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2019年12月19日(木曜日)
2004年05月から2004年12月までの資料(渡邉郁夫の件)

2004年04月分は昨日のページに掲載されています。

送信日時

送信内容
2004/05/01/09:29  宇田さん疲れているみたいなので、物理の勉強は暫く休憩して何か気晴らしに気軽な話しをしませんか?
 鬼束ちひろとはどんな形で知り合ったのですか。
 宇田さんはフジ子ヘミングのラ・カンパネラとか聞いた事、有りますか?たまに聞くのですが気持ちが落ち着きます。
 僕は最近、個性的なアーティストの音楽を聴いています。宇田さんの言ったと通り、尾崎豊は卒業したみたいです。僕の糧に今はなっているようです。
 宇田さん、何か悩みを抱えていませんか。僕が答えられる事なら悩みを聞きますが。
2004/05/01/15:54 >宇田さん疲れているみたいなので、
>物理の勉強は暫く休憩して
>何か気晴らしに気軽な話しをしませんか?

あれ、どうして分かったのかなあ。
確かに今の僕は疲れているというか、
気が晴れない状態です。
誰かに助けを求めたい気持ちです。
気晴らしというか、
今の僕が元気ない事の原因の部分を
聞いてくれると幸いです。

>鬼束ちひろとはどんな形で知り合ったのですか。

初めて知ったのは、
テレビから「月光」の一部分が聞こえてきた時です。
直ぐに僕の感性が敏感に反応しました。
その後NHKの「夢伝説」という番組の挿入歌に
強く引かれ、これも鬼束では、
と思いつつ画面に目をこらしてみると
「鬼束ちひろ BACK DOOR」という文字を
読み取る事が出来ました。
「月光」を初めて聞いたのは
歌番組だったかもしれません。
「夢伝説」は「プロジェクトX」の反対みたいな番組で、
ハリウッド・スターとか、
そういった華々(はなばな)しく活躍した人々の
サクセス・ストーリーでした。
中島みゆきの「地上の星」と
鬼束ちひろの「BACK DOOR」を比較してみると、
互いに正反対の事を主張している事に
気付くと思います。
僕は鬼束の方に引かれました。
昔の僕は結構中島みゆきを聴いてたんです。
渡邉さんにも一応すすめておきましょうか、
中島みゆきを。良いですよ。
情緒的極端を表わす曲もあったと思います。
だからこそ中島みゆきを僕は聴いてたんだ
と思います。

>宇田さんはフジ子ヘミングのラ・カンパネラとか
>聞いた事、有りますか?
>たまに聞くのですが気持ちが落ち着きます。

はい。あります。
素晴らしいと思い、前々から目をつけてます。
高音の打鍵(だけん)が魅力的です。

>僕は最近、個性的なアーティストの音楽を
>聴いています。
>宇田さんの言ったと通り、
>尾崎豊は卒業したみたいです。
>僕の糧に今はなっているようです。
>宇田さん、何か悩みを抱えていませんか。
>僕が答えられる事なら悩みを聞きますが。

では書きましょう。
数日前に、テレビでディズニーの「トイ・ストーリー2」
を見ました。
僕は、
ディズニーは子供に見せるべきだ、と思いました。
最近の子供向けの放送では、
人の心の「悲しみ」などの暗い部分が
避けられているように感じるのですが、
それでは子供の心が育たない、と思うんです。
結果として酒鬼薔薇(さかきばら)のような少年が
出て来てるのではないか、と思います。
「トイ・ストーリー2」では、人形が主人公なのですが、
途中でヒロイン役の人形の回想部分が
あったんです。
内容は以下のようなものです。
『持ち主(人間の女の子)が子供の頃は
 幸せだった。
 持ち主は自分の事を思ってくれ、
 一緒に遊んでくれた。
 それは自分にとっての喜びであった。
 時が経つにつれ、
 持ち主の趣味は変化して行き、
 自分への関心は薄れて行き、
 存在すら忘れられるに至った。
 そして、
 ベッドの下に放置されていた自分を
 長い年月が経った後、
 あるとき持ち主が手でつかみ出した。
 そのときの人形の表情は、
 また遊んでもらえる、
 という期待を反映した笑顔だった。
 しかし、持ち主はその人形と遊ぶのではなく、
 捨てるためにベッド下から取り出したのだった。
 その人形が捨てられた場所は
 昔持ち主と一緒に遊んだ思い出の場所だった。
 このことは、
 その人形が、
 捨てられる場所へ自動車で運ばれている間中、
 また遊んでもらえる、
 という期待を持ち続けたことを意味する。
 それだけに、
 自分が捨てられたと認識したときのその人形の
 ショック、悲しみ、が大きいという事になる。
 捨てられて段ボール箱の穴から
 持ち主の車が去って行くのを見送るところで
 回想は終わる』
僕はこの部分が今に至ってもまだ心の奥底に重く
残存していて、
晴れ晴れした気持ちになれないんです。
見たときだけ悲しみを感じてすぐに
忘れてしまうのではなく、
悲しみか何か分からないものが、今に至るまで
僕の心を圧迫し続けているという事は、
上記回想部分に含まれるロジックが、
僕の心のサッパリするために機能している部分を
打ち破った、という事だと思っています。
どう頭をひねっても、
晴れ晴れした気持ちになるにはどう考えたら良いか
分かりません。
2004/05/01/22:16 フジコ・ヘミングは、
テレビ・ドラマで紹介されてましたよ。
菅野美穂が演じてました。

個性的なピアニストと言えば、
グレン・グールドという人が居たのですが
御存知ですか?
グールドはバッハ弾きです。
彼の「ゴールドベルグ変奏曲」はかなり有名です。
僕もCDを持ってます。
晩年のものが良いです。

中島みゆきでおすすめの曲は
たとえば「命の別名」です。
かなり真に迫ってますよ。
高校時代に聴いた中島みゆきは
失恋の歌、という印象が強いですが、
「命の別名」タイプの曲の方が
失恋の歌よりも格上だと思ってます。
失恋の歌で名曲なのは、
「悪女」なんてのがありますけどね。
音楽的にはこっちの方が上かもしれませんが、
僕は「命の別名」の方を高く評価します。
つい最近、
「春なのに」が中島みゆきの曲だというのを知り、
驚いたばかりです。
良く聴くと中島みゆきらしいフレーズがありましたが、
今まで全然気付きませんでした。
僕が中島みゆきを聴き始めたのは
高校時代ですから、
それ以前のは原則知らないんです。
ラジオでそういう時代の中島みゆきがかかる事が
あって、天才的に優れたものがありましたよ。
もちろん、そういうものはチョッと聴いただけで
彼女のだと分かりましたが。

今日は鬼束を一通り聴いて、
その後はカントリーをかけてます。

「夢伝説」はあえて言うなら「天上の星」で、
「プロジェクトX」がゴールデン・タイムで脚光を
浴びていたのとは対照的に、
少し遅めの時刻にひっそりと放送されていました。
僕は「クラーク・ゲーブル」の話を思い出します。
この人は映画「風と友に去りぬ」で「バトラー」役を
演じた人です。
「夢伝説」も、そこから感じたものは
さんぜんと光り輝く栄光ではなく、
過ぎし日の思い出、といった感じの哀愁でした。
「夢」という語も「夢を持て」という使われ方で
出て来る「夢」ではなく、
「夢のように過ぎて行った」という使われ方の「夢」
という印象を受けました。
番組制作者がどちらの意味で使ったのかは
知りませんが。
2004/05/01/22:16  確かに子供の頃とても大切にしていたものを時間の経過と共にある時に捨ててしまう。そんな悲しい行為は時として人間はしてしまう所が有るのかも知れません。その大切なものの事を考えずに…。でも大人に成った時、とても後悔すると言う時が来るのではないでしょうか。僕は大切にしなければならなかった沢山の約束を破ってしまった事を真剣に後悔した事があります(今も後悔しています)。それは中学時代に愛したといてると言える人との約束です。中学の卒業を終え高校へ新学期が始まりその事に夢中になった僕はその彼女との約束を忘れ高校生活に入ってしましました。約束は彼女が入学した高校の制服姿を僕に見せたいという事だったと記憶しています。それ以来、中学の時にまた会って時に、ワインを飲んでバカ騒ぎを仕様と約束をして事、成人式を一緒に迎えようと事など次々と破ってしまいまいた。別々の高校へ行ってしまった事、運命が二人の人生を遠ざけてしまった事がとても悲しい状況を生みました。一方で、卒業式当日に僕は中学時代の先生の僕に送る言葉をお気に入りのTシャツに書いて貰い大切にして今でも持っています。それは約束を破った代価として得る事が出来たと思っています。僕はそれを着て、その彼女に会う事を強く望んでいるのです。僕はその人に本気で心から愛していたのだと伝えたいのです。
 宇田さんのトイ・ストーリから受けた悲しみはなぜ消えないのはなぜでしょうか。宇田さんは似た様な経験をしていたのではと考えてしまいます。それは取り返しのつかない事なのでしょうか。こらは僕のあくまでも創造の話しを進めているだけなのかもしれないのですが、悲しみを消すために出来る事はないのでしょうか。僕は過ちを犯してしまってもいつかは取り戻せる様な気がします。宇田さんの悩みにしかりと答えていないかも知れない、また勘違いをしているかもしれないのですが、僕が話したい事はそういう事なのです。宇田さんはやり直そうと思えば、また考えればその方向に進んでいけるのではないのでしょうか。
2004/05/02/00:37 >宇田さんのトイ・ストーリから受けた悲しみは
>なぜ消えないのはなぜでしょうか。

まず、言える事は、僕の心を圧迫しているものが、
理性的な判断に基づくものではない点です。
人形に心などあるはずなく、
人形の心を思いやるなどという態度は
馬鹿げた事であり、
特にそういう態度が人間社会の実利と
衝突する場合には、
人形の心を大切にするために人間社会の実利を
妨げるような事は人道に反する、
と考えるのが理性的な思考だと思うんです。
この理屈が強力であればあるほど、
人形の立場の弱さが強調されて、
人形に哀れを感じるんです。
で、問題なのは、
僕個人が取り返しのつかない事をしたかどうか
ではなく、
人形は心を持たないただの物である、という
正しい認識の下に、
世界中で毎日毎日おびただしい数の人形が
捨てられ続けている、
という事です。
心が痛みます。理性に反する事なんですが。

さらにもっと考えを進めると、
人形よりもひどいケースがあると思うんです。
それはペットを捨てる行為です。
毎日世界中で数え切れないくらいたくさんの
ペットが捨てられ続けているに違いないと思います。
もともと、人間との関わりなく生きている動物は、
それを哀れだとは思いませんが、
一旦人間に愛されて後に捨てられたペットからは、
人間に愛されている状態とのコントラストで、
耐え難い不幸を感じるんです。

そして、最後に来るのが、人間を捨てる行為。
僕は、人形、ペット、人間、これらを捨てる行為の
中に潜む悲しみの一切を、
トイ・ストーリーのヒロインの回想部分から
知らせられたのです。

つまり、世の中には膨大な数の不幸があり、
その不幸を無くす事は
僕個人の力ではどうにもならない事であり、
これからもその不幸はずっと続くだろうし、
仮に僕に十分な力があったとしても、
人形を捨てるな、と人に命じることは悪だ
と思うんです。

この事態を僕は憂えているんです。

渡辺さんが約束を破った事は、
「人間を捨てる」事に当たると思います。
しかし、渡邉さんにとってそうであったように、
約束を破られた相手にとっても、
高校に入学した後は、
渡邉さんとの約束は重要ではないものに
成っていたかも知れません。
そうだとしたら、
渡邉さんはあまり気にする必要は無いと思います。
一番いけない状態は
「木綿のハンカチーフ」のような状態だと思います。
渡邉さんのケースが
こういうものに成っていなければ良いのですが。
トイ・ストーリーから僕が感じたものは
「木綿のハンカチーフ」と本質は同じでした。
2004/05/02/07:21 > まず、言える事は、僕の心を圧迫しているものが、
> 理性的な判断に基づくものではない点です。
> 人形に心などあるはずなく、
> 人形の心を思いやるなどという態度は
> 馬鹿げた事であり、
> 特にそういう態度が人間社会の実利と
> 衝突する場合には、
> 人形の心を大切にするために人間社会の実利を
> 妨げるような事は人道に反する、
> と考えるのが理性的な思考だと思うんです。
> この理屈が強力であればあるほど、
> 人形の立場の弱さが強調されて、
> 人形に哀れを感じるんです。

 言う事は最もだと思います。人形は本来、人の心を豊かに成長させるために生まれて生きたとおもいますが…。
 確かに、人形には心というものが無いのかもしれませんが、私たち人には自分の心の中に人形に対する心が形ずくられていくのではないでしょうか。
 人形は今の時代、大量生産される物に成ってしまっていあますが、昔は親が子供に手作りで作っていた様な気がします。だから其れを大切にするし、時には形見に大事に取っておく事もあると思うのです。大事に作ったものには命が宿る、そんな風に日本人は考えていたのでは無いでしょうか?
 物質的豊かさを追求した余り、心が貧しくなって行くそんな事は良は耳に良く聞くと思うのですが。その物質的豊かさが主観的に人形に心が無いと錯覚させてしまうのでは無いでしょうか。物質的豊かさのない時代、それは物が大切で身近にあって、心が通い合うものと信じる事がとても当たり前に出来た時代でもあったのではないでしょうか?

> で、問題なのは、
> 僕個人が取り返しのつかない事をしたかどうか
> ではなく、
> 人形は心を持たないただの物である、という
> 正しい認識の下に、
> 世界中で毎日毎日おびただしい数の人形が
> 捨てられ続けている、
> という事です。
> 心が痛みます。理性に反する事なんですが。
>

 人形自体には心が無いと考えるのも正しい考えます。だから宇田さんの言っている事も解ります。しかし理性に反する事ってそんなに駄目なのですか。生き物の感情は理性と同等に大切な事の様な気がします。

> さらにもっと考えを進めると、
> 人形よりもひどいケースがあると思うんです。
> それはペットを捨てる行為です。
> 毎日世界中で数え切れないくらいたくさんの
> ペットが捨てられ続けているに違いないと思います。
> もともと、人間との関わりなく生きている動物は、
> それを哀れだとは思いませんが、
> 一旦人間に愛されて後に捨てられたペットからは、
> 人間に愛されている状態とのコントラストで、
> 耐え難い不幸を感じるんです。

 全く同感です。僕も捨てるくらいならば、そういう事はすべきではないという意見です。憤りを感じます。

>
> そして、最後に来るのが、人間を捨てる行為。
> 僕は、人形、ペット、人間、これらを捨てる行為の
> 中に潜む悲しみの一切を、
> トイ・ストーリーのヒロインの回想部分から
> 知らせられたのです。

 宇田さんの感性はとても繊細なのですね。最期には人間を捨てる行為になっていまうと言う言う考えは悲しいけれど、今の現状を考えると現実に起こっている事と思います。

>
> つまり、世の中には膨大な数の不幸があり、
> その不幸を無くす事は
> 僕個人の力ではどうにもならない事であり、
> これからもその不幸はずっと続くだろうし、
> 仮に僕に十分な力があったとしても、
> 人形を捨てるな、と人に命じることは悪だ
> と思うんです。
>
> この事態を僕は憂えているんです。

 分かりました。
 僕の意見を言うと、一人一人がその事に気づいて行けばその問題を解決への方向へと導いて行くのではと感じます。

>
> 渡辺さんが約束を破った事は、
> 「人間を捨てる」事に当たると思います。
> しかし、渡邉さんにとってそうであったように、
> 約束を破られた相手にとっても、
> 高校に入学した後は、
> 渡邉さんとの約束は重要ではないものに
> 成っていたかも知れません。

 それは違うと感じます。僕の感受性からはその様な事は感じられません。僕は其の人と強く心が響き合っていたと思うのです。僕の相手は「人間を捨てる」と言う事を決してしない人だと考えます。僕が「人間を捨てる」事に当たるのは厳しい意見ですが全くその通りだと言わざるを得ませんが。

> そうだとしたら、
> 渡邉さんはあまり気にする必要は無いと思います。
> 一番いけない状態は
> 「木綿のハンカチーフ」のような状態だと思います。
> 渡邉さんのケースが
> こういうものに成っていなければ良いのですが。
> トイ・ストーリーから僕が感じたものは
> 「木綿のハンカチーフ」と本質は同じでした。
>
 「木綿のハンカチーフ」と言う事が僕には良く分かりません。初めて聞く言葉です。 しかしその言葉から受ける印象は悲しいまでにその通りになっていると感じてしまいます。僕にはその人は掛け買いのない存在です。それは疑う事の出来ない事実です。だからその人を悲しませる事はもうしたくは無いのです。
2004/05/02/10:29 僕の気持ちを色々分かってくれてありがとう。

「木綿のハンカチーフ」は歌の題名です。

歌詞は以下のごとくです。


恋人よ 僕は旅立つ
(著作権尊重の為に中略)
ねえ 涙拭く
木綿のハンカチーフ下さい
ハンカチーフ下さい


メロディーは下記サイトで聴けます。
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/momennohankachi.html
2004/05/02/16:03  田舎から来てくれたおばちゃんと母が知っていました。我が家のアーティストが曲と一緒に歌ってくれました。とても悲しく切ない歌でした。けれどしっかりしたメッセージが伝わりました。
 宇田さんはビリー・ジョエルの「Just The Way You Are」を聞いた事が有りますか。とても良い歌です。僕は其の歌を訳し中学時代の彼女に渡そうとした事があります。結局は会う事が出来なく渡せなかったのですが…。
2004/05/02/19:18 >田舎から来てくれたおばちゃんと母が
>知っていました。
>我が家のアーティストが曲と一緒に
>歌ってくれました。とても悲しく切ない歌でした。
>けれどしっかりしたメッセージが伝わりました。

人間の場合、誰もが、
恋人のためだけに存在してるのではありませんが、
人形は持ち主のためだけに存在してるんですよね。
その点が人形の悲しい所です。
渡邉さんはどういうメッセージを
受け取ったのでしょうか?
文面からは、
何か前向きのメッセージを受け取ったように
感じますが。

>宇田さんはビリー・ジョエルの
>「Just The Way You Are」を聞いた事が
>有りますか。とても良い歌です。

あ!知りません。
聴くと知ってる事に気付くかもしれません。
題名と、ここで渡辺さんが持ち出したという事実から
判断して、
「あなたにはその道しかない。
 その道をあなたが進む事は 
 私との別れを意味するが、
 それでもあなたはその道を進むべきだ。
 私はあなたとの別れの悲しみに耐える。」
という主旨の歌だと推測します。
違ってたら教えて下さい。

>僕は其の歌を訳し中学時代の彼女に
>渡そうとした事があります。
>結局は会う事が出来なく渡せなかった
>のですが…。

今だとメールで用が足りるのにね。

木綿のハンカチーフの論理は、

「自由意志の尊重は、
 他者の自分への期待を尊重する事よりも
 優先される」
という現代社会の個人主義的人権尊重の理念が、
個別具体的局面において悲しみを生む、

ということだと思います。

人間どうしの場合には、
都会へ行ったまま戻って来ない彼を責める
のではなく、
悲嘆にくれる彼女に、
「今回の件を教訓に成長してください。
 悲しみを乗り越えて下さい。
 彼の心を変える事によってではなく、
 あなた自身の心を変える事によって、
 晴れやかな気持ちを取り戻してください。
 彼の自由意志は尊重されねばなりません。
 その事を受け入れられる強さを
 身に付けてください。」
というふうに説くべきだ、と思います。
渡辺さんが受け取ったメッセージは
こういうものではないでしょうか?

人間を捨てる、というテーマの極限は
「ならやまぶしこう」という映画から感じ取られます。
漢字でどう書くのか、わかりません。
いわゆる「うば捨て山」の話です。
これは残酷な事ですが、
昔の日本のどこかで実際にあった風習だそうです。
そして、恐ろしい事には、
将来の僕はこれに近い事をするかもしれません。
「うば捨て」の論理は、
生活の維持と介護がどうしても両立しない場合
には、生活の維持が優先される、
というもので、
この論理を否定する事は現代人にも出来ない
と思います。
現代日本においては、豊かさによって
この論理を見なくて済むに過ぎない、
のだと思います。
2004/05/03/15:10 ネット上で歌詞を入手して
翻訳を試みましたが、
翻訳できませんでした。
文章が変則的な文法に則って
書かれてるみたいです。

just the way you are
の前に
I take you
とか
I want you
が付いていますね。
僕は
just the way you should go
程度に考えていましたが、
should go
ではなく
are
なのですね。
僕の文法知識では理解できません。
2004/05/03/17:07  メール、遅れてゴメンなさい!!

> 「あなたにはその道しかない。
> その道をあなたが進む事は 
> 私との別れを意味するが、
> それでもあなたはその道を進むべきだ。
> 私はあなたとの別れの悲しみに耐える。」
> という主旨の歌だと推測します。
> 違ってたら教えて下さい。

 これは僕の今の「思い」そのものです。送ろうとした当時に訳した訳を書きます。意訳的なのですが…。
 
 僕を喜ばせようとして変わらなくてもいい
(著作権尊重の為に中略)
 僕はありのままの君を望んでいる
 
> 木綿のハンカチーフの論理は、
>
> 「自由意志の尊重は、
>  他者の自分への期待を尊重する事よりも
>  優先される」
> という現代社会の個人主義的人権尊重の理念が、
> 個別具体的局面において悲しみを生む、
>
> ということだと思います。
>

 宇田さんの言う事は分かります。どっちが優先されれば良いと言うのではなく、等しく同等であるべきではと思うのですがどう感じますか?

> 人間どうしの場合には、
> 都会へ行ったまま戻って来ない彼を責める
> のではなく、
> 悲嘆にくれる彼女に、
> 「今回の件を教訓に成長してください。
>  悲しみを乗り越えて下さい。
>  彼の心を変える事によってではなく、
>  あなた自身の心を変える事によって、
>  晴れやかな気持ちを取り戻してください。
>  彼の自由意志は尊重されねばなりません。
>  その事を受け入れられる強さを
>  身に付けてください。」
> というふうに説くべきだ、と思います。
> 渡辺さんが受け取ったメッセージは
> こういうものではないでしょうか?
>

 少し違って、自由意志は尊重させるべき事とは思うのですが…。
 僕の解釈は「私を愛せなくなる事は仕方有りません。けど私に最期の優しさを下さい、そして自分を見失わないで下さい」という意見が感じ取れるのです。

> 人間を捨てる、というテーマの極限は
> 「ならやまぶしこう」という映画から感じ取られます。
> 漢字でどう書くのか、わかりません。
> いわゆる「うば捨て山」の話です。
> これは残酷な事ですが、
> 昔の日本のどこかで実際にあった風習だそうです。
> そして、恐ろしい事には、
> 将来の僕はこれに近い事をするかもしれません。
> 「うば捨て」の論理は、
> 生活の維持と介護がどうしても両立しない場合
> には、生活の維持が優先される、
> というもので、
> この論理を否定する事は現代人にも出来ない
> と思います。
> 現代日本においては、豊かさによって
> この論理を見なくて済むに過ぎない、
> のだと思います。
>
 これには、簡単には答えられません。もう少し一緒に話しをしていきませんか?
2004/05/03/21:18 >メール、遅れてゴメンなさい!!

いいえ、気にしないで下さい。
この僕のメールも遅れてるかもしれません。

>送ろうとした当時に訳した訳を書きます。
>意訳的なのですが…。
 
>僕を喜ばせようとして変わらなくてもいい
>(著作権尊重の為に中略)
>僕はありのままの君を望んでいる
 
渡邉さんの英語の能力は素晴らしいですねえ。
僕には歯が立ちませんでした。
あの英語オタクの中堤君も
これを見たら舌を巻くのではないかと思います。

<木綿のハンカチーフの論理は、

<「自由意志の尊重は、
< 他者の自分への期待を尊重する事よりも
< 優先される」
<という
<現代社会の個人主義的人権尊重の理念が、
<個別具体的局面において悲しみを生む、

<ということだと思います。

>宇田さんの言う事は分かります。
>どっちが優先されれば良いと言うのではなく、
>等しく同等であるべきではと思うのですが
>どう感じますか?

そう感じるべき主体はあくまで「自分の意志」と
「他者の自分への期待」を比較考量する当の本人
だけであって、
他者に向かって、
自分の意思と他人からの期待を等しく尊重せよ、
と強制する事は、いけない、と思います。
それから、「木綿のハンカチーフ」では、
「都会の絵の具」という言葉に代表されるように、
都会に対する偏見があると思います。
彼は「スーツ姿を見てくれ」とか、
都会の人から見ても、都会にかぶれている状態に、
陥ってしまっていて、
誰が見ても、
田舎の彼女への思いを取り戻すべきだ、
彼は道を誤っている、
という風に感じる設定に成っています。
しかし、そうではなくて、彼が、
田舎に居るときよりも貧しい生活に耐えつつ、
都会でしかかなえられない夢に向かって
邁進しているとしたら、
話は変わって来ると思うんです。
あれ?最初はトイ・ストーリー2の影響で
彼女の悲しみへの共感が僕を支配していたのに、
今何故僕は彼の肩を持つ様な事を
言ってるんだろうか。
ああ、分かってきました。
結局、悲しみを引き起こす行為に強い正当性が
備わっている分だけ、
その悲しみは救いようのないものとなる、
というのが僕の意見です。

>僕の解釈は
>「私を愛せなくなる事は仕方有りません。
>けど私に最期の優しさを下さい、
>そして自分を見失わないで下さい」
>という意見が感じ取れるのです。

歌の解釈としては、
こっちの方が僕の見解よりも正しいと思います。
なるほど、その通りですね。
英語だけでなく、国語でも
僕は渡邉さんに負けてますね。

<人間を捨てる、というテーマの極限は
<「ならやまぶしこう」という映画から
<感じ取られます。
<漢字でどう書くのか、わかりません。
<いわゆる「うば捨て山」の話です。
<これは残酷な事ですが、
<昔の日本のどこかで実際にあった風習だ
<そうです。
<そして、恐ろしい事には、
<将来の僕はこれに近い事をするかもしれません。
<「うば捨て」の論理は、
<生活の維持と介護がどうしても両立しない場合
<には、生活の維持が優先される、
<というもので、
<この論理を否定する事は現代人にも出来ない
<と思います。
<現代日本においては、豊かさによって
<この論理を見なくて済むに過ぎない、
<のだと思います。

>これには、簡単には答えられません。
>もう少し一緒に話しをしていきませんか?

はい、そうしましょう。
2004/05/04/05:21 > 結局、悲しみを引き起こす行為に強い正当性が
> 備わっている分だけ、
> その悲しみは救いようのないものとなる、
> というのが僕の意見です

 「人を捨てる」という行為についても、解釈は同じなですか?僕は中学時代の彼女を捨ててしまったと考えています。それは愛していたからそうしたのですが…。今、考えると僕には愛していたから捨てたという事は正当性がなく。愛していたなら、なぜ?そばにずっといてあげられなかったのだろう。なぜ?守って、寄り添う様に暮らす道を選べなかったのだろうか。なぜ?結ばれる事がかったのだろうか? それは僕があまりにも弱すぎたせいだからだと今では考えられるです。決して、僕には、それが正当性を持つ理由には決してならないのです。悲しさを乗り越えてその先を見つめるそれが必要だったのでは?と考えます。
2004/05/04/08:08 <結局、悲しみを引き起こす行為に強い正当性が
<備わっている分だけ、
<その悲しみは救いようのないものとなる、
<というのが僕の意見です

>「人を捨てる」という行為についても、
>解釈は同じなですか?

「木綿のハンカチーフ」を読み返してみましたが、
彼は田舎に帰ると約束していません。
彼女の「帰って欲しい」という希望は
述べられていますが。
したがって、僕の解釈は同じです。

>僕は中学時代の彼女を捨ててしまったと
>考えています。
>それは愛していたからそうしたのですが…。
>今、考えると僕には愛していたから捨てた
>という事は正当性がなく。
>愛していたなら、なぜ?そばにずっといて
>あげられなかったのだろう。
>なぜ?守って、寄り添う様に暮らす道を
>選べなかったのだろうか。
>なぜ?結ばれる事がかったのだろうか?
>それは僕があまりにも弱すぎたせいだからだと
>今では考えられるです。
>決して、僕には、それが正当性を持つ理由には
>決してならないのです。
>悲しさを乗り越えてその先を見つめる
>それが必要だったのでは?と考えます。

渡邉さんの場合には約束を破ったわけだから、
その部分については正当性がありませんよね。
しかし、約束の内容は彼女の制服姿を見てあげる、
というものであり、
高校に進学した後も変わらず交際を続ける、
というものではないので、
高校進学と同時に交際をやめてしまった事は
不当だとは言えないと思うんです。
高校に進学した後、彼女から
交際を継続して欲しい、という嘆願でもあれば、
そして、それを振り切って渡辺さんが交際を
断ったのであれば、
その分彼女への同情は強まると思いますが、
そういう嘆願すら無いのであれば、
渡邉さんは何ら間違った事はしていない、
という事になると思います。
そして、
その正当性の陰で、彼女が悲しんでいたとすれば、
それは非常にかわいそうな事だと思うんです。

しかし、人間というものは、
捨てらた悲しみが永続するほど弱っちい
ものでしょうか?
彼女が今でも渡邉さんの事を思い続けている
としても、そのために悲しい毎日を送っている
とは考えにくいです。
心の古傷として時々そこが痛む事はあっても、
普段はサッパリした気持ちで今を生きている
と思います。
渡辺さんが「木綿のハンカチーフ」の状態を
作り出したとしたら、それは悲しい事ですが、
その悲しみは一時的なものだと思うんです。
また、僕は彼女に
そうであるぐらいに強くあって欲しいと、
願うんです。
そして、実際には、
彼女はそのように強くなっているだろうと
推測するんです。
2004/05/04/11:59  僕も彼女は強く生きていると感じます。今後、会う機会があれば笑顔で会いたいです。彼女に感じていた永遠を確かめるために!!
2004/05/04/16:25  鬼束ちひろのシングル「私とワルツを」を聴いてます。一曲目「私とワルツ」をが宇田さんの印象と重なります。
 今井美樹のシングル「微笑みの人」を聞いた事ありますか。「微笑みの人」は今井美樹が父さんの看病をしている時に、歌っていたと記憶しています。
 答えたくなかったら、答えないで下さい。
 宇田さんは愛した人はいないのですか?
 宇田さんは両親を大切にしていないのですか?
「うば捨て山」について少し話しをしませんか?
2004/05/04/17:18 >鬼束ちひろのシングル「私とワルツを」を
>聴いてます。
>一曲目「私とワルツ」をが宇田さんの印象と
>重なります。

それはどんな印象なんですか?

>今井美樹のシングル「微笑みの人」を聞いた事
>ありますか。

いいえ。ありません。

>「微笑みの人」は今井美樹が父さんの看病を
>している時に、歌っていたと記憶しています。
>答えたくなかったら、答えないで下さい。
>宇田さんは愛した人はいないのですか?

異性に関しては、
表面的な点に魅力を感じて、
深く関わりたいと思い交際を依頼したが断られた、
という経験はあります。
したがって、
愛するという段階までは行った事がありません。
交際を断られた経験がトラウマに成ってか、
その後は魅力を感じた女性に交際を依頼する事は
なくなりました。
また、僕の場合には、
良く言えば夢、悪く言えば野望、
が何をさておいても第一ですから、
女性との関わりに対してどうしても及び腰になる
のを自覚しています。
深みにはまって、
日々の生活にキュウキュウとする
普通のオジサン・オバサン夫婦になるのは
どうしても避けねばならないのです。

異性という事でなければ、
飼い犬の「チロ」が死んだときには
深い悲しみが長く続きましたから、
僕は飼い犬を愛していたはずです。
僕の部屋の押入れにはその犬の骨壷が
大切に保管されています。
僕の母はこれを嫌がるんですが、
僕はまだその犬を捨て切れていないんですね。

両親についても、
死ぬと大変悲しいだろうから、
その悲しみに自分が耐えられるのか
心配したりする事がありました。
犬が死んだ後は特にそういう事を感じました。

>宇田さんは両親を大切にしていないのですか?
>「うば捨て山」について少し話しをしませんか?

僕を千葉から現住所へ引越しさせた力は、
僕の心の中にある両親への愛情でしたが、
今に至るまで、僕が両親にしてやれた事と言えば、
同じ家に居る事、ぐらいのもので、
経済的には何もしてやる事が出来ませんでした。
大切にしていないのか?とのことですが、
残念ながら、大切にしていない、です。

うば捨て山については、
現代日本では、
同居してると扶養義務が発生するので、
両親が足手まといに成るようだったら、
一人部屋を借りて別居する事を考えているんです。
一人暮らしの老人が一人さびしく死んで行く、
というケースは、
現代日本においては珍しくないと思います。
心が痛まないわけではありませんが、
僕は自分で自分の心に麻酔注射を打つ事が
出来ます。
そうしてでも僕は
自分の道を行かねば成らないのです。
この勢いだから女性も寄り付きませんよね。
僕の心は正気の狂気なのです。

昔あった「うば捨て」は、文字通り、
山奥まで老人を連れて行き、おきざりにして帰る、
というものです。
2004/05/04/18:22  δの件、少しまとまってきました。少し話しをしませんか?
2004/05/04/19:06 > >鬼束ちひろのシングル「私とワルツを」を
> >聴いてます。
> >一曲目「私とワルツ」をが宇田さんの印象と
> >重なります。
>
> それはどんな印象なんですか?

 聴いて、見るのが一番分かると思うのですが…。孤独でいる事や孤独を選ぶ道に一人でいないで下さい。私と一緒に愛し合って下さい。そんな歌のメッセージが宇田さんの過去にあったかの様な印象です。

>
> >今井美樹のシングル「微笑みの人」を聞いた事
> >ありますか。
>
> いいえ。ありません。

 今度、CDを送ります

>
> >「微笑みの人」は今井美樹が父さんの看病を
> >している時に、歌っていたと記憶しています。
> >答えたくなかったら、答えないで下さい。
> >宇田さんは愛した人はいないのですか?
>
> 異性に関しては、
> 表面的な点に魅力を感じて、
> 深く関わりたいと思い交際を依頼したが断られた、
> という経験はあります。

 本当に表面的な点だけだったのですか?

> したがって、
> 愛するという段階までは行った事がありません。
> 交際を断られた経験がトラウマに成ってか、
> その後は魅力を感じた女性に交際を依頼する事は
> なくなりました。

 そんな繊細さはあると感じていました。

> また、僕の場合には、
> 良く言えば夢、悪く言えば野望、
> が何をさておいても第一ですから、
> 女性との関わりに対してどうしても及び腰になる
> のを自覚しています。

 野望ではなくそれは紛れもなく愛です。宇田さんは自分を変えていく事を否定するのですか?

> 深みにはまって、
> 日々の生活にキュウキュウとする
> 普通のオジサン・オバサン夫婦になるのは
> どうしても避けねばならないのです。

 宇田さんの夢が有るのは分かります。普通の人にならなければそれで良いのではないでしょうか?

>
> 異性という事でなければ、
> 飼い犬の「チロ」が死んだときには
> 深い悲しみが長く続きましたから、
> 僕は飼い犬を愛していたはずです。
> 僕の部屋の押入れにはその犬の骨壷が
> 大切に保管されています。
> 僕の母はこれを嫌がるんですが、
> 僕はまだその犬を捨て切れていないんですね。
>

 僕も元太という犬を飼っていました。土葬が出来なかったら、僕もそう願ったかも知れません。最所はビックリしましたが、宇田さんの愛情の深さが分かる話です。

> 両親についても、
> 死ぬと大変悲しいだろうから、
> その悲しみに自分が耐えられるのか
> 心配したりする事がありました。
> 犬が死んだ後は特にそういう事を感じました。

 僕は早くにおばあちゃんが亡くなりました。僕の大好きな人です。僕は今でも家族の死に対して悲しみを抑えられません。

>
> >宇田さんは両親を大切にしていないのですか?
> >「うば捨て山」について少し話しをしませんか?
>
> 僕を千葉から現住所へ引越しさせた力は、
> 僕の心の中にある両親への愛情でしたが、
> 今に至るまで、僕が両親にしてやれた事と言えば、
> 同じ家に居る事、ぐらいのもので、
> 経済的には何もしてやる事が出来ませんでした。
> 大切にしていないのか?とのことですが、
> 残念ながら、大切にしていない、です。

 僕が言いたいのは経済的でないのです。また大切にしていないとの事、本当に大切にしていないならば、そんな事は書きません。

>
> うば捨て山については、
> 現代日本では、
> 同居してると扶養義務が発生するので、
> 両親が足手まといに成るようだったら、
> 一人部屋を借りて別居する事を考えているんです。
> 一人暮らしの老人が一人さびしく死んで行く、
> というケースは、
> 現代日本においては珍しくないと思います。
> 心が痛まないわけではありませんが、
> 僕は自分で自分の心に麻酔注射を打つ事が
> 出来ます。

 この苦しさが歌から伝わってくるのかも知れません。

> そうしてでも僕は
> 自分の道を行かねば成らないのです。
> この勢いだから女性も寄り付きませんよね。
> 僕の心は正気の狂気なのです。

 宇田さんの夢は何ですか?

>
> 昔あった「うば捨て」は、文字通り、
> 山奥まで老人を連れて行き、おきざりにして帰る、
> というものです。
>

 それは残酷なのではありません。愛しているからだと信じます。
2004/05/04/22:17 >δの件、少しまとまってきました。
>少し話しをしませんか?

良いですよ。
話し相手が出来てうれしいです。

<それはどんな印象なんですか?
>聴いて、見るのが一番分かると思うのですが…。

と言うか、聴かなくちゃあ分からないですよね。
聞いた事がありますよ。
ただし全部通してじゃあありませんけど。
手品を見破る女の子(仲間ユキエだったと思う)が
活躍するテレビ・ドラマの挿入歌に
使われていました。

>孤独でいる事や孤独を選ぶ道に一人で
>いないで下さい。私と一緒に愛し合って下さい。
>そんな歌のメッセージが宇田さんの過去に
>あったかの様な印象です。

分かりました。
僕の生態を見た友人から「さびしくないのか?」と
いぶかしがられた事は何度もあります。
飼いならしてしまえば孤独ほど良き友は
ありませんよ。
渡邉さんも経験してみると分かると思います。
勉強というものにとって、
一人になってジックリ考える時間は
非常に重要です。
最も重要だと言っても過言ではありません。

>今井美樹のシングル「微笑みの人」を聞いた事
>ありますか。
<いいえ。ありません。
>今度、CDを送ります

わぁー、ありがとう。
MDに写して返却します。

>本当に表面的な点だけだったのですか?

深くつきあっていないので
表面的な点しか分からない、と思いました。
高校2年生の年度始めだったと思います。
一人の少女が立位で先生に何か返答している姿、
その人を初めて見たのはこの時でした。
側方から僕は見ていたはずなのですが、
何故か僕の記憶に残っているのは、
顔形(発語中の口元だったと思う)の左右対称性
からのズレでした。
それから、張り伸ばした胸。
発語の快活・聡明な様子や女性的な声質、
華奢(きゃしゃ)な身体、
こういうものが印象に残っています。
その印象は、十分なものであったのに、
僕はそれを「好きだ」という気持ちにつなげるまでに
いくらかの時間がかかりました。
つまり厳密には一目ボレではないのだけれど、
好きになる原因は第一印象にありました。たぶん。
僕はいやしい人間ですから、
女性との愛は、性愛から始める事しか出来ません。
つまり、女性を見るごとに
その人を性的魅力度の観点から
測ってしまうんです。
性的魅力以外のものだったら、女性に求めなくとも、
同性の友人からでも得られる、と僕は考えます。
というわけで、その人を僕が初めて見た時に、
僕はその人を測り、予想外に高い値が出た事に
少し驚いたわけです。
そして、
新年度が始まるや否や最も好ましい女性が
目に飛び込んで来るはずは無い。
クラス全体を良く見てみればもっと魅力的な人が
居るはずだ。
という風に考えながらしばらくの期間を過ごしました。
確かに、もっと魅力的な、あるいは、
匹敵する女性は何人か居ました。
それなのに、
最初に見た彼女の事がどうしても脳裏に
焼き付いて離れなかったのです。
その後の僕は彼女を客観的に見る事が
出来なくなって行きました。
つまり、女性を測る僕のものさしが、
彼女を最高とする方向へと変形して行ったのです。
欠点すら長所に見えてしまう様になった、
という事です。
で、表面的かどうか?という話ですが、
僕は「抱きしめてキスしたい」ぐらいの所までしか
見る事が出来ていなかった、と思います。
これって表面的じゃあないでしょうか?
僕にそう思わせた彼女の特徴は
彼女の内面に深く根差したものであった、
という可能性はあると思いますし、
そうであったと思いたいですけれど。
ああ、恥かしいこと書いちゃった。へへ。

<また、僕の場合には、
<良く言えば夢、悪く言えば野望、
<が何をさておいても第一ですから、
<女性との関わりに対してどうしても及び腰になる
<のを自覚しています。

>野望ではなくそれは紛れもなく愛です。
>宇田さんは自分を変えていく事を
>否定するのですか?

夢とか野望って、
女性に対するものではありませんよ。
僕の才能を開花させ相応の評価を受ける事を
夢とか野望とか言ってます。
良く言えば使命感とも言えます。
僕は誰にも発する事の出来ない言葉を発し続けて
その業績が認められ、
キリストや仏陀やマホメッドに取って代わる存在に
成るつもりです。
現代において彼らの教えは古過ぎる。
古いから悪いのではなく、間違っているから悪い。

<深みにはまって、
<日々の生活にキュウキュウとする
<普通のオジサン・オバサン夫婦になるのは
<どうしても避けねばならないのです。

>宇田さんの夢が有るのは分かります。
>普通の人にならなければそれで良いのでは
>ないでしょうか?

ゼロ戦が機体の軽量化に徹して作られたように、
僕は、独身という身軽さが強さを生むと考えます。
妻や子供をかかえてたのでは重過ぎるのです。

>僕が言いたいのは経済的でないのです。
>また大切にしていないとの事、
>本当に大切にしていないならば、
>そんな事は書きません。

善意の解釈を有難う。
おっしゃるとおりです。
自分の考えているレベルに達していないから、
大切にしていない、と言っているわけで、
この事から、
僕は、もっと大切にするべき、と考えている事が
分かります。
大切に思っているけど、親を利用してるだけ、
というのが実情なんです。

>宇田さんの夢は何ですか?

言葉の正しさと言葉の独自性によって
世界に貢献し、相応の評価を受ける
人類の教え主に成る事です。

<昔あった「うば捨て」は、文字通り、
<山奥まで老人を連れて行き、おきざりにして帰る、
<というものです。

>それは残酷なのではありません。
>愛しているからだと信じます。

そう言ってしまったら、
これから将来においてこの風習が復活しても良い、
という事に成りませんか?
僕はそういう事はあっては成らないと思います。

最後に、思い出したんですけれど、
僕は女性に対して今までずっと潔癖(けっぺき)
であったわけではありません。
渡辺さんが許してくれるなら、そして知りたいなら、
お話します。
2004/05/04/23:24 > >δの件、少しまとまってきました。
> >少し話しをしませんか?
>
> 良いですよ。
> 話し相手が出来てうれしいです。
>

 原子一個に精神性はあるかという議論から入ります。私達人間からみたら原子一個はやはりそれだけの様に思えますが、(僕の精神が心が創造する)原子固有の精神性(人間の精神性とはかなり異なる)が具備されれていると考えます。
 また時間は負の時間も虚数の時間もそれ以外に考えられる時間も存在していると考えます(僕は正とか負とか言う言葉は用いません。ただまさらなだけです)。但し物には固有の時間が統一された形で、一つだけの時間が対応すると考えます。
 δは原子一個だけでなく、宇宙全体なども対象に成る事もあります。またδは素粒子レベルまたはそれ以下も対象に成るし、精神が対象に成る事も有ります。
> <それはどんな印象なんですか?
> >聴いて、見るのが一番分かると思うのですが…。
>
> と言うか、聴かなくちゃあ分からないですよね。
> 聞いた事がありますよ。
> ただし全部通してじゃあありませんけど。
> 手品を見破る女の子(仲間ユキエだったと思う)が
> 活躍するテレビ・ドラマの挿入歌に
> 使われていました。

 これも、送ります。

>
> >孤独でいる事や孤独を選ぶ道に一人で
> >いないで下さい。私と一緒に愛し合って下さい。
> >そんな歌のメッセージが宇田さんの過去に
> >あったかの様な印象です。
>
> 分かりました。
> 僕の生態を見た友人から「さびしくないのか?」と
> いぶかしがられた事は何度もあります。
> 飼いならしてしまえば孤独ほど良き友は
> ありませんよ。
> 渡邉さんも経験してみると分かると思います。
> 勉強というものにとって、
> 一人になってジックリ考える時間は
> 非常に重要です。
> 最も重要だと言っても過言ではありません。

 僕もδについて、考える時は一人になってジックリ考える時間が必要です。

>
> >今井美樹のシングル「微笑みの人」を聞いた事
> >ありますか。
> <いいえ。ありません。
> >今度、CDを送ります
>
> わぁー、ありがとう。
> MDに写して返却します。

 分かりました。

>
> >本当に表面的な点だけだったのですか?
>
> 深くつきあっていないので
> 表面的な点しか分からない、と思いました。
> 高校2年生の年度始めだったと思います。
> 一人の少女が立位で先生に何か返答している姿、
> その人を初めて見たのはこの時でした。
> 側方から僕は見ていたはずなのですが、
> 何故か僕の記憶に残っているのは、
> 顔形(発語中の口元だったと思う)の左右対称性
> からのズレでした。
> それから、張り伸ばした胸。
> 発語の快活・聡明な様子や女性的な声質、
> 華奢(きゃしゃ)な身体、
> こういうものが印象に残っています。
> その印象は、十分なものであったのに、
> 僕はそれを「好きだ」という気持ちにつなげるまでに
> いくらかの時間がかかりました。
> つまり厳密には一目ボレではないのだけれど、
> 好きになる原因は第一印象にありました。たぶん。
> 僕はいやしい人間ですから、
> 女性との愛は、性愛から始める事しか出来ません。
> つまり、女性を見るごとに
> その人を性的魅力度の観点から
> 測ってしまうんです。
> 性的魅力以外のものだったら、女性に求めなくとも、
> 同性の友人からでも得られる、と僕は考えます。
> というわけで、その人を僕が初めて見た時に、
> 僕はその人を測り、予想外に高い値が出た事に
> 少し驚いたわけです。
> そして、
> 新年度が始まるや否や最も好ましい女性が
> 目に飛び込んで来るはずは無い。
> クラス全体を良く見てみればもっと魅力的な人が
> 居るはずだ。
> という風に考えながらしばらくの期間を過ごしました。
> 確かに、もっと魅力的な、あるいは、
> 匹敵する女性は何人か居ました。
> それなのに、
> 最初に見た彼女の事がどうしても脳裏に
> 焼き付いて離れなかったのです。
> その後の僕は彼女を客観的に見る事が
> 出来なくなって行きました。
> つまり、女性を測る僕のものさしが、
> 彼女を最高とする方向へと変形して行ったのです。
> 欠点すら長所に見えてしまう様になった、
> という事です。

 この状況は性的魅力だけを考えて出てくる事ではありませんよ!!

> で、表面的かどうか?という話ですが、
> 僕は「抱きしめてキスしたい」ぐらいの所までしか
> 見る事が出来ていなかった、と思います。
> これって表面的じゃあないでしょうか?
> 僕にそう思わせた彼女の特徴は
> 彼女の内面に深く根差したものであった、
> という可能性はあると思いますし、
> そうであったと思いたいですけれど。
> ああ、恥かしいこと書いちゃった。へへ。

 もの凄く純粋な事と感じます。

>
> <また、僕の場合には、
> <良く言えば夢、悪く言えば野望、
> <が何をさておいても第一ですから、
> <女性との関わりに対してどうしても及び腰になる
> <のを自覚しています。
>
> >野望ではなくそれは紛れもなく愛です。
> >宇田さんは自分を変えていく事を
> >否定するのですか?
>
> 夢とか野望って、
> 女性に対するものではありませんよ。
> 僕の才能を開花させ相応の評価を受ける事を
> 夢とか野望とか言ってます。
> 良く言えば使命感とも言えます。
> 僕は誰にも発する事の出来ない言葉を発し続けて
> その業績が認められ、
> キリストや仏陀やマホメッドに取って代わる存在に
> 成るつもりです。
> 現代において彼らの教えは古過ぎる。
> 古いから悪いのではなく、間違っているから悪い。
>

 古いからお止しなさい出はなく、そこが出発点であっても良いと考えます。

> <深みにはまって、
> <日々の生活にキュウキュウとする
> <普通のオジサン・オバサン夫婦になるのは
> <どうしても避けねばならないのです。
>
> >宇田さんの夢が有るのは分かります。
> >普通の人にならなければそれで良いのでは
> >ないでしょうか?
>
> ゼロ戦が機体の軽量化に徹して作られたように、
> 僕は、独身という身軽さが強さを生むと考えます。
> 妻や子供をかかえてたのでは重過ぎるのです。
>

 分かりました。宇田さんの夢に向かって頑張って下さい。

> >僕が言いたいのは経済的でないのです。
> >また大切にしていないとの事、
> >本当に大切にしていないならば、
> >そんな事は書きません。
>
> 善意の解釈を有難う。
> おっしゃるとおりです。
> 自分の考えているレベルに達していないから、
> 大切にしていない、と言っているわけで、
> この事から、
> 僕は、もっと大切にするべき、と考えている事が
> 分かります。
> 大切に思っているけど、親を利用してるだけ、
> というのが実情なんです。
>
> >宇田さんの夢は何ですか?
>
> 言葉の正しさと言葉の独自性によって
> 世界に貢献し、相応の評価を受ける
> 人類の教え主に成る事です。
>

 一言いうと信仰の自由はいかなる場合でも守られるべき事と考えます。

> <昔あった「うば捨て」は、文字通り、
> <山奥まで老人を連れて行き、おきざりにして帰る、
> <というものです。
>
> >それは残酷なのではありません。
> >愛しているからだと信じます。
>
> そう言ってしまったら、
> これから将来においてこの風習が復活しても良い、
> という事に成りませんか?
> 僕はそういう事はあっては成らないと思います。

 僕は愛の形は沢山有ると言いたかったのです。僕は「うば捨て」はしないと思います。またそうは成りたくないです。

>
> 最後に、思い出したんですけれど、
> 僕は女性に対して今までずっと潔癖(けっぺき)
> であったわけではありません。
> 渡辺さんが許してくれるなら、そして知りたいなら、
> お話します。

 僕も女性対して純粋に潔癖であったわけではありません。宇田さんが僕に聴いて欲しいならいつでも聴きますよ!!
2004/05/05/08:21  今日は出掛けてしまいます。夜八時頃メールの確認をするつもりです。
2004/05/05/11:07 まずδについてインタビューします。

>原子一個に精神性はあるかという議論から
>入ります。
>私達人間からみたら原子一個はやはり
>それだけの様に思えますが、
>(僕の精神が心が創造する)原子固有の
>精神性(人間の精神性とはかなり異なる)が
>具備されれていると考えます。

そう考えなければ何か不都合な点が
出て来るんですか?
人間の精神性とは異なるのに、
何故精神性という言葉を用いるのですか?
原子等に精神性が具備されているか否かで
どんな違いが出て来るんですか?

>また時間は負の時間も虚数の時間も
>それ以外に考えられる時間も存在していると
>考えます(僕は正とか負とか言う言葉は
>用いません。ただまさらなだけです)。

負の時刻は分かります。
基準の時刻より前の時刻は負の時刻ですよね。
でも、負の時間って何ですか?
虚数の時刻は、ホーキングたちが、
ビッグバンについての研究に際して導入した、
と聞きます。
僕はこれについてまだハッキリした評価を
する事が出来ません。もっと勉強しなくては。
「ただまさら」とはどういう事ですか?

>但し物には固有の時間が統一された形で、
>一つだけの時間が対応すると考えます。

良く意味が分かりません。
特殊相対性理論以来、
運動する点には固有時というものが対応している、と考えられています。
この事とは違うのでしょうか?

>δは原子一個だけでなく、
>宇宙全体なども対象に成る事もあります。
>またδは素粒子レベルまたはそれ以下も
>対象に成るし、精神が対象に成る事も有ります。

結局δって何ですか?
集合ですか?特徴ですか?研究方針ですか?
ひょっとして神ですか?

>これも、送ります。

有難う御座います。楽しみに待ってます。

>僕もδについて、
>考える時は一人になってジックリ考える時間が
>必要です。

僕の場合には、一人と言っても、
文献を参照しながら勉強を進めて行くので、
全くの一人ではなく、一人のときにも
世代を超えたコミュニケーションをしています。
いくら僕に才能があったとしても、
学問の伝統の蓄積を完全に無視して
独自の研究ををすすめても、
古代人の知識以上の事を言う事が出来る様には
ならないでしょう。
僕に伝統の轍(わだち)を矯正する力があっても、
それは伝統があって初めて役立つものであって、
伝統の無いところに「伝統の轍の矯正」は
ありません。
僕が渡邉さんだったら、δという直感を得たときに、
何も見ずにそれを独自に研究して行くのではなく、
常にδという観点を念頭に置きながら、
学問の伝統の勉強を進めて行きます。

>この状況は性的魅力だけを考えて
>出てくる事ではありませんよ!!

>もの凄く純粋な事と感じます。

そう言っていただければホッとします。
渡邉さんには何でも正直に話せそうです。

>古いからお止しなさい出はなく、
>そこが出発点であっても良いと考えます。

出発点と言っても、
それらの教理を肯定的に前提として、
結論を下すのではなく、
僕の場合には、
既存の宗教に人々が求めるものを、
既存の宗教からうかがい知り、
その部分について既存の宗教が与えて来た
ものの代替物を提示する、と言う意味であれば、
それらを出発点としても良いと考えています。
少なくとも良きにつけ悪しきにつけ、
既存の宗教は宗教の模範を
示してくれていますから。
既存のどの宗教の教理も僕は全肯定する事は
出来ません。

>一言いうと
>信仰の自由はいかなる場合でも守られるべき事
>と考えます。

そうですね。だからこそ、
全ての人に宗教選択の機会を与えるためには、
子供の頃から親が強制的にキリスト教教育をして
子供をキリスト教徒に染め上げてしまうとか、
イスラム社会のように
構成員にイスラム教を強制するのは、
いけない事だと思います。
いかなる宗教が支配的な家族環境・社会環境に
おいても、
その構成員には僕の言葉に耳を傾ける権利が
与えられねばならぬ、と考えます。
僕の言葉を聞いた上でそれを否定するのは
構いませんが、
他宗教の教理に触れる機会すら与えられない、
というのは逆に信教の自由に反すると思うのです。
宗教を持たないのも自由だし、
宗教を持つ場合にも
色々な宗教を比較考量した上で
どの宗教を選ぶかは各人の自由意志で
決められねばならぬ、と思います。
比較考量の余地を与えないのは
大変いけない事です。

>僕も女性対して純粋に潔癖であったわけでは
>ありません。
>宇田さんが僕に聴いて欲しいなら
>いつでも聴きますよ!!

また、文脈がそっちの方へ行くことがあったら、
そのときに話します。
2004/05/05/20:02 人類の宗教の中で最も顕著な宗教は
キリスト教だと僕は思います。

キリスト教は
プロテスタントであろうがカトリックであろうが
教理が聖書という1つの書物に由来している点で、
把握し易い宗教だと言えます。
キリスト教を評価するに当たっては、
聖書を評価する事が必要であり、
聖書を評価するだけで十分です。

聖書は様々な観点から評価されねばなりません。
1つには聖書の与える道徳規範、
1つには歴史書としての聖書の価値、
1つには自然科学書としての聖書の価値、
1つには文学作品としての聖書の価値、
他にもあるかもしれません。
僕は文学作品としての聖書の価値に
ケチを付ける者ではありません。
僕の関心はもっぱら現実世界と聖書の記述との
関係にあります。
まず自然科学に関しては、聖書は、
人格神による天地・植物・動物・人間の創造を
唱えている点で、
現代科学の見地からは、
誤っている、と評価されるべきです。
歴史書としては、聖書は、
現代人を驚かせるほどに史実に忠実な側面を
持っていると聞きます。
しかし、エデンの園のアダムとエヴァとか、
ノアの箱舟、辺りになってくると、
聖書を信じる知識人は少数派なのではないか
と思います。
非常に博識なキリスト教原理主義者は
聖書に対する自然科学的観点からの攻撃に、
頑強に抵抗しているようですが、
僕の目には、彼らは、
聖書に対する無理な解釈によって、
聖書は誤りを含む、という考えを
退けようとしているかに見えます。
僕の目には
彼らの解釈には無理・不自然な点があると
見えるのです。
さて、肝心なのは
聖書の提示する道徳規範についてですが、
これについては、
キリスト教徒が道徳に反する行為を非難するとき、
「それは神を冒涜(ぼうとく)するものだ」
としばしば述べるのを見て分かるように、
これは、聖書の自然科学や歴史についての記述と
無関係ではありません。
聖書の自然科学的誤りが道徳的主張に
結び付かなければ、
聖書は無害なトンデモ本に過ぎませんが、
聖書はそういう書物ではないのです。
人格神が存在し、それが天地・生命を創造した、
我々人間は神の被造物に過ぎない、
との認識(自然科学の領域に属する)の上に
立って、
そのことを根拠に道徳に関する主張を
キリスト教徒は行ないます。
原理主義者なら聖書からの引用によって
根拠付けを行なうでしょう。
しかし、その根拠たる聖書の科学的正確さは
肝心の「創造」部分については信用出来ない
ものであるから、
キリスト教徒はしばしば、
現代社会において禁止してはいけないものを
禁止してしまう傾向にあると僕は思います。
クローン技術等については、
これをいけない事だとするキリスト教徒の意見は
正しいかもしれません。
しかし、根拠付けは誤っている、と僕は感じます。
神を冒涜(ぼうとく)するからではなく、
聖書の文言に反するからでもなく、
危険だから、とか、良心に反するから、とか、
あくまで人間が自分達の頭で考え感じた事が、
理由とされねばならない、と僕は考えます。
そして人類は自らの理性と良心を結合させて
得られる学を真摯(しんし)に発達させて行く
必要があります。
そうしなければ、
禁止してはいけないものを禁止したり、
それはまだ良いとしても、
禁止すべき事を、
それと気付かずに行ない続けたりしてしまう事に
成ると思うのです。
社会もテクノロジーも
聖書の時代とは全然違うものに成っている
からです。
自然も社会もこれからも変わって行くでしょう。
その変化に対応するためには、
固定的な道徳基準に固執していたのではいけない
と僕は思うんです。
道徳基準を常に現状に合うように発展させて
行かなくてはいけない。
そのためには、昔に確定してしまった聖書ではなく、
今を生きる人間の理性と良心とが
是非とも必要なのです。
ただし、
キリスト教文化の生んだ芸術作品や建築等を、
破壊せずに大切にする事は必要だと思います。
イスラム教徒が仏像を破壊したことは遺憾です。
2004/05/05/20:34 宗教が悪い方へ作用している典型例は、
ユダヤ教徒とイスラム教徒の
流血を伴う対立でしょう。

これは現代人の誰もが憂慮している事態だと
思います。

僕はユダヤ教もイスラム教も
内容を知りませんが、
これらの教理の中には、

意見や利害の対立はまず話し合いによって解決
するように最大限の努力をしなくてはいけない。
武力の行使は、
それがどうしてもかなわぬ場合にのみ仕方なく
行なわれるものである、

という、現代人なら誰でも受け入れている、
ものの道理は含まれていないのでしょうか。
含まれていないとすればこれらの宗教は
現代人を導くものとしては甚(はなは)だ
欠ける所の大きいものだ、と言わざるを得ません。

教理は正しいが運用を誤っている、
という事であれば、
キリスト教に対して僕の行なった批判以上の
ものをユダヤ教やイスラム教に対して、
今ここでは僕は行ないません。

キリスト教の原理主義者が非常に穏(おだ)やか
であるのに対して、
ユダヤ教とイスラム教の原理主義者が
過激である事は、
この違いが教理の違いに起因している
のではないかと、
僕に推測させます。
2004/05/05/21:12 仏教については、たくさんの「お経」があるらしく、
キリスト教のように聖典が1つにまとまって
いません。
キリスト教の聖書も難解ですが、僕の目には
仏教の「お経」は聖書よりも難しく見えます。
それでも、お坊さんの話を聞いてか、
少なくともこれだけは分かる、
という部分があり、
これについて僕は仏教の欠点を見ます。

それは輪廻転生の教理です。
これは霊魂不滅を前提としているという点で、
キリスト教やイスラム教の教理とも共通する
のではないかと思います。
したがって、ここで僕が行なう仏教批判は
キリスト教やイスラム教に対するものでもある、
と考えてください。
霊魂不滅を前提とすれば、
この世で良い事が無くても来世で良い事がある、
この世で自己犠牲的・奉仕的であれば
来世で報われる、
という期待を持つ事が出来ます。
キリスト教では来世ではなく天国ですね。

しかし、僕は、
霊魂不滅の考えは誤りだ、と認識しています。
僕は死亡すると自分は消滅すると考えています。
したがって、因果応報の損得勘定で動く仏教徒は
損だけして死んで行き、死人に口無しで、
その事は誰の知る所とも成らない、
という事情が生じるであろうと察する事は容易です。

充実した人生を送るためには、
他者への奉仕も結構でしょうが、
それに対する報いを期待してそうしている人に
とって、
報いが存在しない、という現実は、
少し可哀想過ぎるのではないでしょうか。

教理が間違っている事それ自体は
単なるトンデモに過ぎないのですが、
それが人生をいかに生きるかを導く指針となるに
いたっては、
笑って済ませるわけには行かないのです。
2004/05/05 22:14 > まずδについてインタビューします。
>
> >原子一個に精神性はあるかという議論から
> >入ります。
> >私達人間からみたら原子一個はやはり
> >それだけの様に思えますが、
> >(僕の精神が心が創造する)原子固有の
> >精神性(人間の精神性とはかなり異なる)が
> >具備されれていると考えます。
>
> そう考えなければ何か不都合な点が
> 出て来るんですか?
> 人間の精神性とは異なるのに、
> 何故精神性という言葉を用いるのですか?
> 原子等に精神性が具備されているか否かで
> どんな違いが出て来るんですか?

 不都合な点は出ては来ないと思います。あくまでも日本語としての僕の表現にすぎません。
 前にも、話しは様にδに新しい文字を使って、例えばABCDEF…というような言葉の組み合わせによって僕の言葉が話せるなら、精神性という言葉は使いません。今の段階は、例えばδDERSSTやδMTWGHUの様なイメージがすぐに一つのδに統一されてしまうのです。

>
> >また時間は負の時間も虚数の時間も
> >それ以外に考えられる時間も存在していると
> >考えます(僕は正とか負とか言う言葉は
> >用いません。ただまさらなだけです)。
>
> 負の時刻は分かります。
> 基準の時刻より前の時刻は負の時刻ですよね。
> でも、負の時間って何ですか?
> 虚数の時刻は、ホーキングたちが、
> ビッグバンについての研究に際して導入した、
> と聞きます。

 その負ではなく、負の時間方向に時間が流れるという意味です。虚数は別の方向への時間の流れの事です。

> 僕はこれについてまだハッキリした評価を
> する事が出来ません。もっと勉強しなくては。
> 「ただまさら」とはどういう事ですか?

 或方向に時間が流れるという感覚ではなく、沢山の方向へ流れるという印象でもなく、統一(まっさら)された時間感覚の「表現」の事です。

>
> >但し物には固有の時間が統一された形で、
> >一つだけの時間が対応すると考えます。
>
> 良く意味が分かりません。
> 特殊相対性理論以来、
> 運動する点には固有時というものが対応している、と考えられています。
> この事とは違うのでしょうか?

 物には物理的時間が一つ対応するという意味です。多分宇田さんの言っている通りだと思います。

>
> >δは原子一個だけでなく、
> >宇宙全体なども対象に成る事もあります。
> >またδは素粒子レベルまたはそれ以下も
> >対象に成るし、精神が対象に成る事も有ります。
>
> 結局δって何ですか?
> 集合ですか?特徴ですか?研究方針ですか?
> ひょっとして神ですか?

 違います。僕は無神論者です。言うならば「宇宙」です。

>
> >これも、送ります。
>
> 有難う御座います。楽しみに待ってます。
>
> >僕もδについて、
> >考える時は一人になってジックリ考える時間が
> >必要です。
>
> 僕の場合には、一人と言っても、
> 文献を参照しながら勉強を進めて行くので、
> 全くの一人ではなく、一人のときにも
> 世代を超えたコミュニケーションをしています。
> いくら僕に才能があったとしても、
> 学問の伝統の蓄積を完全に無視して
> 独自の研究ををすすめても、
> 古代人の知識以上の事を言う事が出来る様には
> ならないでしょう。
> 僕に伝統の轍(わだち)を矯正する力があっても、
> それは伝統があって初めて役立つものであって、
> 伝統の無いところに「伝統の轍の矯正」は
> ありません。
> 僕が渡邉さんだったら、δという直感を得たときに、
> 何も見ずにそれを独自に研究して行くのではなく、
> 常にδという観点を念頭に置きながら、
> 学問の伝統の勉強を進めて行きます。

 そういう考えの方が正当ですよね。僕は一を聞いて十を知るをしたがるのです。

>
> >この状況は性的魅力だけを考えて
> >出てくる事ではありませんよ!!
>
> >もの凄く純粋な事と感じます。
>
> そう言っていただければホッとします。
> 渡邉さんには何でも正直に話せそうです。

 僕も宇田さんには正直に話しをして行く事を約束します。

>
> >古いからお止しなさい出はなく、
> >そこが出発点であっても良いと考えます。
>
> 出発点と言っても、
> それらの教理を肯定的に前提として、
> 結論を下すのではなく、
> 僕の場合には、
> 既存の宗教に人々が求めるものを、
> 既存の宗教からうかがい知り、
> その部分について既存の宗教が与えて来た
> ものの代替物を提示する、と言う意味であれば、
> それらを出発点としても良いと考えています。
> 少なくとも良きにつけ悪しきにつけ、
> 既存の宗教は宗教の模範を
> 示してくれていますから。
> 既存のどの宗教の教理も僕は全肯定する事は
> 出来ません。

 それで良いと思います。

>
> >一言いうと
> >信仰の自由はいかなる場合でも守られるべき事
> >と考えます。
>
> そうですね。だからこそ、
> 全ての人に宗教選択の機会を与えるためには、
> 子供の頃から親が強制的にキリスト教教育をして
> 子供をキリスト教徒に染め上げてしまうとか、
> イスラム社会のように
> 構成員にイスラム教を強制するのは、
> いけない事だと思います。
> いかなる宗教が支配的な家族環境・社会環境に
> おいても、
> その構成員には僕の言葉に耳を傾ける権利が
> 与えられねばならぬ、と考えます。
> 僕の言葉を聞いた上でそれを否定するのは
> 構いませんが、
> 他宗教の教理に触れる機会すら与えられない、
> というのは逆に信教の自由に反すると思うのです。
> 宗教を持たないのも自由だし、
> 宗教を持つ場合にも
> 色々な宗教を比較考量した上で
> どの宗教を選ぶかは各人の自由意志で
> 決められねばならぬ、と思います。
> 比較考量の余地を与えないのは
> 大変いけない事です。
>

 人に暮らしている世界は狭い様で…。

> >僕も女性対して純粋に潔癖であったわけでは
> >ありません。
> >宇田さんが僕に聴いて欲しいなら
> >いつでも聴きますよ!!
>
> また、文脈がそっちの方へ行くことがあったら、
> そのときに話します。
>
 分かりました。
2004/05/05/23:07 「誠意を込めて」を読みました。
今日はこれから風呂に入って寝て、
明日はお出かけです。
明日の晩に返信出来そうです。
2004/05/06/18:14 18時ごろに帰宅しました。
これから渡邉さんへのメール文を練る事にします。
案外直ぐ出来ちゃうかもしれません。
2004/05/06/19:39 >原子一個に精神性はあるかという議論から
>入ります。
>私達人間からみたら原子一個はやはり
>それだけの様に思えますが、
>(僕の精神が心が創造する)原子固有の
>精神性(人間の精神性とはかなり異なる)が
>具備されれていると考えます。

<そう考えなければ何か不都合な点が
<出て来るんですか?
<人間の精神性とは異なるのに、
<何故精神性という言葉を用いるのですか?
<原子等に精神性が具備されているか否かで
<どんな違いが出て来るんですか?

>不都合な点は出ては来ないと思います。
>あくまでも日本語としての僕の表現にすぎません。

不都合な点が無いのであれば、
原子等への精神性の付与は、

科学というものは、
可能な限り単純な概念だけで全てを説明ないし
記述しようとするものであり、
どうしても必要な場合にだけ新概念の導入を
認めるものである、

という科学の方針に反する様に思えるのですが。

>前にも、話しは様にδに新しい文字を使って、
>例えばABCDEF…というような言葉の
>組み合わせによって僕の言葉が話せるなら、
>精神性という言葉は使いません。
>今の段階は、
>例えばδDERSSTやδMTWGHUの様なイメージが
>すぐに一つのδに統一されてしまうのです。

他の語だと言い表せないが、
精神性という語によって言い表す事は出来る、
ということは、
渡邉さんの言う精神性が国語辞典的な意味での
精神性と全く無関係なのではない、
という事だと思います。
であれば、どういう関係があるのかを、
教えて欲しいものです。
またδは他の文字ではいけないのですか?
文字δは、数学や物理学で、
既に別の意味で用いられています。
他の文字ではいけない、という理由が、
無いのであれば、
他の文字を使うべき、と僕は考えますが。

>その負ではなく、
>負の時間方向に時間が流れるという意味です。
>虚数は別の方向への時間の流れの事です。

負の時間方向に時間が流れると言う言い方は、
時間概念の意味内容に矛盾します。
時間反転の概念は、物理学においては、
ある現象に対して、仮にそれをビデオ撮影したとし、
フィルムを逆回ししたときに見える現象を考える
という事です。
現象が逆向きに進むのであって、
時間が逆向きに進むのではありません。
時刻の増加する向きを
時間の進む向きと定義するのです。
これは定義です。
この定義を受け入れなければ、
語の乱用によって無用の混乱が生じるだけです。
虚時間については、これを認める事は、
時間を2次元と考える、という事です。
渡邉さんの「別の方向へ」という考えは、
この考えに一致するものに見えます。
この様な可能性についての研究は
理論物理学者たちによって行なわれている最中
であり、
現段階ではそれを可とも不可とも断定できません。
しかし、これについて研究したいならば、
理論物理学をキチンと学ぶ事は避けて通れない
と思います。

>或方向に時間が流れるという感覚ではなく、
>沢山の方向へ流れるという印象でもなく、
>統一(まっさら)された時間感覚の「表現」
>の事です。

渡邉さんにとっては
「まっさら」=「統一」なのですね。
おぼえておきます。
しかし、

>(僕は正とか負とか言う言葉は用いません。
>ただまさらなだけです)

および

>或方向に時間が流れるという感覚ではなく、
>沢山の方向へ流れるという印象でもなく、
>統一(まっさら)された時間感覚の「表現」
>の事です。

部分は、

>また時間は負の時間も虚数の時間も
>それ以外に考えられる時間も存在していると
>考えます

および、

>その負ではなく、
>負の時間方向に時間が流れるという意味です。
>虚数は別の方向への時間の流れの事です。

部分にどうしても矛盾してしまいます。

<結局δって何ですか?
<集合ですか?特徴ですか?研究方針ですか?
<ひょっとして神ですか?

>違います。僕は無神論者です。
>言うならば「宇宙」です。

分かりました。δ=宇宙、なのですね。
これからは渡邉さんの文中のδを宇宙という語に
置き換えて読むように心がけます。

>そういう考えの方が正当ですよね。
>僕は一を聞いて十を知るをしたがるのです。

一を聞いて十を知る事は出来ても、
百千万を知る事にまでは及ばないと思います。
百千万を知るためには、
少なくとも十を聞く必要があります。
僕にとっての理論物理学は、その十なのです。

>僕も宇田さんには正直に話しをして行く事を
>約束します。

有難う御座います。
ただし、正直に話すという事は、
自分の悪い面や劣った面をもさらけ出す
という事ですから、
お互いにそういう面を責めないようにする心構え
が必要だと思います。

>人に暮らしている世界は狭い様で…。

これはどういう意味ですか?

とりあえず本件はここまでです。
2004/05/06/21:44 > >原子一個に精神性はあるかという議論から
> >入ります。
> >私達人間からみたら原子一個はやはり
> >それだけの様に思えますが、
> >(僕の精神が心が創造する)原子固有の
> >精神性(人間の精神性とはかなり異なる)が
> >具備されれていると考えます。
>
> <そう考えなければ何か不都合な点が
> <出て来るんですか?
> <人間の精神性とは異なるのに、
> <何故精神性という言葉を用いるのですか?
> <原子等に精神性が具備されているか否かで
> <どんな違いが出て来るんですか?
>
> >不都合な点は出ては来ないと思います。
> >あくまでも日本語としての僕の表現にすぎません。
>
> 不都合な点が無いのであれば、
> 原子等への精神性の付与は、
>
> 科学というものは、
> 可能な限り単純な概念だけで全てを説明ないし
> 記述しようとするものであり、
> どうしても必要な場合にだけ新概念の導入を
> 認めるものである、
>
> という科学の方針に反する様に思えるのですが。
>

 だとするならば、僕は科学をやってはいないという事になるでしょう。

> >前にも、話しは様にδに新しい文字を使って、
> >例えばABCDEF…というような言葉の
> >組み合わせによって僕の言葉が話せるなら、
> >精神性という言葉は使いません。
> >今の段階は、
> >例えばδDERSSTやδMTWGHUの様なイメージが
> >すぐに一つのδに統一されてしまうのです。
>
> 他の語だと言い表せないが、
> 精神性という語によって言い表す事は出来る、
> ということは、
> 渡邉さんの言う精神性が国語辞典的な意味での
> 精神性と全く無関係なのではない、
> という事だと思います。
> であれば、どういう関係があるのかを、
> 教えて欲しいものです。

 僕の心にしか今の所、関係がないと考えます。僕の心が精神という存在を抜きにしては説明が出来ないと言う事で、精神とは心を表現する言葉の一つになると考えます。但し、考えにくいかも知れませんが、物質の精神とは(前と変わっているかも知れませんが)原子一個では似ても似つかないかも知れないが、僕の心と関係があると感じてしまうのです。

> またδは他の文字ではいけないのですか?
> 文字δは、数学や物理学で、
> 既に別の意味で用いられています。
> 他の文字ではいけない、という理由が、
> 無いのであれば、
> 他の文字を使うべき、と僕は考えますが。

 δが駄目なら、例えばどんな文字が気に要りますか?出来れば僕はδに似た文字を使って行きたいのですが…。

>
> >その負ではなく、
> >負の時間方向に時間が流れるという意味です。
> >虚数は別の方向への時間の流れの事です。
>
> 負の時間方向に時間が流れると言う言い方は、
> 時間概念の意味内容に矛盾します。
> 時間反転の概念は、物理学においては、
> ある現象に対して、仮にそれをビデオ撮影したとし、
> フィルムを逆回ししたときに見える現象を考える
> という事です。
> 現象が逆向きに進むのであって、
> 時間が逆向きに進むのではありません。
> 時刻の増加する向きを
> 時間の進む向きと定義するのです。
> これは定義です。

 この定義は頭に入れておきます。

> この定義を受け入れなければ、
> 語の乱用によって無用の混乱が生じるだけです。

 僕の場合、語の乱用になってしまうかも知れないが、僕の中では今のところ混乱が生じない様な気がしています。ただ物には一つの物理的時間が対応するという意見は変わりません。

> 虚時間については、これを認める事は、
> 時間を2次元と考える、という事です。
> 渡邉さんの「別の方向へ」という考えは、
> この考えに一致するものに見えます。
> この様な可能性についての研究は
> 理論物理学者たちによって行なわれている最中
> であり、
> 現段階ではそれを可とも不可とも断定できません。
> しかし、これについて研究したいならば、
> 理論物理学をキチンと学ぶ事は避けて通れない
> と思います。

 分かりましたが、僕の人生を考えると少し遅い様な気がします。

>
> >或方向に時間が流れるという感覚ではなく、
> >沢山の方向へ流れるという印象でもなく、
> >統一(まっさら)された時間感覚の「表現」
> >の事です。
>
> 渡邉さんにとっては
> 「まっさら」=「統一」なのですね。
> おぼえておきます。
> しかし、

 「まっさら」≒「統一」という事にして下さい。

>
> >(僕は正とか負とか言う言葉は用いません。
> >ただまさらなだけです)
>
> および
>
> >或方向に時間が流れるという感覚ではなく、
> >沢山の方向へ流れるという印象でもなく、
> >統一(まっさら)された時間感覚の「表現」
> >の事です。
>
> 部分は、
>
> >また時間は負の時間も虚数の時間も
> >それ以外に考えられる時間も存在していると
> >考えます
>
> および、
>
> >その負ではなく、
> >負の時間方向に時間が流れるという意味です。
> >虚数は別の方向への時間の流れの事です。
>
> 部分にどうしても矛盾してしまいます。
>

 物質と精神の二面で考えているかも知れないです。
 今は、物質の方が優先された時間という事かも知れません。

> <結局δって何ですか?
> <集合ですか?特徴ですか?研究方針ですか?
> <ひょっとして神ですか?
>
> >違います。僕は無神論者です。
> >言うならば「宇宙」です。
>
> 分かりました。δ=宇宙、なのですね。
> これからは渡邉さんの文中のδを宇宙という語に
> 置き換えて読むように心がけます。
>

 その方が具体的で良いかも知れません。がやはりδ≒宇宙という感覚です。

> >そういう考えの方が正当ですよね。
> >僕は一を聞いて十を知るをしたがるのです。
>
> 一を聞いて十を知る事は出来ても、
> 百千万を知る事にまでは及ばないと思います。
> 百千万を知るためには、
> 少なくとも十を聞く必要があります。
> 僕にとっての理論物理学は、その十なのです。

 良く分かりました。

>
> >僕も宇田さんには正直に話しをして行く事を
> >約束します。
>
> 有難う御座います。
> ただし、正直に話すという事は、
> 自分の悪い面や劣った面をもさらけ出す
> という事ですから、
> お互いにそういう面を責めないようにする心構え
> が必要だと思います。
>

 その方が多分に僕のためになるでしょう!!

> >人に暮らしている世界は狭い様で…。
>
> これはどういう意味ですか?
>
> とりあえず本件はここまでです。
>
 語打です。「人の暮らしている世界は狭い様で…。」です。すみません。
2004/05/06/23:09 >だとするならば、
>僕は科学をやってはいないという事に
>なるでしょう。

そういう事であれば、
渡邉さんは非常に素晴らしい事をしようとしている
かもしれません。
原子など、今までは科学に独占されていた領域に、
詩的ないし文学的表現の可能性を
探っているのだったら、
それは非常に面白い事だと僕は思います。
そういうことであれば、何書いても良いと思います。
僕が、これはおかしいんじゃあないか、
とか言うのは場違いだと分かりました。
δや原子の精神性について美しい文章が出来たら
是非教えて下さい。

>δが駄目なら、
>例えばどんな文字が気に要りますか?
>出来れば僕はδに似た文字を使って行きたい
>のですが…。

科学じゃあないんだったらδで良いと思いますよ。
見た人に何らかの印象を与える事の出来る文字
が必要なんですよね。
その文字がδだと渡辺さんがお考えなら、
δを使うべきだと思います。

>僕の場合、
>語の乱用になってしまうかも知れないが、
>僕の中では今のところ混乱が生じない様な気が
>しています。
>ただ物には一つの物理的時間が対応する
>という意見は変わりません。

科学じゃあないんだったら、
「時間が逆向きに進む」という表現は
非常にインパクトが強く、効果的だから、
この表現を使う事は良い事かもしれませんね。

>分かりましたが、
>僕の人生を考えると少し遅い様な気がします。

僕はそうは思いません。
しかし渡邉さんに理論物理学を学ぶ事をすすめる
事に対しては抵抗があります。
一度はお誘いしたのですが、
その後の渡邉さんの反応を見たりして、
渡邉さんに理論物理学を押し付けてはいけない
と今の僕は感じています。
自分でやっててもなかなか気付かないのですが、
渡辺さんが理論物理学に明け暮れている姿を
想像すると、
ああ、
この人にこんなさびしい生き方をさせてはいけない、
と感じてしまいます。
僕自身、千葉に住んでたときに一度だけゾッとする
事がありました。
寒い曇りの日でした。
仕事から帰って来て自分の部屋のドアを開けると、
窓の向こうに干してあるタオル(銭湯に持って行く
ためのもの)がひらひらと風にあおられている
のが見えました。
それを見たとき、
僕は自分の孤独を強く感じてしまったんです。
それは、見方や考え方を切り替えなければ
とても耐える事の出来ないものでした。
僕は渡邉さんにそういう生き方を自信を持って
すすめる事は出来ません。

「まっさら」は統一と正確に一致するわけではない、
δは宇宙と正確に一致するわけではない、
と了解しました。

>語打です。
>「人の暮らしている世界は狭い様で…。」です。
>すみません。

であるから、
色々な宗教を比較考量する余地が与えられて
いないのが実情だ、
というご意見だ、と受け取りました。

これから就寝します。おやすみなさい。
2004/05/07/17:33  今日、CD送りました。明後日か三日後には着くそうです。
2004/05/07/17:56 >今日、CD送りました。
>明後日か三日後には着くそうです。

有難う御座います。
楽しみに待ちます。

ところで、Just The Way You Are のメロディーが
分かりました。
友達がワン・フレイズだけ口ずさんでくれて、
それを聞いてピンと来ました。
そのときには思い出せなかったのですが、
家に帰ってから思い出しました。
ものすごく有名な曲ですよね。
2004/05/08/19:15  原子が一個あると言う表現は人が尺度になっていると思うのです。例えば、原子一個だけが対象の全てならばそれはδ(≒宇宙)と考える事が出来るのではと思います。絶え間なく変化していくδ(≒宇宙)が容易に想像できるのではと考えます。
2004/05/08/21:37 >原子が一個あると言う表現は
>人が尺度になっていると思うのです。

僕にはそうは思えませんけど。
渡邉さんはどうしてそう思うのでしょうね。

>例えば、
>原子一個だけが対象の全てならば
>それはδ(≒宇宙)と考える事が出来るのでは
>と思います。

原子一個だけが存在する場合にも、
原子は正の電荷を持つ原子核と
負の電荷を持つ電子から出来ていますから、
電磁場がどうしても存在しなくてはいけません。
原子だけが存在する
というわけには行かないのです。
それに、宇宙ということに成ると、
物質と場だけでなく、
時空まで含めて宇宙です。
というわけで、原子一個=宇宙、
という状況を考えるわけには行きません。

>絶え間なく変化していくδ(≒宇宙)が容易に
>想像できるのではと考えます。

原子核が安定だとして、
どうなんでしょうねえ?
電子が量子力学的に最低のエネルギー順位に
おさまった状態になるまで光子を放出して、
後は変化なし、原子全体は慣性運動、
という、あまり、絶え間なく変化していく、
という言葉のふさわしくない状態に
成ると思いますけど。

今回の文章を見てて思うんですけど、
あまり文学的じゃあないし、
詩を書こうとしてるわけでもないように見えます。
やはり科学の領域に踏み込もうとしているんじゃあ
ないですか?
既存の科学理論の不備を指摘しようという
意思があるのか無いのか聞かせてください。
2004/05/09/06:39 > 今回の文章を見てて思うんですけど、
> あまり文学的じゃあないし、
> 詩を書こうとしてるわけでもないように見えます。
> やはり科学の領域に踏み込もうとしているんじゃあ
> ないですか?
> 既存の科学理論の不備を指摘しようという
> 意思があるのか無いのか聞かせてください。
>

 僕は既存の科学理論の不備を指摘しようという意志は有りません。全く、無知な事を書いてしまいました。
 僕のδの感覚を知って欲しかったのです。前にδは集合ですか?という質問をされて、違います「言うならば宇宙です」と答えました。感覚的には集合としても良かったのですが、僕がδで表現する事は僕の心の創造であって少し集合とは違うかなと思ったのです。
 僕が言いたかったのは、原子も宇宙も僕の心の中で似たスケールで表現出来るという事を伝えたかったのです。
2004/05/09/14:52 >僕は既存の科学理論の不備を指摘しようという
>意志は有りません。

これを聞いて安心しました。

>僕が言いたかったのは、
>原子も宇宙も僕の心の中で似たスケールで
>表現出来るという事を伝えたかったのです。

分かりました。
感じた事を感じたままに表現するというのは
難しい事ですね。
2004/05/10/21:59 今井美樹と鬼束ちひろのCDが届きました。
さっそくMDにコピーして郵便で返送しました。
有難う御座いました。
2004/05/13/06:53 宇田君です。

きのう、トリビアの泉で
尾崎豊の「シェリー」だったか「シェリル」だったかを
聞きました。
すごく良い(曲+歌唱)ですね。
あれは鬼束に匹敵する、と思いました。
2004/05/13/20:31  シェリーだと思います。
 尾崎豊を或る程度、揃えるかも知れません。揃えたとしたら、郵送しましょうか?
 最近、原子に何らかの精神性を具備させる必要はないと考える様になりました。
2004/05/14/18:27 >シェリーだと思います。
>尾崎豊を或る程度、揃えるかも知れません。
>揃えたとしたら、郵送しましょうか?

渡邉さんにとって、それが負担でないのであれば、
送ってください。
僕の関心としては、「卒業」「I love you」「シェリー」
からは想像もつかない作品がもしあるのなら、
そういうものについては知りたいですが、
そういうものが無いならば、
尾崎豊って、だいたいああいう感じだな、
と思って、それで満足してしまいます。

>最近、原子に何らかの精神性を具備させる
>必要はないと考える様になりました。

おめでとう。なんちゃって。
こうなると世界がかなりニヒルに見えて来る
と思いますが、いかがでしょうか。
2004/05/16/17:10   
 尾崎豊の「太陽の破片」を知っていますか。
 聴いた事がないなら是非、お薦めです。
 鬼束ちひろ「私とワルツを」はどうでしたか?
 宇田さんを愛している女性がいるような気がしますが…。
 
 物理的見方にはニヒルな感じがする事もあるのですが、僕はそれはものを物質的に見ているからの様に思います。もしそのものを創れる(そういう事は現実離れしているといわれそうでが…)としたら、また現に存在しているものによって自分の創造したものが形づくられる事が可能なら、例え、多くのもの中の一つであってもそれは特別なものに成るのではないでしょうか?
2004/05/16/20:37 >尾崎豊の「太陽の破片」を知っていますか。

いいえ、知りません。

>聴いた事がないなら是非、お薦めです。

送ってくれるなら、歓迎です。

>鬼束ちひろ「私とワルツを」はどうでしたか?

今、聴き返してみました。
以前聴いたときよりも良く聞こえました。
僕は鬼束の歌を「熱い」と表現する事が
あるんですが、
「私とワルツを」も熱いですね。
技術的にはピアノ伴奏がメトロノームのように
テンポを刻んで行くところが「月光」に
共通しています。
鬼束の楽譜を手に入れて、今、僕は
月光の伴奏を練習してるんです。
「刻んで行く」とか「音を置いていく」という言葉を
使って説明が書いてありました。

>宇田さんを愛している女性が
>いるような気がしますが…。

今の僕は、精神的に不安な感じなんです。
今度はトイ・ストーリーではなく、
勉強が上手く行かないのが原因です。
一人で勉強やってると、
どうしても分からない部分に出会ったときに、
とても不安になる事があるんです。
ここで終わりじゃあないか?って。
勉強は続けさえすれば、いつかは必ず、
今の不安は払拭(ふっしょく)されるものだ、
と分かってはいるんですが、
その理屈とは裏腹に僕の感情は不安になるんです。
こんなときには、
恋人にでも甘えたい気分になります。
しかし、そういう恵まれた環境が与えられると、
かえって自分がダメに成って行くのかもしれません。
優れた恋人なら、それを考えに入れて、
甘えさせてくれないかもしれません。
僕を愛している女性が居るとしたら、
今の僕はその人の事をかえりみていない事に
なりますから、
僕は自分を責めねばなりません。
僕はモテル男じゃあないから、
そういう事は無い、と一応仮定して生活しています。
渡邉さんに指摘されると、ドキッとします。
もしかして、あの人がそうだったとしたらどうしよう、
という風に。

>物理的見方にはニヒルな感じがする事もある
>のですが、
>僕はそれはものを物質的に見ているからの
>様に思います。
>もしそのものを創れる(そういう事は現実離れ
>しているといわれそうでが…)としたら、
>また現に存在しているものによって自分の
>創造したものが形づくられる事が可能なら、
>例え、多くのもの中の一つであってもそれは
>特別なものに成るのではないでしょうか?

芸術家は、自分の作ったものを尊ぶでしょう。
僕も自分の作ったものを大切に思います。
しかし、
その自分が所詮は原子の集合物に過ぎない、
と考えたときには、
底知れぬニヒルな感覚が僕を支配するのですが。
2004/05/18/12:38 > >尾崎豊の「太陽の破片」を知っていますか。
>
> いいえ、知りません。
>
> >聴いた事がないなら是非、お薦めです。
>
> 送ってくれるなら、歓迎です。

 丁度、親友から借りています。MDに取って送ります。

>
> >鬼束ちひろ「私とワルツを」はどうでしたか?
>
> 今、聴き返してみました。
> 以前聴いたときよりも良く聞こえました。
> 僕は鬼束の歌を「熱い」と表現する事が
> あるんですが、
> 「私とワルツを」も熱いですね。

 情熱的という意味でしょうか?
 
> 技術的にはピアノ伴奏がメトロノームのように
> テンポを刻んで行くところが「月光」に
> 共通しています。
> 鬼束の楽譜を手に入れて、今、僕は
> 月光の伴奏を練習してるんです。
> 「刻んで行く」とか「音を置いていく」という言葉を
> 使って説明が書いてありました。
>

 不思議な表現ですね。それは鬼束さん独自の感性ですよね。

> >宇田さんを愛している女性が
> >いるような気がしますが…。
>
> 今の僕は、精神的に不安な感じなんです。
> 今度はトイ・ストーリーではなく、
> 勉強が上手く行かないのが原因です。
> 一人で勉強やってると、
> どうしても分からない部分に出会ったときに、
> とても不安になる事があるんです。
> ここで終わりじゃあないか?って。
> 勉強は続けさえすれば、いつかは必ず、
> 今の不安は払拭(ふっしょく)されるものだ、
> と分かってはいるんですが、
> その理屈とは裏腹に僕の感情は不安になるんです。

 ちょっと、休憩。無限は一つと考える立場に立つと(無限は数ではないし、なくなってくるのですが…)或る対象が無限と対応する事は、或る対象の部分も全体と同等な無限であると考えられます。ん! はて何が話したかったんだろう?

> こんなときには
> 恋人にでも甘えたい気分になります。
> しかし、そういう恵まれた環境が与えられると、
> かえって自分がダメに成って行くのかもしれません。
> 優れた恋人なら、それを考えに入れて、
> 甘えさせてくれないかもしれません。
> 僕を愛している女性が居るとしたら、
> 今の僕はその人の事をかえりみていない事に
> なりますから、
> 僕は自分を責めねばなりません。
> 僕はモテル男じゃあないから、
> そういう事は無い、と一応仮定して生活しています。
> 渡邉さんに指摘されると、ドキッとします。
> もしかして、あの人がそうだったとしたらどうしよう、
> という風に。

 だから僕の宇田さんへの印象が、「私とワルツを」の印象と重なるのではないでしょうか?

>
> >物理的見方にはニヒルな感じがする事もある
> >のですが、
> >僕はそれはものを物質的に見ているからの
> >様に思います。
> >もしそのものを創れる(そういう事は現実離れ
> >しているといわれそうでが…)としたら、
> >また現に存在しているものによって自分の
> >創造したものが形づくられる事が可能なら、
> >例え、多くのもの中の一つであってもそれは
> >特別なものに成るのではないでしょうか?
>
> 芸術家は、自分の作ったものを尊ぶでしょう。
> 僕も自分の作ったものを大切に思います。
> しかし、
> その自分が所詮は原子の集合物に過ぎない、
> と考えたときには、
> 底知れぬニヒルな感覚が僕を支配するのですが。
>

 自分という人間は単に原子の集合物でしょうか。人間には精神活動の働きである心が存在していると思います。心にとって、原子の集合物の存在が必要であると考えられますが、心はもはや物質的側面だけではどうも捉えきれないと感じます。人間には心が必要であり、その心のつながりが人間固有のことを示しているのではと考えてしまします。その心のつながりが人間にはとても大切な気がします。だから自分が単に原子の集合物に過ぎないと言うの、ちょっと言い過ぎの様な気がします。
2004/05/18/20:19 >尾崎豊の「太陽の破片」を知っていますか。
>聴いた事がないなら是非、お薦めです。
<送ってくれるなら、歓迎です。
>丁度、親友から借りています。
>MDに取って送ります。

ありがとうございます。
渡邉さんはMDを持ってるんですね。
それなら音楽のコミュニケーションが
簡単に出来ます。
僕も何かあったらMDで送ります。

<「私とワルツを」も熱いですね。
>情熱的という意味でしょうか?

そう言われると否定できませんが、
僕は「情熱的」とは言わず単に「熱い」と言います。
答えは「はい」ですね。

<「刻んで行く」とか「音を置いていく」という言葉を
<使って説明が書いてありました。
>不思議な表現ですね。
>それは鬼束さん独自の感性ですよね。

いや、アレンジを手がけた青山しおりさんの
言葉です。
僕は一見しただけで
音楽の専門家の間では頻繁(ひんぱん)に
用いられる表現であろうと推測しています。
各分野の専門家はそれぞれ分野ごとの
独特の表現を使いますよね。
それを門外漢の僕らが見ると新鮮に見えたり
するんです。

>だから僕の宇田さんへの印象が、
>「私とワルツを」の印象と重なるのでは
>ないでしょうか?

僕に「私とワルツを」と言いたい人がいれば、
出て来てそう言って欲しいものです。
キチンと話をしなくてはいけませんから。

>自分という人間は単に原子の集合物でしょうか。
>人間には精神活動の働きである心が存在して
>いると思います。
>心にとって、原子の集合物の存在が必要である
>と考えられますが、
>心はもはや物質的側面だけではどうも捉えきれ
>ないと感じます。
>人間には心が必要であり、
>その心のつながりが人間固有のことを示して
>いるのではと考えてしまします。
>その心のつながりが人間にはとても大切な気が
>します。
>だから自分が単に原子の集合物に過ぎない
>と言うの、ちょっと言い過ぎの様な気がします。

ははは。笑っちゃって御免なさい。
僕にとっては常識なんですが、
御存じ無い方が大勢いらっしゃる。
と言っちゃあ失礼ですか。
信仰の異なる人がたくさんいらっしゃる、と言うべき。
人間を見て、これは単なる物ではない、
と感じるのは、ごく自然な事です。
そこから、
人間は物質だけで出来ているのではない、
という方向へ逃げると
色々な難しい問題を考えずに済みます。
これは安楽な道ですが
間違った考え方です(と僕は確信しています。)
僕にとっては人間は物質的に尽きる存在です。
つまり僕は唯物論の立場を取る、という事です。
ただし、僕の考えは
唯物論という言葉から感じ取られるものよりも
洗練されています。
僕の立場は、唯物理事象論、と言う方が正確です。
現実世界で起こっている事象はすべて物理的事象
の集積以上のものではない、という考えです。
これを認めてくれない人には、もどかしさを
感じますが、考えを押し付けるわけにも行きません。
唯物理事象論を前提とすると
心についての問題が難問になります。
しかし、だからといって、
この立場から逃げてはいけない、と思います。
いまや、
コンピュータが心を持たないのはコンピュータと脳の
ハードウェアの違いに過ぎない、
という事は誰の目にも明らかだからです。
唯物理事象論を認めない人は、
サイエンスについての知識が欠如している事が
原因でそうなっている、
と僕は思います。しかし、
サイエンスを深く学んでもそうなってしまう人も
いるようです。
僕はそういう人には、
あなたはサイエンスから何を学んだのか?
いくら頭が良くて難しい理論を構築できても
肝心な事は何も分かっちゃあいないじゃあないか、
という風に言いたいです。
人体は原子で出来ています。
人間が人体プラスアルファなのかどうかですが、
プラスアルファは必要ないんです。
人体が人間なんです(と僕は確信しています。)
人体が精神現象を引き起こすのは、
人体を構成する原子の個数が膨大である事を
考えに入れれば、
プラスアルファが無くても不可能だとは
誰も証明できないんです。
僕にとっては、人体が精神現象を引き起こす、
と考える事が当然の常識です。
認めるべきところは認めた上で考えを進めないと、
いつまで経っても同じ所で足ふみ状態です。
そしてこの問題については足ふみ状態でも
生活して行く上で何の不都合も無いばかりか、
人間は人体だけではないという迷信に侵されて
いるほうが、人間関係も上手く行くかもしれません。
世の中にそういう人が多い事は非常に残念です。
僕は、自分がそんなヌルマ湯につかっている事を、
絶対に許せない人です。
唯物理事象論を認めた上で、
「だとしたら」という風にして考える事は、
決して心の存在を否定する事でもないし、
人権尊重の思想を否定するものでもありません。
2004/05/18/21:10  「唯物理事象論」についてもう少し説明してください。
 僕の心という言葉ではやはり正しく説明出来ないようです。心は物質的な事以上に書いてしまいましたが、正しくはδの上では物質も心も同様に一つの言葉で表されるべきものです。ただ日本語で「物質」と表現するには僕に取って違和感があったのは確かなのです。僕は「物質」ではなくδを使った文字の言葉で表現したい人なのです。
 誤った判断は直し、正しい判断に基づいて考えるつもりですので笑わないで下さい。(笑)
2004/05/18/23:05 >「唯物理事象論」についてもう少し説明して
>ください。

分かりやすく言えば唯物論なんですけれど、
正確には唯物論とは違います。
どこが違うかと言えば、
唯物論は、
現実世界に存在するものが何から出来ているか?
という問いに対する答えです。
物質と精神から出来ているのではなく
物質だけから出来ている、
と答えるのが唯物論ですよねえ。
唯物理事象論は、
唯物論とは違う問いに対する答えなんです。
現実世界で起こっている事象はどういう事象に
分解されるか?
という問いに対する答えが、唯物理事象論です。
唯物理事象論は、
全ての事象は、精神現象も、
物理的事象の積み重ねに過ぎない、
と答える考え方です。
唯物論が「もの」に焦点を当てているのに対して、
唯物理事象論は「こと」に焦点を当てています。
で、問題に成るのは「物理的事象」という言葉に
含まれる「物理的」という語ですが、
「物理的」とはどういうことか僕にも完璧には
分かりません。
定義しようとすると、
物理学が進歩して行くに従って定義を更新して
行かなければならなくなるでしょう。
だいたいの感じとしては
「非生命」「非意識」といった感じでしょうか。

>誤った判断は直し、正しい判断に基づいて
>考えるつもりですので笑わないで下さい。(笑)

はい。笑うのは良くないですねえ。
でも、小さな子供が、サンタクロースは居るんだ、
と主張している姿を想像してみてください。
おかしいでしょ?笑えるでしょ?可愛いですよねえ。
唯物理事象論を認めない人は、
僕から見ればそのくらいおかしいんです。
ある意味、可愛いです。
2004/05/19/09:09  唯物理事象論を認める立場に立つ事によって直面する問題とは何ですか?
 僕は唯物理事象論を認める立場に立つ事に成るのですが「物質」ではなく「δ」で表現をすると言いました。では「物質」と「δ」は何処が違うのかと言うと「物質」という言葉とその定義は既に厳密に定義されている感を受けるのですが、「δ」は僕の主観的感覚と哲学を持って定義する事が出来る余地があると言う事だと思うのです。結局、実際問題として「物質」と「δ」とは同じ言葉に成ってしまうでしょうが…。それでも日本語の「物質」とドイツ語の「物質」とは少し違った印象を与える言葉の様な気がします。新しい言語を創造しその中で、現代物理学に添う体系を思想を記述していく事が僕に取って意味がある様です。
 僕は「天空の城 ラビュタ」の中の「ひこう石」の様なものを、それに匹敵するものを創造したいのです。また笑われてしましますが…。(笑)
2004/05/19/12:39 >唯物理事象論を認める立場に立つ事によって
>直面する問題とは何ですか?

普通の優秀な研究者が研究している問題は、
心を物理用語で語ること、だと思います。
心とは何かを物理用語を用いて言い表せ、
という問題です。
しかし、僕はもっとレベルの高い問題を立てました。
随分前にお話した問題です。
自分が全くの物理現象を内側から見ている、
ないしは全くの物理現象に成り切っている、
この事態は一体どういうことだろうか?
これが僕の立てた問題で、
心身問題の中で最重要・最大の問題だと
自負しています。

>僕は唯物理事象論を認める立場に立つ事に
>成るのですが「物質」ではなく「δ」で表現をする
>と言いました。
>では「物質」と「δ」は何処が違うのかと言うと
>「物質」という言葉とその定義は既に厳密に定義
>されている感を受けるのですが、
>「δ」は僕の主観的感覚と哲学を持って定義する
>事が出来る余地があると言う事だと思うのです。
>結局、実際問題として「物質」と「δ」とは同じ言葉
>に成ってしまうでしょうが…。
>それでも日本語の「物質」とドイツ語の「物質」と
>は少し違った印象を与える言葉の様な気が
>します。
>新しい言語を創造しその中で、
>現代物理学に添う体系を思想を記述していく事
>が僕に取って意味がある様です。

δが入って来ると意味をつかめませんが、
一つ申し上げておきたい事があります。
物理的実在は「物質」だけではない、ということです。
だから僕は唯物論とは言わずに唯物理事象論と
いう言葉を使うんです。
現代物理学の見地から言えば、
「物質」とは「フェルミオン」です。
物理的実在には「フェルミオン」と「ボソン」の2種類
があることが、
現代物理学では明らかにされています。
どちらも物理学用語でキチンと定義されています。
電子とかクオークはフェルミオンで、
光はボソンです。
唯物論を批判する人たちは、どうせ、
こういう事を知らずに、たかが日常語の「物質」という
概念のレベルで考えていると思います。
そういう人には、
文句を言うならサイエンスを見てからにしろ、
と言いたいです。
さらに、フェルミオンやボソンは物理的に存在する、
と言えますが、時空が存在する、
という言い方は少し変です。
唯物理事象論という言葉には、ボソンや時空という、
唯物論という言葉では言い表わせない側面が
込められているのです。

>僕は「天空の城 ラビュタ」の中の「ひこう石」の
>様なものを、それに匹敵するものを創造したい
>のです。また笑われてしましますが…。(笑)

僕は「ひこう石」を知りませんが、
現実世界を認識する事から離れて、
芸術的な創造行為をする分については、
僕は何らトヤカク言う者ではありません。
好きなようにしたら良いと思います。
そういう作品はノン・フィクションである必要はなく、
フィクションにも素晴らしい作品はたくさんある
わけですから。
そういうものを僕は笑いませんよ。
素晴らしい、と思いますよ。
2004/05/19/20:22  「全くの物理現象に成り切っている」という事は少し想像出来ます。人間は原子の集合物であると言う事はそんなに寂しい事ではない様に思います。
 今までの印象から来る「物質」という言葉では寂しいのですが、フェルミオンとボゾンという多様性のある物理的実在からは寂しさは薄らぐ様な気がします。
 僕はフェルミオンとボゾン以外に物理的実在が示される事を望んでいます。
 ボゾン、時空についてもう少し説明して下さい。フェルミオンとボゾンはスピンの形態が違うという事は分かりました。
2004/05/20/18:17  最近、「物質」に神聖さを感じます。僕のδに対する感覚は間違っていなっかた様で…。「無限を一つと考える事」によって犠牲にするかの様に見えるのは連続性の論理です。無限(の濃度)を唯一、一つにして連続性の論理を無視はしないとは、有理数(自然数、整数、分数)の濃度と無理数(超越数を含む)を含む実数の濃度が等しいと言う結論で(論理的には論理的段階があって説明される「直線の連続性」は明らか、かの様ですが…)論理的段階があるから無限の濃度の違いがあるとはどうも違うと主張します。(つまり自然数や整数などであっても連続性は示されるという事です。但し数直線に適用するとおかしな事になる)論理的段階があるという理由なら、自然数と整数、整数と分数の濃度も違って来なければおかしいと思うのです。「物質」の属性の一つは明らかに「無限」だと考えます。また「物質」は或るものの一つであり、無限であると考えます。「数の概念の規定は「集合数」と「単位」であり、数そのものは両者の統一である」-ヘーゲルと言っている事とは全く同じだと考えます。「万物は数である」-ピタゴラスは有名ですが、僕の場合「万物はδである」という表現の方がしっくり来ます。
2004/05/20/19:27 >ボゾン、時空についてもう少し説明して下さい。

はい、分かりました。

>フェルミオンとボゾンはスピンの形態が違う
>という事は分かりました。

すごい事を知ってますねえ。
スピンを知ってるなんて驚きです。
物理学にはスピンと統計の関係についての定理
というものがあります。
だから、統計を語る事はスピンと無関係ではない
のですが、
フェルミオンとボソンを概説しろ、と言われれば、
これらの統計を語るほうが分かり易いです。
普通に用いられている「統計」という語からは
想像しにくいかも知れませんが、
フェルミオンとボソンの統計というのは、
ボソンは同一の状態に何個でも存在できる粒子
であるのに対して、
フェルミオンは1つの状態には1個またはゼロ個
しか存在できない粒子である、
という事実の事です。
フェルミオンについては、状態の特殊な場合として
位置を考えるとうなずけるでしょう。
1つの位置に2つ以上の物質粒子は存在でき
ませんよね。
この事実が何故「統計」という言葉で呼ばれるのか
には、それなりの理由があります。
が、それは知らなくて良いでしょう。
フェルミオンとボソンを理解する上でもうひとつの
重要な観点は、
フェルミオンが物質ならボソンは何なのか?
という観点です。
ボソンは物質と物質の間に働く力を媒介する存在だ
と言われる事がしばしばあります。
ここまでで僕はフェルミオンやボソンを粒子だと
言って来ましたが、
物理学的に正確には両方とも「量子場」と
呼ばれるものです。
量子場は粒子性を示したり波動性を示したり
します。
僕は、現実世界の構成要素が非生命・非意識と
いった感じのものである事が言えれば、
それで事足りると思っています。
フェルミオンとボソンや時空以外に何かあっても、
それが非生命・非意識といった感じのもので
あれば、本質は同じでしょう。
構成要素の多様性が大きいとか小さいとかいう
ような量的な問題ではなく、
構成要素が純物理的であるかどうかという質的な
問題こそが、
現実世界に対する僕の印象をニヒルなものにするか
否かの鍵を握っているんです。
僕以外の人も同じだと思います。

>最近、「物質」に神聖さを感じます。
>僕のδに対する感覚は間違っていなっかた
>様で…。「無限を一つと考える事」によって
>犠牲にするかの様に見えるのは連続性の論理
>です。無限(の濃度)を唯一、一つにして連続性
>の論理を無視はしないとは、有理数(自然数、
>整数、分数)の濃度と無理数(超越数を含む)を
>含む実数の濃度が等しいと言う結論で(論理的
>には論理的段階があって説明される「直線の連
>続性」は明らか、かの様ですが…)論理的段階
>があるから無限の濃度の違いがあるとはどうも
>違うと主張します。(つまり自然数や整数などで
>あっても連続性は示されるという事です。
>但し数直線に適用するとおかしな事になる)
>論理的段階があるという理由なら、自然数と
>整数、整数と分数の濃度も違って来なければ
>おかしいと思うのです。「物質」の属性の一つは
>明らかに「無限」だと考えます。また「物質」は
>或るものの一つであり、無限であると考えます。
>「数の概念の規定は「集合数」と「単位」であり、
>数そのものは両者の統一である」-ヘーゲルと
>言っている事とは全く同じだと考えます。
>「万物は数である」-ピタゴラスは有名ですが、
>僕の場合「万物はδである」という表現の方が
>しっくり来ます。

無限は1つだけと考えるか、無限を分類するかは
単なる定義の問題に過ぎない、と僕は思います。
渡邉さんは数学者の採用している分類法を嫌う
だけであって、
数学者の分類法を採用してはいけない、という
理由は存在しないし、
一般に定義というものは、
そう定義しなくてはいけない、
というものではありません。
せいぜい、
誰が見てもそう定義した方が都合が良い、
というところまでしか必然性を持たないのが
定義の本質です。
だから僕の「古典物理学」では、定義を表わす文を
「恣意文(しいぶん)」と呼んでいます。
2004/05/20/20:24 > 物理学的に正確には両方とも「量子場」と
> 呼ばれるものです。
> 量子場は粒子性を示したり波動性を示したり
> します。

 ボゾンって具体的には何なんですか?
2004/05/20/21:53 >ボゾンって具体的には何なんですか?

具体的には

フォトン、Zボソン、W+ボソン、W-ボソン、

の4つです。

これらを定義するには数式が必要で、
僕はそれを完全に出来るところまでは
勉強していません。
2004/05/21/22:45 ボソンを具体的に列挙したときに
グルーオンを忘れていました。

結局ボソンは具体的には、

フォトン(光子)

W+
W-
グルーオン(8つ)

以上の12個です。
2004/05/24/14:13  非局所的長距離相関は物理現象として起こり得るのでしょうか?
 また起こる場合にはどういう意味と解釈すれば良いでしょうか?
 私は相関関係があると言う前提が飲み込めません。
2004/05/24/22:48 >非局所的長距離相関は物理現象として
>起こり得るのでしょうか?

一応起こり得ないって事になってます。

>また起こる場合にはどういう意味と解釈すれば
>良いでしょうか?

人物 X がボールペンの本体とキャップを分離して、
それぞれを人物 Y と人物 Z に同時に着くように
郵送したとします。
Y も Z もこの事情は知っているが、
本体が送られて来るのかキャップが送られて来る
のかを知らないとします。
すると、Y は郵便物を開封すると同時に、
Z のところにキャップが到着してるのか本体が
到着してるのか分かります。
つまり、遠隔地で何が起こっているかを瞬時に
知る事が出来るわけです。
Z が開封して内容を Y に通知すると、どうしても、
これより遅くなってしまいます。

>私は相関関係があると言う前提が
>飲み込めません。

EPRは僕もまだ良く知りません。
相関がある、というだけなら、上記のような
現象でも良いわけですが、
EPRの場合には、「波束の収縮」というものが
問題に成ります。
互いに遠く離れた2つの測定器の片方で測定を
行なえば、
それによって瞬間的に他方の測定器へ入射する
粒子の波動関数が収縮する、
という現象です。
EPRで言うところの相関とは、こういうものだった
と思います。
2004/05/25/16:43 先述したように、
1点から互いに離れた2点に情報を送れば、
その2点に届く情報の間には関係があり、
情報が届く時刻をそろえる事が出来ます。
したがって、
互いに離れた2点で同時刻に起こる事象が
相関関係を持つ事になってしまいます。
しかし、では、この事を利用して、
光を超える速さでの情報の伝達を出来るか
と言うと、出来ません。
だから、
物理学における
影響の伝播速度は光速を超えない、
という原理は破られていないと
考えるべきですね。
2004/05/25/19:35 > 僕はもっとレベルの高い問題を立てました。
> 随分前にお話した問題です。
> 自分が全くの物理現象を内側から見ている、
> ないしは全くの物理現象に成り切っている、
> この事態は一体どういうことだろうか?
> これが僕の立てた問題で、
> 心身問題の中で最重要・最大の問題だと
> 自負しています。

 「なぜ人間が世界を理解できるのか。これこそ私が永遠に理解できないことだ」-アルバート・アインシュタイン。宇田さんが立てた問題はこれと近いものがあると思われるのですが、現在の宇田さんは上述の問いに対してどういう解釈をするのか、教えて下さい。また宇田さんの立てた問題の宇田さんの解釈を教えて下さい。
 また宇田さんはニヒルな感覚があると言いますが、それは取れましたか?
 僕はニヒルな感覚を持って物質を考える必要はないのではと思ってしまいます。
2004/05/26/00:40 <僕はもっとレベルの高い問題を立てました。
<随分前にお話した問題です。
<自分が全くの物理現象を内側から見ている、
<ないしは全くの物理現象に成り切っている、
<この事態は一体どういうことだろうか?
<これが僕の立てた問題で、
<心身問題の中で最重要・最大の問題だと
<自負しています。

>「なぜ人間が世界を理解できるのか。
>これこそ私が永遠に理解できないことだ」
>-アルバート・アインシュタイン。
>宇田さんが立てた問題はこれと近いものがある
>と思われるのですが、
>現在の宇田さんは上述の問いに対してどういう
>解釈をするのか、教えて下さい。

人間が世界を理解する、とはどういうことかを、
まず、物理用語を用いて言い表す必要が
ありますね。
すると、アインシュタインの立てた問題が
物理の問題に成ります。
僕の立てた問題はアインシュタインの問題よりも
もっとレベルの高い問題です。
「なぜ」という書き出しで始める事すら出来ない
問題ですから。

>また宇田さんの立てた問題の宇田さんの解釈
>を教えて下さい。

アインシュタインの問題まで含めて、
人間存在一般がいかに不可解な性質を持とうとも、
それがなぜかという問題は、
所詮物理の問題に過ぎません。
とても難しくて解けないかもしれませんが、
所詮は物理法則からいかにして導き出されるか、
という問題に過ぎないのです。
それに対して僕の立てた問題は、
人間存在一般ではなく、僕個人が、
全くの物理現象を内側から見ている、
ないしは、全くの物理現象に成り切っている、
という事態は一体どういう事だろうか、
という問題です。
解釈しろと言われても、
僕にはこれ以上の言葉はありません。
この問題に対する答えは、
物理法則からの演繹によっては得られないのです。

>また宇田さんはニヒルな感覚があると
>言いますが、それは取れましたか?

いいえ、取れません。これは悟りですから、
一度獲得したら、もう消える事はありません。
悟りは正しい認識です。
正しい認識の上に立って物事を判断して行きたい
と思います。

>僕はニヒルな感覚を持って物質を考える必要は
>ないのではと思ってしまいます。

必要の有る無しではなく、
僕の受ける印象を正直に語ると、ニヒル、という言葉
になるんです。
砂糖水を飲んで甘いと感じる、と主張している
のと同じです。
そう感じる必要があるかどうかは、
僕の体に聞いて下さい。
そして僕以外の人も同じように感じるはずだと
信じています。
2004/05/26/12:33 > アインシュタインの問題まで含めて、
> 人間存在一般がいかに不可解な性質を持とうとも、
> それがなぜかという問題は、
> 所詮物理の問題に過ぎません。
> とても難しくて解けないかもしれませんが、
> 所詮は物理法則からいかにして導き出されるか、
> という問題に過ぎないのです。
> それに対して僕の立てた問題は、
> 人間存在一般ではなく、僕個人が、
> 全くの物理現象を内側から見ている、

 物理現象である個人が物理現象を内側から見ている。という事でしょうか?
 この内側という表現をもう少し説明すると、どうなるのですか?

> ないしは、全くの物理現象に成り切っている、

 物理現象と同様に個人が物理現象として振る舞う。という事でしょうか?

> という事態は一体どういう事だろうか、
> という問題です。

 これは誰もが要求されている事態なのですか?

> 解釈しろと言われても、
> 僕にはこれ以上の言葉はありません。
> この問題に対する答えは、
> 物理法則からの演繹によっては得られないのです。

 これ以上ないとの事ですが質問を書いてしまいました。
2004/05/26/22:46 >物理現象である個人が物理現象を内側から
>見ている。という事でしょうか?
>この内側という表現をもう少し説明すると、
>どうなるのですか?

僕が渡邉さんを見るときには、
渡邉さんを外側から見ているわけです。
渡辺さんが僕を見る時にも外側から見る事しか
出来ません。
それに対して、
渡邉さんは自分を内側から見ているし、
僕も自分を内側から見ているのです。
僕が渡邉さんを内側から見るとは、
僕が渡邉さんに成るという事で、これは不可能です。
内側から見る、とは、そういう事なんです。

>物理現象と同様に個人が物理現象として
>振る舞う。という事でしょうか?

と同様に、ではなく、
個人は物理現象の特殊な場合に過ぎません。
さらに、僕の主張のポイントが、
人間存在一般の特徴を問題にするものではなく、
僕個人の状態を問題にするものであるという事は、
いくら強調しても強調し過ぎる事は無いと思います。
どの個人も物理現象として振舞っている、
という事に僕は問題を感じているのではありません。
僕個人に限って
僕が物理現象として振舞っている
と言うよりは、
僕が物理現象そのものであるという事態を、
僕は不思議な事だと思ってるんです。
念のために言うと、
なぜ、のレベルの問題ではありません。

>これは誰もが要求されている事態なのですか?

僕の問題意識が何かを正しく読み取れば、
誰でも僕と同じ様に感じるはずだと思っています。

>これ以上ないとの事ですが質問を書いて
>しまいました。

かまいませんよ。
僕個人の問題だというのはどういう事かと言えば、
僕が渡邉さんを見て、
渡辺さんが全くの物理現象であることを確認しても、
僕はそこに何らの不思議も感じません。
しかし、
僕が僕自身を見てそれが全くの物理現象であると
考えるときには、
どうしても釈然としない気持ちになるのです。
僕は自分を特別な個人だと主張しているわけでは
ありません。
渡辺さんが僕を見ても僕を全くの物理現象だと
考える事に根本的な困難は無いけれども、
渡辺さんが渡邉さん自身を見たときには、
自分が全くの物理現象に成り切っている事に
釈然としない感じを受けるのではないかと
思うんです。
2004/06/02/19:15  宇田さんは全ての事を、物理的現象として説明出来ると考えますか?
 以前、中堤さんに聞いたのですが、美しいと言う言葉より物理は正準という言葉がしっくり来ると聞いたのですがどういう意味ですか?
 僕にとって心はやはり存在していなくてはと思うのですが…。そして人間が心を込めて創ったものは「人間にとって」大切なものになると考えます。僕も人間によって形づくられた人間です。心が存在する様に成るのは当たり前の様な気がします。僕が言いたいのは「物質」が心を生むと言いたいのですが…(物質とは神聖な(正準な?)何かと考えて下さい)。そしてその心は物質的ではないように思われて成りません。
2004/06/03/00:54 近い内にお返事します。
2004/06/03/19:54 >宇田さんは全ての事を、
>物理的現象として説明出来ると考えますか?

いいえ、おそらく無理でしょう。
しかしこの事は
全てが物理現象だ、という意見を論駁する根拠
としては不十分だと思います。
テレビの心霊番組等で決まり文句のように
出てくるのが
「世の中には科学で説明できない事がある」
という文句です。
僕はこういう番組を見るたびに、
出演者が科学では説明できないはずの現象を
説明しているのを見せられます。
世の中に科学では説明出来ない現象があるのは
事実です。
しかし、
科学で説明出来ない現象を
科学以外で説明できる事は
有り得ない事です。
もし説明出来たなら、それは既に科学なのです。
とても科学とは呼べないような説明なら、
それは説明として不十分なのです。

>以前、中堤さんに聞いたのですが、
>美しいと言う言葉より物理は正準という言葉が
>しっくり来ると聞いたのですが
>どういう意味ですか?

美しい=ビューティフル
正準な=カノニカル=ビューティフル+リアル

という風に思ってください。

>僕にとって心はやはり存在していなくてはと
>思うのですが…。
>そして人間が心を込めて創ったものは
>「人間にとって」大切なものになると考えます。
>僕も人間によって形づくられた人間です。
>心が存在する様に成るのは当たり前の様な
>気がします。
>僕が言いたいのは「物質」が心を生むと言いたい
>のですが…(物質とは神聖な(正準な?)何かと
>考えて下さい)。
>そしてその心は物質的ではないように思われて
>成りません。

心に関する現象が、非生命・非意識といった感じの
物理現象の積み重ねを超えるものだと、
渡辺さんが言いたいのなら、
冒頭に書いた事と関連しますが、
その考えが間違いだという事を証明する事は
出来ません。
したがって、間違いだと考えるか考えないかは
信仰の問題です。
僕は、間違いだ、と固く信じています。
渡邉さんの信仰がこれに反するものなら、
今までの対話によって
その信仰を変えられなかった事を残念に
思いますが、
あくまで信仰は自由ですから、
僕はこれ以上渡邉さんの信仰を変えようとする努力
をしないことにします。
質問は、好きな時に好きなだけ、
して下さって結構です。
遠慮の必要はありません。
2004/06/04/13:42 > 心に関する現象が、非生命・非意識といった感じの
> 物理現象の積み重ねを超えるものだと、
> 渡辺さんが言いたいのなら、
> 冒頭に書いた事と関連しますが、
> その考えが間違いだという事を証明する事は
> 出来ません。

 物理現象の積み重ねを超えるものとは考えていません。「物質」があるから心という曖昧な言葉が使えると思っています。ただ日本語の物理用語としての「物質」が僕にとって全く知らなかった奥深さがあったのを知った事が僕のためになったのです。僕は物理現象の積み重ねとしての心の現象を言葉で表現する事が出来ると思っているだけなのです。僕のやっている事は科学ではないと言いましたが、その背景にあるのはやはり科学なのです。僕の物の見方がより良く表現できる言葉を探しているつもりです。
 僕は正確な物理用語については無知なようなので今後も折りに触れて教えて下さい。
2004/06/04/19:22  「太陽の破片」を送りました。二、三日で届くようです。
2004/06/04/20:42  少し、力学の勉強を始めようと思います。
 自然基底の項で出てくる接線ベクトルや主法線ベクトルや倍線ベクトルは具体的にはどういう意味を持ったベクトルでしょうか?
2004/06/05/05:26 > 心に関する現象が、非生命・非意識といった感じの
> 物理現象の積み重ねを超えるものだと、
> 渡辺さんが言いたいのなら、
> 冒頭に書いた事と関連しますが、
> その考えが間違いだという事を証明する事は
> 出来ません。
 物理現象の積み重ねを超えるものとは考えていません。「物質」があるから心という曖昧な言葉が使えると思っています。ただ日本語の物理用語としての「物質」が僕にとって全く知らなかった奥深さがあったのを知った事が僕のためになったのです。僕は物理現象の積み重ねとしての心の現象を言葉で表現する事が出来ると思っているだけなのです。僕のやっている事は科学ではないと言いましたが、その背景にあるのはやはり科学なのです。僕の物の見方がより良く表現できる言葉を探しているつもりです。
 僕は正確な物理用語については無知なようなので今後も折りに触れて教えて下さい。
2004/06/05/05:28  少し、力学の勉強を始めようと思います。
 自然基底の項で出てくる接線ベクトルや主法線ベクトルや陪法線ベクトルは具体的にはどういう意味を持ったベクトルでしょうか?
2004/06/05/05:28  「太陽の破片」を送りました。二、三日で届くようです。
2004/06/05/11:01 有難う御座います。
自然基底についてとか、ちゃんとメールは届いています。
昨日は自転車がパンクしてメールできませんでした。
これから返信を書きます。
2004/06/05/11:17 太陽の破片、まだ着いてませんが、
有難う御座います。

>物理現象の積み重ねを超えるものとは
>考えていません。

では僕と信仰は同じですね。

>僕は正確な物理用語については無知なようなので
>今後も折りに触れて教えて下さい。

僕の知ってる範囲内ではいくらでも教えます。

>自然基底の項で出てくる接線ベクトルや
>主法線ベクトルや陪法線ベクトルは
>具体的にはどういう意味を持ったベクトル
>でしょうか?

接線ベクトルは文字通り接線方向のベクトルで
単位ベクトル(長さ1のベクトル)です。

主法線ベクトルは
考えている曲線上の1点の無限小近傍が収まる
接平面を考え、
その平面内の単位ベクトルで接線ベクトルに
直交し、
曲線の曲がり方の見地から内側に向かうベクトル
です。

倍法線ベクトルは、
接線ベクトルと主法線ベクトルの両方に直交し、
接線ベクトル→主法線ベクトル→倍法線ベクトル
の順に右手系をなすものです。
つまり、
接線ベクトルを回転させて主法線ベクトルに
重ねるときの回転の向きに右ねじを回すときに
ネジの進む向きが倍法線ベクトルの向きです。
2004/06/07/22:08  ホームページが開けません?
2004/06/08/14:18 僕の第一サイトのアドレスは
http://www.f3.dion.ne.jp/~x-wooder/
です。

渡邉さんにMDを送りたいのですが、
渡邉さんのプレイヤーはLP4再生は可能ですか?
2004/06/08/19:26  聞けると思います。何を送ってくれるんですか?
2004/06/08/19:29 「太陽の破片」はハズレでした。
怒らないで下さい。
序盤は大変良いのですが、
サビを盛り上げる事に失敗しています。
サビのメロディーが平凡すぎる。
尾崎の声もインストゥルメントも素晴らしいけれど。

MDに何かを入れて送り返します。
何が入ってるかは到着してからのお楽しみ。
2004/06/09/12:57 僕の送った音楽を聴くに当たっては、
日本のアイドル歌手が歌っている、という風に
考えてみてください。
ものすごく素晴らしいものが入っていると
期待しないで下さい。
そういう風に期待すると、
良い曲が十分に良く聞こえません。

日本のアイドル歌手の作品の売れ残り、
と思って聴いてみてください。
すると正しく評価できると思います。
ダメだったらダメだったと言って下さいね。
2004/06/10/15:31  太陽の破片はイマイチでしたか。んー残念。
 宇田さんの送ってくれた音楽は宇田さんの言う通りに聞いて見ます。
 わざわざ有り難う御座います。
2004/06/11/21:52  届きました、有り難う御座います。
 カントリーなんですかこれ?
 英語の意味が分からないので感覚で聞いています。
 ラブソングなんでしょうか?
 気持ちがゆったり、してきます。
2004/06/11/23:29 >カントリーなんですかこれ?

はい、カントリーです。
現代カントリーは昔のとは全然違うんです。
意外でしょ。
日本のアイドル歌手の作品の売れ残りでは
絶対にありえない、と思いませんか?

>英語の意味が分からないので感覚で
>聞いています。

僕もです。

>ラブソングなんでしょうか?

多分、そうだと思います。

>気持ちがゆったり、してきます。

僕は感動しました。
Trisha Yearwood の The Flame では泣きました。
2004/06/12/19:15  僕の信仰は若干の物心論的要素と唯物理事象論が根幹と成っています。但し此処で言う心とは物質の積み重ねから生まれる準物理的要素です。準としたのは全くの物理的要素という事とに明らかには出来ないからです。
 前に負の時間と表現しましたが、時間の矢が現実と同じ向きや虚数的な向きである別の時間感覚が僕には有ります。こう日本語では表現しなければ僕には表現が出来ないのですが…。其処に準物理的要素を考える余地が有る様な気がします。
2004/06/12/21:07 >僕の信仰は若干の物心論的要素と唯物理事象論
>が根幹と成っています。
>但し此処で言う心とは物質の積み重ねから生まれ
>る準物理的要素です。
>準としたのは全くの物理的要素という事とに明ら
>かには出来ないからです。
>前に負の時間と表現しましたが、
>時間の矢が現実と同じ向きや虚数的な向きであ
>る別の時間感覚が僕には有ります。
>こう日本語では表現しなければ僕には表現が出
>来ないのですが…。
>其処に準物理的要素を考える余地が有る様な気
>がします。

渡邉さんの表現したいレベルまで勉強が到達すると
良いですね。
僕も勉強を進めて、虚数の時間とか出て来たら、
渡邉さんの言ってた事を思い出して見ます。
2004/06/14/10:37  E=mcという質量とエネルギー保存則を示す等式だと思うのですが、質量とエネルギーの根本的な違いは有るのですか?
 言い方を変えるますが(変えて良いのか分からないけど…)、質量とエネルギー量子の形相の違いはどう考えますか?
2004/06/14/11:02  質量の値は必要かも知れないが、エネルギー量子、一元論を取って見ると面白いかも知れないと思います。
 物理的に考えていないかも知れないけど、質量や電荷と言った実体を考える必要は無くなってくると思うのですが…。
2004/06/14/18:44 E=mc^2的な意味での質量は
エネルギーと区別する必要はほとんどありません。
実際、現代物理学では、
そのように考えられています。
この質量を、エネルギーとしての質量、
と呼ぶ事にしましょう。

エネルギーとしての質量以外に、
パラメータとしての質量、というものがあります。
これは物理法則を表わす方程式の中に現れる
一種の係数です。
物理法則を表わす方程式の中に現れるパラメータ
としては、電荷もそうです。
というわけで、これらの概念は、一応、
エネルギーとしての質量とは区別しておく必要が
あるのです。
2004/06/14/19:09  接線ベクトルなどの単位ベクトルがなぜ微分を用いて
 導入されるのか分かりません。教えて下さい。
2004/06/15/15:37 TEC-0-1-1に書かれているように、
Δs→0でΔr→0と成ってしまいます。
(Δrの向き)→(接線の向き)なのにです。
そこで、接線の向きのゼロより大きい長さのベクトル
を作るためには、
Δs→0で→∞となる数をΔrにかけて、
そのベクトルのΔs→0極限を考える必要が
出てくるのです。
Δrにかける数として(1/Δs)を選ぶと、
この数はΔs→0で(1/Δs)→∞と成るだけでなく、
Δs→0で
(1/Δs)Δrがゼロより大きい長さを持つベクトルに
無限に近付きます。
この極限値は微分の定義よりdr/dsに
他なりませんね。
TEC-0-1-1からTEC-0-1-2にかけて説明が
書いてありますよ。
2004/06/19/20:54  物理ではプランクの長さ以下の事は考えられないのですか?
2004/06/20/12:04 >物理ではプランクの長さ以下の事は
>考えられないのですか?

いいえ、そんな事はありませんよ。
現代物理学では、自然単位系というものが用いられ、
これによると、長さはエネルギーに換算されます。
プランク長をエネルギーに換算する事も出来、
そのエネルギーは極めて大きなエネルギーになります。
最新の理論は
そのようなエネルギー・スケールでは何が起こるか
に言及するものであり、
そのような現象は実験物理学の能力を超えているため、
最新の理論を実験物理学で検証する事は出来ません。
現在の最新の理論はプランク・スケールでの現象に関するものですが、
もっと高いエネルギーの現象を考える事が原理的に出来ないというわけではありませ
ん。
将来は、そういう高エネルギー物理の理論が作られるかもしれません。
2004/06/20/19:55 > 現代物理学では、自然単位系というものが用いられ、
> これによると、長さはエネルギーに換算されます。

 長さがエネルギーに換算されるという感覚が分かりません。教えて下さい。
2004/06/20/23:44 2π×(エネルギー)÷hc
は1÷(長さ)になるんですが、
この1÷(長さ)でエネルギーを表わす、
という事なんです。
hはプランク定数、cは光速です。
2004/06/21/08:55 > プランク長をエネルギーに換算する事も出来、
> そのエネルギーは極めて大きなエネルギーになります。

 1÷プランク長と言う事ですね。
 この時、何が極めて大きなエネルギーを持つ事に成るのでしょうか?
 プランク長の範囲に存在している空間のエネルギーの事でしょうか?

> 最新の理論は
> そのようなエネルギー・スケールでは何が起こるか
> に言及するものであり、
> そのような現象は実験物理学の能力を超えているため、
> 最新の理論を実験物理学で検証する事は出来ません。

 最新の理論とは超弦論の事ですか?
2004/06/21/09:27  プランク長の範囲に存在している物質のエネルギーの事でしょうか?
 現代物理学とはどういう物なのでしょうか?
2004/06/21/11:05 <プランク長をエネルギーに換算する事も出来、
<そのエネルギーは極めて大きなエネルギーに
<なります。

>1÷プランク長と言う事ですね。
>この時、何が極めて大きなエネルギーを
>持つ事に成るのでしょうか?

素粒子が、ぐらいに考えれば良いと思います。
たとえば実験物理学では粒子と粒子を衝突させて
その結果起こる事が理論物理学の予言に
一致するかどうか確かめるんですが、
衝突させる粒子の運動エネルギーを
プランク・スケールにまで高める事は、
現在の実験技術では不可能だし、
これからもズッと出来そうにないんです。

>プランク長の範囲に存在している空間の
>エネルギーの事でしょうか?

この問いに答えることが出来るほど僕は
プランク・スケールのエネルギーのことを
良く分かっている者ではありません。

>最新の理論とは超弦論の事ですか?

一例を挙げれば、そういう事になります。

>現代物理学とはどういう物なのでしょうか?

いわゆる統一場理論を作る事を目指して
行われる研究の営みです。
その鍵を握っているのが、
時空に関する量子論を作る事です。
2004/06/22/10:22  最初に項の、位置ベクトルは変位ベクトルと考えなくてみる事が必要ですか?
 第一章 点の運動の記述 では三次元で把握する運動の位置・速度・加速度の表し方が質量の値を考えずに導入したものと考えて良いのでしょうか?
 まだ少ししか進んでいないのですが…。 
2004/06/22/10:39  東大入試に出題されたというのは誤りであり、正しくは東大模試です。
 御免なさい!!
2004/06/22/11:32 > いわゆる統一場理論を作る事を目指して
> 行われる研究の営みです。
> その鍵を握っているのが、
> 時空に関する量子論を作る事です。
>
 最自然単位系を使うと「重力場方程式と曲がった時空の上での電気力学の方程式群の総てから1でない係数を取り除き、かつ荷電の1単位が電気素量に成る単位系へと移行する事が出来る」などの記述から重力を含む新しい理論に言及していますが、宇田さんはその新しい理論を完成させようとしているのですか?
 また、その上でプランク・スケールの事を考えようとしているのですか?
2004/06/22/17:08 >最初に項の、位置ベクトルは変位ベクトルと
>考えなくてみる事が必要ですか?

良く意味が分かりませんが、
位置ベクトルが変位ベクトルであるか否かは、
点が過去のいずれかの時刻に原点を通過
したか否かにかかっています。
過去に点が原点を通過したならば、
その後の位置ベクトルは変位ベクトルとみなされる
ことが出来ます。
過去のいずれの時刻においても点が原点を
通過していないならば、
位置ベクトルを変位ベクトルとみなすことは
出来ません。

>第一章 点の運動の記述 では三次元で把握
>する運動の位置・速度・加速度の表し方が質量
>の値を考えずに導入したものと考えて良いので
>しょうか?まだ少ししか進んでいないのですが…。

第一章では質量は考えていません。
だからといって、第一章の内容は質点には適用できない、
というわけではなく、第一章の内容は
質点にも適用できるし、
位置のみを持つ数学的な点にも適用できます。

>最自然単位系を使うと「重力場方程式と曲がった
>時空の上での電気力学の方程式群の総てから
>1でない係数を取り除き、
>かつ荷電の1単位が電気素量に成る単位系へと
>移行する事が出来る」などの記述から重力を含む
>新しい理論に言及していますが、
>宇田さんはその新しい理論を完成させようとして
>いるのですか?

とてもとても、僕の勉強はそんな所には遠く及びません。
そりゃあ、遠い将来の目標としては、
そういうものを僕は目標にしているかもしれませんが、
どちらかというと、誰か僕以外の人が作ってくれるだろう、
という風に期待しています。

>また、その上でプランク・スケールの事を考えようとしているのですか?

そういうことが出来るレベルまで勉強が進めば良いんですけどね。
これも、遠い将来の目標ですね。
今、当面僕がやっている勉強は、もっとズッと初歩的な勉強ですよ。
2004/06/23/11:25  尾崎の歌を借りているので、MDに取って送ります。
 
 1 もうおまえしか見えない
 2 町の風景
 3 Street Blues
 4 ダンスホール
 5 秋風
 6 酔いどれ
 7 弱くてバカげてて
2004/06/23/11:30  位置ベクトルと運動の方向は必ずしも等しくないですよね。だから位置ベクトルと位置ベクトルの差の方向に運動しているという事だと思うのですが。そのベクトルの差を変位ベクトルと書いたんですが正しく無いですか?
2004/06/23/16:21 尾崎豊、有難う御座います。
まだ着いていません。

>位置ベクトルと運動の方向は必ずしも等しくない
>ですよね。

ハイ、その通りです。

>だから位置ベクトルと位置ベクトルの差の方向に
>運動しているという事だと思うのですが。

運動の向きは速度ベクトルの向きですから、
変位ベクトルの向きとは必ずしも一致しません。
速度ベクトルの向きは、変位ベクトルの向きの極限です。

>そのベクトルの差を変位ベクトルと書いたん
>ですが正しく無いですか?

正しいです。
2004/06/26/18:48 届きました。聴きました。
一回目に聴いたときには、
尾崎豊のヒット曲に比べて冴えないなあ、
と思いました。
2回目に聴いたときには、1回目よりも印象は良かったです。
2回目に聴いたときには、
尾崎豊のヒット曲が出るもとになる音楽的素養を
感じました。
尾崎豊のヒット曲に対して、従来のイメージよりも
違ったイメージを持つことが出来るようになった気がします。
2004/06/26/21:29 > 2回目に聴いたときには、
> 尾崎豊のヒット曲が出るもとになる音楽的素養を
> 感じました。

 実際に宇田さんに送ったものは尾崎が若い頃に作詞・作曲しただろうと聞いています。相変わらず、宇田さんの偽らない判断は鋭いですね。

> 尾崎豊のヒット曲に対して、従来のイメージよりも
> 違ったイメージを持つことが出来るようになった気がします。
>
 良い意味でも悪い意味でも尾崎豊という人が分かったなら、幸いです。
 最近、僕はこの歌を聴いて、確か情緒的極端でしたっけ、を感じました。
2004/06/27/20:27 >最近、僕はこの歌を聴いて、
>確か情緒的極端でしたっけ、を感じました。

後から言うのも言いにくいですが、
僕も感じました。

基本的に、
これが無い曲はダメなのかもしれませんね。

2回目に聴いた時について、
「音楽的素養を感じた」と書きましたが、
正確には、
「音楽的素養が予想以上に深い」と感じました。
1回目に聴いた時には「無理して作ってる」と感じました。
2004/06/28/18:59 ぼくは、
渡邉さんと僕の関係の特殊性、および、
渡邉さんと尾崎豊の関係の特殊性を考慮すると、
尾崎豊を渡辺さんに見えるところで論評できません。
渡辺さんに見えないところにおいてでさえ、
渡辺さんのことを気にしながらでなくては、
尾崎豊について語る事が出来ません。

そこで僕は、
尾崎豊を論評する事を今後一切しない事にします。

最初からそうするべきでした。

幸い前回の僕の論評は、
正直でありかつ、渡辺さんの気分を害さないものであった
から良かったものの、
次に尾崎豊を僕が聴いたときに、
ものすごく悪い評価しか出来なかったらどうしよう、
という風に怖くなったんです。

というわけですので、
MDを送ってくれるのは構わないですけど、
僕がそれに対して感想を言わない事を許してください。

近い内に、
何か良いのをMDに入れて送り返しますね。
2004/06/28/21:35  尾崎豊の評論で例え感じ方が違ったとしても、僕は宇田さん分からない人だなとは思いません。批判的な意味で、尾崎ってこういう意味に聞けるんだと主張しても構いません。僕にとって尾崎豊の事、より宇田さんの事が分かった方が良いと思います。
 宇田さんと僕との関係なんですが、僕は宇田さんを人生の先輩として、一人の人間として話しをしています。宇田さんが話しの中で僕に合わせて行けない時、その事で関係が壊れるとか、自分の人に嫌がられる面を押さえて、それらを出してしまった時に、僕が一方的に付き合いを拒否してしまうのではと思っていませんか?
 だとしたらそれは心配しなくても良いと思います。僕は受け入れて行けると思います。話しが、かみ合わなくても、僕の意見を鋭く批判してももう一方的に付き合いを断る事はしませんよ。僕が気に入る事しか話せなくなる付き合い方の方が宇田さんに取っても、僕に取っても行けない事だと思います。
2004/06/29/13:47 >尾崎豊の評論で例え感じ方が違ったとしても、
>僕は宇田さん分からない人だなとは思いません。

思っても構いませんけど。

>批判的な意味で、
>尾崎ってこういう意味に聞けるんだと主張しても
>構いません。
>僕にとって尾崎豊の事、より
>宇田さんの事が分かった方が良いと思います。
>宇田さんと僕との関係なんですが、
>僕は宇田さんを人生の先輩として、
>一人の人間として話しをしています。
>宇田さんが話しの中で僕に合わせて行けない時、
>その事で関係が壊れるとか、
>自分の人に嫌がられる面を押さえて、
>それらを出してしまった時に、
>僕が一方的に付き合いを拒否してしまうのでは
>と思っていませんか?

思ってました。

>だとしたらそれは心配しなくても良いと思います。
>僕は受け入れて行けると思います。
>話しが、かみ合わなくても、
>僕の意見を鋭く批判しても
>もう一方的に付き合いを断る事はしませんよ。
>僕が気に入る事しか話せなくなる付き合い方
>の方が宇田さんに取っても、
>僕に取っても行けない事だと思います。

ありがとうございます。
では、これからは、思ったことを何でもズケズケ言う
事にします。

僕は、誰かを全人格的に崇拝すると言う事が無いし、
僕が、特定の分野において素晴らしい、と感じる人についても、
その人のその分野についての業績に対しては、
その価値を評価する主体はあくまで僕だ、
という態度を一貫して取っております。
だから僕は、誰がケチを付けられても、ガッカリしないし、
僕自身、率先して、自分が素晴らしいと感じる人に
ケチを付ける事すらします。
常識的に見れば僕の態度は
「では、お前は一体誰の味方なんだ?」
といぶかしがられる態度かもしれません。
僕の態度は、誰かの味方、というものではありません。
例を挙げると、僕はバッハの音楽を高く評価します。
しかし、バッハの音楽の中でも、くだらない、
と感じるものについては、そう言います。
「バッハでもこんなくだらないのもあるんだね」
という風に言うわけです。
僕はアインシュタインの物理学の能力を高く評価します。
しかし、彼の主張や主張傾向の中に欠陥を見出すと、
良い事に気づいた、とばかりに、それを指摘します。
この様な感じ方や態度が僕の感じ方や態度です。

それに対して、渡辺さんについては、
僕は、渡辺さんが
「何であれ人間性が備わっていなくてはいけない」
と主張していたのを見て、さらに、
「人間性まで含めて一流なのは尾崎豊だ」
と主張していたのを見ました。
これらより、僕は、
渡辺さんが各個人を評価する際には、
その人の一側面のみを切り出して評価する事はせず、
全人格的な総合評価しかしないのだ、
と感じると共に、
そのような評価の仕方によって渡辺さんは
尾崎豊を高く評価する、
という事を知ったのでした。
という事であれば、尾崎豊に対する渡辺さんの評価は、
アインシュタインやバッハや大山マスタツに対する僕の評価とは違って、
それが否定された場合に渡辺さんがひどくガッカリするものに
ならざるを得ない、と思うんです。

だから、僕は、渡辺さんに、自分の人間観を修正する事をお薦めします。
もし、渡辺さんがこの修正を行わず、単に崇拝の対象を
尾崎豊から僕に切り替えただけなら、
僕の本当の姿を知ったときにガッカリするだろうからです。
僕は程々に頭が良く、程々に善良で、程々に芸術が分かり、
程々に運動能力が優れており、
頭の働きのある側面は世界一のレベルに達しているかもしれない、
しかし、欲望の追求を正義よりも優先させる場合のある人です。
苦痛の回避を正義より優先させる性質も持っていると予想されます。

さて、尾崎豊について、一点だけ言うのを我慢していた事があります。
それは、「酔いどれ」についてです。
この歌の歌詞において一人称は「おいら」とされています。
僕はこれを聞くと直ぐに嫌悪感に近いものを感じました。
それは
「チンチムニー、チンチムニー、・・・おいらは煙突掃除屋さん」
という歌詞を持つ古い歌が既にあるからかもしれません。
ちなみにこの古い歌を聞いても僕は嫌悪感を感じません。
「おいら」という語が使われていることに、この歌の卓越性の一つを感じます。
また、尾崎豊の歌を1回目に聴いたときに
「無理して作ってる」と感じたのは、
やはり既存のメロディーがベースになっていて、
尾崎豊が必死でそこから外そうとしている、
つまり、既存の歌ではない新しい歌を作らなければいけないのに、
アイデアとして、ほとんど既存のものしか出て来ない様子が、
感じ取られたからです。
2004/06/29/18:26 渡辺さんは、僕が自分よりも年上だから、
僕の事を人生の先輩として敬う、と言いました。

僕はこういう態度を好みません。
ぜひ、人生についての悟りの深さ広さにおいて、
年上の僕を超えてやろう、という風に
僕に挑みかかってください。
そして、実感として、僕を超えることが出来ない、
と感じたときには、僕を敬っても構いません。

僕も、常に、
年齢に関わらず全ての人を超えてやろう、
という気概を持ち続けています。
いたずらに年を取って何も悟る事が出来ない人を
年上だからといって敬う必要なんてありません。

一緒に頑張ろうではありませんか。
2004/06/29/19:10 > 渡辺さんは、僕が自分よりも年上だから、
> 僕の事を人生の先輩として敬う、と言いました。
>
> 僕はこういう態度を好みません。
> ぜひ、人生についての悟りの深さ広さにおいて、
> 年上の僕を超えてやろう、という風に
> 僕に挑みかかってください。
> そして、実感として、僕を超えることが出来ない、
> と感じたときには、僕を敬っても構いません。
>
> 僕も、常に、
> 年齢に関わらず全ての人を超えてやろう、
> という気概を持ち続けています。
> いたずらに年を取って何も悟る事が出来ない人を
> 年上だからといって敬う必要なんてありません。
>
> 一緒に頑張ろうではありませんか。

 はい、宜しく。僕は尾崎を完璧とは思っていません。完璧を目指し、失敗するだろう事が分かっていた人と考えています。僕も完璧な愛を求めていましたが結局、失敗にきする事は一応分かっていたはずの人間です。その中で共感出来る所が有ったのです。僕の人生の悟りは「完璧な愛は僕には存在しない」と言う事でした。
 僕も年齢にこだわらずに宇田さんと話し合って行ければと思い直しました。総てが総て、宇田さんの意見・主張を取り入れる事はせずに、僕に取って良いと事は受け入れて行こうと、違うという事があればハッキリと言って行こうと思いました。
 ただ物理に関しては正しい知識を持っている人と僕は考えています。
2004/06/30/16:25 僕の人生観は、根底においてニヒリズムです。
つまり、自分についても他の全ての人についても、
生きる意味なんて存在せず、
生きて行く上で価値があると思われることは全て
むなしいものだ、と僕は考えます。
それに加えて、人はみな本質においては孤独であり、
他者との交際でその孤独をまぎらす事は出来ても、
孤独であるという事実そのものを変える事は出来ない、
と僕は考えます。

根底においては、上記が僕の人生についての悟りですが、
だからといって、軽率に、
人の命には何の値打ちも無いから皆殺しもO.K.
という風には僕は考えません。
僕の人生についての悟りは、
それを根拠に行為する事が危険なものであり、
あくまで知識のレベルに留めておくべきものと僕は考えます。

そして、行為のレベルにおいては、僕は、
自分で目標を設定してそれに向かって頑張っています。
そして、その目標に特別な価値を感じています。
また、良心に基づいて善悪の判断を行ない、
なるべく自分の行為を善なるものにしようと努めています。
それら全てがむなしい、と分かっていてもです。

そうしていて気になることは、
自分は程々に幸福なのだが、それだからなのか、
現在の世界の中に多々の悲惨があることと、
自分よりも後の世代の人類がいつかは行き詰まるだろうこと、
です。

そのため、僕は、人間社会のかかえる原理的問題に関心があります。
何が正義であるかを明らかにする事と、
武力や経済力などの観点から実現可能なのはどこまでかを明らかにする事、
死ぬまでに、そういう問題をキチンと考えて
後世の人に有益なアドヴァイスを残したい
と思っています。

僕個人の人生については、
結婚して子孫を残す事が出来るのか
独身のまま一生を終わるのか
思い悩んでいる所です。

子孫を残しても僕を超える才能は出て来そうにない、
結婚すると僕の才能を十分に人類の役に立てる事が出来なくなるかもしれない、
という風に考え、結婚に対しては慎重です。
2004/07/06/17:46  この場合の質量を宇田さんはどう考えていますか?
 場はエネルギーの形態の一つですか?そうならば電磁場や重力場、その他の場はエネルギーとして統一されて示せるのではないでしょうか?
 重力場は普通、特殊扱いされているようですがどうしてですか?
 僕はエネルギーの質量は物質などを統一的に見る時、思考上に大変役に立つものと思います。また物質の粒子性には十分注意を持って考えられるのですが、波動性となると少し怪しいです。
 時間について、物理的時間はいくつかの時間的要素からなるものと考えています。それはいくつかの時間的要素を個物に考える時には時間の流れ方は多様であるという考えです。
 数学で直感主義という主義が有る事を知ってしますか?僕はそれに近い立場てを取る考え方です。現代数学の基礎である公理的集合論の立場を僕はどうやら取らない方向で自分に感じた「弱い論理」の考えに惹かれています。
 「弱い論理」としたのは普通の論理と違い対象を捉える段階の時、僕は公理を置きません。例えば無限公理のようには置きたくは有りません。
2004/07/06/19:51 >この場合の質量を宇田さんはどう考えていますか?

E=mc^2的な意味での質量とエネルギーは単に単位が異なるのみで、
それ以上の違いは無いと思います。

>場はエネルギーの形態の一つですか?
>そうならば電磁場や重力場、
>その他の場はエネルギーとして統一されて
>示せるのではないでしょうか?

場には場の持つエネルギーというものが考えられますが、
場の特徴はその場の持つエネルギーだけではありません。
たとえば電磁場を表わすには、
電磁場のエネルギーのみを指定しただけでは不十分であり、
6成分の関数を用いる必要があるのでした。
したがって、(場)=(場のエネルギー)と考える
わけには行きません。

>重力場は普通、特殊扱いされているようですがどうしてですか?

重力場方程式は
(アインシュタイン・テンソル)=(ストレス・エネルギー・テンソル)
という形をしています。
ストレス・エネルギー・テンソルの中には、
物質や電磁場のストレス・エネルギー・テンソルは含まれていますが、
重力場のストレス・エネルギー・テンソルというものは含まれていません。
この意味で、重力場のエネルギーというものは考えないのです。
この点がエネルギーの観点から重力場の特別な所だと思います。

>僕はエネルギーの質量は物質などを統一的に見る時、
>思考上に大変役に立つものと思います。

そうですね。

>また物質の粒子性には十分注意を持って考えられるのですが、
>波動性となると少し怪しいです。

物質の波動性の典型的な例は、
2重スリットを通った後の電子が自分自身と干渉する事です。

>時間について、
>物理的時間はいくつかの時間的要素からなる
>ものと考えています。
>それはいくつかの時間的要素を個物に
>考える時には時間の流れ方は多様である
>という考えです。

よく意味が分かりません。

>数学で直感主義という主義が有る事を知ってしますか?

名前とおおよそのイメージは知っています。が、

>「弱い論理」
>無限公理

は知りません。

>直感主義
>僕はそれに近い立場てを取る考え方です。

物理学に数学を応用するときには、
そうならざるを得ないんじゃあないですか?
物理学では例えば量子状態全体の集合というようなものを
考える必要があります。
公理的集合論では、
そんないい加減な概念は集合としては認められない、
という風に成っちゃうんじゃあないでしょうか。
2004/07/08/18:47 尾崎豊の死因についてのサイトを見つけました。
http://www.est.hi-ho.ne.jp/snowman-yukio/ozaki.htm

冒頭の部分(尾崎裁判の話が出る前の部分)の考察が誤っている事、
などからして、うのみにしてはいけないと思いますが、
参考にはなると思います。

僕は、ネットで調べれば、裏事情が容易に多量に分かるのでは、と思い、
昨日から色々検索しています。
昨日は、予想以上に収穫があった、と感じたのですが、
今日は、テレサテンの死因と尾崎豊の死因を調べてみて、
漏れてはいけない情報は高く買い上げられているか、
脅迫によって漏斗が防がれているか、
その様な事があるのではないかと少し思っています。

テレサテンの死因についての情報も尾崎豊の死因についての情報も
誰かの利益を害するものではないからです。

僕は芸能人の死については、暗殺を連想してしまいます。
全ての死が暗殺ではなかった、と考えるのは不自然な気がし、
逆に、謎に包まれた死の多くが暗殺なのではないか、
と思っています。

だから上に紹介したサイトも、
暗殺説を打ち消す意図の下に何物かによって作成された可能性がある、
と思います。
尾崎豊の死因について、複数者の証言をもとに、考察されていますが、
可能性としては、複数の証言者が口裏を合わせている、
という可能性があると思います。
2004/07/11/18:50 僕が今まで好んで聴いて来た器楽演奏を
入れておきました。

最初が「ポールモーリア」で、
これは僕が小中学生の頃に好んで聴いたものです。
送ったものは新バージョンらしく、
なにかやたら変なアレンジがかかってるみたいですが、
「エーゲ海の真珠」のイントロは素晴らしいですよ。

次が「リチャード・クレイダーマン」で、
これは僕が中高校生の頃に好んで聴いたものです。
「銀河船」のイントロが素晴らしいですよ。

その次は「ジョージ・ウィンストン」で、
これは僕が高校生から大学2年次ぐらいまでの時に、
好んで聴いたものです。
この次期には「エリック・サティ」の曲も好んで聴いたのですが、
残念ながら、今では入手できません。

大学晩期には、
「ブクステフーデ」のオルガン作品や、
「バッハ」の「シャコンヌ」をはじめとする、
バロック・ルネッサンス音楽を知るに至りました。
以来、今に至るまでズッと僕は
このジャンルに魅了され続けています。

高校生の頃には上記以外にも
「ベートーベン」の「ピアノ・ソナタ」
「ショパン」の「ノクターン」
「ドビッシー」や「ラベル」のピアノ曲
「シューベルト」のピアノ曲
これらも聴きましたが、
これらは今手元にありません。
2004/07/14/07:55  昨日、メールをするつもりでしたがMDを聞きながら寝てしまいました。
 尾崎の死因は暗殺だと宇田さんは思うのですか?
 僕は尾崎のホームページの様には考えた事はないのですが、尾崎は精神的にかなり、きつかった事が想像出来ます。酒に依存していたのは確かだと思います。風邪薬と酒のアルコールの影響で薬の副作用が出てきたのでは?と考えます。単純な発想ですが…。
2004/07/14/12:23 >尾崎の死因は暗殺だと宇田さんは思うのですか?

断言はしませんが、その可能性があると思っています。
1993年に日本の政界は大きく変化しました。
その現象とのタイミングが合い過ぎていると思うんです。

>酒に依存していたのは確かだと思います。
>風邪薬と酒のアルコールの影響で薬の副作用が
>出てきたのでは?と考えます。
>単純な発想ですが…。

例のサイトには、尾崎が致死量を超える覚醒剤を口から飲んでいた事、
死因の肺水腫は覚醒剤によるものではない事、
が書かれていました。
僕は、死因の肺水腫が覚醒剤によるものではないとしても、
致死量を超える覚醒剤を飲んでいたのだから、
肺水腫にならずとも死んでいた、
と考えます。
そして、覚醒剤が何者かの手によって尾崎の酒にコッソリ混ぜられていたとしたら、
これは殺人事件だ、という事になります。
先日は僕は、証言者が口裏を合わせていたのでは、
と書きましたが、
証言者達が尾崎に接したときには、
既に尾崎の死は確定していたのかもしれません。
そして、証言者達は何ら偽証していなかったのかもしれません。

それによって死んだのではないとしても、
致死量を超える覚醒剤を尾崎が飲んでいた
と言う事が決定的に重要だと思うんです。
死因の肺水腫が覚醒剤によるものではない、
という事に惑わされてはいけないような気がします。
2004/07/18/21:43  確かに尾崎は暗殺された可能性は否定出来ません。
 なぜ尾崎は暗殺されなければならなかったのか。宇田さんは、どう考えますか?
 尾崎が生きていたら、今の世の中、少しは変わっていたのでしょうか?
2004/07/19/13:14 >確かに尾崎は暗殺された可能性は否定出来ません。
>なぜ尾崎は暗殺されなければならなかったのか。
>宇田さんは、どう考えますか?

あくまで憶測ですが、尾崎の音楽表現は
「卒業」に代表されるように、
アンチ大人、が根幹になっているような気がします。
だから尾崎は大人になってはいけなかったんです。
アンチ大人を訴える永遠の若者でなくてはいけなかった。
その伝説を作り上げるためには、
大人に成り切る前に尾崎に死んでもらう必要があった。
こう考えてはどうでしょうか?
政変と関係なくなりましたが。

>尾崎が生きていたら、今の世の中、
>少しは変わっていたのでしょうか?

尾崎はミュージシャンです。
バッハもモーツァルトもベートーベンも世の中を変えることは来ませんでした。
ミュージシャンには世の中を変える事は出来ないと思います。
2004/08/06/22:07  最近、メールが書けなくて。いろいろと一人で考え事をしていました。
 「重力の」相対性理論の事を前に触れましたが、その事について感想なり意見が聞きたくなりましたので、少しずつ一太郎に書いて送ろうと思っています。
 超ひも理論は素粒子をひもで記述すると書いてあったのですが、僕はその必要性は数学的記述に依存しているために起こってくるもので現実の素粒子はひもの振動などではないと確信的に思っています。
 また宇宙は十次元であると言う事も読みましたが、四次元時空の他の余分な時空を内部空間と考え、内部空間の幾何学的性質を使い素粒子の種類やクォークの数などが決定できるとの事ですが、残りの六次元は空間的な広がりではなく時間的な広がり、つまり時空の拡張であると思います。
 実は、僕は次元が十次元とかいう表現は僕は使いたくありません。四次元時空という表現も好きでは有りません。数学的使う言葉として仕方なく使うだけです。またパラレルワールドという言葉も好きではありません。
2004/08/07/13:19 >超ひも理論は素粒子をひもで記述する
>と書いてあったのですが、
>僕はその必要性は数学的記述に依存している
>ために起こってくるもので
>現実の素粒子はひもの振動などではない
>と確信的に思っています。

理論の数学的性質からひも理論が必要であるならば、
ひも理論を認めねばならないでしょう。しかし、実際には、
理論の数学的性質からひも理論が必要だとは
必ずしも言えないだろう、と僕は予想しています。
つまり、ひも理論以外にも様々な可能性が残されていると思うんです。
ひも理論が必要だ、とか時空の次元が10でなくてはいけない、
と言ってる人は、
様々な可能性を切り捨てて、狭い範囲内で何が可能かを探った結果を
述べているに過ぎないと僕は予想しています。
僕も、ひも理論は現実ではないだろう、と感じていますよ。

>残りの六次元は空間的な広がりではなく
>時間的な広がり、つまり時空の拡張である
>と思います。

僕はまだひも理論を勉強してないので何とも言えませんが、
ひも理論を否定するのなら、
10次元時空だの6次元時空だの考える必要は必ずしも無いのでは。

>実は、僕は次元が十次元とかいう表現は僕は
>使いたくありません。

ひも理論否定派の僕としては、出来ることなら10次元時空なんて避けたいですね。

>四次元時空という表現も好きでは有りません。

これから好きになってください。とても美しい表現ですよ。
電磁気学の教材で、4次元的な書き方の方が、
(3+1)次元的な書き方よりズッと美しかったでしょ?

>またパラレルワールドという言葉も好きではありません。

僕も量子力学の多世界解釈は間違った解釈だと思っています。
その意味でのパラレルワールドには僕も否定的です。
量子力学の解釈ではなくて、宇宙論の用語としてのパラレルワールド、
というものがあれば、それは認められ得るものかもしれません。
2004/08/07/20:41 > 理論の数学的性質からひも理論が必要であるならば、
> ひも理論を認めねばならないでしょう。しかし、実際には、
> 理論の数学的性質からひも理論が必要だとは
> 必ずしも言えないだろう、と僕は予想しています。
> つまり、ひも理論以外にも様々な可能性が残されていると思うんです。
> ひも理論が必要だ、とか時空の次元が10でなくてはいけない、
> と言ってる人は、
> 様々な可能性を切り捨てて、狭い範囲内で何が可能かを探った結果を
> 述べているに過ぎないと僕は予想しています。
> 僕も、ひも理論は現実ではないだろう、と感じていますよ。
>

 宇田さんは素粒子のイメージがあるようですね。其れを表現する事は出来ないのですか?
  
> >残りの六次元は空間的な広がりではなく
> >時間的な広がり、つまり時空の拡張である
> >と思います。
>
> 僕はまだひも理論を勉強してないので何とも言えませんが、
> ひも理論を否定するのなら、
> 10次元時空だの6次元時空だの考える必要は必ずしも無いのでは。
>

 素粒子がひもから出来ていると言う所が一番受け入れられないのです。僕の素粒子のイメージでは言葉として10次元時空だとか6次元時空と言う言葉を使うしか伝え方が分からないだけです。超ひも理論では素粒子の一つ一つに内部空間が必要みたいで、それらを座標的イメージ(重力で空間が曲がる事をイメージさせるために使っている座標が曲がった図の座標線のイメージ)で表現すると非常に複雑になり、スマートではなくなり違和感が有ります。内部空間にある大きさが対応しているとしたら、尚更受け入れがたいものです。
 ここからは宇田さんに僕のイメージが伝わっていないと思いますが書いてみます。まず空間について三次元空間と言う言葉がありますよね。空間だけを数学的に把握するには三次元座標です。僕はこの次元と言う言葉が良く飲み込めていないのか好きではないのです。直感的に空間という言葉が有れば、僕に取っては良いのです。四次元時空についても同様です。直感的に時空と言う言葉が有ればそれで良いのです。ここまで来ると直感的な空間と言う言葉は必要ないのかも知れませんが。僕の空間的把握の仕方は数学的ではないのかも知れません。
 イメージを伝えると言ってそれに成功していませんが、僕にも空間、時間、物質の荒削りなイメージが有るのです。時空の拡張のイメージは完全には掴んでいませんが、それでも少しずつイメージ出来る様に成っています。

> >実は、僕は次元が十次元とかいう表現は僕は
> >使いたくありません。
>
> ひも理論否定派の僕としては、出来ることなら10次元時空なんて避けたいですね。
>
> >四次元時空という表現も好きでは有りません。
>
> これから好きになってください。とても美しい表現ですよ。
> 電磁気学の教材で、4次元的な書き方の方が、
> (3+1)次元的な書き方よりズッと美しかったでしょ?

 これについては良く分かりませんでした。勉強不足です。

>
> >またパラレルワールドという言葉も好きではありません。
>
> 僕も量子力学の多世界解釈は間違った解釈だと思っています。
> その意味でのパラレルワールドには僕も否定的です。
> 量子力学の解釈ではなくて、宇宙論の用語としてのパラレルワールド、
> というものがあれば、それは認められ得るものかもしれません。
>
 宇田さんの話を聞いてみると僕のイメージしていた時空の拡張は宇田さんの言う宇宙論としてのパラレルワールドの様な気がします。しかし独立のした別の宇宙が有るというのでは納得がいきません。別々に見えるかの宇宙が(僕のは別々には見えないのですが…)干渉しあっていて一つの統一的な宇宙が存在するのだと思います。
2004/08/08/05:55 >宇田さんは素粒子のイメージがあるようですね。
>其れを表現する事は出来ないのですか?

ひもも素粒子のイメージの1つです。
僕のイメージではありませんが。
僕は、既存の素粒子イメージ以外の独自の
素粒子イメージを持っているわけではありません。
既存の素粒子イメージは既に数学的に表現されており、
僕はまだそれを学んでいる段階です。

>素粒子がひもから出来ていると言う所が
>一番受け入れられないのです。

僕もです。

>僕の素粒子のイメージでは
>言葉として10次元時空だとか6次元時空と言う
>言葉を使うしか伝え方が分からないだけです。

ひも理論を否定するが
4より大きな次元の時空を考えるというのは、
矛盾ではありませんが、
そういう時空を考える必要性は主としてひも理論の人が言い出した事である、
という点を考えてみてください。

>僕はこの次元と言う言葉が良く飲み込めていないのか
>好きではないのです。
>直感的に空間という言葉が有れば、
>僕に取っては良いのです。
>四次元時空についても同様です。
>直感的に時空と言う言葉が有ればそれで良いのです。

空間や時空が何次元であろうと、
それをイメージするときには3次元空間をイメージしちゃいますよね。
でも、空間や時空の次元が何次元であるかを問う事には意味があります。
空間や時空の次元、という概念は、絶対に必要です。

<電磁気学の教材で、4次元的な書き方の方が、
<(3+1)次元的な書き方よりズッと美しかったでしょ?
>これについては良く分かりませんでした。勉強不足です。

CAN-2-1-4-23,24よりもCAN-2-1-6-10の方が、
CAN-2-1-7-5~11よりもCAN-2-1-7-12~15の方が、
CAN-2-1-7-17~28よりもCAN2-1-7-29,30の方が、
美しいと感じませんか?

パラレルワールドについては、
個々のワールドが何処にあるのか?
という問いが立ちます。
ということは、パラレルワールドと言い出した時点で既に、
全てのワールドを内包する共通の宇宙というもの
が考えられているわけで、
それが本当の単一の宇宙だと僕は思います。
宇宙は全体である、というのが宇宙の定義だと思うからです。
2004/08/08/22:45 > ひもも素粒子のイメージの1つです。
> 僕のイメージではありませんが。
> 僕は、既存の素粒子イメージ以外の独自の
> 素粒子イメージを持っているわけではありません。
> 既存の素粒子イメージは既に数学的に表現されており、
> 僕はまだそれを学んでいる段階です。

 それって極秘のものですか?

> 空間や時空が何次元であろうと、
> それをイメージするときには3次元空間をイメージしちゃいますよね。
> でも、空間や時空の次元が何次元であるかを問う事には意味があります。
> 空間や時空の次元、という概念は、絶対に必要です。
>

 次元という概念が必要なの分かるのですが、空間や次元をイメージする時、僕は三次元空間から範囲が外れる感じを受けるのです。そうした空間、時間、物質の荒削りなイメージが次元を指定すると不自由に成ってしまう事から出来れば使いたくないのです。

> <電磁気学の教材で、4次元的な書き方の方が、
> <(3+1)次元的な書き方よりズッと美しかったでしょ?
> >これについては良く分かりませんでした。勉強不足です。
>
> CAN-2-1-4-23,24よりもCAN-2-1-6-10の方が、
> CAN-2-1-7-5~11よりもCAN-2-1-7-12~15の方が、
> CAN-2-1-7-17~28よりもCAN2-1-7-29,30の方が、
> 美しいと感じませんか?

 簡素に成っているだろう事は何となく分かるのですが…。
2004/08/09/10:38 <ひもも素粒子のイメージの1つです。
<僕のイメージではありませんが。
<僕は、既存の素粒子イメージ以外の独自の
<素粒子イメージを持っているわけではありません。
<既存の素粒子イメージは既に数学的に表現されており、
<僕はまだそれを学んでいる段階です。

>それって極秘のものですか?

いいえ、まだ黒板(極秘)には掲載されていません。
ひも理論以前の信頼できる素粒子イメージは、
いわゆるクオーク理論の与えるイメージです。
宇田英才教室でこれを取り上げるのはズッと先の事です。

>次元という概念が必要なの分かるのですが、
>空間や次元をイメージする時、
>僕は三次元空間から範囲が外れる感じを受けるのです。
>そうした空間、時間、物質の荒削りなイメージが
>次元を指定すると不自由に成ってしまう事から
>出来れば使いたくないのです。

使いたくないものを無理に使えとは言いません。
僕がどのように使っているかを紹介しましょう。
例えば量子論では状態空間というものを考えます。
これは時空間ではありません。
量子論の状態空間は無限次元ベクトル空間です。
だから量子論の状態ベクトルを絵に描く事は出来ません。
量子論の正確な推論は、あくまで数式を用いて行われねばなりません。
しかし、数式をどのように運用すべきかを知るためのヒントとして、
状態ベクトルを頭の中に思い描く事が有効です。
僕の場合には、3次元ベクトルを思い描きます。
それでいて、無限次元だからこう考えてはダメ、
という部分には注意を払うわけです。

<美しいと感じませんか?

>簡素に成っているだろう事は何となく分かるのですが…。

それで良いんですよ。
2004/08/09/14:16  質量による空間の歪み、運動状態による時間の進み方の違いは四次元時空を崩さないものでしょうか?
 質量による空間の歪みは本当に起こるのでしょうか?
 時間って本質的になんだと思いますか?
2004/08/09/19:08 >質量による空間の歪み、
>運動状態による時間の進み方の違いは
>四次元時空を崩さないものでしょうか?

電磁気学の教材では、
4次元記法と(3+1)次元記法が同じ内容を表わすのでしたが、
曲がった四次元時空においては、
電磁気学の方程式を変更する必要が生じます。
しかし、時空が曲がっているという事で、
理論がダメに成ってしまう事はありません。
曲がった時空における電磁気学の方程式は、
やはり4次元記法で書かれます。
その他の点を考慮しても、
時空が曲がっているから4次元記法がダメに成る、
という事はありません。
むしろ、4次元記法は、曲がった時空においてこそ、
その本領を発揮します。

>質量による空間の歪みは本当に起こるのでしょうか?

正確には、
「質量による」ではなく、「ストレス・エネルギー・テンソルによる」ですが、
ストレス・エネルギー・テンソルによる時空の歪みは実際に起こる、
と考える事を不可能にする実験的証拠が存在しないばかりか、
そう考えると説明が付く実験観測事実はあります。
それ以外の考え方が不可能という証明はありませんが、
僕は、歪んだ時空、というものを現実だと信じています。

>時間って本質的になんだと思いますか?

宇宙やその中で起こった(起こる)現象を整理するための、
番号みたいなものでしょうか。
先先考えずに相対性理論と量子力学を見た後に
振り返ってみる事をお薦めします。
正直言って僕にも時間の本質なんて、
まだ独自の悟りを持っていません。
2004/09/07/17:07  特殊相対性理論と量子力学の相性がひどく悪いと聞いた事が有るのですが、何処が悪いのか具体的に指摘出来ますか?
 相対性理論の重力の記述が量子力学の範囲の局所的な距離に対応出来ないからですか?
 教えて下さい
2004/09/07/17:28 ようこそ。
渡辺さんはどうしてるのかなあ?と思ってました。
僕は今月の14日に東京に行きますが、会いませんか?

>特殊相対性理論と量子力学の相性がひどく悪い
>と聞いた事が有るのですが、
>何処が悪いのか具体的に指摘出来ますか?

憶測ですが、おそらく、
非相対論的量子力学の原理が
非相対論的古典力学のハミルトン形式に立脚しているから
相性が悪いという意見を述べた人が居るのでしょう。
僕も、相対論的量子論を作るには
量子力学の原理を修正する必要があるだろうと
予想していました、
特殊相対論的量子論を学ぶ前には。
ところが、特殊相対論的量子力学および
特殊相対論的場の量子論は、
非相対論的量子論の原理を修正することなく、
その枠内で組み立てられる事を、
その後学んで自分の目で確認しました。
これは驚きでした。シブイ、と思いました。
というわけで特殊相対性理論と量子論は現在では、
絶妙な具合に噛み合っています。

>相対性理論の重力の記述が量子力学の範囲の
>局所的な距離に対応出来ないからですか?
>教えて下さい

特殊相対性理論と量子論の関係においては、
重力は関係無い、と思われますが。
2004/09/07/22:06  14日火曜日は空けられます。ただ足が悪いので池袋くらいまでしか行けませんが?
 でも宇田さんが思ってくれるほど僕は物理の事は解っていません。なのでがっかりするかも知れません。メールを見れば分かると思いますが(笑)
 中堤さんとかも来るのでしょうか?
 あと質問です。特殊相対性理論と量子理論を相いれるために反粒子を考えなければという事も書いて有ったと思うのですが、そもそも反粒子って何ですか?
2004/09/08/06:14 >14日火曜日は空けられます。
>ただ足が悪いので池袋くらいまでしか行けませんが?

池袋OKです。
改札は何個ありますか?
正午までには行けます。
待ち合わせを何時にしますか?

>でも宇田さんが思ってくれるほど僕は
>物理の事は解っていません。
>なのでがっかりするかも知れません。
>メールを見れば分かると思いますが(笑)

そういう事については気にしないで下さい。
ガッカリはしません。

>中堤さんとかも来るのでしょうか?

いいえ、中堤君は来ません。
最初は中堤君と会ってカラオケをする予定だった
のですが、
中堤君は来ない事に成りました。
渡辺さんはカラオケはいかがですか?

>あと質問です。
>特殊相対性理論と量子理論を相いれるために
>反粒子を考えなければという事も書いて有った
>と思うのですが、そもそも反粒子って何ですか?

具体的に言うと、電子の反粒子は陽電子です。
質量が同じ、電荷の大きさも同じ、電荷の符号が逆です。
電子と陽電子をぶつけると対消滅を起こし、
ガンマ線が発生します。
これは質量とエネルギーの等価性の直接的証拠と
考えられます。
2004/09/08/08:08  池袋東口の西武線の出口ではだめですか?
 カラオケは苦手なので昼食を一緒に食べませんか。なので12時に待ち合わせでは?
2004/09/08/13:33 >池袋東口の西武線の出口ではだめですか?
>カラオケは苦手なので昼食を一緒に
>食べませんか。なので12時に待ち合わせでは?

OKです。
PHSからメール送信したのですが、
受信できましたか?
僕のPHS番号は07056784805です。
当日役に立つかもしれませんね。
2004/09/08/17:18  渡邉 郁夫
 携帯:0■0■■■■■■■■
 メールアドレス:kanyuu-sousou@***
 宜しく。僕も食事のマナーは良い方ではありませんよ
2004/09/08/18:04 携帯の番号とアドレス、了解です。
14日の午前中はPHSのスイッチを
オンにしておきます。
何かあったら連絡してください。
それでは、14日にお会いしましょう。
よろしく。
2004/09/11/07:44 > 具体的に言うと、電子の反粒子は陽電子です。
> 質量が同じ、電荷の大きさも同じ、電荷の符号が逆です。
> 電子と陽電子をぶつけると対消滅を起こし、
> ガンマ線が発生します。
> これは質量とエネルギーの等価性の直接的証拠と
> 考えられます。

 この対消滅で質量とエネルギーの保存則は成り立つのですか?
 ガンマ線(電磁波)のエネルギーって大きいのですか?
2004/09/11/08:14 <具体的に言うと、電子の反粒子は陽電子です。
<質量が同じ、電荷の大きさも同じ、電荷の符号が逆です。
<電子と陽電子をぶつけると対消滅を起こし、
<ガンマ線が発生します。
<これは質量とエネルギーの等価性の直接的証拠と
<考えられます。

>この対消滅で質量とエネルギーの保存則は成り立つのですか?

別々には成り立ちませんが、
質量をエネルギーとみなせば、
エネルギー保存則が成り立ちます。

>ガンマ線(電磁波)のエネルギーって大きいのですか?

大きいです。
ガンマ線は電磁波の一種で、
電磁波の量子である光子のエネルギーは、
波長が短いほど大きいのですが、
ガンマ線は波長が非常に短いからです。
2004/10/02/21:49  強い力で結びつけられているクォークはどうして素粒子と呼ばれるのですか?
 どのように発見されて現在はどういう構造として記述されているのですか?
 範囲の狭い内に閉じこめられた素粒子が発見されるとその素粒子に加わる力は大きくなるというところから、プランクスケールは超高エネルギーの物理理論が必要という事ですか?
 素粒子の内側を考えれば考えるほど超高エネルギーになるというのは分かりますが、そもそも原子とか素粒子とかは分割不可能ではないのですか?
 だからクォークという素粒子が考えられると言うことがいまいち分からないのです。究極の素粒子という物があるならばその内部は考えられないのでしょうか?究極の素粒子探しは止めて例えば原子には内部構造が有るとして、原子が静止的なもの(内部と外部の干渉がない)であるイメージを止めてしまえば良いと思います。但し対象はあくまでも原子とし、それと原子の内部と外部に関して干渉があると考える。少し文章を読み直してみたら思ったのですがこのやり方だと原子一個の範囲が定まらないですよね!?
2004/10/03/09:42 >強い力で結びつけられているクォークは
>どうして素粒子と呼ばれるのですか?

あらゆる粒子はクオークとレプトンとボソンの組み合わせで表わされるからです。

>どのように発見されて現在はどういう構造として
>記述されているのですか?

発見の経緯は良く知りません。
スピン1/2のディラック場として記述されます。

>範囲の狭い内に閉じこめられた素粒子が
>発見されるとその素粒子に加わる力は大きくなる
>というところから、
>プランクスケールは超高エネルギーの物理理論が
>必要という事ですか?

まだ勉強していないので分かりません。

>そもそも原子とか素粒子とかは分割不可能ではないのですか?

素粒子は分割不可能ですが原子は分割不可能ではありません。
原子は電子と中性子と陽子に分割されます。
中性子と陽子はクオークで出来ています。
電子は素粒子です。電子はレプトンです。
クオークは素粒子ですが、内部自由度を持ちます。
内部自由度を持つという事と分割可能という事とは違います。

>究極の素粒子という物があるならば
>その内部は考えられないのでしょうか?

素粒子論においての専門用語「内部」は多分
渡辺さんの考えているようなものではありません。
2004/10/06/00:53  素粒子論においての専門用語「内部」はどういう事を表しているか分かりますか?
 雑誌Newtonで、超弦論の解説で四次元時空と残りの六次元が粒子の大きさに縮まった図が有ります。超弦論ではないにしても、粒子の内部には四次元時空の広がりが有ると単純に考えてしまいますが…。僕は粒子の内部と外部の次元が違うことに違和感が有ります。物理学はいかに創られたか-アインシュタイン他著、下巻 場・相対性(二)の章の場と物体の項で物体も場もエネルギーの強弱の違いは有っても同じエネルギーとして扱えるだろうと言うことを言っています。エネルギーが非常に多量に集中するとマクスウェルの法則や万有引力の法則は破れてしまう、そのため場とエネルギーの非常に多量に集中した物体を供に扱える事が出来ないという風に書いて有ると思います。僕はその物体と場が一つの法則で扱える方法が有ると思います。思うに、物体の内部も外部も四次元時空であり、場から物体もしくは物体から場あるいはその両方の間にエネルギーのやりとりが起こっても不思議ではないと思います。教えてくれた、クォーク、レプトン、ボゾンのような素粒子の「内部」という意味ではなくてですが…。電子はレプトンという素粒子と言うことしたが、詳しくは分からないのですが電子の運動による磁場の発生は電子の内部のエネルギーの一部と「電子の運動による」エネルギーが磁場のエネルギーに変わると考えては駄目ですか?
2004/10/06/13:37 >素粒子論においての専門用語「内部」は
>どういう事を表しているか分かりますか?

たとえば、
電子は位置座標以外の内部自由度を持つ、
と言われますが、
これは、各時刻の電子の状態を表わすには、
位置座標(x,y,z)だけを述べたのでは不十分であって、
スピンとよばれる物理量sまで含めて(x,y,z,s)を指定しなければ
電子の状態を完全に指定した事にはならない、
という意味です。
sが内部自由度です。
このように、素粒子が内部自由度を持つという事は、
素粒子の体積がゼロよりも大きい、という事ではありません。
電子の場合には、位置座標は(x,y,z)であるから、
電子の体積はゼロです。
この事は、内部自由度sが存在しても変わりません。
したがって、内部自由度を持つという事は、
体積がゼロよりも大きいという事ではないのです。
体積がゼロならば、分割する事は出来ませんね。

>雑誌Newtonで、超弦論の解説で
>四次元時空と残りの六次元が粒子の大きさに
>縮まった図が有ります。
>超弦論ではないにしても、粒子の内部には
>四次元時空の広がりが有ると単純に考えて
>しまいますが…。

時空の次元が4より大きい理論については、
僕はまだ勉強していないので分かりません。

>僕は粒子の内部と外部の次元が違うことに
>違和感が有ります。

電子の例を見れば分かるように、
内部自由度(スピン)の次元と外部自由度(位置座標)の次元とが
等しくなる方が、ありそうにない事なんじゃあないですか?

>物理学はいかに創られたか-アインシュタイン他
>著、下巻 場・相対性(二)の章の場と物体の項で
>物体も場もエネルギーの強弱の違いは有っても
>同じエネルギーとして扱えるだろうと言うことを
>言っています。
>エネルギーが非常に多量に集中すると
>マクスウェルの法則や万有引力の法則は破れて
>しまう、そのため場とエネルギーの非常に多量に
>集中した物体を供に扱える事が出来ないという風>に書いて有ると思います。

相対性理論の授業で、一般相対性理論の説明を見てから、
この部分の真意を考えてみてください。
エネルギーが存在すれば時空が曲がります。
そこではマクスウェル方程式は成り立たなくなり、
ニュートンの万有引力の法則も成り立ちません。
しかし、一般相対性理論は、
マクスウェル方程式とニュートンの万有引力の法則の代替物として、
曲がった時空の上でも正確に成り立つ法則を提示します。
したがって、
マクスウェル方程式とニュートンの万有引力の法則
に代わる正しい法則を探す問題は、
未解決の問題ではなく、一般相対性理論によって解決済みです。

>僕はその物体と場が一つの法則で扱える方法が
>有ると思います。

「一つの」というのがどういう事か分かりませんが、
一般相対性理論では、
重力場方程式に効いて来る、物体と場の効果は、
ストレス・エネルギー・テンソルと呼ばれるものあり、
このことは、渡邉さんの望むように、
物体と場がエネルギーの観点から統一的に眺められている、
という事かもしれません。

>思うに、物体の内部も外部も四次元時空であり、

この事の是非については
僕はまだ勉強してないので分かりません。

>場から物体もしくは物体から場あるいは
>その両方の間にエネルギーのやりとりが
>起こっても不思議ではないと思います。

はい、実際にその様になっています。

>電子はレプトンという素粒子と言うことしたが、
>詳しくは分からないのですが
>電子の運動による磁場の発生は電子の内部の
>エネルギーの一部と
>「電子の運動による」エネルギーが
>磁場のエネルギーに変わると考えては
>駄目ですか?

電子が運動すると磁場が出来るという現象は、
電子のスピンに由来する現象ではありません。
答えは「駄目」です。
電子と電磁場とのエネルギーのやり取りは、
CAN-2-1-15に書かれています。
電子の運動エネルギーと電磁場のエネルギーとの和は
時間が経っても変化せず、
したがって、
電子の運動エネルギーと電磁場のエネルギーとは、
時間の経過とともに、
互いに他に移り変わっている、と見る事が出来ます。
2004/10/08/10:08 > 電子の例を見れば分かるように、
> 内部自由度(スピン)の次元と外部自由度(位置座標)の次元とが
> 等しくなる方が、ありそうにない事なんじゃあないですか?
>

 それは分かります。ただ素粒子の内部も外部も時空の広がり方は同じであって超弦論のように内部空間が六次元空間だとかいうのに違和感が有るという意見です。
 宇田さんと会った時、電子の内部自由度の話しなどしてくれましよね。はっきりと覚えていないので今度も同じ話しになるかもしれませんが宜しくお願いします。
 また場の記述についても話してくれたのですがもう一度説明してくれませんか?

> 物体と場がエネルギーの観点から統一的に眺められている、
> という事かもしれません。
>

 断言は出来ないのですか?
 物体と場がエネルギーとして統一的に表されているなら文句の言いようが有りません。ただ此処で言っている場とは重力場との事だと思うのですが、電磁力や弱い力や強い力ののような場?をも含まれているのですか?
 アインシュタインの理論は弱い力と強い力は発見されていなく、電磁気学の電磁場とアインシュタインの重力場は統一されていなくアインシュタインは統一場理論でその完成を目指してのですよね?
 現代物理では統一場理論は完成されているのでしょうか?

 スピン(内部自由度)は電子の運動の磁場の発生の関係なく起こる現象とのことですが、電子の質量(エネルギー)の一部が磁場のエネルギーに変わりまたその逆も起こるという事が間違っているのですか? 教えて下さい。
2004/10/08/15:23 >宇田さんと会った時、電子の内部自由度の話し
>などしてくれましよね。
>はっきりと覚えていないので今度も同じ話しに
>なるかもしれませんが宜しくお願いします。
>また場の記述についても話してくれたのですが
>もう一度説明してくれませんか?

まず、「場形式」というものを説明しました。
場形式というのは記述形式(つまり書き方)で、
同じ物理的事象を場形式で記述したり
それ以外の形式(力学形式と呼ぶことにする)で
記述したり出来る場合があります。
そして、
場形式で記述は出来るが力学形式では記述できない物理事象ないし実在を「場」と呼びます。

場形式というのは、たとえば、学校の中で、
各時刻に誰がどこの席に座っていたかを記述しなくてはいけないときに、
全ての時刻すべての席に渡って、
「コレコレの時刻にコレコレの席が」を主語とする、
「コレコレの時刻にコレコレの席が誰々によって座られていた」
という文を書き連ねて記述する方法です。
これが場形式の記述です。
同じ事を別の書き方で表現する事も出来ます。
それは、
すべての生徒について全ての時刻に渡って、
「誰々が」を主語とする
「誰々がイツイツドコドコの席に座っていた」
という文を書き連ねて記述する方法です。
これが力学形式の記述です。
どの生徒が何時どの席に座っていたかを記述するに際しては、
場形式で記述する事も出来るし力学形式で記述する事も出来ます。
しかし、物理現象の中には、
場形式で記述する事は出来るが力学形式で記述する事は出来ない、
という類の現象も存在します。
そういうものを実在としての「場」と呼びます。
その具体例は電磁場です。
2004/10/08/15:34 <電子の例を見れば分かるように、
<内部自由度(スピン)の次元と
<外部自由度(位置座標)の次元とが等しくなる
<方が、ありそうにない事なんじゃあないですか?
>それは分かります。
>ただ素粒子の内部も外部も時空の広がり方は
>同じであって超弦論のように内部空間が六次元
>空間だとかいうのに違和感が有るという
>意見です。

粒子の座標というものを
(x,y,z,t,s1,・・・,sn)としたときに、
(x,y,z,t)を時空座標とするとき、
内部自由度と外部自由度の次元が等しい、とは、
n=4という事です。
渡邉さんが、そうでなくては気持ちが悪い、
と感じる理由が分かりません。
僕は全然そうは感じません。
2004/10/08/15:39 <物体と場がエネルギーの観点から統一的に眺められている、
<という事かもしれません。
>断言は出来ないのですか?
>物体と場がエネルギーとして統一的に表されて
>いるなら文句の言いようが有りません。
>ただ此処で言っている場とは重力場との事だと
>思うのですが、
>電磁力や弱い力や強い力ののような場?をも
>含まれているのですか?

はい、含まれています。
ただし、重力場だけが特別で、
重力場のストレス・エネルギー・テンソルというものは
ありません。
重力場以外の場と物体は、
一般相対性理論においては、等しく
ストレス・エネルギー・テンソル(エネルギーの概念を拡張したようなもの)
で表わされます。
2004/10/08/15:43 >アインシュタインの理論は弱い力と強い力は
>発見されていなく、電磁気学の電磁場と
>アインシュタインの重力場は統一されていなく
>アインシュタインは統一場理論でその完成を
>目指してのですよね?

はい、そうです。

>現代物理では統一場理論は完成されているので
>しょうか?

いいえ、まだです。
2004/10/08/15:54 >スピン(内部自由度)は電子の運動の磁場の
>発生の関係なく起こる現象とのことですが、
>電子の質量(エネルギー)の一部が磁場の
>エネルギーに変わりまたその逆も起こるという
>事が間違っているのですか? 教えて下さい。

電子の質量全部や一部が電磁場のエネルギーに変わる事はあります。
その逆も起こり得ます。
しかし、この事は、
内部自由度に付随する電子のエネルギーが存在する事
とは違います。
スピンがエネルギーに変わった、とは考えないのです。
論理的可能性としては、
内部自由度に付随するエネルギーというものは
有ってもおかしくないのですが、
実際には電子についてはそういうものは無く、
電子のスピンと磁場の結合エネルギー(相互作用エネルギー)
というものなら有ります。
これは電子のエネルギーでもなければ磁場のエネルギーでもなく、
電子と電磁場を合わせた系のエネルギーと考えられます。
したがって、
電子が消滅してその分のエネルギーが電磁場のエネルギーに変わっても、
それは、
スピンのエネルギーが電磁場のエネルギーに変わったのではなく、
結合エネルギーという電子プラス電磁場の系全体のエネルギーが
電磁場のエネルギーに変わった、
と考えられるのです。
2004/10/08/18:09 > 粒子の座標というものを
> (x,y,z,t,s1,・・・,sn)としたときに、
> (x,y,z,t)を時空座標とするとき、
> 内部自由度と外部自由度の次元が等しい、とは、
> n=4という事です。
> 渡邉さんが、そうでなくては気持ちが悪い、
> と感じる理由が分かりません。
> 僕は全然そうは感じません。
>

 (x,y,z,t,s1,・・・sn)と(x,y,z,t)の「x,y,z,t」のまでの時空?が一緒でないと違和感を感じると言う事みたいです。当たり前の事でしたか…。話しをきちんと覚えていなかったようです。今日は色々と説明してくれて有り難う御座います。ところで僕は宇田さんに沢山の事を聞いていて人に物理の事を話しする時に何処を宇田さんという人が教えてくれた事ですと言えば良いのでしょうか?
2004/10/09/16:46 >ところで僕は宇田さんに沢山の事を聞いていて
>人に物理の事を話しする時に何処を宇田さんと
>いう人が教えてくれた事ですと言えば良いので
>しょうか?

これは難しいい問題です。
徹底すれば、
「今自分が使っている言語は皆さんよくご存知の
 日本語ですが、これを僕は独学でマスターした
 のではなく、幼児期に両親から学び取った事や、
 学校の国語教育に負う所が大きく、しかし、
 それだけではなく、自主的に独自の勉強をした
 事にも大きく依存します。自分で自主的に読ん
 だ書物は・・・」
などと言わなくてはいけないのか?という事に
なりますから。

基準としては、
自分が言わなくても話相手に分かるのはどこまでか

を基準にすると良いと思います。
相手が、
「それは面白い意見だ、あなたが自分で考えたのか?」
とか
「詳しいねえ、それって、独学で得た知識なの?」
と感じるであろう部分は、
そう感じるであろう、とか、そうは感じないであろう、とか、
渡邉さんが判断して、
そう感じるであろう、と思う場合には、
事実がどうであるのかを、言う方が良いと思います。
事実がどうであるのか、というのは、
宇田から聞いた、とか、本で読んだ、とか、
自分で考えた、とか、そういう事です。
2004/10/09/16:50 今日僕はウェブカメラを購入しました。
将来的に本格的なオンライン学習塾を実施するためです。
もし良ければ、渡邉さんに、動作確認実験に協力してほしいのですが、
いかがですか?
Windows Messengerとか
MSN Messengerとか、そちらにありますか?
「スタート」>「すべてのプログラム」>「・・・」
とすれば出るはずなのですが。
2004/10/09/21:14  MSN Messenger 6.1 というのは確認できました。
 分からない事だらけだと思いますが僕で良ければ確かめますよ!
2004/10/10/11:14 >MSN Messenger 6.1 というのは確認できました。
>分からない事だらけだと思いますが
>僕で良ければ確かめますよ!

有難う御座います。

まずHotmailアドレスを取得してください。
これはメールアドレスです。
取得方法は
http://messenger.msn.co.jp/Download/
内のリンク
「Hotmailアカウント(無料)にサインアップします」

次に、「MSN Messenger」を起動し、
「サインイン」ボタンをクリック。
Hotmailアドレスとパスワードを入力し「OK」をクリック。

次に、「メンバの追加」をクリックし、
「追加したいメンバの電子メールアドレスを入力する」
を選択した後「次へ」をクリック。
さらに、
僕のアドレス(***@hotmail.com)を入力後、
「次へ」をクリック。
最後に「完了」をクリックです。

終わったら
僕に渡邉さんのHotmailアドレスを教えて下さい。
2004/10/10/14:20  Hotmailアドレス:ikuo***@hotmail.com です。
 ただビデオメール?みたいのは出来ないようですが。
2004/10/10/15:39 少し外出して来ました。
渡邉さんが無事Hotmailアカウントを取得できた事を確認しました。
おめでとう御座います。
僕のメンバリストに渡邉さんのHotmailアカウントを
追加しました。
僕の方は今日はこれからしばらくオンラインにしておきます。
好きな時にコールしてみてください。
コールの方法は以下の如くです。

MSN Messengerを起動する。
「その他」をクリック。
「ビデオチャットの開始」をクリック。
僕を選択して「OK」をクリック。
「カメラの開始」をクリック。

都合が悪かったり、僕が出なかったりしたときには、
メールででも都合の良い日時を教えて下さい。
2004/10/10/20:56  チャットって結構面白いですね。
 ただ一時間ちょっと打ちっぱなしは疲れてしまいました。
 ビデオチャットだと離れていても関係ないという感じですね!
2004/10/11/12:55 >チャットって結構面白いですね。
>ただ一時間ちょっと打ちっぱなしは疲れてしまい
>ました。
>ビデオチャットだと離れていても関係ないという
>感じですね!

はい、そうですね。
MSN Messengerはダメでも
Yahoo! MessengerならXP無しでビデオチャット出来るかも
しれませんので、
近い内にその辺の情報をお知らせします。
2004/10/11/13:54 僕の方もMSN Messengerを6.2にヴァージョンアップしました。
するとサインインが出来なくなりました。
この不具合が一時的なものに過ぎないらしい情報も見つけましたが。

Yahoo! Messengerだと、
XPでなくてもビデオチャットが出来そうな気配が濃厚です。

僕は約1万円のウェブカメラを買いましたが、
5千円程度のもあります。
でも、僕のノートと生徒さんのノートが
互いに相手に見えなくてはいけないので、
安価なウェブカメラは使えないかもしれません。

とりあえず、明日あたりに僕の古いマイクを送ります。

Yahoo! Messengerの入手方法は
http://messenger.yahoo.co.jp/messenger/download/
から「Yahoo!メッセンジャー」をダウンロードです。

そのあと、このメッセンジャーを起動して、
IDを取得してください。
そして僕にIDを教えて下さい。
もし良ければ、やってみてください。
僕のIDはredwebstarです。
これをメンバに追加すれば、
昨日のように通信できると思います。

通信の都合の良いときを教えて下さい。
僕は今日これからYahoo! Messengerをオンラインにしときますが、
パソコンから離れるときがたくさんあると思います。
2004/10/12/11:14 今マイクを郵便局に出してきたところです。
2004/10/12/12:01 僕の塾では、
生徒さんに僕のノートを説明できる能力を身に着けさせる事を目標にする、
と言いましたが、
そして渡邉さんから「生徒の独創性はどうなるのか」
という意見を頂いたわけですが、
出産を引き合いに出してみると僕の方針を弁護できるのではないか、
と思います。

つまり、僕達は出産時には、親のコピーとして誕生するわけです。
独創性は誕生後に育まれて行くわけです。
それと同様に、僕の教育は、生徒さんを僕のコピーとして誕生させる事です。
生徒さんの独創性は、
僕の塾の過程を一応終了した後に育まれて行けば良いと思います。
出産において、親のコピーである事を完全に否定したのでは、
生物としてのヒトには成れません。
それと同様に、物理学の伝統の継承を完全に否定したのでは、
物理学の研究としては、
まだ何も分からなかった古代の人々のレベルから
出発しなくてはいけません。
それでは死ぬまでに到達できるのはやはり古代のレベルでしょう。
また、出産において子が親のコピーとなる事は、
子が親の個性を受け継ぐ事であり、
その部分は子の個性とみなせます。
それと同様に、僕の生徒さんが僕のコピーとして誕生する事は、
生徒さんが僕の個性を受け継ぐ事であり、
その部分は生徒さんの個性とみなせるでしょう。

では、僕の塾では独創性を全く尊重しないのか、
というと、そんな事はありません。
生徒さんには、
僕のノートを書き写して後、
僕に向かってそれを説明してもらいます。
その際の説明の仕方に
生徒さんの独自性が出る場合があると思います。
もっと独創的な生徒さんは、
ノートを丸写しにしたものではなく、
僕のノートをもとにしてそれとは違う独自のまとめを作り、
それを僕に向かって説明するかもしれません。
それもOKだと僕は思っています。

生徒さんは、僕の塾の過程を終了した後には、
僕がまとめノートを作ったのと同じ範囲について、
色々な文献を参考に僕とは違ったまとめを作るかもしれません。
そこに生徒さんの独自性が現れる余地がありますし、
その際には僕のノートはかなり参考になると思います。

あ!それから、
「オンライン塾の本格的な実施に向けて」とか言いましたが、
これは、
渡邉さんには中途半端な接し方しかしない、
という意味ではありません。
既に渡邉さんは僕の生徒に成ってくれてるからには、
現段階でも渡邉さんには本格的に接するつもりです。

最後に努力についてですが、
物理学についてであるにせよ数学についてであるにせよ、
何か新しくて正しくて重要な事を考え出したいと思うなら、
努力しなくても今の自分が既に出来るかもしれない、
という期待にすがってはいけない、
と僕は思っています。
他人の2倍の優秀さを手に入れるためには
他人の3倍でも5倍でも10倍でも努力する、
という心がけがなければ、
成功は出来ないと思います。
それゆえ、
渡邉さんの「僕は1を聞いて10を知りたがる」という
努力を惜しむ発言が気になってます。

また、気軽に質問でも何でも声をかけてください。
楽しみに待ってます。
2004/10/12/15:17 いきなりですが、
僕の物理学研究のメインテーマは
「文法レベルでの自然」
と僕が呼ぶものです。

渡邉さんは、
現代物理学の概説書・紹介書を参考にするから、
イメージにおいては古代人をはるかに超える事が出来る、
と考えるかもしれません。

しかし、概説書や紹介書は
自然についての最近の理論の文法的な部分の説明を省略して、
その文法に則って語られる物語を、
日常語の文法を用いて語ろうとします。
紹介書のこの特長を僕は常日頃から快く思っていません。

なぜなら、概説書や紹介書を読んでも、
文法レベルでの自然についてのイメージを得る事は出来ず、
文法レベルでの自然のイメージに比べて、
物語レベルでの自然の重要性は取るに足らぬものだと思うからです。

精密な勉強をしなくてもイメージなら僕にも、
と思うかもしれませんが、それは違います。
真のイメージというものは非常にデリケートなものであり、
精密な勉強をして初めて得られるものなのです。

僕はイメージの重要性を否定するわけではなく、
文法レベルでの自然のイメージは究極目標だとすら思います。
僕が懸念しているのは、
日常語文法を用いて語られる自然の物語イメージが
アラスジとしてまかり通ってしまう事です。
2004/10/13/19:18 MSN Messengerのセキュリティ設定法をお知らせします。

「ツール」>「オプション」>「プライバシー」
>「許可するメンバのみにオンライン状態を公開し
  メッセージの送信を許可する」
  チェックボックスにチェック
>「オンライン状態を公開しメッセージを受信する」窓の中に
  「ikuo」と「REDwebSTAR」のみを残し、
 それ以外を右クリックして削除する。
>「OK」

よかったら、Yahoo!メッセンジャーも使えるようにしてみてください。
2004/10/18/22:27 ただいま22時24分。
音声チャットへ招待してくれたみたいですね。
出れなくてごめんなさい。
これからパソコンのスイッチを切ります。
明日朝にはまたスイッチを入れて、
明日は日中はMSN Messengerをオンラインに
したままにしておきます。
オンライン時でも僕がパソコンから離れてて出れない事があります。
2004/10/20/14:21  パソコンを再インストールしたのですが、パソコンの調子が原因ではないようです。
 兄と知り合いの人がMSNメセンジャーで音声チャットを試みたのですが、駄目だったようです。
 兄がホームページで調べてみた様なんですが詳しいことは分かりませんでした。
2004/10/20/14:25  電磁波などは力学形式では記述できなくて、場形式で記述は記述できるということが分かりません。
 つまり場形式でしか記述できない現象が僕にはイメージできません。教えて下さい。
2004/10/20/14:57 >パソコンを再インストールしたのですが、
>パソコンの調子が原因ではないようです。
>兄と知り合いの人がMSNメセンジャーで
>音声チャットを試みたのですが、
>駄目だったようです。
>兄がホームページで調べてみた様なんですが
>詳しいことは分かりませんでした。

ウィンドウズのバージョンが古いからでしょうか。
良ければ「Yahoo!メッセンジャー」を試してみてください。
2004/10/20/15:19 >電磁波などは力学形式では記述できなくて、
>場形式で記述は記述できるということが
>分かりません。
>つまり場形式でしか記述できない現象が
>僕にはイメージできません。教えて下さい。

電磁波は電磁場です。
電磁場一般は時空座標(x,y,z,t)の関数で記述されます。
この関数の値は6成分ベクトルです。
    F1(x,y,z,t)
    F2(x,y,z,t)
    F3(x,y,z,t)
    F4(x,y,z,t)
    F5(x,y,z,t)
    F6(x,y,z,t)
このFが与えられたとして、
Fで現される電磁場とは何なのか、は定義されません。
ただ言える事は、
電磁場は4変数6成分関数で表わされ、
電磁場を表わす関数はマクスウェル方程式に従う、
という事、
および、荷電粒子が電磁場から受ける力がローレンツ力の法則によって与えられるという事、
だけです。
数学で「直線」とか「平行」とかいう語が定義されず、
それらの語を含む公理によってそれらの語の用法が規定されるのみであった事を、
思い出してください。
電磁場という語は、物理学において、そういう取り扱い方をされる語です。
定義域が時空だから、上の記述の仕方は場形式です。
場形式で表わすとは、定義域が時空である関数で表わす、という事です。
力学形式で電磁場を表わすとは、
電磁場を、音波等のような物質を媒体とする波と考え、
その媒体を構成する粒子一つ一つの運動をすべて正確に記述する事によって、
電磁波を表わす、という事です。
このような行き方が駄目である事は、
エーテル理論の失敗によって明らかになりました。
2004/10/20/15:50 今台風で停電が来たらいけないので、
パソコンの電源を切ります。
明日は外出のため、夕方までオンラインにできません。
2004/10/20/17:26  僕も電磁波が音波のように物質を媒介として伝わるとはイメージしてはいなかったようです。
 しかし僕は電磁波はエネルギー量子とその時空が関わって発生しているようにイメージをしていますが間違っていますか?
 場形式でしかあらわせない現象は少し分かりました。


■■での台風の被害は大丈夫ですか?
2004/10/21/21:39 >僕も電磁波が音波のように物質を媒介として
>伝わるとはイメージしてはいなかったようです。
>しかし僕は電磁波はエネルギー量子とその
>時空が関わって発生しているようにイメージを
>していますが間違っていますか?

電磁波の発生に時空が関わっているかどうか
までは知りません。
というか、
電磁波の発生に時空が関わっているとはどういうことなのか、
電磁波の発生に時空が関わっていないとはどういうことなのか、
というあたりが僕には分かりません。
エネルギー量子についても同様です。

基本的に電磁波の説明は「電磁気学」の教材に書かれているので、
僕としては、
電磁波についての質問は「電磁気学」の教材を学習したけれど解決しなかった疑問点を質問して欲しいです。
「電磁気学」の教材を勉強せずに電磁波について訊かれる事を嬉しく思いません。
あれを勉強せずに僕の略式の説明を聞いても、
精密な理解やそれに基づくイメージは得られないと思います。
哲学的な見地からは、
僕の「古典物理学」を読む方が良いかもしれません。

>場形式でしかあらわせない現象は少し分かり
>ました。

それは幸いです。

>広島での台風の被害は大丈夫ですか?

今までで一番強い風が吹きましたが、大丈夫でした。
心配してくれて有難う御座います。
2004/10/22/07:47  既に宇田さんが作り上げた講義をまず勉強する事にします。
 一つ質問です。宇田さんの講義ノートに使われている数学は自家製と聞いていますが、僕にはその数学が理解できません。宇田さんの講義ノートを理解するのに必要な数学の前提はなんですか?僕は高校数学の問題は解けないが理解は出来るというレベルです。数学の正しい理解がないと物理的な理解は出来ないと思うのですが…。
2004/10/22/14:07  力学のノートをざっと読みました。どういう構成か少し分かりましたが、僕の力ではまだ早すぎるような気がします。高校の数学と物理と化学それと英語をきちんと理解しようと思っています。
 僕は一般相対性理論をアインシュタインの論文をとうして学びたいのですが、宇田さんはそれをやる気はありますか?
 アインシュタインの全論文(研究ノートを含む)を骨格として物理学を把握したいと思いますがそれだけでは不十分ですか?
 僕の物理学においての自立をそこに置きたいのです。
 宇田さんに今まで聞いたりして、確認をして行った物理イメージやそれ以外のイメージこれから勉強して得るイメージを科学的にというか文学的に近い表現でなるべく数学的な正確さを持って言語を確立したいです。そこに至って僕はδの表現を具体化させて行きたいと思っています。
 以上は宇田さんに今は教わることが無いと言っているのではありません。
2004/10/22/17:24 >既に宇田さんが作り上げた講義をまず勉強する事にします。

そうしてくださると幸いです。
僕は、聞く前に自分で勉強しろ、と言ってるのではありません。
渡邉さんの質問にキチンと答えようとすると、
初歩的なことから順を追ってお話しすることになり、
その長い長い説明の最初から途中までは、
僕がノートに書いている事そのものだ、
という事なんです。
だから、僕のノートを独力で消化できなくても、
つまずいたら、遠慮なく僕に助けを求めてください。

>一つ質問です。
>宇田さんの講義ノートに使われている数学は
>自家製と聞いていますが、
>僕にはその数学が理解できません。
>宇田さんの講義ノートを理解するのに必要な
>数学の前提はなんですか?
>僕は高校数学の問題は解けないが理解は出来る
>というレベルです。
>数学の正しい理解がないと物理的な理解は
>出来ないと思うのですが…。

物理を学ぶに当たっては、数学は予備知識です。
だから、渡邉さんのおっしゃる通り、
数学の正しい理解は必要です。
僕のノートに書かれている数学が自家製、
というのは、僕はそんなこと言いましたっけ?
たしかに、伝統的・慣習的な記法からはずれた記法を
僕が取る事はあります。
しかし、一から十までオリジナル、というのではなく、
パーセンテージとしては、
僕独自のものは、ほんの一部分に過ぎません。
僕の本「古典物理学」にくらべて教材ノートは、
物理学者養成コースと考えていますので、
伝統の轍の欠陥が大き過ぎない限りは、
できるだけ慣習的な記法を僕は用いています。
渡邉さんが「見慣れない記号だなあ」と感じているもののほとんどは、
おそらく僕独自のものではなく、
物理学者の間で広く慣習的に用いられているものだと思います。
高校数学の後の大学の数学としては、
「線形代数」「微積分」「ベクトル解析」
あたりを予備知識として知る必要があります。
これらについて僕に説明を要求すれば僕は説明します。
2004/10/22/17:47 >力学のノートをざっと読みました。
>どういう構成か少し分かりましたが、
>僕の力ではまだ早すぎるような気がします。
>高校の数学と物理と化学それと英語をきちんと
>理解しようと思っています。

化学や英語を渡邉さんがどうしてもやりたければ、
僕はそれをとめはしませんが、
僕のノートを学習するためには
化学や英語は全く必要ありませんよ。
高校の数学については、
渡邉さんが望めば僕は手助けできます。

>僕は一般相対性理論をアインシュタインの論文を
>とうして学びたいのですが、
>宇田さんはそれをやる気はありますか?

ごめんなさい。僕はやる気はありません。
渡邉さんの独自の勉強に期待します。
余計なお世話かもしれませんが、
アインシュタインの原論文で学習する、というのは、
科学史を志すのでなければ、
現代の時流に合わない非効率的な勉強法です。
僕は僕のノートで勉強して欲しいと感じます。
そうして良かったと思ってもらえるノートを作ったと、
僕は思っています。

>アインシュタインの全論文(研究ノートを含む)を
>骨格として物理学を把握したいと思いますが
>それだけでは不十分ですか?
>僕の物理学においての自立をそこに置きたい
>のです。

量子論の知識無しで出来る範囲の時空の研究ならば、
それだけの予備知識でも研究者としての自立を
する事が、かなり才能のある人なら出来るかもしれません。
しかし、量子論の知識無しで出来る時空の研究も、
アインシュタインの時代から現代までにかなり進歩しています。
その部分を既存の文献で学習してからでないと、
研究者としての自立は難しい、
と考えるのが普通だと思います。
さらに、量子論の知識無しで出来る研究だけでなく、
物理学の量子論まで含めた現代までの発展を知った上で、
その先に論を進めるような研究をしようと思う場合には、
量子論も勉強する必要があります。
クォーク理論などまで勉強してから独自の問題に取り組み始める、
というのが、今のところ標準的な学習手順だと思います。

>宇田さんに今まで聞いたりして、
>確認をして行った物理イメージやそれ以外の
>イメージこれから勉強して得るイメージを
>科学的にというか文学的に近い表現でなるべく
>数学的な正確さを持って言語を確立したいです。
>そこに至って僕はδの表現を具体化させて
>行きたいと思っています。
>以上は宇田さんに今は教わることが無いと
>言っているのではありません。

はい、そう出来る日が来る事を僕も期待して待ちます。
2004/10/22/22:57 ID取得は下記です。

http://edit.yahoo.co.jp/config/
eval_register?.intl=jp&new=1&.done=http%3a//
edit.yahoo.co.jp/config/
eval_profile%3f.src=acct%26.intl=jp%26.done=
http%253A%252F%252Fwww.yahoo.co.jp
&.src=acct&.v=0&.u=3gbrp6d0ni3pk&partner=&.p=&promo=&.last=

Yahoo!メッセンジャーのダウンロードは下記です。

http://messenger.yahoo.co.jp/messenger/download/
2004/10/23/13:01 僕が買ったのは、
http://www.amazon.co.jp/
exec/obidos/ASIN/4010751908/
qid=1098503643/sr=1-3/ref=sr_1_10_3/250-7812078-3044215
これです。

この後に新版が2種類出てます。
僕の買ったのが一番古いみたいです。
今でも入手できそうです。
買うなら急いだ方が良いと思います。
2004/10/23/13:57  アドレス:ikuo***@***.co.jp です。
2004/10/25/15:04 僕の
MSN Messengerはいつも「取り込み中」
Yahoo!メッセンジャーはいつも「ただいま多忙」
になっていると思いますが、
僕はいつも何かしらの事をしているので、
そういう風に表示させているだけで、
いつも通信できない状態にあるわけではありません。
晩御飯が僕は午後8時以降なので、
午後6時や午後7時から午後8時までの間とかは、
文字チャット等できる事が多いと思います。

渡邉さんのマイクの調子は電池ボックスに力を加えると変わる、ということを思い出しました。
だから、調子の悪いときには電池ボックスに力を加えてみたり
電池ボックスを開け閉めしてみたりし、
調子の良いときには電池ボックスに手が触れないように、
僕は気を付けました。
2004/10/25/15:21 量子論の本質は「波動・粒子の二重性」か?
という問題についてですが、
僕は、
量子論の本質はそういうものではなく、
量子論の本質は文法の変更だ、
と考えています。
理由は、
歴史的には、
現象の波動・粒子の二重性というものが
その現象を記述する文法の変更をせまったわけですが、
それは最初、量子力学が作られるときだけの事であって、
その後、量子力学から場の量子論へ進むときには、
波動・粒子の二重性がそれを必要としたのではないのに対して、
量子力学が作られるときと、量子力学から場の量子論へ進むときでは、
文法に対する同じ変更が行なわれるからです。
そしてこの変更を「量子化」と呼びます。
したがって、
波動・粒子の二重性よりも文法の変更の方が量子論の本質だ、
と考えられます。
2004/11/11/20:22  僕は宇田さんに学んだ事を自分の言葉で話したいと言いましたが、僕はやっと量子力学がどういうものか少し分かって来ています、けれど素朴実在論的な立場をどうやら自己の指導原理としているところが有るようです。量子力学では不確定性原理というものが有り、素朴実在論的な電子の古典軌道は否定される事は容易に示されるのですが、僕はどうしても素朴実在論的な立場を否定するまでには行かないのです。
 量子力学の確率解釈とか或いは、アインシュタインの言う確率波などの量子力学的な見解を、その見方が間違っているから、書き換える必要が有るというのではなく「実在論」の立場で表現することが必要であると感じます。
 分析から総合を導き出す過程の微分方程式というものが正確な意味を持つために微分作要素?が確かなもので無ければならない様に、決定論的な物理事象を捉えるためには「実在論」の立場に立たなければ面白くないという僕の主張が有ります。
2004/11/12/16:13 僕は、渡邉さんの持つべき方針について、
学んだ後自分の言葉に直す、という方針を
学ぶ前にあらかじめ持つのは正しくなくて、
学ぶ事によって、自分の言葉に直す必要があるか否かを確かめ、
必要があれば自分の言葉に直す、
という方針を持つのが正しい、と言いました。

学んだ事について自分の言葉に直す必要があるという事は、
才能があるという事であり、
そういう必要が無いという事は才能が無いという事です。

自分にはきっと才能がある、と学ぶ前から信じる事は、
間違った事ではありません。

>量子力学の確率解釈とか或いは、
>アインシュタインの言う確率波などの
>量子力学的な見解を、
>その見方が間違っているから、
>書き換える必要が有るというのではなく
>「実在論」の立場で表現することが必要であると
>感じます。

必要か否かを予想するのは構いませんが、
必要か否かの判断は、あくまで、
量子力学をキチンと学習してからでないと出来ない、
と思います。
2004/11/15/17:09 http://www.f3.dion.ne.jp/~x-wooder/Mail.htm

簡単な問題やdについての考え方を書いておきました。
2004/11/18/22:56  解いてみて下さいの答えは、0、高校の授業で不定形とされるものが有りましたがわり算の定義を考えると不定形はすべての数、解は存在しないという事も考えられない事もないと思います。
 dはΔの極限としての意味しかないのは分かりますよ。δについては説明する言葉がまとまらないため伝えにくいので、今度また東京にでも来たときにイメージなり伝えますね。d/dxのdを定義したら/とdxにも定義をしなければいけないというのも分かりました。
2004/11/19/09:16 メール受信をしました。
今日はメッセンジャーをオンラインにしておきます。
2004/11/20/08:02 今日は自転車で走りに出かけるので、
パソコンのスイッチを切ります。
2004/12/29/19:17  心配かけました。兄が今日、来ていて直してくれました。
 久しぶりに質問をしますね。原子ないの電子は古典軌道では表せないと書いてあったんですが…。不
確定性原理のため位置と運動量が同時に正確には分からないからというのが理由と思うのですが、原理
的に不可能だから古典軌道はないとしてしままうのは現実をちゃんと把握していることになるんですか

 確かに軌道半径が連続にとれないという理由があるようですが、実際に電子の軌道が完全な円軌道で
あるというのは違和感があって、円軌道に近いというならいいんですが…。また宇田さんに円軌道とか
は考えないし、勉強してから知識を深めなさいと指摘されてしまうかも知れませんが、素粒子の波動性
と粒子性の完全なイメージモデルって今は完成されているんですか? 
2004/12/30/11:12 >心配かけました。兄が今日、来ていて直してくれました。

よかったですね。

>久しぶりに質問をしますね。

はい、どうぞ。

>原子ないの電子は古典軌道では表せないと書いてあったんですが…。

ええ、それであってますよ。

>不確定性原理のため位置と運動量が同時に正確には分からないから
>というのが理由と思うのですが、

はい、そういう風に説明する事も出来ますね。

>原理的に不可能だから古典軌道はないとしてしままうのは
>現実をちゃんと把握していることになるんですか?

ちゃんと、というのがどういう意味かによります。
古典軌道は無い、という認識がちゃんとしたものなのかどうか、
ということであれば、ちゃんとしたものです。
しかし、
古典軌道がわからないのでは電子について述べ尽くしたことにならない、
という意味においては、
そうであるかどうかは意見の分かれるところです。

>確かに軌道半径が連続にとれないという理由があるようですが、
>実際に電子の軌道が完全な円軌道であるというのは違和感があって、
>円軌道に近いというならいいんですが…。

古典論では、おっしゃるとおりですね。
円である必要はなく、一般には楕円ですよね。

>円軌道とかは考えない

この言葉の意味がわかりません。

>素粒子の波動性と粒子性の完全なイメージモデルって
>今は完成されているんですか? 

はい、完成されています。

それより、渡辺さん、「高校数学公式活用辞典」は入手できましたか?
2004/12/30/12:36  高校数学活用辞典は本屋では新版しかないと言われてしましました。宇田さんに調べてもらったアマ
ゾンのサイトでは在庫が無くなってしましました。すみません、せっかく教えてくれたのに。
 高校数学でここを学んで行くという急所というか、高校数学までの数学で気づける範囲って。例えば
、対数を使って実数のかけ算・わり算を足し算・引き算にする対数の仕組みとか複素数平面を使った関
数の解析で二次関数の問題をさらに深く見る方法など、前者は高校数学で簡単に学べることですが後者
は高校数学では学ばなかったような記憶があります。
 高校数学を学び終えたときに出来る数学の実力っておおよそどれくらいのレベルになるんですか?
 出来れば高校数学ではこれが出来なくてはちゃんと学んだことにはならないという項目をあげてくれ
ませんか? 
2004/12/30/13:45 >出来れば高校数学ではこれが出来なくてはちゃんと学んだことにはならない
>という項目をあげてくれませんか? 

もしそういうチェックリストを作るとすれば、
「高校数学公式活用辞典」の内容を全て書き出すことになるでしょう。
その意味では、大学入学試験というものは不完全です。
山が当たったりはずれたりするからです。

僕の持っている「高校数学公式活用辞典」から問題を僕が書き出して
渡辺さんにそれを解いてもらい、
それを僕が添削する事にしましょうか?
2004/12/30/18:21 > 僕の持っている「高校数学公式活用辞典」から問題を僕が書き出して
> 渡辺さんにそれを解いてもらい、
> それを僕が添削する事にしましょうか?
>
 宇田さんがメールで書き出してそれを僕がノートで問題を解き質問を書き、それを宇田さんに郵送す
るという感じですか?
 そこまできちんとやってしてくれるというならば、なんらかの形でお礼をしなければならなくなりま
すね。 僕の出世払いに期待できますか?今は働くことにたいせてプラスのことは何もしていませんよ

2005年以降分および論評は後日書きます。