since 2003
イレコナビ サイトマップ
< 日記 >
< 2019年03月 >
< 05日 >
2019年03月05日(火曜日)
次世代の世界一の天才へ(9)

(7) 勝負は夢の大きさで決まる、技術は後から付いて来る。
ちょっと言い過ぎだが、私は、それを体感して来た。
NHKの「プロフェッショナル、仕事の流儀」というテレビ番組のテーマソングの歌詞の中に「子供の頃に目指した大人ほどカッコ良くは成れなかったけど現状に満足です」という意味の部分が有る。
そう考えるのが普通だと思う、実際の生涯業績は子供の頃に望んだレベルには満たない物だと。
しかし、世界一の天才は違います。
子供の頃には想像する事すら出来ない様な大きな事を年を取るに従がってますます目標として考え出し実行し果せるのが世界一の天才です。
だから世界一の天才は進路選択において、成功する見込みが大きいが上限の低い道ではなく、成功するのは難しいが上限の無い道を選びます。
これは賭け事で言うと、低リスク低リターンではなく高リスク高リターンな賭け方をする事に相当しますが、途中で前進続行が不可能に成ると人生の残りの部分を活用できなく成ってしまうので、負けたら負けた時点で破産してしまう様な賭け方をするのとは違います。
定年まで全時間被雇用働(私は労働という言葉が嫌いなので労働ではなく働と書きました、脱字ではありません)に服する進路では、上限は社長、ひょっとすると、その経歴を活かして国会議員に成る事が出来るかもしれませんが、それでも上限は総理大臣や大統領です。
総理大臣や大統領は普通は実務者とは言われませんが、法律や条約を成立させるのが仕事だから、広い意味では社長も総理大臣も大統領も実務家です。
これは、我々はただ意見を言っていれば良いだけの学者とは違うんだ、という言葉で、本人達の口から述べられる事です。
学者のやっている様な研究や議論を「頭の体操」という言葉で蔑む政治家も見た事が有ります。
将棋で敗北が確定した後いくら考えても無駄なのと同じ様に学問は自分達を救う事も救世も出来ないのだ、という見切りを的確に表現している皮肉だと思います。
実務家は実務を行なうのが主業務なので、その分だけ研究や発表に使える時間や体力が限られます。
と言うよりむしろ、研究や発表に使える時間と体力が残りません。
したがって、どれだけ大きな事が言えたか、どれだけ偉い事が言えたかの勝負で勝つには、実務家に成るという進路選択は不利いやNGです。
私なら、やってる暇があったら次を考えます。
そして、真の救世の素は実務ではなく研究と発表です。
研究と発表は無力な頭の体操などではなく、救世において最も頼りに成るエンジンだと思うよ。
その事は、共産主義において最大の功績はマルクスが資本論という本を書いて出版した事だと考えられているはずである事を見ても、明白です。
共産主義国の書記長だとか主席だとか呼ばれる首脳の功績はマルクスの功績ほど高くは評価されないのです。
当然の事です、哲学が最高なんだから。
共産主義は間違っていたけれど、別のどんな新しい動向についても、その最大の功績は、それを考え出して発表した事だと認められるはずです。
哲学で優勝するとは、どれだけ大きな事が言えたか、どれだけ偉い事が言えたかの勝負で優勝する事だから、世界一の天才は大学教授の様なタイプの職業学者に成るか、文学作家の様に著作で生計を立てるタイプの学者に成るか、そう成るまで浪人してパートタイム働で生計を立てながら研究や著作の準備を進める、という進路選択が必然だと思います。
現時点(2019年02月時点)の日本は、その様な浪人生活という物が経済的に成り立たない状況に成るに至っています。
これは、このページのここまでで私が述べて来た考えに反発した者達の長年に渡る経済を歪める工作が奏功した為だ、と私は考えています。
私がここまでに書いて来た事を世界一の天才でない人にも読んで欲しいのは、その為です。
以前書いた様に、どの個人も泳ぐ人であり、その人にとって他の全ての人は海でなくてはいけません。
それが守られていれば、浪人という生活スタイルが経済的に成り立たない事は無いはずだ、と思います。