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2019年05月25日(土曜日)
原始悪は解消されたのか

思考実験をしてみる。

世界にN君とG君の2人しか居ないとする。
私がNとGの2文字を選んだのは、漫画「どらえもん」の登場人物「のびた」「ジャイアン」にちなんでの事だ。

N君はG君よりも生産能力が大きいが破壊能力は小さいとする。
言い換えると、G君はN君よりも破壊能力が大きいが生産能力は小さい、とするわけだ。
そして、N君とG君のそういった能力差はハッキリと存在する物とする。

この場合G君が「壊すぞ」と言ってN君を脅してN君の産物を奪う事をしなければ、N君とG君の貧富の差はどんどん大きく成って行く。
脅して奪えば、平等を実現できるだけでなく、貧富の差を逆転させる事だって出来るし、それもG君は自分では全く働かないでいてそうする事さえ出来る。

脅して奪う事は正義に反するが、それを止める事が出来るのはG君の良心のみだ。
G君が、誘惑に負けて、あるいは羨望のあまり、良心を捨てて脅して奪う事をすれば、それを止める事が出来る人は居ない。

N君には止める事は無理だ。
なぜならG君の犯罪を止めるにはG君よりも大きな破壊力でG君を脅すか破壊する必要が有るからだ。
助けを求めようにも、世界にはN君とG君しか居ないのだから、助けてくれる人はどこにも居ない。

この状況でいつまで経っても脅して奪う事をしないのでなければG君は真の善人とは言えない。
つまり、本当に善人である事は非常に難しい事なのだ。
善人で居ると「お前は馬鹿か、脅して奪えば済む話じゃないか」と言われるかもしれないぐらいだ。
それでも脅して奪う事は、犯罪であり、しないのが人として当たり前の事だ。

善人であり続ける事は非常に難しいので、実際にはG君は脅して奪う、という話にしてしまおうか。
そういう路線で話を進めても良いが、G君が誘惑に負けるか良心に従がうかを決めないままにしておいても、総人口数十億人の現代社会も状況は同じだという指摘をするだけで十分だ、と思う。

確かに現代社会は総人口2人ではないから、このページの冒頭の設定そのままではない。
しかし現代社会も、その構成員をN部分とG部分に分けて考える事が出来る。
N部分とG部分で全部だ、他に助けてくれる人は居ない、だから状況は同じなのだ。

先述した様に、Gが善人であり続けるのは非常に難しい事です。
だから現代社会のG部分は実際には善人である事をやめています。
ただし表面上形式上は「脅して奪う」という形を取りません。
それは、ナルシシズムが傷付くのを避ける為であり、またG部分が持つ破壊力にかかわる事だからです。
開き直って「脅して奪う」という態度を前面に出したなら、G部分の人数が減り、それによってG部分が持つ破壊力が減ります。

しかし「脅して奪う」という考え方は、脅して奪えば勝てる我々が何故敗北者という地位に甘んじなければいけないんだ、という形でシッカリと犯人達の腹の底に犯行動機の根として存在し続けているはずです。

それが動機と成って、やり方は脅して奪うのと違うけれど、脅して奪った場合と同等の結果が得られる様に必ずしてみせる、そうしなければ腹の虫が収まらない、という考え方を犯人は持っています。

その結果現在出ている犯罪が、精神病冤病や不正な経済ルールを設定する事や経済ルールに違反する(仕事を干したり相場を操作する)事や進入禁止エリアに押し出し(入れ)て違反者にするとか青鬼が脅して赤鬼が奪う、という方法です。
冤罪もでしょうけど、冤罪だけじゃない。

つまり原始悪は、社会や経済が複雑化した現代でも、まだ減らずに残っている、と私は考えています。