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2019年04月16日(火曜日)
次世代の世界一の天才へ(21)

(9a1) 目的が知的欲求の充足だけである事は、それを職業としてはいけない理由には成らない。

今日のテーマは宇田経済学のページに書くべき事かもしれませんが、学者を目指す人が悩まされる事の多い問題なので、ここにも書いておきます。

研究の動機は自分個人の好奇心を満たす事であって役に立つ何かを社会に提供する事ではない、とする職業学者に対して、それはいかがなものか、と批判する人が居る。
これは、報酬を得てそれで生活するからには、それなりの社会貢献を目的とする研究でなければいけない、という意見だ。

消費者が知りたがるであろう事や知りたがっている事を研究して結果を知らせるというサービスによって社会に貢献し、その貢献に対して報酬を得て、その報酬で生活する、というのは正しい態度だ、という事も有るのだが、今日は、それ以外の論理について説明する。

まず、行為者の目的が何であろうと、行為者がその目的を追求すると結果的に役に立つ何かを産み出す、という法則性が存在していれば、その行為は職業として成り立ち、成り立つ事は批判されるべき事ではない。
与益と報酬が釣り合ってさえいれば経済としては正しいからだ。
加害を目的とする行為なら別だが、それを誰が何の目的でしようが、そんな事は余計なお世話という物だ。

経済のエッセンスは「丁度よい」です。
こんな所にこんな物があった丁度よかった、こんな所にこんな人が居た丁度よかった、これでなくてはいけません。

さらに、その法則性が、客観的に確実ではなく、緩い傾向性としてしか存在していない場合や、特定の個人や団体の主観的見込みに過ぎない場合も、然りです。

その様子は、次の様な例え話を考えれば分かります。

Aさんは酵母菌を使って食パンを作って売って生活しています。
Aさんの意識のレベルでは、食パンという役に立つ物を社会に提供して、その報酬で生活しよう、という風に、最終目標は報酬を得る事だが、その為の中間目標は社会の役に立つ事です。
Aさんは、その目標を達成する為に、酵母菌に利益を与えてしたいようにさせれば食パンが出来る、という法則性を利用します。
さて、ここで、酵母菌は社会の役に立とうとは考えていませんが、そんな酵母菌は不道徳なヤツですか、あるいは道楽者として排除されねばなりませんか?
そんな馬鹿な事は有りません。

酵母菌では食パンを作れるという法則性が確実に成立していますが、特定の個人や団体が、この菌を使えば食パンを作れそうだ、と見込んで勝手に酵母菌以外の菌Xを使ったら、それは駄目ですか?
当てが外れればその個人や団体が損する事に成りますが、だから自己責任なのでその個人や団体がやっている事は不道徳ではないし、まして菌Xが道徳的に責められるいわれは有りません。

酵母菌や菌Xが、研究したい事を研究したいから研究しているが社会の役に立つ事を目的とはしていない学者です。