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2019年02月25日(月曜日)
次世代の世界一の天才へ(4)

(2c) 分野間のステータス差は山の高さの差みたいなもの、哲学を目指しても登頂しなければ世界一には成れない。
高い山の登頂を目指す事は、低い山の登頂を目指す事よりも、目指しただけでは勝った事に成らない。
それは難しい試験を受験した人の方が易しい試験を受験した人よりも成功した事には成らないのと同様だ。
難しい試験を受験した人の方が成功したと言えるのは、試験に合格した場合のみである。
同様に、学問で手柄を立てる事を目指している、職業が学者である、その中でも自分の専門は哲学だ、という人も、それだけではそうでない人よりも成功している事には成らない。
量子力学を作った人々とどちらの方が上かといった細かな事を言わなければ、20世紀で世界一の天才はアインシュタインだ、という事で賛成してもらえる場合が多かろう。
これは、アインシュタインの業績が哲学にまたがるからかもしれないが、アインシュタインの理学上の業績を超える哲学上の業績を上げた人が居なかったから、という見方も出来る。
ダーウィンの進化論なんかは、もっと直接的に、理学上の業績に過ぎないにもかかわらず当時の哲学の最高峰であったキリスト教を凌駕している。
自分は哲学以下の分野でよりも哲学での方が高い業績を上げる事が出来るのではない事に賭けて、哲学以下の分野でベストを尽くすのもひとつの手だが、それではもしあなた以外の誰かが哲学山の登頂に成功したなら、世界一の天才の座は哲学山の登頂に成功した人に取られてしまいます。
そう成ったらそう成ったで哲学上の業績として出るべき物は出るわけだから構わない、という見方も出来ますが、哲学山の登頂があなたには出来るが他の人には出来ない物なのにあなたがそれをしなかったとしたら、それは残念な事です。
神や仏の存在を比喩としてではなく真に受ける宗教は進化論や天文学によって信用を失いました。
現代は、それらの宗教に代わる哲学の出現が待たれている時代だと思います。
つまり、世界一の天才にとっては絶好のチャンスなのです。
まあ、次世代の天才が考え出す前に私が答えに気付いてしまうかもしれませんが。
そう成ったら「残念!」って事で。