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2019年04月13日(土曜日)
次世代の世界一の天才へ(20)

(6b2a) 勉強と研究は違う、そして肝心なのは研究です。

学習という物は既に知られている事を教えてもらって自分も知るに至る過程です。
それと違って研究は、まだ誰も知らない事を自分が率先して知ろうとする行ないであり、その目的には自分の知識欲を満足させる事だけでなく、他の人に研究結果を教えてあげる事も含まれます。

学習の結果である能力獲得は、国家資格などの形で利権化される場合も有りますが、原理原則としては、それ自体は利権に成りません。
それと違って研究の結果は知的所有権という形で利権化されます。
だから、能力試験で良い成績を出しても、あまり抵抗を受ける事は無く、幾らでも褒めてもらえるのに対して、研究で良い結果を出したと成ると、一転して強い否定や黙殺を受けます。
それを初めて経験すれば、あなたは、タブーに触れた感じや、親しいはずの人が人が変わった様に悪辣に成る感じを、受ける事に成るでしょう。

勉強つまり学習の成否は読解力と指導で決まりますが、研究の成否は学習と独創性で決まります。

したがって悪意ある者が、あなたを指導せずにあなたのライバルを指導する、という方法を取っても、あなたのライバルをあなたに勝たせる事は、学習において出来るのみであって研究においてまでは無理です。

自分の指導を受けている最優秀級の学生がどれも独創性においてではなく読解力において最優秀級だ、と偉い先生方が嘆くのを私は学生だった頃に文物で見掛けました。
今では私の様な人間はバッシングの対象に成りますが、当時は、そんな風に意識の高い論調が主流でした。

学習においての顕著な優秀性を示す例の花形は飛び級でしょう。
しかし、飛び級は本人の才能(学習の才能に限っても)を表しているとは限りません。
飛び級させる様な特別な指導が為されたのかもしれません。
それは、あなたが受けるべき評価を他の不相応な誰かに代わりに受けさせるのが目的かもしれません。
また、本人の学習の才能があなたを超えて首位であっても、あなたに勝たせる為に飛び級させる不公平な指導が為されたとしても、本人に研究の才能つまり独創性が無ければ、その人は学習の終端点(既に知られている事を全て学び終えた所)で成長が止まり、そこから先に進めなく成ってしまいます。
学習速度を上げれば上げるほど、その行き詰まりに達してしまうのが早く成るだけです。
だから、あなたは、学習進度の速い他者をライバル視して危機感を持つ必要は無く、むしろ、それによってペースを乱されない様にすべきです。

特別な指導が学習の終端点を超えて研究についてまで行なわれれば、それを受けている人の成長は止まりませんが、力の源泉が指導者である限り、その指導者を超える事は出来ません。

以上の事を勘案すると、あなたは最初から、あなたのライバルだとされている人ではなく、その人を陰で操っている指導者を想定して、その人と直接勝負するつもりで居るのが正しい。
それには長期的な展望が必要です。
相手はあなたよりも何十年も前にマラソンのスタートをしているからです。
それでも、あなたが世界一の天才ならば、あなたは勝ちます。
なぜなら、世界一の天才は百年間に1人だからです。
相手が年上でも、年齢差が百より小さいならば、生涯業績で相手が負けます。

どんなによく勉強した凡人も勉強してない天才に勝てなかった具体例としては、日本物理学会2019年春季大会での私の発表16pG214-13「時間の矢への宇田予想と重力円錐宇宙」が絶好です。