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2019年12月18日(水曜日)
2004年04月の資料(渡邉郁夫の件)

 

送信日時

送信内容
2004/04/04/17:59 中堤さんと話しをしている渡邉と申します。正三角形を使った極限の話しをしたのですが…。中堤さんからは、はっきりとした答えが聞けなっかたので教えて下さい。また似た考えなのですが、限りなく薄いブルーは、透明ですか?教えて下さい。また正三角形の問題は「その類において最小または不可分である-高木貞治」という考え方を受け入れています。なので正三角形の問題はその極限は考えられないというのが、私の考えです。但し私は素人なので詳しい事になると分からないかも知れませんが、宜しければ、考えを教えて下さい。
Eメールアドレス:ikuo-w@***.jp です。
2004/04/04/23:51 渡邉さん、連絡有難う。
正三角形の極限については、少し問題を変えて、
何が本質であるかを説明しておきました。
http://www.f3.dion.ne.jp/~x-wooder/
>「図画集」>「メール補助」の末尾
を見てください。

限りなく薄いブルー、という色は存在しません。
したがって、それが透明であるか否かを問う問題は
答えを持ちません。

数学では、「限りなく」とか「無限に」という語は
「xを限りなく・・・するとyは限りなく・・・する」
という形でしか現れません。
単体で「xは限りなく・・・だ」という文章は
数学の文章としては、間違った文章なのです。

したがって、
「限りなく小さい正三角形」というものも存在しません。
「限りなく」という語は数学では、
「一つ一つの三角形を限りなく小さくすると、
 それらの面積の和は限りなくゼロに近付く」
という風に用いるものなのです。

高木貞治先生の文の意味は僕には分かりません。

これからも、何時でも気軽に質問してね。
2004/04/05/08:35 文字が日本語でないのでわかりません。宇田さんのホームページは見れるところは一応みたのですが。そこで心に残った一言と言うところがあったと思いますが私の場合は「一を聞いて十を知る」でした。人をびっくりさせるのが好きになったような気かします。早く、宇田さんの話しを聞いてみたいです。        渡邉
2004/04/05/11:22 MOJI GA NIHONNGO DENAI
TO IU KOTO HA
MOJIBAKE GA OKOTTEIRU
TOIU KOTO DESYOUKA?

SITANI
ZENNKAI NO SOUSINNBUNN WO
MOUITIDO KEISAISITE
SOUSINN SITEMIMASU

MATA YOMITORENAI BAAINIHA
RENNRAKU SITEKUDASAI

渡邉さん、連絡有難う。
正三角形の極限については、少し問題を変えて、
何が本質であるかを説明しておきました。
http://www.f3.dion.ne.jp/~x-wooder/
>「図画集」>「メール補助」の末尾
を見てください。

限りなく薄いブルー、という色は存在しません。
したがって、それが透明であるか否かを問う問題は
答えを持ちません。

数学では、「限りなく」とか「無限に」という語は
「xを限りなく・・・するとyは限りなく・・・する」
という形でしか現れません。
単体で「xは限りなく・・・だ」という文章は
数学の文章としては、間違った文章なのです。

したがって、
「限りなく小さい正三角形」というものも存在しません。
「限りなく」という語は数学では、
「一つ一つの三角形を限りなく小さくすると、
 それらの面積の和は限りなくゼロに近付く」
という風に用いるものなのです。

高木貞治先生の文の意味は僕には分かりません。

これからも、何時でも気軽に質問してね。
2004/04/05/20:13 http://www.f3.dion.ne.jp/~x-wooder/Mail.htm
2004/04/06/10:00 掲示板:ツーリングなんでも相談のところに書き込みをしてしまいました。すみません。                                渡邉
2004/04/06/20:15 やってみましたが、うまく行きません。
でも結局、
一つ一つの三角形とそれに対応する円柱表面積の差の減少が、
三角形の個数の増加よりも遅い、
という事でしょう。
そういう類の話は作ろうと思えばいくらでも作れるのでは無いでしょうか。
本質は、三角形のところで述べたとおりです。
この類の問題をこれ以上色々見つけて詮索しても、
本質的理解は進歩しませんよ。
違った種類の「不思議」に取り組んではいかがですか?
「アキレスと亀」なんか中堤君と何度も話をしたんですが、
あれなんかは知ってますか?正しい理屈を。
2004/04/06/21:10 こんばんは。円柱の問題を試みてくれて有り難うございます。基本はまとめに集約されているという事ですね!中堤さんとはアキレスと亀について話しをした事があります。普通に考えばアキレスが亀に追いつく事を繰り返して行くと時間の経過が減少すると言う事じゃないのですか?これくらいしか思いつかないのですが、本質的に違っていたら教えて下さい。                    渡邉
2004/04/06/21:15 ゼノンの逆理の四つの提起に対する統一的な考えが分かるならば、是非教えて下さい。                                 渡邉
2004/04/06/21:30 アキレスと亀の話は、
有限の時間を無限個に分割する事が出来る、
というだけの事です。

したがって、有限の時間を無限回足し合わせたからといって、合計時間が無限に成る
とは限らないのです。

ゼノンは百科事典で調べてみましたが、
四つの逆理までは掲載されていませんでした。
四つの逆理を教えて下さい。
2004/04/06/21:58 中堤さんは素粒子物理をやりたいと言っていましたがそれは理論素粒子物理の素粒子基礎理論なのか素粒子現象論または計算物理なのでしょうか?それとも実験素粒子物理なのか理論原子核物理、実験原子核物理など他の分野なのでしょうか?中堤さんから、どう勉強していったらいいかと相談されるのですが…。私は残りの三ヶ月くらいで力学、電磁気、量子論、統計を自力でやれるというので、それならばやってみれば良いのではと言いました。それで失敗したら宇田さんの方針でやってみればと話しました。私は宇田さんと話しがしたいのは物理学に対する考え方や思想を聞いてみたいからです。
2004/04/06/22:20 (一)線分ABがあって。運動体はその終点Bに達する前に前道程ABの中点Cを過ぎねばならぬ。またCにいたる前にはACの中点Dに達しなければならぬ。以下追ってかくのごとく、運動体はかぎりなく多くの点をすぎねばならない。故に運動なるものはありえない。
(二)アキレスと亀の問題
(三)飛んでいる矢は静止している。なぜならば、矢が一定の位置を占めているときはには静止していなければならぬ。しかるに、飛んでいる矢は各時刻において一定の位置を占めている。故に矢は運動することはできない。
(四)は図を使って説明してあるので書く事が出来ません。文章だけで良いなら次のメールで書きますが…。
2004/04/06/23:15 仲堤君がやりたいのは「宇宙論」です。
しかしながら日本物理学会には宇宙論という分野は無く、
宇宙論は日本物理学会では「素粒子論」に含まれます。
「理論素粒子物理の素粒子基礎理論」
「素粒子現象論または計算物理」
「実験素粒子物理」
「理論原子核物理、実験原子核物理など他の分野」
これらの中から選べ、と言われれば、
彼がやりたいのは
「理論素粒子物理の素粒子基礎理論」
です。宇宙論で必要になるから。

物理学に対する考え方や思想、
どんどん聞いてください。

ゼノンの逆理の(一)については、
「線分ABがあって。運動体はその終点Bに達する前に前道程ABの中点Cを過ぎねばなら
ぬ。またCにいたる前にはACの中点Dに達しなければならぬ。以下追ってかくのごと
く、運動体はかぎりなく多くの点をすぎねばならない。」部分は正しい。
でも、
「故に運動なるものはありえない。」部分は誤りです。
中点なんか考えなくたって、線分AB上には連続無限個の点がありますよね。
無限個の点を通過することが不可能である、
という法則はありません。

ゼノンの逆理の(三)については、
「飛んでいる矢は各時刻において一定の位置を占めている」部分は正しい。
しかし、
「矢が一定の位置を占めているときはには静止していなければならぬ。」は誤りであ
り、
したがって、
「故に矢は運動することはできない。」は誤りです。
位置が時刻の関数として与えられれば、矢の位置は各時刻に一つだが、位置は時間と
共に変化し、矢は運動しています。

ゼノンの逆理の(四)については、
僕の説明が聞きたければ教えて下さい。
2004/04/07/16:06  こんにちは。ゼノンの逆理はもともとピタゴラスの「万物は数である」と考えるにはおかしいと言う事から出てきた逆理のようです。この逆理を分析する事でいわゆる、ユークリッドの点という「点とは大きさを持たない」という考えに発展してきたようです。しかし私は点とは大きさを持つ物たど考えても良いと感じるのですが…。勿論、ユークリッドの点の概念が間違っているは考えません。どう考えたら正しいのか?詳しい事が分かるなら教えて下さい。またはヒントでも良いです。
2004/04/07/16:51 円筒、やっておきました。
やはり僕の予想していた通りの理屈でした。
http://www.f3.dion.ne.jp/~x-wooder/
>「図画集」>「メール補助」の末尾

ゼノンは(四)をまだ見てないけれど、
飛矢は統一的な理解に含める事ができそうにありませんね。
(一)(二)は同じ理屈だと思うけれど。
2004/04/07/17:00 >点は大きさを持つものと考えても良いと感じる。

空間幾何学においては、点は体積ゼロ、長さゼロ、
ですが、
僕たちが普通、空間点と呼んでいるものは、
実は、物理学的に正確に言えば、
四次元時空内の線(曲がっていても良い)です。
この意味では「点が大きさ(長さ)をもつ」とも言えます。

この理屈は渡辺さんが考えていたものとは違うと思いますが、
渡辺さんが点を大きさを持ちうるものと考える根拠は何でしょうか?
2004/04/07/17:52 点とは物質的なものと考えれば大きさを持つものとしても良いのではと考えます。したがってゼノンの逆理の(一)の答えは無限に点はないからだと思います。(二)対する答えは前に述べた通りです。(三)に対する答えは時間は連続に流れるからと考えます。(四)これは、書かなかたのですが、無限小はさらに無限小と無限小に分かれるからだと考えます。何か基本的な間違いがあったら教えて下さい。(四)については「吉田洋一の零の発見」を参照して下さい。あと円柱の問題を解いてくれて有り難うございます。私は保育士の資格を取って学童の先生になるのが今の夢ですが、物理学を本気でやりたいなら素粒子現象論がやってみたいです。なせかというとウラン235のガラス模型の写真を見たからです。
2004/04/07/19:44 >(一)線分ABがあって。運動体はその終点Bに達する前に前道程ABの中点Cを過ぎね
ばならぬ。
>またCにいたる前にはACの中点Dに達しなければならぬ。
>以下追ってかくのごとく、運動体はかぎりなく多くの点をすぎねばならない。
>故に運動なるものはありえない。
>(二)アキレスと亀の問題
>(三)飛んでいる矢は静止している。
>なぜならば、矢が一定の位置を占めているときはには静止していなければならぬ。
>しかるに、飛んでいる矢は各時刻において一定の位置を占めている。
>故に矢は運動することはできない。
>(四)は図を使って説明してあるので書く事が出来ません。
>文章だけで良いなら次のメールで書きますが…。

>点とは物質的なものと考えれば大きさを持つものとしても良いのではと考えます。
>したがってゼノンの逆理の(一)の答えは無限に点はないからだと思います。
>(二)対する答えは前に述べた通りです。
>(三)に対する答えは時間は連続に流れるからと考えます。
>(四)これは、書かなかたのですが、
>無限小はさらに無限小と無限小に分かれるからだと考えます。
>何か基本的な間違いがあったら教えて下さい。
>(四)については「吉田洋一の零の発見」を参照して下さい。
>あと円柱の問題を解いてくれて有り難うございます。
>私は保育士の資格を取って学童の先生になるのが今の夢ですが、
>物理学を本気でやりたいなら素粒子現象論がやってみたいです。
>なせかというとウラン235のガラス模型の写真を見たからです。

(四)については、文章だけでよいから、書いてくださると幸いです。

点を物質的な点(たとえば質点)と考えると、それは大きさを持つはずだ、
という渡邉さんの御意見は、
真正面から取り組むと、物理学の問題として、非常に深い意味を持っています。

しかし、ゼノンが点Aとか点Bとか点Cと言ったときには、
それらは、それぞれ一つの位置を表す、と解釈するべきです。
彼が、もし、そういうつもりで言ってなかったとしたら、
渡邉さんの言うように「線分AB上には点は有限個しか無い」という反論によって、
ゼノンの主張が誤りである事を、彼に教え諭す事が出来るかもしれません。
仮にそうなったとしましょう。
そしてゼノンが、それだったら、ということで、
点という言葉を物質的な点ではなくて位置を表す点だとしたらどうなるんだ?
と問い返して来たらどうしますか?
その場合には、線分AB上には無限個の点があるわけです。
そして、彼に対する反論としては、
僕が前に述べた反論を持って来る必要があるわけです。

(二)に対する渡邉さんの見解は
T1+T2+T3+T4+・・・・・・・
という無限和(こういうのを無限級数と言います)において、
T1>T2>T3>T4>・・・・・・・(漸次減少条件)
となっている事が、
T1+T2+T3+T4+・・・・・・・
が無限大にならないことの理由だ、
というものでしたが、
漸次減少条件は、無限級数が無限大にならないための必要条件ではありますが、
十分条件ではありません。
つまり、
T1>T2>T3>T4>・・・・・・・ ではあるけれど、
T1+T2+T3+T4+・・・・・・・ が無限大に成ってしまうような、
数列 T1,T2,T3,T4,・・・・・・・ というものはいくらでも存在するのです。
その事を考慮に入れると、
(二)に対する渡邉さんの見解は不十分であり、
ゼノンに対する反論としては、正確には、
僕の述べた見解を持って来る必要があります。

(三)について、
時間が連続的に流れると、何故ゼノンの意見が誤りだと言えるのでしょうか?
また、時間が連続的に流れる、とはどういう事なのでしょうか?
僕のゼノンに対する反論には満足しましたか?
満足できないとすれば、どの部分に不備があるのでしょうか?

ウラン235のガラス模型を見て素粒子現象論ですか。
結構な事ではないか、と思いますよ。
いろんな優秀な学者さんが、何かを見て感動して学問を志し、
一流の業績を残すに至るわけですから。
きっかけは何でも良いんだと思います。行ないさえ正しければ。
でも、最高を目指さない者は、必然的に、
途中で他のもっと素晴らしいものを見て、
あっちにすれば良かった、と悔しがる可能性をリスクとして背負う事になります。
2004/04/08/08:31  おはようございます。大きさのある正方形の点がA1,A2.…A8などがくついてならんでいると想像してください。Aの列は静止しているとし、Bの列とCの列とが矢の示すごとく反対の向き等しい早さで運動をはじめたとする。ある時刻にいたると、三つの物体の列は下の図で示される位置にいたるに相違ない。(同じ位置に来る)しかるときは、B1はA5、A6、A7、A8とAの物体を四つ通過している。しかるに、B1はまたC1からC8までCの物体を八つ通過していなければならない。
2004/04/08/08:42 したがって、B1がCを通過する時間はAを通過する時間の二倍であるはずである。ところが、BもCも全然同一の時間に下の図の位置に達している。(同じ位置にある)故に、一定の時間とその半分とは等しくなければなぬ。と言う物です。
2004/04/08/08:51 位置については、物質ではなく空間的な物と考えます。したがって無限に点があるという考えは受け入れられます。結局は宇田さんが正いとおもいます。
2004/04/08/08:58 T1+T2+T3+…の極限を持たなければならないことは分かりました。それではどうすれば、極限を持つのか宜しければ説明して下さい。中堤さんから聞いた事があるのですが…。詳しく分かりませんせした。教え方がまずっかた訳ではありません。
2004/04/08/09:08 (件名なし。本文なし)
2004/04/08/09:21 (三)については、時間は単に時刻の集積ではあり得ないと言う事だと思います。
宇田さんの説明のついて、宇田さん自身が良く分かっており、私がよく分かっていないという事だと思います。目標について。勿論、保育士の資格を取って学童の先生となる事が夢ですがいろいろな考え方を吸収する事が大切だと考えています。なので物の見方とかなどを教えて欲しいのです。話しは変わるのですが、中堤さんと会うことが当分出来なくなてしまいました。残念です。
2004/04/08/13:22  こんにちは。量子力学入門-並木美喜雄著で書いたあった事を書きます。一番最後なのですが、(ディラックは晩年に「アインシュタインはやはり正しかったにであって、現在の形の量子力学は最終的なものではないだろう。結局、将来の量子力学はアインシュタインの言うとうり決定論的なものになるのではあるまいか」という趣旨の言葉を残している。)と記述されているのですが、私もそう思うのですが宇田さんはどうおもいますか?
2004/04/08/14:08  精神と物質-シュレディンガー、中村量空訳でこんな記述があります。「スピノーザによれば、すべての個物は無限実体、すなわち神の様態的変状であります。神はすべてのものを、その思惟と延長という属性によって表現しているのです。延長と申しますのは神の時空的な広がりであり、思惟は-人間や動物の場合-その精神性であります。」という考えに私は賛成です。宇田さんは神を図と式を使って説明しているようですが、私は賛成できません。何故かというと神は図と式を使って説明出来ることやものではないように思われるからであります。
2004/04/08/19:54 >おはようございます。
>大きさのある正方形の点がA1,A2.…A8などがくついてならんでいると想像してくだ
さい。
>Aの列は静止しているとし、Bの列とCの列とが矢の示すごとく反対の向き等しい早
さで
>運動をはじめたとする。
>ある時刻にいたると、三つの物体の列は下の図で示される位置にいたるに相違な
い。
>(同じ位置に来る)
>しかるときは、B1はA5、A6、A7、A8とAの物体を四つ通過している。
>しかるに、B1はまたC1からC8までCの物体を八つ通過していなければならない。
>したがって、B1がCを通過する時間はAを通過する時間の二倍であるはずである。
>ところが、BもCも全然同一の時間に下の図の位置に達している。(同じ位置にあ
る)
>故に、一定の時間とその半分とは等しくなければなぬ。と言う物です。

単に「B1がCを通過する時間はAを通過する時間の二倍であるはずである」部分が
成り立たないだけの事です。
図を描いてみました。
渡邉さんにも分かるでしょ。
BがAの1つを通過する時間とBがCの1つを通過する時間が異なる事が。
だから、B1がCを通過する時間はAを通過する時間の二倍、とは成らないのです。
他の逆理とのつながりは分かりません。
2004/04/08/20:12 >T1+T2+T3+…の極限を持たなければならないことは分かりました。
>それではどうすれば、極限を持つのか宜しければ説明して下さい。
>中堤さんから聞いた事があるのですが…。詳しく分かりませんせした。
>教え方がまずっかた訳ではありません。

条件を書くというよりも定義そのものを書くといった感じになりますが、
やってみます。

T1+T2+T3+… が無限大にならずに有限値に落ち着く(こういうのを収束するとい
う)
ための必要十分条件は、T1,T2,T3,… が全て正の場合に限って言えば、

「数直線上の原点 O から L までの間( O と L は含まない)に、
 点をP1,P2,P3,・・・という風に無限個取って行き、
 T1=P1-O,T2=P2-P1,T3=P3-P2,T4=P4-P3,・・
・・が成り立ち、
 かつ、 P1<P2<P3<P4<・・・・ も成り立つ」
という条件が成り立つような L,P1,P2,P3,P4,・・・・・・ が存在す
る事、

です。
2004/04/08/20:36 >(三)については、時間は単に時刻の集積では
>あり得ないと言う事だと思います。

「静止している」という言葉の定義を知ってください。

「時刻 t において矢が静止している」とは、

時刻 t における矢の位置から時刻 t+Δt における矢の位置に向かうベクト
ルに(1/Δt )をかけて得られるベクトルの、
Δt → 0 における極限値がゼロベクトルになる
事です。

したがって、時刻 t のどんなに近くを取っても、
その中に時刻が無限個無くては
「静止している」という言葉の定義が使えません。

しかし、時間がもし有理数の時刻のみから成っているとしたら、
上記の「静止」の定義は有効であり、
この場合には時間は無限個の離散的時刻の集積であり、
それでいて、
ゼノンの言うように、各時刻に矢が静止している、
とは言えない場合が論理的には可能です。
2004/04/08/20:51 >こんにちは。量子力学入門-並木美喜雄著で書いたあった事を書きます。
>一番最後なのですが、
>(ディラックは晩年に「アインシュタインはやはり正しかったにであって、
>現在の形の量子力学は最終的なものではないだろう。
>結局、将来の量子力学はアインシュタインの言うとうり決定論的なものになる
>のではあるまいか」という趣旨の言葉を残している。)と記述されているのです
が、
>私もそう思うのですが宇田さんはどうおもいますか?

熱力学理論が、統計力学によって決定論的基礎理論から導き出されるように、
量子力学も、統計的手法を用いて決定論的基礎理論から導き出される、
という可能性に思いをはせるのは楽しい事です。

しかしながら、、量子力学では、大雑把に言って、
事象 x の起こる確率と事象 y の起こる確率が、
複素数c1,c2を使って、それぞれ、
|c1|^2 と|c2|^2 として与えられ、
( x または y ) の起こる確率が
|c1|^2+|c2|^2 ではなく、
|c1+c2|^2 で与えられる、
という風に成っています。
ただし事象 x と事象 y は同時には起こり得ないものとします。

量子力学のこの性質から、
いかなる決定論的基礎理論を持って来ようとも、
それに基づいた統計的処理によって、
量子力学の主張が再現される事は無いだろう、
この様に僕は考えています。

ただし、これは概観であって、
厳密には論理的抜け道があるかもしれない、と考えております。
2004/04/08/21:05 >精神と物質-シュレディンガー、中村量空訳でこんな記述があります。
>「スピノーザによれば、すべての個物は無限実体、すなわち神の様態的変状であり
ます。
>神はすべてのものを、その思惟と延長という属性によって表現しているのです。
>延長と申しますのは神の時空的な広がりであり、
>思惟は-人間や動物の場合-その精神性であります。」という考えに私は賛成で
す。
>宇田さんは神を図と式を使って説明しているようですが、私は賛成できません。
>何故かというと神は図と式を使って説明出来ることやものではないように思われる
からであります。

極めて厳しくかつ的を射た御批判だと思います。
僕も、自然の本質が図と式(僕流に言うと言語)で表現し尽くされると、
固く信じているわけではありません。
完成された物理学の基礎理論というものは存在せず、
言語表現の改良によって僕らは無限に正確な自然に近付く事は出来るが、
正確な自然をドンピシャリと言語表現することは出来ない、
という可能性を考えております。
そうあって欲しいのです。物理学に終わりが来て欲しくないから。

そして、自分の言語表現が日増しに正確な自然に近付いて行くのを見る快楽、
というものにいつまでも浸り続けたいと思っています。
いつまでたっても言語表現は正確な自然を言い表すものには成りませんが、
途中の段階の言語表現を見て、僕は、神を感じる事が出来ます。
それは実に宗教的な快楽です。
2004/04/08/21:09 > BがAの一つを通過する時間とBがCの一つを通過する時間が異なる事が
 とあるのだからこそ。すべての列を総合的に見ると時間のずれが生まれてきて、その時間のずれが
>一定の時間とその半分とは等しくなくてはならぬ
と言う事になるのではないでしょうか?間違ってますか?
あと図を書いてくれると言う事ですがどこに書かれているのですか?
2004/04/08/21:19 Lが極限値になるのですね!無限級数の収束条件の定義の説明は良く分かりました。有り難うございます。
2004/04/08/21:26 集合論の基礎は一応分かっているつもりなので、説明は良く分かりました。どうも有り難うございます。
2004/04/08/21:31 私の意見を聞いてくれて有り難うございます。また、自分の考えにも自信が持てました。
2004/04/08/21:32 (件名=数の概念。本文なし)
2004/04/08/21:48 数の概念-高木貞治の本を読んだ事はありますか?私のお薦めの本です。宇田さんの話を聞いていると殆ど分かっている様な気がしてきて嬉しいです。この本です少し違った意見があるとすれば無限は一つであるとも考えれ、無限計数の差があるとは考えられないと言う意見があります。それは無限には仮定法(または対角線論法)が使えないと考えるからです。
2004/04/08/21:57 ><BがAの一つを通過する時間とBがCの一つを通過する時間が異なる事が
>とあるのだからこそ。すべての列を総合的に見ると時間のずれが生まれてきて、そ
の時間のずれが
>>一定の時間とその半分とは等しくなくてはならぬ
>と言う事になるのではないでしょうか?間違ってますか?
>あと図を書いてくれると言う事ですがどこに書かれているのですか?

図は描いたというだけで、掲示はしてません。
渡辺さんがお持ちのものと同じ図が出来たな、と感じております。
BがCの1つを通過する時間がBがAの1つを通過する時間の半分であるために、
BがCの8つを通過する時間がBがAの4つを通過する時間に等しくなります。
2004/04/08/21:59 >Lが極限値になるのですね!

そうとは限りません。
極限値が L よりも小さくなる場合があります。
2004/04/08/22:17 >数の概念-高木貞治の本を読んだ事はありますか?
>私のお薦めの本です。
>宇田さんの話を聞いていると殆ど分かっている様な気がしてきて嬉しいです。
>この本です少し違った意見があるとすれば無限は一つであるとも考えれ、
>無限計数の差があるとは考えられないと言う意見があります。
>それは無限には仮定法(または対角線論法)が使えないと考えるからです。

まず、受信トレイが渡邉さんダラケになってます。(笑い)
はずかしながら、僕は、かの有名な対角線論法を知りません。
基本的には、「無限大」という数は無い、という事を知ってください。
前にも書きましたように、
数学においては、1つだけの無限、というものは考えません。
1つだけの無限を使った文章でも、数学的に正確に書きなおすと、
「・・・が無限に・・・すると、・・・が無限に・・・する」
という風に2つの無限を含む文章に成り、
これをもっと正確に書き表すと、いわゆるε-δ記法になります。

そういう基礎知識を知った上で言うならば、
数学(というよりも数学基礎論)でも、
無限という語が単独で用いられる事があります。
この無限は、ε-δ記法に書き換えることが出来ません。
この種の無限が具体的にはどの様なものかと言うと、
たとえば、実数の個数、有理数の個数、関数の個数、
こういうものは無限です。
そして、これらの無限は平等ではなく、
有理数の個数よりも実数の個数の方がもっと無限だし、
実数の個数よりも関数の個数の方がもっと無限なわけで、
この様な事態をさして、
有理数全体の集合よりも実数全体の集合の方が濃度が大きい、
実数全体の集合よりも関数全体の集合の方が濃度が大きい、
と、この様に言います。
だから、無限には濃度の異なるいろいろな無限がありますよ。
2004/04/09/07:22 おはようございます。無限計数または濃度の考え方は知っています。有理数全体の濃度と実数全体の濃度には違いがあるのは分かります。その考えは否定しないというのが、私の考えです。しかし仮定法は無限には適応されないとも考えられるので、無限の濃度は一つとも考えられると思います。
2004/04/09/07:50 >おはようございます。
>無限計数または濃度の考え方は知っています。>有理数全体の濃度と実数全体の濃
度には
>違いがあるのは分かります。
>その考えは否定しないというのが、
>私の考えです。
>しかし仮定法は無限には適応されない
>とも考えられるので、
>無限の濃度は一つとも考えられると思います。

「仮定法」って何ですか?
2004/04/09/08:05 わり算の定義:A・X=BとなるXが一意的に決まると言う事記憶しておりますが、A=0のときXのとりうる範囲は実数全体となり、数学ではいわゆるB/A(A=0)は考えられないと言う事ですが、私は少し見方を変えて(但し、この場合数学本来の意味が失われてしまうのですが…)実数全体となる値Xを定めたてしまうのです。この時Xは実数全体ではなく複素数全体またはそれ以上の数の概念であっても良いと考えるのでありますが、このXはあらゆるものに対応する何かになるはずですが、それはわたしは直感的感覚的思惟となります。その直感的感覚的思惟を文字で表す事にします。私の場合何か(Xと書いていたもの)をδに似た文字で表しますが、私はそれを具体的には今は素粒子の素粒子現象論の統一的な一つの表現として把握します。そしてまた文字を想像して。ABCDEF…のような一つの言葉に組み合わせを作る事を考えます。
2004/04/09/08:30 そうするとδに似た文字を代表した積の定義された文字の配列が得られると考えます。そしてこの積の定義は体、群、環などの数学的演算体系を応用して定義していくと考えるのですが…。残念ながらその部分は私には全く思いつきません。しかし私はこの考えに満足しています。宇田さんはどう思いますか?意見または感想を聞かせて下さい。
2004/04/09/08:34 有理数全体の濃度を仮定して実数全体の濃度を導く方法を仮定法と言うと思うのでが…。
2004/04/09/09:48  まず仮定法といっていたのは帰謬法のことでした。帰謬法を使って線分上の点がどうしても、1、2,3,…の自然数とは一対一対応しない事を証明します。区間[
0、1]の十進小数を考えます。自然数全体と区間[0,1]の実数全体とが一対一対応がつくと仮定します。
一番目は 0,(5)637579…
二番目は 0,1(4)38973…
三番目は 0,96(5)2451…
四番目は 0,367(2)847…
     …
と言う風に区間[0,1]の十進小数を並べます。()の中の数に注目してその数に一を加えた数を考えます。
0,6563…という十進小数は上の区間数からは出てきません。なぜなら一番目の数は小数第一位が、二番目に数は小数第二位が、以下同様異なってくるのですからゆえに自然数全体の濃度と実数全体の濃度は異なると言うのが対角線論法です。
2004/04/09/23:29 >わり算の定義:A・X=BとなるXが一意的に
>決まると言う事記憶しておりますが、
>A=0のときXのとりうる範囲は実数全体となり、
>数学ではいわゆるB/A(A=0)は考えられない
>と言う事ですが

Xの取りうる範囲が実数全体になるのは
B=0 の場合に限られます。
Bが0でない場合には、A・X=BとなるXは
存在しません。
B=0の場合には、A・X=BとなるXが存在します
から、
0/0は考えられないのではなく、
定義しない事にする、というのが数学の立場です。
定義するもしないも数学者の勝手なのですが、
これを定義してもメリットが無い、
と数学者は判断したのだと思います。

それ以降の渡邉さんの意見は
僕には理解できません。
群の定義は知ってるし、
体の定義も見た事がありますが、
環の定義は見た事がありません。
僕は数学者じゃあないので、
あまり数学的な方へ突っ込んだ話は
分からないし、知らないんです。

でも、こんな事を言うと失礼かもしれませんが、
見た感じ、渡邉さんのはトンデモに見えます。
2004/04/09/23:41 >無限は一つであるとも考えれ、
>無限計数の差があるとは考えられないと言う
>意見があります。
>それは無限には仮定法(または対角線論法)が
>使えないと考えるからです。

>有理数全体の濃度を仮定して実数全体の
>濃度を導く方法を仮定法と言うと思うのでが…。

するとどうして無限は一つだという事に
成るんですか?

2つの無限集合SとTに対して、
SからTへの一対一写像がすべて、
その値域がTに等しくないTの部分集合になる
ならば、
Sの元の個数よりもTの元の個数の方が
もっと無限だ、
と言えると思いますよ。
とすれば、無限にはいろいろな無限があって、
無限は1つではない、という事に成ります。

見た事がある論法だとは思いますが。
一応正論として述べておきます。
2004/04/09/23:49 >一番目は 0,(5)637579…
>二番目は 0,1(4)38973…
>三番目は 0,96(5)2451…
>四番目は 0,367(2)847…
>     …

僕には規則性が見出せません。
規則性は無くても良いのでしょうか?
同じ数が繰り返し出て来てはいけませんね。
それ以上の事は分かりません。
対角線論法無しで、
僕が独自に証明しようとすると出来そうな
気もしますが。
やってみると対角線論法になるのかもね。
2004/04/10/07:08 > でも、こんな事を言うと失礼かもしれませんが、
> 見た感じ、渡邉さんのはトンデモに見えます。
ご批判、有り難うございます。私もこの考えはとっぴな考えだと思っています。私もトンデモになたない様にしっかり基礎をやった方が良いですね!!(笑い)。わり算の定義の応用と書きましたが、私の思想の起源は微分方です。 まだまだ数学や物理学について分かっていない様で申しわけありません。引き続き物理学とは何なのかと言う事を正しく導いて下さい。お願いします。
2004/04/10/07:33 > するとどうして無限は一つだという事に
> 成るんですか?
 無限においてはどんな方法で試してみたも、過不足のない一対一対応が付くとと考えなけばならないと思うのですが…。対角線論法で最初に二つの集合にたいして、一対一対応がつくと仮定して証明するのですが、証明した後で対角線論法で出てきた数をもう一度、…番目の後ろに並べて再び証明を繰り返すのです。すると今まで道理には行かなくなると思うのですが(仮定とする事は無限には通じない面があると考えていますから)。以下同様に新しく出てきた数をもう一度…番目の後ろに並べてしまうのです。但し、濃度に差が出ると言う考え方は正しいとも考えられると私は思います。現に宇田さんが言っている事は正しいと感じていますし、私も同感です。何か基本的に間違っていたら、教えて下さい。
2004/04/10/07:57 > 僕には規則性が見出せません。
> 規則性は無くても良いのでしょうか?
> 同じ数が繰り返し出て来てはいけませんね。
> それ以上の事は分かりません。
> 対角線論法無しで、
> 僕が独自に証明しようとすると出来そうな
> 気もしますが。
> やってみると対角線論法になるのかもね。
 十進小数は実数を表しているので、規則性が無くても良いところがあっても良いとは考えられませんか?同じ数が出るとの事ですが位が違うので良いと思います。是非、宇田さん自身対角線論法無しで、証明してみて下さい。宜しければ、結果を教えて下さい。
2004/04/11/07:06 (件名=[。本文なし)
2004/04/11/07:53 [定理3,20]無理数全体は可附番ではない。
[証]仮に無理数の全体が可附番であるとするならば、それと可附番なる有理数全体とを合併した実数の全体が可附番ということになるであろう。故に今既に区間(0,1)の実数の全体が可附番でないことが示されすならば、定理は証明されたことになる。今仮に区間(0,1)の実数の全体が可附番であると仮定するならば、それらの実数全部に、α1、α2…のように、番号が附けられるであろう。これらを十進法で
  αn=0,c1^(n)c2^(n)…cn^(n)… (但し(n)はべき数を示すものではない)
と書く。但し展開は正規のものとして、例えば0,5は0,500…のように書いて、4,99…のようには書かないことにする。さて、これらのαnのどれも異なる実数αが区間(0,1)の中に必ずあることが、次のようにして示される。そのような
  α=0,c1c2…cn…
を得るには、すべての番号にnに関してcn=/(=じゃない)cn^(n)にすればよい。例えばcn^(n)が偶数ならばcn=1、cn^(n)が奇数ならばcn=2とすればよい。そうすれば、α=0,c1c2…は正規の展開で、αnとは第n位の数字が違うから、αはα1α、2α、…、αn、…の中に含まれない。即ち区間(0,1)の実数の全体が可附番であるという仮定は不合理である。  (証終)
2004/04/11/08:38 最近、タイピングミスが目立つようで申し訳ありません。今日もありました。
 αはα1α,2,…、αn…と書いてしまたのは、αはα1、α2、…、αn、…の誤りでした。
2004/04/11/12:25 >引き続き物理学とは何なのかと言う事を
>正しく導いて下さい。お願いします。

ああ、それは一言で終わりますよ。

物理学とは現実についての理論を作る営みの事です。
ただし、理論とは言語表現のことであって、
式は含まれますが図は含まれません。
さらに現実についての理論なら何でも良い、
というわけではなく、
現実の中に見出される全ての法則の十分条件となる
理論を作ろうとする営みが、物理学です。
理論を作るのが最終目的だから、
実験物理学は理論物理学の下請工場です。

物理学の中には、
上に述べたのではない営みもありますが、
そういうのは物理学の主題ではありません。
2004/04/11/12:31 >宇田さん自身対角線論法無しで、証明してみて下さい。宜しければ、結果を教えて
下さい。

はい。今抱えている問題を片付けた後でやってみましょう。
でも無限は1つか?という問題の答えは、ノーだと思いますよ。
濃度の違いを認めておられるのなら、
渡邉さんも無限は1つではないと考えている、
という事ではありませんか。
濃度が違うということは一対一上への写像が存在しない、という事でしょ?
2004/04/11/12:39 >[定理3,20]無理数全体は可附番ではない。
>[証]仮に無理数の全体が可附番であるとするならば、
>それと可附番なる有理数全体とを合併した実数の
>全体が可附番ということになるであろう。
>故に今既に区間(0,1)の実数の全体が可附番でない
>ことが示されすならば、定理は証明されたことになる。
>今仮に区間(0,1)の実数の全体が可附番であると
>仮定するならば、それらの実数全部に、
>α1、α2…のように、番号が附けられるであろう。
>これらを十進法で
>αn=0,c1^(n)c2^(n)…cn^(n)… (但し(n)はべき数を示すものではない)
>と書く。
>但し展開は正規のものとして、例えば0,5は0,500…のように書いて、
>4,99…のようには書かないことにする。
>さて、これらのαnのどれも異なる実数αが区間(0,1)の中に必ずあること
が、
>次のようにして示される。そのような
>α=0,c1c2…cn…
>を得るには、すべての番号にnに関してcn=/(=じゃない)cn^(n)にすればよい。
>例えばcn^(n)が偶数ならばcn=1、cn^(n)が奇数ならばcn=2とすればよい。
>そうすれば、α=0,c1c2…は正規の展開で、αnとは第n位の数字が違うから、
>αはα1α、2α、…、αn、…の中に含まれない。
>即ち区間(0,1)の実数の全体が可附番であるという仮定は不合理である。(証
終)

なんだか良く分かりませんが、証明、終わってるじゃあないですか。
渡辺さんがこれを理解してるならば、
わざわざ僕が独自に証明する必要はありませんね。
2004/04/11/12:57 > でも無限は1つか?という問題の答えは、ノーだと思いますよ。
> 濃度の違いを認めておられるのなら、
> 渡邉さんも無限は1つではないと考えている、
> という事ではありませんか。
> 濃度が違うということは一対一上への写像が存在しない、という事でしょう
そのとうりだと思います。無限については無限は一つではないと考えています。しかし抜け道があるような気がしますが…。宇田さんがノーと言う考えなら、たぶん私の考えに不適切な点があるばずです。トンデモな考えに染まらない様に気を付けます。
2004/04/11/13:10 > わざわざ僕が独自に証明する必要はありませんね。
分かりました。今、宇田さんがやらなければならない事を頑張って下さい!!
2004/04/11/16:46 > でも無限は1つか?という問題の答えは、ノーだと思いますよ。
> 濃度の違いを認めておられるのなら、
> 渡邉さんも無限は1つではないと考えている、
> という事ではありませんか。
> 濃度が違うということは一対一上への写像が存在しない、という事でしょう
> そのとうりだと思います。無限については無限は一つではないと考えています。しかし抜け道があるような気がしますが…。宇田さんがノーと言う考えなら、たぶん私の考えに不適切な点があるばずです。トンデモな考えに染まらない様に気を付けます。
しかし、考えたのですが、無限を仮定する(対応が付く)としてしまうと、無限は無限と無限に分かれるという、無限の論理が効かなくなってしまうという主張はどう考えますか?
2004/04/11/17:38 > でも無限は1つか?という問題の答えは、ノーだと思いますよ。
> 濃度の違いを認めておられるのなら、
> 渡邉さんも無限は1つではないと考えている、
> という事ではありませんか。
> 濃度が違うということは一対一上への写像が存在しない、という事でしょう
> そのとうりだと思います。無限については無限は一つではないと考えています。しかし抜け道があるような気がしますが…。宇田さんがノーと言う考えなら、たぶん私の考えに不適切な点があるばずです。トンデモな考えに染まらない様に気を付けます。
> しかし、考えたのですが、無限を仮定する(対応が付く)としてしまうと、無限は無限と無限に分かれるという、無限の論理が効かなくなってしまうという主張はどう考えますか?

濃度が違うということは一対一上への写像が存在しない、という事でしょう。という事は帰謬法によって濃度の違いが証明されてから初めて言える事ではないでしょうか?帰謬法ではある集合全体を無限の濃度なのですが、それが対応が付くと仮定していると思うのですが、無限全体の対応を仮定する事は無限はそれ以上はないと言っている様なものとは考えられませんか?無限を無限と無限とに分けておいて片方の無限で対応が付くと仮定してしまえば、もう片方の無限はどうなるのでしょうか?そうすれば、対角線論法は正しくないとも考えられるのではないでしょうか?そうすると無限は一つと考えられない事も無いと思いませんか?無限の本質は単一性にはないように思われますが…。
2004/04/11/19:27 <でも無限は1つか?という問題の答えは、
<ノーだと思いますよ。
<濃度の違いを認めておられるのなら、
<渡邉さんも無限は1つではないと考えている、
<という事ではありませんか。
<濃度が違うということは
<一対一上への写像が存在しない、
<という事でしょう
>そのとうりだと思います。
>無限については無限は一つではない
>と考えています。
>しかし抜け道があるような気がしますが…。
>宇田さんがノーと言う考えなら、
>たぶん私の考えに不適切な点があるばずです。
>トンデモな考えに染まらない様に気を付けます。
>しかし、考えたのですが、
>無限を仮定する(対応が付く)としてしまうと、
>無限は無限と無限に分かれるという、
>無限の論理が効かなくなってしまう
>という主張はどう考えますか?

>濃度が違うということは
>一対一上への写像が存在しない、
>という事でしょう。
>という事は帰謬法によって濃度の違いが
>証明されてから初めて言える事では
>ないでしょうか?
>帰謬法ではある集合全体を
>無限の濃度なのですが、
>それが対応が付くと仮定していると思うのですが、
>無限全体の対応を仮定する事は
>無限はそれ以上はないと
>言っている様なものとは考えられませんか?
>無限を無限と無限とに分けておいて
>片方の無限で対応が付くと仮定してしまえば、
>もう片方の無限はどうなるのでしょうか?
>そうすれば、
>対角線論法は正しくないとも
>考えられるのではないでしょうか?
>そうすると無限は一つと考えられない事も
>無いと思いませんか?
>無限の本質は単一性にはないように
>思われますが…。

僕は帰謬法も対角線論法も知りません。
帰謬法って背理法のことですか?
何法ででも良いから証明は1つあれば十分です。
高木貞治先生の証明を受け入れるんだったら
そこでおしまいです。
それ以上詮索の必要なし、と思います。
無限を二つに分けて
片方の無限に一対一上への対応がつく、
という話については、
濃度が同じ、とは、
一対一上への写像が1つでも存在しさえすれば
良いのであって、
そうでない一対一写像が存在してはいけない
という事ではないと思いますよ。
2004/04/11/21:29 前の無限の話しは、宇田さんの適切なアドバイスで整理がつきました。有り難う御座います。数学の話しばかりですみませんが、あと一つ聞いて下さい。      連続体仮説:簡単に言うと(自然数、整数、)有理数の濃度と実数の濃度の中間の濃度はないと言うのが連続体仮説ですが、宇田さんはその中間の濃度があると考えていますか?無いと考えるのが普通みたいですが…。是非教えて下さい。
2004/04/11/21:51 ホームページ良く見ました。コマの自転について書いてありました。コマが回転するのは慣性力というのは良く分かります。しかしコマが倒れないのは慣性なのでしょうか?私は慣性によって回転し、コマが形を留める力があるから倒れないのだと思うのですが…。宇田さんはたぶんすべて慣性力によると考えていると思いますが、宇田さんの意見を直接に聞かせて下さい。また古典物理学の本について少し興味があります。国会図書館にて閲覧可能とのことですが、事情があって、そこまで行けません。市販には売っていない様な事を中堤さんが言ってと記憶していますが、どうしたら手に入りますか?教えて下さい!!今すぐ欲しい訳でわないのですが、それは私のは一人で読むには難しい様に思うからなのです。もっと基本的な事を勉強しなければいけないと、宇田さんと話しをしていてつくずく感じます。
2004/04/11/22:06 >前の無限の話しは、
>宇田さんの適切なアドバイスで整理がつきました。
>有り難う御座います。
>数学の話しばかりですみませんが、
>あと一つ聞いて下さい。
>連続体仮説:
>簡単に言うと(自然数、整数、)有理数の濃度と
>実数の濃度の中間の濃度はない
>と言うのが連続体仮説ですが、
>宇田さんはその中間の濃度がある
>と考えていますか?
>無いと考えるのが普通みたいですが…。
>是非教えて下さい。

ごめん。全く見当がつかないよ。
2004/04/11/22:18 >ホームページ良く見ました。
>コマの自転について書いてありました。
>コマが回転するのは慣性力というのは
>良く分かります。
>しかしコマが倒れないのは慣性なのでしょうか?
>私は慣性によって回転し、
>コマが形を留める力があるから倒れないのだ
>と思うのですが…。
>宇田さんはたぶんすべて慣性力によると
>考えていると思いますが、
>宇田さんの意見を直接に聞かせて下さい。
>また古典物理学の本について少し
>興味があります。
>国会図書館にて閲覧可能とのことですが、
>事情があって、そこまで行けません。
>市販には売っていない様な事を中堤さんが
>言ってと記憶していますが、
>どうしたら手に入りますか?教えて下さい!!
>今すぐ欲しい訳でわないのですが、
>それは私のは一人で読むには難しい様に
>思うからなのです。
>もっと基本的な事を勉強しなければいけないと、
>宇田さんと話しをしていてつくずく感じます。

おかしいですねえ。
コマの取り扱いは極秘ページに書かれているから
見る事が出来ないはずなんですが。
日本物理学会での発表の部分を見たのでしょう。
慣性力というものを御存じ無いようです。
コマが何故立つかについては、
本質を定性的に説明は出来ません。
ニュートンの運動方程式を解くと、
コマが立つという結果が出て来るんです。
つまり、前提条件を
数学という名のブラックボックスに放り込むと、
コマが立つという結果を得る事が出来るのです。

慣性力やコマについて正確に知りたければ、
宇田英才教室の生徒に成ってください。
僕は今年の秋に東京に行きます。
僕と直接会わなくては生徒に成れません。

僕の本については、
国会図書館のオンライン検索(自宅で出来る)して
コピー請求する事も出来ますが、
僕に直接注文する事も出来ます。
2004/04/11/22:32 > 慣性力やコマについて正確に知りたければ、
> 宇田英才教室の生徒に成ってください。
> 僕は今年の秋に東京に行きます。
> 僕と直接会わなくては生徒に成れません。
>
> 僕の本については、
> 国会図書館のオンライン検索(自宅で出来る)して
> コピー請求する事も出来ますが、
> 僕に直接注文する事も出来ます。
 今、ちょっと事故で足がうまく動きません。なのでその間、放送大学に行こうと思うのですが、宇田英才教室は費用の方はどれくらいかかるのですか?教えて下さい。お金に余裕があるわけではないので都合により入塾する事は出来ないかも知れません。宇田さんと話しをしていて、学ぶ事がたくさんありました。有り難う御座います。
2004/04/12/08:30 <慣性力やコマについて正確に知りたければ、
<宇田英才教室の生徒に成ってください。
<僕は今年の秋に東京に行きます。
<僕と直接会わなくては生徒に成れません。

<僕の本については、
<国会図書館のオンライン検索(自宅で出来る)して
<コピー請求する事も出来ますが、
<僕に直接注文する事も出来ます。
 
>今、ちょっと事故で足がうまく動きません。
>なのでその間、放送大学に行こうと思うのですが、
>宇田英才教室は
>費用の方はどれくらいかかるのですか?
>教えて下さい。
>お金に余裕があるわけではないので
>都合により入塾する事は出来ないかも知れません。
>宇田さんと話しをしていて、
>学ぶ事がたくさんありました。有り難う御座います。

宇田英才教室はまだ正式に営業を開始していません。
試験運転の状態です。
費用についてですが、原則任意です。
中堤君なんか全然払ってません。
僕の希望は1万円/月です。
僕としては、お金を払ってくれる事よりも、
秘密を守ってくれる事の方が大切です。
そういう生徒さんはゼロ円でも良いから
一人でも多く入熟して欲しい。
授業内容は非公開の秘伝です。
現在「初等力学」の授業が終了し、
「電磁気学」の授業が始まったばかりです。
初等力学の教材の中に慣性力とコマについての
正確な記述があります。
両者の概念的関係には言及していませんが、
技術的な面で、共通の技術を使います。
2004/04/12/09:02 > 宇田英才教室はまだ正式に営業を開始していません。
> 試験運転の状態です。
> 費用についてですが、原則任意です。
> 中堤君なんか全然払ってません。
> 僕の希望は1万円/月です。
> 僕としては、お金を払ってくれる事よりも、
> 秘密を守ってくれる事の方が大切です。
> そういう生徒さんはゼロ円でも良いから
> 一人でも多く入熟して欲しい。
> 授業内容は非公開の秘伝です。
> 現在「初等力学」の授業が終了し、
> 「電磁気学」の授業が始まったばかりです。
> 初等力学の教材の中に慣性力とコマについての
> 正確な記述があります。
> 両者の概念的関係には言及していませんが、
> 技術的な面で、共通の技術を使います。
>
私は初等力学からやらなければ、いけない状態です。東京へ来るとの事ですが、私としてはお会いしても大丈夫だと思います。宇田英才教室への学費については父と話しをしなけらばなりません。授業形式はどういう風になるのでしょうか?授業内容は秘伝との事、どの範囲までが、他の人に話してはいけないのですか?今まで話ししてきた事も話してはいけないのですか?今のところ、私は働いていないので収入がありません。父は放送大学に行く事については賛成してくれるようです。そこで基礎を身につけて宇田英才教室の二期目に参加した方が良いと思っていますが。
2004/04/12/15:46 >私は初等力学からやらなければ、
>いけない状態です。
>東京へ来るとの事ですが、
>私としてはお会いしても大丈夫だと思います。
>宇田英才教室への学費については
>父と話しをしなけらばなりません。
>授業形式はどういう風になるのでしょうか?
>授業内容は秘伝との事、どの範囲までが、
>他の人に話してはいけないのですか?
>今まで話ししてきた事も話してはいけない
>のですか?
>今のところ、
>私は働いていないので収入がありません。
>父は放送大学に行く事については
>賛成してくれるようです。
>そこで基礎を身につけて
>宇田英才教室の二期目に参加した方が
>良いと思っていますが。

今まで話しをした部分については、
誰に話してもらっても結構です。
ただし、
「そう宇田が言ってた」と付け加えておいてください。
授業形式は、秘密のアドレスを持つウェブページ
に掲示される僕のノートを見て学習します。
基本的に、
僕の頭のコピーをあなたの頭の中に作る、
と考えてください。
秘伝範囲は、原則として、
テクニックは秘伝、
概念的な話は第3者に話しても良い、
と考えてください。
ただし、僕から聞いた事を第3者に話すときには、
「宇田がそう言ってた」という一言を
必ず付け加えてください。

お金の事は、本当にタダでも良いんですよ。
お会いする件についても、
中堤君に聞いて信用できると分かれば、
省略しても構いません。

放送大学で勉強してからだと、
二度手間になると思います。
でも、そうした方が、
僕の教え方の普通でない様子が
良く分かるでしょうね。

僕以外の人だと、
放送大学でも、必要無い事まで教え、
必要な事が抜けるでしょう。

僕は、さんざん無駄な努力をしながら
上の方まで先に行って、
生徒さんが、
一直線に無駄なく登れる準備をしているつもりです。
2004/04/12/19:42 例えば、正三角形の問題についてなのですが…。類において最小または不可分である-高木貞治という考えを受け入れて一応は正三角形の問題を自分で解決してと思うのです。宇田さんが「まとめ」に書いてくれた事は一応は分かっていた見たいなのですが、ただ具体的な証明の裏付けやそれから導かれる結論は「表現」という形で現れてこなっかたと考えています。だから正三角形の問題で直線の長さをギザギザでは近似出来ないという発想は自分で(または本で)持っていたと考えています。但しそれを応用して正三角形の場合だけではなく、直角二等辺三角形の場合にも適応出来るという発想や近似していく対象が直線ではなく曲線の場合にも適応出来るという発想は間違いなく宇田さんが「表現」したものと考えている私はどういう立場を取れば良いのですか?また無限についての考えは宇田さんの正鵠を得た助言で、私の考えがまとまったのですがその場合、「一対一対応上の…」と言う言葉が私の考え方の方向を決定していたのですが、その切っ掛けとなた言葉をその方法で使う時には宇田さんが「一対一対応上の…」と言っていたと「表現」すれば良いのですか?
2004/04/12/20:38 >例えば、
>正三角形の問題についてなのですが…。
>類において最小または不可分である-高木貞治
>という考えを受け入れて
>一応は正三角形の問題を自分で解決して
>と思うのです。
>宇田さんが「まとめ」に書いてくれた事は
>一応は分かっていた見たいなのですが、
>ただ具体的な証明の裏付けやそれから導かれる
>結論は
>「表現」という形で現れてこなっかた
>と考えています。
>だから正三角形の問題で直線の長さを
>ギザギザでは近似出来ない
>という発想は自分で(または本で)持っていた
>と考えています。
>但しそれを応用して正三角形の場合だけ
>ではなく、
>直角二等辺三角形の場合にも適応出来る
>という発想や近似していく対象が直線ではなく
>曲線の場合にも適応出来るという発想は
>間違いなく宇田さんが「表現」したものと
>考えている私は
>どういう立場を取れば良いのですか?
>また無限についての考えは宇田さんの
>正鵠を得た助言で、
>私の考えがまとまったのですが
>その場合、
>「一対一対応上の…」と言う言葉が
>私の考え方の方向を決定していたのですが、
>その切っ掛けとなた言葉を
>その方法で使う時には
>宇田さんが「一対一対応上の…」と言っていた
>と「表現」すれば良いのですか?

一言で言う必要はありません。
上に書いてある事をそのまま言うのが
一番良いと思います。

中堤君と連絡が取れ、
渡辺さんが信用のおける人だと分かったので、
直接会って確認しなくても、
生徒に成りたくなったら言って下さい。

生徒に成ったら、今の所、
秘密のウェブページで、
初等力学の教材を最初から最後まで
見る事が出来ます。
お望みとあらば、現在製作中の
電磁気学の教材を見せるのもOKです。
教材を見て圧倒されて、やめてしまうのでなく、
粘り強く取り組んでみる事をお勧めします。
質問にはキチンと返答しますから。

お金はタダでも良いし、
今月は小遣いをもらったから
チョッとだけ寄付しよう、
という払い方でも構いません。
自由にしてください。

僕としては、
生徒がいる、というステータスが欲しい、
という面が大きいです。
2004/04/13/08:13 限りなく薄いブルーという質問をしましたが、その答えは限りなく薄いブルーという色は存在しないという事でした。私もそう願が得るところもあったのですが(その極限値は透明であると言う本の記述ももっともだと考えもしていたのですが…)宇田さんは数学的表現は「ある数の極限が限りなくX近づくとき、ある数の極限が限りなくYに近づく」と言う様な表現をすると教えてくれたのですが、それが、いわゆる、数学を学んだ人は誰もが持っている考えだとしてら、その時も宇田さんが言っていたと言わなければいけないのですか?つまり共通概念のような物があった場合はその時は宇田さんが言っていたと断らなくても良いと考えるのですがどう思いますか?勿論、宇田さんが独自に考えた秘伝の考えについては宇田さんが言っていたという表現をとる事に決めています。ゼノンの逆理については或程度、自分で熟考していた結果の私の考えを主張したものですから、ゼノンの逆(一)について無限個ある点を通過する事は出来ないと言う考えに否定の「表現」として無限個あるからと言って(点は大きさを持たないものだから)通過する事は出来ないと言う主張は誤っているという考えを教えてくれましたが、私はゼノンの逆理(一)から(四)までの統一的、回答を試みた時、私は「点が大きさを持つ」からという意見でゼノンの逆理を論破しようとしたのです。だからゼノンの逆理を個別に考えた時は無限個あるからと言って通過出来ないと言う事はないとも考えられるは或程度、
思考していたと思います。ゼノンの逆理(二)、(三)、(四)にも同様で私も色々考えていました。なので総てが総て宇田さんに教えてもらったとは考えていません。但し、宇田さんが適切な助言をしてくれたのは間違いの無い事です。私が言いたいのは私が全く知らない事について聞いた時それが総て宇田さんの秘伝になってしまうのか?と言う事です。もう一言付け加えると「表現の自由について」宇田さんがどう考えているかという事が聞きたいのです。宇田英才教室への入会の件は以上の事を聞いた上で、前向きに考えたいと思っています。
2004/04/13/10:24 >限りなく薄いブルーという質問をしましたが、
>その答えは限りなく薄いブルーという色は
>存在しないという事でした。
>私もそう願が得るところもあったのですが
>(その極限値は透明であると言う本の記述も
>もっともだと考えもしていたのですが…)
>宇田さんは数学的表現は
>「ある数の極限が限りなくX近づくとき、
>ある数の極限が限りなくYに近づく」
>と言う様な表現をすると教えてくれたのですが、
>それが、いわゆる、数学を学んだ人は誰もが
>持っている考えだとしてら、
>その時も宇田さんが言っていたと
>言わなければいけないのですか?
>つまり共通概念のような物があった場合は
>その時は宇田さんが言っていたと断らなくても
>良いと考えるのですがどう思いますか?
>勿論、宇田さんが独自に考えた秘伝の考え
>については宇田さんが言っていた
>という表現をとる事に決めています。
>ゼノンの逆理については或程度、
>自分で熟考していた結果の私の考えを
>主張したものですから、
>ゼノンの逆(一)について
>無限個ある点を通過する事は出来ない
>と言う考えに否定の「表現」として
>無限個あるからと言って
>(点は大きさを持たないものだから)
>通過する事は出来ないと言う主張は
>誤っている
>という考えを教えてくれましたが、
>私はゼノンの逆理(一)から(四)までの
>統一的、回答を試みた時、
>私は「点が大きさを持つ」から
>という意見でゼノンの逆理を論破しようとした
>のです。
>だからゼノンの逆理を個別に考えた時は
>無限個あるからと言って通過出来ない
>と言う事はないとも考えられるは或程度、
>思考していたと思います。
>ゼノンの逆理(二)、(三)、(四)にも
>同様で私も色々考えていました。
>なので総てが総て宇田さんに教えてもらった
>とは考えていません。
>但し、宇田さんが適切な助言をしてくれたのは
>間違いの無い事です。
>私が言いたいのは
>私が全く知らない事について聞いた時
>それが総て宇田さんの秘伝になってしまうのか?
>と言う事です。
>もう一言付け加えると
>「表現の自由について」
>宇田さんがどう考えているか
>という事が聞きたいのです。
>宇田英才教室への入会の件は
>以上の事を聞いた上で、
>前向きに考えたいと思っています。

数学を学んだ人なら誰でも知っている事を、
僕が渡邉さんに教えた場合、
渡邉さんはそれを僕から教えられたと、
言う義務はありません。
しかし、僕は、
僕独自のものなのか周知のものなのか
判断できないものもありますし、
周知のものであっても、
「これは宇田から聞いた。周知の事実らしい」
と言って欲しい、
と考えています。
なぜなら、学術的名誉は、
発見に対してだけ付与されるのではなく、
伝達に対しても付与されると考えるからです。

渡辺さんが知らない事について
僕が渡邉さんに教えたとき、
それが全て秘伝になるわけではありません。
渡辺さんが知ってたか知らなかったかではなく、
普通の学者、教育者たちが
知っているか知らないか、という点で判断します。
技術的なことで、スタンダードではないもの、
これが秘伝になります。
ほとんどの人は知らない、あるいは出来ない、
あるいは、やれば出来るだろうけど誰もしない、
そういうものは、
たとえ僕以外の極少数の人達が知っている
としても、秘伝です。
概念的なことは、先述したように、
秘伝とはしません。
あと、僕の教材やその写しは
第3者に見せてはいけないものとします。

表現の自由については、
法律的には、引用表示の義務は
無いのかもしれません。
しかし、学界では、
引用表示は義務です。
したがって、総合的に判断して、
引用表示は少なくともモラルとしては
行なうべきものでしょう。
法的にも、著作権の観点から、
引用表示が義務だ、と言えるかもしれません。
このような事態は、
表現が無制限に自由なのではない、
という意味を持ちますが、
それが正義なのだと僕は考えます。

最後に、僕にも、
自分の教材のどこまでが僕の独自性で、
どこまでが常識なのか、正確には分かりません。
物理学界で、ある方程式の厳密解を発表し、
その場に居合わせた学者の誰もそれを知らない
という事を確認した後、
論文としてそれを投稿したら、
既知解だと指摘され、却下されました。
教材については、
僕の教材の細部が一々全て常識であっても、
全体の構成が既存の教科書と違えば、
その点は僕の独自性であると考えます。
このような独自性も
軽んじられてはならないと僕は考えます。
2004/04/13/13:00 > 数学を学んだ人なら誰でも知っている事を、
> 僕が渡邉さんに教えた場合、
> 渡邉さんはそれを僕から教えられたと、
> 言う義務はありません。
> しかし、僕は、
> 僕独自のものなのか周知のものなのか
> 判断できないものもありますし、
> 周知のものであっても、
> 「これは宇田から聞いた。周知の事実らしい」
> と言って欲しい、
> と考えています。
> なぜなら、学術的名誉は、
> 発見に対してだけ付与されるのではなく、
> 伝達に対しても付与されると考えるからです。
>
> 渡辺さんが知らない事について
> 僕が渡邉さんに教えたとき、
> それが全て秘伝になるわけではありません。
> 渡辺さんが知ってたか知らなかったかではなく、
> 普通の学者、教育者たちが
> 知っているか知らないか、という点で判断します。
> 技術的なことで、スタンダードではないもの、
> これが秘伝になります。
> ほとんどの人は知らない、あるいは出来ない、
> あるいは、やれば出来るだろうけど誰もしない、
> そういうものは、
> たとえ僕以外の極少数の人達が知っている
> としても、秘伝です。
> 概念的なことは、先述したように、
> 秘伝とはしません。
> あと、僕の教材やその写しは
> 第3者に見せてはいけないものとします。
>
> 表現の自由については、
> 法律的には、引用表示の義務は
> 無いのかもしれません。
> しかし、学界では、
> 引用表示は義務です。
> したがって、総合的に判断して、
> 引用表示は少なくともモラルとしては
> 行なうべきものでしょう。
> 法的にも、著作権の観点から、
> 引用表示が義務だ、と言えるかもしれません。
> このような事態は、
> 表現が無制限に自由なのではない、
> という意味を持ちますが、
> それが正義なのだと僕は考えます。
>
> 最後に、僕にも、
> 自分の教材のどこまでが僕の独自性で、
> どこまでが常識なのか、正確には分かりません。
> 物理学界で、ある方程式の厳密解を発表し、
> その場に居合わせた学者の誰もそれを知らない
> という事を確認した後、
> 論文としてそれを投稿したら、
> 既知解だと指摘され、却下されました。
> 教材については、
> 僕の教材の細部が一々全て常識であっても、
> 全体の構成が既存の教科書と違えば、
> その点は僕の独自性であると考えます。
> このような独自性も
> 軽んじられてはならないと僕は考えます。
>
宇田さんの意見は良くわかりました。但し、無意識的に引用してしまった場合は後で訂正します。
秘伝については注意深く引用または話しをして行こうと思っています。宇田さんに書いた様に宇田さんを例えば高木貞治さんのように引用して行こうと思っています。
今までに教えて下さった話し、これから聞くであろう話しについても宇田さんが主張したようにします。
教材についての第三者への提示は行いません約束します。
宇田英才教室の件、入会を希望します。学費の件なのですが、働ける様になってから、すこしづつ返していこうと思っています。またはそれ相応の事をして行こうと思っています。
2004/04/13/16:06 秘伝について誤解がありました。秘伝は第三者には提示してはいけないという事が完全に抜けていました。すみません。
2004/04/13/20:13 >宇田さんの意見は良くわかりました。
>但し、無意識的に引用してしまった場合は
>後で訂正します。
>秘伝については注意深く引用または話しをして
>行こうと思っています。
>宇田さんに書いた様に
>宇田さんを例えば高木貞治さんのように引用して
>行こうと思っています。
>今までに教えて下さった話し、
>これから聞くであろう話しについても
>宇田さんが主張したようにします。
>教材についての第三者への提示は行いません
>約束します。
>宇田英才教室の件、入会を希望します。
>学費の件なのですが、働ける様になってから、
>すこしづつ返していこうと思っています。
>またはそれ相応の事をして行こうと思っています。

誠意ある回答を有難う御座いました。
上の文から渡邉さんの誠意が良く伝わってきます。
僕は渡邉さんの入塾希望を是認します。
したがって、今現在から、
渡邉イクオさんは宇田英才教室の生徒です。

下記(アドレスは秘密)にて、今すぐにでも、
初等力学教材の全体を見る事が出来ます。

http://www.f3.dion.ne.jp/~x-wooder/STUDENT007.htm
2004/04/13/21:57 東京大学の模試で問題です。スーパーボール(完全弾性)のもの、一つの長さがH1で完全に二つ縦にくっついているとします。高さHの所から二つのスーパーボールを落下させます。その時、地面でスーパーボールが反発する時、スーパーボール二つの高さの位置を示せというような問題なのですが、力は瞬間的に伝わると考えて良いのか?または力は時間がかかって伝わると考えたほうが良いのかどちらが良いのか教えて下さい。またその具体的な解法を教えて下さい。
ホームページをみました。高校物理がしかり出来ていないので、最初の方の記述が何となく分かっただけです。どう質問したら良いのかさえ分からない状態です。第一章からもうちょっとかみ砕いた表現で説明してくれませんか?お願いします。 
2004/04/14/07:58 関数をfと表し、xを入力した時の数値がf(x)となる説明は関数をfとする事とする表現は聞いた事は初めてじゃないにしても、私の知識になりました。写像については数以外でも良いという事は何らかの論理または概念などであってもよいのですか?教えて下さい。
2004/04/14/10:11 >東京大学の模試で問題です。
>スーパーボール(完全弾性)のもの、
>一つの長さがH1で完全に二つ縦にくっついている
>とします。
>高さHの所から二つのスーパーボールを
>落下させます。
>その時、地面でスーパーボールが反発する時、
>スーパーボール二つの高さの位置を示せ
>というような問題なのですが、
>力は瞬間的に伝わると考えて良いのか?
>または力は時間がかかって伝わると考えた
>ほうが良いのかどちらが良いのか教えて下さい。
>またその具体的な解法を教えて下さい。
>ホームページをみました。
>高校物理がしかり出来ていないので、
>最初の方の記述が何となく分かっただけです。
>どう質問したら良いのかさえ分からない状態です。
>第一章からもうちょっとかみ砕いた表現で
>説明してくれませんか?お願いします。

スーパーボールについては
いまいち問題を正確に把握できません。
長さがH1ではなく直径がH1のスーパーボールが
2つ、中心が鉛直線上にあるように接している、
ということでしょうか?
高さHというのは、下のスーパーボールの最下端の
高さがHという事でしょうか?
最後のスーパーボール二つの高さの位置
というのは、
それぞれのスーパーボールが反発後、
最高どれだけの高さまで上昇するか、
という事でしょうか?

高校物理では
力は瞬間的に伝わると考えて構いません。
特殊相対性理論以降は、
それは正確には間違いだと認識されています。
光の速さよりも速く伝わる力は存在しません。

噛み砕いた説明、挑戦してみます。
ですが、
分からないものを分からないままに読む、
という事も意味のある事ですから、
初めの部分が分からなくても、
そのまま最後まで目を通す事をお薦めします。
出来ればノートに丸写しして欲しいです。
僕は高校時代、昼休みに、図書室で、
大学レベルの数学書をノートに丸写ししてました。
書いてある内容は全く分かりませんでした。
∀とか∃とかがヤタラ出て来る専門書でした。
そのときは全く分かりませんでしたが、
そのときの努力は今の僕に活きていると思います。
僕の本「古典物理学」では
∀とか∃とかがヤタラ出て来ます。
あ!「古典物理学」を渡邉さんに送りましょう。
近いうちに郵送します。
2004/04/14/12:30 > スーパーボールについては
> いまいち問題を正確に把握できません。
> 長さがH1ではなく直径がH1のスーパーボールが
> 2つ、中心が鉛直線上にあるように接している、
> ということでしょうか?
> 高さHというのは、下のスーパーボールの最下端の
> 高さがHという事でしょうか?
> 最後のスーパーボール二つの高さの位置
> というのは、
> それぞれのスーパーボールが反発後、
> 最高どれだけの高さまで上昇するか、
> という事でしょうか?
>
> 高校物理では
> 力は瞬間的に伝わると考えて構いません。
> 特殊相対性理論以降は、
> それは正確には間違いだと認識されています。
> 光の速さよりも速く伝わる力は存在しません。
>
> 噛み砕いた説明、挑戦してみます。
> ですが、
> 分からないものを分からないままに読む、
> という事も意味のある事ですから、
> 初めの部分が分からなくても、
> そのまま最後まで目を通す事をお薦めします。
> 出来ればノートに丸写しして欲しいです。
> 僕は高校時代、昼休みに、図書室で、
> 大学レベルの数学書をノートに丸写ししてました。
> 書いてある内容は全く分かりませんでした。
> ∀とか∃とかがヤタラ出て来る専門書でした。
> そのときは全く分かりませんでしたが、
> そのときの努力は今の僕に活きていると思います。
> 僕の本「古典物理学」では
> ∀とか∃とかがヤタラ出て来ます。
> あ!「古典物理学」を渡邉さんに送りましょう。
> 近いうちに郵送します。
>
スーパーボールの問題は宇田さんが言った通りです。
相対性理論では力は例えば重力波は光速の速させ伝わると言う事は聞いた事があります。
力学の件は内容を写して見てみます。「古典物理学」の件は誠に有り難う御座います。楽しみに待っています。
2004/04/14/14:30 やってみましたが、うまく行きません。
僕の公開第一サイトの
「図画集」>「メール補助」の末尾に
行き詰まってる様子を、掲示しておきました。
TEC-0-1-46以降のテクニックを使えば
確実に解けます。
それを使わずに、自分でやろうとしたら、
宇田のパラドックス、
ってな感じになってしまいました。
メール補助に
 t=0 とすると A=B=0 となってしまい、
おかしな事になる様子が示されています。
僕にも理由が分かりません。

入試問題の範解は、僕のとは違うと思います。
僕のやり方じゃあ
試験時間が足りなくなって不合格です。
それに高校レベルを超えてるし。
一般に出回ってる範解は、おそらく、
へ?そうやっちゃって良いの?
というたぐいのものだと推測します。

僕は思うんですけど、
高校物理をやり直すと言っても、
東大の受験問題が解けるようになる必要は無い
のではありませんか?
教科書レベルで良いと思いますよ。
僕自身、受験問題を解くのはイヤです。
原則的にはイヤですが、
今回の問題からは得るものがありました。

数学者の広中平祐先生は次のように言っています。

「英才教育を考えた場合、例えば数学でいえば、
高校程度の数学でひねくった問題を作って落とし
穴を作れば、大学の先生でも簡単には解けない
問題がいくらでも出来る。しかし、それがどんなに
難しい問題であっても、あくまで高校の数学の域を
出ていないのである。受験問題が難しいという
ことと、レベルが高いという事とは違う。どんなに
レベルの低いところでも難しい問題は作れるわけ
である。低いレベルのところで、難しくして競争する
英才教育と、できる人はどんどん程度の高い学問
をするということとは、少し質が違うわけである。
日本ではどちらかというと、前者の傾向があり、
とても惜しい気がする」

ああ、いま、
宇田のパラドックスが解けたような気がします。
1階微分ではなく2階微分だから
必ずしもexpに尽きるとは限らないのでしょう。
2004/04/14/14:50 >写像については数以外でも良いという事は
>何らかの論理または概念などであってもよい
>のですか?教えて下さい。

数学者は許さないかもしれない。
数学者が許してもロジシャンは許さないかも
しれない。

でも、僕は写像に入力するものとして、
現実世界に言及する命題を持って来ることも
あります。

たとえば「宇田雄一はまだ生きている」とか
「宇田雄一はもう死んだ」といった命題を
入力できる写像を考えても良いと
僕は思っていますし、
そういうことが許されなければ、
そもそも物理学は成り立ちません。

f(x)が写像なのではなく f が写像なのだ、
という認識は、おっしゃるとおり、
知ってる人は知っています。
僕が発信源なのではありません。
しかし、関数 f(x)、という風に
つい書いちゃうんですね、みんな。
僕もそう書く事があります。
僕の場合、
そう書かなきゃあ相手が理解不能に陥るからです。
2004/04/14/15:43 毎日、一ページくらい書いて行こうと思っています。質問です。3、自然基底の項について、曲率半径とあるのですが…。ガウスが微分幾何学の基礎として定義した(円で表す)曲率で良いのでしょうか?教えて下さい!!
あと、4,平面極座標、平面極座標の極座標は理解出来ました。但し、ベクトルer、ベクトルeθの具体的な長さが示されていると分かりやすいのですが…。
またθのドットの意味が全く分かりません。教えて下さい!!θが限りなく小さい時の微分の値なのでしょうか?だとしたら、どういう意味を持っているのでしょうか?
2004/04/14/16:01 私は上のスーパーボールがかなり高く上がって、下のスーパーボールは静止すると考えたり、またはスーパーボールは両方とも同じ高さに来ると中堤さん話したのですが、中堤さんは宇田さんと同じ様になる事もあるんじゃないかな?と言っていました。中堤さんが正しかった見たいですね!!
2004/04/14/16:15 開平計算を少し応用して、X^3の数値を求める方法を高校の時に考えたのですが、それはX^4以上でも具体さは抜けるけど考えられると思っています。X^3の場合は立方体を使って[(N+A)-N。但し、(N+A)は立方体の長さ、Aは近似していく立方体の長さ]説明できる物と思います。宇田さんこの考えは正しいですか?教えて下さい。
2004/04/14/18:16 >毎日、一ページくらい書いて行こうと思って
>います。
>質問です。
>3、自然基底の項について、
>曲率半径とあるのですが…。
>ガウスが微分幾何学の基礎として定義した
>(円で表す)曲率で良いのでしょうか?
>教えて下さい!!
>あと、4,平面極座標、平面極座標の極座標は
>理解出来ました。
>但し、ベクトルer、ベクトルeθの具体的な長さが
>示されていると分かりやすいのですが…。
>またθのドットの意味が全く分かりません。
>教えて下さい!!
>θが限りなく小さい時の微分の値なのでしょうか?
>だとしたら、
>どういう意味を持っているのでしょうか?

上記に対する説明を
「黒板」末尾に掲示しておきました。
この辺は、少し、メール補助で公開したくない
感じの部分を含んでいます。
曲率半径というのは、
その曲線のその点に内接する最大円の半径
の事です。

ところで、「古典物理学」を渡邉さんに郵送する
ために、
渡邉さんの住所を僕が知る必要があります。
教えて下さい。
2004/04/14/18:50 >私は上のスーパーボールがかなり高く上がって、
>下のスーパーボールは静止すると考えたり、
>またはスーパーボールは両方とも同じ高さに来る
>と中堤さん話したのですが、
>中堤さんは宇田さんと同じ様になる事も
>あるんじゃないかな?と言っていました。
>中堤さんが正しかった見たいですね!!

いやいやいや、
それは計算してみないと分からない事なんです。
地面と2つのボールが全て接し合っている状態に
ついて計算を行ない、

x がH1になった瞬間にまだ y がH1よりも小さく、
その瞬間のd x /d t が正ならば、
まず、下のボールが地面から離れ、
その後で
上のボールと下のボールが離れるでしょう。

しかし、
x がH1になるよりも早く y がH1になり、
かつ、その瞬間のd y/d t が正ならば、
まず上のボールが下のボールから離れ、
その後で、下のボールが地面から離れます。

問題は、x と y が同時にH1になり、その瞬間の
d y/d t が0という事になるかどうかですが、
これは計算してみなくては分かりません。
こうなった場合には、
上のボールと下のボールはずっと
引っ付いたままで、
下のボールが地面から離れるのみとなります。

下のボールが地面から離れない場合は、
x と y が同時にH1になり、その瞬間のd x /d t
が0である場合です。
この場合も僕の図と違う場合ですね。

他にも可能性があるかもしれません。
しかし、高校物理で衝突、という事であれば、
上のボールと下のボールの衝突は相対速度ゼロ
の衝突だから上のボールと下のボールは離れない、
という意見を、仮にそれが間違っていたとしても、
試験官が減点の対象とする事が出来るかどうかは
はなはだ疑問です。
2004/04/14/19:05 >開平計算を少し応用して、X^3の数値を求める
>方法を高校の時に考えたのですが、
>それはX^4以上でも具体さは抜けるけど考え
>られると思っています。
>X^3の場合は立方体を使って[(N+A)-N。但し、
>(N+A)は立方体の長さ、Aは近似していく立方体
>の長さ]説明できる物と思います。
>宇田さんこの考えは正しいですか?
>教えて下さい。

この問題は僕の能力を超えます。
つい最近まで僕は開平計算のやり方すら
知りませんでした。
数年前、僕の塾で使うための高校数学教材を
チェックしていたときに初めて開平に真面目に
取り組みました。
そのときにやっとこさやり方とその根拠を
知りました。
開平でヤットコサだから、3乗根4乗根なんて
とんでもないです。

逐次近似法としては、
x^n=bを解け、と言われれば、これは、
x^n-b=0を解け、という事だから、
曲線 y=x^n-b 上の任意の点から始めて、
その点での接線と x 軸との交点、
その交点を通り y 軸に平行な直線と曲線との交点、
その交点での接線、
という風に、近似してゆけば、
際限無く正確な値に近づく事が出来ます。
2004/04/14/20:37 あす15日は僕は一日中外出です。
ご了承ください。
2004/04/15/07:49 > 上記に対する説明を
> 「黒板」末尾に掲示しておきました。
> この辺は、少し、メール補助で公開したくない
> 感じの部分を含んでいます。
> 曲率半径というのは、
> その曲線のその点に内接する最大円の半径
> の事です。
>
> ところで、「古典物理学」を渡邉さんに郵送する
> ために、
> 渡邉さんの住所を僕が知る必要があります。
> 教えて下さい。
 おはようごさいます。今日はお出かけとのとの事ですがメールを書いて置きます。説明、有り難うございます。微分幾何学はまだ聞いた事がある段階です。
住所の件をお知らせします。
郵便番号:■■■-■■■■ 東京都■■区■■ です。
古典物理学の本を送ってくれるとの事、とても感謝してます。
2004/04/15/07:58 > いやいやいや、
> それは計算してみないと分からない事なんです。
> 地面と2つのボールが全て接し合っている状態に
> ついて計算を行ない、
>
> x がH1になった瞬間にまだ y がH1よりも小さく、
> その瞬間のd x /d t が正ならば、
> まず、下のボールが地面から離れ、
> その後で
> 上のボールと下のボールが離れるでしょう。
>
> しかし、
> x がH1になるよりも早く y がH1になり、
> かつ、その瞬間のd y/d t が正ならば、
> まず上のボールが下のボールから離れ、
> その後で、下のボールが地面から離れます。
>
> 問題は、x と y が同時にH1になり、その瞬間の
> d y/d t が0という事になるかどうかですが、
> これは計算してみなくては分かりません。
> こうなった場合には、
> 上のボールと下のボールはずっと
> 引っ付いたままで、
> 下のボールが地面から離れるのみとなります。
>
> 下のボールが地面から離れない場合は、
> x と y が同時にH1になり、その瞬間のd x /d t
> が0である場合です。
> この場合も僕の図と違う場合ですね。
>
> 他にも可能性があるかもしれません。
> しかし、高校物理で衝突、という事であれば、
> 上のボールと下のボールの衝突は相対速度ゼロ
> の衝突だから上のボールと下のボールは離れない、
> という意見を、仮にそれが間違っていたとしても、
> 試験官が減点の対象とする事が出来るかどうかは
> はなはだ疑問です。
>
>
正確な記述有り難う御座います。バネを付けた重りにして考えるとイメージがぐんと湧いてきます。今、高校の英語、数学、物理、化学、それと保育士の資格の問題をゆっくり勉強しています。あと数学、物理、自然哲学の本を少し読んでいます。
2004/04/15/08:06 > 逐次近似法としては、
> x^n=bを解け、と言われれば、これは、
> x^n-b=0を解け、という事だから、
> 曲線 y=x^n-b 上の任意の点から始めて、
> その点での接線と x 軸との交点、
> その交点を通り y 軸に平行な直線と曲線との交点、
> その交点での接線、
> という風に、近似してゆけば、
> 際限無く正確な値に近づく事が出来ます。
>
この説明、微分を使って近似していくのですね!!高校の数学にもニュートンの近似法の説明が記述されていました。
2004/04/15/08:19 > 数学者は許さないかもしれない。
> 数学者が許してもロジシャンは許さないかも
> しれない。
>
> でも、僕は写像に入力するものとして、
> 現実世界に言及する命題を持って来ることも
> あります。
>
> たとえば「宇田雄一はまだ生きている」とか
> 「宇田雄一はもう死んだ」といった命題を
> 入力できる写像を考えても良いと
> 僕は思っていますし、
> そういうことが許されなければ、
> そもそも物理学は成り立ちません。
>
> f(x)が写像なのではなく f が写像なのだ、
> という認識は、おっしゃるとおり、
> 知ってる人は知っています。
> 僕が発信源なのではありません。
> しかし、関数 f(x)、という風に
> つい書いちゃうんですね、みんな。
> 僕もそう書く事があります。
> 僕の場合、
> そう書かなきゃあ相手が理解不能に陥るからです。
>
θのドットの説明についての所で、微分法でd/dtf(x)と記述されている時、dtのtはもはや変数ではなく、dtというある極限の微分の分母の値になってd3とかという風にtに数値を代入する事は出来ないと考えますがどう思いますか?
4、平面極座標について、ベクトルer、ベクトルeθの単位ベクトルなのは分かります。私が聞きたかったのは、平面極座標の所の図で、例えばベクトルerの成分表示をして欲しいという事なのですが、教えて下さい。
2004/04/15/20:09 「古典物理学」を郵便局に出して来ました。
中に振込用紙を入れておきましたが、
よろしければ、封筒代と郵送料の合計540円を
振り込んでください。
イヤなら振り込まなくても構いません。
あの振込み用紙で送金されるのが、
僕の憧れなんです。

さて、スーパーボールは
模範解答が推測できました。
おそらく、
運動量の和の大きさが衝突前後で変わらない、
という条件を、
運動エネルギーの和が衝突前後で変わらない、
という条件に付け加えて、
連立方程式を解くのでしょう。
2つの条件のうちの前者は、
そんな事やっちゃって良いの?ですよね。
これだから受験問題はイヤだ。
はぁー、イヤだイヤだ。

>θのドットの説明についての所で、
>微分法でd/dtf(x)と記述されている時、
>dtのtはもはや変数ではなく、
>dtというある極限の微分の分母の値になって
>d3とかという風にtに数値を代入する事は
>出来ないと考えますがどう思いますか?

d t の t に数値を代入してはいけない、
というのはその通りです。
「dtのtはもはや変数ではなく」も正しい。
しかし、
「dtというある極限の微分の分母の値」
これは何ですか?意味不明です。
正確な話は、「古典物理学」の第一章の
最初の部分「文字式」を読んでいただいた後で
する方が良いと思いますが、
そちらに「古典物理学」が到着する前に
ウェブページに説明を掲示する事になりそうです。
生徒さんの中の宮坂さんが挙動不審なので、
掲示場所を変えます。
「黒板」ページは十分に安全とは言えません。
「黒板(極秘)」ページに掲示します。
このページは宮坂さんには通知していません。
掲示完了時にまた連絡します。
http://www.f3.dion.ne.jp/~x-wooder/oirkndf246.htm

>4、平面極座標について、ベクトルer、
>ベクトルeθの単位ベクトルなのは分かります。
>私が聞きたかったのは、
>平面極座標の所の図で、
>例えばベクトルerの成分表示をして欲しい
>という事なのですが、教えて下さい。

これについても掲示しておきます。
2004/04/15/21:33 > θのドットの説明についての所で、微分法でd/dtf(x)と記述されている時、dtのtはもはや変数ではなく、dtというある極限の微分の分母の値になってd3とかという風にtに数値を代入する事は出来ないと考えますがどう思いますか?
>
「ある極限の微分の分母の値」とは微分は二つの数の変化率の極限値として与えられると考えます。例えばθ/dtf(x)のdtは其の時、一つの変化率の極限として考えられるという意味なのですが…。つまり分母のdtはリミットΔt→0の作用を与えられた物と考えます。しかし微分はθ/dt(x)の値は分離は不可能であると主張されたらそれを否定するだけの考えはありません。私の素朴な意見であります。
2004/04/15/21:58 黒板(極秘)に説明を書いておきました。
見てください。
まだ渡邉さんの最終件については
コメントしていません。

今日はこのぐらいで勘弁してください。
2004/04/16/07:39 少し、メールの回数が多いようです。気を付けます。ノートの写しをしていて今は、式がとの様に導き出されるか?が全く分かりません。それでも良いと思って写しているのですが…。
概念についてはある程度わかって来ました。
話しは変わるのですが、モスクワ大学総長アナトリー・ログノフの「時空と重力に関する新理論-雑誌Newtonn」を知っていますか?
2004/04/16/08:12 >少し、メールの回数が多いようです。
>気を付けます。
>ノートの写しをしていて今は、
>式がとの様に導き出されるか?
>が全く分かりません。
>それでも良いと思って写しているのですが…。
>概念についてはある程度わかって来ました。

ああ、これは一応問題ですねえ。
このまま最後まで写し終わってから
その後で改めて最初から詳細を詰めて
行きましょう。
中堤君は保存力の条件のところでつまって、
そこから先に進めなくなりました。
そこで中堤君にも
最初から最後まで分からないまま繰り返し
読んでみたら、
と助言したところです。
彼は、写すのは手間だから、と言って、
写してくれません。

>話しは変わるのですが、
>モスクワ大学総長アナトリー・ログノフの
>「時空と重力に関する新理論-雑誌Newtonn」
>を知っていますか?

知りません。
名前を見ただけでトンデモだと決め付けて
しまいそうになりましたが、
「ニュートン」に掲載されているとなると、
あながちトンデモではないかもしれません。
重力については、
アインシュタイン理論以外にもありますよ。
それらが現実を表しているかどうかは
別の話ですが。

今日はこれからロードバイク(自転車)に乗って
来ます。
約60km走行します。
2004/04/16/12:54 今帰って来ました。
総走行距離58.7km
平均速度27km/h
これは僕の最高記録に達していません。
風読みを誤った。

ヒルクライム(坂登り)では
うめき声を上げながら頑張りました。
2004/04/16/15:02 上のボールと下のボールの間に
 ε だけ隙間が開いているとして計算し、
得られた結果で ε をゼロに持って行く極限を
取る。

すると、
2つのボールはくっついたまま
床面から遠ざかって行く事になる。

たぶん正解ではないと思うが、
これを減点できる試験官はいるのか?
2004/04/16/16:32 ***@***.jp wrote:

> 上のボールと下のボールの間に
>  ε だけ隙間が開いているとして計算し、
> 得られた結果で ε をゼロに持って行く極限を
> 取る。
>
> すると、
> 2つのボールはくっついたまま
> 床面から遠ざかって行く事になる。
>
> たぶん正解ではないと思うが、
> これを減点できる試験官はいるのか?
>
いるとしたら、入試試験ってなんですかね!?(笑い)
2004/04/16/16:54 私が式がどう導かれるか分からないのは、例えば主法線ベクトル:en=ρdet/dsとρ≡1/〔det/ds〕…曲率半径が打ち消されてベクトルen=ρとなる式の背景です。また曲率がρ≡1/〔det/ds〕として導入できる根拠です。
2004/04/16/18:44 なぜ聞いたかというと、θを変数として考えた時の図のイメージの確認がしたかったからです。成分表示は私が考えていた通りでした。簡単な事なのですがいちいち確認していかないと応用が効かなくなってしまうと思ったので…。
2004/04/16/20:09 >私が式がどう導かれるか分からないのは、
>例えば主法線ベクトル:
>en=ρdet/dsと
>ρ≡1/〔det/ds〕…曲率半径が打ち消されて
>ベクトルen=ρとなる式の背景です。
>また曲率がρ≡1/〔det/ds〕として導入できる
>根拠です。

まず注意しなくてはいけないのは、
〔 〕と||との違いです。
僕は||を用いていますが〔 〕を用いていません。
v をベクトルとするとき、〔v〕は v そのものですが
|v|は v の長さを表します。
ベクトルの実数倍は、
実数 k をベクトル v にかけて出来る k v 
というものは、
k>0の場合には、
v と同じ向きを持ち、長さがk|v|である
ベクトルのことだ、と定義されます。
したがって、(1/|v|)v というベクトルは、
v と同じ向きを持ち、長さが(1/|v|)|v|=1
のベクトル、すなわち、
v と同じ向きの単位ベクトルです。
これが
主法線ベクトルが単位ベクトルになる原理です。
|v|のことを v の絶対値とも言います。

ρ は実数であり、
主法線ベクトルはベクトルですから、
(主法線ベクトル)=ρ となることは
決してありません。
ベクトルと実数がイクオールで結ばれる事は
決してありません。

曲率の定義は、
(曲率)=1/(曲率半径)
です。
ρ が曲率半径となる理由は、
TEC-0-1-2,3 に[問題3]として解説されています。
ベクトルの引き算等が分からなければ
言ってください。
2004/04/16/21:25 >なぜ聞いたかというと、
>θを変数として考えた時の図のイメージの確認が
>したかったからです。
>成分表示は私が考えていた通りでした。
>簡単な事なのですがいちいち確認して
>いかないと応用が効かなくなってしまう
>と思ったので…。

良いんですよ。
質問は遠慮なくしてください。
僕は明日から経路積分の勉強です。
途中ときどきメールを確認します。
最近の僕は中堤君からプレゼントされた
スワンソン著「経路積分法」吉岡書店
を読解中です。
2004/04/16/22:53 > >私が式がどう導かれるか分からないのは、
> >例えば主法線ベクトル:
> >en=ρdet/dsと
> >ρ≡1/〔det/ds〕…曲率半径が打ち消されて
> >ベクトルen=ρとなる式の背景です。
> >また曲率がρ≡1/〔det/ds〕として導入できる
> >根拠です。
>
> まず注意しなくてはいけないのは、
> 〔 〕と||との違いです。
> 僕は||を用いていますが〔 〕を用いていません。
> v をベクトルとするとき、〔v〕は v そのものですが
> |v|は v の長さを表します。
> ベクトルの実数倍は、
> 実数 k をベクトル v にかけて出来る k v 
> というものは、
> k>0の場合には、
> v と同じ向きを持ち、長さがk|v|である
> ベクトルのことだ、と定義されます。
> したがって、(1/|v|)v というベクトルは、
> v と同じ向きを持ち、長さが(1/|v|)|v|=1
> のベクトル、すなわち、
> v と同じ向きの単位ベクトルです。
> これが
> 主法線ベクトルが単位ベクトルになる原理です。
> |v|のことを v の絶対値とも言います。
>
> ρ は実数であり、
> 主法線ベクトルはベクトルですから、
> (主法線ベクトル)=ρ となることは
> 決してありません。
> ベクトルと実数がイクオールで結ばれる事は
> 決してありません。
>
> 曲率の定義は、
> (曲率)=1/(曲率半径)
> です。
> ρ が曲率半径となる理由は、
> TEC-0-1-2,3 に[問題3]として解説されています。
> ベクトルの引き算等が分からなければ
> 言ってください。
>
〔〕と書いたのは絶対値の記号が書けなかったからです。すみません。曲率と書いたところは曲率半径と書くことを忘れました。ρが実数でベクトルと等しくならず、(主法線ベクトル)=ρとはならないことはわかりました。有り難う御座います。
2004/04/17/08:15 時空と重力に関する新理論-「「重力」の相対性理論」の記述を写して送りましょうか?
2004/04/17/11:08 >時空と重力に関する新理論
>-「「重力」の相対性理論」の記述を
>写して送りましょうか?

そうですねえ。
見てみましょう。
僕に理解できるかどうか分かりませんが。

宛先:■■■-■■■■
    ■■県■■町■■
    宇田雄一

絶対値記号の出し方を教えます。
「Shift」キーを押した状態で「¥」キーを押すと
出ます。

経路積分は今日の分は何とか終わりました。

これから音楽でもやります。

僕の方もアインシュタイン理論以外の重力理論
をお見せしましょう。
難し過ぎて僕には良く分かりません。
書いた本人も現実を表わしているとは
確信していないと思います。
2004/04/17/13:53 重力理論は探したけど見つかりませんでした。
なにか、ラグランジアンが高階微分を含む理論
だったように記憶しています。

東大入試問題の方は、だいぶ進みました。
第一サイトの「図画集」>「メール補助」に
掲示しておきました。
http://www.f3.dion.ne.jp/~x-wooder/

微分方程式が解けて初期条件を入れて
解が分かりました。
まだ条件判断まで行ってません。
2004/04/17/16:17 保存則の所は、時間をかければ徐々に分かってくるよいうな見通しになって来ました。後、平面極座標と空間極座標の速度と加速度の式がいまいち飲み込めません。
2004/04/17/16:23 > θのドットの説明についての所で、微分法でd/dtf(x)と記述されている時、dtのtはもはや変数ではなく、dtというある極限の微分の分母の値になってd3とかという風にtに数値を代入する事は出来ないと考えますがどう思いますか?
>
「ある極限の微分の分母の値」とは微分は二つの数の変化率の極限値として与えられると考えます。例えばθ/dtf(x)のdtは其の時、一つの変化率の極限として考えられるという意味なのですが…。つまり分母のdtはリミットΔt→0の作用を与えられた物と考えます。しかし微分はθ/dt(x)の値は分離は不可能であると主張されたらそれを否定するだけの考えはありません。私の素朴な意見であります。
2004/04/17/20:18 上下のボールが分離する前に
下のボールが床から離れる事を
ポケコンで数値計算してつきとめました。

音楽やるつもりだったのが、
ひどい目に遭いました。

公開第一サイトの
「図画集」>「メール補助」の末尾
を見てください。
http://www.f3.dion.ne.jp/~x-wooder/

得られた数値データを使えば、
上下のボールが分離するときに
下のボールの速度がちゃんと上向きに
なっているかどうか判定できそうです。

やりはじめると、
最後までやらなくちゃあいけないから、
くだらん問題はやり始めない方が良いんです。

2件メールが入ってますねえ。
これから返信を書きます。
2004/04/17/21:10 >>θのドットの説明についての所で、
>>微分法でd/dtf(x)と記述されている時、
>>dtのtはもはや変数ではなく、
>>dtというある極限の微分の分母の値になって
>>d3とかという風にtに数値を代入する事は
>>出来ないと考えますがどう思いますか?

> 「ある極限の微分の分母の値」とは
>微分は二つの数の変化率の極限値として
>与えられると考えます。
>例えばθ/dtf(x)のdtは其の時、
>一つの変化率の極限として考えられる
>という意味なのですが…。
>つまり分母のdtはリミットΔt→0の作用を
>与えられた物と考えます。
>しかし微分はθ/dt(x)の値は分離は
>不可能であると主張されたら
>それを否定するだけの考えはありません。
>私の素朴な意見であります。

これは以前にも同じ事をお書きに
なっていましたねえ。

かなりヒドイですぞよ。

まず、
『「ある極限の微分の分母の値」とは』
で文を書き始めたからには、文末は
『・・・のことである。』
となっていなくてはなりません。
『・・・の事であると考えます。』
でもOKですが、
渡邉さんのはそうなっていませんねえ。
さらに、文末が
『・・・のことである。』
となっていれば何でもOKかというと、
そうではありません。
『・・・』部分には
何らかの値を指示する語句や記号が
書かれていなくてはいけませんよね。
だから、渡邉さんの文を
『「ある極限の微分の分母の値」とは
 微分は二つの数の変化率の極限値として
 与えられる事である、と考えます。』
という風に修正しても、
この文はまだダメです。

内容的にもおかしいですよ。
微分とは変化率なんです。
変化率とは変化の比の極限なんです。
さらに、
2つの数の比の極限というものは考えられますが、
2つの数の極限というものは何か良く分かりません。
2つの数の変化率は2つの数ですよね。

『θ/dtf(x)』は2重に間違ってます。
『d/dt f(t)』とか『d/dx f(x)』ならOKですが、
僕なら念のために『(d/d x ) f( x )』と書きます。

『dtは1つの変化率の極限』も間違いです。
d/dt f(t)が1つの「変化の比」の極限で、
この極限を変化率と言うのです。
Δf(t)/Δt のΔt →0での極限値がd/dt f(t)です。
ただしΔf(t)とはf(t+Δt)-f(t)のことです。

再三再四言いますが、
僕の知識の範囲では、
無限大や無限小というものを
単独で考える事は出来ません。
したがって、
『d/dt f(t)』からdt のみを単独で取り出して、
これの意味を考える事は出来ません。
dt はあくまで d/ とセットになって
d/dt の形になって初めて意味を持ちます。
『しかし微分はθ/dt(x)の値は分離は
 不可能であると主張されたら
 それを否定するだけの考えはありません。』
でその事を認めてくれているような。
でも『θ/dt(x)』はヒドイんじゃあないですか?
『θ/dtf(x)』よりも破壊力があります。

『分母のdtはリミットΔt→0の作用を
 与えられた物と考えます。』
については「何に」与えられたのかが不明です。
ですので、文として変な文になっています。
内容的におかしい事は先述したとおりです。
「作用」という語をむやみに使わないで下さい。
物理学や数学で「作用」という語は
特定の意味を持ちます。
ここでは「作用」という語を用いるのを避け
「極限」という語を用いるのが無難です。

d/dt f(t) という記号は、
これが Δf(t)/Δt の極限だ、
という事を思い出すために有利ですが、
その事を優先したがために、
あるいは、
僕の指摘するロジックに気付いていないがために、
この記号は、文字式としては例外的な文字式だ、
と認識されねばならないのです。
理由は
t への代入が「そのまんま」ではいけない事です。
2004/04/17/21:14 >保存則の所は、
>時間をかければ徐々に分かってくるよいうな
>見通しになって来ました。
>後、平面極座標と空間極座標の
>速度と加速度の式がいまいち飲み込めません。

了解です。
追って連絡します。
2004/04/18/08:35 昨日のはポケコンのプログラミングミスでした。
プログラムを直して計算しなおした結果を
公開第一サイトの「図画集」>「メール補助」
の末尾に掲示しておきました。
http://www.f3.dion.ne.jp/~x-wooder/

もっと正確な値を出そうと思えば出せます。
範解では
答えが根号を含んでたりするかもしれませんね。
2004/04/18/10:14 計算をもっと正確にやってみました。
すると
下のボールの上昇は約 0.6H となり、
以前の 0.47H と大きく食い違いました。
この問題はこのぐらいにしておきましょう。

どちらにしても
上のボールが離脱した後で
下のボールが床を離れ、
僕が冒頭に描いた図のごとくになる、
という定性的特徴は変わりません。
2004/04/18/15:36 「黒板」(極秘)に掲示しておきました。
材料だけ与えて、後は自分で考えてみてください、
という形を取りました。
一々全部は解説していません。
解説が必要なら言ってください。

ヒドイ文章でもいいから
書きたい事があったら書いてください。
そうしないと言語表現も上達しませんから。
2004/04/18/18:58  古典物理学の本が送られてきましたが、私が期待していた本とは大分違うようです。序文を読んでいて感じた事は、宇田さんは物理は理解しているかもしれないが、人間性の面では「福沢諭吉の学問のすすめ」を読んだ方だ良いという印象を受けました。宇田さんは物理学を心ざす、一人の人であります。人であるからのは理性を持って行動、発言してもらいたいです。私は宇田さんを軽んじて書いているのではありません。自分の持っている理論、能力が準一流の域に足していようともその人の人間性が具備されていなければならないと考えます。日本物理学会で認められる様な論文をホームページで掲載してる(現に主張している事が正しいならば、そらは素晴らしくかつ認められるべきものだと思いますが)のに日本物理学会が正当にそれを評価していないと考えているならば、其れは自分の能力で認められる論文を書なけらば行けない立場にいると思います。其処に占有権が入って来ては行けないと考えますが…。其処で自分が認められるために完成された自己の物理学を教えようとするのなら、私は賛成出来ません。そうならば、利己主義に近いものがあります。私は宇田さんから具体的な助言を受けています。だからと言って、技術面は抜きにして、私が宇田さんの考えに助言や宇田さんが知らない情報を全く知らせていないとはならないでしょう。其処では立場は同等でなくてはいけないと思います。宇田さんはどうも其処の所が私と意見が違う様に思われてならないのです。私が入塾する意志を表明した前に主張した事を覚えていますか?私を軽んじてはいませんか?私も一人の人間として意志を持っています。突然ですが、私は宇田英才教室を退塾する事にします。但し、古典物理学の本と力学の教材の印刷物とその写しのノートとメールの破棄それと一ヶ月分の学費と郵送代を返す事を約束します。但し私は最後に宇田さんの意見を聞く義務があると考えます。「最後通知」という件名でのメールを読む事を約束します。以上が私の主張であり、考えです。
2004/04/18/20:50 >古典物理学の本が送られてきましたが、
>私が期待していた本とは大分違うようです。
>序文を読んでいて感じた事は、
>宇田さんは物理は理解しているかもしれないが、
>人間性の面では「福沢諭吉の学問のすすめ」を
>読んだ方だ良いという印象を受けました。
>宇田さんは物理学を心ざす、
>一人の人であります。
>人であるからのは理性を持って行動、
>発言してもらいたいです。
>私は宇田さんを軽んじて書いているのでは
>ありません。
>自分の持っている理論、能力が
>準一流の域に足していようとも
>その人の人間性が具備されていなければ
>ならないと考えます。
>日本物理学会で認められる様な論文を
>ホームページで掲載してる
>(現に主張している事が正しいならば、
>そらは素晴らしくかつ認められるべきものだと
>思いますが)のに
>日本物理学会が正当にそれを評価していない
>と考えているならば、
>其れは自分の能力で認められる論文を
>書なけらば行けない立場にいると思います。
>其処に占有権が入って来ては行けないと
>考えますが…。
>其処で自分が認められるために完成された
>自己の物理学を教えようとするのなら、
>私は賛成出来ません。
>そうならば、利己主義に近いものがあります。
>私は宇田さんから具体的な助言を受けています。
>だからと言って、技術面は抜きにして、
>私が宇田さんの考えに助言や宇田さんが
>知らない情報を全く知らせていないとは
>ならないでしょう。
>其処では立場は同等でなくてはいけない
>と思います。
>宇田さんはどうも其処の所が
>私と意見が違う様に思われてならないのです。
>私が入塾する意志を表明した前に主張した事を
>覚えていますか?
>私を軽んじてはいませんか?
>私も一人の人間として意志を持っています。
>突然ですが、
>私は宇田英才教室を退塾する事にします。
>但し、
>古典物理学の本と力学の教材の印刷物と
>その写しのノートとメールの破棄それと
>一ヶ月分の学費と郵送代を返す事を約束します。
>但し私は最後に宇田さんの意見を聞く義務が
>あると考えます。
>「最後通知」という件名でのメールを読む事を
>約束します。
>以上が私の主張であり、考えです。

まず最初に、
僕は、
批判を受ける事を相手の失礼だとは思いません。
だから、
渡邉さんのメールの最初の部分を読んだ段階では、
ホッとして
「いくらでも批判してください」と思いました。
僕が一番恐れていた事は、
渡辺さんが、僕との関係を絶つ、
と言い出す事でした。
そして、メールの後半部分にそれを見たときには、
「一番恐れていた事が起こった」と落胆しました。
このメールを読むことによって、
僕との関係を絶つ、
という意思を変更してくだされば幸いです。
切にそれを望みます。

さて、それでは、僕の言い分を述べます。

僕は日本物理学会に一通だけ論文を投稿し、
それは却下されましたが、
それを不服だとは一言も書いていません。
却下は正当だ、と書いているはずです。
日本物理学会での発表の講演概要を
ホームページにいくつも掲示していますが、
あれらは論文ではありません。
僕が論文却下に異議を唱えているのは、
日本物理学会ではなく、
日本科学哲学会に投稿した論文についてです。
却下に納得できない理由を理性的に
キチンと書いているつもりです。
その理由が正しいならば、
却下されない論文を書け、
という主張の方が間違っています。
僕がそういう立場にいる、という主張は、
不正の是認でしかありません。

また、僕は利己的か?という質問に対しては、
答えは「はい」です。
しかし、僕は、
自分が利己的だ、という事を認めない人の全てを、
自己認識力の欠如した人か、または
うそつきか、または、
両方の性質を兼ね備えた人だと思っています。
福沢諭吉「学問のすすめ」よりも
リチャード・ドーキンス著「利己的な遺伝子」でも
読んだ方が良いんじゃあないですか?
僕の正義観は
「行ないさえ正しければ動機は何でも良い」
というものです。
所詮誰もが動機は利己的なのだから、
高々行ないにおいてのみ正しい人に
成る事が出来るに過ぎません。
渡邉さんは、僕の心の中(動機)を見て、
僕を否定的に評価するようになったと思います。
そういう態度は間違った態度です。
僕の行ないのみを見てください。
動機については、入塾前にも、
「生徒が居るというステータスが欲しい」という本音を
正直にも僕は吐露しています。
渡邉さんは、
それを見た上で入塾なさったのですから、
今さら、僕の動機が利己的だから退塾する、
というのは筋が通りません。
渡邉さんのは、
「僕は人間性に欠ける所があり、
 極論を言えば僕は利己主義者だ。
 この様な僕の態度は理性的ではない。」
というものですが、
まず、渡邉さんは、
僕の人間性を語るには
まだ早過ぎるんじゃないかと思います。
これは渡辺さんが若いという意味ではなく、
僕と付き合い始めてからの日があまりにも浅い、
と言いたいのです。
次に、
僕は、自分がいかに利己的であるかを正直に
白状している点において、
異常なまでに理性的だ、という事を主張したい。
占有権については、
これは言い換えれば著作権や特許権です。
僕は、普通に主張されているほどこれらを
認めなくても良いんじゃあないか、
と書いてるはずなんですが。
渡邉さんは逆に解釈してるようです。
僕にも最小限度の権利はある、という意味で、
「僕はこの本の著作権を放棄するわけではない」
という記述もありますが。
それから占有権と論文却下との関係については、
僕は何も述べていません。
「僕の考えに助言や僕の知らない情報を
 全く知らせていない」
という批判を僕は渡邉さんにしましたっけ?
どの部分がそうなんですか?
立場は同等、という点については、
僕も同等と考えていますよ。
利己主義だから同等なんです。
献身だったら、僕は恩人に成ってしまい、
立場が同等に成りませんから。
僕の渡邉さんへのメッセージから、
僕が渡邉さんを軽んじている、
と渡辺さんがお感じになったのでしょうか?
そうだとしたら、
「僕は、相手が大統領であっても
 ノーベル賞学者であっても
 同じように書きますよ」
と反論します。
以上を読んで、
自説が十分に論駁されたと感じたならば、
退塾宣言を撤回してください。

ついでですが、
僕を準一流と評価するのは、僕にとって不満です。
僕は一流を超える部分を持っており、
そういう部分があるからこそ、
秘伝、なんて事をするんです。
一流で良いのならば、
一流の学者の書籍を読めば良いでしょう。
いくらでもありますよ、そんなもの。
もちろん、僕はまだ、
重要な面で一流に達していない事も事実ですが、
一流を超える側面を一つでも持っていれば、
僕を、準一流、と呼ぶ事は侮辱でしょう。

「最後通知」というのは、
相手に何かを要求し、
それを認めなければ報復措置に出るぞ、
という脅しをかけている状態において、
脅す側がする行為です。
僕の本メール送信は、
そのような行為に該当しません。
2004/04/19/09:25 誠実な返答をまず、有り難う御座います。私は宇田さんを準一流と表したのはまだ私が宇田さんの本当の実力を押しはかれないからだと考えるのと、私が一流もしくは超一流と評価する人はそう簡単ではないという事から来ていると考えます。例えばアインシュタインでさえ一流や超一流とは思わなくなって来ているからであります。アインシュタインもやはり、一人の人間であって優れた物理学者ではあるがそれだけでは評価してはいけないと思うのです。前に述べたように物理学者であっても人間性を具備していなければならないと考えます。それは利己的で有っては行けないと言う意見であるます。と言うのも人間であるからには何処かしら利己的であると言う宇田さんの意見はある意味で的を射る意見だと考えますが、利己的な動機では行いが正しいと思われる場合であっても、その人の人間性は濁ってしまうと思われます。私はその人の行いを評価する時は動機も大事だと考えます。私は宇田さんにそうなって欲しくはないと考えるから話しをします。
また宇田さんは対等の立場だからこそ利己的でなけらば行けないと書いていますが、献身的であったら恩人になるのではなく、お互いに(言葉を借りれば)献身的であればその関係は対等に近いものがあるとは考えられませんか?
まだ宇田さんの意見のすべてに答えてはいませんから(意見の違いがあるので)、まだメールをするつもりでいます。ただ宇田英才教室の件は暫くは(休学という言葉を使います。正しく理解して欲しいですが)休学という言葉で一時、物理学を教えてもらうという事は無しにして宇田さんと話しをしていきたいと思っています。
2004/04/19/10:52 >私は宇田さんを準一流と表したのは
>まだ私が宇田さんの本当の実力を押しはかれ
>ないからだと考えるのと、

だったら、評価を差し控えるべきだと思います。

>私が一流もしくは超一流と評価する人は
>そう簡単ではないという事から来ていると
>考えます。
>例えばアインシュタインでさえ
>一流や超一流とは思わなくなって来ているから
>であります。
>アインシュタインもやはり、
>一人の人間であって優れた物理学者ではあるが
>それだけでは評価してはいけないと思うのです。

これは僕の意見(僕を準一流と評価するな)を
論駁するための十分な力を持っていると考えます。

>前に述べたように物理学者であっても人間性を
>具備していなければならないと考えます。
>それは利己的で有っては行けない
>と言う意見であるます。
>と言うのも人間であるからには何処かしら
>利己的であると言う宇田さんの意見は
>ある意味で的を射る意見だと考えますが、
>利己的な動機では行いが正しいと思われる場合
>であっても、
>その人の人間性は濁ってしまうと思われます。
>私はその人の行いを評価する時は
>動機も大事だと考えます。
>私は宇田さんにそうなって欲しくはない
>と考えるから話しをします。

これは厳しいご意見ですねえ。
それは僕の現在の姿よりも、
渡辺さんがそうあってほしいというものの方が
良いに決まってます。
しかし、そこまで高い倫理性を僕に要求するのは、
寛容さに欠ける事であり、
この事は、
渡邉さんの主張する高い倫理性に達しない事よりも
悪い事なのではないでしょうか。
もちろん、
「だから、現在の僕を人生の師と仰ぐ事は出来ない」
とおっしゃるなら、それは理にかなった事です。
しかし、
「だから、僕から物理学を習う事をしない」
というのは、寛容さに欠けると思います。
僕は犯罪者じゃあないんですから。

>また宇田さんは対等の立場だからこそ
>利己的でなけらば行けないと書いていますが、
>献身的であったら恩人になるのではなく、
>お互いに(言葉を借りれば)献身的であれば
>その関係は対等に近いものがあるとは
>考えられませんか?

なるほど、僕は、
お互いに奪い合う(少し語弊がある)から対等、
という論理でしたが、
お互いに与え合うから対等、
という論理もあるわけですね。
良く分かりました。
これについては、渡辺さんが、
与え合う対等な関係を持つ事はするが、
奪い合う対等な関係を持つ事はしない、
という主義をお持ちならば、
そのことは、
「僕から物理学を習う事はしない」
という態度を取る正当な理由に成ると思います。

>まだ宇田さんの意見のすべてに答えては
>いませんから(意見の違いがあるので)、
>まだメールをするつもりでいます。
>ただ宇田英才教室の件は暫くは
>(休学という言葉を使います。
>正しく理解して欲しいですが)休学という言葉で
>一時、物理学を教えてもらうという事は無しにして
>宇田さんと話しをしていきたいと思っています。

有難う御座います。
物理の先生・生徒ではなく、人生の友として、
話し合う事を続けてくだされば幸いです。

ちなみに、渡辺さんが、
一流とか一流を超えると評価する人物は、
固有名詞で言うと誰なんですか?
よろしければ教えて下さい。
2004/04/19/13:23 まず訂正から始めます。

>また宇田さんは対等の立場だからこそ
>利己的でなけらば行けないと書いていますが、
>献身的であったら恩人になるのではなく、
>お互いに(言葉を借りれば)献身的であれば
>その関係は対等に近いものがあるとは
>考えられませんか?

<なるほど、僕は、
<お互いに奪い合う(少し語弊がある)から対等、
<という論理でしたが、
<お互いに与え合うから対等、
<という論理もあるわけですね。
<良く分かりました。
<これについては、渡辺さんが、
<与え合う対等な関係を持つ事はするが、
<奪い合う対等な関係を持つ事はしない、
<という主義をお持ちならば、
<そのことは、
<「僕から物理学を習う事はしない」
<という態度を取る正当な理由に成ると思います。

上記で僕は少し間違った事を書きました。
渡辺さんが退塾宣言なさる前の状態は、
僕が一方的に渡邉さんに教え、
渡邉さんから僕が教わる事はほとんど無い、
という状態でした。
ホームページに掲示した説明資料の作成に
費やした僕の労力は
半端なものではありませんでした。
この状態で、
僕にもし利己的な打算が無かったとすれば、
後で返してもらえるかも知れないとは言え、
僕は渡邉さんに貸しを作った事になります。
このことにより対等ではない関係が生じます。
互いに与え合う対等な関係は
存在し得なかったのです。
僕には与えるものがあり、
渡邉さんにはそれが無かったからです。

さて本論に入ります。
内面の自由というものは、
他人の内面が自分の思うようなものであって
欲しい、
という欲求よりも優先されねば成りません。
したがって、
人間性に欠ける内面を持つ事は、
それが犯罪に結びつかない限り、
自由であり、
それに対して、
他人の内面を自分の望ましいものにする権利を、
誰も持ってはいません。
つまり、
人間性に欠ける内面を持つ人を見て、
その人の内面が自分に好ましいものではなくても、
その事に対して寛容でなくてはいけないのです。
これが寛容の義務です。
僕にとって、渡邉さんの退塾は脅威でした。
したがって、
僕の内面に注文を付け、
僕の内面が渡邉さんの意に沿わぬ事を理由に
退熟する事は、
僕の内面の自由を侵すものと考えます。
授業内容が道徳ならば話は別ですが、
授業内容は物理学とその哲学ですから、
そういう事になります。

最後に念を押しておきます。

人間性に欠ける内面を持つな、という主張よりも、
他人の内面に干渉するな、という主張の方が、
優先的に尊重される。

この事を認めていただきたい。
2004/04/20/10:53 以前、僕は、
日本物理学会に提出した論文が却下された事を
「正当だ」と書いているはず、
と述べましたが、
調べてみるとこれは誤りでした。
以前書いていたのですが削除したようです。
しかし、
日本物理学会の論文却下に異議を唱える事は
僕のサイト内のいかなる場所にも書かれて
いない事は、間違いのない事実です。

以上、気付きましたので、速やかに報告いたします。
2004/04/20/11:11 > まず訂正から始めます。
>
> >また宇田さんは対等の立場だからこそ
> >利己的でなけらば行けないと書いていますが、
> >献身的であったら恩人になるのではなく、
> >お互いに(言葉を借りれば)献身的であれば
> >その関係は対等に近いものがあるとは
> >考えられませんか?
>
> <なるほど、僕は、
> <お互いに奪い合う(少し語弊がある)から対等、
> <という論理でしたが、
> <お互いに与え合うから対等、
> <という論理もあるわけですね。
> <良く分かりました。
> <これについては、渡辺さんが、
> <与え合う対等な関係を持つ事はするが、
> <奪い合う対等な関係を持つ事はしない、
> <という主義をお持ちならば、
> <そのことは、
> <「僕から物理学を習う事はしない」
> <という態度を取る正当な理由に成ると思います。
>
> 上記で僕は少し間違った事を書きました。
> 渡辺さんが退塾宣言なさる前の状態は、
> 僕が一方的に渡邉さんに教え、
> 渡邉さんから僕が教わる事はほとんど無い、
> という状態でした。
> ホームページに掲示した説明資料の作成に
> 費やした僕の労力は
> 半端なものではありませんでした。
> この状態で、
> 僕にもし利己的な打算が無かったとすれば、
> 後で返してもらえるかも知れないとは言え、
> 僕は渡邉さんに貸しを作った事になります。
> このことにより対等ではない関係が生じます。
> 互いに与え合う対等な関係は
> 存在し得なかったのです。
> 僕には与えるものがあり、
> 渡邉さんにはそれが無かったからです。
>
> さて本論に入ります。
> 内面の自由というものは、
> 他人の内面が自分の思うようなものであって
> 欲しい、
> という欲求よりも優先されねば成りません。
> したがって、
> 人間性に欠ける内面を持つ事は、
> それが犯罪に結びつかない限り、
> 自由であり、
> それに対して、
> 他人の内面を自分の望ましいものにする権利を、
> 誰も持ってはいません。
> つまり、
> 人間性に欠ける内面を持つ人を見て、
> その人の内面が自分に好ましいものではなくても、
> その事に対して寛容でなくてはいけないのです。
> これが寛容の義務です。
> 僕にとって、渡邉さんの退塾は脅威でした。
> したがって、
> 僕の内面に注文を付け、
> 僕の内面が渡邉さんの意に沿わぬ事を理由に
> 退熟する事は、
> 僕の内面の自由を侵すものと考えます。
> 授業内容が道徳ならば話は別ですが、
> 授業内容は物理学とその哲学ですから、
> そういう事になります。
>
> 最後に念を押しておきます。
>
> 人間性に欠ける内面を持つな、という主張よりも、
> 他人の内面に干渉するな、という主張の方が、
> 優先的に尊重される。
>
> この事を認めていただきたい。
>
 まずは固有名詞を上げて欲しいと言う事から、話しをします。私が一流または超一流という表現は好まなくなった事を伝えます。その上で私の感受性に親友でなく強く惹かれた人を上げるなら「尾崎豊」です。
 上述の其の授業内容が問題なのです。もう一言、言うと其の(物理学の)哲学がかなり問題だと思うのです。私は物理学は知ってのと通り全くの素人です。がドンデモと表されてしまいましたが私は私なりに物理的哲学ないし科学的哲学は持っています。それは宇田さんが上述した様に他人の哲学に干渉するなと言う主張をしたらどう考えますか?
 確かに、例えば宗教については自分の主張が正しいからあなたも信じなさいというのはどうもおかしと思います。宗教には「信仰の自由」というものが前提に有る事は言うまでもりません。しかし他人の内面に干渉するなと言う事を主張するなら、そらがいかなる事であっても(たとえ物理学であっても)その範疇に入って来てしまうのではないでしょうか?勿論、私が教えて下さいと言いましたが…。私が言いたいのは、私は宇田さんと話しがしたいのであって人間性については私は必ずそうしなさいと言っているのではありません。私は感じた事を素直に(語は足らないかもしれませんが)表現しているだけです。
 また対等な関係は存在しなかったという意見ですが、物理学、例えば東京大学の入試問題などの全く私の知らない事について教えてくれた事は感謝しています。その労力は半端ないものがあった事は私でも容易に解ります。その分、宇田さんが貸しを作ったという主張も当たり前と思います。しかしそれはまだ宇田さんとの関係が始まったばかりだという事を思い出して欲しいのです。今までの短期的な中では宇田さんの言うと通りです。しかしこれからの事を考えるとき、物理学(学術的な)では何もできない事は多分に確かだろうと思います。だけど私はそれ相応の事をすると約束しています。私は今の段階で宇田さんに感謝の気持ちがあるのです。しかし宇田さんが言う様に私に取って物理的哲学や科学的哲学さらに人間性を「奪い合う対等な関係(少し語弊がある)」にはしたくはないのです。
2004/04/20/12:27 >まずは固有名詞を上げて欲しいと言う事から、
>話しをします。
>私が一流または超一流という表現は
>好まなくなった事を伝えます。
>その上で私の感受性に親友でなく強く惹かれた
>人を上げるなら「尾崎豊」です。

分かりました。
自分で主体的に考えるという態度が
渡邉さんにはある事が分かり、
その事を渡邉さんの優れた点だと思います。
尾崎豊ですか。
だったら、僕が歌うところを見れば、渡邉さんは、
僕も血の通った人間だという事を
感じ取る事が出来るかもしれませんね。


>上述の其の授業内容が問題なのです。
>もう一言、言うと
>其の(物理学の)哲学がかなり問題だと
>思うのです。
>私は物理学は知ってのと通り全くの素人です。
>がドンデモと表されてしまいましたが
>私は私なりに物理的哲学ないし科学的哲学は
>持っています。
>それは宇田さんが上述した様に
>他人の哲学に干渉するなと言う主張をしたら
>どう考えますか?

内面の自由と寛容の義務は、
他人の主義主張に口を出すな、
という事ではありません。
表現の自由というものもありますから。
僕が言ったのは、
相手の内面を理由に交際を拒否する態度は
内面の自由と寛容の義務に反する、
という事です。
相手と自分の主義主張が食い違っていたときに、
相手を言い負かそうとするな、討論するな、
という事ではありません。
議論・討論は大いにやって良いのです。
やっていけない事は、
意見の食い違いを理由に絶交を言い渡す事です。
これは、違法行為ではないかもしれませんが、
解雇だったら違法行為になります。

>確かに、例えば宗教については
>自分の主張が正しいからあなたも信じなさい
>というのはどうもおかしと思います。
>宗教には「信仰の自由」というものが
>前提に有る事は言うまでもりません。
>しかし他人の内面に干渉するな
>と言う事を主張するなら、
>そらがいかなる事であっても
>(たとえ物理学であっても)
>その範疇に入って来てしまうのでは
>ないでしょうか?

ですが、相手を説得する事は許されると思います。
これが真実だからこれを認めなさい、
と有無を言わさず押し付けるのではなく、
相手が認めざるを得ないような論を構築して、
それを相手に提示し、
相手からの反論や疑問にも耳を傾ける。
そして相手が納得するまで執拗に説得を続ける。
こういう態度は許されると思います。
僕の取った態度はこういう態度であり、
自分の意見が正しいからには、
必ず説得できるはずだ、
という揺るぎない自信を持って
渡邉さんと物理や数学の話をしたつもりです。
僕の論は説得力が強すぎるために、
聞き手が「押し付けられた」と感じて
嫌がるケースは、たくさん経験しています。

>勿論、私が教えて下さいと言いましたが…。
>私が言いたいのは、
>私は宇田さんと話しがしたいのであって
>人間性については私は必ずそうしなさい
>と言っているのではありません。
>私は感じた事を素直に
>(語は足らないかもしれませんが)
>表現しているだけです。

そういうことであれば、
いくら僕を批判してくださっても結構ですよ。
その代わり僕も容赦なく反論しますけど。

>また対等な関係は存在しなかった
>という意見ですが、

いいえ、そうは言ってません。
僕は利己的な打算のもとに渡邉さんへの
サービスを行なっているので、
対等な関係だ、と言ってるんです。
「利己的な打算が無ければ
 僕は渡邉さんに貸しを作った事になる」
とはそういう意味です。

>物理学、例えば東京大学の入試問題などの
>全く私の知らない事について教えてくれた事は
>感謝しています。

渡辺さんが感謝するのは自由ですが、
将来、僕に感謝を求めないで下さいね。
僕も渡邉さんに感謝を求めません。
僕は利害の平衡によって感謝や恩といったものを
生じさせないように努めています。
対等な関係を維持するためです。

>その労力は半端ないものがあった事は私でも
>容易に解ります。
>その分、宇田さんが貸しを作ったという主張も
>当たり前と思います。

上述した理由により、
僕は貸しを作ったとは考えておりません。
もし僕に利己的な打算が無ければ
貸しを作った事になる、と言っているんです。
僕には利己的な打算があるから、
貸しを作った事にはなりません。

>しかしそれはまだ宇田さんとの関係が
>始まったばかりだという事を思い出して欲しい
>のです。
>今までの短期的な中では宇田さんの言うと通り
>です。
>しかしこれからの事を考えるとき、
>物理学(学術的な)では何もできない事は
>多分に確かだろうと思います。
>だけど私はそれ相応の事をすると
>約束しています。
>私は今の段階で宇田さんに感謝の気持ちが
>あるのです。
>しかし宇田さんが言う様に私に取って
>物理的哲学や科学的哲学さらに人間性を
>「奪い合う対等な関係(少し語弊がある)」には
>したくはないのです。

奪い合う、
というのは僕の表現が悪かったですねえ。
利己的という観点から言えば、
利用しあう、という表現が正しいかな?

僕は自分を利己のかたまりだ、
という風に言いましたが、
僕には自分を悪く言いすぎる傾向があるんです。
旺盛な批判精神のせいです。
自分の中に利他的に見える部分もあるのですが、
自己認識力の不足によってそう見えるだけで、
利他的に見えるものも本当は利己的な理由から
生じているのだろう、と考えています。

宇田君でした。
2004/04/20/13:12 私は宇田さんを傷つけてしまったのですね。
一言、わびさせて下さい。どうもすみませんでした。
2004/04/20/15:29 >私は宇田さんを傷つけてしまったのですね。
>一言、わびさせて下さい。
>どうもすみませんでした。

この様に率直に謝罪されて
悪い気持ちのするものではありません。
人間なかなか
渡邉さんのように素直にはなれないものです。
今回の渡邉さんの態度は渡邉さんの人格の
善良さを証明するものだと思います。

これからもよろしく。
2004/04/20/18:09 こちらこそ、これからも宜しくお願いします。今、一日に、メモ用紙1ページ分「時空と重力の新理論」を写しています。メモ用紙に写し終えた時に宇田さんに送るつもりです。おまけ付きで。宇田さんが、多分知っている事だとは思いますが。
宇田さんの歌を聴きながら書いています。宇田さんの声は優しいですね。カントリーが好きなところ、とても人柄を感じます。人の声を良く聴くとその人の本質が見えてくる様な気がしてくるのです。最近私も尾崎豊の歌を口ずさんでいる事があります。中学時代の事を思い出します。歌は良いですね!!
2004/04/20/23:17 >こちらこそ、これからも宜しくお願いします。
>今、一日に、メモ用紙1ページ分
>「時空と重力の新理論」を写しています。
>メモ用紙に写し終えた時に宇田さんに送る
>つもりです。おまけ付きで。
>宇田さんが、多分知っている事だとは
>思いますが。

ご苦労様です。楽しみに待ってます。

>宇田さんの歌を聴きながら書いています。
>宇田さんの声は優しいですね。
>カントリーが好きなところ、とても人柄を感じます。

あはは。
僕の歌唱は
繰り返して聴くほどのものでもないでしょう。
中堤君は繰返して聴いてるみたいだけど。
カントリーで僕の人柄、
という発想は当然の事だと思います。
ですが、
カントリーというのは、いろいろな曲があって、
どれもが共通して今回のような牧歌的なもの、
というわけではないんです。
激しいもの、美しいもの、泣き叫ぶように歌うもの、
カッコイイもの、と、実に多種多様です。
そういう部分まで考慮に入れた上で言うならば、
カントリー好きである事から
僕の人柄はある程度限定されます。
声が優しいというのは、
僕が意図的にそういう声を作ってるからなんです。
というのは、
初めて自分の歌唱を録音して聴いたとき、
自分の声がいかにガラガラ声であるかに驚き、
改善の必要性を感じたからなんです。
録音して聴く前は、
自分の声は実に
プロのカントリーシンガーに近いものに
聴こえていました。
ところが録音して聴いてみるとまるで違う。
つまり、
頭蓋骨を伝わって来る音波と
空気を伝わって行く音波とは違う
という事が分かったんです。
それ以来、声については色々と工夫をしています。
イメージとしては
声帯の振動に頼るよりも気管を笛のように使って
発生する方が
空気中を伝わって行く声は良くなるみたいです、
僕の感覚では。
大げさに言えば、
明瞭度を最大限に上げた声よりも、大声で
ささやくような声の方が美しい、という事でしょうか。
そうすると、優しく聞こえる声になるんです。

>人の声を良く聴くとその人の本質が見えてくる様な
>気がしてくるのです。
>最近私も尾崎豊の歌を口ずさんでいる事が
>あります。
>中学時代の事を思い出します。
>歌は良いですね!!

はい、歌は良いです。
僕には、
歌を聴いて人物を評価する能力はありません。
ほとんどの人が歌はかなり下手です。
それでも人格の良い人はたくさんいます。
下手でも歌に人格の良さを見出せる、
とお考えなのでしょうが、
人格が歌ににじみ出るレベルまで行かないのが
普通だと思います。
僕は、日本では、「鬼束ちひろ」を高く評価します。
彼女の作品は他者の作品と桁が違うと感じます。
ホームページに僕の歌唱を挿入したいのですが、
著作権の問題があるから、遠慮しています。
僕が鬼束を歌うと非常に激しいです。激唱です。
カントリーソングでは、英語発音に気を取られて、
もっと大切なはずの表現力が発揮できませんが、
鬼束を歌うときにはそんなことはありません。
渡邉さんは尾崎豊の、歌だけでなく人間性まで
見ておられるようですが、
僕は尾崎豊の人間性を知りません。
彼の音楽について言うならば、
まず、声の良さが際立っていますね。
それから作曲において高い音楽性をしめしている、
この様に思います。
渡邉さんは
彼の歌詞の内容を高く評価するのでしょうか?
僕は鬼束の歌詞は天才的だと思います。
もちろんメロディーも抜群ですが。

さて、音楽について、
少し僕の話しに付き合ってください。
僕にとって音楽は、僕の心です。
学問が僕の理性であるのに対して、
音楽は僕の心なんです。
だから
僕の音楽に対する態度は真剣の一語に尽きます。
したがって、
音楽に求めるものは心地良さではありません。
悲痛であったり、崇高であったり、荘厳であったり、
美しさであったり、
そういった様々な極端を僕は音楽に求めます。
聴いてて「ああ、良いなあ」という音楽は、
僕にとっては最高の音楽ではありません。
「No Place That Far」は情緒的極端を表現する
ものではありませんが、
音楽性が優れているので採用しました。
情緒的極端こそが僕の音楽趣味の真骨頂であり、
その事をお伝えできる日を楽しみにしてます。
次回のカントリーはそういうもの歌おうと思うし、
黒板でとっておきの音楽を紹介しようと思います。
乞う、ご期待。

宇田君でした。
2004/04/21/07:13 > 僕は、日本では、「鬼束ちひろ」を高く評価します。
> 彼女の作品は他者の作品と桁が違うと感じます。
「鬼束ちひろ」のホームページ見ました。「Beautiful Fighter」「嵐ヶ丘」「いい日旅立ち・西へ」「私とワルツを」を視聴しました。私は歌に求めるのは優しさだけでは有りません。少し、しか聴けなかったのですが、なかなか気に入りました。マキシシングル(いい日旅立ち・西へ)を買ってみようかなと思いました。
心に響いてくる歌が好きなのです。尾崎豊は私の青春時代に良く聴いた歌です。だから一番、感受性が豊かな時に聴いた歌でもあります。だから良く尾崎豊その人を知る事が出来たのではないでしょうか。
最近、私が注目しているアーティストは「柴田淳」です。マキシシングルの「未成年」がとても気に入っています。作詞・作曲を自分でやっている所が凄いと感じています。
> 彼の歌詞の内容を高く評価するのでしょうか?
> 僕は鬼束の歌詞は天才的だと思います。
> もちろんメロディーも抜群ですが。
歌の内容、高く評価しています。僕も尾崎豊に天才的なものを感じます。
> さて、音楽について、
> 少し僕の話しに付き合ってください。
> 僕にとって音楽は、僕の心です。
> 学問が僕の理性であるのに対して、
> 音楽は僕の心なんです。
> だから
> 僕の音楽に対する態度は真剣の一語に尽きます。
> したがって、
> 音楽に求めるものは心地良さではありません。
> 悲痛であったり、崇高であったり、荘厳であったり、
> 美しさであったり、
> そういった様々な極端を僕は音楽に求めます。
> 聴いてて「ああ、良いなあ」という音楽は、
> 僕にとっては最高の音楽ではありません。
> 「No Place That Far」は情緒的極端を表現する
> ものではありませんが、
> 音楽性が優れているので採用しました。
> 情緒的極端こそが僕の音楽趣味の真骨頂であり、
> その事をお伝えできる日を楽しみにしてます。
> 次回のカントリーはそういうもの歌おうと思うし、
> 黒板でとっておきの音楽を紹介しようと思います。
> 乞う、ご期待。
>
> 宇田君でした。
>
>
「情緒的極端」とは具体的にはどういう意味に取れば良いのですか?次回のカントリーを期待しています。では、また!!
2004/04/21/11:31 >マキシシングル(いい日旅立ち・西へ)を
>買ってみようかなと思いました。

渡辺さんが良いとお感じになるものをお買いに
なるのが良いと思いますが、
余計なお世話かもしれませんが、
僕は鬼束の「いい日旅立ち」を良いとは思いません。
彼女は「いい日旅立ち」を理解してないと思う。(笑)
鬼束でお薦めなのは、
「月光」「BACK DOOR」「シャイン」「CROW」
です。
中でも「月光」は、鬼束を世に知らしめた代表作。
昨日ネットで鬼束のスコアを注文しました。
キーボードで伴奏しながら歌えるようになりたい。

>尾崎豊は私の青春時代に良く聴いた歌です。
>だから一番、感受性が豊かな時に聴いた歌でも
>あります。

僕の音楽歴は「今日の音楽」ページにあります。
中学生の頃は僕はポールモーリアでした。
僕の趣味は年齢と共に変化しており、
今ではオルガンと声楽が最好です。
黒板(極秘)にパレストリーナのミサ曲を挿入して
おきました。ぜひ、聴いてみて下さい。
ひょっとすると
カルチャーショックを受けるかもしれませんよ。
そのぐらい素晴らしい曲です。
パレストリーナはルネッサンス音楽の巨匠で、
ルネッサンスのミサ曲には、色々な作曲家の
素晴らしい曲が数え切れないほどあります。
ルネッサンス・ミサは1つのジャンルと
言えるほどです。
僕はルネッサンス・ミサが大好きです。
これは声楽です。

>「情緒的極端」とは具体的には
>どういう意味に取れば良いのですか?

聞くと目をギュッと閉じて震えながら深くハァーと
嘆息しながら涙が溢れて来るような曲の
持つ特徴が、ひとつの例です。

宇田君でした。
2004/04/22/16:36  声楽は神聖さを感じる歌だと思います。私のは勿体ない神聖さです。私にはまだ分かりません。私が無神論的立場を取るからでしょうか…。
2004/04/22/18:36 >声楽は神聖さを感じる歌だと思います。
>私のは勿体ない神聖さです。
>私にはまだ分かりません。
>私が無神論的立場を取るからでしょうか…。

声楽にも世俗歌曲というのがあります。
これは今と変わらず昔も恋の歌です。
キリスト教聖歌以外でも、
オルガン曲がかなり神がかってますよ。
僕って、そういうのが好きなんです。
僕も無神論者なのに。
僕にも自分の心の中がどうなってるのか
分かりません。
無神論者なのに
やたらキリスト教芸術を好むんです、僕は。
公開第一サイトの
「図画集」>「Gallery」を見てみると面白いですよ。
ゴシック建築の大聖堂なんかも大好きです。
黒板(極秘)には、もっとインパクトの強いのを
入れ替えときます。
2004/04/22/19:31  アルバム、鬼束ちひろ「インソムニア」を買いました。今まで出会った事のない感性を持っている人でした。私の感受性が研ぎ澄まされる良い人に出会い、私の内面が広く広がりそうです。もっと人を理解する事が出来ると感じました。
 宇田さんの「情緒的極端」と言う表現も分かって来ました!!
2004/04/22/20:06  ヤンキー先生母校へ帰るで有名になった「義家弘介」さんが書いた、ヤンキー先生母校に生きるを読み始めました。共に生き、そして笑い、泣く。喜怒哀楽を示す事の出来る大切な場所が其処には描かれていました。楽しくあっという間に一節を読み終えてしまいました。僕の中学もそんな生き方の出来る幸せな中学でした。こんな時代だからこそ(「自分の糧を頼りに生きて行かなければ」-尾崎豊)。と改めて思いました。私は私らしく生きて生きたいそう感じ、またそう努力して行こうと思え幸せな時を過ごしました。
2004/04/22/20:32 >アルバム、鬼束ちひろ「インソムニア」を
>買いました。
>今まで出会った事のない感性を持っている人
>でした。
>私の感受性が研ぎ澄まされる良い人に出会い、
>私の内面が広く広がりそうです。
>もっと人を理解する事が出来ると感じました。
>宇田さんの「情緒的極端」と言う表現も
>分かって来ました!!

一番良いのを買いましたね。
「情緒的極端」を分かってくれて有難う。
他人に理解されるというのは
気持ちの良い事ですね。
逆だと欲求不満になったりするから、
あまり期待はしない方が良いですけど。

>ヤンキー先生母校へ帰るで有名になった
>「義家弘介」さんが書いた、
>ヤンキー先生母校に生きるを読み始めました。
>共に生き、そして笑い、泣く。
>喜怒哀楽を示す事の出来る大切な場所が
>其処には描かれていました。
>楽しくあっという間に一節を読み終えて
>しまいました。
>僕の中学もそんな生き方の出来る幸せな
>中学でした。
>こんな時代だからこそ
>(「自分の糧を頼りに生きて行かなければ」
>-尾崎豊)。と改めて思いました。
>私は私らしく生きて生きたいそう感じ、
>またそう努力して行こうと思え
>幸せな時を過ごしました。

たくさん読むんですね。
僕は読書量が少なく、
その点をいつも引け目に感じてます。
少ないながらも読んだ本で偶然目に入って来る
単語とか、
テレビで識者がしゃべってるときに
偶然聞いた単語とか、
そういうものの中から
重要なものを敏感に感じ取って、
それらをキーワードとして僕は
自分の頭で勝手につなげてる事が多いです。
大外れな事を考えてる場合もありますが、
言葉の使い方が間違ってるだけで、
内容は結構良い線行ってると思ってます。
ああ、でも、本、もっと読まなくちゃあ。

宇田君より。
2004/04/23/11:18 黒板(極秘)に世俗歌曲を入れときました。
3曲目は器楽演奏のみなので省きました。
イメージとしては、
ヨーロッパ中世、裏庭、高貴なる閑暇、
といった感じです。
情緒的にはこれらは僕にとっては
「限りない脱力感」という極端を表わします。
絶望して脱力するのではなく、
苦役から開放されて真の自由を手に入れた者
のみに許されるノー・ストレス状態です。

つまらなかったら、そう言ってください。
インパクトの強いものを、と考えていたのですが、
色々あり過ぎるので選べなくて、
カセットに「すごくよい」とメモしてあるものを
挿入しました。
場合によっては、インパクト最弱かもしれません。

宇田君より。
2004/04/24/14:36  「重力と時空に関する新理論」まだ4分の1も進んでいません。一日、少しずつ書いているのですが…。
2004/04/24/15:11  私は西洋神に捧げる歌を好みません。それは西洋の神のが唯一絶対の存在として、描からていている場合が多いから好きではありません。私は西洋神が存在しているとしても、それを(捧げて歌う事)望まない様な気がします。
 だからその系統の歌は私の感性には訴えて来ません。ただ、神聖な歌と思うのです。但し、人は強く惹かれるもの(私を含め)愛してしまうのではないでしょうか。それは駄目だから止しなさいというのではないのですが…。
 真理を確信すればするほど、誤りに気づき難くなる事は多分にあると考えるのです。真理とは人が見つけた物の様に聞こえます。それだから行けないと言うのでは有りません。人のなかの真理が万物の真実の一つだと考えます。真実とは万物にたいしてやはり真実なのではないでしょうか?
2004/04/24/15:19 ikuo-w@***.jp wrote:

>  私は西洋神に捧げる歌を好みません。それは西洋の神のが唯一絶対の存在として、描からていている場合が多いから好きではありません。私は西洋神が存在しているとしても、それを(捧げて歌う事)望まない様な気がします。
>  だからその系統の歌は私の感性には訴えて来ません。ただ、神聖な歌と思うのです。但し、人は強く惹かれるもの(私を含め)愛してしまうのではないでしょうか。それは駄目だから止しなさいというのではないのですが…。
>  真理を確信すればするほど、誤りに気づき難くなる事は多分にあると考えるのです。真理とは人が見つけた物の様に聞こえます。それだから行けないと言うのでは有りません。人のなかの真理が万物の真実の一つだと考えます。真実とは万物にたいしてやはり真実なのではないでしょうか?
>
2004/04/24/15:27 (件名=修正)
 私は西洋神に捧げる歌を好みません。それは西洋の神のが唯一絶対の存在として、描からていている場合が多いから好きではありません。私は西洋神が存在しているとしても、それを(捧げて歌う事)望まない様な気がします。
 だからその系統の歌は私の感性には訴えて来ません。ただ、神聖な歌と思うのです。但し、人は強く惹かれるもの(私を含め)愛してしまうのではないでしょうか。それは駄目だから止しなさいというのではないのですが…。
 真理を確信すればするほど、誤りに気づき難くなる事は多分にあると考えるのです。真理とは人が見つけた物の様に聞こえます。それだから行けないと言うのでは有りません。人、一人のなかの真理が万物の真実の一つだと考えます。真実とは万物にたいしてやはり真実なのではないでしょうか?
2004/04/24/15:44 >「重力と時空に関する新理論」
>まだ4分の1も進んでいません。
>一日、少しずつ書いているのですが…。

ははあ、たくさん書いてあるんですねえ。
コピーして郵送って手もありますよ。
まあ、ゆっくりやってください。
イヤになったらやめても良いし。

振込み有難う御座いました。
たくさん入ってるのでビックリしました。

音楽について、言い忘れた事があります。
あの「極端な脱力感」についてですが、
「うらぶれた感じ」を伴う事が非常に大切なんです。
渡邉さんにとって、
尾崎豊が青春時代の記憶と深く結びついている
ように、
僕にとって、あの手の世俗歌曲は、
大学卒業後に独学の道を歩み始めた頃の
生活の記憶に深く結びついていて、
正確には言葉ではどう言って良いのか
分かりません。
ただ、
大学院に進んだ友人も企業に就職した友人も
忙しい毎日を送っていたに違いないし、
一歩自分の部屋から出れば、
色々な人がせわしなく働いている。
そんな雑踏や喧騒の音がかすかに遠くから
聞こえる自分の部屋で、
ここだけは静寂とゆっくりした時間が流れている。
さんさんと降りそそぐ日の光を浴びた緑ある裏庭を
ときどき見て、
見てないときにもそれを背に感じながら、
意図的に脱力して机に向かい、
ノルマの無い勉強に明け暮れていたときに、
あの手の世俗歌曲が聞こえて来る事は、
「うらぶれた感じ」の味わい深さが
脳髄にまで染み入って来る、ものでした。
みんなが忙しいのに、
何かを捨てれば自分だけは高貴なる閑暇のうちに
三昧の境地を得る。
勉強時間は大学の先生よりも多く取れるし、
試験で振り分けられないから、
本当に興味のある事だけをやれば良い。
机に向かってラチの開かない事は
発語しながらのゆっくりとした散歩で
解決の方向性を見出す。
しかしそれは極端にうらぶれている。
大学院に進んだ友人よりも勉強は遅れるし、
企業に就職した友人よりも貧乏だし、
結婚も死ぬまで出来ないかもしれない。
自分を社会から、
あるいは社会を自分から遠ざければ、
うらぶれた高貴なる閑暇を得る。
こういう経験を僕は極端に追求して、
その経験に根ざした感じ方を
音楽に対してするんです。
2004/04/24/18:53  やはり、アインシュタインは一流の物理学者であって、最善を尽くそうとした一人の人であると感じる様になりました。したがって宇田さんを準一流と評価したのはやはり私の驕りでしかなかったのでは。と考えています。そして私は宇田さんを正当に評価出来ない人間で有ったと考えています。
 私は前に話しをした様に自分で働いていない人間です。私は両親のお陰で生活しています。私が宇田さんに何か出来る事はもう殆どない状況にいるのです。其れを承知で聞いて欲しいのです。
 私が宇田さんの一流性を見るために、宇田さんの最前線の物理思想および宇田さん自身を表現してくれませんか。私も私の最前線の思想を、自分自身を正直に話しをしていく事を約束します。
 普通の物理学者は精神と物質の物理的相互関係はないと考えているようですが、私はそうは思いません。私は物質と精神が統一(単一性をも示す)された或ものやことが存在していると考えます(物理的見方を否定している訳ではないのです。それは私は正しいと考えています。)。そして其れを生み出している何かもあると考えています。其れらが(生み出しているものやことを含め)密接に関係し合い、単一性と統一性を示していると考えます。
 上の一節が私の思想の前書きの様なものです。但し、宇田さんがこのような話しは困ると言うなら、依然と同じ付き合いにして下さい。私は押しつけをするつもりは有りません。しかし私は宇田さんに真正面に向き合って行きたい。
2004/04/24/20:05 >やはり、
>アインシュタインは一流の物理学者であって、
>最善を尽くそうとした一人の人であると
>感じる様になりました。
>したがって宇田さんを準一流と評価したのは
>やはり私の驕りでしかなかったのでは。
>と考えています。
>そして私は宇田さんを正当に評価出来ない
>人間で有ったと考えています。
>私は前に話しをした様に
>自分で働いていない人間です。
>私は両親のお陰で生活しています。
>私が宇田さんに何か出来る事はもう殆どない
>状況にいるのです。

渡邉さんにだけ身の上を打ち明けさせて
僕が自分の身の上を隠すというのは
良くないと思いますので、
僕の身の上も打ち明けますが、
僕も今
時分の稼ぎで生活しているのではありません。
この事を負い目に感じる必要は無いと思います。
理由は今回は省略します。
渡辺さんが僕に出来る事は、
僕の生徒で居てくれる事です。
渡辺さんが僕の生徒で居てくれると、
料金のようなものを払ってくれなくても、
僕は大変助かるんです。
なぜなら、僕には生徒が■人居る、
と自慢できるからです。
これは料金を払ってくれる生徒を獲得するための
宣伝にもなります。
だから、渡邉さんは僕を利しているのです。
僕にも負い目を感じないで下さい。

>其れを承知で聞いて欲しいのです。
>私が宇田さんの一流性を見るために、
>宇田さんの最前線の物理思想および
>宇田さん自身を表現してくれませんか。

何か化学実験みたいですね。
一流性試験紙が変色すれば良いのですが。(笑)
僕の優れている所は、
それを言語化してしまう事が出来るならば、
原理的にはコンピュータでも出来るものに
成ってしまうので、
本質的には言語表現不可能なものと
思って欲しいのですが、
今の所その本質の結果として生じて来ている
僕の優秀性を語る事は出来ると思います。
ですが、今回述べる事だけでは
多分言い忘れる事があるでしょうから、
思い出したらその都度後日にも述べさせてください。

>私も私の最前線の思想を、
>自分自身を正直に話しをしていく事を約束します。
>普通の物理学者は
>精神と物質の物理的相互関係はないと
>考えているようですが、
>私はそうは思いません。
>私は物質と精神が統一(単一性をも示す)された
>或ものやことが存在していると考えます
>(物理的見方を否定している訳ではないのです。
>それは私は正しいと考えています。)。
>そして其れを生み出している何かもあると
>考えています。
>其れらが(生み出しているものやことを含め)
>密接に関係し合い、
>単一性と統一性を示していると考えます。
>上の一節が私の思想の前書きの様なものです。

これについては、
僕は日本科学哲学会に論文を提出し
却下された経験があります。
僕の意見はこうです。
『人間存在は、
 客観的には、全くの物質的存在である。
 電磁場等は物質ではないから、
 正確には、物理的存在である、と言うべき。
 そして、もっと言えば、
 「存在」という表現は十分一般的ではないから、
 「歴史」は物理的「事象」の蓄積以上のものでは
 ない、と言い直そう。
 単に「歴史」というときには、もちろんその中に、
 部分として「人間の歴史」も含まれるし、
 特に各人の各瞬間の精神のあり様や変化
 というものまで含まれる。
 この意味においては、
 人間存在のみが他の動物とは違う特別な生物
 である、と言えないのみならず、
 如何なる生命現象も
 不思議の余地を含まぬ物理現象に過ぎぬ、
 と言える。
 人間の精神現象も、
 またその例外ではない、と僕は考える。
 この意味で、人間の精神現象の不思議さは
 高々ここまでのものだ、という風に限定される。
 しかし、この限定された不思議さの範囲内で、
 精神現象はかなり不思議である。というのは、
 自分以外の人を見る限りにおいては、僕は、
 それは、全くの物理現象であると言い切る。
 しかし、自分が自分を見るときに、
 僕は問題を感じる。
 というのは、
 自分は全くの物質的な物理現象なのに、
 何故それを自分は内側から見ているのか?
 という疑問だ。
 この疑問に対して、
 精神と物質の二元論を採用し、
 精神が物質に憑依している、
 と考える方向に逃げてはいけない。
 そう逃げる事はたやすい事だが、
 この言説は客観的レベルで行われているが故に、
 冒頭に述べた見解に違反し、
 従って決して受け入れる事の出来ない
 ものである。
 物質的に尽きる物理現象を
 自分が内側から見ているということ、
 この事は僕にとっては大きな謎なのだ。』

>但し、宇田さんがこのような話しは困る
>と言うなら、依然と同じ付き合いにして下さい。
>私は押しつけをするつもりは有りません。
>しかし私は宇田さんに真正面に向き合って
>行きたい。

全く困りません。非常に嬉しいです。
是非この様な話題を一緒に議論しましょう。

物理等についての僕の優秀性については、
別途送信します。

今回はとりあえずここまでとさせてください。
2004/04/24/20:18 >私は西洋神に捧げる歌を好みません。
>それは西洋の神のが唯一絶対の存在として、
>描からていている場合が多いから好きでは
>ありません。
>私は西洋神が存在しているとしても、
>それを(捧げて歌う事)望まない様な気がします。
>だからその系統の歌は私の感性には訴えて
>来ません。
>ただ、神聖な歌と思うのです。
>但し、人は強く惹かれるもの(私を含め)
>愛してしまうのではないでしょうか。
>それは駄目だから止しなさいというのでは
>ないのですが…。

了解です。
今後は渡邉さんに
キリスト教音楽をすすめない事にします。

>真理を確信すればするほど、
>誤りに気づき難くなる事は多分にあると
>考えるのです。
>真理とは人が見つけた物の様に聞こえます。
>それだから行けないと言うのでは有りません。
>人のなかの真理が万物の真実の一つだと
>考えます。
>真実とは万物にたいしてやはり真実なのでは
>ないでしょうか?

事実および科学法則は、
人が居ようが居まいが真だと思います。
人格神は居ない、
というのは否定しがたい事実だと思っています。
渡邉さんに賛成してるのやら反対してるのやら。(笑)
2004/04/24/20:59 僕の才能が表面化しているものを列挙すると、

(1)伝統の轍(わだち)を修正する事が出来る点。
   そうして来た実績。
   言い換えると、
   物理の教科書的な事項において教科書を
   超える事が出来ること。
   (一流の物理学者を超えている)
(2)問いを立てる能力。
  例:将棋において、
    開始から終了あるいは千日手までの
    全てのパターンが分かったとし、
    それが辞書になっているとしたら、
    それを持っている人は将棋についての
    完全な情報を持っているから
    誰を相手にしても必ず勝てるはずである。
    では、その辞書をどういう風に引けば必ず
    勝てるのか、引き方を答えよ。
    (プロ棋士を超えている)
(3)物理学ないし科学哲学に
  「文法レベルでの自然」
   という新分野を創設した事。
   その布石としての「古典物理学」の編纂。
  (マッハから与えられた影響に大きく
   依存するが、科学哲学における一流の証)
(4)自己の内に知識を結晶化させる力。
   これは厳密には(1)に含まれる部分もあるが、
   「古典物理学」も(1)のタイプとは違った、
   1つの結晶である。
   つまり僕の持つ知識は、情報の羅列ではなく、
   高度に組織化されている。
   そして新しい知識が付け加わると、
   全体の再構成が始まり、
   全知識が再び一つの結晶となる。
(5)小さなロジックに色々気付く力。
   例:日本人が勤勉な国民なのではなく、
     日本社会が国民に勤勉を強要する社会
     なのだ。
(6)数理テクニックにおいて、
   磨けば一流になれる素質を持っている。

まだあるかも。今の所これだけ。
2004/04/24/21:19 (7)洗練された正義観から生み出される正直さ。
   他人が言いたくても言えずに我慢している事を
   ズケズケ言う。
   言いたい事を言えずに我慢してる多くの人は
   言いたい事自体が意識化に
   抑圧されてしまっている。
   例:どんな名曲も聴き過ぎれば陳腐化して
     飽きてしまう。
     ほとんど全ての名曲が、魅力のない、
     我慢して聴かなければならぬ部分を
     持っている。
(8)音楽評価能力。
   演奏レベルにまでは達しない場合があるが、
   作曲レベルでは優劣を判定できる。
   (でもこれは一流を超えてはいない。
    しかし、美空ひばりの「川の流れのように」
    がシングルカットされた経緯を聞いたとき、
    プロデューサーは何聞いてんだ、
    と思ったからボンクラ・プロデューサー
    よりは僕の方が上。)

今の所これだけです。
2004/04/24/23:03  憑依するという表現でしたが、私はまず先に物質が来るとかではなく(本当は精神とか物質という表現はしたくはないのですが)精神と物質が同等という意味。
感覚的に言うと物質の有るところ精神の破片が存在し、または同時に物質しか存在しないと言う事もあり得ると言う考え。語を変えると、精神の存在するところ物質の破片が存在し…と言う考え。と表現できない、できにくいところもありますので、分かりにくい事、分からない事は聞いて下さい。
 詳しく説明する必要があるのですが、私はいわゆる二元論の立場に立つという事ではないのです。
2004/04/24/23:09 > 事実および科学法則は、
> 人が居ようが居まいが真だと思います。
> 人格神は居ない、
> というのは否定しがたい事実だと思っています。
> 渡邉さんに賛成してるのやら反対してるのやら。(笑)
>
私は人格神を信じている人を否定はしないという立場です。私個人の考えでは人格神は否定しています。(笑い)
2004/04/24/23:33 > 僕の才能が表面化しているものを列挙すると、
>
> (1)伝統の轍(わだち)を修正する事が出来る点。
>    そうして来た実績。
>    言い換えると、
>    物理の教科書的な事項において教科書を
>    超える事が出来ること。
>    (一流の物理学者を超えている)

教科書的な事項以外の発想はないのですか?有るみたいですね!!

> (2)問いを立てる能力。
>   例:将棋において、
>     開始から終了あるいは千日手までの
>     全てのパターンが分かったとし、
>     それが辞書になっているとしたら、
>     それを持っている人は将棋についての
>     完全な情報を持っているから
>     誰を相手にしても必ず勝てるはずである。
>     では、その辞書をどういう風に引けば必ず
>     勝てるのか、引き方を答えよ。
>     (プロ棋士を超えている)

プロの棋士は開始か終了あるいは千日手までの全てのパターンは分かっていないが、それに匹敵するぐらいの(少し語弊がある)辞書を持っていて、それを殆ど瞬時に引くことが出来る人だと思うのですがどう思いますか?

> (3)物理学ないし科学哲学に
>   「文法レベルでの自然」
>    という新分野を創設した事。
>    その布石としての「古典物理学」の編纂。
>   (マッハから与えられた影響に大きく
>    依存するが、科学哲学における一流の証)

この辺が良く分からないのですが。

> (4)自己の内に知識を結晶化させる力。
>    これは厳密には(1)に含まれる部分もあるが、
>    「古典物理学」も(1)のタイプとは違った、
>    1つの結晶である。
>    つまり僕の持つ知識は、情報の羅列ではなく、
>    高度に組織化されている。
>    そして新しい知識が付け加わると、
>    全体の再構成が始まり、
>    全知識が再び一つの結晶となる。

その能力は高く評価出来ますが、その新しい知識とは具体的にはどういう事ですか?

> (5)小さなロジックに色々気付く力。
>    例:日本人が勤勉な国民なのではなく、
>      日本社会が国民に勤勉を強要する社会
>      なのだ。

妥当な意見だと思います。しかしその社会性が何世代も受け継がれてその性質(勤勉な)になるとも考えられませんか?

> (6)数理テクニックにおいて、
>    磨けば一流になれる素質を持っている。

これからの努力を期待しています。頑張って一流になって下さい。

>
> まだあるかも。今の所これだけ。        
>

少し反論しているみていですが、素朴な意見です。
2004/04/24/23:39 > (7)洗練された正義観から生み出される正直さ。
>    他人が言いたくても言えずに我慢している事を
>    ズケズケ言う。
>    言いたい事を言えずに我慢してる多くの人は
>    言いたい事自体が意識化に
>    抑圧されてしまっている。
>    例:どんな名曲も聴き過ぎれば陳腐化して
>      飽きてしまう。
>      ほとんど全ての名曲が、魅力のない、
>      我慢して聴かなければならぬ部分を
>      持っている。

確かに飽きてしまう事も有ると思いますが、久しぶりに聞くとやっぱり良いと思う事も有ると思いますがどう思いますか?

> (8)音楽評価能力。
>    演奏レベルにまでは達しない場合があるが、
>    作曲レベルでは優劣を判定できる。
>    (でもこれは一流を超えてはいない。
>     しかし、美空ひばりの「川の流れのように」
>     がシングルカットされた経緯を聞いたとき、
>     プロデューサーは何聞いてんだ、
>     と思ったからボンクラ・プロデューサー
>     よりは僕の方が上。)

これは何々レベルとかでなく私は感覚で判断してしまいます。
2004/04/25/07:28 >憑依するという表現でしたが、
>私はまず先に物質が来るとかではなく
>(本当は精神とか物質という表現はしたくはない
>のですが)精神と物質が同等という意味。
>感覚的に言うと物質の有るところ精神の破片が
>存在し、または同時に物質しか存在しない
>と言う事もあり得ると言う考え。
>語を変えると、
>精神の存在するところ物質の破片が存在し…
>と言う考え。
>と表現できない、できにくいところもありますので、
>分かりにくい事、分からない事は聞いて下さい。
>詳しく説明する必要があるのですが、
>私はいわゆる二元論の立場に立つという事では
>ないのです。

僕の考えは、人間というものは、
物質的肉体に精神が憑依(ひょうい)している、
という考えを否定するものです。
精神現象は、所詮、化学的レベルの現象で、
それは、脳という物質存在の化学的レベルでの
振舞いに過ぎぬ、と僕は考えます。
つまり、精神と物質を対等には考えず、
物質中心に考えます。
なぜなら、物質中心に考えれば、
森羅万象、人間以外にまで透徹した一貫性を
持つ理解が出来るのに対して、
精神は、所詮人間まで、多くとも生物まで、
しか通用しないからです。

渡邉さんは、精神と物質をどう定義しますか?
僕は、これらの語をキチンと定義できないままに
使ってますが。
また、定義できたとすればその後、
定義に基づいて自説を明確に表現する事は
出来ますか?
できるならそれをお願いします。
2004/04/25/08:41 <僕の才能が表面化しているものを列挙すると、

<(1)伝統の轍(わだち)を修正する事が出来る点。
<  そうして来た実績。
<   言い換えると、
<   物理の教科書的な事項において教科書を
<   超える事が出来ること。
<   (一流の物理学者を超えている)

>教科書的な事項以外の発想はないのですか?
>有るみたいですね!!

学校の生徒の頃を思い出して欲しいのですが、
教科書的事項というのは、
出来る生徒から蔑視されていませんでしたか?
教科書的事項というのは、出来る生徒にとっては、
初歩であって、
勝負はそんな事が分かるかどうかではなく、
難しい受験問題が解けるかどうかで決まるんだ、
という風な認識がまかり通っていたはずです。
ですが僕の考えは違って、
教科書的事項において教科書を超える事は、
難しい受験問題を解く事よりも、
もっと難しい事であり、
基本的には優等生にも出来ないし
先生にも出来ない事だ、と僕は考えています。
それが出来ないから、格下の受験問題なんかで
ドングリの背比べをやってるんだ、と僕は思う。
学者についても同じような事が言えて、
僕以外の学者は、
教科書的事項において教科書を超えるのではなく、
つまり、伝統の轍(わだち)を修正するのではなく、
伝統を延長させ発展させる事に心血を注いで
いるんです。
相対性理論や量子力学が、
それ以前の物理学理論を否定・修正した事も、
伝統を延長・発展させる事であり、
これらを僕は伝統の轍の修正とは見なしません。
僕の行なう修正は、
理論の内容に間違いがあっても、
それを修正するのではなく、
間違った理論は間違ったまま、
その理論は本来どう記述されるべきか考え、
従来の述べ方の欠点・クセを発見し、
そこを修正・矯正リライトして行く行為です。
だから、僕は記号法において伝統の轍を
指摘・修正する事が、多いです。
たとえば (sinθ)^2 を普通は sin^2 θ と
書きますが、
僕は、sin^2 θ では sin(sinθ) という意味に
成ってしまうから (sinθ)^2 と書かなくては
いけない、と指摘します。
教科書的事項以外の発想については、
皆無ではないでしょうが、原則として、
僕は教科書的事項にしか興味を示しません。

<(2)問いを立てる能力。
<   例:将棋において、
<      開始から終了あるいは千日手までの
<      全てのパターンが分かったとし、
<      それが辞書になっているとしたら、
<      それを持っている人は将棋についての
<      完全な情報を持っているから
<      誰を相手にしても必ず勝てるはずである。
<      では、その辞書をどういう風に引けば必
<     ず勝てるのか、引き方を答えよ。
<     (プロ棋士を超えている)

>プロの棋士は開始か終了あるいは千日手までの
>全てのパターンは分かっていないが、
>それに匹敵するぐらいの(少し語弊がある)辞書を
>持っていて、それを殆ど瞬時に引くことが出来る
>人だと思うのですがどう思いますか?

いや、将棋をさす能力ではなく、
問いを立てる能力なんです。
たとえプロ棋士が辞書を持っていてそれを瞬時に
引いていたとしても、
彼らは
そのプロセスを意識して僕の立てた問題を
成文化する事は出来なかった、
と言いたいのです。
将棋をさす能力がいくら高くても、
自分が何をやっているのか分かってなかったり、
ある程度分かりながらやってても、
僕の立てた問題よりはずっとレベルの低い
問題しか立ててなかったり、
そういうレベルの低い問題を解く事に終始している、
それがトップまで含めてプロ棋士の実態でしょう。

<(3)物理学ないし科学哲学に
<   「文法レベルでの自然」
<   という新分野を創設した事。
<   その布石としての「古典物理学」の編纂。
<   (マッハから与えられた影響に大きく
<   依存するが、科学哲学における一流の証)

>この辺が良く分からないのですが。

本当は「古典物理学」を熟読していただきたい
のですが、
かいつまんで申しますと、
僕は、小説の内容ではなく、
小説を支える言語体系を研究する分野を創設した、
ということです。
これだけだと、
僕より早く言語哲学というものが存在しています。
僕が新しいのは、
言語哲学と違って、
自然を語る言語にのみ関心を向けた点です。
言語哲学では数学のための言語が分析されます。
僕は物理学のための言語の分析を
提唱したんです。
つまり、
「内容的にどんな物理理論が書かれようとも、
 所詮はこれこれの文法に則って書かれるに
 過ぎない。」
といった類の真実を明らかにしようと
僕はしているんです。
そしてその類の真実は
自然を超えた普遍性を持っているのではなく、
自然の1つの特徴であり、
この特徴は、自然の特徴としては、
内容的なことよりも先に、
まず第一に挙げられるべき特長だ、と考えます。
この類の自然の特徴を「文法レベルでの自然」
と僕は呼びます。

<(4)自己の内に知識を結晶化させる力。
<これは厳密には(1)に含まれる部分もあるが、
<「古典物理学」も(1)のタイプとは違った、
<1つの結晶である。
<つまり僕の持つ知識は、情報の羅列ではなく、
<高度に組織化されている。
<そして新しい知識が付け加わると、
<全体の再構成が始まり、
<全知識が再び一つの結晶となる。

>その能力は高く評価出来ますが、
>その新しい知識とは具体的にはどういう事
>ですか?

主に、勉強を進めるにしたがって出会う、
今まで自分の学んできた事よりもレベルの高い事
が書かれている教科書、
の内容です。

<(5)小さなロジックに色々気付く力。
<   例:日本人が勤勉な国民なのではなく、
<     日本社会が国民に勤勉を強要する社会
<     なのだ。

>妥当な意見だと思います。
>しかしその社会性が何世代も受け継がれて
>その性質(勤勉な)になるとも考えられませんか?

僕の意見に対する批判にも一理あると思いますが、
そうだから僕の意見が出て来なかった、
とは言えない、と思うのです。
僕が上記ロジックを発見して初めて、
それに対する批判がなされたり、
議論の進展が起こると考えます。


<(6)数理テクニックにおいて、
<  磨けば一流になれる素質を持っている。

>これからの努力を期待しています。
>頑張って一流になって下さい。

<まだあるかも。今の所これだけ。        

>少し反論しているみていですが、
>素朴な意見です。

思った事を思ったまま書いてくださって結構です。
2004/04/25/09:30 定義とは呼べないかも知れませんが、精神とは心の働きをしめす言葉だと思います。物質とは物理的性質を備えた精神と共にある何かです。私は原始一個にも精神の一部分が具備されていて、但し原子一個では精神の破片であって其れが人間の様な精神をづくる事は殆ど無いと考えます、それらの多様さが精神を形づくる事出来ると考えます。そういう風に原子を捉えるという意味なのですが分かりますか?
 其の統一性と単一性を備えたものの根源が有るとも考えます。その根源の或瞬間や一時や恒久が精神や物質を存在たらしめていると考えます。しかしだからと言って、その根源が精神や物質の前に存在しているとは考えません。
 前に言った様に精神や物質それに根源という言葉は適さない表現であって、満足がいきません。だから二元論のように聞こえるかも知れませんが、私の中ではそうではないのです。
 今日は出掛ける用事があります。メールの返信は昼は送れないと思います。
2004/04/25/09:34 <(7)洗練された正義観から生み出される正直さ。
<  他人が言いたくても言えずに我慢している事を
<  ズケズケ言う。
<  言いたい事を言えずに我慢してる多くの人は
<  言いたい事自体が意識化に
<  抑圧されてしまっている。
<  例:どんな名曲も聴き過ぎれば陳腐化して
<    飽きてしまう。
<    ほとんど全ての名曲が、魅力のない、
<    我慢して聴かなければならぬ部分を
<    持っている。

>確かに飽きてしまう事も有ると思いますが、
>久しぶりに聞くとやっぱり良いと思う事も有ると
>思いますがどう思いますか?

その通りだと思います。
これは、
僕の意見を認めた上での付け加えですよね。
普通は、名曲ってのは何回聴いても飽きないねえ、
とか、聴けば聴くほど味が出て来るとか、
そう言わなければ音楽の分からないやつだと
バカにされる恐れがあるから、正直に言わない。

<(8)音楽評価能力。
<   演奏レベルにまでは達しない場合があるが、
<   作曲レベルでは優劣を判定できる。
<   (でもこれは一流を超えてはいない。
<   しかし、美空ひばりの「川の流れのように」
<   がシングルカットされた経緯を聞いたとき、
<   プロデューサーは何聞いてんだ、
<   と思ったからボンクラ・プロデューサー
<   よりは僕の方が上。)

>これは何々レベルとかでなく私は感覚で
>判断してしまいます。

僕も感覚で判断してるんです。
僕が言ってるのは、
曲が良いか悪いかを感覚で判断する事はできるが、
演奏の優劣を感覚で判断する事は出来ない場合が
ある、ということです。
僕では、ショパンコンクールの審査員は務まらない、
ということです。
2004/04/25/10:59  前に話した様に、僕はδに似た文字で概念を集約する事をします。精神や物質や根源をその文字で僕の感性、感受性に透明に響き、感じる捉える事が出来るのです。数学で言う無定義用語なものなのですが…。沢山そう言う文字を創造して行こうと考えています。それは数学的厳密性を持った概念であります。定義すると濁ってしまうので今はまだ表現する事が出来ないのです。
2004/04/25/11:42 >定義とは呼べないかも知れませんが、
>精神とは心の働きをしめす言葉だと思います。
>物質とは物理的性質を備えた精神と共にある
>何かです。
>私は原始一個にも精神の一部分が具備されて
>いて、但し原子一個では精神の破片であって
>其れが人間の様な精神をづくる事は殆ど無いと
>考えます、
>それらの多様さが精神を形づくる事出来ると
>考えます。
>そういう風に原子を捉えるという意味なのですが
>分かりますか?

いや、完全には分かりません。
ですが今僕が分かったような気がすることが
正しいとすれば、
僕は
渡邉さんの意見は絶対に間違っている
と思います。

>其の統一性と単一性を備えたものの根源が
>有るとも考えます。
>その根源の或瞬間や一時や恒久が精神や
>物質を存在たらしめていると考えます。
>しかしだからと言って、
>その根源が精神や物質の前に存在しているとは
>考えません。
>前に言った様に精神や物質それに根源という
>言葉は適さない表現であって、
>満足がいきません。
>だから二元論のように聞こえるかも
>知れませんが、私の中ではそうではないのです。
>今日は出掛ける用事があります。
>メールの返信は昼は送れないと思います。

僕の場合には、精神あるいは心は存在するか?
と問われたときに、
相手が唯物論を論駁するために
そうして来た場合には、
僕は次のように答えます。
『精神や心は存在します。
 しかしあなたが思っているほどには存在しません。
 僕は存在という語の使用を避ける事によって
 そのことを巧妙に言い表します。
 その表現は
 「電磁場と原子核と電子についての物理学的な
  記述を完全に行なえば、
  そのような記述のどの1つをとっても、
  同じ記述に対して2つまたはそれ以上の
  精神・心理現象が対応する事は無い。」
 というものです。』
おそらく渡邉さんの認識は
この僕の意見を不服とするものだと推測します。
しかし、物理学を学んでみると、
僕に賛成する様に成ると思っています。
物理学を学ぶという事は、
長い長い説得を受けるという事ですが、
渡邉さんにその気があれば
僕は長い長い説得をします。
僕は、自分で勉強しろ、とは言いません。
僕との議論の中で生じた事だから、
僕が自ら説得に当たるべき、と考えます。
しかし、渡邉さんにその気が無いのであれば、
渡邉さんは、僕の意見を十分に聞かずに
僕の意見に反対している事になります。
2004/04/25/11:59 >前に話した様に、
>僕はδに似た文字で概念を集約する事をします。
>精神や物質や根源をその文字で僕の感性、
>感受性に透明に響き、
>感じる捉える事が出来るのです。
>数学で言う無定義用語なものなのですが…。
>沢山そう言う文字を創造して行こうと
>考えています。
>それは数学的厳密性を持った概念であります。
>定義すると濁ってしまうので
>今はまだ表現する事が出来ないのです。

分かりました。
今後渡辺さんがδと書いているのを見たときには
そういう目で見る事にします。

僕のアドヴァイスですが、記号δは、
物理学では、デルタ関数やクロネッカーのデルタを
表わすために用いられますので、
重複を避けるほうが無難かと思います。

以前僕は、無限大を単独で考える事はしない、
と言いましたが、
例外があって、デルタ関数のゼロ点での値δ(0)を
僕は1つの数であるかのように扱います。
これは無限大だから、この様な書き方を
誰もが避けて通るんですが、
僕はδ(0)を1つの数と見なす事によって
教科書的事項について新しい見地を見出して
います。
たとえば質量mの質点の密度は無限大ですが、
僕はこれをm[δ(0)]^3と書きます。
厳密にはいけない事なんですが、
これを使うといろんな事がとっても良く分かります。
2004/04/25/21:06 > 僕の場合には、精神あるいは心は存在するか?
> と問われたときに、
> 相手が唯物論を論駁するために
> そうして来た場合には、
> 僕は次のように答えます。
> 『精神や心は存在します。
>  しかしあなたが思っているほどには存在しません。
>  僕は存在という語の使用を避ける事によって
>  そのことを巧妙に言い表します。
>  その表現は
>  「電磁場と原子核と電子についての物理学的な
>   記述を完全に行なえば、
>   そのような記述のどの1つをとっても、
>   同じ記述に対して2つまたはそれ以上の
>   精神・心理現象が対応する事は無い。」
>  というものです。』
> おそらく渡邉さんの認識は
> この僕の意見を不服とするものだと推測します。
> しかし、物理学を学んでみると、
> 僕に賛成する様に成ると思っています。
> 物理学を学ぶという事は、
> 長い長い説得を受けるという事ですが、
> 渡邉さんにその気があれば
> 僕は長い長い説得をします。
> 僕は、自分で勉強しろ、とは言いません。
> 僕との議論の中で生じた事だから、
> 僕が自ら説得に当たるべき、と考えます。
> しかし、渡邉さんにその気が無いのであれば、
> 渡邉さんは、僕の意見を十分に聞かずに
> 僕の意見に反対している事になります。
>
>
 私は宇田さんの意見(時空の事は当たり前に書いています)に深い意味があると考えます。むしろそう考えています(少なくとも、納得しています)。無限の所で無限に取る立場は一つである、と言う事を再確認しました。「物理的実在には一つの存在が対応する。」と言うようなことをアイシュタインの言葉が有るのを記憶しています。
2004/04/25/22:31 まず、僕の

<しかし、渡邉さんにその気が無いのであれば、
<渡邉さんは、僕の意見を十分に聞かずに
<僕の意見に反対している事になります。

という発言を恐れないで下さい。
忌憚(きたん)の無いご意見をお待ちしています。

>無限の所で無限に取る立場は一つである、
>と言う事を再確認しました。
>「物理的実在には一つの存在が対応する。」と
>言うようなことをアイシュタインの言葉が有るのを
>記憶しています。

どうも誤解されているような気がするので
補足説明します。
僕の

<「電磁場と原子核と電子についての物理学的な
< 記述を完全に行なえば、
< そのような記述のどの1つをとっても、
< 同じ記述に対して2つまたはそれ以上の
< 精神・心理現象が対応する事は無い。」

という意見は、平たく言えば、

「世界で何が起こったかを述べ尽くすには、
 電磁場と全ての原子核と電子がどうであったか
 を述べ尽くすだけで十分であって、
 それに加えて、
 人の心がどうであったかを付け加える必要は
 無い、という事です。
 つまり、電磁場と原子核と電子について
 語り尽くせば、それは精神性の微塵(みじん)も
 無い記述になりますが、
 その記述だけで、
 精神現象がどうであったかを付け加えると
 記述が重複する、
 と言えるだけの十分に詳細な記述に成っている」

という事です。

アインシュタインの哲学には僕は批判的です。
アインシュタインは実在という語を使ってる時点で、
既に、可能な限り一般的な議論をするための前提を
失っています。
僕は実在という語を使わず、客観事象という語を
使います。
宇宙が何から出来ているか?ではなく、
宇宙では何が起こったか?と問題を変えるのです。
物から事への認識チェンジです。
これは僕のオリジナルではなく、
哲学では僕以前から言われている事です。
この点でアインシュタインは遅れていたんです。
2004/04/26/07:11  宇田さんの意見を聞いた上で書いています。だから今度は誤解がないでしょう。精神(余り使いたくない表現)は私の場合存在しているという考えです。もう少し言うと物心論的な感じを受けると思うのです。私はその精神性の根源が物質と共に有るという考えを多分、棄てていないでしょう。しかし、さそく使わせてもらいますがδは精神性という言葉だけではどうしても表現し尽くせません。時間の遅れと空間の歪みや質量とエネルギーの交換が宇田さんが言う客館的物理的要素(でしたっけ)が全く、精神というものを示さないという考えはその通りに逆に、近い立場です。しかし客観的物理要素だけが全てではなく、精神も客観的にも見れると考え得るのではないかと思うのです。私の場合、精神を形づくっているものは原子と共にあると感性が訴えてくるのです。例えば、花という植物にさえ人と違う精神的な客観があると考えます(花を見るという事が人の客観的物理的要を変えるとも考えられます。)。私自身もまだ考えがまとまっている段階ではないのでしょうか?なのでつめの部分で意見が変わる様な感じを与えると思いますが、其処の所は少しだけ大目に見て下さい。
2004/04/26/08:08 >宇田さんの意見を聞いた上で書いています。
>だから今度は誤解がないでしょう。
>精神(余り使いたくない表現)は
>私の場合存在しているという考えです。
>もう少し言うと物心論的な感じを受けると思う
>のです。
>私はその精神性の根源が物質と共に有る
>という考えを多分、棄てていないでしょう。
>しかし、さそく使わせてもらいますがδは
>精神性という言葉だけではどうしても表現し
>尽くせません。
>時間の遅れと空間の歪みや質量とエネルギー
>の交換が宇田さんが言う客館的物理的要素
>(でしたっけ)が全く、精神というものを示さない
>という考えはその通りに逆に、近い立場です。
>しかし客観的物理要素だけが全てではなく、
>精神も客観的にも見れると考え得るのでは
>ないかと思うのです。
>私の場合、精神を形づくっているものは
>原子と共にあると感性が訴えてくるのです。
>例えば、花という植物にさえ人と違う精神的な
>客観があると考えます(花を見るという事が
>人の客観的物理的要を変えるとも
>考えられます。)。
>私自身もまだ考えがまとまっている段階では
>ないのでしょうか?
>なのでつめの部分で意見が変わる様な感じを
>与えると思いますが、
>其処の所は少しだけ大目に見て下さい。

僕と渡邉さんの意見の食い違う所は、

>私の場合、精神を形づくっているものは
>原子と共にあると感性が訴えてくるのです。

の部分です。
精神現象は、常識的に考えれば、
頭脳の引き起こす現象であり、
頭脳は非常に多数の原子から出来ており、
であるからこそ精神現象という摩訶不思議な現象を
引き起こす事ができるのであって、
少数の原子だけでは、
精神現象を引き起こす事はできない。
ましてや1つの原子に精神が備わっているとは、
とうてい考えられない。
僕もここまでの点は常識を受け入れています。
植物に精神があるか否かは議論の余地がある
ところだと思いますが、
仮に植物に精神があったとしても、
植物を構成する原子の個数は
頭脳ほどではないにしても膨大な個数です。
だから、一つの原子に精神がある
という意見を根拠付けるものとは成らない
と思います。
僕の憶測ですが、渡邉さんは、
一つ一つの原子に精神が無ければ
それをいくらたくさんかき集めて大きな
構造物を作っても、
そこに精神性は現れて来ないはずだ、
というロジックで考えているのではないか
と思うんです。
この考えは、間違っています。
頭脳を構成する原子の個数が膨大である事は、
原子一つ一つが無精神であるにもかかわらず、
それで出来ている頭脳が有精神である、
という事態を矛盾無く説明するための根拠として
十分な威力を持つであろうほどに
大変な事なんです。
2004/04/26/08:39  原子一個に精神の破片を感じるのです。ですが時には原子一個はやはり原子でしかないと考えます。しかし原子一個が時には強い精神性を(少し語弊がある)持つものとも考えるのです。原子が多く集まって、精神を構成するというのではなく、脳、神経系統が精神的感覚を生んでいると言っているのですか?確かに精神が原子一個に依存していると言う発想は幼稚です。私が言いたいのはもっと複雑な事なのですが…。私が、まだ具体的に説明できないのかも知れません。
2004/04/26/09:31 >原子一個に精神の破片を感じるのです。
>ですが時には原子一個はやはり原子でしかない
>と考えます。

頭脳は原子の寄せ集めで、頭脳は有精神だから、
頭脳を構成する個々の原子も有精神でなければ
ならない、と考えているのとは違うのですか?
その点をハッキリ確認しておく必要があります。

>しかし原子一個が時には強い精神性を
>(少し語弊がある)持つものとも考えるのです。

原子や素粒子の世界に神妙なものを感じる、
という程度の意味合いでしたら、
僕も神妙なものを感じます。

>原子が多く集まって、精神を構成する
>というのではなく、
>脳、神経系統が精神的感覚を生んでいると
>言っているのですか?

ああ、ここではものと事の区別に気を付けて下さい。
原子(もの)が多く集まって頭脳(もの)を構成する
と言ったのであって、精神(もの)を構成する、とは
言ってません。
頭脳(もの)が引き起こす精神現象(こと)は、
一見すると、
頭脳の構成要素(もの)が精神性をしめす事(こと)
を論理的に必要とするかに見えるが、
頭脳(もの)を構成する原子(もの)の個数が
膨大である事(こと)は、
そうではない事(こと)を証明するために
論理的十分であり得る。
こういう風に言ったのです。

>確かに精神が原子一個に依存している
>と言う発想は幼稚です。
>私が言いたいのはもっと複雑な事なのですが…。
>私が、まだ具体的に説明できないのかも
>知れません。

渡辺さんが精神という語をどういう意味で
用いているのか
僕にはまだ十分に把握できません。
原子が精神を持っている、という事と、
原子を見た時に自分が精神的な感覚を持つ、
という事とは全然違います。
後者は前者に比べて論じるに値しないと思います。
渡邉さんにとって精神とは何なんですか?
2004/04/26/10:16 > >原子一個に精神の破片を感じるのです。
> >ですが時には原子一個はやはり原子でしかない
> >と考えます。
>
> 頭脳は原子の寄せ集めで、頭脳は有精神だから、
> 頭脳を構成する個々の原子も有精神でなければ
> ならない、と考えているのとは違うのですか?
> その点をハッキリ確認しておく必要があります。

 私は頭脳が有精神とかではなく主観ではありますが、心に精神性を感じます。だから私は原子に対して精神性を感じるという事は頭脳のような器官が働いているのではなく、私の心がそう判断していると思います。答えになっていないですか?

> >しかし原子一個が時には強い精神性を
> >(少し語弊がある)持つものとも考えるのです。
>
> 原子や素粒子の世界に神妙なものを感じる、
> という程度の意味合いでしたら、
> 僕も神妙なものを感じます。
>

 そういう意味だと思います。

> 原子(もの)が多く集まって頭脳(もの)を構成する
> と言ったのであって、精神(もの)を構成する、とは
> 言ってません。

 分かりました。

> 頭脳(もの)が引き起こす精神現象(こと)は、
> 一見すると、
> 頭脳の構成要素(もの)が精神性をしめす事(こと)
> を論理的に必要とするかに見えるが、
> 頭脳(もの)を構成する原子(もの)の個数が
> 膨大である事(こと)は、
> そうではない事(こと)を証明するために
> 論理的十分であり得る。
> こういう風に言ったのです。
>

 論理的で何度も読んでいますが、正確な意味をまだ把握していません。


> 渡邉さんにとって精神とは何なんですか?
>

 難しいんですよね、ここが。私がδやウラン原子模型を見ていて感覚的に捉える何かなのですが。まだ私がしっかりした言葉を扱えない状態です。但し、全くの主観論ではないと考えます。
2004/04/26/15:10 >原子一個に精神の破片を感じるのです。
>ですが時には原子一個はやはり原子でしかない
>と考えます。

<頭脳は原子の寄せ集めで、
<頭脳は有精神だから、
<頭脳を構成する個々の原子も有精神でなければ
<ならない、と考えているのとは違うのですか?
<その点をハッキリ確認しておく必要があります。

>私は頭脳が有精神とかではなく
>主観ではありますが、
>心に精神性を感じます。
>だから私は原子に対して精神性を感じる
>という事は頭脳のような器官が働いている
>のではなく、
>私の心がそう判断していると思います。
>答えになっていないですか?

厳密には、答えに成っていません。
違うのですか?という疑問文に対する答えは、
「違う」「違わない」「どちらとも言えない」
のうちのいずれかでなくてはいけません。
「どちらとも言えない」と答えた場合には、
出来れば理由も教えて欲しいものです。
僕は、精神現象=心理現象、という程度の認識しか
持っていません。
だから、
頭脳が有精神ではなく心が有精神、と言われても、
精神が有精神、と言われてるような気がして、
何らの主張も含んでいない、と感じるのみです。
「私の心がそう判断している」については、

<原子や素粒子の世界に神妙なものを感じる、
<という程度の意味合いでしたら、
<僕も神妙なものを感じます。

>そういう意味だと思います。

という意味だと僕は受け取ります。
すると、

<原子が精神を持っている、という事と、
<原子を見た時に自分が精神的な感覚を持つ、
<という事とは全然違います。
<後者は前者に比べて論じるに値しない
<と思います。

が効いて来て、
議論の価値が著しく減少すると共に、
僕は渡邉さんの意見に反論する必要を失います。

>しかし原子一個が時には強い精神性を
>(少し語弊がある)持つものとも考えるのです。

これは上記の主張をひるがえすものなのですか?

>頭脳(もの)が引き起こす精神現象(こと)は、
>一見すると、
>頭脳の構成要素(もの)が精神性をしめす事
>(こと)
>を論理的に必要とするかに見えるが、
>頭脳(もの)を構成する原子(もの)の個数が
>膨大である事(こと)は、
>そうではない事(こと)を証明するために
>論理的十分であり得る。
>こういう風に言ったのです。

<論理的で何度も読んでいますが、
<正確な意味をまだ把握していません。

では、今後、これについて詳しく説明を試みます。

<渡邉さんにとって精神とは何なんですか?

>難しいんですよね、ここが。
>私がδやウラン原子模型を見ていて感覚的に
>捉える何かなのですが。
>まだ私がしっかりした言葉を扱えない状態です。
>但し、全くの主観論ではないと考えます。

ということであれば、
もっと突っ込んだ議論は、
渡邉さんの研究の進展を待った後で行なうしか
ないのでは?
渡邉さんはまだ自分の意見をハッキリとは
形成していない、ということですから、
自分の意見を提示して反論を受けたり返答したり
出来る状態ではない、ということになります。
2004/04/26/16:47 <頭脳(もの)が引き起こす精神現象(こと)は、
<一見すると、
<頭脳の構成要素(もの)が精神性をしめす事
<(こと)
<を論理的に必要とするかに見えるが、
<頭脳(もの)を構成する原子(もの)の個数が
<膨大である事(こと)は、
<そうではない事(こと)を証明するために
<論理的十分であり得る。

これは

一見すると X かに見えるが、
Y が、
X とは言えない事を証明するための十分な根拠、
となる可能性を、
現段階の科学的知見では否定できない。

という意味です。ただし、

x1=「頭脳が精神現象を引き起こす事」
x2=「頭脳の構成要素(原子)が精神性をしめす事」
X=「x1は x2 を論理的に必要とする」
Y=「頭脳を構成する原子の個数が膨大である事」
2004/04/27/11:33  宇田さんと話しが出来て僕の考えにまとまりが出来てきました。僕の立場がはきりとしていない事、指摘の通りだと思います。その事を考えてくれる、宇田さんの優しさに感謝です。さて今は、鬼束ちひろを聴きながら何事にも取り組んでいます。鬼束を聞いていると悲しくなる事もあり、守るべき人を大切にしなければと自然に感じる事ができます。
 今の時代に希望を持つ事は難しい事の様な気がします。、だからこそ大人は子供に本当の愛情を、子供から純真さを学び共に生きて行かなけらばと感じます。責任ある大人として人生をより良いものに…、そういう中で出会った人々を大切にしていきます。
 最近、尾崎豊の命日が来ました。尾崎が逝ってからもう十年近くが経とうとしています。現代人が無くしていってしまう、そんなものを歌っている尾崎豊という人間が僕の未来への道しるべの役割から変わろうとしています。僕は今年で二十六歳です。尾崎豊の人生と同じ時間が過ぎた事になります。本気で出来る人生を今はそれに向けて頑張り続けていかなけばと感じています。
2004/04/27/15:06 >宇田さんと話しが出来て僕の考えにまとまりが
>出来てきました。
>僕の立場がはきりとしていない事、
>指摘の通りだと思います。
>その事を考えてくれる、宇田さんの優しさに
>感謝です。

お役に立てて光栄です。

>さて今は、鬼束ちひろを聴きながら何事にも
>取り組んでいます。

うれしいですねえ。
本当に気に入ってくれたんですね。
次は This Armor よりも先に Sugar High を
聴いてみる事をお勧めします。

>鬼束を聞いていると悲しくなる事もあり、
>守るべき人を大切にしなければと自然に感じる
>事ができます。
>今の時代に希望を持つ事は難しい事の様な
>気がします。
>だからこそ大人は子供に本当の愛情を、
>子供から純真さを学び共に生きて行かなけらば
>と感じます。
>責任ある大人として人生をより良いものに…、
>そういう中で出会った人々を大切にしていきます。

僕の口からはとても出て来ないような善良な言葉
ですね。
僕という人間は、
多くの人がしている様に、
みんなに受け入れられるように自分を抑える、
という事をしない人間です。
自分から友達獲得に打って出るという事もしません。
それなのに僕には友達が皆無ではない、
という事は、奇跡的な事のように思えます。
この事を考えるとき、僕は、
自分に関わってくれる人がいかに貴重であるか
を認識します。

>最近、尾崎豊の命日が来ました。
>尾崎が逝ってからもう十年近くが経とうと
>しています。
>現代人が無くしていってしまう、
>そんなものを歌っている尾崎豊という人間が
>僕の未来への道しるべの役割から変わろうと
>しています。
>僕は今年で二十六歳です。
>尾崎豊の人生と同じ時間が過ぎた事になります。
>本気で出来る人生を今はそれに向けて
>頑張り続けていかなけばと感じています。

僕はいつ頃だったか、

人生に目的は無い。
客観的には生きる意義は無い。

というニヒルな悟りを得ました。
そのとき以来、僕は、
自分がこうでなくてはいけない、
とは考える事が出来なく成りました。
僕は
人生の目標というものを持って生きていますが、
その目標は
必ずしもそうでなくてはいけないものではなく、
僕が勝手に決めたものです。

何のためにやってるのか?
という問いに対する答えに対して、
それは何のためか?
と問う事を繰り返して行くと、
生きるために生きている、
という結論に達するのが普通ではないか
と思うんですが、
これでは答えに成っていないわけで、
この事に気付いたときに僕は、
生きるために生きるのではなく、
何か生きるために役立たない事を目標として立て、
そのために生きようと、決めたんです。
何の役に立つんだ、と言ってる人は
何も分かっていないのです。

僕の人生における目標は、
どれだけ死から遠くまで行けるか挑戦する事、
だと一応は言えます。
2004/04/27/17:37  そうですね。休学と言う事で話しをしていたのですから。また勉強初めても良いのですか?
2004/04/27/17:58 > 僕はいつ頃だったか、
>
> 人生に目的は無い。
> 客観的には生きる意義は無い。
>
> というニヒルな悟りを得ました。
> そのとき以来、僕は、
> 自分がこうでなくてはいけない、
> とは考える事が出来なく成りました。
> 僕は
> 人生の目標というものを持って生きていますが、
> その目標は
> 必ずしもそうでなくてはいけないものではなく、
> 僕が勝手に決めたものです。
>

 僕も随分、強い自己否定に陥りました。自分の欲望を抑える事が出来ない内面的な弱さを抱えていました。自分は生きていてもしょうがない。■■をした事もあります。だけどそれでも支えてくれた家族と親友がいて、今の自分がいます。

> 何のためにやってるのか?
> という問いに対する答えに対して、
> それは何のためか?
> と問う事を繰り返して行くと、
> 生きるために生きている、
> という結論に達するのが普通ではないか
> と思うんですが、
> これでは答えに成っていないわけで、
> この事に気付いたときに僕は、
> 生きるために生きるのではなく、
> 何か生きるために役立たない事を目標として立て、
> そのために生きようと、決めたんです。
> 何の役に立つんだ、と言ってる人は
> 何も分かっていないのです。
>

 僕は愛すべき人がいるから生きるという希望を持ちました。僕は十分に愛されました、だから「人と共に生きる事を」「人のために生きる事を」「そして自分を愛するために生きて行く事を」しようと感じます。僕はまだ始まったばかりです、結論を出すには早すぎる。何も分からない所を全力で走って行こうと考えいます。

> 僕の人生における目標は、
> どれだけ死から遠くまで行けるか挑戦する事、
> だと一応は言えます。
>
 僕は尾崎豊が言う「放熱への証」を糧に!!
2004/04/27/19:45 >また勉強初めても良いのですか?

もちろん良いですよ。
僕に知らせてから始めても良いし、
僕に知らせずにコッソリ勉強しても良いし、
渡邉さんの好きな様にしてください。

>僕も随分、強い自己否定に陥りました。
>自分の欲望を抑える事が出来ない内面的な
>弱さを抱えていました。
>自分は生きていてもしょうがない。
>自殺未遂をした事もあります。
>だけどそれでも支えてくれた家族と親友がいて、
>今の自分がいます。

僕のニヒルな悟りは、
自己否定から来たものではないんです。
自己や社会が正義に反している事に絶望して、
何もかも存在するに値しない、
と感じたのではありません。
例の、うらぶれた極端な脱力感、
の延長上に合ったのが、
ニヒルな悟りだったのです。
ニヒルは嫌悪とは違います。虚無です。
科学的には、全ての現象は、
原因を持ちますが目的を持ちません。
何らかの目的を達成するために
現象が起こっているのではなく、
過去に起こった事象が原因となって
現在の現象が生じて来ているのです。
人間とて例外ではない。
その事に気付いただけです。
また、科学的には、
人間が価値観を持つ、という事はあっても、
人間が価値観を持つ対象に、
客観的な価値が備わっている、
という事は決してありません。
その事に気付いただけです。

>僕は愛すべき人がいるから生きるという希望を
>持ちました。
>僕は十分に愛されました、
>だから「人と共に生きる事を」
>「人のために生きる事を」
>「そして自分を愛するために生きて行く事を」
>しようと感じます。
>僕はまだ始まったばかりです、
>結論を出すには早すぎる。
>何も分からない所を全力で走って行こうと
>考えいます。

渡辺さんがそう考える事は渡辺さんの自由だし、
僕はそれを、良い事だ、とすら思います。
僕が言いたいのは、
そう考えなくてはいけない、という道理が無い、
という事です。

>僕は尾崎豊が言う「放熱への証」を糧に!!

また、気が向いたら、
この言葉の意味を教えて下さい。

僕の言葉の意味を説明します。

<どれだけ死から遠くまで行けるか挑戦する事

僕は死が人生の原点だと思うんです。
死から出発して死に戻って行く、
それが人生だと思うんです。
自宅から出発して自宅に戻って来るまでに、
自宅からどれだけ離れた地点まで行けるか?
死からどれだけ遠くまで行けるか、というのは、
そういうノリです。
身体機能をとことん鍛えて
スポーツにおいて人類で一番高い記録を残す、
とか、
頭脳をとことん鍛えて、自分の頭を、
学問において人類で一番優れた頭脳にするとか、
どれをやれば死から遠くまで行けた事になるのか?
愛するという行為は高度に生物的な行為ですから、
渡邉さんのように愛するというテーマを追求する方が
死から遠くまで行けるのか?
色々考える余地はあると思います。
僕は、
頭脳の方向を追求するのが正解なのでは、
と思い、
そちら方面へ進んでいます。
自分の頭脳を優れたものに出来たら、
その内容を人類の文化に残さなくては。
2004/04/27/22:11  また力学の勉強を始めようと思っています。質問をまたしますが良いですか?
2004/04/28/08:11  これは正確には、尾崎豊が行った言葉ではなく。最期のアルバムのタイトルが「放熱への証」になっているのです。この糧という表現をしたのは、尾崎豊が生を受けて意志を持ち、人を愛したいという欲望と真実へ向けて「人を限りなく幸せにする」という意志の総てを糧と呼びたくなるのです。
 尾崎豊はこう言っています「人を愛する事は自分の命を架けていかなければならないんだ」と。僕は尾崎豊が僕に与えてくれた事を頼りに生きて来ました。最近になって、僕の意志で人生を生きていこうと感じたのです。
 人に尾崎豊の「放熱への証」ってどういう意味なんだろうと語って見たいです。
2004/04/28/09:37 >また力学の勉強を始めようと思っています。
>質問をまたしますが良いですか?

はい、良いです。

>これは正確には、尾崎豊が行った言葉ではなく。
>最期のアルバムのタイトルが「放熱への証」に
>なっているのです。
>この糧という表現をしたのは、
>尾崎豊が生を受けて意志を持ち、
>人を愛したいという欲望と真実へ向けて
>「人を限りなく幸せにする」という意志の総てを
>糧と呼びたくなるのです。
>尾崎豊はこう言っています
>「人を愛する事は自分の命を架けていかなければ
>ならないんだ」と。
>僕は尾崎豊が僕に与えてくれた事を頼りに
>生きて来ました。
>最近になって、僕の意志で人生を生きていこうと
>感じたのです。
>人に尾崎豊の「放熱への証」って
>どういう意味なんだろうと語って見たいです。

完全には分かりませんが少し分かりました。
渡邉さんは尾崎豊を卒業しつつあるんですね。
2004/04/28/14:27  フォルダーないを整理している時、うっかり黒板(極秘)を消してしましました。まだ電磁気は勉強は出来ないのですが、説明を読む事が出来ません。宜しければ、またアドレスを送って下さい。
 復習しながら、ノートを読んでいるのですが、いまいち感覚が戻りません。
 ポテンシャルの概念を教えて下さい。
2004/04/28/17:12 お待たせ。
ちょっと床でベタッと寝てました。
その後放送大学の数学の授業を見ました。
線形代数の講義の前置きとして、
(現代)数学の特徴というものが具体例を挙げながら
説明されていました。
スッゴク良い事を言ってましたよ。

>フォルダーないを整理している時、
>うっかり黒板(極秘)を消してしましました。
>まだ電磁気は勉強は出来ないのですが、
>説明を読む事が出来ません。
>宜しければ、またアドレスを送って下さい。

http://www.f3.dion.ne.jp/~x-wooder/oirkndf246.htm

>復習しながら、ノートを読んでいるのですが、
>いまいち感覚が戻りません。
>ポテンシャルの概念を教えて下さい。

「ポテンシャル」というのは直訳すると
「潜在的(せんざいてき)な」という意味の
形容詞です。
「ポテンシャル・アビリティー」とは「潜在的な能力」
の事です。「アビリティー」=「能力」
さて力学では「ポテンシャル・エネルギー」の事を
単に「ポテンシャル」と言いますが、
僕は、渡邉さんに、
このクセを身に付けて欲しくないです。
「エネルギー」を省略せずに
「ポテンシャル・エネルギー」と言いましょう。
なぜなら、ゲージ理論(電磁気学も含む)では
「ポテンシャル」という語が
「エネルギー」という意味以外で
使用されるからです。
そして、現代物理学で「ポテンシャル」と言えば、
「ポテンシャル・エネルギー」の事ではなく、
ゲージ理論における「ポテンシャル」の事を
意味するからです。
この場合には
「ポテンシャル」を名詞として使っていますね。
力学における「ポテンシャル・エネルギー」は
直訳すると「潜在的エネルギー」ですが、
これが何を指すのか理解するためには、
では「顕在的(けんざいてき)エネルギー」とは何か?
と問うてみる事が有益です。
あえて言うなら、
「顕在的エネルギー」は「運動エネルギー」です。
「潜在的エネルギー」はそれ以外の部分という事で、
「位置エネルギー」を意味します。
質点系の力学へ行くと
「位置関係エネルギー」と考えた方が良いですね。

急いで送信します。
2004/04/28/17:48 僕自身が「エネルギー」を付けずに
「ポテンシャル」と書いてました。
ゴメン、ゴメン。
ノートを直しました。

概念ではなく、数理テクニックが分からないのなら
そう言ってください。
だいたい TECHNICAL NOTE に書いてあると
思います。
2004/04/29/18:31  一)¥Pの速度ベクトルV≡dr/dt とあるのですがなぜ=でなくって≡何ですか?
 二)主法線ベクトルenはベクトル1に等しいのでは?だとしたらどう言う意味ですか?
 三)加速度の法線ベクトルの係数がv^2/ρになるのか分かりません。教えて下さい。
2004/04/29/21:23 >一)¥Pの速度ベクトルV≡dr/dt とある
>のですがなぜ=でなくって≡何ですか?
>二)主法線ベクトルenはベクトル1に等しい
>のでは?だとしたらどう言う意味ですか?
>三)加速度の法線ベクトルの係数が
>v^2/ρになるのか分かりません。教えて下さい。

今質問を読みました。
今日は寝させてください。
明日返答します。

≡を使った等式は、左辺が右辺で定義される、
という意味を持ちます。

ベクトルの絶対値(長さ)が1という事はありますが、
1はベクトルではありません。

残りは明日書きます。
2004/04/30/11:15 黒板(極秘)にアップロードしておきました。

どうも今日の僕は自信の無い気分です。
2004/04/30/20:05 微分を知らない、とかいう事があったら
言ってください。説明します。

ベクトル値関数の微分とか、
大丈夫ですか?

今日はこれからご飯食べて寝ます。
では。

2004年05月以降の分と論評は後日書きます。