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2006/01/04/21:02 |
渡 |
> 汎関数微分との混同を避けるために、δ以外の記号を使うべきです。 また、現代数学には、ディラッ
クのδ関数というものもあります。
言いたいことは分かりました。しかし、凡関数やδ関数という文字を読む以前に僕の中で出来上がっ
ていました。だから自分としては、δの記号は公用として用いるのではなく自分個人としては自由に使
いたいのです。公用として用いたい場合は違った記号にしても僕は特にこだわるところはありません。
宇田さんの命名で全体集合なんですよね?
で、宇田さんには今度からδではなくAとかWって記号で送りますね。
宇田さんの言う全体集合と僕が常に落ち着くAと何処まで一致しているか分かりませんので、
宇田さんの全体集合をもう少し説明して下さい。
自分も自分の無限感をもう少し説明しないと行けないと思っています。 |
2006/01/04/23:06 |
渡 |
宇田さんに伝えたことを整理します。
まず真の無限は大小とは関係なく可能無限的にも実無限的にも唯一一つであるという主張について
これは現在でも変わってないと思い思います。前のメールで「自然数の全体の対象」が定まるなら対
角線論法は有りと書きましたが、それでも対角線論法の主張とは違った事を主張出来るものと思います
。
しかし、無限=無限とする根拠は対角線論法でも仮定ですし、僕の主張でも直感的にって言うだけで
証明されているわけでは有りません。
ここからは、主に田舎で整理付けたんですが、そして肝心なのは僕の言う実無限はこれも、あれも無
限であり違いはないって主張はするものの、同時にこの無限とあの無限って定めてそれで、全ての対象
が唯一一つの無限だって言う主張が主眼では無いことに気づきました。
つまり、対象として見た対象一つに対して実無限的な唯一一つの無限が対応するって言うことです。
また、全ての対象が唯一一つの無限だって同時に主張すると対角線論法が崩れます。
それは僕の見方的にも役に立つんですが、僕には無限は非論理的なもののように思います。僕は対角
線論法は正しいとも正しくないものとも言えるものと思います。その非論理的なものの中に幾通りもの
筋が通っている様な気がします。
そしてその個々の対象事に無限って見る見方に、いわゆる大小の概念とか可能性の概念とかを付け加
えるんです。現実に大小のあるものの対象の大も無限、小も無限とするものの(同時にではない)大は
小よりも大きい無限って考えてしまうんです。これが前に僕が選択公理と言って、無限は無限の差異が
或るっていう主張したものを取り入れたって事です。
この主張は真の無限は唯一一つであるという主張と矛盾します、僕は同じであるが違うって言ってい
るようなもんです。が、それで良いのだと思うんです。
無限が唯一一つであるって言っている場合は、個々に(これって前に辞書で読んだことがあるんです
が、形而上的??って意味かも知れません)無限を設定して行くのに対して、無限は無限の差異がある
って場合は個々に無限を設定するのではなく、全ての物を同時に無限の差異で当てはめて行くって事で
す。
同じであるが違うって言うのは尺度の違いの結果であると考えます。大や小も同じ無限であるが、大
きさの違う無限であるって主張するんです。ここで大きさの比較が出来るので、等しい無限は等しい無
限って言えることになりますが、大や小も同じ無限って言っている無限はやはり、対象事に等しいって
言っているので、この場合は無限=無限とは出来ないものと思います。
柱は二つです
無限は唯一一つである、但し、個々の対象としての無限である。
無限は無限の差異が或る。
です。
三つ目の柱として、対角線論法を取り入れて
無限には各段階が存在する
があると思っています。 |
2006/01/05/07:50 |
渡 |
広辞林 形而上学的思考法 マルクス主義の用語。反弁証法的思考方法。事物を固定不変なものとし
て、他の事物との関連や変化を無視し、個々的に孤立的にとらえる思考法。
って有ります。マルクス主義の用語を用いたつもりはないし全く知らないんですが、形而上的??っ
てとこで言いたかった事って大体こんな感じです。 |
2006/01/06/13:00 |
渡 |
> あと、無限は唯一一つであるって立場からカントールのパラドックスやラッセルのパラドックス、、
そしてゲーデルの不完全性定理などの問題点を解決しえる様な気にもなっています。
無限は唯一一つであるって言う立場から、カントールのパラドックスを回避で来ますが、ラッセルの
パラドックスは対角線論法によって集合の定義に反するって事で回避出来る様に考えました。そして不
完全性定理については、公理が無限に有れば完全で無矛盾な公理系が出来るって言うことでした、しか
しそれは正しいものは正しいって言い切るために全ての場合に対して成り立つような公理をおくと言う
ことと同じですね。
結局上の期待みたいな物はてんで見当はずれだった様です。 |
2006/01/06/19:04 |
渡 |
39度を超えると相当辛いですよね。きちんとご飯を食べて、ゆっくり休んで下さい。
書きたいメールがあったんですが、後で送りますね。 |
2006/01/19/21:13 |
渡 |
治ったって返信が来ないので心配です。熱はもう下がりましたか??
大事にいったてなければ良いんですが、、風邪?でも十分怖いですから気を付けて下さい。 |
2006/01/21/08:26 |
渡 |
人間が無限と言って対象を捉えるとき、その対象は一体なんでしょうか?
ここでは数学で扱う無限とは異なると思う事を書きます。
人間の捉える対象=ばくぜんとそこにあるものです。その対象が無限で有ると言うことはその対象が
はっきりとつかめていないということであると思います。
有限として捉えても、なお対象が見いだされていく、だから無限に感じるのであるって。
完全に対象が何なのか捉えたら、それはもう有限であり、無限ではないと思います。
これは可能無限的な立場に立つと言うことになるのかも知れません。
実無限的に数学的概念、例えば自然数全体の濃度とかを無限として捉える事には意味があるのかも知
れませんが、やはり超作業法のパラドックス(最後の自然数の問題)が上手く回避出来ないので、実無
限の立場は取って良いのか?って疑問に思ってしまいます。 |
2006/01/27/08:56 |
渡 |
1 論理時間で宇田さんは上手く、最後の自然数を回避できるのかってことを説明して欲しいです。
2 選択公理に対する宇田さん大学で講義された内容と、無限集合において有限を否定する場合にそ
の要素が有限の場合はA含まないaって場合が有るのではって言う僕の言い訳みたいなものは宇田さん
が説明を受けたのと関係が有るのかってことが聞きたいです。
3 僕のAに対して宇田さんの全体集合と言って表現しようとしているものが、本当に僕の言ってい
たAと同義かどうかを確かめたく、もう少し補足説明して欲しいってこと
ここから、全く立場が変わっています。
4 宇田さんに最初話ししていた実無限的立場のAに対しての無限観が変わってしまって実無限的に
捉えるって事を止めってしまうっていうか、可能無限って言うか、無限って言葉で指すものは言ったい
具体的にはなんなのかって疑問です。
あと、宇田さんに話している内容はδの思想なんです、その上の件名なし、訂正です、グリーディン
グカード有り難う、無限観が変わってしまいました、の順に読み直してみると良いかも知れません。 |
2006/01/27/09:23 |
渡 |
> 自然数の個数は存在しない。 実数の個数は存在しない。 最大の自然数は存在しない。故に、それが
偶数か奇数か、という問いの答えは存在しない。という風にです。
この自然数の個数って言うのは可付番っていう無限の濃度で表現されているのではないんですか、実
数の個っていうのも非可算って濃度で捉えられているのではないんですか?
最大の自然数が存在しないって言えるのは数学的論法って事なんですね。
だったら超作業法のパラドックスにイライラする事はなくなります。しかし、ここでも僕の疑問は実
無限であらわさられる無限で一体何を指し示すのかって事です。
数学的には自然数の濃度とか実数の濃度とか関数と関数の対応?の濃度とかって、それ自体、現実と
関係していない様に感じるんです。
無限を扱う数学は抽象的なのかも知れませんが…
数直線の区間[0、1]に本当に無限個の点が本当に存在しているのかって疑問が生まれています。
可能性としていくらでも点を取り出せるって言うなら、分かるんです。 |
2006/01/28/09:43 |
渡 |
> いつの日にか、自然数の個数として、存在しない事を言い表す用語法としての無限個ではなく、存在
するものとしての無限個という概念が数学の理論体系の中に取り入れられる日が来るのかもしれません
。 でも、今までの数学者は誰も、これに成功はしていないようです。その分だけ、これは難しい問題な
のでしょう。ひょっとすると有能な数学者の目には不可能であることが見え見えなのかもしれません。
それでも渡邉さんは進みますか?
この存在するものとしての無限個というものを考えてきたつもりですが、例えば、現実の或る対象が
無限個だって言うとき、その無限個の構成要素が点のようなものを想像しなければならないっていう疑
問が出て来ます。これには僕は不満です。
また自分の考えが変わってしまって、ここから先は熟考した訳ではありませんが、或る対象の現象の
全体集合(これは宇田さんが前に言っていた原子?を捉える時に全ての原子を統計的に?考えて一個の
理想モデルを考える?って事だと思います)を無限って表すって言う事が考えられます。しかし、これ
は現実に実在しているものに対しての無限ではないと思います。
つまり、概念に対しての無限です。
今の僕の取る立場としては、基本的には、現実に実在するものに対して、無限個っていう概念は対応
出来ないのではっていう態度です。
ウラン原子を無限って見る立場を取っていた時も有りましたが、それは現実に実在するものと概念と
して考えていたものを混同した結果だと今では考えています。
だから、無限の柱って言うところで書いたものは今では間違っているように感じています。
存在するものとしての無限個というものがあり得るかって事に対しては態度を決めかねてます。と言
うより分からないというのが正直なところです。 |
2006/01/28/11:14 |
渡 |
> また自分の考えが変わってしまって、ここから先は熟考した訳ではありませんが、或る対象の現象
の
> 全体集合(これは宇田さんが前に言っていた原子?を捉える時に全ての原子を統計的に?考えて一個
の
> 理想モデルを考える?って事だと思います)を無限って表すって言う事が考えられます。しかし、こ
れ
> は現実に実在しているものに対しての無限ではないと思います。
> つまり、概念に対しての無限です。
このところ完全な誤りですので無視して下さい。 |
2006/02/11/09:29 |
渡 |
無限を実際に存在するものとして認識すると言う場合、、実は少し前から考えていたんですが、最小
の粒子を無限で捉えるって言うのは有りなのかなって思っていた時期が有ります。
それは、最小の粒子はある大きさがあるものと考えるのはそうなんですが、最小ならば粒子は一つっ
て勘定すれば良いはずですが、あえて無限で捉えてしまうんです。
無限の根元はその最小の粒子よりも小さいものが無限の構成要素になるはずですがそれが、また、い
わゆる点ではなくって、最小の粒子と同じ大きさのものが幾重にも、って言うか無限に重なって一つの
最小の粒子を構成しているってするんです。(但しこの場合もやはり可能無限的に捉えているのかも知
れません)
そうすると、もっと巨視的な構成要素も無限で有り、そうすると、前に僕が無限、無限って言ってい
た部分が生き返るんですよ。但し、無限も有限から構成されている、宇田さんの言うと通り、自然数が
基盤になっている。
この場合、1、無限は唯一一つである2、無限は無限の差異が有る3、無限は各段階があるって言う
ものが改めて、主張できると思います。
この1、2、3は1だけとか1、2とだけとか、選択的に柱として上げられると思います。 |
2006/02/16/17:47 |
渡 |
(件名=メール送ったんですが)
> 無限を実際に存在するものとして認識すると言う場合、、実は少し前から考えていたんですが、最
小
> の粒子を無限で捉えるって言うのは有りなのかなって思っていた時期が有ります。
> それは、最小の粒子はある大きさがあるものと考えるのはそうなんですが、最小ならば粒子は一つ
っ
> て勘定すれば良いはずですが、あえて無限で捉えてしまうんです。
> 無限の根元はその最小の粒子よりも小さいものが無限の構成要素になるはずですがそれが、また、
い
> わゆる点ではなくって、最小の粒子と同じ大きさのものが幾重にも、って言うか無限に重なって一つ
の
> 最小の粒子を構成しているってするんです。(但しこの場合もやはり可能無限的に捉えているのかも
知
> れません)
> そうすると、もっと巨視的な構成要素も無限で有り、そうすると、前に僕が無限、無限って言って
い
> た部分が生き返るんですよ。但し、無限も有限から構成されている、宇田さんの言うと通り、自然数
が
> 基盤になっている。
> この場合、1、無限は唯一一つである2、無限は無限の差異が有る3、無限は各段階があるって言
う
> ものが改めて、主張できると思います。
> この1、2、3は1だけとか1、2とだけとか、選択的に柱として上げられると思います。 |
2006/02/17/18:34 |
渡 |
>広がりのある粒子の量子論的イメージには、そうでない粒子の量子論的イメージに含まれる妙味が引
き継がれており、これは広がりの無い粒子の量子論的イメージを熟知しなければ知り得ないものだから
です。
そういう順序が有るのなら、確かなものを求めるためにも、やはり大学レベルの勉強をきちんとする
事が必要なんですね。
> >そう「する」と、もっと巨視的な構成要素も無限で有り、そう「する」と、 「する」のは自由です
が、これがどうして下記につながるんえすか?
存在する無限って言うのを認識する事が出来ると、ものを無限で捉えられないかった、、弱々しい認
識から、飛び出せるって言いたかったんです。
下記につながる理由は、まえに宇田さんに言った、対角線論法を可能無限的と実無限的を区別して考
えて行くと、必ずしも無限の濃度の違いは証明されい立場も許されるって事です。
色々な、考え方が考えられて、存在する無限って言うのを否定するしかないって思っていたんですが
、粒子像の中でそれが蘇り、前に宇田さんに説明しようとしていたことが、筋の通ったものになったよ
うに感じたんです。 |
2006/02/17/18:49 |
渡 |
量子力学の構想がまとまって書き始めているかなと思い、ヤフーでIDを入力してから教材をみよう
としたんですが、許可が下りていないのか、案内とつぶやきしか見れませんでした。 |
2006/02/22/07:55 |
渡 |
早速、読んで見ます。
量子力学入門って岩波で出てるの有りますよね。最近、大分理解できるようになってきています。
中堤さんに貰った、量子力学、著朝永の本も少しずつ、こんな事が書いてあるのかって感じが摘めて
きました。
大学に行こうって思っていましたが、バイトで暮らして行く事も必要な事なのかなって思ってます。
大学って言うのを諦めたって言うのでは無いのですが。
その場合、大学で教わる事は全て宇田さんから教わろうと思ってます。今、高校数学は教科書に立ち
返れば基本的な問題は解ける力は十分にあると思います。
まあ、どうなるかは分かりませんが、今後とも宜しくお願いします。 |
2006/02/22/07:58 |
渡 |
夜更かしをしているなら、気を付けて下さい。
体も万全で無いと良いものも出来にくいと思います。 |
2006/02/22/16:59 |
渡 |
良く読めているのは、岩波の量子力学入門っていっても新書の方で、数式を用いずに、波動関数の収
縮を軸にして観測問題的に話が進んで行きます。
粒子性と波動性のイメージを持たせることが本の目標っであるって書いてあり、一応、粒子性と波動
性が両立し得ない概念であることは、分かったつもりです。
シュレディンガー方程式も数式の形は書いて有りますが、数学的説明がなされている訳で有りません
。
CANで書いてある数式は全く理解出来ない状態です。宇田さんがコメントで行っている状態ベクト
ルって言う概念は波動関数の事でしょうか?? |
2006/02/23/08:08 |
渡 |
> 量子論は、波動性と粒子性の両方を実在が持ち得ること、を説明する理論です。
僕が言いたかったのは、粒子性を観測すれば、波動性が消え、、波動性が観測されれば、粒子性が消
えるって事です。
量子論が示す数式を踏まえての理解というものが、正確な理解というなら、僕の理解は想像に訴えて
いるという点で、荒いと解釈は出来ませんか? |
2006/02/24/15:51 |
渡 |
> 2重スリットの実験を知っていますか?
はい、知ってます。
> これにおいては、一つ一つの電子はスクリーン上に点として観測されます。つまり、粒子として観測さ
れます。それと同時に、たくさんの電子の作る点の模様が、電子の波動性を表します。これは、粒子性
と波動性が同時に観測される例と言えませんか?
しかし、中性子がマクロ的距離を持って複数の穴を通過するっていう事も本で例えで紹介されてます
。この場合、粒子を波動として見ないと理解できないのではないのかと。
僕は粒子性と波動性を同時に持つ、何かを想像してしまいますが、一見、波動性しか見えてこない現
象や粒子性しか見えてこない現象もあるようなんです。
粒子性と波動性を同時に観測する事は出来ないって言う主張を量子力学入門「岩波新書」はしている
ようなんですが。
上の例は一つの電子がスクリーン上の一つの点で観測される、しかし、波動性はその一個の電子から
は出てこないって言えませんか?多数の電子によって波動性が観測されるとは言えませんか?
位置と運度量を同時には測定できない、というのは一応は真理ですが。これも、少し突っ込んで考える
と、用意には分からない面があります。運動量の測定って何?という点に僕は疑問を持ってます。
この量子力学の不確定さはまだ良く分かっていません。
> 僕の場合は、量子力学の数式を学ぶ前は、随分的外れな事を考えていましたけどねえ。僕の場合は、荒
い、じゃなくて、的外れでした。
そうかも知れません、しかし、的はずれな事になるにしても、自分なりに想像する事は、一度はやっ
て見ないと、面白くないじゃないか?っていうのが僕の意見です。 |
2006/03/05/09:09 |
渡 |
宇田さんは、素粒子のイメージは量子論的でなければ、正しくないって言うことを指摘しましたよね
。確かに、量子論的イメージが出来てないとキチンと理解していないのかも知れません。
しかし、古典的原子像(ただし、ニュートン力学的なものをイメージしているわけではない。不確定
さを除いた見方と言った方が良い)は形を具体的に想像する事が出来るし、そこに波動像と粒子像を重
ねる事が出来るように思います。
そこに量子力学の知識を重ねる事が可能だったら面白いって思うんです。
量子力学の方向から、素粒子の大きさのある場合を考えるっていうのは正しいのかも知れませんが、
僕はまだ、素朴に古典的先入観から、入って行ってしまうんです。
ゲーデルの不完全性定理を大雑把に読むなら、僕も読んだ「無限論の教室」、矢野茂樹著、講談社現
代新書が面白いと思いますよ。ブルーバックスの説明が数学的に書かれていて理解しづらいなら、助け
になる本だと思います。 |
2006/03/05/21:06 |
渡 |
> 未習事項に関して渡邉さんがイメージと呼ぶところのものに対して僕が感じるのは、この「まどろみ」
です。この事を分かってもらおうと今まで僕は渡邉さんに色々言い続けて来ましたが、なかなか伝わら
ないようです。でもいつか渡邉さんにも分かる時が来ると思っています。
伝わっていると思います、しかし自分のイメージを「まどろみ」と片づけると、まったく無意味な事
を一生懸命考えていたって事になり、それが許せないだけの気がします。
確かに、僕も量子力学の知識を早い時期に、正確に学びたいと思っています。その上で自分のイメー
ジが正しいのか、誤っているのか、判断したいです。そして間違っているにしても、正しい理解とのズ
レは何処から来るのかとかが気になります。
今、量子力学の僕の知識は岩波新書の量子力学入門の知識だけしかないんです。後は科学雑誌から大
雑把に伝わって来た「まどろみ」イメージがあるだけです。
岩波新書の内容の要点は量子力学的粒子の波動・粒子性の二重性という実験的事実は「何か」を解明
する事にあると書いてあります。ポイントは波動関数の収縮にある様です。
その本の知識だけでイメージしているわけではないので、やはり「まどろみ」なのかも>< |
2006/03/05/21:34 |
渡 |
僕は、量子力学が数学的記述で表現しているもの、つまり数学的な粒子像と関係のあるものをイメー
ジしている様に感じるんです。数学的内容は僕にはまだまだ理解できないですが、その数学が示すもの
をイメージ出来ているように感じてならないんです。 |
2006/03/10/07:55 |
渡 |
やはり、物理や数学をキチンと学びます。場当たり的な発想から脱却しなければ行けませんね。
アイデアはアイデアとしてメモをして置くだけにします。 |
2006/03/12/09:06 |
渡 |
宇田さんが、僕の事を考えているという事実が身に染みて感じます。
僕の考えは何処から来るかって、少し吟味して見ると、僕の量子力学の粒子イメージは見聞や伝聞か
らが殆どのようです。しかし、見聞や伝聞がきっかけでは有るのだろうけど、場合によっては見聞や伝
聞の意味がはっきり自覚される前にそれを突破しているような感覚があり、それが自分独自でって表現
になるんだと思うんです。しかし、さらに考えを進める段階で見聞や伝聞の意味が正確に理解されて、
ああこれは僕が考えていた事と同じじゃないかって事がたびたび有るんです。
いわゆる独自性の錯覚の様なものがある。全ての人が考えていた訳では無いが、少数の人が考えてい
たという事まで考慮すると大抵のアイデイというものは最初に発見したという主張は殆ど全くって言っ
て良いほど、出来ない気がします。自分独自に考え始めた事も伝聞(特に本などです)により他の人も
考えているという事実を聞くことが現実にある、その事ほど嫌な事は無いのです。
例えばAはすでに考えられていた全体集合って言うもので説明が有る程度つくって言うことでしたよ
ね。Aは自分が集合論というものを知っていたが、全体集合の事は全く知らなかったという事実が有り
ます。そして現にAは全体集合では整理できないほど、発酵したものになっていると自覚しています。
つまりAは全体集合の意味も全くその通りではないが含まれるものであるが、それだけでは決して無い
んです。Aは僕に取って僕の独自性そのものだと主張したいんです。
だって見聞や伝聞の範囲を大きく超えて自分の考えの基本となってきている感があり、それを二番煎
じだと言われる事ほど心外な事は無いんです。しかしAもまったく、自分だけで織り込まれたって言う
ことは主張できない、現にAは微分のdとか開闢の概念がもともと自分に知られていたから初期のAは
自覚さてくるのだろうからです。
しかしAで表現しようとしている、宇田さんの言葉で言うなら文法?は独自性を持つ物と信じていま
す。文法レベルでしかAは独創性を持たないとは言えると思うんです。Aの内容の具体的な対応は見聞
や伝聞によるもので、僕、独自に具体的内容を考えだしたという主張は出来ないものと今は思います。
しかしAを初めて自覚した感覚、さらには発展させた感覚まで奪われる事はないと思います。
独創性の主張がいかに難しいかはこの文を書いた事と宇田さんのメールから、分かり始めましたから
、少し安心して下さい。
僕はこれからは読み知る事により、量子力学的イメージが出来る様になってきたって言うことにしま
す。
最後に、貴重な体験談を話して下さって感謝しています。有り難う。 |
2006/03/19/00:16 |
渡 |
宇田さん、何かあったんですか?メールから受ける印象が少しセンチメンタルな気がします。気のせ
いだったら良いんですが。
Aは確かにカントールのアレフの影響を受けていると思います。しかし、今日、宇田さんのメールを
読んだ後、自転車に乗って■■に行く間にアレフの意味が良く分かったつもりになったんです。
確か、アレフは添え字0、1、2、…、n、…って添え字が付いて無限の濃度を記述して行くんです
よねアレフ0は自然数全体の濃度という風に、つまり普通の数で無限を数え上げていく様なもんだって
、僕が考えていたのは、普通の数が、例えば1が実は無限であるって言うことで、方法は1=0.00
…1×無限っていう風に考えていたんです、少し違うんですが。
そして最後の自然数は自然数全体は全体として対象化して無限個っていう風には出来ない、つまり無
限大って事で解決出来るものと思いました。その点がカントールと違います。
だから亜流そのものだという事で良いんだと思います。調べていないんですが、亜流って二番煎じみ
たいな事なんだと思います。亜ってうすいって言う意味があった気がします。
そしてAなんですが、なぜδって文字にこだわるかって言うと、空間の位相化、詳しくは知らないん
ですが、遠い親戚とか近い親戚とかって空間の近さじゃないのに、空間的に物事を捉えるって言うこと
ってまま有りますよね。その空間的に物事を捉えるって事を空間の位相化って言うなら、δは空間の位
相化が成された文字なんです。僕はoでもって空間的な存在を認識しようとしています、その形oはδ
と感覚的に関係のある表現として僕には理解されるんです。δは物質的なイメージが、それだけでは無
いんですが、あります。Φに近い文字では時間のイメージかあります。しかΦを時間と考えている人は
他にもいるみたいなんで、僕独自っていうものではないです。
同様にoもギリシャでは球はもっとも美しい形として認識していたようですから、少なからず、oは
空間的な意味を持っていったって事も想像出来ます。
δに関しては物質的なイメージって書きましたが、これは僕固有って言っても良いんじゃないかって
思ってます。
最後にδは無限とも結びついているというのは宇田さんの言う通りです。だからδは位相のアイデア
と無限のアイデアが組み合わさったものと思うんです。なぜδを無限と結び付けるのかっていうのは、
昔人間が今の数字を作り出す前は全ての数は言葉で表現されていた民族が居たって書いてあるのを読ん
だことがあります。δはあえて今の数字ではなくこの言葉を持ってっていう発想で何か表現出来ないか
っていう視点が漠然と書いてあるのを読む前から感じていたような気がします。そして今の数字を用い
ない欠点は数字を記述するのに言葉で表していたら、無限の文字が必要だって事です。そこで無限とぶ
つかるんです。例えば無限の言葉で或る現象を完全に対応出来ないかって言うことをやってみると可能
な様な気がします。それがδofakfop、δkosdmfpd、…、δkgaofjpol、…という文字で対応するって事
なんです。その文字の総数がアレフで記述出来るのはって思うんです。
蛇足です、アレフつまり濃度はある集合の大きさを表す概念ではどうやらないようなんです。無限の
濃度が等しいって表現しますよね。つまり濃さって事です。偶数の濃度と自然数の濃度は等しいんです
が全体は部分に等しくないんですというような事を無限論の教室って言う本で読みました。 |
2006/03/19/09:30 |
渡 |
脱字と正しい言葉や文章構成が上手くいってないのをまず、お詫びします。まあ何時もですが><
> δに関しては物質的なイメージって書きましたが、これは僕固有って言っても良いんじゃないかっ
て思ってます。
この固有っていうのは前のメールで否定したばっかでしたね。δは僕固有の意味づけが成されている
ものではないです。単にδという文字が僕固有のものだってことです。 |
2006/03/21/19:20 |
渡 |
宇田さんが最初にまとめた力学ノートのCANのところをざっと斜め読みしました、正確な理解は出
来ないのですが、前の時よりも大分解釈が可能なところが増えたという印象でした。 |
2006/03/22/10:21 |
渡 |
>たとえば、δって表現、無限の濃度のアレフの影響を受けてませんか?渡邉さんは微分記号のdから
来てるって言うんだけど、渡邉さんがそう言うから、それもあるんだろうけど、僕は、アレフの影響を
感じるなあ。違ってたらゴメン、なんだけど、もし、そうだとしたら、それって、亜流なんだよね。亜
流って知ってる?辞書引くと、・・・ああ、ひどいことが書いてあるから僕は書かないよ。自分で読ん
で。もしだよ、もし渡邉さんのδがカントールの亜流だとしたら、渡邉さんからδを聞かされた人は、
渡邉さんの事を馬鹿にすると思うんだ。ううん、これもチョッと違うのかなあ。
宇田さん、僕に亜流だよって言ったのがそんなに気になりますか?僕が正しくこれはカントールの亜
流であるって意識し始めたのは、カントールの事をきちんと学ぶ前に同じ事を考え初めていて、結果と
して同じ様な所に落ち着いたって事です。
だから、これは業績ではないが能力があるって事なんじゃないんですか?
そして、カントールは実無限派です。僕も取る立場は実無限派的な立場を取りますが、必ずしも実無
限的立場に終始する訳ではありません。これは無限論の教室という本を読んで可能無限の立場を知った
からです。無限論の教室の構成の型はヴィットケンシュタインだそうです。僕も知らず知らずの内に影
響を受けているんでしょう。
A(δ)は遠山啓の無限??って岩波新書で構成されている、現代数学の基礎を論じている本から出
発して、
まあ、一を正しく聞かずに一を知ったつもりになったって言うのが正解なのかも知れません |
2006/03/23/09:20 |
渡 |
>まだ、考えがまとまりません。とりあえず、書きます。
はい、分かりました。
返信がなかなか来ないんで、宗教団体に入っている人的に受け止められたのかなって思い心配しまし
た。ちゃんと言っておきます、怒られそうですが(笑い)、僕は宗教団体には所属していません
>いいえ、全然何もありません。最近、中堤さんからもらったブルーバックスの「ゲーデル定理」を読
んでるのですが、ゲーデル定理がどういうものなのか、分かりました。とても上手に説明してあったの
で助かりました。死ぬまでには知っておきたい事、の一つだったので、分かって嬉しいです。
良かったですね。僕はゲーデルの定理はかみ砕いた説明で、ゲーデル数化していない段階での説明で
、でもゲーデル数化していないからって適当だって言うんじゃんかったと思います
>カントールと違う点があるから亜流、という論理は理解できません。何か肝心な点においてカントー
ルと同じだから亜流、という事なら分かるのですが。ちなみに、「その点がカントールと違います」の
うちの「その点」の指し示す内容が僕にはまだよく分かりません。
カントールは自然数の全体を捉えて可算無限って捉えて行きそのべき集合を考えて、それよりも一つ
上の非可算無限で捉え、それをどんどん続けて行く、それがアレフ0、アレフ1、…、アレフn、…と
いう風に無限の無限の系列が構成されていくという表現になる。
(ここで、アレフだけ取って0、1、…、n、…という所に注目すると、0は自然数で無いんですが
、自然数を無限と対応させている、この手法が、カントールの確信のだと自転車に乗って居る時に思っ
たんです。無限を自然数の様に表現するこれがカントールの核心に思えたんです)
僕が考えていたのは、0、0000…1×無限を考えていたんです。それは0、0000…1が無限
にあるってことで、それが0、0000…1×無限=1であると置いてみる。
また、無限は無限の差異があるっていうのを認めると、上の式の無限が変化するって事だから、0、
0000…1×無限=2や2、5って正の実数で表されたりする。つまり、自然数の様なもので、全て
の無限を定めて行くという発想がカントールと似ているって思ったんです。
この0、0000…1の部分はもう少しきちんと説明しないと、トンデモだって思ってしまいますね
。別の機会に改めて説明します。
違うっていう点は実無限的に、固定的に、自然数全体を捉えるって事は僕は出来ないのではっていう
ところです。でもここも詳しく本が読める様になると単にカントールもそう思っていなかったって事に
なるかも知れないんですが
>ニュートン力学では、例えば、質点の運動の歴史は、3つの関数の組に対応します。つまり、時刻を
x座標に写す関数、時刻をy座標に写す関数、時刻をz座標に写す関数、の3つです。このような3つ
の関数の組の全体の集合が、質点の運動の歴史の集合、つまり現象の集合、という事に成るのですが、
これは小数全体の集合よりもはるかに大きい集合です。渡邉さんの文字列は本質的には多進数の小数で
すから、現象全体を、これらでカヴァーする事は到底出来ません。
宇田さんの説明は理解できます、だけどδ-で表される所が多進数の小数だって所が、違うのかも思
います。確かに数学的には三つの関数で対応されなければ行けませんよね。
だけど、視覚的に数字の対応とかをせずに現象をδ-を対応する事は出来ると思っています。
が、僕の考えに抜けているのは、そういった数学的に構成がまったく考えられて居ないってとこです
ね。
僕の場合は宇田さんの言う三つの関数で表現されるっていう、それ自体を言葉で表すってことなんだと
思います。
>宇田さん、僕に亜流だよって言ったのがそんなに気になりますか? 渡邉さんに僕の言葉を受け止め
る強さがあるなら、僕は気にはしません。亜流と言うのは、渡邉さんが辞書を使ってくれないから、僕
が書くと、「第一流の人のまねをして独創的でなく、その上その人より劣っていること。 また、そう
いう人」という意味です。そう辞書に書かれていました。
僕も調べましたよ、意味は同じ仲間。同類。第二流のもの。追随者。って意味だそうです。
僕は亜流って言われて気を悪くしていません。正直、自分のやっていることの全体像がそういうもの
なのかって見通しが聞くようになったって思っています。
>僕が正しくこれはカントールの亜流であるって意識し始めたのは、>カントールの事をきちんと学ぶ
前に同じ事を考え初めていて、>結果として同じ様な所に落ち着いたって事です。
> >だから、これは業績ではないが能力があるって事なんじゃないんですか? 渡邉さんが自分に厳しく
内省してそう思えるなら、それは正しいんだと思います。そうだとしたら、渡邉さんは第一級の才能の
持ち主だ、ということになります。伝聞に依らず自分で考え出したのが、カントールのここがすごい、
という部分なのか、それとも、カントールのこの部分はそんなにすごいわけではない、という部分なの
か、をキチンと見極める事が大切です。それを正しく見極めた上で、そう思えるなら、そういう事実の
積み重ねを、自分の才能(天才)に対する自信に繋げて行く事は、正しい推論であって妄想ではありま
せん。
そうですね、カントールの事を理解してキチンと判断出来る様になれる方がいいですね。
>まあ、一を正しく聞かずに一を知ったつもりになったって言うのが>正解なのかも知れません 面白い
表現ですね。「一を聞いて十を知る」という表現を予備知識として持ってないと、渡邉さんのこの表現
の面白さを理解する事は出来ませんね。
でも、この一を聞かずに一を知ったつもりになったって言うのが、自分ではしっくりきます。 |
2006/03/23/19:37 |
渡 |
>
> 違うっていう点は実無限的に、固定的に、自然数全体を捉えるって事は僕は出来ないのではってい
うところです。でもここも詳しく本が読める様になると単にカントールもそう思っていなかったって事
になるかも知れないんですが
ここ、カントール、ブラリ・フォルティオのパラッドックスで言っている事なんだって分かりました
。内容はすべての集合の集合は考えられないというものです。
最後の自然数は答えることが出来ないっていうのも、カントール、ブラリ・フォルティオのパラッド
ックスが言っていることと同じだって思いました。僕が自然数全体って言っていたのは、カントールの
超限順序数で最後の超限順序数まで含めてそれを全体とする事は出来ないと言うことでした。この超限
順序数は今日読んで意味が理解できました。
> でも、この一を聞かずに一を知ったつもりになったって言うのが、自分ではしっくりきます。
>
一を正しく聞かずにです>< |
2006/03/24/21:13 |
渡 |
今度のホームページ更新したら、見て感想を書けたら書きますね。
では、行ってらっしゃいー^^ |
2006/03/29/19:17 |
渡 |
> そして、カントールは実無限派です。僕も取る立場は実無限派的な立場を取りますが、必ずしも実
無
> 限的立場に終始する訳ではありません。これは無限論の教室という本を読んで可能無限の立場を知っ
た
> からです。無限論の教室の構成の型はヴィットケンシュタインだそうです。僕も知らず知らずの内に
影
> 響を受けているんでしょう。
具体的にウィットゲンシュタインのここがというのは触れていないんです。
無限論の著書が論理哲学論考って言うヴィットケンシュタインの本を訳してますが、この本を訳した
のは、無限論の教室の後みたいで、僕がヴィットケンシュタインの影響を受けているするのは、どうや
ら違うのかも知れません。
論理哲学論考を読んでみると、哲学的な部類としてはかちんこちんに読みにくいっていう印象は無か
ったですが、意味が理解出来ません。まだ読んで数行ってとこですが。 |
2006/03/29/20:08 |
渡 |
ペ■サ■****っていうのは、僕なんです。前のIDを忘れてしまって、ごめんなさい |
2006/04/04/14:17 |
渡 |
> カントールのすごいところは、 まず、「集合」という概念の発明。 二つ目は、「濃度」の概念の発
明。つまり無限集合の元の個数を数える、というアイデア。 三つ目は、前の二つに比べると、少し小さ
な技術的な事に成りますが、 べき集合って言うんですか?による、濃度列の予想。 大体こ
んな感じだと思います。
カントールのベキ集合を作って、無限集合の系列(アレフ0、アレフ1、…)を作り、濃度の概念を
ツェルメロの選択公理によって、すべての集合は整列され超限順序数に対応し、したがって濃度は超限
順序数のなかにくり入れられるとしたのはツェルメロだった様です。
だから、カントールの業績は第一義的には集合の概念形成と一対一対応による濃度の違い発見で良い
んだと思います。
僕が重要だって思ったことは集合論の派生的なものだったんですね。
集合の概念って言うのは群衆を思わせるようでは行けないのであってカントールの定義は卑近ながら
良く集合の意味にかなっっているって書いている人がいます。
僕はその意味がまだはっきり分かっていません。そして、集合を群衆像で理解しようとしているとこ
ろがあります。
だから、カントールの亜流というか、ではなく、真似事をしているみたいですね。
能力が有るのでは?って言いましたが、実はカントールにも、ツェルメロにも遠く及ばないって思い
始めました。
> だったら、渡邉さんの記号法ではたくさんの記号が作れ過ぎます。つまりは、渡邉さんの記号は、質
点の運動の歴史を表すには、個数が足りず、三つの関数、という考え方を表すには、個数が多すぎる、
ということです。 また書きます。
ここは上手く説明出来ていないためにか、僕がその記号群に対して明確な定義を与えていないからか
、思っているよう伝わっていない気がします。 |
2006/04/04/23:19 |
渡 |
確かにδmgpogjdpmf、って書いてそれを多元数の一種としてみると、現象を記述するには足りないし
、現象を表現するには文字が多すぎるっていうのは当たっているような気がします。
しかし、δm0fasfjoafmは多元数の仕組みを持ちますが、そのδ-で示される僕にとっての内容は僕が
想像している(これは今までの伝聞や見聞からのものまたはその発展的イメージとして何ですが)量子
力学的イメージが僕の感覚で「捉え切れている」って感じる時に、初めて意味がある記号になるって事
なんです。言うならば、δ-は概念数と言って良いのかも知れません。
宇田さんが、僕の主張の誤りを指摘、証明するには僕がどのようにその言葉を用いようとしているか
?どの様な概念を捉えて記号で表しているのか?が伝わらないとダメな気がします。
それは、僕の言葉を良く知るって事になるんですが、どうせ、新しい物は出てこない言葉だと思うな
ら、それを持って僕の意見を否定すれば良いと思います。
>それを渡邉さんに納得させたい、と強く感じます。その分だけ、それが成功しない事に大きなフラス
トレーションを感じるのです。
宇田さんの様に、相手に納得して貰えない考えはキチンとした考えを持っていないって事だって、僕
はそこまで理解と言うものを徹底していません。
話始めたんだから、最後まで説明する必要があるとの事ですが、説明はしてみたいんですが、力量が
無いので上に書いた概念数で何をどう考えているかは?自分の事的なことなので、説明が難しいんです
。
ただ、そうした感覚で「捉え切れている」って言うのを、命名しているというのはそうなのかも知れ
ません。 |
2006/04/05/12:02 |
渡 |
宇田さんは然るべき勉強をした後で、自己主張をしなさいってことなんですね
これは、久しく僕に言って下さるアドバイスでした。 |
2006/04/06/08:36 |
渡 |
〈1〉は一つだけ、感覚や感性を自分の言葉に(δ、δ-、o、o-など)重ねるところです。[A]
完全な言語表現は出来ていない。常に変化していて、ある感覚や感性に決まった文字が対応していない
から。(δは宇田さんに取っては文字の一つ過ぎないが、僕に取っては単に文字で片づけられるもので
はないんです)
後は、良く自分の事を知ると、どこにも書かれていない「考え」というものは無いと思います。
〈2〉僕の量子力学的イメージ。僕がウラン原子模型を眺めている時や、目をつぶっている時に浮かん
でくる視覚的な感覚的なイメージ像。[A]
宇宙についてのイメージ像。[A]
集合概念の群衆像で、無限が整列されて並べられると言う主張。但しこの無限は可能無限的に考える
時もあれば、実無限的にも考える。[A]
僕の考えはすべて正確に言語表現出来るって段階では無いことが分かりました。これはδの表現が完
全でない事が理由の大部分を占めていると思います。しかし、その歩みは[B]ないし[C]に近づけ
る様になりたいのです。すべて[A]になってしまっては話にならないじゃないか?って思うかも知れ
ませんが、それが今の僕の実力です。 |
2006/04/12/07:55 |
渡 |
私事により、暫くメール出来ません。
すみません |
2006/09/01/04:49 |
渡 |
宇田さんが指摘した通り、間がかなり空いてしまいました そこはただ、僕が悪いんですが少し言い
訳を許してくれるなら、もう少し文章を読んで下さい。
メールのやり取りが無くなった時は、僕は宇田さんにδはこういうものでないのか?って突きつけら
れていました。あの時、宇田さんに強く指摘されれば、僕はδはそういうものかも知れませんと言って
しまうくらいに取らえられている所もあった様に感じます。
しかし、やはり、δは宇田さんが指摘する事とは少しずれていて、でもこのままだと宇田さんにδを
潰されそうでした。
そして、もうメールをするのを止めようと思い宇田さんのアドレスを消してしまいました。
ここで、僕は宇田さんと断交する事にしたと言うことに成るんですが、勝ってながら、δを人に説明
したくなり、それが果たして、現役の物理学者の人に通用するかを知りたくなって宇田さんに恥を知り
ながらメールを書いた次第です。
以下はδについての説明です。宇田さんがもう私はいいと思うなら読まなくて構いません。
僕のδは集合の集合数だと言って良いと思います。つまり、一つの言葉δmpdmpg、は集合を表
しており、多進法の一つの数としての意味に限定されないと言うことを言いたいんです。
つまり、三次元の空間のを動く質点の運動を正確に記述出来ると言いたいんです。
ただ、この記述の仕方は、具体的な表現は後回しにするという点では欠点を持っています。しかし、
どう表記するかは取りあえず後回しにするが、簡易な表現方法を得ることが出来ると思っています。
宇田さん指摘された通り、僕は三次元の空間の質点の運動を正確に記述するには何が必要かが分かっ
ていませんでした。
しかし、僕の頭の中には三次元の質点の運動以上の複雑な思考を表現する僕に取っての唯一の表現方
法になっていました。話したとおり、具体的な数学的記述は後回しです。
でも、そうすることにより、直感的なイメージを表記する方法が出来る様になったと思います。
これが説明出来るようになったδの部分的な意味です。
他にはδは僕の哲学が刷り込まれていると言う点が有ります。この部分は宇田さんには結構話してい
ると思うんで、追々、説明出来ると思います。
こう書くとあなたは何が分かっていて、何を知らないんだって指摘されそうです。そもそも、この表
現方法では大抵の事は含んでしまうと思いますから、今まで知らなかった事も、あたかも前に知ってい
るかのように人に話してしまう所があり、ここは十分に注意しなければ成らない点だと思っています。
僕が独自で分かっている部分が何処なのかを明確に線引き出来なかったのもδがこのような性質を持
っていたからだと思います。 |
2006/09/01/17:43 |
宇 |
わかりました。
渡辺さんには、あまり、理屈で迫るといけないんですね。
じゃあ、世間話でもしましょう。
渡辺さんに何かを教えようとするのは、現段階では僕には無理のようです。
アドレスはこっち(***@***.jp)の方が良いですか?
s***g***@hotmail.co.jp ではいかがですか? |
2006/09/01/20:23 |
渡 |
宇田さんが、怒っているのを感じています。何ヶ月も音沙汰ないしで、いきなしあんなメールを送っ
て来るなんってどういう神経をしているんだろう!って思った様に感じています。
僕は困難が来ると回避(無視)してしまう癖が有るようです。しかし、この癖は人に嫌悪感を与えた
りしているんだなと返信で分かりました。まず、非を謝って、それから、またメールしても良いですか
って書けば良かったと後悔しています。本当にすみませんでした。返信してくれただけでも感謝しない
といけないと思います。
宇田さんが、前に何を僕に教えようとしてδはこういう意味でしかないんじゃないんですか?と問う
ているのかが、全く分かりませんでした。
渡辺の言うδにはこういう意味が読みとれると言うことを話してくれるつもりだったんですか?
確かに宇田さんが言っていたことは、鋭くそういう面があると認識できました。そして、多分、宇田
さんに言われるまではδは宇田さんの指摘する通りの意味しか持っていなかったんだと思います。
後から、後からと、追加的に説明を拡張していった感があります。
宇田さんに説明していた時点でδはああでもないこうでもないって言う逃げ道になっていたんでしょ
う。しかし、どうかこれだけは分かって下さい。僕の中ではδに対するイメージがあったってことこれ
だけは分かって欲しいんです。
人に説明出来ないと言うことは本当に理解していないんだよって事を確か宇田さんが言っていた様な
気がします。だから僕はδの事を理解せずに宇田さんに延々と話していたんだって思いました。
宇田さんが僕が理屈が分かる人間だって思ってくれるまで、世間話をしていたほうが良いみたいです
。
最近、殺人事件とかが頻繁にニュースで流れていますが、宇田さんはそれは現代だからこそ起きてい
ることなんだって思いますか?
日本の治安悪くなったんでしょうか?
最近、パソコンやテレビゲームそれにアダルト情報が未成年に伝わりやすくなっている事とかって原
因の一つにあげられますか? |
2006/09/06/13:51 |
渡 |
最近、宇田さんの言う事が分かるようになってきました。
尾崎は殺された的な事を宇田さんが言っていましたが、なるほど宇田さんの言う事も分かるなって感
じています。社会的に(悪意に満ちた大人に)追いつめられて死に追いやられるって事があるんだなっ
て思う様になりました。
そういう僕も社会的に多少は追いつめられているんだなって、、前に聞いたと思いますが、宇田さん
は、どういう風に生きたいって思いますか?
僕は純粋に、(尾崎はこう言う表現を使っていましたが)形而上の愛で人を愛したいと思いました。
しかし、現実はそうはいかず欲に流されて生きてきました。僕は社会に対して僕が純粋であり得なくな
ってしまうほどに僕に苦痛を与えた事に憤りを越して恨み事さえ思う様になりました。
しかし、それでも僕は生きて行かなければならないのかも知れません。では、僕はどうして生きてい
かなければならないんでしょうか。自分の思うように人を愛せなってしまったのに。
宇田さんは生きるのが嫌になった事はありませんか?
宇田さんは今のままの社会で良いと考えますか?
物理学が発展していけば、世界は救われると思いますか?
P・S 宇田さんが、物理学上の、物理法則を内側から眺めているってなんなんだろう?的な意味の
問いを立てたって言っていましたよね、僕もほんの少しは問いが分かるようになった気がします。不思
議な感覚ですよね、内側から眺めているって、でも当たり前の様な気もします。
|
2006/09/06/16:31 |
渡 |
生きる意味なんて考えてもしかたないという理屈は分かりました。僕は生きたいように、生きたかっ
たし、それが出来なかった。
物理学の発展がいい社会の必要条件というなら、、物理学の発展が、ひとり、一人が「知識の総体」
を独自な視点で解釈できる事を許すなら、僕は物理学を極めたいです。
宇田さんは、今の社会をどういう風に変えていきたいんですか?
僕は、僕が生きたいように生きれる社会に変えていきたいです。具体的には純粋に人を愛することが
何よりも重く重要視される社会です。
かなり、自分勝手な事を書いていますね。自分の理想を人に押しつけてはいけませんよね。でも、僕
が社会をどういう風に変えていきたいか?を問われたなら、やっぱり、こう書くと思います。
社会のあるべき姿って人によって違ってくるはずですが、共通因数をくくり出す事は出来るはずだと
思います。その共通因数の内で最も重要なものは、宇田さんは何だと思いますか? |
2006/09/08/10:44 |
渡 |
すみません、昨日は具合が悪くなっていてメールを書けませんでした
なんか、宇田さんのメールを読んでいると、宇田さん自身が評価されるはずだった事が他の人に十分
評価されなかった、自分独自で暮らしていけるだけの力は持っているのにと言うふうに感じます。
宇田さん、大学時代の業績が過小評価だったんですか?
社会が宇田さんを阻害しているという事があるんですか?
僕が愛する事が一番大事だったって事を書き、宇田さんは人が評価される事?が大切だって書きまし
たよね。それはある意味、自分と真っ向から関わって来ることを通して社会を変えていきたいって発想
じゃないかって思います。
僕の場合は社会が最高価値を定めておくのは良くないって事につながりましたが、僕が社会をこう変
えたいっていう根っこの部分は宇田さんと同じと言えませんか?
自分がされて嫌だった事を正していきたいって事だと思うんです。
今の社会が良くないって言うのは簡単な様ですが、ではどういう社会が良いんですか?という問いは
難しいと思うようになりました。
自由と平等ってなんか、難しいですね。んー、僕は尾崎が自由、平等、そして愛がって歌っていると
ころから、自由と平等は必要なんだくらいにしか、分かりません。
自由について、確かに、自分が生きている間にしたい、やりたいって言うことが、社会的に束縛され
ていたら、一体なんなんだって思ってしますと思います。
しかし、逆に束縛されているから、自由であるって事もあると思います。
道徳的にとか昔の人が行けないとしてきた風習はやはり、現代の人に取ってもそれなりにリスクがあ
るはずと思います。
例えば、人殺しは、やっぱり起こらない方が幸せの様な気がします。だって、人殺しを殺すにはそれ
なりに憎しみや怨み事があって起こる事だと思うからです。
僕は負の感情が起こらない社会が優れているって主張はしないです。
思うんですが、マイナスの感情がなければ、人は過ちを犯すでしょう?というかマイナスの面も入り
交じっているのが普通の様に感じます。
平等について、確かに民主主義では平等をうたっていますよね。それは誰にでも平等に機会が与えら
れるって言う意味での平等って言う意味みたいです。所有している物も平等、お金も平等ってな感じで
は、宇田さんもそれは違うのでは?って思いませんか?
僕はみんながそれぞれ、本来の自分のあるべき姿で生きていける事を平等にして欲しいと思います。 |
2006/09/10/19:24 |
渡 |
(件名=メール届きませんでしたか?) (本文なし) |
2006/09/13/23:06 |
渡 |
自由も平等も非常に含蓄のある概念という意味が分かります。だから、未発達な自由と平等という概
念に自分なりの意味を注ぎ込めればと思っています。もちろん、優れたものは取り入れるようにして。
>今の僕に答えを求めても、まだ僕は答えることが出来ません。
宇田さんも明確な答えというとそういうところまでは、達していないと言うことですね。でも、宇田
さんの意見を聞きながら、自由と平等の概念を確立していければ良いなって思っています。
考えるヒントみたいなものをくれませんか?問いでも良いです。
>おおよそ、自由は、幸福に対する最も一般的な尺度であり、(したがって渡邉さんの考える幸福もコ
レに含める事が出来るでしょう)平等は、規則の置換対称性です。( A が B に対してしてはいけない
ことは B が A に対してしてもいけない)
これは短いけど十分な内容の要点って言った感じで問題意識を高めさせてくれるものだと思います。
所有物が同じって言うのは相当素人な勘違いだったみたいです。でも、これで、自由にも、平等にも
思想的なポイントが持てた気がします。
宇田さん、やっぱり僕は物理なり、数学を極めたいと思います。
僕の使っているδっていう表現は、やっと一人の人に説明がついた段階に成りました。
それは、δは僕の精神的なものの意志や感情それに創造と言ったものをδに封じ込めたものだと言え
ば、宇田さんにも伝わりますか?
つまり、δは僕の心そのものの文字表現だったって事なんです。
宇田さんは、物理(数学)の解釈にδを持ち出すと具体的な数式や言葉で正確な表現を与えてくれま
す。宇田さんが、与えてくれるそれらの数式や言葉は数学や物理を深く学んだ人には共通言語となって
いますが、僕はまだその段階にいたっていません。
これは逃げの言葉をこしらえては行けないと言われてしまうかも知れませんが、宇田さんが数式や正
確な言葉で話しているのにたいして、僕は心で感じ取った現象をそのままδを用いて表現しているんで
す。だから、具体的な数学は最初は範囲に入ってこないんです。ですが、δが成熟すればキチンとした
数学的表現まで、こぎ着けたい気持ちがあります。
僕は長いこと、量子力学の表面さえ分かっていなかったようです。
最近、僕は本で量子テレポーテーションという現象を知って、量子的なからみあいが現実にある事に
驚愕して、今までの僕くの立場では容易に説明が出来なさそうなこの現象に、もっと深い物理に興味が
出てきました。
普通は二重スリットの問題で実在論は否定される?のではと思っているかも知れませんが、僕の無知
で二重スリットの問題では、まだ具体的な物理現象をイメージ出来るものと思っていました。
しかし、量子的なからみの問題はどうしたって具体的なイメージがまだ出来ない領域だと思っていま
す。僕が、もっと勉強をすれば、量子的なからみの問題も具体的なイメージを持って扱うことが出来る
かもってそいういう事に期待して、僕は物理と言うものを真剣に学びたいと思いました。 |
2006/09/16/19:07 |
渡 |
了解しました。こないだは届いていないのかなって思っていましたが、宇田さんが4、5日くらいメ
ールの確認をしない時もあるって聞いて今はそれほど、メールが来てないかは不安に思っていません。
まあ、僕も二日にいっぺんくらいな感じでメールの確認をしていますが、ぱったと忘れてしまう時も
あるんでそれはそれで良いのかもしれないと思ってます。 |
2006/09/20/11:45 |
渡 |
新たなホームページの作成、中ですが、おめでとう御座います。新しく立ち上げる事により、多くの
人に見てもらえたら良いですね。
早くも宇田さんの文章を読んで、誤りを指摘したりする人が居るみたいですね。
宇田さんが多くの物理学の教科書をYPBNOAUEGとするとそこからAPENの様に意味を紡ぎ
出したっていう所と、宇田さん独自に伝統の轍?を廃することにより、新しい教科書が出来上がったっ
ていう宇田さんの主張が分かりました。
宇田さんが言う宇田さんの天才性って言うのはこの部分のみをさして言っているんですか?
僕には、何か、物理の業績があってそれも含めて、宇田さんは自身を天才と言っているんじゃないか
なと思っています。まだまだ、宇田さんはベールに包まれている気がします。
>伝わりますけど、どのような意志か?どのような感情か?という点までは伝わりません。
それは、δを使った表現が表現になりきっていないせいだと思います。自分の感情を人に完全に一致
させる事は無理という所からきていると思います。
δは閉じているというか、自分自身しか完全には一致しない表現であって誰かに、この文字はって説
明し出すと大筋では分かるけど、細かい部分は分からないと言うことになってしまうと思います。大筋
でも分からないって事もあると思います。
つまり、δは自分のための表現方法にとどまっていて、他者に伝えるための手段としては不完全なも
のにとどまっていると言うことだと思います。
今まで、δの話に付き合って頂き有り難う御座いました。今後はδの話は他者に情報を伝えられる段
階に達するまで話をするのを止めます。 |
2006/09/23/20:08 |
渡 |
宇田さんのホームページを見ていて、これは買わないと在庫がって思ったシッフの量子力学の本を買
いました。内容は細かい字で殆ど読んでいませんが、今の僕には数学的に難易度が高すぎる本だと思い
ました。メラーの相対性理論の本も買いたいと思いましたが、予算が付かず断念しました。あとゴール
ドシュタインの古典論も欲しいと思いましたが、中古なのが気になったのとやはり値段が高くて手が出
ませんでした。力学の本はまだ在庫が有りそうなので後回しにしました。
岩波から出ていた、量子力学入門という本を通して2度目かな、読んでいました。途中で寝てしまっ
たんですが、今までよりも実在論的?に読むことが出来ました。
というのは、具体的な素粒子像を或る程度持って読むことが出来たからです。これは快感を伴ったく
らいです。自分の想像が間違っていないって感じさせる何かを掴めた気がしたんです。
だから、おおよそ僕が感じている事は現実に即しているという事が確認できた気がして嬉しいんです
よ。δの話をしてしまいますが、δもそう言った僕の創造が入ってくるんです。だから、誰かに伝えて
見たいって言う欲求が生まれてくるんです。
宇田さんが僕のδを世迷い言を言っている、いや誤った事を主張しているって受け取っていましたが
、宇田さんの先のメールを読んでその不安が消えました。頭ごなしに否定しに掛かっているんじゃない
って。
僕も宇田さんの様に示せることを示していき、それがやがて全体像に成るまで示し続けていければ、
これ以上の幸せは無いくらいに思います。
宇田さんこれからも、宜しくお願いします。
あ!そうだ宇田さんのホームページの量子力学正典の所を開こうとしたんですが、技術的な問題が発
生しているか何かで開くことが出来ませんでした。
工事中だからですかね? 力学の所は開けました。
量子力学的なからみの問題がそれほど不思議な存在でないことを彼女からの指摘で段々分かるように
なって来ましたよ。それの具体的な像を想像することも出来るのではって感じに成ってきました。
話は変わるんですが、宇田さん、僕は彼女にこれだけ愛しているんだから的なことはしていないです
よ^^
いや、そういう気持ちを捨てようと心がけているところなのかも知れません。 宇田さんのホームページを見ていて、これは買わないと在庫がって思ったシッフの量子力学の本を買
いました。内容は細かい字で殆ど読んでいませんが、今の僕には数学的に難易度が高すぎる本だと思い
ました。メラーの相対性理論の本も買いたいと思いましたが、予算が付かず断念しました。あとゴール
ドシュタインの古典論も欲しいと思いましたが、中古なのが気になったのとやはり値段が高くて手が出
ませんでした。力学の本はまだ在庫が有りそうなので後回しにしました。
岩波から出ていた、量子力学入門という本を通して2度目かな、読んでいました。途中で寝てしまっ
たんですが、今までよりも実在論的?に読むことが出来ました。
というのは、具体的な素粒子像を或る程度持って読むことが出来たからです。これは快感を伴ったく
らいです。自分の想像が間違っていないって感じさせる何かを掴めた気がしたんです。
だから、おおよそ僕が感じている事は現実に即しているという事が確認できた気がして嬉しいんです
よ。δの話をしてしまいますが、δもそう言った僕の創造が入ってくるんです。だから、誰かに伝えて
見たいって言う欲求が生まれてくるんです。
宇田さんが僕のδを世迷い言を言っている、いや誤った事を主張しているって受け取っていましたが
、宇田さんの先のメールを読んでその不安が消えました。頭ごなしに否定しに掛かっているんじゃない
って。
僕も宇田さんの様に示せることを示していき、それがやがて全体像に成るまで示し続けていければ、
これ以上の幸せは無いくらいに思います。
宇田さんこれからも、宜しくお願いします。
あ!そうだ宇田さんのホームページの量子力学正典の所を開こうとしたんですが、技術的な問題が発
生しているか何かで開くことが出来ませんでした。
工事中だからですかね? 力学の所は開けました。
量子力学的なからみの問題がそれほど不思議な存在でないことを彼女からの指摘で段々分かるように
なって来ましたよ。それの具体的な像を想像することも出来るのではって感じに成ってきました。
話は変わるんですが、宇田さん、僕は彼女にこれだけ愛しているんだから的なことはしていないです
よ^^
いや、そういう気持ちを捨てようと心がけているところなのかも知れません。 |
2006/09/26/14:00 |
渡 |
量子力学においての波動関数の収縮という現象はコペンハーゲン解釈で言う、観測と同時に波動関数
が収縮するという立場と位相相関の喪失というランダムな位相が正の振れ幅にも負にも同じくらい起こ
ることから、波動関数が収縮するという並木美喜雄の話が本当の解釈なのか?って気になってしまいメ
ールしました。
二重シュテルン-ゲルラッハ実験の正否で、コペンハーゲン解釈か位相相関の喪失かの説明のどちら
かが正しいが実験で証明されるとされていると岩波の量子力学入門で書いてあったんですが、すでにそ
の実験は行われていて、答えが出ていて宇田さんが知っているなら教えて下さい。
僕の前の解釈は二重スリットの問題で言えば、観測した時に波動関数の収縮が起こるという立場に一
応立っていました。つまり観測と同時に波動性が消えて粒子性が残るために干渉項が消えるという風な
説明です。これはコペンハーゲン解釈ですかね。
僕の今の立場は粒子の粒子性と波動性は消えないという解釈です。二重スリットの問題での粒子性が
見られる時には、重ね合わせの原理に寄って干渉項が消えるという風に捉えます。
しかし、粒子性は位相相関の喪失に寄ってのみ現れないとする訳では有りません。粒子が普通に空間
を進行している時も粒子の粒子性はあるし、波動性も同時に満たしているという考えに立っています。
宇田さん自身は、波動関数の収縮は観測問題の上での考察をどういう風に考えていますか? |
2006/09/27/09:22 |
渡 |
(件名=並木美喜雄の主張)
位相相関の喪失とは本では、ヤングの干渉実験に観測機を付けて行った場合
弱い強度のビームを投入し、スクリーン上での粒子の到着点を記録し、それを多数集めて重ね焼きを
するのであった。まだ、検出器検出器として動くか分かっていない。(十分な観測機器になっているか
は分からない、スグレの一原子測定の場合の原子の数を増やして行った場合?と思って下さい)まずは
、多数からなるマクロ系だと考えておく。この重ね焼きによって、次々に投入される粒子の波に関する
干渉項2φaφbの足し算が実行される。次々と投入される粒子の分波φaが検出器から互いにランダ
ムな位相のずれをもらうとすれば、φaとφbが同位相に近い場合(すなわち積φaφbの符号が同符
号の場合+×+=+、-×-=+となって正の場合になる場合)の頻度と、両者の逆位相の場合(すな
わち積+×-=-、-×+=-となって負になる場合)の頻度は等しくなるはずだ。したがって、重ね
焼き上では、正の部分と負の部分が相殺し合って、干渉項は消える。検出器がこのような効果を与える
ものならば、多数の実験の繰り返しによる重ね焼きの分布は、干渉項のない分布Pa+Pbになる。相
対位相がこのようにランダムになることを位相相関のずれという。って書いてあります。
しかし、ヤングの干渉実験の場合、弱い粒子を時間的に間隔をおいて送り込むんだから、多数個の粒
子同士は干渉し合わないんでは?って疑問に思ってしましました。
これは、一個の粒子が観測機に寄ってランダムな位相を貰うことにより、一つの粒子ずつでも粒子性
が現れ、干渉項が消えるって考えて良いんですか?
二重シュテルン-ゲルラッハ実験について
多世界理論にしても環境理論にしても、測定過程が一般にスペクトル分解過程と検出過程の二段階構
成もつという事実を忘れている。世界の分裂や環境の直交分解どのような段階で起きるのか?双方の理
論はそれを説明していない。力学量の取る値が分かれるというところに力点があるとすれば、スペクト
ル分解の段階で起きると考えてよいだろう。分裂や直交分解が起きてしまえば、波動関数の収縮はそこ
で実現されたことになる。しかし、何回も強調したように、スペクトル分解は位相相関を保持する純粋
な力学過程であって、波動関数の収縮を与える確率過程にはならない。波動関数の収縮は検出段階で実
現するものだ。とすれば分裂や直交分解は検出段階で起きることになるが、これはまたおかしい。なぜ
ならば、運動量測定やシュテルン-ゲルラッハの実験のところで説明したように。各検出器には(どこ
におかれていようと)粒子到着を報じる役目しか与えられていないからだ。どの検出器も自分が検出し
た力学量しか知らず、したがって、世界を分裂させたり、環境を直交分解される能力などあるはずがな
い多世界理論や環境理論のいう分裂や直交分解がスペクトル分解の段階で起きると想定した場合に、か
れらの理論が正しいかを判定する実験は現実に可能である。京都大学原子炉実験所で計画されている二
重シュテルン-ゲルンラッハ実験だ。左上からスピンが不定の(すなわち、スピン状態が↑の波と↓の
波との重ね合わせ状態である)中性子ビームを投入し、第一の中性子半透明鏡で上下二方向に分ける。
この段階ではまだスピンの分離はしていない。次にその二つの分波のそれぞれを磁気ミラーに当てて、
スピンの確定した四個の分波に分ける。はじめ上に行って次に下に向かうスピン↑をもつ分波と、はじ
めに下に行って次に上に向かう同じスピン↑をもつ分波とを次の中性子半透明鏡で合成して、その両者
の干渉を見ようというのである。多世界理論や環境理論では、スペクトル分解の段階で波動関数の収縮
が実現したと想定したのだから、もはや両者の干渉は起こるはずはない。これにたいして私たちの理論
ではもちろん干渉現象の観測が期待される。まだ、実験は行われていないが、私たちの理論が正当化さ
れるだろうことは自明である |
2006/10/01/19:38 |
渡 |
位相相関の喪失についての説明不足があったので、書きました。
ヤング型干渉計において射出器から分派器に書けて粒子を二つに分けて、片方の分波に検出器を付け
て、その後干渉模様を観測するというものです。
位相相関のズレは観測器を通った方の分波の位相がズレる(一般的には振幅も減少する)。このズレ
が二つに分かれた分波が再び干渉する時に、谷山の部分が打ち消されるように干渉項が観測器により消
えるとするもののようです。
なので、一つの粒子の干渉項が無くなる事を示していて、多数の粒子が干渉して位相相関の喪失が起
こるかのように書いてしまいました。すみません。
それと、いったんは素朴な実在論(自分は素朴な実在論では無いと思っていましたが、その範疇の様
です)が通る描像を描いていましたが、どうやらそれは一旦は無に返さなければならない所なんだって
思っています。
シッフ著の量子力学を読んで、素朴実在論の立場から確率の解釈をしなければ成らないことを初めて
納得しました。いや、シッフ以前にもそう言う助言や書いてあったりしたんですが、自覚したのはその
本を読んだ時でした。
結局宇田さんに聞きたいことは、二重シュテルン-ゲルラッハの実験の結果が聞きたいと思っていま
す。二重シュテルン-ゲルラッハの実験の説明の所も詳しいことが分からないため、関係のある記述の
所だけしか書けず、足りない記述で申し訳ないです。
宇田さんが、二重シュテルン-ゲルラッハの実験を知っていると期待して答えを求めた次第です。 |
2006/10/03/20:46 |
渡 |
質問が詳しく分からないのにしていたので、自分言葉で書いて見ます。
二重スリットの問題で、干渉模様が出来るというのは粒子の波動性が現れているからだと思いますが
、実際に波動の状態で二重スッリトを通り抜けるんでしょうか?
僕はどうしても、その時の粒子像を考えてしまうんです。というのは、粒子性と波動性はどちらか一
方が観測される相補的なものではなく、粒子性と波動性の両方を表す像が有るのでは、つまり、粒子性
と波動性を兼ね備えた、粒子像があるのではって思っています。
宇田さんは、粒子性と波動性を重ね合わせた像を表現出来ると思いますか?
二重シュテルン-ゲルラッハの実験の方はまだ良く理解していないので、宇田さん話を聞いても分か
らないので、取りあえず保留にして下さい。 |
2006/10/07/08:58 |
渡 |
宇田さん、まじめに、答えてくれる人もいますが、大分面白がって批判的な人が居るみたいですね。
δ(0)関数のところを中心に読んだんですが、デルタ関数が僕の微分が起源というδの話に通じて
いる所があるんじゃないかって思い書きます。
宇田さんのデルタ関数は無限がらみの数を有限な数で表現する方法の様に感じました。
僕のδは0.00…1とでも言う、最初の実数みたいなもので表す、つまりδ=0.00…1とする
んです。そこで、δを基準として、自然数の1と同じ基準に置き換えると、1は単に1ではなく実無限
を表します。それは1=δ(0.00…1)×∞という意味です。
これは1を基準に無限を定める用法になっていませんか?
全ての(正の?)実数にわたる和を表しているという所がありましたが、この用法を利用すれば、∞
^2/2という風に表せませんか? 正であれば、0ですね。 |
2006/10/07/18:09 |
渡 |
> 正であれば、0ですね
これは、正負であれば、0ですね です |
2006/10/09/18:11 |
渡 |
忙しそうだって、感じていたので、メールをしないようにしてみようと思っていたとこです。
僕の勝手気ままなメールなので、どうかお気になさらずに^^
僕も自分のイメージを確かなものにする時間が必要なのでちょうど良い時間かも知れません。
正典の完成に力を注いで下さい。 では、11月にメールしましょう! |
2006/10/31/18:21 |
渡 |
> 僕のδは0.00…1とでも言う、最初の実数みたいなもので表す、つまりδ=0.00…1とす
る
> んです。そこで、δを基準として、自然数の1と同じ基準に置き換えると、1は単に1ではなく実無
限
> を表します。それは1=δ(0.00…1)×∞という意味です。
> これは1を基準に無限を定める用法になっていませんか?
> 全ての(正の?)実数にわたる和を表しているという所がありましたが、この用法を利用すれば、
∞
> ^2/2という風に表せませんか? 正負であれば、0ですね。
ここの所はキチンと考え抜いての事ではないので答えなくて良いです。
11月には少し早いですが、これだけ伝えとこうと思って。 |
2006/11/03/12:54 |
渡 |
ハワイでやって来たんですか、、発表会。皆さん元気なんですね。
お疲れ様でした。今度おみやげ話でも聞かせて下さい^^
こっちは、■■センターに今度顔を出す予定です。 |
2006/11/07/08:06 |
渡 |
才能は欠乏感であるの中で喩えで、美人の話が出ていましたが、僕は美人は人それぞれに理想の形が
心に刻まれていると思うんです。
つまり、生まれてから出会った人の中で、この人こそ私が探していた人だ、だったと思う人が普通は
出てくると思うんです。それは、誰にでも備わっていると思うんです。
「最上に美しい」と思う人は宇田さんの言うように出会った瞬間に感じるものだと思います。
美人に出会った時には人は様々な反応をするんではないんでしょうか?
出会った瞬間に私が追い求めていた人だと直感で感じ取る場合や、時間の経過とともにこの人が私の
追い求めていた人だと言う場合など、或るいは両方の場合など、もっと色々あると思いますが、様々じ
ゃないでしょうか?
私の言っている美人は人がそれぞれに、持っている美的感覚からくるものです。内面的な美しさが美
しいとする人も居るでしょう。
そして、それは理論にも言えるんじゃないかって言うことです。つまり、人それぞれに理論の美しさ
が、違って来ても良いんでは?と思います。
目指す最上の理論は自然そのものです。そして自然の認識は人の感じ方に寄って違って来ます。
理論は自然を様々な角度から見た、人それぞれの価値観の様な気がします。
僕が言いたいのは、理論の示す描像は自由であると言いたいんです。
(人それぞれに、人と違う理論を主張しても差し支えがないと思うんです。但し、実験と一致しない
、事実と一致しないでは、理論の不備を指摘されるはずですが。
人それぞれが、各自の各段階、未完成の理論を持っている場合などそれぞれの段階も許容されるべき
だと思うんです。)
話が大分それてきましたが、数学的な面での理論の形は一つに限られるのかも知れませんが、例えば
超ひも理論というのがありますよね。あれって、究極の粒子が「超ひも」であるという描像を持ってい
ますが、僕は究極の粒子像を持っていますが(確定的ではないけど)、それはひもではないのです。た
だ、超ひも理論から導き出される、例えば多数に上る複数の粒子の説明の仕方など、自分の究極の粒子
像の説明のヒントとして参考にしていく場合もあります。
上で言う美しさに標準的な価値観がある事に対応している気がします。
話を元に戻すと才能の中の天才性とは誰もが持っているものと思います。それが多くの場合、みんな
と一致したりする。その中で他にない才能を持っている人が、周りから違っている分、天才性であるた
めに、天才と言われるのではないかと思うんです。 |
2006/11/26/20:02 |
宇 |
おそこなってごめんなさい。
まだ、ハワイの報告記事を書き終わってません。
ところで渡邉さん、
ブログ作ってはいかがですか?
ペガサス何とかで
http://spaces.live.com/
の「スペースの新規作成」へ入れば作れますよ。
僕のブログは3つ(正確には4つあって)
http://redwebstar.spaces.live.com/
http://singbird-com.spaces.live.com/
http://sourcecodeof-humangenome.spaces.live.com/
(http://15.pro.tok2.com/~wooder/blog/)
です。
気が向いたら覗いて見てください。
メールは来てる事に気付かなかったりするので、
ブログ同士でやり取りも良いですね。 |
2006/11/27/21:46 |
渡 |
ブログはそんなに書くことが無いのでスカスカなブログしか出来ないと思うので多分やらないと思い
ます。
それとブログにすると第三者の閲覧が可能ですよね。個人的な質問(δの話など)はブログに書き込
めるほど、まとまっていません。なので、ブログには分かる範囲の事を書くことにします。
ブログついては一番下のに参加しようと思っています。でも、意見交換は基本的にメールでやりたい
んですが、情報として書き込んで欲しいと言うなら、出来る範囲で協力しますよ。
前に宇田さんがメールでちゃんと書きますって書いた返信を待っています。二重シュテルンーゲルラ
ッハの問題や場の量子のコメントを期待しています。出来たら書いて下さると嬉しいんですが^^
それと、ブログでの宇田さんの書き込みはちょっと、頭ごなし過ぎるんじゃないか?って気になって
しまします。だって、何でも答えますよっていうのはちょっと僕は嫌な感じがします。
僕はその分、宇田さんは損をするんじゃないかって思います。いや、そうではないと言うなら気にし
ないで下さい。気になった事なんで書いたんです。 |
2006/11/27/22:14 |
渡 |
イカロスって名前で一番下のブログにカキコしましたよ。
余談ですが、なぜイカロスなのか?って言うとイカロスが太陽に向かって飛んでいって真理に近づい
て行くと、太陽の熱でイカロスの翼が溶けてしまってイカロスはそのまま落下して地面に叩き付けられ
て死んでしまうって言うんです。しかし、話には続きが有って、イカロスが死んだ後、イカロスがペガ
サスに生まれ変わって飛び去って行くって言う話を誰かから聞いた事が有ります。
多分、僕は物理に関しての真理に近づきたいと思っていますが、失敗するでしょうとの見通しから、
イカロスってハンドルネームにしました。
そして、誤りを全て払拭出来た暁にはハンドルネームをペガサスに変えようと思っています。
駄文ですが、読んで下さって有り難うです。では、おやすみなさいませ。 |
2006/12/03/23:07 |
宇 |
>ブログはそんなに書くことが無いのでスカスカなブログしか出来ないと思うので
>多分やらないと思います。
了解です。
>それとブログにすると第三者の閲覧が可能ですよね。
アクセス制限が可能だと思いますが、
それを使って僕と一対一にするならば、
それではメールと同じであってブログの意味が無い、と思います。
だから、自分のブログは作らない、という渡邊さんの判断は妥当だと思います。
>個人的な質問(δの話など)はブログに書き込めるほど、まとまっていません。
>なので、ブログには分かる範囲の事を書くことにします。
>ブログついては一番下のに参加しようと思っています。
分かりました。
>でも、意見交換は基本的にメールでやりたいんですが、
>情報として書き込んで欲しいと言うなら、出来る範囲で協力しますよ。
たとえて言うならば、公開されたブログは裁判のようなものです。
そして、そのたとえの上で言うならば、
渡邊さんが僕にメールで訴えている渡邊さんに関しての事実というのは、
僕に対する訴訟内容です。
ブログには書けないけどメールで聞いてくれ、という態度は、
裁判すると負けてしまうので苦情を述べるに留める、ということです。
これが渡邊さんの実態であることを知っておいてください。
以前メールでも書いたように、
僕はメールで渡邊さんのブログには書けない話を聞きます。
僕は渡邊さんのブログに書けない言説を潰しにかからないように手加減します。
しかし、それは、
僕が心の中で思ってることをズケズケ言わないように抑えているだけで、
渡邊さんのブログに書けない言説に賛同しているのではなく、
僕がそれに賛同する見込みはほとんど皆無に等しい、
という事は知っておいてください。
>前に宇田さんがメールでちゃんと書きますって書いた返信を待っています。
>二重シュテルンーゲルラッハの問題や場の量子のコメントを期待しています。
>出来たら書いて下さると嬉しいんですが^^
ごめんなさい。軽々しく色々約束をしてしまったようです。
これに関しては、全く僕の責任です。
返信すると約束したものについては返信すします。
どれとどれに返信すれば良いのかを教えて頂けると良いのですが。
それから、僕が返信し終わる前に次のメールを書かないように、お願いします。
>それと、ブログでの宇田さんの書き込みはちょっと、頭ごなし過ぎるんじゃないか?
>って気になってしまします。
>だって、何でも答えますよっていうのはちょっと僕は嫌な感じがします。
>僕はその分、宇田さんは損をするんじゃないかって思います。
>いや、そうではないと言うなら気にしないで下さい。
>気になった事なんで書いたんです。
何でも答える=あなたにあって私に無いものは無い=あなたは私の部分集合程度の人間でしかない、
という論理が作用するからですね。
その考え方は良く分かります。
しかし、「何でも答えます」と僕はどこに書いているでしょうか?
僕は、自分を何でも答えることの出来る人間とは思っていませんから、
そんなことは書かないはずですが。
分からない質問に関しては「分からない」と答えるつもりです。
これをも答えと認める意味においては、僕は何でも答えます。
それは、僕は誠実に聞き誠実に発言します、という事と同義です。
自分で自分の事を、誠実である、と宣言することは嫌な事ではないはずです。
物理学正典に関しては、著作者でありサイト管理者である者として、
何にでも答える責任を僕は感じます。
これは、様々な著作物や工業製品の製造者がいかなる態度を取っているかを見れば、
何が誠実な態度か分かると思います。
製造者は製造物に対するユーザーの質問には何にでも答える、
というのが理想であって、これ傲慢ではないはずですが。
物理学正典は人間の全てではありません。
だから、物理学正典に限って、
あなたにあって私に無いものは無い、のだとしても、そのことが、
あなたは私の部分集合程度の人間でしかない、という事にはつながりません。
お前は何でも出来るのか、お前は何でも知ってるのか、とは、
僕を見た人が、良く言う事です。
僕が、自分を全知全能だとは主張していないのに、です。
僕の態度言説は、相手にそのような印象を与えるようです。
しかし、そういう人間には損をさせるぞ、
そんな態度は取る事が出来ないように社会的な制裁を準備するぞ、
ということであっては、いけないのではないでしょうか。
これは不当な脅迫です。
渡邊さんが不当な脅迫をしている、と僕は言っているのではありません。
渡邊さんが、そのような不当な脅迫を是認するような発言をしている、
と僕は言っています。
改めなくてはいけないのは、僕ではなくて、脅迫する側の人間です。
僕のブログの書き込みが嫌な印象を与える、という事がある一方で、
渡邊さんの書き込みは答える側に嫌な印象を与えない、
と思っていますか?
僕は、嫌な印象を受けましたよ。
だから、僕の返答が渡邊さんにとって嫌なものになったとしたら、
僕がそれに反発したから、ということでもあるのですよ。
渡邊さんは質問しましたか?
あなたにとっては幼稚な質問ですけど僕には分からないので教えてください、
という風に。
渡邊さんのは違いましたよ。
僕に直ぐには答えることが出来ないと予想される問題を選んで質問しませんでしたか?
そして、僕によって完全に答えられたら、潰された、という風に感じるのではありませんか?
それは質問ではありません。挑戦です。
僕は、自分に挑戦する者に対しては、打ち負かすのみです。一切容赦しません。
まあ、怖がらないでください。
殴ったり蹴ったりするわけではないし、お金をボッタクルわけでもありませんから。
宇田で楽しんでくださいよ。 |
2006/12/04/10:31 |
宇 |
2006年10月7日 18:00:24に僕が送信したメールに、
「またあとで渡邉さんのメールをキチンと読んで返信します」
と書かれていました。
これから、このメールを返信とする渡邊さんのメールを探します。 |
2006/12/04/10:45 |
宇 |
2006年9月26日 23:33:25に僕が送信したメールに
「後で返信書きます」と書かれています。
波動・粒子の二重性
二重シュテルンゲルラッハ実験
位相相関の喪失
今のところ、
以上三件かなと思っています。
この三件で正しいかどうかを、これから確認します。 |
2006/12/04/12:34 |
宇 |
まず、メールでの渡邊さんの文章は意味の分からないものが多すぎます。
たとえば、
>宇田さん自身は、波動関数の収縮は観測問題の上での考察をどういう風に考えていますか?
という渡邊さんの質問文。
僕には意味が分かりません。
意味が分からないから答えようがありません。
渡邊さんが言おうとしている事と違う意味になるかもしれませんが、
意味の分かる文とは、たとえば、次のような文です。
「宇田さん自身は、波動関数の収縮についての観測問題の上での既存の考察をどういう風に評価しますか?」
渡邊さんの文章で、意味の分からないものは、他にもたくさんあります。
挙げればきりが無いくらいです。
質問文ではなく、意見の陳述に関しては、
意味が分からない、ということは、真でも偽でもない、ということです。
真でも偽でもなければ反駁を受ける心配はありません。
悪く言うと、渡邊さんは、僕が反駁することの出来ないように、
わざと読めないようにメール文を書いていませんか?
上気したような一つの文の意味の分かりにくさだけなら、
そこまでは思いませんが、
改行や段落分けの無さを見るときには、僕はしばしばそう思いました。
僕のホームページは改行や段落分けの無い文章が掲載されていますが、
それは、各文がそれでも読めるように正確に書かれているからこそです。
そう(渡邊さんが意図的に読みにくい文章を書いていると)思うときには、
僕は、
「お前のような徹底的に筋を通す論理的なアプローチでは、
渡邊さんの様な支離滅裂な言説には対処できないだろうが」
という風に挑戦を受けていると感じます。
対処できないことはありません。
徹底的に筋を通す論理的なアプローチでは、対処がどうなるかは、
今までの僕のメール内容に見ることも出来るし、
このメールに始まる一連の返信においても模範を示して行きます。 |
2006/12/04/13:29 |
宇 |
>二重シュテルン-ゲルラッハ実験・・・
>すでにその実験は行われていて、答えが出ていて宇田さんが知っているなら教えて下さい。
二重シュテルン-ゲルラッハの実験を僕は知りません。
どういう実験なのかすら知りません。
したがって、それが既に行われているか、答えが出ているか、
僕は知りません。
>観測と同時に波動性が消えて粒子性が残るために干渉項が消えるという風な説明です。
>これはコペンハーゲン解釈ですかね。
分かりません。多分違うと思います。
コペンハーゲン解釈は、
波動性が消えて粒子性が残るのはなぜか、その理由にまで言及するものではない、
という風に僕は理解しています。
>宇田さん自身は、波動関数の収縮は観測問題の上での考察をどういう風に考えていますか?
観測問題の専門家がどのように考えているかを僕は知りませんから、
それについて僕がどう思うかを僕は答える事が出来ません。
僕にとって観測問題は何か、ということについてなら僕にも考えがあります。
僕にとって、
観測問題は単なる応用問題であり、複雑すぎて容易には解けない。
そうではない基礎論的な意味での観測問題は不毛な詮索です。
これは、量子力学の観測問題に対する文法主義の立場です。
詳述するならば、
「古典論から量子論への移行は文法の変更であり、
量子力学の解釈の問題は、
量子力学を古典論の文法に翻訳せよ、
という問題である。
それが出来るならば、
量子論の文法は古典論の文法とは異なる新しい文法だ、とは言えない。
しかし、量子論の文法は古典論の文法とは異なる新しい文法だ。
したがって、量子力学を解釈せよ、という発想自体が的外れである。」
という立場です。
「コペンハーゲン解釈と位相相関の喪失とどちらの説明が正しいか?」
ということについては、
現段階では僕には分かりません。
これは、位相相関の喪失とは何かを、僕が知らないためです。
しかし、位相相関の喪失とは何かを、自主的に学習する予定は僕にはありません。
渡邊さんが僕に、位相相関の喪失とは何かを、上手に説明してくれ、
かつ、僕がそれに納得した場合に限って、
「コペンハーゲン解釈と位相相関の喪失とどちらの説明が正しいか?」
という問題について僕も考えてみようと思います。
二重シュテルン-ゲルラッハ実験との関係についても、
二重シュテルン-ゲルラッハ実験とは何かを、僕は知らないので、
僕には分かりません。
これについても、
二重シュテルン-ゲルラッハ実験とは何かを、自主的に学習する予定は僕にはありません。
渡邊さんが僕に、二重シュテルン-ゲルラッハ実験とは何かを、上手に説明してくれ、
かつ、僕がそれに納得した場合に限って、
二重シュテルン-ゲルラッハ実験との関係について僕も考えてみようと思います。
位相相関の喪失とは何か、二重シュテルン-ゲルラッハ実験とはどういう実験か、
それについての渡邊さんの説明に、僕がまだ納得出来ない場合には、
僕は「その説明では僕はまだ分からない」とコメントする以上の事を約束しない、
ものとします。 |
2006/12/04/13:48 |
宇 |
2006年9月27日 9:22:25の渡邊さんのメールを読みました。
位相相関の喪失とは何か、について、あの説明ではまだ僕には十分に分かりません。
しかし、こういうことなのではないか、という考えは僕の頭に生じました。
それによると、渡邊さんの言うように、
>一つの粒子ずつでも粒子性が現れ、干渉項が消えるって考えて良いんですか?
という点が問題に成ると思います。
実際には、一つの粒子ずつでも粒子性は現れます。
したがって、位相相関の喪失による説明は間違っていることになりますね。
しかし、これは、位相相関の喪失とは何か、について僕の頭に生じた、
こういうことなのではないか、との憶測が当たっていればの話ですが。
渡邉さん。
どこからどこまでが自分の意見で、
どこからどこまでが本からの引用で、
どこからどこまでが宇田の書いたメールからの引用か、
といった点をメール内で明確に表示してください。
渡邉さんのメールには、この点の分かりにくいものが多すぎます。 |
2006/12/04/14:12 |
宇 |
2006年9月27日 9:22:25の渡邉さんのメールにおける並木の言説のうちの、
二重シュテルン-ゲルラッハ実験と多世界理論と環境理論の関係について言及している部分について、
僕には内容が理解できません。
予備知識が不足しているからです。
>まだ、実験は行われていないが、私たちの理論が正当化されるだろうことは自明である
という部分に含まれる「私たちの理論」とは何のことでしょうか?
位相相関の喪失のことでしょうか?
それとも、多世界理論も環境理論もどちらも間違っている、という考えのことでしょうか?
これは、僕はこの部分が分からない、という報告です。
答えなくてもかまいません。 |
2006/12/04/14:26 |
宇 |
2006年10月1日 19:38:51の渡邉さんのメールを読んで、
位相相関の喪失とはこういうことなのではないか、
という、僕の憶測は、誤っていることが分かりました。
僕は、
>多数の粒子が干渉して位相相関の喪失が起こる
ということだと思ってましたから。
そうでないとしたら、皆目見当がつきません。
したがって、ここまでのところ、
渡邉さんの説明によってでは僕には位相相関とは何かが全く分かりません。
2006年10月3日 20:46:17の渡邉さんのメールの
>二重シュテルン-ゲルラッハの実験の方はまだ良く理解していないので、
>宇田さん話を聞いても分からないので、取りあえず保留にして下さい。
に対して。
了解です。僕も理解していません。
先述したように、僕の方が渡邉さんよりも先にそれを理解することは、
少なくとも、僕の予定としては、ありません。
僕は予定としては、渡邉さんからそれについて説明を受け、
それに納得した場合に限って、その後で、
それについてコメントします。 |
2006/12/04/14:39 |
宇 |
>宇田さんの2chを読みました
>宇田さん、まじめに、答えてくれる人もいますが、
>大分面白がって批判的な人が居るみたいですね。
「面白がって」という言い方は、
その人たちのやっている事の歪曲です。
真実は「面白がって」ではなく「ムキに成って」「目くじら立てて」「敵意を剥き出しにして」等々です。
その根拠となる書き込みはいくつもあります。
>δ(0)関数のところを中心に読んだんですが、
>デルタ関数が僕の微分が起源というδの話に通じている所があるんじゃないか
これを読んでいろいろ思うところがありますが、
キツイ事は言わずに、
以下の点に触れるにとどめます。
δ(0)記号は、1995年に僕が書いたノートに既に現れています。
これは、僕が渡邉さんに出会うよりもズッと前です。 |
2006/12/04/17:18 |
宇 |
僕を見た人がよく、
お前は何でも出来るのか?お前は何でも知ってるのか?
と言い始める、という話の続きをします。
これは僕の人格に対する誤解です。
渡邉さんも出会ったばかりのころに、人間性が必要だ、と言って僕を非難しましたね。
あれも、僕の人格に対する誤解です。
渡邉さんは、あの時、宇田には人間性が欠如している、と早合点してしまったのでしょう。
他にもあります。
僕が高校生だったころ、僕の事をろくに知りもしない、用務員のおばさんが、
友人を伴って下校中の僕に対して、
僕のことを薄情だと決め付けて難癖をつけて来たことがあります。
僕が何か薄情な事をするところを、その人がそこで見たのでもないのに。
僕の人相を理由に挙げていましたね、その人は。
これらの現象について僕は非常に心外だと感じています。
相手の人格を批判するのは、その人の人格を熟知してからにするべきです。
相手の人格を良く知りもせずに、相手の人格を批判するのは、
軽率な間違った態度です。
しかし、僕を見た人が、よく、
お前は何でも出来るのか?お前は何でも知ってるのか?
と言い始めるには、それなりの理由があるのも事実です。
その理由というのは、
僕が自分を全知全能だと主張した、という事ではありません。
僕は自分を全知全能だとは思っていませんから、
そんな主張はしません。
僕の知る限りでは、その理由は次の二つです。
<1> 僕が知り過ぎている。僕が出来過ぎる。
<2> 僕が自分の知識や能力に関して事実を一歩も譲らない態度を取る
<1>については、僕の優秀性が相手の自尊心を押しつぶしてしまうぐらいに
優れたレベルに達している、という事です。
相手が、これは宇田にも分かるはずないだろう、と思う事について、
僕が分かっている、知っている。
相手が、これは宇田にも説明出来るはずないだろう、と思うことについて、
僕が説明出来る。
もちろん、全知全能ではないから何でもかんでもではないけれど、
そのような事がいくつか存在する、もっと言うと、
そのような事が多く存在し過ぎる。
<2>については、僕が、自分の知っている事について、
それを僕が知っているか否かを他者が判断する判断材料になる僕の言動において、
可能な限り、自分はそれを知っているという事を、証明するように言動する。
相手が、どうせ宇田も知らないだろう、と思うための口実に成るような根拠は、
一切与えない。
つまり僕は、自分にあるものはある、という事実を一切譲らない態度を貫く、
ということです。
その結果、個別事例に対して、宇田はこの質問に答えた、
という事実の蓄積が続き、
それが一定量を超えたときに、相手は、僕に対して、
「お前は何でも知ってるのか?」と言い始めるわけです。
しかし、僕はそんな事は一言も言っていません。
僕がした事は、ただ、質問に答えた、という事だけです。
そして、あの質問にも答えたこの質問にも答えた、という実績を積み重ねた、
というだけです。
質問を受けて、それに答える事が出来るならば、常に、
答える事が出来ないんだな、と思う余地を相手に一切与えない、
という態度は、
それが如何に相手を傷付けそれが如何に相手の面目を潰しても、
これなら答える事が出来ないだろうと思う質問をする行為よりはマシな、
正当防衛です。
なぜなら、傷付く心も面目もこちらにもあるからです。
両方が傷付かず、両方の面目が立つ、というわけには行かないのです。
どちらが傷付くべきか、どちらの面目が潰れるべきかは、
誤謬者負担の原則によって決められねばなりません。
自分にあるものはある、という事実は、自分のものであり、
それをくすね取ろうとする泥棒を許さない、という態度は、
ケチではあっても正当な権利行使です。
「お前は何でも知ってるのか?」と言い始めた人間は、
「それならこれに答えてみろ」と言って僕に難問をふっかけて来ます。
僕は、もともと、自分は何にでも答えられる、なんて思ってませんから、
分からない場合には率直に「分からない」と言います。
ただし、それに加えて、
相手の僕の人格に対する誤解が如何に愚劣であるかを説き、
相手を屈服させるでしょう。
誤謬者は屈服するのです。
渡邉さんの「くれくれ」というのは、
ブログでは良く言うと「くれくれ」で悪く言うと何なのかを書きませんでしたが、
悪く言うと「それならこれに答えてみろ」です。
質問に答えられて潰されたままでは終われないから、
ということで、質疑応答の収束を妨害し、話を拡散させる行為です。
渡邉さん。
今までに、渡邉さんに質問された人から、疎まれた事はないですか?
良く思い出してみてください。あると思います。
それは、渡邉さんの話しかけが形式的には質問であっても、
実質的には渡邉さんが相手を打ち負かしにかかっているからなんですよ。
自分から打ち負かしにかかっておきながら、
相手の返り討ちに合って打ち負かされた場合、
相手の返り討ちを批判出来ますか?
出来ませんね。
それが出来るなんて虫が良すぎる話ですね。
今回は説教ばかりになりましたね。 |
2006/12/04/21:05 |
渡 |
> たとえて言うならば、公開されたブログは裁判のようなものです。
> そして、そのたとえの上で言うならば、
> 渡邊さんが僕にメールで訴えている渡邊さんに関しての事実というのは、
> 僕に対する訴訟内容です。
> ブログには書けないけどメールで聞いてくれ、という態度は、
> 裁判すると負けてしまうので苦情を述べるに留める、ということです。
> これが渡邊さんの実態であることを知っておいてください
これは分かりました。公開された場での話が出来るよう自分の考えをまとめる努力をしようと思いし
た。
> 以前メールでも書いたように、
> 僕はメールで渡邊さんのブログには書けない話を聞きます。
> 僕は渡邊さんのブログに書けない言説を潰しにかからないように手加減します。
> しかし、それは、
> 僕が心の中で思ってることをズケズケ言わないように抑えているだけで、
> 渡邊さんのブログに書けない言説に賛同しているのではなく、
> 僕がそれに賛同する見込みはほとんど皆無に等しい、
> という事は知っておいてください。
>
僕の考えには賛同していないことは分かりました。
> それから、僕が返信し終わる前に次のメールを書かないように、お願いします。
>
これは、聞きたい気持ちの焦りみたいなものが宇田さんの返信がくる前に次のメールを書いてしまう
んだと思います。
失礼な事ですね。すみません。
>
> 何でも答える=あなたにあって私に無いものは無い=あなたは私の部分集合程度の人間でしかない、
> という論理が作用するからですね。
> その考え方は良く分かります。
> しかし、「何でも答えます」と僕はどこに書いているでしょうか?
書いてないですね。僕がタイトルを読んで受けた印象でした。
> 僕は、自分を何でも答えることの出来る人間とは思っていませんから、
> そんなことは書かないはずですが。
> 分からない質問に関しては「分からない」と答えるつもりです。
> これをも答えと認める意味においては、僕は何でも答えます。
> それは、僕は誠実に聞き誠実に発言します、という事と同義です。
> 自分で自分の事を、誠実である、と宣言することは嫌な事ではないはずです。
> 物理学正典に関しては、著作者でありサイト管理者である者として、
> 何にでも答える責任を僕は感じます。
> これは、様々な著作物や工業製品の製造者がいかなる態度を取っているかを見れば、
> 何が誠実な態度か分かると思います。
> 製造者は製造物に対するユーザーの質問には何にでも答える、
> というのが理想であって、これ傲慢ではないはずですが。
> 物理学正典は人間の全てではありません。
> だから、物理学正典に限って、
> あなたにあって私に無いものは無い、のだとしても、そのことが、
> あなたは私の部分集合程度の人間でしかない、という事にはつながりません。
>
論理で返されるとそう言うことなのかも知れませんが、感覚的にタイトルを読んだ僕の主観だと宇田
さんは何でも答えますよって言っているように聞こえるので、書き方を変えると宇田さんのブログに気
持ちよく書き込み出来ると思ったから話してみたんです。これはあくまでも僕の主観です。だから、他
の人はそうでは無いのかも知れないので、検討が外れているなら気にしないで下さいと書いたつもりだ
ったんですが。
>
> お前は何でも出来るのか、お前は何でも知ってるのか、とは、
> 僕を見た人が、良く言う事です。
> 僕が、自分を全知全能だとは主張していないのに、です。
> 僕の態度言説は、相手にそのような印象を与えるようです。
> しかし、そういう人間には損をさせるぞ、
> そんな態度は取る事が出来ないように社会的な制裁を準備するぞ、
> ということであっては、いけないのではないでしょうか。
> これは不当な脅迫です。
> 渡邊さんが不当な脅迫をしている、と僕は言っているのではありません。
> 渡邊さんが、そのような不当な脅迫を是認するような発言をしている、
> と僕は言っています。
> 改めなくてはいけないのは、僕ではなくて、脅迫する側の人間です。
>
宇田さんも繊細なんですね。上に書いたように、宇田さんのブログが良くなるのではって思って書い
たのに、分析しすぎじゃないですか?
>
> 僕のブログの書き込みが嫌な印象を与える、という事がある一方で、
> 渡邊さんの書き込みは答える側に嫌な印象を与えない、
> と思っていますか?
> 僕は、嫌な印象を受けましたよ。
> だから、僕の返答が渡邊さんにとって嫌なものになったとしたら、
> 僕がそれに反発したから、ということでもあるのですよ。
> 渡邊さんは質問しましたか?
> あなたにとっては幼稚な質問ですけど僕には分からないので教えてください、
> という風に。
幼稚って、幼稚だと思っていません。宇田さんが僕の質問を幼稚と判断しているって事なんじゃない
ですか?
だけど、僕には分からないので教えて下さいって謙虚な態度がなされていなかったのは確かです。
> 渡邊さんのは違いましたよ。
> 僕に直ぐには答えることが出来ないと予想される問題を選んで質問しませんでしたか?
いいえ、僕が宇田さんに聞いて見たかった事を書いたつもりです。宇田さんにはメールで答えると言
っておきながら答えず、ブログでやり取りしましょうって言われたように感じました。
だから、宇田さんに答えて欲しい内容に成るように質問しました。
> そして、僕によって完全に答えられたら、潰された、という風に感じるのではありませんか?
いいえ、やっぱりそうなのかって確認するだけです。
> それは質問ではありません。挑戦です。
> 僕は、自分に挑戦する者に対しては、打ち負かすのみです。一切容赦しません。
>
打ち負かすと言うか、宇田さんの知っている知識と僕が想像している事が一致するかを確認するだけ
です。だから打ち負かされるという風には感じていません。それは宇田さんが手加減をしているからか
も知れませんが。
>
> まあ、怖がらないでください。
> 殴ったり蹴ったりするわけではないし、お金をボッタクルわけでもありませんから。
> 宇田で楽しんでくださいよ。
別に怖がっていませんよ。自分の書き方が人にどういう印象を与えるかって言うことが、客観的な宇
田さんの意見でまとまってくる気がします。
自分の癖とか、話が相手にどういう風に伝わるかがよく分かり反省できることができ、宇田さんに感
謝しています。 |
2006/12/04/21:16 |
渡 |
> まず、メールでの渡邊さんの文章は意味の分からないものが多すぎます。
> たとえば、
> >宇田さん自身は、波動関数の収縮は観測問題の上での考察をどういう風に考えていますか?
> という渡邊さんの質問文。
> 僕には意味が分かりません。
> 意味が分からないから答えようがありません。
これは、僕に正しい文章を書く能力がないだけです。
> 渡邊さんが言おうとしている事と違う意味になるかもしれませんが、
> 意味の分かる文とは、たとえば、次のような文です。
> 「宇田さん自身は、波動関数の収縮についての観測問題の上での既存の考察をどういう風に評価しま
すか?」
> 渡邊さんの文章で、意味の分からないものは、他にもたくさんあります。
> 挙げればきりが無いくらいです。
それはでは、きちんとした文章を何処かで習わなければなりませんね。
>
> 質問文ではなく、意見の陳述に関しては、
> 意味が分からない、ということは、真でも偽でもない、ということです。
> 真でも偽でもなければ反駁を受ける心配はありません。
> 悪く言うと、渡邊さんは、僕が反駁することの出来ないように、
> わざと読めないようにメール文を書いていませんか?
いいえ、文章能力が無いと理解して下さい。
> 上気したような一つの文の意味の分かりにくさだけなら、
> そこまでは思いませんが、
> 改行や段落分けの無さを見るときには、僕はしばしばそう思いました。
> 僕のホームページは改行や段落分けの無い文章が掲載されていますが、
> それは、各文がそれでも読めるように正確に書かれているからこそです。
きちんとした文章が書けなくて申し訳ないです。
>
> そう(渡邊さんが意図的に読みにくい文章を書いていると)思うときには、
> 僕は、
> 「お前のような徹底的に筋を通す論理的なアプローチでは、
> 渡邊さんの様な支離滅裂な言説には対処できないだろうが」
> という風に挑戦を受けていると感じます。
> 対処できないことはありません。
> 徹底的に筋を通す論理的なアプローチでは、対処がどうなるかは、
> 今までの僕のメール内容に見ることも出来るし、
> このメールに始まる一連の返信においても模範を示して行きます。
>
はい。 |
2006/12/04/21:24 |
渡 |
> 渡邉さん。
> どこからどこまでが自分の意見で、
> どこからどこまでが本からの引用で、
> どこからどこまでが宇田の書いたメールからの引用か、
> といった点をメール内で明確に表示してください。
> 渡邉さんのメールには、この点の分かりにくいものが多すぎます。
>
そうなのかも知れません。反省しています。 |
2006/12/04/21:33 |
渡 |
> >δ(0)関数のところを中心に読んだんですが、>デルタ関数が僕の微分が起源というδの話に通
じている所があるんじゃないか
>
>
> これを読んでいろいろ思うところがありますが、
> キツイ事は言わずに、
> 以下の点に触れるにとどめます。
>
>
> δ(0)記号は、1995年に僕が書いたノートに既に現れています。
> これは、僕が渡邉さんに出会うよりもズッと前です。
>
これは、宇田さんはδ(0)の記号を僕と話している中で作りげたものと言っているのではありませ
ん。
無限(小)を定める所が自分と似ていると言っているだけです。 |
2006/12/04/21:46 |
渡 |
> なぜなら、傷付く心も面目もこちらにもあるからです。
> 誤謬者負担の原則によって決められねばなりません。
>
そうですね。これはその通りですね。
>
> 自分にあるものはある、という事実は、自分のものであり、
> それをくすね取ろうとする泥棒を許さない、という態度は、
> ケチではあっても正当な権利行使です。
くすね取られるという警戒だったんですね。
>
> 「お前は何でも知ってるのか?」と言い始めた人間は、
> 「それならこれに答えてみろ」と言って僕に難問をふっかけて来ます。
> 僕は、もともと、自分は何にでも答えられる、なんて思ってませんから、
> 分からない場合には率直に「分からない」と言います。
> ただし、それに加えて、
> 相手の僕の人格に対する誤解が如何に愚劣であるかを説き、
> 相手を屈服させるでしょう。
> 誤謬者は屈服するのです。
> 渡邉さんの「くれくれ」というのは、
> ブログでは良く言うと「くれくれ」で悪く言うと何なのかを書きませんでしたが、
> 悪く言うと「それならこれに答えてみろ」です。
> 質問に答えられて潰されたままでは終われないから、
> ということで、質疑応答の収束を妨害し、話を拡散させる行為です。
これは違うと思います。くすね取ろうとしているだけです。宇田さんの話し方なら。
>
> 渡邉さん。
> 今までに、渡邉さんに質問された人から、疎まれた事はないですか?
> 良く思い出してみてください。あると思います。
> それは、渡邉さんの話しかけが形式的には質問であっても、
> 実質的には渡邉さんが相手を打ち負かしにかかっているからなんですよ。
>
そうなのかも、言われてズバリって気がします。 |
2006/12/05/19:27 |
宇 |
2006年12月4日 21:05:14
>そして、僕によって完全に答えられたら、潰された、という風に感じるのではありませんか?
<いいえ、やっぱりそうなのかって確認するだけです。
2006/09/01/4:49
>宇田さんにδを潰されそうでした。
>そして、もうメールをするのを止めようと思い宇田さんのアドレスを消してしまいました。
僕が完全に答え終われば、
渡邉さんは、自分の考えが新しくて正しいか否か、を知ります。
渡邉さんの考えは、新しくて正しい、という事はありません。
新しければ正しくないし、正しければ新しくない。
したがって、僕が答え終われば、渡邉さんの期待は潰されます。 |
2006/12/05/20:42 |
宇 |
ものすごく利発で勉強熱心な人が居たとして、
もし、その人が渡邉さんのような悶悶とした想念のようなものを
全く持っていないとしたならば、
僕はその人にはあまり期待できない。
そういう人は、優秀な従者には成れるだろうけど、
世界を引っ張って行くような主体には成れないだろう。
渡邉さんのように、悶悶とするだけでもいけないんだけど、
世界を引っ張って行く主体に成るには、
そういう部分って必要だよね。 |
2006/12/05/21:25 |
宇 |
>感覚的にタイトルを読んだ僕の主観だと
>宇田さんは何でも答えますよって言っているように聞こえるので、
なるほど、この渡邉さんの指摘は、
僕の書き方では読者によって僕が誤解される恐れがある、
という内容を含んでいる事に気付きました。
僕は自分ではそれに気付きませんでした。
教えてくれてありがとう。
>書き方を変えると宇田さんのブログに気持ちよく書き込み出来る
>と思ったから話してみたんです。
これについては、僕には異論の余地があります。
僕は、僕が本当に全知全能ならば、
「僕は全知全能です」
「全知全能の先生をお探しの方はここに来て下さい」
と表示する事が、
インターネット利用者によって期待されるべきことだと考えます。
そのように期待しないインターネット利用者は、
学問を志す者としての資質に欠ける、と僕は考えます。
僕が生徒だったら、謙虚で優しくて凡庸な先生よりも、
傲慢で厳しくて世界一知識の優れた先生を探します。
結局は、嫌な思いを避けた生徒は、嫌な思いに耐えた生徒によって、
打ち負かされ、最後には、もっと嫌な思いをする事に成るのです。
だから、実際には全知全能ではない僕が、
自分を全知全能であるかのように言っている、わけではないのに、
僕がそういう風に言っている、と読者が感じる、
という事は不幸なことだ、という点については、
僕と渡邉さんの意見は一致しますが、
たとえ僕が全知全能であったとしても、
「僕は全知全能です」なんて書かない方が、
良いブログに成りますよ、
そんな事を書くと損をしますよ、
そんな人は損をしても自業自得ですよ、
という意見には僕は激しく怒るのです。
そして、渡邉さんのアドヴァイスには、
そういう風なアドヴァイスも含まれている、
と感じたのですが、違わないでしょう?
>これはあくまでも僕の主観です。
>だから、他の人はそうでは無いのかも知れないので、
>検討が外れているなら気にしないで下さいと書いたつもりだったんですが。
>宇田さんも繊細なんですね。上に書いたように、
>宇田さんのブログが良くなるのではって思って書いたのに、分析しすぎじゃないですか?
事実認識については、
それが渡邉さんの主観に過ぎないとしても、
僕は、それを教えてくれたことに対して、渡邉さんに礼を述べます。
ありがとう。
しかし、正義の基準、道徳の基準、価値の基準については、
渡邉さんが僕にそれを教えようとした点について、
僕は渡邉さんを責める気持ちがあります。 |
2006/12/05/22:00 |
宇 |
< 渡邊さんは質問しましたか?
< あなたにとっては幼稚な質問ですけど僕には分からないので教えてください、
< という風に。
> 幼稚って、幼稚だと思っていません。
これは、もし、僕にとって渡邉さんの質問が実際に幼稚だったならば、
幼稚ではないんだ、という態度で質問するのは、問題なのではないでしょうか?
> 宇田さんが僕の質問を幼稚と判断しているって事なんじゃないですか?
渡邉さんは、僕が「幼稚だ」と言っても、それはあくまで宇田の判断に過ぎないんだ、
と考えているようですが、
波動・粒子の二重性によって電磁気力が説明されるか?
という質問は、僕にとって幼稚です。トンチンカンです。論外です。
これは、量子力学を解釈しようとすることを的外れだとする僕の意見、
における「的外れ」とはケタが違います。
量子力学の解釈に対するものは、
まだ宇田の判断に過ぎない、との言いようもありえますが、
波動・粒子の二重性と電磁気力については、
的外れと思えないのは不勉強な者だけだ、と断言できます。
ブログの、女性・男性の二重性と四肢の喩え話、を読んでも、
渡邉さんにその事が分からなかったのでしょうか?
勉強すれば渡邉さんにもその事が明々白々と分かるはずですが、
渡邉さんは勉強しそうにないし、
勉強して分かったとしても、
自分が当初思っていた事の一部分が勉強によって裏付けられた、
とか何とか言って、
勉強によって自分の予想が反証されたという事実を歪曲し、
最初から正しく考えていたかのように言いそうな気配を僕は感じます。
今までの渡邉さんの言動に基づいて僕はそう感じます。
僕には、渡邉さんのそういうところを責める気持ちが、あります。 |
2006/12/05/22:11 |
渡 |
> たとえ僕が全知全能であったとしても、
> 「僕は全知全能です」なんて書かない方が、
> 良いブログに成りますよ、
> そんな事を書くと損をしますよ、
> そんな人は損をしても自業自得ですよ、
> という意見には僕は激しく怒るのです。
> そして、渡邉さんのアドヴァイスには、
> そういう風なアドヴァイスも含まれている、
> と感じたのですが、違わないでしょう?
>
>
> 事実認識については、
> それが渡邉さんの主観に過ぎないとしても、
> 僕は、それを教えてくれたことに対して、渡邉さんに礼を述べます。
> ありがとう。
> しかし、正義の基準、道徳の基準、価値の基準については、
> 渡邉さんが僕にそれを教えようとした点について、
> 僕は渡邉さんを責める気持ちがあります。
>
自分の事とかをしっかり見ることの出来ない僕ですが、
自分が客観的に何をしている行為なのかを
認識させてくれる宇田さん意見は
貴重なもので僕に取っては成長をするに大切な役割をしています事に
まずは感謝しています。
それと、正義の基準、道徳の規準、価値の基準について
押しつけがましい事を言ってしまい
僕の基準を押しつけてしまうような事になってしまい、本当にすみませんでした。
さらに、自分は潰されないって言う
強がりを言ってしまったんだなと思っています。
これについても、
宇田さんが指摘した通り、自分の意見が潰されてしまう危機を感じた事を
思い出しました。
僕の意見が新しいなら誤りで、新しくないなら正しいって言う
宇田さんの意見は、
自分の無知を棚に上げて、
最初に気付いたのは自分だという
自己顕示欲の様なものが僕には働いていると言うことに
気付かされます。
そして、多分いかに優れていても
僕がしていた、自分が最初に気付いたという考えは、
慎重に自分の事を客観的に判断する事が出来ない人にとっては
軽々しく口にするべきでないし、
自分の自己評価がきちんと出来ていない人がする行為だと言うことが
段々分かって来ました。
自分の気持ちを言えば、聞くと同時に新しく知った正しい知識を、
自分の考えていた事と同じだったという風にしたい気持ちが僕にはあるんです。
これは、僕の気質みたいなものですかね。
この点は、宇田さんは直した方が良いと思いますか?
参考までに聞かせて下さい。
これからも、宇田さんに至らない点をお見せすると思いますが、
その都度、温かい視点で助言を下さい。
これからも、宜しくお願い申し上げます。 |
2006/12/05/22:31 |
宇 |
2006年12月4日 21:05:14
> それは宇田さんが手加減をしているからかも知れませんが。
僕が手加減するのはメールでかつ、δについてだけです。
公衆の面前では僕は一切手加減なしです。
2006年12月3日 23:07:56
< 一切容赦しません。
2006年12月3日 23:07:56
< まあ、怖がらないでください。
< 殴ったり蹴ったりするわけではないし、お金をボッタクルわけでもありませんから。
< 宇田で楽しんでくださいよ。
2006年12月4日 21:05:14
> 別に怖がっていませんよ。
僕の「怖がらないでください」という言葉は、
この言葉を含む2006年12月3日 23:07:56のメールが
渡邉さんを怖がらせはしないかと心配しての言葉です。
この2006年12月3日 23:07:56のメール以前から
渡邉さんが僕を怖がっていると思ったわけではありません。
少し説明不足だったでしょうか? |
2006/12/05 22:50 |
宇 |
(件名=Re:2006年12月4日 21:16:20)
> これは、僕に正しい文章を書く能力がないだけです。
> いいえ、文章能力が無いと理解して下さい。
100パーセント疑っているわけではないのですが、
ブログへの書き込みは結構キチンとした文章になってるんですよね。
それで、メールのはわざとか?って思ったんです。
< 徹底的に筋を通す論理的なアプローチでは、対処がどうなるかは、
< 今までの僕のメール内容に見ることも出来るし、
< このメールに始まる一連の返信においても模範を示して行きます。
> はい。
僕は数ヶ月前に一つのアイデアを思い付きました。
それは、渡邉さんからのメールに対しては、
いきなり返信を書くのではなくて、
まずは、内容の正誤はともかくとして、
ハッキリした意味を持つ文章に校正して、
コメントを付けずに、それを、そのまま渡邉さんに返信し、
その後で改めて内容的としての返信を書く、というものです。
文章を習うのは、僕からでも構いませんよね?
ま、今度は約束しません。気を付けなくては。 |
2006/12/05/22:59 |
宇 |
(件名=Re:2006年12月4日 21:33:51)
> δ(0)関数のところを中心に読んだんですが、
> デルタ関数が僕の微分が起源というδの話に通じている所があるんじゃないか
< これを読んでいろいろ思うところがありますが、
< キツイ事は言わずに、以下の点に触れるにとどめます。
< δ(0)記号は、1995年に僕が書いたノートに既に現れています。
< これは、僕が渡邉さんに出会うよりもズッと前です。
> これは、宇田さんはδ(0)の記号を僕と話している中で作りげたものと言っているのではありません。
> 無限(小)を定める所が自分と似ていると言っているだけです。
僕も、渡邉さんが
「 宇田さんはδ(0)の記号を僕と話している中で作りげた」
とは全く言っていませんよ。
その点、ぬかりはありません。へへ。 |
2006/12/05/23:12 |
宇 |
(件名=2006年12月5日 22:59:58訂正補筆)
> δ(0)関数のところを中心に読んだんですが、
> デルタ関数が僕の微分が起源というδの話に通じている所があるんじゃないか
< これを読んでいろいろ思うところがありますが、
< キツイ事は言わずに、以下の点に触れるにとどめます。
< δ(0)記号は、1995年に僕が書いたノートに既に現れています。
< これは、僕が渡邉さんに出会うよりもズッと前です。
> これは、宇田さんはδ(0)の記号を僕と話している中で作りげたものと言っているのではありません。
> 無限(小)を定める所が自分と似ていると言っているだけです。
僕も、
渡邉さんが「宇田さんはδ(0)の記号を僕と話している中で作りげた」と言っている、
とは全く言っていませんよ。
その点、ぬかりはありません。へへ。
もし渡邉さんが、
僕の「δ(0)記号は、1995年に僕が書いたノートに既に現れています」を読めば、
僕が『渡邉さんが「宇田さんはδ(0)の記号を僕と話している中で作りげた」と言っている』と思っている、
と思うじゃないですか、と言うならば、
僕は、
渡邉さんの「δ(0)関数のところを中心に読んだんですが、
デルタ関数が僕の微分が起源というδの話に通じている所があるんじゃないか」を読めば、
渡邉さんでなくても何者かによって
「宇田はδ(0)の記号を渡邉と話している中で作りげた」との嫌疑をかけられる危険性がある、
と思うじゃないですか、と言います。 |
2006/12/05/23:33 |
宇 |
渡邉さんの行為は「くすね取る」には該当しません。
僕から僕に関する事実をクスネ取ろうとしたのは、
過去の僕の諸々の雇用者(僕に給料を払って僕を使った人)です。
雇用契約というものは、
労働の売買です。
事実の売買は、倫理的にも科学的にも、出来ません。
改めて書きますが、
僕に関する事実とは、
「僕の能力がいかがであるか」「僕の知識がいかがであるか」等です。
これをクスネ取るとは、
僕の、能力や知識と、他の社員の能力や知識との優劣の関係を、
他の社員や消費者に誤って認識させるように僕が振舞うことを、
雇用関係に由来する力関係を背景にして、
僕に強要する、ということです。
知識をクスネ取る、という考え方は、
僕が渡邉さんに提示した考え方ではありません。
この点を渡邉さんは誤解していませんか?
渡邉さんは「クスネ取ろうとしただけです」と認めましたが、
もし渡邉さんが、僕の言う「クスネ取る」を、正しく理解しているならば、
これは、
僕の能力や知識の優秀性が公衆によって誤って事実よりも低く評価されるように工作した、
という意味に成ってしまうのですが。 |
2006/12/06/00:03 |
宇 |
僕はブログでスケベの概念を出しました。
渡邉さんは、クスネ取る泥棒、ではなくて、
自分はモテルのではないかと期待するスケベです。
この場合の「モテル」は、女にモテル、という意味ではなく、
才能をモテル人、という意味の「モテル」です。
スケベであるかないかは、
モテるかモテないかに依存します。
同じ事を女に期待しても、
モテる男が期待するのはスケベではありません。
その期待が的中していて事実に合致するからです。
しかし、モテない男から期待されると、女は迷惑に感じるはずです。
期待の内容が事実に合致しないからです。
モテない男からであっても、好意を持たれるだけなら、
迷惑ではないと思いますが。
渡邉さんの、自分は何か新しくて正しくて肝心な何かに気付いた、
というのが事実なのではないか、と期待することは、
それが事実ならば、スケベではありません。
それが事実ならば、学問は渡邉さんに恋をするでしょう。
自分は天才なのではないか、と期待することも、
それ自体はスケベではありません。
しかし、
ろくすっぽ勉強しなくても新しくて正しい事が言えるぐらいまで天才なのでは、
と期待することは、スケベです。
もちろん実際にそれぐらいに天才ならばスケベではないのですが、
そこまでモテル男は居ない。
スケベとの類比で言うならば、
クスネ取る泥棒はセクハラかな。 |
2006/12/06/00:38 |
宇 |
何か書こう書こうと思っていたのに、
何だったかなあ、と気に成っていました。
思い出しました。
これでした。
たくさん書いたので、これを書いたら、しばらく休みます。
>才能の中の天才性とは誰もが持っているものと思います。
>それが多くの場合、みんなと一致したりする。
>その中で他にない才能を持っている人が、周りから違っている分、
>天才性であるために、天才と言われるのではないかと思うんです。
つまり、天才と凡才は優劣の違いではなくて珍しさの違いである、
というわけですね。
僕はそうは思いません。
僕は、凡人の持っている欠乏感は全て、天才もそれを持っている、
と思います。
天才は、それに加えて、凡人の持っていない欠乏感を、
奇跡的に持っているのではないですか?
渡邉さんの言うように、あれも良いしこれも良い、
といった、そんな生易しいものではないですよ、学問は。
新しくて正しい事を言うことは、至難の業です。
新しい事を言おうとすると、奇をてらった事しか言えない、
正しいことを言う様に気を付けると、使い古された言葉しか吐けない、
これが学問の厳しさの一つでしょう。
渡邉さんの言うような、あれも良いしこれも良い、という世界に生きたいなら、
私的に楽しむ芸術をやれば良いんです。
絵を描くとか、音楽を作るとか。
これらは、あれでも良いしこれでも良い、という傾向が、学問よりも強いですよ。
しかし、これらでも、いったん世に認められようとすると、
もう、そうは言っていられない。
絵にも音楽にも厳しく優劣が付けられます。
単なる違いではなく、優れている方へ違ったり、劣っている方へ違ったり、
するわけです。
これらは間違っていますか?
断じて間違っていません。 |
2006/12/06/19:43 |
渡 |
> < 渡邊さんは質問しましたか?< あなたにとっては幼稚な質問ですけど僕には分からないので教えて
ください、< という風に。> 幼稚って、幼稚だと思っていません。
>
>
> これは、もし、僕にとって渡邉さんの質問が実際に幼稚だったならば、
> 幼稚ではないんだ、という態度で質問するのは、問題なのではないでしょうか?
>
そうですね、これは宇田さんが幼稚と思っていれば、
こちら側がいかに幼稚じゃないと思っていても
独りよがりに過ぎませんね。
だけど、自分にも自尊心が有ります。
相手に明らかに幼稚と思われる事でも自分は、
それなりに、必要があり質問をしている訳で、
自分の口から幼稚ですがお答え下さいと言うのは違うと思うんです。
しかし、
簡単な質問なのかも知れませんが、
お答えに成って貰えませんか?と添えるべきでした。
>> 宇田さんが僕の質問を幼稚と判断しているって事なんじゃないですか?
>
>
> 渡邉さんは、僕が「幼稚だ」と言っても、それはあくまで宇田の判断に過ぎないんだ、
> と考えているようですが、
> 波動・粒子の二重性によって電磁気力が説明されるか?
これは僕が言葉が足りなかったのかも知れないんですが、
原子のモデルを見ながらイメージしている像があり、
その粒子性と波動性が、
これは慨存している考えなんですが、
原子核と電子が光子を交換して電磁気力になっているという説明に対して
本で見たモデルは光子という粒が原子核から出て、
電子に力を及ぼす像が示されているんですが、
僕は光子が粒だけという描像がしっくり来なくて
波動像を付け加えたものを想像してモデルを考えていたという事です。
宇田さんのブログで質問したように、
光子が大きさを持たないって言う理由が知りたくて
と、言うのは。
僕がイメージしていた光子には
具体的な大きさが想定されているからなんです。
だから、光子の正体が知りたくてブログには説明を求めるコメントを書きました。
> という質問は、僕にとって幼稚です。トンチンカンです。論外です。
> これは、量子力学を解釈しようとすることを的外れだとする僕の意見、
> における「的外れ」とはケタが違います。
> 量子力学の解釈に対するものは、
> まだ宇田の判断に過ぎない、との言いようもありえますが、
> 波動・粒子の二重性と電磁気力については、
> 的外れと思えないのは不勉強な者だけだ、と断言できます。
> ブログの、女性・男性の二重性と四肢の喩え話、を読んでも、
> 渡邉さんにその事が分からなかったのでしょうか?
>
いや、その説明で分かったんですが、
僕がイメージしている古典的な描像は、
量子力学が正しいとしても、
完全な古典のモデルは考えていないと思うからこそ、
未だに捨てられずにいるんです。
> 勉強すれば渡邉さんにもその事が明々白々と分かるはずですが、
> 渡邉さんは勉強しそうにないし、
これは、僕が不勉強なのを知っての事だと思います。
> 勉強して分かったとしても、
> 自分が当初思っていた事の一部分が勉強によって裏付けられた、
> とか何とか言って、
> 勉強によって自分の予想が反証されたという事実を歪曲し、
> 最初から正しく考えていたかのように言いそうな気配を僕は感じます。
> 今までの渡邉さんの言動に基づいて僕はそう感じます。
> 僕には、渡邉さんのそういうところを責める気持ちが、あります。
>
これは、今のままではあり得る
十分、そうなってしまう危険性がある指摘と受け止めます。
自分が、独自にという意識が強いせいで、
自分が最初に気付いていなかった事を
あたかも、自分から気付いた風の態度を取る可能性が高いです。
だから、今もっている、量子のイメージと
これから、勉強して分かるだろう事とは区別して
モデルの出所を確実に押さえて行かないとダメだと思いました。 |
2006/12/06/19:50 |
渡 |
> 2006年12月4日 21:05:14 > それは宇田さんが手加減をしているからかも知れませんが。
>
>
> 僕が手加減するのはメールでかつ、δについてだけです。
> 公衆の面前では僕は一切手加減なしです。
>
> 2006年12月3日 23:07:56 < 一切容赦しません。
>
それで、良いと思います。
>
> 2006年12月4日 21:05:14 > 別に怖がっていませんよ。
>
これは怖くは無いが、異質なものを感じるという風な事が
失礼になるのではと思いそう書きました。
>
> 僕の「怖がらないでください」という言葉は、
> この言葉を含む2006年12月3日 23:07:56のメールが
> 渡邉さんを怖がらせはしないかと心配しての言葉です。
心配と配慮を有り難うでした。
> この2006年12月3日 23:07:56のメール以前から
> 渡邉さんが僕を怖がっていると思ったわけではありません。少し説明不足だったでしょうか?
いいえ、説明不足ではありませんよ。 |
2006/12/06/19:59 |
渡 |
> > これは、僕に正しい文章を書く能力がないだけです。 > いいえ、文章能力が無いと理解して下さ
い。
>
> 100パーセント疑っているわけではないのですが、
> ブログへの書き込みは結構キチンとした文章になってるんですよね。
> それで、メールのはわざとか?って思ったんです。
>
そうでしたか、
しかし、僕が宇田さんの嫌がる事を「進んで」しようとする事は無かったと思いますが、
嫌な気分になって、嫌な気持ちになるメールは書いてしまいましたが…。
>
> < 徹底的に筋を通す論理的なアプローチでは、対処がどうなるかは、 < 今までの僕のメール内容に
見ることも出来るし、 < このメールに始まる一連の返信においても模範を示して行きます。 > はい。
>
>
> 僕は数ヶ月前に一つのアイデアを思い付きました。
> それは、渡邉さんからのメールに対しては、
> いきなり返信を書くのではなくて、
> まずは、内容の正誤はともかくとして、
> ハッキリした意味を持つ文章に校正して、
> コメントを付けずに、それを、そのまま渡邉さんに返信し、
> その後で改めて内容的としての返信を書く、というものです。
> 文章を習うのは、僕からでも構いませんよね?
> ま、今度は約束しません。気を付けなくては。
>
出来る事なら、僕の文章能力を高める手助けをして下さい。
必ずして下さいと言うのではなく、
宇田さんが、これは酷いとか、直しても良いかなと思ったりしない限り、
僕が、宇田さん訂正を書いてくれないじゃないかという文句は付けないと思います。 |
2006/12/06/20:03 |
渡 |
> 僕も、渡邉さんが
> 「 宇田さんはδ(0)の記号を僕と話している中で作りげた」
> とは全く言っていませんよ。
>
>
> その点、ぬかりはありません。へへ。
いや、それで伝わっています。宇田さんが僕との話の中でδ(0)を作り上げたとは
僕も、全く思っていませんから。
ただ、第三者が読むようなところではああ言う書き方をすると
誤解を招くというのは、
配慮が足りなさすぎて、宇田さんが指摘するのも無理がないと思っています。 |
2006/12/06/20:05 |
渡 |
タイトルが分かりませんでした。 |
2006/12/06/20:10 |
渡 |
> 渡邉さんの行為は「くすね取る」には該当しません。
> 僕から僕に関する事実をクスネ取ろうとしたのは、
> 過去の僕の諸々の雇用者(僕に給料を払って僕を使った人)です。
>
そうなんでしたか、僕は宇田さんから
くれくれで聞き出そうとする行為の事かと思いました。
>
> 雇用契約というものは、
> 労働の売買です。
> 事実の売買は、倫理的にも科学的にも、出来ません。
> 改めて書きますが、
> 僕に関する事実とは、
> 「僕の能力がいかがであるか」「僕の知識がいかがであるか」等です。
> これをクスネ取るとは、
> 僕の、能力や知識と、他の社員の能力や知識との優劣の関係を、
> 他の社員や消費者に誤って認識させるように僕が振舞うことを、
> 雇用関係に由来する力関係を背景にして、
> 僕に強要する、ということです。
>
分かりました。僕の事とは関係ない事だったんですね。
>
> 知識をクスネ取る、という考え方は、
> 僕が渡邉さんに提示した考え方ではありません。
> この点を渡邉さんは誤解していませんか?
誤解してました。
> 渡邉さんは「クスネ取ろうとしただけです」と認めましたが、
> もし渡邉さんが、僕の言う「クスネ取る」を、正しく理解しているならば、
> これは、
> 僕の能力や知識の優秀性が公衆によって誤って事実よりも低く評価されるように工作した、
> という意味に成ってしまうのですが。
それは、違うので誤解していたと言うことですね。 |
2006/12/06/20:17 |
渡 |
> 僕はブログでスケベの概念を出しました。
>
>
> 渡邉さんは、クスネ取る泥棒、ではなくて、
> 自分はモテルのではないかと期待するスケベです。
>
以下を読んで僕にはスケベ心があることを認めます。
>
> この場合の「モテル」は、女にモテル、という意味ではなく、
> 才能をモテル人、という意味の「モテル」です。
>
>
> スケベであるかないかは、
> モテるかモテないかに依存します。
> 同じ事を女に期待しても、
> モテる男が期待するのはスケベではありません。
> その期待が的中していて事実に合致するからです。
> しかし、モテない男から期待されると、女は迷惑に感じるはずです。
> 期待の内容が事実に合致しないからです。
> モテない男からであっても、好意を持たれるだけなら、
> 迷惑ではないと思いますが。
>
>
> 渡邉さんの、自分は何か新しくて正しくて肝心な何かに気付いた、
> というのが事実なのではないか、と期待することは、
> それが事実ならば、スケベではありません。
> それが事実ならば、学問は渡邉さんに恋をするでしょう。
>
ですよね。
> 自分は天才なのではないか、と期待することも、
> それ自体はスケベではありません。
はい。
> しかし、
> ろくすっぽ勉強しなくても新しくて正しい事が言えるぐらいまで天才なのでは、
> と期待することは、スケベです。
不勉強ですよね、僕は。本当にそう思います。
> もちろん実際にそれぐらいに天才ならばスケベではないのですが、
> そこまでモテル男は居ない。
>
宇田さんもそうではないと言う意味ですよね。
> スケベとの類比で言うならば、
> クスネ取る泥棒はセクハラかな。
うーん、良く分かりません。 |
2006/12/06/20:24 |
渡 |
> たくさん書いたので、これを書いたら、しばらく休みます。
>
了解です。
>
>> 才能の中の天才性とは誰もが持っているものと思います。>それが多くの場合、みんなと一致したり
する。>その中で他にない才能を持っている人が、周りから違っている分、>天才性であるために、天才
と言われるのではないかと思うんです。
>
>
> つまり、天才と凡才は優劣の違いではなくて珍しさの違いである、
> というわけですね。
> 僕はそうは思いません。
> 僕は、凡人の持っている欠乏感は全て、天才もそれを持っている、
> と思います。
> 天才は、それに加えて、凡人の持っていない欠乏感を、
> 奇跡的に持っているのではないですか?
>
うーん、説得力が有ります。
でも、人が理解する事は形がや角度が違うだけで、
結構、同じ事を考えているのではと思ってしまったんです。
>
> 渡邉さんの言うように、あれも良いしこれも良い、
> といった、そんな生易しいものではないですよ、学問は。
> 新しくて正しい事を言うことは、至難の業です。
> 新しい事を言おうとすると、奇をてらった事しか言えない、
> 正しいことを言う様に気を付けると、使い古された言葉しか吐けない、
> これが学問の厳しさの一つでしょう。
>
そう、この現実感がないんですね、僕は。
>
> 渡邉さんの言うような、あれも良いしこれも良い、という世界に生きたいなら、
> 私的に楽しむ芸術をやれば良いんです。
> 絵を描くとか、音楽を作るとか。
> これらは、あれでも良いしこれでも良い、という傾向が、学問よりも強いですよ。
そう言ったイメージを学問に持っていたと言うことなんですね。
> しかし、これらでも、いったん世に認められようとすると、
> もう、そうは言っていられない。
> 絵にも音楽にも厳しく優劣が付けられます。
> 単なる違いではなく、優れている方へ違ったり、劣っている方へ違ったり、
> するわけです。
> これらは間違っていますか?
> 断じて間違っていません。
>
正確に宇田さんの考えを把握しているわけでは無いと思いますが、
今は間違った事を言っていないと思います。 |