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2019年04月12日(金曜日)
政権が連立に成った本当の理由

政権が連立に成った事は私への嫌がらせです。
私がしているのは自民党と公明党の連立政権に限った話では有りません。
1993年以来繰り返されている連立政権すべてについてです。
この嫌がらせは「私はAさんにBして頂きたい」と言うべき事を故意に誤って政府の高官に至るまで口裏を合わせて異口同音に「AさんがBして頂きたい」と発言する嫌がらせと同根・同種の嫌がらせだと考えられる。
政権について「連立」という言葉が耳に入る度に、もう、うるさくて、うるさくて。

政権が連立に成ったのは、力学と電磁気学の連立方程式として電気力学を考える必要が有る、という学理の気付かれ難さと重要性に私が目を付けて、それを他者に向かって啓蒙したからです。
1993年当時は私は未だ書籍「古典物理学」を出版していないしインターネットも無かったので、公に向かって啓蒙したのではなかったはずです。
しかし、書籍「古典物理学」の前身であった著作物の出版を自費出版業者に相談した事が有るので、それが当たったのかもしれない。
ただし、その自費出版業者には私の著作物の内容に力学と電磁気学の連立方程式が含まれている事を読み取る能力も時間も無かった。
だから、もし、その著作物を出版しようとした事が当たったとしたら、それは私への盗聴活動で得られた情報と組み合わせての事だろう。

日本物理学会2019年春季大会での時間の矢についての私の発表の様に世界中でまだ誰も言っていない重要な事を私が率先して発表する、というのを集団ストーカー犯はめのかたきや火事の様に非常に忌み嫌う。

力学と電磁気学の連立方程式という考え方は、私が初めて言い出した事ではない。
砂川重信著「理論電磁気学」には書かれている。
エルンスト・マッハ著「力学」の「自然は機械のようなものである。m個の方程式を満足するn個の量という描像をとるのがよかろう」という記述から既に感銘を受けていた私は自分でも独自に力学と電磁気学の連立方程式という考え方に気付いていたかもしれないが、砂川重信著「理論電磁気学」で初めてその考え方に気付かされたのだったかもしれない。

それなのに何故この件について私に対して嫌がらせが始まるのか?
それは、この件が、私が言いだしっぺでなくても、既に先輩が言っている事であっても、ここに書かれているこの考え方が特に重要だよ、という風に教えられるだけでも屈辱である、また自分の専門分野にはその考え方が無い為に(物理)学歴が長いのに自分にそんな肝心な無知が有る事は自分の専門分野があまり高級ではない事を意味すると自覚させられ従業分野に依拠した自尊心が不快を感じる、そういう人が多いからだと思う。

事実、力学と電磁気学の連立方程式という考え方が並々ならぬ物である事は、それがノーベル賞を授与された繰り込み理論の原点である事を見ても分かる。

そんな素晴らしい(本当は不可避なと言うべき)考え方なら、動機は嫌がらせだろうが何だろうが、活用する事は善い事だ、と思うかもしれない。
それが違うんです。
予備知識としては中学校で習う数学の連立方程式だけ知っていれば分かる事です。

x - y = 1 ・・・ (1)
x + y = 1 ・・・ (2)
例えば、この連立方程式を例に取って説明しましょう。
この連立方程式においては、(1)だけでは x, y の値の組が1通りに決まらない。
つまり(1)だけなら、(x, y ) = (1, 0) でも (x, y ) = (2, 1) でも、もっと他の組み合わせでも構いません。
同様に(2)だけでも x, y の値の組は1通りに決まりません。
しかし、(1)と(2)の両方を成り立たせなければいけない、と成ると、(x, y ) = (1, 0) に決まってしまいます。
この様に、連立方程式という物は本来、片方(部分)だけでは不定性が残ってしまうが、両方(全体)を使えば答えが1つに決まる、という装置です。

それに対して政権の場合はどうでしょうか?
政権の場合は各党が x の値についても y の値についても決まった意見を持っています。
つまり、A党とB党の連立政権という物をあえて書くならば、
x = 1, y = 0 ・・・ (A)
x = 0, y = 1 ・・・ (B)
と成ります。
これを数学の問題として解くならば答としては「解なし」「両立しない」が正解です。
政権の場合には(A)と(B)の相互妥協の結果が x, y の値として出力される事に成るでしょう。
これが政治として正しいか間違いかは難しい問題ですが、少なくともそれは連立方程式ではないのです。

数学の連立方程式では両者が完全満足ですが、連立政権では両者が我慢です。

私に教えられなければ気付かないくせに、その内容を私よりも先に言おうとするずるい人が居ます。
その人は、私の言葉の最初の部分だけを聞いて、その後を自分で考えます。
私がまだ子供だった頃なら、その頃にはまだ他者に説教するほどの見識も無かったですけれど、私の言葉をワンフレーズ単位で盗んでも私の知的所有権を完全に侵害する事が出来ました。
幼少期に断れないとウソをつかれた上でそういうゴーストライターに甘んじる約束をさせられた記憶が有り、それはあの有名人のあの名文句として映画に出ていたので、間違いない事です。
その件については許す。
しかし、私が何十歳にも成ってからは、私の意見を伝えるには書籍規模の長文が必要であり、私の著書の最初の部分だけを読んで残りの部分を犯人が書く事は不可能です。
それが出来るなら、私のその著書は無駄に冗長だ、という事に成りますから。
何十歳にも成ってからの私の意見は、そんな風に難しく成ってしまったのです。
そういう風に成ってしまったので、犯人には、悪しからず、と言うしかない。
私の知的所有権を侵害するだけならまだしも、出来損ないを作って世の中に公害を出さないでくれ。