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2019年04月21日(日曜日)
科学的と科学風

誤解されて宗教業者や詐欺師に利用されるといけないので、まずハッキリ言っておきますが、私は無神論者です。

さて本論。

幽霊の存在を主張する言説を信じる事やキリスト教の教理を信じる事を科学的でない、と言う人が多い。
私は、そうは思いません。
私の考えは、幽霊の存在を主張する言説やキリスト教の教理は科学風ではない、という考えです。
それは、科学的ではない、という考えとはハッキリ違いますが、ほとんどの人は(私以外は誰も?)、その区別が出来ていません。

科学的とは、現実がどうであるかを間違いなく知る為に科学が用いる方法の特徴です。
その具体については、科学論や科学哲学の書籍に説明を譲ります。
ここに今わたしが即席で書いても、漏れが生じたり不正確に成ったりと、書き損じては申し訳ないので、ここには詳しく書きません。
ただし科学的な方法は、現実の中の客観的な部分にのみ向けられ、知り得た内容を誰もが認めざるを得ない様に説明する、という特徴を持っている事だけは、ここで言い足しておきます。
さらに、ただし、誰がどう思ったかの「どう」の部分は客観的とは限りませんが「誰がどう思ったか」全体は客観的な真偽を問える事である点にも注意して下さい。

科学風とは、科学が科学的な方法を駆使して知り得た真理やそれを説明する為に科学が用いる理論のルックスです。
例を挙げれば、理論の最も肝心な部分が数式で書かれている事などが、それです。
これは詐欺師に大きなヒントを与えるので、数式を用いた詐欺(例えばトンデモによく有る)への警戒も高めて下さい。

本当の事は科学風であるはずだ、科学風でない言説は信じない、という態度は経験則的な理由で妥当であり、私もそういう態度を取ります。
しかし、それは態度が科学的である事とは別です。
むしろ、科学風でない言説を科学風でないからという理由で頭ごなしに否定する事の方が科学的でない態度です。

因みに、私の父「宇田おさむ」は、集団ストーカーについての伝聞情報を信じるなんて科学を何年やってるんだ、という意味の事を私に言って、集団ストーカーの揉み消しに加担しました。
集団ストーカーについての伝聞情報を信じる事は、科学的である事に何ら抵触しません。
かすりもしない、どころか、頭ごなしに否定する事の方が、非科学的であり犯行に加担している証拠と見なせる不審な態度です。

トンデモ学説も陰謀論も集団ストーカー分析も、大抵は科学風であり、少なくとも科学風であろうとしており、悪意の無い物は少なくとも科学的であろうとしています。

統合失調症だの被害妄想だのという言い掛かりは、それまで自分達を苦しめて来た科学風な言説の信用を如何にして失わせるか犯人が腐心した結果の産物です。
科学的ではないという理由で切り捨てる事が出来ないからこそ、別の理由を付ける必要があったのです。

科学においても、未立証でも有力な仮説は多分正しいだろうと信じられます。
まだ立証されていない事を信じるのは科学的でない態度だ、という意味は科学的という言葉には含まれていません。
したがって、仮説を提唱したという業績を主張する私に、それってもう立証はされてるんでしょうねえ?と問いただす行為は、その人が犯人と通じている証拠です。
そして、そういう発言をした者は実際に居ます。