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2018年12月26日(水曜日)
警察・司法の別件処理体質も集団ストーカーである

2017年06月の東名あおり運転事件について、どの法律を適用すれば犯人を適当に罰する事が出来るかで、多くの人が判断に窮しているらしい。
ああでもない、こうでもない、という風に。

で、監禁罪ではどうかとか、危険運転致死傷罪ではどうかとか、言われているわけだが、どちらもピッタリではない、という指摘が為されている様だ。

この事件の場合、犯人の最も悪い所は、自分の安全を確保する被害者の業務を妨害した事だ。
従がって犯人の主たる罪は業務妨害だ。
これが私による判決だ。

その業務妨害の手段や発生原因が何であるかは、どうでも良い事なのだ。
それなのに、その手段や発生原因がどんな法律にも違反していなければ犯人を処罰する事が出来ない、というのは法の不備である。

また、業務妨害はその内容にかかわらず罪が軽い、という風に法律が定められていても、これも法の不備である。

2017年06月の東名あおり運転事件については、自分の安全を確保する被害者の業務は、近くの他の車両との相対速度を小さくする事だ。

この業務を妨害する業務妨害が犯人の犯した罪の本質であり、これは看過できないので相応の処罰が必要だ。
しかし、それを罰する法律が無いとか、法律は有るが法定量刑が軽すぎる、という理由で、別の何かの法律への違反を探して見付けたりこじつけたりして、それを名目として法定刑を課す、というやり方は言わば別件処理です。

そして、この別件処理というものは、やってはいけません、という事を法律家なら誰でも生徒時代に習ったのではないかと思う。
そうでなければ、それは罪刑法定主義と同じぐらい重要な別の原理原則が現代の司法には欠けている事を意味します。

別件処理は駄目です、という事と、法律はそれが出来る前の事件に遡って適用されない、という原則を守れば、2017年06月の東名あおり運転事件の犯人は、その犯した罪に比して軽すぎる有罪判決しか受けないのが正しい事に成ります。

これが私の判決です。

それでは被害者の気持ちも、話を聞き知った人一般の義憤も治まらないでしょう。
本来、その結果立法が厳しい批判に晒される、というのが正しい成り行きです。
法の不備を別件処理で補う、という事を繰り返すから、世論の厳しい批判は立法から逸らされ、いつまで経っても必要な法律が欠けたまま作られない、そしてまた、それを目的に別件処理が行なわれるのです。
そして警察や司法が、何か有ればまた別件で処理しよう、という体質に成ってしまうわけです。

危険を回避する業務一般への業務妨害を取り締まる法律に不備が有る事は、テクノロジーの進歩に立法が追いつかない、といった言い訳の全く通用しない事項です。

集団ストーカーを法律で取り締まれない様にする為に、法律にそういう穴が開けてあるからだ。
そうでもなければ、その程度の基本的かつ重要な事項が立法において考え落とされる事は有り得ない。

この立法の不備が何者の如何なる介入によって生じさせられたかは、史実から詮索して暴露される必要が有る、という事をキツく言っておきたい。

基本的な法律としては、業務一般への業務妨害を扱う法律を考えるのが自然かつ十分かつ最も有効であり、危険を回避する業務への業務妨害に話を限定する理由は全く無い。

禁止されていない行為を行為者の意に反して妨害する事は業務妨害であり、これを禁止する。
妨害によって減少した成果をもって、業務妨害の加害量とする。
業務妨害の罪の重さは、その加害量で測られ、罰はそれに応じる。

この様に立法しておけば済む話だ。
死なない様に危険を回避する業務を妨害された被害者が死ねば加害量は殺人の加害量と同じだからその業務妨害の分類は刑法違反でなくてはいけない、そして罪の重さは殺人罪と同じである。
こんな事は、一々別書きしなくても、一般論から導き出せる事だからだ。

業務妨害全般が軽んじられている事と、妨害による逸失利益の証明が厳しく要求される事は、これもまた既得権益者を新規参入者に勝たせる目的の不公正だと疑われるのが当然です。

私は天才です。
それを証明する業績を業務妨害で封じられたら、逸失利益は莫大ですが、それを誰が信じてくれますか?
つまり、圧倒的に犯人が有利なわけですよ。
これが、法律に穴が開けてある理由です。
そのために法律に穴が開けてあるんです。

別件処理という物を認めてしまうと、それは、法の不備を補う、という善意の目的で使えるだけでなく、法律で禁止されていようがいまいが何でも取り締まる事が出来る様に成ってしまう。
法律で自由だとされている事も、別件処理を使えば取り締まれる。
これが現代の警察の犯している大きな罪だ。
別件処理を認めるなら、言論でも出版でも取り締まれるし、私なんかはそれを取り締まられて非常に迷惑しているんだ。
法律は言論や出版を自由だと言ってるんだから、警察がそれを取り締まれば、その事は警察の違法行為である。
集団ストーカーという卑怯な手を使って遠回しに行なっても、その違法性は全く減らないばかりか、卑怯な分だけ罪が重く成ります。

自然状態では別件を探してもターゲットに落ち度を見付ける事が出来ない場合に形式上の違反を引き出す目的での加圧、これが集団ストーカーです。
そういう意味で、集団ストーカーは、取り締まってはいけない事を取り締まる警察の犯罪の部品なんですよ。

テレビでは「犯人が悪い」で話は終わってるが、インターネットで調べてみれば、よりによってまた、犯人が過去に重度の犯罪被害に遭っている事が書かれていた。
「奈良の騒音おばさん」と同じじゃないか。
この事件は、犯人にとっても、泣きっ面にハチ、だった様だ。

単独犯の検挙なんて所詮ぜんぶ弱い者イジメ、というのが実態なのかもな。