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2019年05月31日(金曜日)
私人による造幣(宇田経済学の話の続き)

公権力が行なう事にすら私が第1種のペテンと呼ぶ問題がある通貨紙幣の発行を何の偽装もせずに白昼堂々と民間人が行なっている、という話を聞いて私は肝を潰した、というのが今月初日の日記に書いた日本銀行の件だが、その後よくよく考えてみて、民間人には契約の自由という物が有るよな、と思う様になった。

この契約の自由を使えば民間人が通貨紙幣を発行する事が出来るか、考えて見たい。
もし出来るのであれば、民間で出来る事は政府はしない、という原則に従がって、通貨紙幣は私人が発行するのが正しい事に成る。

AさんがBさんに与益をし、Bさんは「これで借りが出来たな、この借りは後で必ず返す」と言って益の借入れ証明書を作成し、それをAさんに与える。
この借入れ証明書には、Bさんの署名入りで、それと引き換えにBさんから所定の分量の受益を出来るものとする、と書かれている。
AさんとBさんの間の、この様な契約は、契約の自由の観点から言って、全く自由であるはずだ。

さて、この借入れ証明書、後日AさんがCさんから受益した際に、その見返りとしてAさんがCさんに与える(支払う)という使い方が出来る。

Cさんは、Aさんに与えた益と同価値の益をAさんから返済してもらう代わりに、借入れ証明書をBに渡し(支払っ)て、それと引き換えにBから同価値の受益を出来る。
AC間で「それでも良いですか」「それでも良いです」という合意が成立すれば、契約の自由および取引の自由に則って、その様な取引は全く自由でなければいけない。

Cは、Bから益の返済を受ける代わりに、AC間で行なわれた取引と全く同様にして、Dから受益した際に、その見返りとしてBが発行した借入れ証明書をDに与える(支払う)事も出来る。

そういう事が際限なく広範囲の人に渡って際限なく多数回繰り返されても、それは契約の自由および取引の自由の範囲内での事である。

これは実質上Bが通貨紙幣を発行した事に相当する。
つまり、原理的には誰でも通貨紙幣を発行できる、という事だ。

では、政府が発行する通貨紙幣と私人が発行する通貨紙幣の違いは何だろうか。
それは以下の2点だろう。

(1) 金本位制が廃止された後の現在では、政府には、発行した通貨紙幣の量だけ後で何か(益)を返済する義務が、一切生じない。
これに対して、私人Bは自分の(益の)返済能力を超える量の借入れ証明書を発行する事が出来ない。
実際には返済を要求される事が無いだろうと当て込んで過大な発行をするのが信用創造と呼ばれる行為なのではないか。

(2) 政府が発行した通貨紙幣は民間取引において「これで支払う事は出来ますか」という打診に対して極めて高い確率で肯定的な返事をもらう事が出来る。
これに対して、Bが発行した借入れ証明書での支払いは拒否される確率が高い。

しかし、政府が発行した通貨紙幣での支払いを拒否できない、という風に法律で定められているのでなければ、(2)は本質的ではなく単なる程度の差に過ぎない。
実際海外の特定の地域では特定の国の通貨紙幣での支払いが高い確率で拒否される様だ。

政府が発行した通貨紙幣での支払いを拒否できない、という風に法律で定められていたなら、政府による通貨紙幣の発行・行使は無限連鎖講を原理とする実質上の徴収である事は前々から私が述べている通りだ。

さて日本銀行などの中央銀行は私人です。
以上の事から考えて、やっぱりまずいなあ。
私人なら(1)の適用を受けるはずなのに中央銀行は(1)を負わないし私人が徴収してはいけない。