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2019年04月25日(木曜日)
次世代の世界一の天才へ(25)

(3b2) 自分がする必要はない、という早合点は禁物です。

やめさせ犯は、あなたに、自分がする必要は無い、と思わせる工作も、やめさせ工作として仕掛けて来ます。
そのひとつは、同世代のライバルを見せて、その人の方があなたより優秀だから、全部その人に任せれば良いじゃないか、と思わせる作戦です。
もうひとつは、先輩の名作を見せて、そのジャンルにはもう残務が無い、と思わせる方法です。

これらについて私(宇田雄一)とファインマンという2人、および物理学正典とファインマン物理学という2つの著作物を例に取って説明します。
思考実験です。

もし仮に私とファインマンが同じ高等学校に通っていたとしましょう。
そして、やめさせ犯に言われて、あるいは言われなくても自分で、ファインマンを見て、自分よりファインマンの方が優秀だ、と私が思ったとしましょう。
その結果私は、物理学なんて私がやらなくてもファインマンがやれば事足りる、と考えて進路を大学理学部物理学科志望から工学部志望に変更したとしましょう。

さらに、何十年か後に、ファインマンが書いた「ファインマン物理学」という教科書の評判が高い事を知り、その教科書の出来を自分の目で見て確認したとします。

そうした場合には何十年か後の私は、高校生の頃に自分がした進路変更は理由まで含めて正しかった、と思うでしょう。
しかし、実際には物理学の教科書としては私の物理学正典の方が、ファインマン物理学よりも正しい路線に乗っており、そうでなくても少なくとも私の物理学正典がファインマンの頭から出て来る事は絶対に有り得ません。
その事が進路変更した場合の何十年か後の私には分からないのです。
それは、物理学を学び続ける事によって育つ評価眼を進路変更した場合の何十年か後の私は持たない(目が肥えない)からです。
この事情は殺人犯が使う、死人に口なし、という理屈に似ています。
つまり、私に進路変更させる、という形で何十年か後の目の肥えた私という者を殺しておけば、私の物理学での将来性を殺した、という事実が証言者を失う、という事です。

私が高校生の時に何十才も年上のファインマンが書いた教科書「ファインマン物理学」を私に見せて、私のやる気を無くさせる手口も同様です。

言っちゃあ悪いが、談合によって成功を落札した者の製品からは、天才が感じられない。
それらはエリート級であって天才級ではない、程よく優れていて、過度に優れていないのだ。
もちろん談合ネットワークは口裏を合わせて、その製品には作者の天才が良く表われている、と褒める。
しかし私は、それらから、同一人物の監修を受けたかの様な共通のフォーマットの様な飽きられている物を感じてしまう。
陰謀論者が言うマインドコントロールの文脈での監修を受けるせいもあろう。

その様な観点は、映画「007」シリーズとブルース・リーが出演した映画を対比すると、伝わるのではないか。
007は談合系であり、ブルース・リーのは談合破り的な色彩が強いと思う。
そのせいでブルース・リーは殺された、と私は思っている。
007の陣営がブルース・リーの作品で計算を狂わされ対処を余儀なくされた痕跡を私は007作品内に見る感じがする。
まあ、ついでの話ですが、理解の助けに成れば。