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2015年02月21日(土曜日)
AFS空手、もし寸止めれば

今日は
2015年02月18日の記事への補足程度に書きます。

手技のAFSを寸止めしようとすると、極めの瞬間に肘が伸び切っていないからダメ、一寸手前に仮想コンタクト点を置きそこに極めると、届いていないからダメ、と言われるだろう。
良く思い出せないのだが、練習の自由組手で、そういう理不尽を感じた気がする。
オマケに対戦相手から「なあ、オレのパンチ、全部寸止めに成ってたよな」と言われ、こっちのパンチを見てそう思ったのではないか、こっちが分からないと思って吹っ掛けて来やがったな、と思った事があったのは確かだから、やはり、そういう理不尽を感じていたのだろう。

AFS空手家がAFS空手のままで寸止めルールの試合に出たら、「ちゃんとやってるじゃないか、これ以上一体どうしろと言うんだ」という抗議の念を抱えたまま、一本も取れずに試合終了を迎える事だろう。

寸止めなら、力を抜いて打ったパンチも、力を込めて打ったパンチと同等の評価を受ける。
そして、力を抜いた方が、腕を素早く動かせるし、難しい動きもし易いだろう。
また、力を抜いているか入れているかで、パーリングの効果が変わってしまう。
つまり、蹴り技と同様に、視覚的に確認できる内容が変わってしまう。

そういう理由で、手技のAFSの巧拙は、実打の反応で測定するしか無い様に、思える。

漫画「空手バカ一代」に、大山倍達氏が若い頃は直線的な動きをしていたが途中で円運動を基本とする動きに変えた、という事が書かれていた。
これは、BFS空手からAFS空手に転向した、という事なのではないか?

とすると、大山倍達氏のフルコン主義は、最初からではなく、本当はAFSへの転向に伴って生じたのではないか、という疑問が生じる。