだと思いました。


良く分かりませんが、
僕のアドヴァイスが、渡邉さんが楽しむための助けに、成っているなら、
それは、僕にとっても喜びです。


>  δについて少し

>  δは人間が対象を捉えようとする作用
>  例えば、リンゴが一個あるとかを
>  もっと深く、リンゴが一個あると捉えるには、
>  数の概念がキチンと整理して理解できていない
 
>  交換法則、結合法則、分配法則の三法則を持っている
>  と言うことを把握していない数感覚の持ち主だった時

>  数めいた事をどう捉えているのかと言う所に辿り着きました。
 
>  それは、未開の人が1、2の次はたくさん、たくさんと表現する様に
>  1でも、たくさんと捉えるのに似ています。

>  ここで、たくさんを
>  僕は無限と捉えて、
>  あれも、これも、無限である。  
>  リンゴも無限、みかんも無限と捉えて
>  その無限に差異は無いと考えました。

>  それでは、数を把握できないではないか?
>  と思われるんですが、
>  数の概念確立以前と言う話をしていると思って下さい。

>  そこでは、唯一一つの無限です。
  
>  そこに、等しいとか多いとかの概念を導き出す所から、 
>  数の概念が派生すると考えるんです。

>  その数の概念が派生した段階を
>  僕は1を無限と捉えたのですから 
>  2、3も無限と捉えるのが自然の流れです。

>  そこでは、無限は無限の差異があるんです。

>  あと、前に僕が主張していた中に、
>  現代集合論の無限観が入った
 
>  無限に段階があると言うものですが、
>  これは、数概念の拡張とも言えるものなので、
>  僕の考えに自然と付随されて行くものと思います。


ここまでについては、理解できません。


>  ここまで、書いて言いたかったのは、
>  数の概念の確立以前の状態で思考する事は、
>  数の概念が確立されてから、思考するのと同等な重要性が
>  あると思っています。
  
>  その数の概念確率以前の所から数概念を創り出す操作が、
>  そこを、意識していると
>  数をより高い立場から考察出来ると思うんです。


それは、研究方針としては一流だ、と思います。
これは、研究が成功する見込みが大きい、という意味ではなく、
成功した場合には、数学の業績の中でも最も顕著な業績となる見込みが大きい、
という意味です。


>  また、長くなってしまいましたが、
>  僕の言っている事って
>  宇田さんにも伝わりましたか?


途中、分からない部分がありましたが、最後の部分はわかりました。


>  宇田さんの貴重な意見をお聞かせ下されば、幸いです。


上に書いときましたので、よろしく。
2007/12/23/21:33 >
>
>
>
>
>>>  当面の目標は高校レベルの数学、英語をマスターする事にしぼり、
>>>  地道にコツコツやって行ければと思っています。

< < 渡邉さんが、絶対にそうする、と決めているのなら、それで構いませんが、
< < もし、どうしようか迷っている部分があるならば、
< < 高校数学は良いのですが、英語は、高校英語ではなく、中学英語で十分です。
< < 物理学や数学を学ぶための英語としては。
< < 中学英語をやり終えたら、その後は、いきなり英語で書かれた数学書や物理学書を読むと、
< < 必要な英語力はつきます。
< < 逆に、そうしないと、文系の高校英語をやっても、理系の英語の専門書は読めるようになりません


>  そうなんですか、高校の英語はやらなくて良いんですね。
> 中学英語を身に付けられる教材を探してみます。
>

>
> 中学英語に自信が無いならば、それが良いでしょうけれど、
> 渡邉さんは、中学卒業までの間に学習が上手く行かなくなった、という事でもあるのですか?
> 僕は、てっきり、そんな事は無いだろう、と思っていたので、
> 上の文章では、英語についてはいきなり洋書の読解に入るのが良いですよ、と言ったつもりでした。

>

 宇田さんが思っているほど、僕は勉強が出来た訳ではないんです。
 中学校では英語は大の苦手科目でした。
 高校に入って、丸暗記形式でやって試験は或る程度得点出来ましたが、
 僕の英語の勉強の結晶は宇田さんに
 以前、メールしたビリー・ジョエルの素顔のままで?でした。
 なので、中学の教材を総合的に勉強出来るものをって
 宇田さんに要求したんです。
 ただ、現在進行形、過去進行形とか、ある程度分かっているとも思えるので
 本当に、中学で学ぶ英語に全て目にいっているかを確認するための
 教材が欲しいと思ったんです。
 主観でなく、客観的にこれをやれば、中学は卒業だろうと言う目安が欲しかったんです。

 自分でも、中学の参考書を探すんですが、教科書で学ぶ英語を一通り学習出来るって感じの
 参考書には出会っていないんです。

 あ!そう言えば、公文式英語を中二までやった経験はあります。
 それに、中学の時に総復習出来る参考書もやりました。
 ですが、中学の英語って何処で線引きされているか、分からないんです。  


< < それから、気に成るのは、いくらユックリやっても良いのですが、
< < 同じ所で足踏みをするのは良くありません。
< < 渡邉さんが高校の数学をやろうと思う、というのは、もう何年も前から言ってる事なので、
< < まだそれを言っている点が気に成ります。
< < 一度やったところは、まだ気に成る事が残っていても、次に進むべきです。
< < そうした後で、昔気に成っていた事というものを考え直せば良いです。
< < 高校数学に何年かかっても良いのですが、
< < 何年経っても、これからやろうと思っている、という状態に留まっているのは、良くありません。


>  高校では数学は得意分野だったので、数学IⅡABは修了済みと判断しますね。
>  選択科目になっていた数学ⅢCだけはまだキチンとやった事が無いので、
>  しっかり参考書で学習する事にします。 > ご指導有り難う御座います。
>

>
> 良かったら、単元を列挙した表を作って、
> その表のコピーを僕にください。
> 渡邉さんの報告を聞きながら、僕がその表に印を付け、
> 渡邉さんが、既に終わったはずの所を、またやろうと思っている、という風に言っていないか、
> 確認したいと思います。
> そういうのを聞くのは、とても嫌ですから。
>    
 やっていると言える単元は普通に書いてあるところで
 やっていると言えない単元は()で括ってあるところです。

 数学I 第一章 二次関数

     二次関数 関数とグラフ
          二次関数のグラフ
     二次関数の応用 二次関数の最大・最小
             二次方程式
             二時不等式
     
     発展 グラフの移動

     第二章 個数の処理
 
     個数の処理 自然数の列
           集合
           場合の数
     順列と組み合わせ 順列
              組合せ
              いろいろな順列
        
     第三章 確率
     
     確率と基本性質 確率の意味
             確率の基本性質
     確率の計算 独立な試行とその確率 
           (期待値)

     発展 (くじびきの確率)

     第四章 図形と計量
 
     三角比 鋭角の三角比
         三角比の拡張
     三角比と図形 (正弦定理) 
            (余弦定理)
            (三角形と辺と角)
            (三角形の面積)
            (図形の計量)  
     
 数学A 第一章 数と式
         整式 整式
            整式の加法・減法と乗法
            因数分解
            整式の除法
         実数 有理数・無理数
            平方根
         式と証明 等式の証明
              不等式の証明
              必要条件・十分条件
        
         発展 組立除法
            (コーシーの不等式) 
            開閉計算

     第二章 数列 
         数列 数列
            等差数列
            等比数列
            いろいろな数列
         帰納的な考え (漸化式)
                数学的帰納法
                (二項定理)

         発展 (数学的帰納法による二項定理の証明)
            (多項定理)
      
     第三章 平面幾何
         三角形の性質 外心    
                重心と垂心
                内心
                辺と角の大小関係
         線分と比に関する定理 平行線と線分比
                    (方べきの定理)
                    (メネラウスの定理とチェバの定理)
         軌跡と作図 軌跡 
               作図
         平面上の変換 合同変換
                相似変換
       
     第四章 (計算とコンピューター)
         コンピュターの操作 (コンピュータの入力と出力)
                   (プログラムを用いない計算)
         BASICによるプログラミング (変数の利用)
                         (BASICのプログラム)
                         (計算のアルゴリズムと流れ図)
                         (判断と分岐・繰り返し計算)
         コンピュータによる計算 (二次関数の値)     
                     (方程式の解)
                     (公約数・公倍数)
                     (数列)
                     (順列・組合せ)    
         
 以上、数学IAについてですが、まとめました。      

               
>>  宇田さんの当面の試みとしては、
>>  相対性理論と量子論を統括する理論の文法なのでしょうか?

< 相対性理論との整合性も考えつつやっていますが、
< 直接的には、量子論の事だけを考えて、
< 量子論の既存の文法を拡張した新しい文法です。

>>>  宇田さんは現代的な実在論でそう言った描象を描けると思いますか?

< < あれ?渡邉さん、この話は、前にもしませんでしたか?
< < 場の量子論がそういう描像を提供する、と普通は考えられます。
< < 異論の余地はあると思うけど。  

>  これなんですが、宇田さんから前回聞けたのは、
> 量子力学が前進しても、実在論的な描像は描けるのか?
> という事だったと思います。
>
>
> それは、Wooder!掲示板に僕が書いた事ですね、たぶん。
> 場の量子論が粒子・波動の二重性を表現し切っている、という話は、
> メールでしたのではないでしょうか。 

 そうでした。すみません。

>
>  今回は、自分が好き勝手に実在論的なものを
>  自分が、思い描いている事が必ずしも間違いではないと
>  聞きたかったんです。  
>  ですが、これは下にあるように
>  その図と、数学関数などの表現を用いないと分からない話ですよね。
>
> メールで伝えようとすると、そうですね。
> 「なにかしらを付け加えて行く」では分かりません。
>
< < 波動関数の図は、実部と虚部を両方描いても、波動性のみで粒子性を表現できていません。
< < 量子力学における粒子性というものは、位置測定においてのみ顕現し、
< < 測定が行なわれていない瞬間については、波動性のみが顕現します。

>  そうなんですか><
>  波動性は描かれているが、粒子性は
>  描かれていないんですね。
>
> はい、そうです。
>  
>  僕は、粒子の虚部的なイメージを膨らましていました。
>  でも、それは、完全な誤りだと言われると
>  なんか、言いたくなるんですが…
>
> 複素数の虚部なら分かりますが、「粒子の虚部」という言葉の意味は分かりません。

 粒子の虚部とは粒子を記述する時に複素数の虚部で記述されるというような
 ニュアンスで使ってしまいました。

>  
< < 場の量子論は、粒子性と波動性の両方を表現しきっている、と普通は言われますが、
< < このときの粒子性は、上に書いた意味での量子力学で言う粒子性とは違います。
< < その面、僕にも良くわからない部分があります。  
>  そうですか、宇田さんくらい勉学に励んでもまだ分からない事があるんですね。
>
>
> はい。
> そういう問題は、量子力学の解釈、と呼ばれるジャンルに属する問題で、
> 実は、大学卒業事の僕は、そういう問題に、ものすごく興味がありました。
> 大学院に行ったのでは、そういう問題の勉強はやらせてもらえないだろうなあ、
> という予測も、僕が大学院に行かなかった理由の一つです。
> けれど、今の僕は、その正反対の考えを持っていて、
> 今僕が提唱している文法主義は、
> 意味の分からない言葉を意味の分からないままもっと使おう、という主義です。意味の分からない言
葉の意味を明らかにする事が僕の最大の関心事だった時代は、
> 僕の本「古典物理学」で終りました。
>  

 そうなんですか?
 宇田さんには、意味の分からない言葉を意味の分からないまま使おうという風には
 まだ感じません。
 宇田さんの奥義とでも言うものなんでしょうか? 


>>>  宇田さんは、補足説明に書いた様な現実観を持っているんですよね?

< < 大雑把に言って、僕の観点は、量子力学で言うと、
< < たとえば電子は波動であって粒子ではない、
< < 粒子と見なされる状態は非ゼロ領域が1点にまで縮んだ特殊な波動である、
< < という考えです。
< < 量子場についても、いわゆる場の量子状態が客観的なものだと思っています。
< < 僕は、そういう立場ですが、こういう問題は決着がついてなくて、
< < 本当の事は誰にも分からない面があります。

>  誰にも分からない面があります。という事は深い意味があるんですよね。
>  現実を見れる人は居ないという事なんでしょうか。
>
> 結果が出ていない、というだけで、研究している人はたくさんいます。
> 興味があれば、量子力学の解釈の専門書を将来の学習予定に組み入れれば良いでしょう。
> 昔は僕もそういうものを勉強する予定でいましたが、
> 先述したように、今では、興味関心が変化してしまい、そういうものは軽くしか勉強しないつもりで
す。
>
>   
>  ただ、自分なりに
>  この箇所だからこそ、矛盾が起きない様に
>  人それぞれの現実観が許されるんじゃないか?
>  と期待してしまうんです。 
>
> 芸術ではなく、物理学の問題ですから、
> 何かが答で、それ以外は誤まり、という風に成るのであって、
> 人それぞれの、という風には行かないでしょう。
>
 
 でも、これだと確定出来ないと言うことは、
 色々な案で解釈しても良いと言うことになりませんか?


>>>>  ・・・

>>>  僕は現実的な原子模型だと考えるんですが、宇田さんはどう思いますか?

< < その図を数学関数などの数学概念で書いてくれれば僕にも何とか言えます。

>  その図の原形は、
>  雑誌ニュートンのウラン原子模型が起源です。
>  そこに、なにかしらを付け加えて行くと
>  図が描かれると思うんですが、
>  私には図を完成させるに至っていません。
>
> この情報だけからでは、僕には判断できません。
>
>>  それと、数学的な概念の具体的な指定は出来ないです。
>  ここで、δが出てくるんですが、
>  δは人に説明出来る力が僕には今は無いので、
>  宇田さんの意見を聴ける段階ではないという事だと思いました。
>
>
> そうですね。
>
2007/12/26/17:23 >  宇田さんが、音の成分が正弦波が基本となっている
>  フリーエ解析で全ての音を表現できるが
>  (少し言い過ぎました)
>  ノコギリ波でも同じ事が出来るのでは?
>  と言うことですが、正弦波で音を解析するのは
>  円が基調だった名残りでは無いでしょうか?


フーリエ解析が他の形の周期関数を使った解析よりも便利なのは、事実です。
それは単なる歴史の偶然の名残ではなく、
今でも便利なのです。

ですが、それは、数学的な演繹をする際に便利、という事であって、
人間の耳にとっても、フーリエ解析が特別だ、という事ではない、
のではないか、と僕は思っています。


>  正弦波を用いても、
>  解析できない関数があると聞きます。
>  だから、ノコギリ波でも
>  解析できない関数が出てくる事が予想されますが、
>  ノコギリ波の場合の方が、
>  解析出来ない関数が増えるんじゃないか?
>  とも思えるんです。


そうかもしれませんね。
僕は、正弦波以外のものを、と言ってるだけで、
ノコギリ波にこだわってはいません。
放物線なんかでも良いと思います。
放物線だと、便利さは正弦波と違っても、
解析できない範囲の広さは大して違わないのではないでしょうか?


>  詳細は分かりませんが…。
>  
>  でも、ノコギリ波でも関数解析は出来ると思います。
>  宇田さんは十分推測して、ノコギリ波でも
>  フーリエ解析みたいなノコギリ解析が出来ると言っているんですよね。


はい。計算は全くしていませんが。

 
>  普通は気がつかないけど、
>  言われてみれば、それもそうかなと思える所に気づけるのは
>  基礎的な問題でも、追求すれば、 
>  新しい見解に到達できるという具体例だと思い
>  宇田さんは文法主義(合っているかな><)
>  を実践しているんだなと思っています。


ありがとうございます。


>  さらなる、発見が出来ると楽しいですよね。


はい。


>  何事も、僕の場合、あれこれとアイデアが出てくる
>  状態が楽しくって
>  その状態がやってくるのを楽しみにしています。


それは良い事です。


>  宇田さんも、そう言う創造の部分が楽しくって
>  物理学を極めようとしているんですか?


創造の部分も楽しいですが、
そして、その部分が一番楽しいのかもしれませんが、
今までに出来上がっている理論を熟知して、
それをまとめるのも楽しいです。

物理学の勉強を始めたばかりの頃には、
創造ばかりを目指しましたが、無理でした。

その後、自分で創造できる事は他から学べる事に比べて少しだけだから、
限られた人生を有意義に過ごすためには、
他から良く学んで知識を成熟させ、それを世に残す、のが良い、
と考えるように成りました。

そうして、まとめを作る、という作業をメインにやっていたところ、
まとめを作れば、それをもとにして自然とアイデアに導かれる状態に成りました。
 
今僕が出しているアイデアは、
他から学べる事に比べて少し、ではなく、
既存の物理学の全体と同じぐらいの大きさの何かの存在を、示唆するものです。
だから、他から学んだ事よりも、そっちの方がもっと知りたい、感じています。

他から学ぶ事もやめませんけど。
2007/12/28/17:46 > > > >  当面の目標は高校レベルの数学、英語をマスターする事にしぼり、
> > > >  地道にコツコツやって行ければと思っています。

< < < 渡邉さんが、絶対にそうする、と決めているのなら、それで構いませんが、
< < < もし、どうしようか迷っている部分があるならば、
< < < 高校数学は良いのですが、英語は、高校英語ではなく、中学英語で十分です。
< < < 物理学や数学を学ぶための英語としては。
< < < 中学英語をやり終えたら、その後は、いきなり英語で書かれた数学書や物理学書を読むと、
< < < 必要な英語力はつきます。
< < < 逆に、そうしないと、文系の高校英語をやっても、理系の英語の専門書は読めるようになりません 。

> > そうなんですか、高校の英語はやらなくて良いんですね。
> > 中学英語を身に付けられる教材を探してみます。

< < 中学英語に自信が無いならば、それが良いでしょうけれど、
< < 渡邉さんは、中学卒業までの間に学習が上手く行かなくなった、という事でもあるのですか?
< < 僕は、てっきり、そんな事は無いだろう、と思っていたので、
< < 上の文章では、英語についてはいきなり洋書の読解に入るのが良いですよ、と言ったつもりでした。

>  宇田さんが思っているほど、僕は勉強が出来た訳ではないんです。
>  中学校では英語は大の苦手科目でした。
>  高校に入って、丸暗記形式でやって試験は或る程度得点出来ましたが、
>  僕の英語の勉強の結晶は宇田さんに
>  以前、メールしたビリー・ジョエルの素顔のままで?でした。
>  なので、中学の教材を総合的に勉強出来るものをって
>  宇田さんに要求したんです。
>  ただ、現在進行形、過去進行形とか、ある程度分かっているとも思えるので
>  本当に、中学で学ぶ英語に全て目にいっているかを確認するための
>  教材が欲しいと思ったんです。
>  主観でなく、客観的にこれをやれば、中学は卒業だろうと言う目安が欲しかったんです。

>  自分でも、中学の参考書を探すんですが、教科書で学ぶ英語を一通り学習出来るって感じの
>  参考書には出会っていないんです。

>  あ!そう言えば、公文式英語を中二までやった経験はあります。
>  それに、中学の時に総復習出来る参考書もやりました。
>  ですが、中学の英語って何処で線引きされているか、分からないんです。  


なるほど、僕にも、どこまでが中学英語なのか、良く分かっていません。
その程度で良いと思います。
目安としては、
・どんな英文でも、際限無く辞書を参照すれば、和訳できる。
・下手な英文でも良ければ、和英辞典を際限無く使えば、たいていの日本語は英訳できる。
このあたりが達成できている、という自己評価を持っていれば、
物理や数学の英文に直接取り組む事が出来る段階だと思います。


< < < それから、気に成るのは、いくらユックリやっても良いのですが、
< < < 同じ所で足踏みをするのは良くありません。
< < < 渡邉さんが高校の数学をやろうと思う、というのは、もう何年も前から言ってる事なので、
< < < まだそれを言っている点が気に成ります。
< < < 一度やったところは、まだ気に成る事が残っていても、次に進むべきです。
< < < そうした後で、昔気に成っていた事というものを考え直せば良いです。
< < < 高校数学に何年かかっても良いのですが、
< < < 何年経っても、これからやろうと思っている、という状態に留まっているのは、良くありません。

> > 高校では数学は得意分野だったので、数学IⅡABは修了済みと判断しますね。
> > 選択科目になっていた数学ⅢCだけはまだキチンとやった事が無いので、
> > しっかり参考書で学習する事にします。 ご指導有り難う御座います。

< < 良かったら、単元を列挙した表を作って、
< < その表のコピーを僕にください。
< < 渡邉さんの報告を聞きながら、僕がその表に印を付け、
< < 渡邉さんが、既に終わったはずの所を、またやろうと思っている、という風に言っていないか、
< < 確認したいと思います。
> > そういうのを聞くのは、とても嫌ですから。
   
>  やっていると言える単元は普通に書いてあるところで
>  やっていると言えない単元は()で括ってあるところです。

>  数学I 第一章 二次関数
>
>      二次関数 関数とグラフ
>           二次関数のグラフ
>      二次関数の応用 二次関数の最大・最小
>              二次方程式
>              二時不等式
>      
>      発展 グラフの移動
>
>      第二章 個数の処理
>  
>      個数の処理 自然数の列
>            集合
>            場合の数
>      順列と組み合わせ 順列
>               組合せ
>               いろいろな順列
>         
>      第三章 確率
>      
>      確率と基本性質 確率の意味
>              確率の基本性質
>      確率の計算 独立な試行とその確率 
>            (期待値)
>
>      発展 (くじびきの確率)
>
>      第四章 図形と計量
>  
>      三角比 鋭角の三角比
>          三角比の拡張
>      三角比と図形 (正弦定理) 
>             (余弦定理)
>             (三角形と辺と角)
>             (三角形の面積)
>             (図形の計量)  
>      
>  数学A 第一章 数と式
>          整式 整式
>             整式の加法・減法と乗法
>             因数分解
>             整式の除法
>          実数 有理数・無理数
>             平方根
>          式と証明 等式の証明
>               不等式の証明
>               必要条件・十分条件
>         
>          発展 組立除法
>             (コーシーの不等式) 
>             開閉計算
>
>      第二章 数列 
>          数列 数列
>             等差数列
>             等比数列
>             いろいろな数列
>          帰納的な考え (漸化式)
>                 数学的帰納法
>                 (二項定理)
>
>          発展 (数学的帰納法による二項定理の証明)
>             (多項定理)
>       
>      第三章 平面幾何
>          三角形の性質 外心    
>                 重心と垂心
>                 内心
>                 辺と角の大小関係
>          線分と比に関する定理 平行線と線分比
>                     (方べきの定理)
>                     (メネラウスの定理とチェバの定理)
>          軌跡と作図 軌跡 
>                作図
>          平面上の変換 合同変換
>                 相似変換
>        
>      第四章 (計算とコンピューター)
>          コンピュターの操作 (コンピュータの入力と出力)
>                    (プログラムを用いない計算)
>          BASICによるプログラミング (変数の利用)
>                          (BASICのプログラム)
>                          (計算のアルゴリズムと流れ図)
>                          (判断と分岐・繰り返し計算)
>          コンピュータによる計算 (二次関数の値)     
>                      (方程式の解)
>                      (公約数・公倍数)
>                      (数列)
>                      (順列・組合せ)    
>          
>  以上、数学IAについてですが、まとめました。      


ありがとう。助かる。


> > >  宇田さんの当面の試みとしては、
> > >  相対性理論と量子論を統括する理論の文法なのでしょうか?

< < 相対性理論との整合性も考えつつやっていますが、
< < 直接的には、量子論の事だけを考えて、
< < 量子論の既存の文法を拡張した新しい文法です。

> > > >  宇田さんは現代的な実在論でそう言った描象を描けると思いますか?

< < < あれ?渡邉さん、この話は、前にもしませんでしたか?
< < < 場の量子論がそういう描像を提供する、と普通は考えられます。
< < < 異論の余地はあると思うけど。  

> > これなんですが、宇田さんから前回聞けたのは、
> > 量子力学が前進しても、実在論的な描像は描けるのか?
> > という事だったと思います。

< < それは、Wooder!掲示板に僕が書いた事ですね、たぶん。
< < 場の量子論が粒子・波動の二重性を表現し切っている、という話は、
< < メールでしたのではないでしょうか。 

>  そうでした。すみません。

> > 今回は、自分が好き勝手に実在論的なものを
> > 自分が、思い描いている事が必ずしも間違いではないと
> > 聞きたかったんです。  
> > ですが、これは下にあるように
> > その図と、数学関数などの表現を用いないと分からない話ですよね。

< < メールで伝えようとすると、そうですね。
< < 「なにかしらを付け加えて行く」では分かりません。

< < < 波動関数の図は、実部と虚部を両方描いても、波動性のみで粒子性を表現できていません。
< < < 量子力学における粒子性というものは、位置測定においてのみ顕現し、
< < < 測定が行なわれていない瞬間については、波動性のみが顕現します。

> >  そうなんですか><
> >  波動性は描かれているが、粒子性は
> >  描かれていないんですね。

< < はい、そうです。
 
> >  僕は、粒子の虚部的なイメージを膨らましていました。
> >  でも、それは、完全な誤りだと言われると
> >  なんか、言いたくなるんですが…

< < 複素数の虚部なら分かりますが、「粒子の虚部」という言葉の意味は分かりません。

>  粒子の虚部とは粒子を記述する時に複素数の虚部で記述されるというような
>  ニュアンスで使ってしまいました。


波動関数の実部と虚部は、それぞれが別々に意味を持つものではありません。
波動関数の全体に、絶対値が 1 の任意の複素数をかけても、同じ状態を表す、とされるからです。
だから、波動関数の虚部で表現される物理的事実というものはありません。
実部と虚部を合わせた波動関数で表現される物理的事実があるだけです。


< < < 場の量子論は、粒子性と波動性の両方を表現しきっている、と普通は言われますが、
< < < このときの粒子性は、上に書いた意味での量子力学で言う粒子性とは違います。
< < < その面、僕にも良くわからない部分があります。  

> >  そうですか、宇田さんくらい勉学に励んでもまだ分からない事があるんですね。

< < はい。

< < そういう問題は、量子力学の解釈、と呼ばれるジャンルに属する問題で、
< < 実は、大学卒業事の僕は、そういう問題に、ものすごく興味がありました。
< < 大学院に行ったのでは、そういう問題の勉強はやらせてもらえないだろうなあ、
< < という予測も、僕が大学院に行かなかった理由の一つです。
< < けれど、今の僕は、その正反対の考えを持っていて、
< < 今僕が提唱している文法主義は、
< < 意味の分からない言葉を意味の分からないままもっと使おう、という主義です。
< < 意味の分からない言葉の意味を明らかにする事が僕の最大の関心事だった時代は、
< < 僕の本「古典物理学」で終りました。

>  そうなんですか?
>  宇田さんには、意味の分からない言葉を意味の分からないまま使おうという風には
>  まだ感じません。
>  宇田さんの奥義とでも言うものなんでしょうか? 


奥義と言うか、・・・・
たとえば、質点という語について、定義せよといわれても定義できませんが、
それでも良いから質点という語を使う、という事です。
しかし、日常的な感覚からすると、質点とは質量を持つ点のことである、で定義されているではないか、
という考え方で良いわけで、日常的な感覚で言うと、
僕の態度は意味の分からない言葉を意味の分からないまま使う、という態度には見えないでしょう。
そう見えるのは、定義というものを、ものすごく突き詰めて考えたときです。
その場合には、質量とは何だ?点とは何だ?という事に成って、質点は定義されていない事に気付きます。


> > > >  宇田さんは、補足説明に書いた様な現実観を持っているんですよね?

< < < 大雑把に言って、僕の観点は、量子力学で言うと、
< < < たとえば電子は波動であって粒子ではない、
< < < 粒子と見なされる状態は非ゼロ領域が1点にまで縮んだ特殊な波動である、
< < < という考えです。
< < < 量子場についても、いわゆる場の量子状態が客観的なものだと思っています。
< < < 僕は、そういう立場ですが、こういう問題は決着がついてなくて、
< < < 本当の事は誰にも分からない面があります。

> > 誰にも分からない面があります。という事は深い意味があるんですよね。
> > 現実を見れる人は居ないという事なんでしょうか。

< < 結果が出ていない、というだけで、研究している人はたくさんいます。
< < 興味があれば、量子力学の解釈の専門書を将来の学習予定に組み入れれば良いでしょう。
< < 昔は僕もそういうものを勉強する予定でいましたが、
< < 先述したように、今では、興味関心が変化してしまい、そういうものは軽くしか勉強しないつもりです。
  
> > ただ、自分なりに
> > この箇所だからこそ、矛盾が起きない様に
> > 人それぞれの現実観が許されるんじゃないか?
> > と期待してしまうんです。 

< < 芸術ではなく、物理学の問題ですから、
< < 何かが答で、それ以外は誤まり、という風に成るのであって、
< < 人それぞれの、という風には行かないでしょう。
 
>  でも、これだと確定出来ないと言うことは、
>  色々な案で解釈しても良いと言うことになりませんか?


どの解釈案も駄目、すなわち、解釈は不可能である、ということか、あるいは、
色々な案が出ているのは、決着がついていない証拠であって、
決着がつくとは、それらのうちの、どのひつとつが正しいのかを明らかにする事だ、
という事だと思います。
複数の解釈が同時に正しい場合には、それらの同等性が示されるはずです。
2007/12/29/20:11  今年も、正月は秋田の田舎に帰ってすごそうと思っています。
 たくさん、メールを頂いたのに返信出来ないでいますが、
 今日、田舎へ帰る身支度をしているので、
 返信が遅れる事、ご容赦下さい。

 明日、東京をたち
 四日に帰ってくると思うので、返信はその後と言うことでお願いします。

 宇田さんに言ってなかったんですが、
 今年、身内に不幸があって
 遅いんですが、
 グリーティングカートのを控えてもらえませんか?
 
 もう、手続きをしてしまったらしょうがないんですが、宜しくお願いします。

 残り少ないですが、来年は飛躍の年になるように頑張りますんで
 ご指導、宜しくです。

 では、良い年を!!
2007/12/29/22:39 >  今年も、正月は秋田の田舎に帰ってすごそうと思っています。
>  たくさん、メールを頂いたのに返信出来ないでいますが、
>  今日、田舎へ帰る身支度をしているので、
>  返信が遅れる事、ご容赦下さい。

>  明日、東京をたち
>  四日に帰ってくると思うので、返信はその後と言うことでお願いします。


はい、了解です。ユックリして下さい。


>  宇田さんに言ってなかったんですが、
>  今年、身内に不幸があって
>  遅いんですが、
>  グリーティングカートのを控えてもらえませんか?


分かりました。覚えておきます。

 
>  もう、手続きをしてしまったらしょうがないんですが、宜しくお願いします。


まだ、手続きはしていません。


>  残り少ないですが、来年は飛躍の年になるように頑張りますんで
>  ご指導、宜しくです。
>
>  では、良い年を!!


こちらこそ、よろしく。

2008年分および論評は後日書きます。