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2016年03月14日(月曜日)
リスク=損害×確率、を巡って

2016年03月12日に放送された「朝まで生テレビ」を見て、以下の様な感想を持った。

池田信夫氏への批判が過度だった、と感じた。
「そんな事を言うから誰からも信用されないんだ」という批判があったが、池田信夫氏の意見は詭弁ではないのだから、そういう批判は間違っている、と思った。

池田信夫氏の「事故が起こった場合の損害の大きさでではなく、損害×起こる確率で評価せよ」という指摘が、強い反発を受けていた。
2015年05月29日の記事に書いた様に考え方としては私も知っていた事だが、リスクという語の定義は、この人の発言を聞くまでは、私も知らなかった。

意見の食い違いの本質は、
(1) 何でも損害×確率で評価できる
という主張に賛成であるか反対であるかの違いらしい、と私は思った。

以下に、両方の立場について、私の意見を書く。

(1)に賛成の立場への弁護。
(1)に反対している人は本当は、(1)を間違っていると感じているのではなく、原発事故が実際に起こった事から、事故が起こる本当の確率は事故前に言われていた物よりも大きいはずだ、と判断して、やはり(1)を採用しているのではないか。
(2) 自動車の方が原発よりも損害×確率が大きい
という主張が(1)に反対する人の直感に反するのは、直感の誤りや(2)の誤り、に起因するのであって、(1)の誤りを意味する物ではない、のではないか。
(2)では原発事故の損害が過小に見積もられているので(2)は間違っている、という事は有り得る。
(1)に反対する人は自動車事故の損害を過小に感じているので(2)の正しさを理解できないで居る、という可能性も考えられる。

(1)に反対の立場への弁護。
個人の場合に喩えると、損害が死である場合には、損害×確率で評価できない。
確率を発生頻度の期待値に換算すると、損害が死である場合、発生頻度の期待値が一生に1回よりも小さい事が、絶対に必要であり、それを超える物については、確率が小さくても容認できない。
原発事故の場合、社会の死をもたらす事故は、その発生頻度の期待値が、代替技術への移行に要する時間の間に1回、という頻度より小さくなければ、いけない。


以上の考察は、不確実性の処理@
相対正義論@持論@学問メタ陰謀論@持論@学問での考察にも、影響を与え得る。